劇場の巨大なスクリーンに、無機質で冷徹な「惑星大アンドロメダ」の光景が映し出された瞬間、客席の空気は氷点下まで下がったかのように凍りついた。
隣り合って座る鉄郎とミャウダーの間に、ポップコーンを咀嚼する音はない。
画面の中では、幽霊列車から降ろされた生身の人間たちが、ベルトコンベアに乗せられ、ただの「燃料」として魂を抜き取られていく。そのあまりにも冒涜的な光景に、鉄郎は胃の奥がせり上がるような不快感と、激しい怒りに震えていた。
「……これか」
ミャウダーが、低く、押し殺したような声で呟いた。
「有明の親父が、機械帝国の輸送船を見つけるたびに、あんなに血相を変えて『根こそぎ略奪しろ!』って叫んでた理由が……。あいつ、これを知ってたんだな」
スクリーンの中、廃棄された肉体の山から、聞き覚えのあるオルゴールの旋律が流れ始める。
ミャウダーの親の形見。
そして、無残に横たわる「ミャウダー」の亡骸。
『ミャウダー……。ミャウダーーーー!!!!!』
劇中の鉄郎の絶叫が劇場に木霊した瞬間、現実の鉄郎は、隣に座る生きているミャウダーの腕を、無意識に、しかし壊れ物を掴むような強さで握り締めた。
「……ミャウダー。君が、あんな風に……」
「……よせよ、鉄郎」
ミャウダーは、自分の亡骸が床に転がされるシーンを直視しながら、自嘲気味に、けれどどこか誇らしげに笑った。
「気色悪いもんだな、自分がゴミみたいに捨てられてるのを見るのは。……でもな、鉄郎。あのオルゴールの音、あっちの俺も最後まで持ってたんだな。アンドラードの意地ってやつをよ」
ミャウダーは、自分の胸元に手を当てました。そこには今、同じ旋律を奏でるペンダントがあっ。
「あっちの俺は、お前に『先に死ぬな』って約束を守れなかった。……でも、今の俺はここにいる。有明の親父が、運命の神様から俺を、そしてお前を『略奪』してくれたおかげでな」
画面は、鉄郎がメタルメナにカプセルエネルギーを突きつける、もっとも残酷で、もっとも真実なシーンへ移る。
『これでもまだ、ここが楽園だって言うのかメタルメナ! 食え、食ってみろ! ……命の火だぞ、食わないのか!?』
「……そうだ。食べるもんか」
鉄郎が、画面の中の自分に合わせるように、低く、鋭く呟いた。
「誰かの命を犠牲にして、自分だけが永遠に生きるなんて……。そんなの、ただの化け物だ。僕たちは、お腹が空けば誰かとご飯を食べて、疲れたら眠って、いつかは死ぬ。……それが『人間』なんだ」
メタルメナの最期。彼女が最後に「ありがとう」と微笑んで消えていく姿に、鉄郎の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「メーテル……」
スクリーンの中のメーテルが、「プロメシュームを倒すのは私の定め」だと告げる。その哀しすぎる決意を、今の鉄郎は痛いほど理解していた。
「ミャウダー。……映画の中のメーテルは、お母さんと、自分の血を分けた星を、自分の手で壊そうとしている」
「……残酷な話だぜ、ったく」
ミャウダーは、乱暴に涙を拭い、立ち上がらんばかりの勢いでスクリーンを見据えた。
「でもな、兄弟。あっちの世界じゃメーテル様は一人でそれを背負ってるが、こっちには俺たちがいる。二人のハーロックがいて、エメラルダス様がいて、12億人の『おせっかいな大人たち』がいるんだ」
ミャウダーは、鉄郎の肩を力強く叩きました。
「さあ、最後まで観ようぜ。惑星大アンドロメダの崩壊。……俺たちの未来を塞いでいた『絶望』がなんなのかをな」
鉄郎は頷き、前を見据えた。
頬を伝う涙はもう、悔しさの涙ではない。
運命を塗り替えるための、戦士の決意の輝きだった。
スクリーンの中の999号が、崩壊を始めた大アンドロメダを背に、最後の戦いへと突き進んでいく。
それを見つめる二人の若者の背中は、映画の中のどんな英雄よりも、逞しく、そして自由な光を放っていました。
◇◇◇
劇場の空気は、サイレンの魔女が奏でる不気味な旋律に支配されたかのように、冷たく、そして重く沈み込んでいた。
スクリーンの中では、プロメシュームの哄笑が響き、惑星大アンドロメダが断末魔の叫びを上げて崩壊していく。
「……あのペンダント」
ミャウダーが、掠れた声で呟きました。画面の中で、黒騎士ファウストが床に落ちたミャウダーの形見を拾い上げるシーン。
「あっちの俺は死んじまったけど……俺の故郷の旋律を、あの鉄の仮面の男が拾った。あいつはどんな思いでアレを拾ったんだろうな」
ただ鉄郎の落としたものだからなのか、それとも何か引き寄せられるものがあったのか。鉄郎には答えられる言葉がなかった。
そして、画面は「サイレンの魔女」の出現へと移る。
『……サイレンの魔女が歌う時、生きとし生けるものの命の火が消える』
メーテルの台詞とともに、放たれたビームが吸い寄せられるように右へと逸れていく描写。劇場のスピーカーから流れる、美しくも禍々しい歌声。
「……これか。親父が言っていたのは」
ミャウダーが身を乗り出すようにスクリーンを凝視しました。
「『限定空間で高まったエネルギーに引き寄せられる』……。プロメシュームが機械エネルギーを充満させたせいで、この魔女を呼び寄せちまったんだな。だから有明の船団は、一箇所に留まらずに漂流し続ける道を選んだ……」
鉄郎もまた、深く頷きました。
「物語」として語られていた伝説。それが、自分たちが今乗っているこの巨大な船団の「生存戦略」に直結している。その事実に、鉄郎は改めて有明のハーロックという男の、未来を見据える眼差しの深さを知った。
そして、艦内を静寂が包み込むシーン。
アルカディア号の中枢大コンピューターに宿るトチローの、静かな決意。
『……俺も今は機械だ。しばらくの間眠ることにするよ。頼んだぞ友よ』
「トチローさん……」
鉄郎の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
アルカディア号が自動操縦を捨て「人力操舵」に切り替える。999号が機械エネルギーを落とし、古い石炭の力で走り出す。
「……皮肉なもんだな、兄弟」
ミャウダーが、どこか誇らしげに笑った。
「宇宙で一番進んだはずの機械帝国の首都で、最後に頼りになるのが、人間の腕の力と、泥臭い石炭の火だってんだ。……結局、最後に運命を切り拓くのは、機械じゃなくて『生身の意志』なんだよな」
「うん。……あっちのハーロックも、トチローさんの魂を守るために一人で舵を握ってる。僕たちのキャプテンも……きっと、同じ気持ちで俺たちを守ってくれているんだね」
スクリーンの中では、黒い煙を吐き出しながら、999号が重力崩壊の渦から脱出しようと懸命に加速していく。
それを見つめる二人の若者の瞳には、映画の中の絶望を乗り越え、自分たちの手で新しい「現実」を創り上げようとする、戦士の輝きが宿っていた。
◇◇◇
劇場の暗がりに、突如として別の重圧が加わった。
カシャン、カシャン……という、聞き慣れた、しかし今は誰よりも重く響く拍車の音。
鉄郎が息を呑んで振り返ると、そこには漆黒のマントを静かにたゆませ、十字の傷を刻んだ男――有明のハーロックが立っていた。
「鉄郎。ここから先は、お前という一人の男にとって、あまりにも重い定めを観ることになる。……それでも、目を逸らさずに観る覚悟はあるか?」
有明の声は、静かであったが、少年の魂の深淵までを覗き込むような鋭さを孕んでいた。それは、単なる劇映画の鑑賞に対する問いではない。己の出自、父の正体、そして「物語」が本来用意していた残酷な結末を、すべて受け入れる準備ができているかという、戦士としての資質を問う峻烈な儀式であった。
鉄郎は、隣に座るミャウダーの視線を感じながら、震える膝を両手で強く押さえた。スクリーンの光に照らされた彼の横顔には、流れる汗を拭う余裕すらなく、ただ凄絶な決意だけが宿っていた。
「……観ます、キャプテン。僕は、自分の目で見届けなきゃいけないんだ。僕が何を背負って、何のためにこの戦士の銃を握っているのかを」
その答えを待っていたかのように、劇場のスピーカーからメタルメナの悲痛な叫びが響き渡った。
『さようなら、鉄郎さん……』
画面の中では、999号を惑星大アンドロメダの引力から解き放つため、自らの身体に宿る機械エネルギーを道連れに、メタルメナが虚空へと身を投げ出していく。涙を流しながら散っていく彼女の最期は、限りある命のために自らを捧げるという、人間としての気高き覚悟の極致であった。
鉄郎の奥歯が、ギリリと音を立てて噛み締められた。
スクリーンの中の自分は、またしても誰かの犠牲の上に明日を繋いでいる。その事実に、現実の鉄郎の胸には、言葉にできない慟哭が渦巻いていた。
「…俺だけじゃない。あいつも、この映画の中では、鉄郎を救うために……」
ミャウダーが低く、押し殺した声で呟く。
有明は、何も言わずに二人の若者の背後で直立不動のまま、その光景を隻眼に焼き付けていた。
彼がこの宇宙で成し遂げようとしている「略奪」とは、まさにこのスクリーンに映し出される「尊い犠牲の連鎖」そのものを断ち切ることに他ならない。
物語は、父と子が剣を交える宿命の場所、サイレンの魔女が待ち受ける崩壊の深淵へと、一分の慈悲もなく突き進んでいったのである。
◇◇◇
劇場の空気が、真空の宇宙よりも重く、冷たく、鉄郎とミャウダーを押し包んでいた。
スクリーンの中では、荒れ狂うサイレンの魔女の暴風が全てを飲み込み、視界を漆黒へと染め上げる。その闇を切り裂いて響いたのは、この世のものとは思えぬプロメシュームの絶叫と──そして、一抹の救いのように、あまりにも哀しく清らかなオルゴールの旋律であった。
「……ミャウダー」
鉄郎の声は、もはや形を成していなかった。画面の中で自分の放った一撃が、オルゴールの音を標的に父の胸を貫く。その凄絶な手応えは、現実の鉄郎の指先にも、消えることのない「業」として刻み込まれた。
客車の屋根に落ちるミャウダーの形見。そして、仮面の下から漏れる、父としての最期の慈愛。
『強くなったな、鉄郎……』
この一言が放たれた瞬間、鉄郎は目を見開き、溢れ出る涙を拭うことさえ忘れ、虚空を凝視した。父であることを隠し、敵として立ち塞がり、最期に我が子の成長を認めて消えていく。
そのあまりにも不器用で、高潔で、残酷な父の愛に、少年の魂は激しく震え、慟哭していた。
『さらばだ、息子よ…』
ミャウダーもまた、自身の形見が「父と子の決着」の導火線となった事実に、言葉を失っていた。映画の中の自分は、死してなお、友の銃弾をその父へと導いた。その数奇な運命の連鎖に、彼はただ、唇を噛み締め、己の胸にあるペンダントを強く握りしめるしかなかった。
『さらばだぞ、我がぁぁぁ息子よぉぉぉぉ!!!!』
サイレンの魔女に吸い込まれていくファウストの絶叫。それは支配者の断末魔ではなく、愛する者を地獄へ連れて行かせぬための、執念の離別であった。
ハーロックの手によって宇宙へ放たれる、もう一つのペンダント。漆黒の宇宙に消えていく母と子の写真は、物語が本来辿るはずだった「永遠の別れ」を象徴していた。
有明のハーロックは、二人の若者の背後で、その凄惨な美しさを湛えた終焉を黙して見届けていた。彼の十字の傷が、スクリーンの光を反射して鋭く光る。
鉄郎の肩は、激しく上下していた。隣のミャウダーも、拳を血が滲むほどに握りしめている。
かつて地球で、そして銀河で、人々がこの映像に涙したのは、それが「変えられぬ過去」であったからだ。
だが、今の彼らは知っている。この悲劇の果てに、自分たちの「今」が、略奪された平和の上に立っていることを。
物語は、全ての命の火が消えゆく崩壊の頂点から、新しい命の夜明けを告げる終幕へと、静かに、そして重厚に向かおうとしていたのである。
◇◇◇
劇場の照明が、静寂を切り裂くようにゆっくりと灯された。
エンドロールが消え、無音となったスクリーンの前で、星野鉄郎は座席に沈み込んだまま動くことができなかった。頬を伝う涙は、乾く暇もなく次から次へと溢れ出し、膝の上で握りしめた拳を濡らしていた。
画面の中の自分は、父をその手にかけ、戦友を失い、最愛の女性との永遠の別れを経て、独り「若者」へと成った。そこには美しくも、あまりに孤独な「青春の終焉」が描かれていた。
「……酷すぎるぜ、こんなの」
隣に座るミャウダーが、地を這うような低い声で吐き捨てた。彼は、自らの形見が括り付けられたラーメタルの墓標を、正視し続けるしかなかった。本来の歴史ならば、自分はあの土の下で物言わぬ骸となり、鉄郎の心に消えない傷を刻む「過去」となっていたはずなのだ。
「鉄郎……」
ミャウダーが、震える鉄郎の肩に手を置いた。その掌の確かな熱さ、脈打つ生命の鼓動。それが、今この場所が、スクリーンに映し出された悲劇の「外側」であることを証明していた。
「……ミャウダー。君が、生きてる」
鉄郎は、縋るようにミャウダーの顔を見た。
「君が生きていて、メーテルもこの船団にいて……親父も、有明さんとお酒を飲んで……。僕の辿る物語は、こんなに、こんなに哀しいものだったんだね……」
「ああ。……だから、あいつは盗んだのさ」
二人の背後から、重厚な拍車の音が近づいてきた。
有明のハーロック。
彼は十字の傷を深く刻んだ顔で、自らの「倅」たちを見下ろしていた。
「鉄郎、ミャウダー。……お前たちが今観たのは、かつて巨匠が描き、全人類が涙した『不変の運命』だ。少年が大人になるために、メーテルは去り、トチローは船になり、親父は死なねばならなかった。それが、この宇宙の美しき掟だった」
有明はマントを翻し、真っ暗になったスクリーンを指差した。
「だが、俺はその美学を拒絶した。……友を殺さねば歩めぬ未来など、俺は認めん。愛する者と引き裂かれねば得られぬ自立など、ドクロの旗が許さん。……だから俺は、神の書いた脚本から、お前たちの悲劇を略奪したのだ」
有明の声は、劇場の壁を震わせ、艦内の12億人の魂にまで響き渡る。
「……お前たちが今持っているその『命』は、俺が宿命から奪い取った戦利品だ。……ならば、謳歌しろ。死んでいった者たちの意志を継ぐだけでなく、生きている者と共に、新しい歴史を創れ」
鉄郎は、立ち上がった。
目元を乱暴に拭い、背筋を伸ばして有明を見据えた。
その顔には、映画のラストで見せた孤独な若者の影はない。
自分を支える巨大な愛と、それに応えようとする戦士の光が宿っていた。
「……行こう、ミャウダー。……キャプテン」
鉄郎は、自分の腰にある戦士の銃を、誇らしげに叩いた。
「物語は終わったかもしれない。でも、僕たちの旅は……ここからだ」
ミャウダーもまた、不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。
二人の若者は、有明のハーロックを挟むようにして、劇場の出口へと歩み出した。
その背中を見送りながら、船団中の12億人は確信していた。
自分たちが乗っているこの船は、単なる避難所ではない。
悲劇を拒絶し、運命をねじ伏せ、誰も見たことのない『エターナル』へと突き進む、銀河で唯一の、自由な魂の叛逆。
有明の空に、ふたたび999号の汽笛が鳴り響く。
それは別れの合図ではない。
死も、別れも、絶望も、すべてを乗り越えて往く、人類の新たなる船出の咆哮であった。
海賊国家船団・有明。
その物語は、巨匠の遺した「さよなら」を、永遠の「再会」へと書き換えながら、暗黒の深淵を若葉色の光で照らし続けていくのである。