機械化母星メーテルが、自らの重力に耐え切れず崩壊し、アンドロメダの星屑となって消え去った直後。
勝利の代償は小さくなかった。
宇宙の深淵を漂う三隻の巨影は、どれも見るも無惨なほどに傷ついていた。
若葉色のネオアルカディア号。
深緑のアルカディア号。
深紅のクイーン・エメラルダス号。
装甲は捲れ上がり、回路は断線し、エンジンは悲鳴を上げている。
普通のドックであれば、廃船勧告が出てもおかしくないレベルの損傷だ。
だが、彼らには帰るべき場所があった。
「……トチロー。全艦、海賊国家船団へ帰投する」
有明のハーロックは、火花散る艦橋で、血の滲む頬へ大判の絆創膏を貼りながら言う。
「あの場所なら、どんな深手でも治せる。……俺たちの家だ」
『合点だ! 湯を沸かして待ってろって、留守番に伝えておくよ!』
中枢コンピューターと化したAIトチローの声が、安堵と共に響く。
一方、隣を並走する本家アルカディア号。
その心臓部で、大山トチローの魂もまた、同じ結論に達していた。
『……ハーロック。あそこへ行こう』
魂の声が、艦長室のハーロックに語りかける。
『俺の相棒がいるドックだ。……俺の可愛い息子を完璧に直せるのは、この宇宙で俺と、親友と相棒しかいない』
ハーロックは、傷ついた愛機を撫でるように舵輪を握り、静かに頷いた。
「ああ。……友の家に、厄介になるとしよう」
そして、その通信を傍受していたクイーン・エメラルダス号。
彼女もまた、愛機の惨状に眉をひそめていた。
気高い彼女は、本来ならば他者に弱みを見せることを嫌う。
だが、トチローが行くというのなら、話は別だ。
「……仕方ないわね」
エメラルダスは、通信機に向かって短く告げた。
「有明。……私の船も、貴方のドックを借りるわ。……腕は信用しているから」
「ああ、任せてもらおう。親友と、最高の職人技で新品同様に仕上げてみせよう」
それは、孤高の女海賊からの、最大級の信頼だった。
◇◇◇
アンドロメダ近海に展開していた海賊国家船団・有明。
その中枢にある巨大工廠艦のゲートが、三隻の凱旋を迎えるために大きく開かれた。
「……戻ってきたぞ! キャプテンたちだ!」
「酷い傷だ……! よくぞご無事で!」
出迎えるクルーたちの目に涙が滲む。
だが、感傷に浸っている暇はない。
AIトチローの号令一下、数万、数十万の修復ドローンが一斉に飛び立った。
「かかれえええッ!! わしらの英雄を、新品同様に磨き上げるんじゃあ!!」
ドローンに宿る「かつての少年たち」の魂が燃え上がる。
彼らにとって、アルカディア号やエメラルダス号に触れ、それを修復することは、至上の喜びであり、誇りだ。
通常なら数ヶ月を要する工程が、物理法則を無視した「愛」と「根性」、そしてAIの「超効率」によって、驚異的な速度で進められていく。
ネオアルカディア号の艦長室。
有明は、窓の外で火花を散らすドローンたちの光の舞を見つめながら、ハーロックとエメラルダスに、とっておきのヴィンテージワインを注いだ。
「……傷は癒える。船も、人もな」
「……ああ。いい港だ、ここは」
ハーロックがグラスを掲げる。
エメラルダスも、ふっと表情を緩め、その香りを愉しむ。
激戦の後の、束の間の止まり木。
三人の海賊と、二人のトチロー。
彼らは傷ついた翼を休めながら、次なる旅への英気を、静かに、そして確実に養っていた。
◇◇◇
機械化母星メーテル──崩壊という歴史的勝利。
だが、その光の裏側には、必ず濃く長い影が落ちる。
海賊国家船団・有明。
20万隻を超える船団から選抜され、決戦の地へ赴いた精鋭10万隻。
帰還したのは、9万9822隻。
失われた数、178隻。
数字の上では、損耗率0.2%にも満たない「圧勝」だ。
軍事記録ならば、奇跡的な勝利として称賛されるだろう。
数字を見て喜べるのは、地球連邦政府やらの宮仕えの役人たちだろう。
だが、俺にとって、そしてこの船団の仲間たちにとって、それは単なる数字ではない。
沈んだ178隻の船。
撃墜された空間騎兵隊の機動メカ。
帰還しなかった航空隊の戦闘機。
そこには、数千の「友」が乗っていた。
かつて地球で、あるいは他の星で、孤独に震えながらも自由を夢見、そしてこの旗の下に集った、かけがえのない魂たち。
彼らはもう、二度と笑い合うことも、酒を酌み交わすこともない。
◇◇◇
ネオアルカディア号のメインデッキ。
普段は勇壮な発進が行われるその場所は、今、静寂に包まれた葬送の場となっていた。
エアロックが開く。
そこから宇宙空間へと流されていくのは、遺体のない棺桶たちだ。
激しいビームや爆発で消し飛んだ彼らの、形見の品や、愛用していた道具だけが詰め込まれた箱。
それが、星の海へと還っていく。
「……歌え」
有明のハーロックが、掠れた声で命じた。
派手な伴奏はない。
ただ、一人、また一人と、低いハミングが重なっていく。
『……ラララーラ、ララララ~……』
『……ラララーラ、ララララ~……』
その旋律は、進軍の時に歌った勇壮な凱歌とは、まるで別物のように聞こえた。
同じ母音。同じ音階。
だが、そこに込められた想いの色が違う。
これは、本来の姿。
惑星ラーメタルの地下で、いつ明けるとも知れぬ夜に耐え、震える手で銃を握りしめたパルチザンたちが歌った、祈りと決意の唄。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ。
倒れた友の屍を乗り越え、その無念を背負って、明日また引き金を引くための誓い。
……安らかに眠れ、友よ。
有明は、流れゆく棺を見つめ、歌う。
彼らの死は無駄ではなかった。
機械化帝国の野望を砕き、鉄郎という希望を未来へ繋ぐための、尊い礎となったのだ。
だが、それでも。
失われた命の重さは、船団長の肩にずしりと食い込む。
(……お前たちの分まで、俺たちが戦う。……だから、星の彼方で見守っていてくれ)
それは、この歌が持つ、二つの側面。
勝利の歓喜と、敗北の悲哀。
生への執着と、死への手向け。
その両方を内包しているからこそ、この歌は海賊国家船団・有明の国歌として、魂に刻まれているのだ。
◇◇◇
艦長室のバルコニー。
有明は、グラスに注がれた赤ワインを、宇宙の闇に掲げた。
「……友へ」
短く告げ、一口飲む。
その隣で、本物のキャプテンハーロックと、クイーン・エメラルダスもまた、無言でグラスを掲げていた。
彼らは客人だ。
だが、あの激戦の宇宙で、背中を預け合い、同じ敵を撃った戦友でもある。
ハーロックは目を閉じ、散った若者たちの勇気に敬意を表し、エメラルダスは静かに涙を一筋流して飲み干した。
「……いい歌だ」
ハーロックがポツリと漏らす。
その言葉が、有明にとっては何よりの救いだった。
棺の列が、星屑の彼方へと消えていく。
悲しみは尽きない。だが、俺たちは立ち止まることはできない。
生き残った者には、生き続ける責任があるのだから。
有明は空になったグラスを置き、マントを直した。
その瞳には、友の死を乗り越え、さらに強靭になった「海賊」の光が宿っていた。
◇◇◇
弔いのワインが空になり、グラスを置く音が静寂な艦長室に響いた。
有明のハーロックは、その余韻を断ち切るように、重く、静かな口を開いた。
「……機械化母星メーテルは崩壊した。だが、それは『めでたしめでたし』のエンディングではない」
有明は、窓の外に広がる星の海を指差した。
「支配者の消滅は、秩序の崩壊と同義だ。……これから起こるのは、全銀河規模の『反乱』だ」
機械化人による圧政。生身の人間からの搾取。
その絶対的な権威であった機械化母星が消えた今、抑圧されていた者たちの怒りが一気に爆発する。
奴隷は鎖をちぎり、虐げられた者は武器を取る。
それは自由への戦いであると同時に、血で血を洗う泥沼の動乱の幕開けでもある。
「……平和が来るわけではない。むしろ、今まで以上に激しい『戦の銃声』が、星の海に鳴り響くことになる」
本物のキャプテンハーロックは、腕を組んだまま深く頷いた。
「……違いない。自由とは、誰かに与えられるものではなく、己の手で勝ち取り、そして守り抜くものだ。……そのための痛みを、彼らはこれから知ることになる」
クイーン・エメラルダスもまた、憂いを帯びた瞳で星々を見つめる。
「古い支配が終われば、新しい支配を求めて獣たちが動き出す。……私たちの仕事は、まだ終わらないわね」
その時、船団の中枢にある巨大交易艦のステーションに、新たな光が滑り込んできた。
先刻まで停泊していた、鉄郎を乗せた上りの999号の姿はもうない。
代わって現れたのは、夜の闇を切り裂く銀色の閃光。
重厚な装甲と、巨大な主砲を備えた、戦闘車両のごとき威容。
銀河鉄道管理局所属、超特急『ビッグワン』。
「……SDFか」
有明が呟く。
彼らが動いた理由は明白だ。
惑星メーテルの崩壊により発生した莫大な重力波とエネルギーの乱れは、周辺宙域の空間レールをズタズタに引き裂き、歪ませているはずだ。
その歪みに迷い込み、遭難する民間列車が出ないよう、巡回警護とレールの修復を行うために、最強の車両が派遣されてきたのだ。
「……彼らもまた、彼らの正義のために走っている」
銀河の秩序を守る盾、SDF。
そして、自由の旗を掲げる矛、海賊。
立場は違えど、守るべきもの──「名もなき人々の旅路」を想う心は同じだ。
有明は、入港する銀色の巨体を見下ろし、マントを翻した。
「……備えよう、友よ。時代が変わる。その嵐の中で、俺たちの旗を見失わぬようにな」
惑星メーテルの崩壊は、終わりではない。
人間が、人間としての尊厳を取り戻すための、長く険しい戦いの始まりの狼煙だったのだ。
三人の海賊は、来るべき動乱の予感を肌で感じながら、次なる航海への決意を新たにしていた。
◇◇◇
決意を秘めた静寂は、唐突な暴力によって粉々に砕かれた。
ガシャンッ!!
艦長室の床が大きく傾ぎ、手向けのために注がれていたワイングラスが滑り落ちて砕け散る。
赤い液体が床に広がる様は、まるで新たな流血の予兆のようだった。
「……トチロー!!」
有明のハーロックが叫ぶよりも早く、艦内のスピーカーから悲鳴に近い警告音が炸裂した。
『緊急事態発生!! 近傍に……いや、目と鼻の先だ! 重力異常振動検知!!』
AIトチローの絶叫が響く。
『艦外作業員は速やかに艦内退避! 各行政艦、隔壁閉鎖! 総員、対ショック姿勢! ……クソッ、時空嵐が発生しやがった!!』
窓の外、安定していたはずの星の海が、狂った万華鏡のように歪み始めていた。
予測不能、回避不可能。
自然現象か、あるいは崩壊した機械化母星の断末魔が引き起こした歪みか。
激しく揺れるネオアルカディア号の船長室。
有明は、床に手をついて姿勢を保ちながら、真っ先にモニターを確認した。
そこに映るのは、嵐に翻弄されようとしている深紅の船影。
「トチロー! 牽引ビームをエメラルダス号に撃て!! 重力の迷子になるぞ!」
『了解だ、親友! 離すもんか!!』
「こちらもだ、トチロー!」
キャプテンハーロックが机にしがみつきながら叫ぶ。
アルカディア号の中枢大コンピューターに宿る大山トチローの魂が、即座に応える。
『もうやってる! ……エメラルダスの船を置いて行くかよ!!』
二隻のアルカディア号から放たれた光のアンカーが、荒れ狂う重力の渦中で、木の葉のように舞いそうになっていたクイーン・エメラルダス号を、ガッチリと捕らえた。
左右から支える二つの緑の腕。
それは、愛する女と、戦友を守ろうとする、男たちの執念の鎖だ。
少し驚いたような、しかし安堵に満ちた声が届く。
「……今回は、恩に着るわ」
エメラルダスの短い言葉。
だが、次の瞬間、視界を埋め尽くす紫色の閃光に飲み込まれた。
天地が逆転し、時間がねじれる感覚。
船団の他の船たちがどうなったか確認する術もない。
ただ、互いに結び合ったビームの輝きだけを頼りに、俺たちは巨大な時空の奔流へと落ちていった。
行き先は不明。
過去か、未来か、あるいは全く別の宇宙か。
だが、怖くはない。
俺たちの魂は、この嵐の中でも繋がっているのだから。
こうして、俺たちは再び、時空嵐の旅人となったのだった。