傭兵クラーク・スティル誕生 ~さらば、インテリジェンス~ 作:パワーポイント・レンジャー
世界有数の巨大投資ファンド「ウェリントン・インテリジェンス」CEOの御曹司であるクラーク・ウェリントン。
彼は、金の亡者である父と、社交界の虚飾にまみれた母を嫌い、陸軍士官学校に入校した。そこでクラークは、テキサス出身のトラヴィス・キャラハンと親友になり、共に歩兵将校を目指していた。
時は流れ、ブランチ・ナイト(配属兵科の発表日)を迎えた。トラヴィスは念願の歩兵科に配属されたが、クラークは最も避けたかった情報科に配属されてしまう。陸軍情報科の少佐がクラークの類い稀な頭脳に着目し、人事局に働きかけて秘密裏に引き抜いていたのだ。
軍の都合で戦闘指揮官になるという夢を絶たれ、絶望するクラーク。卒業後、トラヴィスの結婚式に出席し、恋人のヴィクトリアと別れたクラークは、わずかな荷物を車に積み、アリゾナ州にある陸軍情報教育研究センターに向かった。
そこで四ヶ月の研修を終えたクラークは、コロラド州のフォート・カーソンに配属される。その基地で、クラークは奇跡的にトラヴィスと再会する。
翌年の五月、クラークたちが所属する第一ストライカー旅団戦闘団に対し、アフガニスタンへの展開命令が下された。クラークは、タリバンの重要拠点のあるエリアで作戦に当たるというトラヴィスを、「情報(インテリジェンス)」で守ると決意する。
だが、クリスマスを目前に控えたある日、トラヴィス率いる小隊が武装勢力に襲撃され、通信が途絶えた。そしてクリスマスイブの日、クラークは上官のグラント少佐からトラヴィスの死亡報告を受け、無惨な遺体となったトラヴィスの写真を見ることになった。
翌年の二月、クラークは任務を終えて、フォート・カーソンに戻った。深い喪失感に打ちひしがれるクラークのもとに、突然、トラヴィスの妻エリーからメッセージが届く。その内容は、トラヴィスの形見となったドッグタグを受け取ってほしいというものだった。
クラークはすぐに車を走らせ、テキサス州にいるエリーに会いに行った。そして彼女からドッグタグを受け取り、共にトラヴィスの墓参りをした。
三十日間の有給休暇を終えたクラークは辞任願を提出し、軍を去った。実家のあるマンハッタンに帰るつもりのないクラークは、再びテキサス州を訪れ、郊外の射撃場でM4カービンを撃つ。一発、一発に、魂の叫びを込めながら。
二つのフルマガジンを撃ち尽くし、銃を置く。イヤーマフを外した瞬間、背後から声をかけられた。振り返ると、黒い眼帯を装着した隻眼の男が立っていた。
傭兵への道
「……なぜ私の名をご存知なのですか? しかも、
クラークは警戒心を露わにした。軍を辞めた一介の元中尉に、これほどの風格を持つ男が声をかけてくる理由が見当たらない。
男は口元に微かな笑みを浮かべた。それは嘲笑ではなく、クラークの警戒心すら楽しんでいるような余裕に満ちていた。
「スカウト対象について何も知らぬまま、声をかける愚か者はいないだろう?」
「スカウト? 私を?」
「そうだ。私はハイデルン。傭兵部隊の総帥を務めている」
傭兵。その響きに、クラークは眉をひそめた。
民間軍事会社のリクルーターかとも思ったが、目の前の男が纏う空気は、金のために戦うビジネスマンのそれではない。もっと根源的な、闘争そのものを支配する王のような覇気がある。
「……あなたの部隊に必要なのは、
「私の部隊は、既存の民間軍事会社とは一線を画す。軍で例えるならば、師団に準ずる規模と機能を保有している。必要な人員は最前線の戦闘員だけではない。兵站、通信、医療、そして情報。軍と同様、多岐にわたる職種の人材が必要だ」
ハイデルンと名乗った男は、クラークの目を見据えたまま続けた。
「君の経歴は全て把握している。陸軍士官学校での優秀な成績。情報将校としての卓越した分析能力。そして……親友を救えなかったという、君が抱える悔恨もな」
クラークの指がぴくりと動いた。
心臓を素手で掴まれたような感覚だった。なぜ、この男はそこまで知っている?
「なるほど。私の過去を調べて、同情を引こうというわけですか。ですが、デスクワーク要員としてのスカウトでしたらお断りさせていただきますよ。私はもう、安全な部屋から人が死ぬのを見ているだけの仕事は御免です」
クラークは冷たく言い放ち、ライフルをケースにしまおうとした。
だが、ハイデルンの次の言葉が彼を止めた。
「誰がデスクワーク専任だと言った?」
クラークの手が止まる。
「もちろん、君の情報分析スキルも存分に活かしてもらうつもりだ。だが同時に、直接戦闘にも参加してもらう。君が分析し、予測したデータを、君自身が最前線で活用し、君自身の手で仲間を守るのだ。どうだね?」
それはまさに、クラークがたった今、銃声と共に空想し、渇望していた、理想の兵士の姿そのものだった。
自分の脳で敵を見抜き、自分の手で敵を撃つ。誰かの報告を待つのではなく、自分がその場にいて、運命を変える。
クラークの胸の奥で、燻っていた火種が大きく燃え上がった。
だが、すぐに冷徹な理性がブレーキをかける。
「……お話は魅力的です。ですが、私には実戦経験がありません。士官学校と演習での訓練は受けていますが、実弾が飛び交う戦場に立ったことはありません。そんな人間が、プロの傭兵部隊で通用するとは思えません」
クラークの懸念はもっともだった。傭兵の世界は、元特殊部隊員や歴戦の猛者たちがひしめく修羅の場だ。情報将校上がりの若造が生き残れるほど甘くないことは、彼自身が一番理解していた。
「実戦経験が無いので不安なのだろう?」
ハイデルンが言った。
図星だった。この男には、心の機微がすべて筒抜けになっているようだった。
「その点については心配無用だ。我が部隊では、入隊希望者に対して徹底的な選抜試験を実施する。実戦に耐えうる基礎体力と適性を持つ者だけを選び抜く。その後は私のもとで、正規軍の特殊部隊と同等、あるいはそれ以上の訓練を受けてもらう。その結果を見て、戦闘部隊に配属させるか、あるいは別の適性を探すかを決定する」
「特殊部隊並みの、訓練……」
「そうだ。生き残りたければ強くなれ。必要な技術は私が教える。君に必要なのは、過去を乗り越え、前に進む意志だけだ」
ハイデルンは懐から一枚のカードを取り出し、クラークに差し出した。そこには蜥蜴を模したエンブレムと、日時、そして座標だけが記されていた。
「一ヶ月後だ。場所はブラジル。君が来るのを待っている」
それだけ言い残すと、ハイデルンは踵を返した。その背中は、拒絶を許さない絶対的な自信に満ちていた。
一ヶ月。短い期間だ。だが、やるしかなかった。
これは、与えられた最後のチャンスかもしれない。トラヴィスへの贖罪を果たし、自分自身の生きる道を見つけるための。
それからの一ヶ月間、クラークは修行僧のように己を追い込んだ。
イギリス陸軍特殊空挺部隊の選抜試験、ネイビーシールズの基礎水中爆破訓練、グリーンベレーのQコース。
公開されている各国の特殊部隊の選抜基準を調べ上げ、それを模倣した。
重りを背負っての長距離走。肺が焼き切れるほどのインターバル走。限界までの水泳と潜水。
マンハッタンのジムではなく、テキサスの荒野と溜め池が彼の訓練場だった。
トラヴィスのドッグタグが胸で跳ねるたびに、クラークは歯を食いしばり、足を前に出した。
――足りない。まだ足りない。
情報将校としての頭脳に加え、戦士としての肉体を手に入れなければならない。
三十日間、クラークは一度も休まなかった。
そして五月、クラークは南半球へと飛んだ。
ブラジル。アマゾンの玄関口となるその地は、雨季の終わりから乾季へと移行する独特の季節を迎えていた。
空港に降り立った瞬間、まとわりつくような湿気と熱気が全身を包み込んだ。
テキサスの乾いた熱さとは違う。水分をたっぷりと含んだ大気が皮膚に張り付き、呼吸を重くさせる。気温は三十度を超えているが、体感温度はそれ以上だ。
指定された座標へ向かうため、クラークはチャーターした四輪駆動車でジャングルの奥地へと進んだ。
舗装された道路が途切れ、赤土の悪路を数時間揺られた先に、その基地はあった。
鬱蒼とした密林を切り拓いて作られた、ハイデルン傭兵部隊の拠点。高いフェンスと監視塔に囲まれたその場所は、一見すると要塞のようだった。
ゲートで身分を証明し、中へ入る。他の入隊志願者たちの姿はまだない。指定時間よりもかなり早く到着してしまったようだ。
出迎えたのは、あのハイデルンだった。
迷彩服にカーキ色のベレー帽。テキサスで見たスーツ姿とは違い、完全に戦場の指揮官の姿だった。
「早いな、ウェリントン」
「余裕を持って行動するのが情報将校の習性ですので」
「良い心がけだ。時間厳守は生存の第一条件だからな。少し早すぎたようだが、せっかくだ。施設を案内しよう」
ハイデルンに連れられ、クラークは基地内を歩いた。
整備された兵舎、巨大な格納庫、通信アンテナの森。その規模は、確かに彼が言っていた通り、師団並みだった。
そして、屋外訓練場に差し掛かった時、クラークは足を止めた。
「てめえら! そんなザマで地獄の戦場を生き残れると思ってんのか!」
雷鳴のような怒号が響き渡る。声の主は、訓練場の中央に立つ一人の大男だった。
迷彩柄の赤いバンダナを巻いたその男は、丸太のような太い腕を組み、仁王立ちしている。その足元で、数十人の傭兵たちが泥まみれになりながら、腕立て伏せや匍匐前進を繰り返していた。
彼らは皆、筋骨隆々の兵士たちだ。だが、その誰もが苦悶の表情を浮かべ、次々と地面に突っ伏していく。
「立て! 休む許可は出してねえぞ! 吐いてもいい、だが足は止めるな!」
大男の怒声は止まらない。この湿気と熱気の中で、傭兵たちは極限まで肉体を酷使されていた。
「……随分と活気がありますね」
「彼らは正規の隊員たちだ。あれでも、通常の朝のトレーニングに過ぎない」
ハイデルンは平然と言った。
通常のトレーニングであの有様か。クラークは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
テキサスでの一ヶ月の準備など、ここでは準備運動にもならないかもしれない。どうやら、とんでもない場所に足を踏み入れてしまったようだ。
だが、後戻りする気はなかった。
「……ひとつ、お尋ねしてもよろしいですか?」
「なんだ?」
「あなたを何とお呼びすればよろしいでしょうか。総帥? それともミスター・ハイデルン?」
クラークの問いに、ハイデルンは歩を緩めずに答える。
「ここでは私を『教官』と呼ぶ者が多い。だが、隊長、あるいは司令官、総帥と呼ぶ者もいる。好きに呼んでくれたまえ」
……四つも選択肢があるとは。クラークは呆気にとられた。この組織の独特な空気感が伝わってくる。
一番多いのが「教官」ならば、それに従うのが無難だろう。
「では、『教官』と呼ばせていただきます」
やがて他の入隊志願者たちが集まり始めた。
総勢十名。多国籍な顔ぶれだ。元フランス外人部隊らしき男、東欧の元パラミリタリーらしき男、中南米のゲリラ上がりと思しき鋭い目つきの男。
誰もが人を殺した経験がありそうな顔をしている。クラークのような顔立ちの人間は一人もいなかった。
「番号を割り振る」
ハイデルンが志願者たちの前に立った。
「これより、お前たちの名は番号となる。過去の経歴も、名前も関係ない。ただの数字として、このテストに挑んでもらう」
クラークの胸に付けられた番号は『09』だった。
傭兵の世界では、素性を隠したがる者が多いという。クラーク自身も、ウェリントン家の名をこれ以上出したくはなかったため、この措置はありがたかった。
「テストの内容はシンプルだ。このジャングルの外周、二十キロのコースを走破する。ただし、装備はフルキット。背嚢の重量は三十キロだ。制限時間は三時間」
志願者たちの間にざわめきが走った。
三十キロの装備を背負って、この高温多湿のジャングルを二十キロ? しかも三時間以内に?
平地ならまだしも、足場の悪い密林では自殺行為に近い。
「さらに、コースの途中には三箇所のチェックポイントがある。そこでは課題が与えられる。それをクリアしなければ先には進めない。脱落したい者はその場で座り込め。回収班が拾いに行く。質問は?」
沈黙。誰一人として口を開かない。ここで弱音を吐けば、即座に不合格になることを悟っているからだ。
「よし。では、開始!」
地獄の門が開いた。
走り出した直後から、クラークは呼吸困難に陥りそうになった。
湿度が肺を圧迫する。汗が滝のように流れ出し、装備の重みが肩に食い込む。
地面はぬかるんでおり、一歩進むたびに体力を奪われる。
第一チェックポイントは「泥沼での匍匐前進」だった。
有刺鉄線の下を、顔まで泥に浸かりながら進む。泥水を飲み込みそうになりながら、クラークは必死に手足を動かした。
ここで二名が脱落した。
第二チェックポイントは「丸太運び」。
巨大な生木を担ぎ、急勾配の坂を往復する。太腿が悲鳴を上げ、視界が白く明滅する。
隣で走っていた元ゲリラ風の男が、泡を吹いて倒れた。
さらに二名がリタイア。
第三チェックポイントは「潜水」。
重りをつけたまま川に潜り、指定されたアイテム――空薬莢を拾ってくる。
冷たい水が火照った体を冷やしてくれたが、同時に筋肉を硬直させた。
肺の中の酸素が尽きかける恐怖と戦いながら、クラークは川底の泥を手探りし、文字通り死ぬ思いで空薬莢を拾い上げた。
そしてゴール地点。
三時間の制限時間ぎりぎりで滑り込んだクラークは、そのまま地面に倒れ込んだ。
心臓が早鐘を打ち、全身の筋肉が痙攣している。
空を見上げると、ブラジルの強烈な太陽が、木々の隙間から無慈悲に降り注いでいた。
「終了」
ハイデルンの声が聞こえた。立ち上がっていたのは四名だけだった。
十名中、六名が脱落。クラークの順位は四番目。最下位だった。
体力自慢の元兵士たちでさえ脱落する過酷なテスト。実戦経験のない自分がそれに食らいつけたのは、奇跡か、あるいは執念か。
「合格者は四名。03、05、07、そして09」
ハイデルンが倒れているクラークを見下ろした。
「ぎりぎりだな、09番。だが、最後まで足を止めなかった意志は評価する」
クラークは泥まみれの顔でにやりと笑おうとしたが、頬が引きつるだけだった。
――これが入口だというのか。だが、俺は残った。トラヴィス。俺はまだ、立っているぞ。
入隊テストをクリアした四名は、その日から「
そして本当の地獄――ハイデルンによる直接指導が始まった。