傭兵クラーク・スティル誕生 ~さらば、インテリジェンス~   作:パワーポイント・レンジャー

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二つの地獄と二人の仲間

 特殊作戦部への配属初日から、クラークに対する歓迎会が始まった。

 それは酒とご馳走による宴ではなく、泥と汗、そして終わりのない罵声による洗礼だった。

 

 早朝の屋外訓練場。まだ太陽が昇りきっていない薄暗い中で、クラークは地面に這いつくばっていた。

 全身の筋肉が断末魔を上げている。腕立て伏せの回数はすでに四桁を超え、感覚が麻痺していた。

 

「おいおい、どうしたエリート様! もう限界か? ママのミルクが恋しいかァ!?」

 

 頭上からラルフの怒声が降ってくる。

 彼は腕組みをして仁王立ちし、軍用ブーツのつま先でクラークの脇腹を小突いた。

 

情報将校(インテル)ってのは、キーボードを叩く指の筋肉しか鍛えてねえのか? あァ? そんな細腕じゃてめえのケツも拭けねえぞ!」

 

「……まだ、やれます!」

 

 クラークは歯を食いしばり、震える腕で身体を持ち上げた。汗が目に入り、激痛が走る。

 だが、ここで膝をつくわけにはいかない。ラルフはクラークを肉体的にも精神的にも追い詰め、この部隊に不適合であることを証明しようとしているのだ。

 

「声が小せえ! 気合入れろオラァ!」

 

 ラルフの蹴りがクラークの太腿に入った。決して怪我はさせないが、確実に痛みを与える絶妙な力加減で。

 

「戦場で敵はお前のペースなんざ待ってくれねえぞ! 疲れたから休みたい? どうぞ死んでくれ! それが戦場のルールだ!」

 

 理不尽なしごき。だが、クラークはラルフの指導の中に確かな意図を感じ取っていた。

 極限状態まで身体を追い込み、思考能力を奪った状態で、それでも命令に従えるか。反射的に動けるか。これは、デルタフォース仕込みの選抜訓練そのものだ。

 ラルフはただ暴れているだけではない。クラークという異物が、命を預けるに足る素材かどうか、その芯の部分を叩いて試しているのだ。

 

 ――認めるものか。俺はデスクワークだけの男じゃない。泥水を啜ってでも食らいついてやる。

 

「……イエッサー!」

 

 クラークは声を張り上げ、腕を曲げた。

 

 

 

 地獄の朝練が終わり、シャワーで泥を落とした後は、オフィスでの業務が待っていた。

 特殊作戦部のオフィスは、朝とは別の意味で地獄と化していた。

 

「ああもう! このクソみてえな報告書をどうやって纏めろっつうんだよ!」

 

 凄まじい打撃音が鳴り響き、スチール製のデスクが悲鳴を上げた。ラルフが拳を叩きつけたのだ。

 オフィス内にピリッとした緊張が走る。

 ラルフは髪をかきむしり、パソコンのモニターを睨みつけていた。その背中からは、目に見えるほどのどす黒いオーラが噴出している。

 

「おい、アンドレイ! てめえだ、こっち来い!」

 

 指名されたロシア系の巨漢傭兵が、死刑台に向かう囚人のような足取りでラルフのデスクへ向かっていった。

 

「なんだこのふざけた報告書は! 『敵がいっぱいいたので撃った。すごかった』だァ? お前は夏休みの絵日記を書いてんのか! 交戦規定の遵守状況はどうした! 弾薬消費量は!? 今すぐ書き直せ! 書き終わるまで昼飯抜きだ!」

 

「ひいっ、イ、イエッサー!」

 

 アンドレイが逃げ帰るように自席へ戻る。オフィスにいる他の隊員たちも皆、書類やパソコンに向かいながら死んだような目をしていた。

 彼らはラルフの怒りの矛先が自分に向かないよう、気配を消すことに全力を注いでいる。戦場では鬼神の如き強さを誇るであろう彼らも、書類作成という敵の前では無力な子供同然だった。

 

 クラークは自分のデスクで、その光景を冷ややかに、しかし興味深く観察していた。

 ラルフ・ジョーンズ大佐。現場指揮官としては超一流なのだろうが、管理業務となると途端に癇癪持ちの子供になる。典型的な現場人間だ。

 

 クラークは、隣の席に座っている男の画面をさりげなく覗き込んだ。

 頬に大きなナイフ傷のある、強面の南米系の男だ。彼は脂汗をかきながら、人差し指一本でキーボードを叩いている。

 

『……それから、おれたちは川をわたった。とてもながれがはやかった。そこでてきがでたので、ハビエルはマシンガンをうった……』

 

 ……これは酷い。クラークは心の中で頭を抱えた。

 文法は破綻し、主語と述語がねじれ、時系列もバラバラだ。これでは報告書というより、質の悪い冒険小説の走り書きだ。

 ラルフがキレるのも無理はない。彼は部下から上がってきたこの惨状を解読し、正規の軍事報告書のフォーマットに整えてハイデルンに提出しなければならないのだから。

 

 クラークは周囲を見渡した。ラルフが苛立ち紛れにオフィスを出ていき、喫煙所へ向かったのが見えた。

 今だ。クラークは隣の男に椅子を寄せた。

 

「おい」

 

「……あ? なんだよ新入り」

 

 男は殺気立った目で睨んできた。書類仕事のストレスで気が立っているようだ。

 

「その報告書、このままだと次はあんたが大佐に怒鳴られる番だぞ」

 

「わかってんだよ! でも書き方がわからねえんだ。俺は銃の撃ち方は知ってるが、こんなちまちました文字遊びは習ったことがねえ」

 

 男は苛立ちを滲ませながら、スペイン語訛りのきつい英語でまくし立ててきた。

 

「貸してみろ」

 

 クラークは男の手からキーボードを奪い取った。

 

「え、おい」

 

「いいから見てろ。まず、主観的な感想はいらない。事実(ファクト)だけを書け」

 

 クラークの指が、滑らかにキーボードの上を走る。

 

『1400時、アルファ分隊は渡河ポイントBへ到達。流速は秒速2メートルと推定。渡河中、対岸11時方向より敵の小火器による攻撃を受ける。ハビエル軍曹はM249軽機関銃による制圧射撃を実施。敵勢力を無力化し、渡河を完了した』

 

 無駄な修飾語を削ぎ落とし、軍事用語を用いて簡潔に。

 状況(Situation)、行動(Action)、結果(Result)。

 情報将校時代、クラークが毎日何百枚と処理していたルーチンワークだ。彼にとっては呼吸をするのと同じくらい容易い作業だった。

 

「――できたぞ。これをコピペして提出しろ」

 

「は……?」

 

 男は画面を凝視し、目を丸くした。

 

「す、すげえ……。魔法か? めちゃくちゃ頭良さそうな文章になってやがる!」

 

「ただの定型フォーマットだ。次からはこの型に単語を当てはめればいい」

 

 クラークがキーボードを返すと、強面の男は顔を輝かせた。

 

「助かった! マジで助かったぜ! これで大佐に半殺しにされなくて済む!」

 

 男はクラークの肩をバンバンと叩いた。

 

「あんた、すげえな! さすが元インテリジェンスだ!」

 

「大声で言うな。大佐に聞こえるぞ」

 

「おっと、そうだった。ありがとよ、兄弟(エルマノ)

 

 クラークは少し驚いた。さっきまでの殺伐とした雰囲気が消え、男の顔には愛嬌のある笑みが浮かんでいた。

 どうやら、ここの連中は根っからの悪人というわけではないらしい。ただ、学がないというか、不器用なだけなのだ。

 

「……ひとつ聞いてもいいか?」

 

「なんだ? なんでも聞いてくれ、命の恩人」

 

「なぜ大佐はあんなにイライラしているんだ? 部下に書き方を教えれば済む話だろう」

 

 男はやれやれといった顔で肩をすくめた。

 

「決まってるだろ。大佐自身、デスクワークが大の苦手だからだよ。教えたくても教えられねえのさ。大佐の辞書に『事務処理』って言葉はねえ。あるのは『突撃』と『爆破』だけだ」

 

 男はにししと笑った。

 

「ま、ここの連中に書類仕事が得意な奴なんていねえけどな。みんな、銃を持つ手でペンを握らされてるようなもんだ」

 

 ――なるほど。現場最強の指揮官と、現場叩き上げの兵士たち。戦闘力は凄まじいが、組織運営に必要な事務能力が欠落している。そこに放り込まれたのが、事務処理のプロである元情報将校の俺というわけだ。

 皮肉な巡り合わせだが、ここに自分の居場所を作るための突破口があるかもしれない。

 

「名前は?」

 

 クラークが尋ねると、男はにかっと笑って答えた。

 

「ハビエルだ。よろしくな、クラルク」

 

 ハビエルはクラークの名前をスペイン語の発音で呼び、握手を求めてきた。

 その風貌からして、南米の元ゲリラか、あるいは麻薬カルテルの用心棒上がりか。まともな経歴ではないだろう。だが、その笑顔には裏表のない親しみやすさがあった。

 クラークはハビエルと握手しながら心の中で呟く。案外、悪い職場ではないのかもしれない。ラルフという暴君を除けば。

 

 

 

 正午、基地内の食堂は、訓練や業務を一時中断した傭兵たちでごった返していた。

 様々な言語が飛び交い、スパイスと揚げ物の匂いが充満している。

 クラークはトレーに、豆の煮込みとライス、そして硬そうなステーキを乗せ、空いている席を探した。

 新入りの自分が、古株のテーブルに割り込むのは得策ではない。まだ彼らはクラークをよそ者として見ている。

 隅の方の席へ向かおうとした時だった。

 

「おい、クラルク! こっちだ!」

 

 野太い声に呼び止められた。振り返ると、先ほど報告書を手伝ってやったハビエルが、口いっぱいにパンを頬張りながら手を振っていた。

 彼の向かいの席が空いている。

 

「相席してもいいのか?」

 

「当たり前だろ! 命の恩人を一人で食わせるわけにはいかねえよ。座りな」

 

 ハビエルは足で椅子を押し出した。

 クラークが礼を言って座ると、ハビエルの隣に座っていたもう一人の男が、静かに会釈をした。東アジア系の男だった。

 黒髪を短く刈り込み、鋭いが落ち着いた目をしている。特殊作戦部のオフィスで見かけた顔だ。騒がしい連中の中で、彼だけが静かな雰囲気を纏っていたのを覚えている。

 

「紹介するぜ。こいつはカズ。本名はカズヤだ。見ての通り、ジャパニーズ・サムライだ」

 

「サムライじゃない。ただの傭兵だ」

 

 カズと呼ばれた男は低い声で訂正した。英語は流暢だが、独特の抑揚がある。

 

「カズヤだ。よろしくな、クラーク」

 

「ああ、よろしく」

 

 クラークは握手を交わした。カズの手は硬く、無数の胼胝とマメに覆われていた。間違いなく戦場に生き続けてきた男の手だ。

 

「カズはすげえんだぜ。元は日本のジエイタイ? にいたらしいんだが、そこからフランス外人部隊に飛び込んだんだとよ。そんで、二年前に教官にスカウトされてここに来たんだ」

 

 ハビエルが得意げに話す。まるで自分のことのように自慢げだ。

 

「フランス外人部隊か。厳しいと聞くが」

 

「ここよりはマシだったよ。少なくとも、教官の手刀で切り裂かれることはなかった」

 

 カズが薄く笑った。その笑顔は控えめだが、知性を感じさせた。

 日本人が傭兵をやっているというだけでも珍しい。平和ボケした国というイメージがあったが、目の前の男からは歴戦の古兵だけが持つ静かな威圧感が漂っていた。

 

「そういうあんたは、どこの出身だ? ハビエル」

 

 クラークが尋ねると、ハビエルの手がピタリと止まった。先ほどまでの陽気な笑顔が一瞬曇り、彼は視線を皿に落とした。

 沈黙が流れる。クラークは失敗した、と悟った。

 ハビエルは首を横に振り、苦笑いを浮かべて顔を上げた。

 

「ノー、ノー。クラルク、それはナシだ。傭兵の世界じゃ、相手の過去を詮索しねえのがルールだ。どこの国で、何をしてきたか。誰を殺して、何から逃げてきたか……。誰もが墓場まで持っていきたい話の一つや二つ、抱えてるもんさ」

 

 ハビエルはステーキ肉をフォークで突き刺した。

 

「俺もお前には聞かねえ。お前も俺には聞かない。ここでは、今現在、銃が撃てるかどうか。仲間を裏切らないかどうか。それだけが重要なんだ」

 

 クラークははっとした。

 そうだ。教官も言っていた。「名前は標的であり、注目は弱点だ」と。

 彼らは皆、何かを捨ててここに集まっている。国を追われた者、犯罪に手を染めた者。あるいはクラークのように居場所を失った者。

 過去を問うことは、彼らの傷口に塩を塗る行為に等しいのだ。

 

「……すまない。俺が無知だった」

 

「いいってことよ。ま、うちの大佐みてえに、面接官気取りでずけずけ聞いてくるデリカシーのねえ奴もいるけどよ」

 

 ハビエルはにやりと笑い、クラークを指差した。

 

「あんたは馬鹿正直に『情報将校でした』なんて答えちまったのが運の尽きだったな。大佐はインテリジェンスって言葉を聞くと、蕁麻疹が出る体質なんだ」

 

「ああ……初日から思い知らされたよ」

 

「ドンマイだ。だが、あんたの報告書スキルは本物だ。大佐だって馬鹿じゃねえ。あんたが役に立つとわかりゃ、そのうち態度も変わるさ」

 

 カズも静かに頷いた。

 

「ラルフ大佐は粗暴だが、実力主義だ。そして仲間を決して見捨てない。今はただ、あんたが口先だけのインテリじゃないことを証明すればいい」

 

 二人の言葉が、クラークの胸に温かく染み込んだ。

 ラルフに罵倒され、他の隊員からも白眼視されていると思っていた。だが、ここにはこうして、偏見なく接してくれる仲間がいる。

 不器用だが気のいい元ゲリラらしき男と、静かで理知的な元外人部隊兵。彼らもまたそれぞれの事情を抱え、このジャングルの奥地で生きている。

 

「ありがとう。励みになるよ」

 

 クラークは素直に礼を言った。

 ここには、マンハッタンの社交界のような虚飾も、軍隊の階級による壁もない。ただ実力と、最低限の仁義だけで繋がる関係。不思議と居心地が良かった。

 

「さあ、食おうぜ! 午後はラルフ大佐の『地獄の鬼ごっこ』だ。エネルギー充填しとかねえと、ゲロ吐くことになるぞ」

 

「……それは遠慮したいな」

 

 クラークは苦笑し、硬いステーキを口に運んだ。味はいまいちだが、不思議と悪くない味がした。

 

 過去は聞かない。今の実力だけを見る。そのルールがあるのなら、クラークにとっても好都合だ。

 ウェリントン家のことも、トラヴィスのことも語らなくていい。ただ目の前の敵を倒し、仲間を守る「クラーク・スティル」として生きればいいのだ。

 クラークは咀嚼しながら、決意を新たにした。

 

 ――ラルフ大佐。あんたがどれだけ俺を嫌おうと構わない。だが、必ず認めさせてやる。俺の情報(インテリジェンス)と、この新しい仲間たちと共に、あんたの最強の盾になってやる。

 

 食堂の喧騒が、今は心地よいBGMのように聞こえる。

 ここが、俺の新しい居場所だ――クラークはそう感じていた。

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