傭兵クラーク・スティル誕生 ~さらば、インテリジェンス~ 作:パワーポイント・レンジャー
入隊テスト翌日から始まった訓練は、クラークの想像を遥かに超える密度と厳しさだった。
早朝の体力錬成から始まり、座学、戦術訓練、そして射撃訓練。
日が暮れるまで休む暇はなく、食事の時間さえも惜しいほど詰め込まれる。
特にクラークを苦しめたのは、武器の多様性だった。
アメリカ陸軍時代、クラークが扱っていたのはM4カービンやM16ライフル、そしてベレッタM9といった西側の標準装備だ。それらの扱いは体が覚えている。
だが、ハイデルン傭兵部隊では、世界中のあらゆる戦場に対応するため、東側の武器や、マイナーな銃器の習熟も求められた。
射撃場。
湿気を含んだ熱風が吹く中、クラークはAK-47アサルトライフルを構えていた。
木製のストックとハンドガード。無骨な鉄の塊。ターゲットまでの距離は五十メートル。
「撃て!」
ハイデルンの号令と共に、引き金を引く。
凄まじい衝撃が肩を襲った。M4のマイルドなリコイルとは次元が違う。暴れ馬のように銃口が跳ね上がり、照準が空を向く。
放たれた7.62mm弾はターゲットの上を飛び越え、土手に着弾して土煙を上げた。
「くそっ!」
クラークは悪態をついた。
制御できない。連射すると照準が定まらないのだ。
隣のレーンでは、東欧のパラミリタリーらしき男(05番)が涼しい顔でAKを撃ち、次々とターゲットを倒している。
焦りが募る。情報将校だったから仕方がない、という言い訳はここでは通用しない。
「09番。銃に振り回されているぞ」
背後からハイデルンが歩み寄ってきた。彼はクラークの手からAK-47を取り上げると、無造作に構えた。
リラックスした立ち姿。力みは一切感じられない。
「AK系列はガス圧利用式特有の強い反動がある。特に右上に銃口が逃げる傾向が強い。M4のように精密機械として扱うな。これは鉄の塊だ。力で抑え込むのではなく、反動のベクトルを利用しろ」
ハイデルンはターゲットを見据えた。
「初弾の狙いは、ターゲットの腹部あたりに定める。そこから反動で銃口が跳ね上がるのを見越して、指切りのリズムで弾痕を上に這わせるのだ」
ハイデルンの指がトリガーを絞った。乾いた破裂音が轟く。
クラークは目を見張った。ハイデルンの体は微動だにしなかった。銃身だけが生き物のように前後運動を繰り返しているが、銃口はターゲットの中心を指向し続けている。
ターゲットを確認する。心臓部分に三発。そして眉間に三発。完璧なグルーピングだった。
「この銃は構造が単純ゆえに、扱い手の技量がそのまま精度に出る。やってみろ」
返されたAKは、先ほどよりも熱を帯びているように感じられた。
クラークはハイデルンの言葉を反芻する。腹部を狙う。反動を受け流す。
深呼吸をし、再び構え、撃つ。
今度は、弾丸がターゲットの胸板を捉えた。まだ集弾率は甘いが、先ほどのように暴投することはなかった。
「悪くない。コツを掴むのが早いな」
「教官の教え方が的確ですから」
「傭兵の世界で生きていくつもりならば、あらゆる銃を使いこなせるようになるべきだ。現地調達した武器が錆びついたAKだったとしても、それで敵を倒せなければ死ぬのは自分だ」
「……仰る通りです、教官」
クラークは、この隻眼の男への評価をさらに高めた。彼はただの指揮官ではない。個人の戦闘技術においても、達人の域に達している。
一週間の基礎訓練を経て、ついに格闘訓練の時間がやってきた。
屋外のリング。地面は固められた赤土だ。他の三人の志願者たちは、すでに息も絶え絶えになり、地面に転がっていた。
ハイデルンは息一つ切らしていない。汗すら流していないように見えるその涼しげな立ち姿は、この蒸し暑いブラジルの気候の中では異質ですらあった。
「次、09番。来い」
クラークは前に出た。
彼には自信があった。士官学校時代、レスリングで優勝した経験がある。密着して投げ飛ばすか、関節を極めれば、どんな大男でも無力化できる。
ハイデルンの構えは独特で、右肘を折り曲げ、指先を揃えた手を肩の前で構えている。手刀? 古風なスタイルだ。
クラークは重心を低くし、タックルの機を窺った。
「レスリングか。悪くない判断だ」
ハイデルンはクラークの思考を読んだかのように言った。
「だが、私の間合いに入れるかな?」
クラークは踏み込んだ。
速い。自画自賛になるが、このタックルのスピードに反応できた者は今までいなかった。
だが、ハイデルンの反応速度は異常だった。クラークが飛び込むのと同時に、青い影が閃いた。
風を切る音。目の前を何かが通過し、クラークは本能的な恐怖を感じて急ブレーキをかけ、バックステップで距離を取った。
肩口が熱い。見ると、訓練用のTシャツが鋭利な刃物で切られたように裂け、赤い線が走っていた。
血が滲み、地面に滴り落ちる。
クラークは目を見開いた。教官は何も持っていない。ただの手刀だ。指先がかすっただけで、服と皮膚を切り裂いたのか?
「躊躇するな。殺す気で来なければ、お前が死ぬぞ」
ハイデルンの瞳が冷たく光った。
冗談ではない。この男は本気だ。クラークは恐怖を怒りで塗りつぶし、再び突進した。
リーチの差を埋めるには、懐に入るしかない。
ハイデルンの長い腕が鞭のようにしなる。クラークは上体を揺らし、フェイントを織り交ぜて右の手刀を回避した。
がら空きのボディ。
いける! クラークはハイデルンの胴にタックルに入ろうとした。その瞬間――
「甘い!」
頭上から声が降ってきた。
回避されたはずの手刀が、ありえない軌道で戻ってきたのだ。いや、違う。左手か?
視認できないほどの速さで繰り出された一撃が、クラークの胸板に叩き込まれた。衝撃は打撃というより、砲弾を食らったかのようだった。
クラークの身体が宙を舞い、背中から地面に叩きつけられる。
肺の中の空気が強制的に排出され、声も出ない。胸には鋭い痛みが走っていた。骨が軋んでいる。
「が、はっ……」
クラークは激しく咳き込みながら、なんとか上体を起こそうとした。
胸元の服はズタズタに裂け、まるで獣の爪で襲われたような傷跡が残っていた。
真空の刃。物理的に空気を切り裂くほどの速度と威力。人間業ではない。
クラークは霞む視界で、ハイデルンを見上げた。彼は乱れた服を直すこともなく、ただ静かにクラークを見下ろしていた。
その隻眼には、侮蔑も憐れみもない。ただ圧倒的な強者としての事実があるだけだった。
これが、ハイデルン傭兵部隊の総帥。これが、世界中の戦場を渡り歩いてきた男の力。
「……素晴らしい」
クラークの口から無意識に言葉が漏れた。悔しさよりも先に、純粋な感嘆が湧き上がっていた。
士官学校の教官も、上官のグラント少佐も、こんなオーラは持っていなかった。
今まで出会ったどんな人間とも違う。この人は、次元が違う。
クラークの中に、初めて「畏敬」という感情が芽生えた。
――この人の下でなら、強くなれるかもしれない。いや、強くなりたい。あの真空の刃のような強さを手に入れれば、もう二度と、誰も死なせずに済むはずだ。
「立てるか、09番」
ハイデルンが手を差し出した。
クラークはその手を見つめ、自分の血と泥にまみれた手でしっかりと握り返した。
「はい、教官。まだやれます」
立ち上がったクラークの瞳に、新たな光が宿っていた。それは情報将校としての冷徹な光ではなく、修羅の道を歩む覚悟を決めた、一人の戦士の光だった。