有明のハーロック   作:星乃 望夢

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第46話

 

劇場の出口へと向かう人波が途絶えた後も、メタルメナは座席から動くことができなかった。銀幕に映し出された「自身の終焉」は、網膜の奥に焼き付いたまま離れようとしない。

 

彼女がこの「物語」を観るに至った動機は、至極単純なものであった。全宇宙で最も美しいとされるメーテルの肉体を、自分がいかなる執念で、いかなる手段を以て手に入れようとしたのか。その「野心の記録」を確認するためであった。

 

しかし、そこに映し出されていた現実は、彼女の想像を遥かに絶する「魂の解体」であった。

 

メタルメナは、自身の冷たい金属の掌をじっと見つめた。

 

画面の中のメーテルが放った問い「あなたの為に泣いてくれる友達が、あなたには居るの?」という言葉が、今の彼女の胸を鋭利な刃物のように抉り続けている。機械の体を手に入れ、美しさと永遠を求めた果てに彼女が失ったものは、誰かのために涙を流し、誰かに涙を流してもらえるという、極めて脆く、けれど尊い「心の繋がり」そのものであった。

 

さらに、彼女を戦慄させたのは、帝国を支える「カプセルエネルギー」の正体であった。

 

日々、何気なく口にしていた白く揺らめく火の輝き。それが生身の人間から引き剥がされた魂の残滓であり、自身の生存が同胞たちの「命の火」を食らう共食いの上に成り立っているという悍ましい事実に、彼女は吐き気を催すほどの嫌悪感を覚えた。

 

そして、最期の光景。

 

重力崩壊を起こす惑星大アンドロメダの引力から、少年の乗る999号を解き放つために、彼女は自らを犠牲にして虚空へと身を投げ出した。

 

「さようなら、鉄郎さん……」

 

その言葉とともに消えゆく自身の姿は、野心に狂った機械化人ではなく、最期に人間としての心を取り戻した一人の女性の、あまりにも清廉で哀しい「救済」であった。

 

メタルメナは、劇場の冷たい床に視線を落とした。

 

もし、この有明海賊船団という場所が、有明のキャプテンによる「宿命の略奪」がなければ、自分は今ごろあの暗黒の宇宙で塵となっていたはずなのだ。

 

彼女の瞳から、機械の回路を通って一筋の光が零れた。

 

それは冷却液ではなく、まぎれもない悔恨の、そして感謝の涙であった。

 

己がどれほど醜い野心に囚われ、どれほど凄絶な最期を遂げるはずだったのか。それを「物語」として客観的に突きつけられた彼女は今、鉄の檻のような身体の中に、かつて捨て去ったはずの「人間としての痛み」が確かに息づいていることを自覚していた。

 

有明の空。

 

そこは、悲劇を回避し、死を略奪された者たちが、新たな生の意味を問い直す場所。

 

メタルメナは、震える足で立ち上がり、かつての敵であり、今は「兄」や「友」として隣を歩む者たちが待つ、光り輝く通路へと一歩を踏み出した。

 

その背中には、映画の中の彼女が決して辿り着けなかった、不確かで、けれど自由な「明日」という名の重力が、確かにかかっていたのである。

 

 

◇◇◇

 

 

船団の主通路を流れる人々の喧騒が、遠い潮騒のように聞こえていた。映画館から吐き出されたばかりの重苦しい情熱は、明るい照明に照らされた通路の日常に溶け込もうとして、なお色濃い余韻を残している。

 

鉄郎の視線の先で、メタルメナは立ち尽くしていた。

 

全宇宙で最も美しい身体を渇望し、他者への関心を切り捨てて「永遠」を選んだはずの彼女。だが今、その肩は自らの虚飾を支えきれぬかのように、微かに内側へと折れていた。黄金の瞳に映っているのは、眼前の通路ではなく、先ほどスクリーンの中で自らが身を投げた、暗黒の重力崩壊の深淵であった。

 

鉄郎が歩み寄ると、メタルメナは逃れるように視線を伏せた。しかし、次の瞬間に彼女が選んだのは拒絶ではなく、縋るような接触であった。

 

鉄郎を抱きしめる彼女の腕は、冷たく、硬い。生身の人間が持つ柔らかな弾力も、拍動する熱もそこにはない。しかし、その無機質な器を震わせているのは、演算回路では決して導き出せない、剥き出しの「心」の慟哭であった。

 

「……鉄郎さん」

 

震える指先が鉄郎の頬をなぞる。映画を観終えた少年の目尻に残っていた熱い雫が、彼女の冷たい指を濡らした。彼女は自分の指に付着したその湿り気を見つめ、ひきつったような、けれど救いを得たような、形容しがたい表情を浮かべた。

 

それは、かつての物語の中でメーテルが彼女に突きつけた、「あなたの為に泣いてくれる友達が居るのか」という残酷な問いへの、時空を超えた返答であった。

 

「……私と、お友達になってくれる?」

 

その問いに対し、鉄郎は迷いなく、自身の赤い血が運ぶ熱を彼女の背へと伝えた。

 

「……ああ」

 

短く応じたその声は、かつてアンドロメダの塵となって消えた彼女への鎮魂歌ではなく、今この場所で共に生き抜くという、戦士の誓約であった。

 

メタルメナの肩から力が抜け、冷たい額が鉄郎の胸に預けられた。彼女は今、自らが「共食い」のエネルギーで繋ぎ止めていた虚妄の命ではなく、他者の涙によって肯定された「生」の重みを感じていた。

 

その光景を、通路の影から見守る一人の男がいた。

 

ミャウダーは、壁に背を預けたまま、動かなかった。普段の彼ならば、その不器用な二人を冷やかす言葉を投げかけていただろう。しかし、彼はただ目を細め、静かにその場を立ち去ることを選んだ。

 

ミャウダーには分かっていた。有明のキャプテンが銀河の宿命から「略奪」したのは、武力や富だけではない。あそこで抱き合う二人のように、本来交わるはずのなかった魂たちが、互いの孤独を埋め合うための「時間」そのものを奪い返したのだと。

 

兄貴分として、その最初の「契約」に水を差すことはしない。それが、海賊としての、そして生き残った者としての礼儀であった。

 

廊下には、少年の温かな鼓動と、少女であった機械の震えが、一つのリズムに重なっていく静寂だけが残った。

 

物語が用意していた悲劇の結末は、この有明船団の鋼鉄の通路において、もはや意味をなさない。

 

鉄郎の赤い熱と、メタルメナの冷たい鋼。

 

二つの対照的な存在が、初めて「友達」という名の錨を下ろし、不確かな、けれど自由な明日へと繋ぎ止められた瞬間であった。

 

海賊国家船団・有明。

 

そこは、宿命に背を向けた者たちが、自らの手で新しい物語を綴り始めるための、静かなる揺籃の地であった。

 

 

◇◇◇

 

 

火曜日の朝。

 

鉄郎は、船団の“空気”がいつもと違うのを、起き抜けの肌で感じ取った。

 

警報は鳴っていない。艦内放送も平常運転。なのに通路を行く足取りが速い。目が据わっている。背中に「出撃」の匂いがある。

 

「……え?」

 

窓越しに見える発着デッキでは、整備灯が昼間みたいに点き、強襲艇が次々と射出されていく。

 

誰かが叫ぶ。

 

「ガーレ!!」

 

別の方向からも、返る。

 

「ガーレ!!」

 

その掛け声が、波のように増えていく。

 

そして──誰かが、歌い出した。

 

ガミラス国歌。

 

艦内のスピーカーから流れているわけじゃない。

 

人間の喉から、腹の底から出ている声だ。

 

異星人の低い響きと、地球人の声が、いつの間にか重なっていく。

 

鉄郎は、思わず立ち止まった。

 

(……海賊が……侵略者の歌を……?)

 

理解が追いつかない。

 

「敵の歌」を、こんなに誇らしげに歌っている。

 

その事実が、目の前の光景を一瞬、現実離れした祭りに変えてしまう。

 

横にいたミャウダーでさえ、珍しく言葉が詰まった。

 

「……おい。どういうことだよ。しばらく帰らなかっただけで、こんなことになってんのか?」

 

ミャウダーが捕まえたアンドラード人──顔なじみの整備兵が、工具箱を肩に載せたまま笑う。

 

「知らねぇのか。お前、いない間にこの船団、“別の宇宙”で二年やってんだよ」

 

「………………は?」

 

「アニメ観て、歌って、泣いて、笑ってさ。共通言語が出来ちまった。……それで“ガーレ”が流行った」

 

ミャウダーが目を剥く。

 

「流行歌で軍歌って何だよ……!」

 

整備兵は肩をすくめる。

 

「“誇りを叫べ”って意味で、今はこうなんだ。ガミラスでも地球でも、負けた側でも勝った側でもねぇ。ここじゃ──『家』を守る側だ」

 

鉄郎は、胸の奥が、じん、と熱くなった。

 

守る側。

 

歌で、同じ側に立つ。

 

そんなことが、現実に起きるのか。

 

そして、その日の夕方。

 

20時の宇宙戦艦ヤマト放送に向けて、船団は“整っていく”。

19時。

 

本当にパレードが始まった。

 

ガミラス人の軍楽隊が、金属質の息遣いでラッパを鳴らす。

地球人の軍楽隊が、それを受けて、同じテンポで返す。

 

ドラムの振動が床から腹に響き、行進の足音が船殻を叩く。

まず、ガミラス国歌。

 

次に──宇宙戦艦ヤマトのOP。

 

艦内の広場に、人が集まる。

 

ガミラス人。イルミダス人。ガトランティス。暗黒星団のサイボーグ。機械化人、メタノイド。

 

そして地球人。アンドラード人。名も知らぬ異星人。

 

同じメロディを、同じ息で歌う。

 

ミャウダーが頭を掻きながら、半分呆れて言う。

 

「……やり過ぎだろ……」

 

でも、その声もどこか嬉しそうだった。

 

呆れと誇らしさが、同じ顔をしていた。

 

鉄郎は──ただ、圧倒されていた。

 

自分が二年間、泥水を啜って、硝煙の中で必死に“生き残って”きた世界。

 

そこで人は、国で分かれ、思想で分かれ、言葉で分かれ、疑いで殺し合った。

 

なのにここでは、歌がそれを越えてしまう。

 

(……こんな優しい世界なら)

 

思った瞬間、胸が少し痛んだ。

 

優しいからこそ、余計に痛い。

 

あの地球にも、こういう余白が一度でもあったなら、と。

 

鉄郎は、気づけば小さく息を吐いていた。

 

そして、唇が勝手に動く。

 

「……ガーレ……」

 

隣の誰かが、すぐに返した。

 

「ガーレ!」

返ってくる声の熱に、鉄郎は目を伏せたまま笑った。

 

泣かない。

 

でも、胸の中で何かが確かに、ひとつ繋がった気がした。

 

19時のパレードが終わると、20時の放送に向けて、皆がそれぞれの“家”へ戻っていく。

 

戦闘配置でもない。命令でもない。

 

それなのに、同じ時間に、同じ方向へ流れていく。

 

鉄郎はその背中を見送って、静かに思った。

 

(……俺も、ここに帰ってきたんだな)

 

巨大なハッチが並ぶメイン通路を、黄金色の管楽器が奏でる重厚な旋律が吹き抜けていく。かつて銀河を震撼させた大ガミラス帝国の進軍曲。しかし今、この鉄の街で響くそれは、誰かを屈服させるための暴力ではなく、同じ旗を仰ぐ同胞たちの鼓動そのものであった。

 

整然と行進する軍楽隊の列には、青い肌のガミラス将兵と、地球防衛軍の制服を模した令和の日本人が、一分の乱れもなく混ざり合っている。その光景を、ミャウダーは頭を掻きながら、呆れと感嘆が混じった複雑な表情で見つめていた。

 

「……信じられねぇ。ガミラス人と地球人が同じリズムで足を踏み鳴らしてやがる。あいつら、本当に『物語』だけでここまでの連帯を築いちまったのか」

 

「……そうだよ、ミャウダー」

 

鉄郎は、広場を埋め尽くす多種多様な種族の波を見渡した。

 

機械化人も、メタノイドも、かつて戦場で相まみえたはずの宿敵たちが、今は一様に前方の巨大スクリーンを見上げ、放送の開始を待っている。

 

「僕たちがいたあの地球では、誰もが自分の正義を叫んで、他人の歌を拒んでいた。でも、有明さんは、この船の人たちに『共通の夢』を略奪して与えたんだ。だから、敵だった歌が、家族の歌になれたんだね」

 

鉄郎の脳裏には、泥にまみれて銃を握り、疑心暗鬼のなかで過ごした地球での二年間が去来していた。あの戦場には、歌などなかった。あるのは乾いた銃声と、断末魔の叫びだけ。それに比べ、目の前の「ガーレ!」という咆哮は、あまりにも潔く、あまりにも温かい。

 

ミャウダーが、不器用に鉄郎の肩を叩いた。

 

「……あいつのやり口には、神様も呆れてるだろうさ。運命さえも自分の都合のいいように書き換えて、挙句の果てに軍歌を流行歌にしちまうんだからな。……だが、悪くねぇ。俺も、少しだけそのリズムが分かってきた気がする」

 

「……うん」

 

鉄郎は、隣に立つミャウダーの横顔を見た。死ぬはずだった男が、ここに生きている。その事実こそが、この船団が掲げる「自由」の正体なのだと、鉄郎は確信した。

 

時計の針が重なり、20時を告げる厳かな鐘の音が鳴り響く。

 

先ほどまでの喧騒が、まるで真空の宇宙へ吸い込まれたかのように、一瞬で静寂へと転じた。

 

数千万の人々が、一斉にそれぞれの居住区、あるいはモニターの前へと背を向け、流れるように移動していく。

 

それは、統制された軍隊の機動よりも迅速で、かつ自発的な意志に満ちていた。

 

誰もが自分自身の内なる「聖域」を守るために、己の席へと還っていく。

 

鉄郎もまた、ミャウダーと共にゆっくりと歩き出した。

 

若葉色の旗艦が、その12億の心臓の鼓動を飲み込むように、静かに、そして力強く脈動している。

 

そこには、虚構と現実の境界を越え、一つの志で結ばれた鋼鉄の国家の、揺るぎない静寂が横たわっていた。

 

今、この宇宙で最も気高く、最も不敵な「時間」が幕を開けようとしていたのである。

 

 

 

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