有明のハーロック   作:星乃 望夢

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第4話

 

ある金曜日の夜。

 

宣伝らしい宣伝は一切ない。

 

Twitterのタイムラインに、ポツリと一行だけ、無機質な文字が浮かび上がる。

 

『今夜、2200。ハッチを開ける』

 

ハッシュタグもなければ、絵文字もない。

 

「待機所はこちら!」という誘導リンクすら貼られていない。

 

だが、そのたった一行のツイートが、数万人の男たちのスマートフォンに通知として届き、彼らの疲弊した目に微かな光を灯す合図となる。

 

時刻は22時。

 

残業を終えたサラリーマン、子供を寝かしつけた父親、あるいは誰にも言えない孤独を抱えた学生たちが、それぞれの端末の前で息を潜める。

 

画面はいつものモノクロの静止画。

 

待機画面のBGMはない。

 

だが、コメント欄は既に静かな熱気で満ちていた。

 

『先週ここを知った友人を連れてきた。……頼む』

 

『新入りです。上司に勧められて来ました』

 

『一週間、この(とき)のために生きてた』

 

口コミは水面下で根を広げていた。

 

「何も喋らなくていい、ただ聴けば分かる」

 

「あそこに行けば、許される」

 

そんな言葉と共に、傷ついた渡り鳥たちが羽を休める止まり木として、そのURLは共有されていた。

 

カチッ…。

 

マイクのスイッチが入る微かなノイズ。

 

それだけで、数万人が一斉に静まり返る。

 

トクトクトク……。

 

液体がグラスに注がれる音が、鮮明に響く。

 

安酒ではない、芳醇な香りすら漂ってきそうな音。

 

そして、重く、硬質な氷の音。

 

カラン…。

 

その一音が、世界の切り替わるスイッチだ。

 

日本の狭いワンルームや書斎の空気は霧散し、そこは瞬時にして惑星ヘビーメルダー、トレーダー分岐点。

 

無法者や流れ者が集う、ガンフロンティア山の麓にある、煤けた小さな酒場へと変貌する。

 

「……生きていたか、友よ」

 

ヘッドホン越しに、脳髄に直接響くような重低音。

 

それは演じられた声ではない。

 

社会の底で這いつくばり、それでも誇りを失わずに生きようとする男の、魂の共鳴音だ。

 

「一週間の航海、ご苦労だった。……嵐は激しかったか? それとも、(なぎ)で退屈だったか?」

 

俺はモニターに映るコメントの流れる速度を見つめながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

答えを求めているわけではない。

 

ただ、彼らの肩に積もった「社会人」という名の塵を、言葉で払い落としているのだ。

 

「……どんな一週間であれ、お前たちはここに辿り着いた。傷ついた翼を畳み、錨を下ろせ」

 

画面の向こうで、プシュッという缶ビールの開く音や、ライターの音が無数に重なる幻聴が聞こえる。

 

「ここはアルカディア号の船尾楼。あるいは、最果ての酒場だ。……俺たちの間に、階級も、肩書きも、世辞もいらない」

 

俺はグラスを持ち上げる。

 

マイクの向こうにいる、見えない数万の「トチロー」たちへ。

 

「俺が戦うのは、誰のためでもない。俺自身の胸の中にあるものの為だ。……そしてお前たちもまた、それぞれの戦場で、それぞれの旗を守り抜いた」

 

チャット欄に、音もなく赤い帯──スーパーチャットが流れ始める。

 

それは称賛ではない。

 

「ああ、そうだ」「俺も戦ったよ」という、男たちの無言の同意だ。

 

「……誇り高き戦士たちに。……乾杯」

 

俺がグラスを傾ける音に合わせて、それぞれの場所で、それぞれの酒が煽られる。

 

琥珀色の液体が喉を焼き、一週間の疲れを溶かしていく。

 

若い視聴者が、空気を呼んで短いコメントを残す。

 

『乾杯』

 

『お疲れ様です』

 

年配の視聴者は、ただ無言で赤スパを投げ、涙を拭う。

 

俺はふと、心の中の風景を口にする。

 

「……ヘビーメルダーの風は乾いている。だが、今の俺たちには、この静けさが丁度いい」

 

そう。ここは有明でも東京でもない。

 

俺たちは今、心の宇宙の果てにいる。

 

「……さあ、話したい事があれば話せ。聞きたくない事は、この酒で流せ。……夜明けまで、俺はここにいる」

 

氷がまた、カランと鳴った。

 

有明のハーロックの金曜日。

 

それは、現代社会という荒海を漂流する男たちが、唯一「自分自身」に戻れる、聖域のような時間が始まった瞬間だった。

 

 

◇◇◇

 

 

有明のハーロックはあまり多くの事を語らない。だが、ふとした時に語る事もある。

 

それはキャプテンハーロックの戦い。

 

自由の旗のもとに、自由に生きて、自由のために戦い、自由に死ぬ。

 

自由は無秩序な無責任ではない。

 

自由には自由の責任が伴う。

 

そうして有明のハーロックは、キャプテンハーロックは語る。

 

「あれはイルミダスを地球から退けて少ししてからだったな。イルミダス軍との戦いで激しく傷付いたアルカディア号をヘビーメルダーのドックに停泊させ、修理が終わるまではデスシャドウ号で俺たちは宇宙の旅を続けていた。マゾーンが地球に魔の手を差し伸ばしてきたのは、そんな時だったな」

 

昔を語るその語り口は正しくキャプテンハーロックだった。

 

若者たちは思うはずだ。

 

イルミダス軍とはなんだ?

 

アルカディア号の他にデスシャドウ号とはなんだ?

 

マゾーンとはなんだ?

 

そうしてキャプテンハーロックを知りたいと仕向けて、知る切っ掛けを持たせる自然な語り口を、画面の向こうの男たちは静かに心の中で称賛した。

 

「台羽は正義感の強い奴だった。あの正義感は奴の武器だったが、同時に無鉄砲なところもあって目の離せないやつだった。同じ様に正義感を持つ男を多く俺は見て来たが、その中では若年でも鉄郎は父親に似て落ち着きのある奴だ。俺には多くの仲間が居る。そして友が居る。お前たちもまた俺の仲間であり、こうして酒を呑み交わす友だ」

 

カランと音の鳴るグラスを傾け、喉を鳴らす音が聞こえる。

 

「アルカディア号は多くの戦いを乗り越えてきた。イルミダス軍やマゾーンとの戦いはその中のひとつに過ぎない。だが、俺も、そして船と共に生きるトチローも、その戦いを忘れることはない。かつて共に戦った友よ。その戦いを今を生きる若者に語り継げ。俺もまた語り継ごう。宇宙に戦い散った敵と、友を」

 

カランとグラスを揺らし、乾杯とする。

 

グラスの中の酒がチャプンと音を鳴らし、喉を通る音が静かに再び響くのだった。

 

 

◇◇◇

 

 

配信画面のコメント欄が、一瞬だけ止まったように見えた。

それは回線の不調ではない。

 

今、この男が語った「歴史」の解釈に、歴戦の猛者たち──かつて松本零士の世界に浸った古参のファンたちが、息を呑んで聞き入ったからだ。

 

「……なるほど、そう繋げるのか」

 

自宅でグラスを傾けていた50代の男性は、思わず膝を打った。

 

松本零士作品における「時間の輪」や並行世界、そしてスターシステムによる設定の揺らぎは、ファンにとって永遠の議論の種だ。

 

特に、緑色の鋭角的な艦首を持つ「アルカディア号」と、青い機体に平面的な艦首を持つ「デスシャドウ号」の時系列の前後関係は複雑だ。

 

だが、有明のハーロックは、それをたった数言の「思い出話」として、矛盾なく繋ぎ合わせた。

 

『無限軌道SSX』での激闘で傷ついた緑のアルカディア号を修復に出し、その代船として『宇宙海賊キャプテンハーロック』の時期にデスシャドウ号──青いアルカディア号に乗っていた──。

 

それは公式の設定資料集に書かれた正解ではない。

 

だが、この低い声で、遠い日を見るような目で語られると、それこそが「真実」であるかのような説得力を持っていた。

 

コメント欄が、静かに、しかし熱く動き出す。

 

『……修理中だったのか。なら仕方ないな』

 

『懐かしい記憶が蘇るな』

 

古参兵たちが納得の赤スパを投げる一方で、若い視聴者たちの反応は違った。

 

『イルミダスって何?』

 

『マゾーン? え、植物?』

 

『アルカディア号って二種類あるの?』

 

『デスシャドウ……名前がカッコよすぎる』

 

彼らの指はすぐに動き、Google検索窓に単語を打ち込む。

Wikipediaを開き、画像検索をし、古いアニメのあらすじを読み漁る。

 

「有明のハーロック」が口にした単語を知りたい。

 

彼が見てきた景色を、少しでも共有したい。

 

その純粋な探究心が、昭和の名作たちに新たな息吹を吹き込んでいく。

 

ハーロックは、そんなコメント欄のざわめきを、まるで酒場の喧騒を眺めるように目を細めて見つめ、再び口を開く。

 

「……台羽は正義感の強い奴だった」

 

彼が語るのは、メカニックの話だけではない。

そこには常に「人間」がいる。

 

「あの正義感は奴の武器だったが、同時に無鉄砲なところもあって目の離せないやつだった。……同じ様に正義感を持つ男を多く俺は見て来たが、その中では若年でも鉄郎は父親に似て落ち着きのある奴だ」

 

『銀河鉄道999』の星野鉄郎。

 

『宇宙海賊キャプテンハーロック』の台羽正。

 

『わが青春のアルカディア 無限軌道SSX』の物野正。

 

それぞれの作品で、ハーロックと共に、あるいはハーロックの背中を見て育った若者たち。

 

彼らを「友人」として、対等な目線で語る。

 

若いリスナーの一人がコメントする。

 

『俺も、正義感だけで空回りしてます……』

 

ハーロックはそのコメントを拾いはしない。

だが、タイミングを見計らったように、言葉を続ける。

 

「……空回りもまた、若さだ。台羽もそうだった。だが、奴は最後に自分の足で立った。……お前たちもまた、俺の仲間であり、こうして酒を呑み交わす友だ」

 

その言葉は、画面の向こうで悩む若者の肩を、力強く叩いた。

 

カラン……。

 

氷が溶け、グラスの中で位置を変える音が響く。

 

静寂。

 

そして、ハーロックは総員に向けて号令をかけるように、ゆっくりと言った。

 

「アルカディア号は多くの戦いを乗り越えてきた。イルミダスやマゾーンとの戦いはその中のひとつに過ぎない。だが、俺も、そして船と共に生きるトチローも、その戦いを忘れることはない」

 

ここで「トチロー」の名が出た瞬間、古参ファンの涙腺は決壊した。

 

船の中枢大コンピューターに魂を宿した、ハーロックの無二の親友。

 

彼が今もそこに居ると、このハーロックは信じている。いや、知っているのだ。

 

「かつて共に戦った友よ。その戦いを今を生きる若者に語り継げ。俺もまた語り継ごう。宇宙に戦い散った敵と、友を」

 

それは、ハーロックから古参ファンへの「任務」の通達だった。

 

老害と疎まれるのを恐れて口をつぐんでいた彼らに、「語れ」と、「伝承せよ」と命じたのだ。

 

自分たちの青春は、無駄ではなかったと。

 

カラン…。

 

グラスが掲げられる気配。

 

「……乾杯」

 

チャプン……ゴクッ……。

 

喉仏が動き、琥珀色の液体が身体に染み渡っていく音が、数万人の耳元で再生される。

 

その音は、どんなBGMよりも雄弁に、男たちの夜を彩った。

 

配信が終わった後、SNSでは「イルミダス」「マゾーン」「アルカディア号」といった単語がトレンド入りを果たし、動画配信サイトでは往年の松本零士作品の再生数が跳ね上がったという。

 

有明のハーロックは、ただ酒を飲んでいただけだ。

 

だがその夜、彼は確かに、世代という断絶された銀河の間に、アルカディア号という船を浮かべて架け橋とした。

 

 

◇◇◇

 

 

医者へは隔週に一度通っている。

 

忘れそうになるが、俺は一応病人だ。

 

しかし当初の病気とは別の病気、と言うのは俺としては複雑な物だった。

 

俺がキャプテンハーロックになってから3ヶ月。

 

俺は元の俺に戻る事もせずキャプテンハーロックを続けている。

 

故に精神的に元に戻らず、俺はキャプテンハーロックの人格を手に入れていた。

 

その方が精神的に安定していて私生活も支障はない。

 

酒の量は控えて欲しいと言われたが、友の支援のお陰で良い酒を飲んでいるから、深酒しても悪酔いはしない。

 

だが医者からすると以前の性格や人格が完全に閉じて消えてしまう事の危険性も示唆された。

 

だが、以前の俺に戻ってもどうとなるものではない。

 

剥き出しで傷つき果てた心には安らかな眠りが必要だ。

 

戻りたいかと言えば、否だ。

 

俺はキャプテンハーロックだ。

 

いや、キャプテンハーロックが良い。

 

それで世間で生活する事に不便が起きようと、それはキャプテンハーロックで居ることを選んだ自分の責任だ。

 

甘んじて受ける覚悟はある。

 

それに記憶の別離という事は起きていない。

 

俺は身体が生きる事を代行しているだけに過ぎない。

 

外界という敵と戦う為の存在。

 

それが俺だ。

 

宇宙海賊キャプテンハーロックだ。

 

俺はそれに頷いておいたが、俺はキャプテンハーロックとして生きるという自由の旗のもとにその責任を背負う覚悟はとうの昔に出来ていた。

 

 

 

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