有明のハーロック   作:星乃 望夢

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第45話

 

劇場の巨大なスクリーンに、無機質で冷徹な「惑星大アンドロメダ」の光景が映し出された瞬間、客席の空気は氷点下まで下がったかのように凍りついた。

 

隣り合って座る鉄郎とミャウダーの間に、ポップコーンを咀嚼する音はない。

 

画面の中では、幽霊列車から降ろされた生身の人間たちが、ベルトコンベアに乗せられ、ただの「燃料」として魂を抜き取られていく。そのあまりにも冒涜的な光景に、鉄郎は胃の奥がせり上がるような不快感と、激しい怒りに震えていた。

 

「……これか」

 

ミャウダーが、低く、押し殺したような声で呟いた。

 

「有明の親父が、機械帝国の輸送船を見つけるたびに、あんなに血相を変えて『根こそぎ略奪しろ!』って叫んでた理由が……。あいつ、これを知ってたんだな」

 

スクリーンの中、廃棄された肉体の山から、聞き覚えのあるオルゴールの旋律が流れ始める。

 

ミャウダーの親の形見。

 

そして、無残に横たわる「ミャウダー」の亡骸。

 

『ミャウダー……。ミャウダーーーー!!!!!』

 

劇中の鉄郎の絶叫が劇場に木霊した瞬間、現実の鉄郎は、隣に座る生きているミャウダーの腕を、無意識に、しかし壊れ物を掴むような強さで握り締めた。

 

「……ミャウダー。君が、あんな風に……」

 

「……よせよ、鉄郎」

 

ミャウダーは、自分の亡骸が床に転がされるシーンを直視しながら、自嘲気味に、けれどどこか誇らしげに笑った。

 

「気色悪いもんだな、自分がゴミみたいに捨てられてるのを見るのは。……でもな、鉄郎。あのオルゴールの音、あっちの俺も最後まで持ってたんだな。アンドラードの意地ってやつをよ」

 

ミャウダーは、自分の胸元に手を当てました。そこには今、同じ旋律を奏でるペンダントがあっ。

 

「あっちの俺は、お前に『先に死ぬな』って約束を守れなかった。……でも、今の俺はここにいる。有明の親父が、運命の神様から俺を、そしてお前を『略奪』してくれたおかげでな」

 

画面は、鉄郎がメタルメナにカプセルエネルギーを突きつける、もっとも残酷で、もっとも真実なシーンへ移る。

 

『これでもまだ、ここが楽園だって言うのかメタルメナ! 食え、食ってみろ! ……命の火だぞ、食わないのか!?』

 

「……そうだ。食べるもんか」

 

鉄郎が、画面の中の自分に合わせるように、低く、鋭く呟いた。

 

「誰かの命を犠牲にして、自分だけが永遠に生きるなんて……。そんなの、ただの化け物だ。僕たちは、お腹が空けば誰かとご飯を食べて、疲れたら眠って、いつかは死ぬ。……それが『人間』なんだ」

 

メタルメナの最期。彼女が最後に「ありがとう」と微笑んで消えていく姿に、鉄郎の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。

 

「メーテル……」

 

スクリーンの中のメーテルが、「プロメシュームを倒すのは私の定め」だと告げる。その哀しすぎる決意を、今の鉄郎は痛いほど理解していた。

 

「ミャウダー。……映画の中のメーテルは、お母さんと、自分の血を分けた星を、自分の手で壊そうとしている」

 

「……残酷な話だぜ、ったく」

 

ミャウダーは、乱暴に涙を拭い、立ち上がらんばかりの勢いでスクリーンを見据えた。

 

「でもな、兄弟。あっちの世界じゃメーテル様は一人でそれを背負ってるが、こっちには俺たちがいる。二人のハーロックがいて、エメラルダス様がいて、12億人の『おせっかいな大人たち』がいるんだ」

 

ミャウダーは、鉄郎の肩を力強く叩きました。

 

「さあ、最後まで観ようぜ。惑星大アンドロメダの崩壊。……俺たちの未来を塞いでいた『絶望』がなんなのかをな」

 

鉄郎は頷き、前を見据えた。

 

頬を伝う涙はもう、悔しさの涙ではない。

 

運命を塗り替えるための、戦士の決意の輝きだった。

 

スクリーンの中の999号が、崩壊を始めた大アンドロメダを背に、最後の戦いへと突き進んでいく。

 

それを見つめる二人の若者の背中は、映画の中のどんな英雄よりも、逞しく、そして自由な光を放っていました。

 

◇◇◇

 

 

劇場の空気は、サイレンの魔女が奏でる不気味な旋律に支配されたかのように、冷たく、そして重く沈み込んでいた。

 

スクリーンの中では、プロメシュームの哄笑が響き、惑星大アンドロメダが断末魔の叫びを上げて崩壊していく。

 

「……あのペンダント」

 

ミャウダーが、掠れた声で呟きました。画面の中で、黒騎士ファウストが床に落ちたミャウダーの形見を拾い上げるシーン。

 

「あっちの俺は死んじまったけど……俺の故郷の旋律を、あの鉄の仮面の男が拾った。あいつはどんな思いでアレを拾ったんだろうな」

 

ただ鉄郎の落としたものだからなのか、それとも何か引き寄せられるものがあったのか。鉄郎には答えられる言葉がなかった。

 

そして、画面は「サイレンの魔女」の出現へと移る。

 

『……サイレンの魔女が歌う時、生きとし生けるものの命の火が消える』

 

メーテルの台詞とともに、放たれたビームが吸い寄せられるように右へと逸れていく描写。劇場のスピーカーから流れる、美しくも禍々しい歌声。

 

「……これか。親父が言っていたのは」

 

ミャウダーが身を乗り出すようにスクリーンを凝視しました。

 

「『限定空間で高まったエネルギーに引き寄せられる』……。プロメシュームが機械エネルギーを充満させたせいで、この魔女を呼び寄せちまったんだな。だから有明の船団は、一箇所に留まらずに漂流し続ける道を選んだ……」

 

鉄郎もまた、深く頷きました。

 

「物語」として語られていた伝説。それが、自分たちが今乗っているこの巨大な船団の「生存戦略」に直結している。その事実に、鉄郎は改めて有明のハーロックという男の、未来を見据える眼差しの深さを知った。

 

そして、艦内を静寂が包み込むシーン。

 

アルカディア号の中枢大コンピューターに宿るトチローの、静かな決意。

 

『……俺も今は機械だ。しばらくの間眠ることにするよ。頼んだぞ友よ』

 

「トチローさん……」

 

鉄郎の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。

 

アルカディア号が自動操縦を捨て「人力操舵」に切り替える。999号が機械エネルギーを落とし、古い石炭の力で走り出す。

 

「……皮肉なもんだな、兄弟」

 

ミャウダーが、どこか誇らしげに笑った。

 

「宇宙で一番進んだはずの機械帝国の首都で、最後に頼りになるのが、人間の腕の力と、泥臭い石炭の火だってんだ。……結局、最後に運命を切り拓くのは、機械じゃなくて『生身の意志』なんだよな」

 

「うん。……あっちのハーロックも、トチローさんの魂を守るために一人で舵を握ってる。僕たちのキャプテンも……きっと、同じ気持ちで俺たちを守ってくれているんだね」

 

スクリーンの中では、黒い煙を吐き出しながら、999号が重力崩壊の渦から脱出しようと懸命に加速していく。

 

それを見つめる二人の若者の瞳には、映画の中の絶望を乗り越え、自分たちの手で新しい「現実」を創り上げようとする、戦士の輝きが宿っていた。

 

 

◇◇◇

 

 

劇場の暗がりに、突如として別の重圧が加わった。

 

カシャン、カシャン……という、聞き慣れた、しかし今は誰よりも重く響く拍車の音。

 

鉄郎が息を呑んで振り返ると、そこには漆黒のマントを静かにたゆませ、十字の傷を刻んだ男――有明のハーロックが立っていた。

 

「鉄郎。ここから先は、お前という一人の男にとって、あまりにも重い定めを観ることになる。……それでも、目を逸らさずに観る覚悟はあるか?」

 

有明の声は、静かであったが、少年の魂の深淵までを覗き込むような鋭さを孕んでいた。それは、単なる劇映画の鑑賞に対する問いではない。己の出自、父の正体、そして「物語」が本来用意していた残酷な結末を、すべて受け入れる準備ができているかという、戦士としての資質を問う峻烈な儀式であった。

 

鉄郎は、隣に座るミャウダーの視線を感じながら、震える膝を両手で強く押さえた。スクリーンの光に照らされた彼の横顔には、流れる汗を拭う余裕すらなく、ただ凄絶な決意だけが宿っていた。

 

「……観ます、キャプテン。僕は、自分の目で見届けなきゃいけないんだ。僕が何を背負って、何のためにこの戦士の銃を握っているのかを」

 

その答えを待っていたかのように、劇場のスピーカーからメタルメナの悲痛な叫びが響き渡った。

 

『さようなら、鉄郎さん……』

 

画面の中では、999号を惑星大アンドロメダの引力から解き放つため、自らの身体に宿る機械エネルギーを道連れに、メタルメナが虚空へと身を投げ出していく。涙を流しながら散っていく彼女の最期は、限りある命のために自らを捧げるという、人間としての気高き覚悟の極致であった。

 

鉄郎の奥歯が、ギリリと音を立てて噛み締められた。

 

スクリーンの中の自分は、またしても誰かの犠牲の上に明日を繋いでいる。その事実に、現実の鉄郎の胸には、言葉にできない慟哭が渦巻いていた。

 

「…俺だけじゃない。あいつも、この映画の中では、鉄郎を救うために……」

 

ミャウダーが低く、押し殺した声で呟く。

 

有明は、何も言わずに二人の若者の背後で直立不動のまま、その光景を隻眼に焼き付けていた。

 

彼がこの宇宙で成し遂げようとしている「略奪」とは、まさにこのスクリーンに映し出される「尊い犠牲の連鎖」そのものを断ち切ることに他ならない。

 

物語は、父と子が剣を交える宿命の場所、サイレンの魔女が待ち受ける崩壊の深淵へと、一分の慈悲もなく突き進んでいったのである。

 

 

◇◇◇

 

 

劇場の空気が、真空の宇宙よりも重く、冷たく、鉄郎とミャウダーを押し包んでいた。

 

スクリーンの中では、荒れ狂うサイレンの魔女の暴風が全てを飲み込み、視界を漆黒へと染め上げる。その闇を切り裂いて響いたのは、この世のものとは思えぬプロメシュームの絶叫と──そして、一抹の救いのように、あまりにも哀しく清らかなオルゴールの旋律であった。

 

「……ミャウダー」

 

鉄郎の声は、もはや形を成していなかった。画面の中で自分の放った一撃が、オルゴールの音を標的に父の胸を貫く。その凄絶な手応えは、現実の鉄郎の指先にも、消えることのない「業」として刻み込まれた。

 

客車の屋根に落ちるミャウダーの形見。そして、仮面の下から漏れる、父としての最期の慈愛。

 

『強くなったな、鉄郎……』

 

この一言が放たれた瞬間、鉄郎は目を見開き、溢れ出る涙を拭うことさえ忘れ、虚空を凝視した。父であることを隠し、敵として立ち塞がり、最期に我が子の成長を認めて消えていく。

 

そのあまりにも不器用で、高潔で、残酷な父の愛に、少年の魂は激しく震え、慟哭していた。

 

『さらばだ、息子よ…』

 

ミャウダーもまた、自身の形見が「父と子の決着」の導火線となった事実に、言葉を失っていた。映画の中の自分は、死してなお、友の銃弾をその父へと導いた。その数奇な運命の連鎖に、彼はただ、唇を噛み締め、己の胸にあるペンダントを強く握りしめるしかなかった。

 

『さらばだぞ、我がぁぁぁ息子よぉぉぉぉ!!!!』

 

サイレンの魔女に吸い込まれていくファウストの絶叫。それは支配者の断末魔ではなく、愛する者を地獄へ連れて行かせぬための、執念の離別であった。

 

ハーロックの手によって宇宙へ放たれる、もう一つのペンダント。漆黒の宇宙に消えていく母と子の写真は、物語が本来辿るはずだった「永遠の別れ」を象徴していた。

 

有明のハーロックは、二人の若者の背後で、その凄惨な美しさを湛えた終焉を黙して見届けていた。彼の十字の傷が、スクリーンの光を反射して鋭く光る。

 

鉄郎の肩は、激しく上下していた。隣のミャウダーも、拳を血が滲むほどに握りしめている。

 

かつて地球で、そして銀河で、人々がこの映像に涙したのは、それが「変えられぬ過去」であったからだ。

 

だが、今の彼らは知っている。この悲劇の果てに、自分たちの「今」が、略奪された平和の上に立っていることを。

 

物語は、全ての命の火が消えゆく崩壊の頂点から、新しい命の夜明けを告げる終幕へと、静かに、そして重厚に向かおうとしていたのである。

 

 

◇◇◇

 

 

劇場の照明が、静寂を切り裂くようにゆっくりと灯された。

 

エンドロールが消え、無音となったスクリーンの前で、星野鉄郎は座席に沈み込んだまま動くことができなかった。頬を伝う涙は、乾く暇もなく次から次へと溢れ出し、膝の上で握りしめた拳を濡らしていた。

 

画面の中の自分は、父をその手にかけ、戦友を失い、最愛の女性との永遠の別れを経て、独り「若者」へと成った。そこには美しくも、あまりに孤独な「青春の終焉」が描かれていた。

 

「……酷すぎるぜ、こんなの」

 

隣に座るミャウダーが、地を這うような低い声で吐き捨てた。彼は、自らの形見が括り付けられたラーメタルの墓標を、正視し続けるしかなかった。本来の歴史ならば、自分はあの土の下で物言わぬ骸となり、鉄郎の心に消えない傷を刻む「過去」となっていたはずなのだ。

 

「鉄郎……」

 

ミャウダーが、震える鉄郎の肩に手を置いた。その掌の確かな熱さ、脈打つ生命の鼓動。それが、今この場所が、スクリーンに映し出された悲劇の「外側」であることを証明していた。

 

「……ミャウダー。君が、生きてる」

 

鉄郎は、縋るようにミャウダーの顔を見た。

 

「君が生きていて、メーテルもこの船団にいて……親父も、有明さんとお酒を飲んで……。僕の辿る物語は、こんなに、こんなに哀しいものだったんだね……」

 

「ああ。……だから、あいつは盗んだのさ」

 

二人の背後から、重厚な拍車の音が近づいてきた。

 

有明のハーロック。

 

彼は十字の傷を深く刻んだ顔で、自らの「倅」たちを見下ろしていた。

 

「鉄郎、ミャウダー。……お前たちが今観たのは、かつて巨匠が描き、全人類が涙した『不変の運命』だ。少年が大人になるために、メーテルは去り、トチローは船になり、親父は死なねばならなかった。それが、この宇宙の美しき掟だった」

 

有明はマントを翻し、真っ暗になったスクリーンを指差した。

 

「だが、俺はその美学を拒絶した。……友を殺さねば歩めぬ未来など、俺は認めん。愛する者と引き裂かれねば得られぬ自立など、ドクロの旗が許さん。……だから俺は、神の書いた脚本から、お前たちの悲劇を略奪したのだ」

 

有明の声は、劇場の壁を震わせ、艦内の12億人の魂にまで響き渡る。

 

「……お前たちが今持っているその『命』は、俺が宿命から奪い取った戦利品だ。……ならば、謳歌しろ。死んでいった者たちの意志を継ぐだけでなく、生きている者と共に、新しい歴史を創れ」

 

鉄郎は、立ち上がった。

 

目元を乱暴に拭い、背筋を伸ばして有明を見据えた。

 

その顔には、映画のラストで見せた孤独な若者の影はない。

 

自分を支える巨大な愛と、それに応えようとする戦士の光が宿っていた。

 

「……行こう、ミャウダー。……キャプテン」

 

鉄郎は、自分の腰にある戦士の銃を、誇らしげに叩いた。

 

「物語は終わったかもしれない。でも、僕たちの旅は……ここからだ」

 

ミャウダーもまた、不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。

二人の若者は、有明のハーロックを挟むようにして、劇場の出口へと歩み出した。

 

その背中を見送りながら、船団中の12億人は確信していた。

 

自分たちが乗っているこの船は、単なる避難所ではない。

 

悲劇を拒絶し、運命をねじ伏せ、誰も見たことのない『エターナル』へと突き進む、銀河で唯一の、自由な魂の叛逆。

 

有明の空に、ふたたび999号の汽笛が鳴り響く。

 

それは別れの合図ではない。

 

死も、別れも、絶望も、すべてを乗り越えて往く、人類の新たなる船出の咆哮であった。

 

海賊国家船団・有明。

 

その物語は、巨匠の遺した「さよなら」を、永遠の「再会」へと書き換えながら、暗黒の深淵を若葉色の光で照らし続けていくのである。

 

 

 

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