傭兵クラーク・スティル誕生 ~さらば、インテリジェンス~   作:パワーポイント・レンジャー

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潜入

 貨物エレベーターの重厚な扉が開くと、そこは無機質な白に塗り込められた地下回廊だった。

 ジャングルの湿気と腐敗臭は消え失せ、代わりに強力な空調による冷気と、わずかなオゾンの匂いが漂っている。

 

「空気が変わりましたね」

 

 クラークはAKMの銃口を下げたまま、周囲を警戒した。

 

「ああ。死人の匂いがしねえ分、余計に気味が悪い」

 

 ラルフが油断なく視線を巡らせる。

 二人はハイデルンから渡された施設の見取り図を頭に叩き込んでいた。クラークが立案したルートは、最短距離で心臓部であるメインサーバールームへ向かい、その後、最深部の研究開発室を叩くというものだ。

 

「行きましょう。ついてきてください」

 

 クラークが先行し、正規の警備兵を装って廊下を進む。

 すれ違う白衣の研究員や武装兵たちは、二人の姿を一瞥するものの、怪しむ様子はない。堂々とした歩き方と、身につけた装備が本物であることが、心理的な迷彩となっていた。

 

 第一のセキュリティゲート。クラークがカードリーダーにIDカードを通すと、電子音が鳴り、ゲートが開いた。

 

「楽勝だな」

 

「ここまでは一般区画ですからね。問題は次です」

 

 二人は階段を下り、地下二層目へと進んだ。ここからは重要機密エリアだ。空気の密度が一段と濃くなった気がした。

 目的のサーバールームへと続く通路の前には、より堅牢なセキュリティドアが立ちはだかっている。クラークはIDカードを通したが、カードリーダーは無情なエラー音と共に赤いランプを点滅させた。

 

「……やはり、このカードの権限ではここまでですね」

 

「だろうな。だが、想定内だ」

 

 ラルフが周囲を確認する。ちょうどパトロールの警備兵が角を曲がって見えなくなったところだ。

 

「少し下がってろ」

 

 ラルフはポーチから小さなツールケースを取り出した。中に入っていたのは、電子ロック解除用のピッキングツールと、バイパス用の配線器具だ。

 

「意外です。大佐がそんな繊細な道具をお持ちだとは」

 

「俺をただの筋肉ダルマだと思ってたか? これでも昔はグリーンベレーだ。鍵開けくらいは嗜みの一つだぜ」

 

 ラルフの太い指先が、驚くほど器用に配線を弄る。数秒後、カチリという微かな音と共に、ドアのロックが解除された。

 

「お見事です」

 

「行くぞ。ここからは時間との勝負だ」

 

 二人は沈黙を保ったまま、サーバールームの前まで到達した。そこは行き止まりになっており、防弾ガラス製のドアの向こうに、無数のサーバーラックが並んでいるのが見える。

 クラークはカードリーダーにIDカードをかざしてみたが、やはり反応しない。ラルフのピッキングも、このタイプの生体認証併用型ロックには通用しそうになかった。

 

「力尽くでこじ開けますか?」

 

 クラークが尋ねると、ラルフは首を振った。

 

「いや、ここで騒ぎを起こせば袋の鼠だ。餌が来るのを待つ」

 

 二人は通路の死角となる窪みに身を潜めた。

 十分ほど経過しただろうか。電子ロックが解除される音が響き、サーバールームから一人の男が出てきた。白衣を着た、神経質そうな男だ。

 男が通路を歩き出し、二人の隠れている場所を通り過ぎようとした瞬間、ラルフが動いた。

 音もなく背後から忍び寄り、太い腕が男の首に絡みつく。

 呻き声すら漏らさせない。頸動脈を正確に圧迫し、数秒で意識を刈り取る。そして、ラルフの手が男の首を捻った。

 コクリ、という乾いた音がして、男の身体がぐたりと重くなる。一切の無駄がない、プロの仕事だった。

 

「……手際がいいですね」

 

「褒めるのは後だ。死体を入れるぞ」

 

 ラルフは、男の胸ポケットからIDカードを抜き取りながら言った。おそらく、警備兵から奪ったものより権限の高いカードだろう。

 二人は男の死体をサーバールームの中に引きずり込み、ラックの陰に隠した。

 

「さて、データの抽出だが……俺がやる」

 

 ラルフがコンソールに向かった。クラークは見張りのためにドアの横に立った。

 

「大佐がハッキングを? 失礼ながら、破壊工作専門かと思っていました」

 

「俺だって好きでやってるわけじゃねえ。だが、昔の部下にこういうのが得意な奴がいてな。少しばかり手ほどきを受けた」

 

 ラルフは手慣れた様子で携帯端末をサーバーに接続し、キーボードを叩き始めた。画面にプログレスバーが表示される。

 

「クラーク、時間稼ぎをするぞ。火災報知器だ」

 

「了解。ここから一番遠い区画のものを誤作動させます」

 

 クラークは壁のパネルを開け、回路をショートさせた。けたたましい警報音が施設内に鳴り響く。

 

「火災発生、火災発生。Dブロックにて異常感知」

 

 アナウンスが流れ、廊下を走る足音が聞こえてくる。警備兵たちの意識が、ここから離れたDブロックへと向けられたようだ。

 

「よし、今のうちだ」

 

 二人はサーバールームの中に籠もり、息を潜めた。

 地下室ゆえに窓はない。空調の低い唸り音と、ハードディスクの回転音だけが響く。

 クラークはドアの小窓から外を監視し続けた。背後では、ラルフが黙々と作業を続けている。

 ふと振り返ると、見たこともないような軍用ツールをラルフが駆使し、複雑な暗号化プロテクトを突破していくのが見えた。

 

 ――人は見かけによらない、か。

 

 粗暴で直情的に見えるこの男の中に、どれだけのスキルが詰まっているのか。クラークは改めて畏敬の念を抱いた。

 

「……終わったぞ」

 

 十分後、ラルフが端末を引き抜いた。

 

「データはいただいた。次は花火の準備だ」

 

 ラルフは背嚢からC4爆薬を取り出し、サーバーラックの主要部に設置していく。時限信管をセットする指先に迷いはない。

 

「爆破時間は脱出に合わせてセットする。研究開発室を叩いて戻ってくる頃には、ここも火の海だ」

 

「了解。行きましょう」

 

 二人はサーバールームを出て、再び静まり返った廊下へと足を踏み出した。

 次の目標は、この下の階層にある研究開発室。人体兵器という、悪趣味な研究が行われている場所だ。

 階段を駆け下りながら、クラークはAKMのグリップを握りしめた。

 

 地下三層目。研究開発室へと続く鋼鉄の扉の前に、二人は立った。

 奪ったIDカードを通すが、ランプは赤く点灯したままだ。

 

「くそっ、ここのセキュリティレベルは別格か」

 

 ラルフが舌打ちをする。

 

「どうしますか? ピッキングで開きますか?」

 

「いや、こいつは電子ロックだけじゃねえ。物理的なカンヌキがかかってる。小細工は通用しねえな」

 

「では、爆破しますか?」

 

「C4がもったいねえ。それに爆発音で敵が集まっちまう」

 

 二人が思案していた時だった。

 

「貴様ら、何をしている!?」

 

 背後から鋭い声が飛んできた。巡回ルートから外れた警備兵に見つかったのだ。

 舌打ちをしたラルフが振り返りざまにAKMを放つ。乾いた銃声が響き、警備兵が吹き飛ぶ。

 だが、倒れる際に警備兵の手が無線機の緊急ボタンを押していた。先ほどの火災報知器とは異なる、侵入者を知らせるサイレンが鳴り響く。

 

「しまり屋の扉も、これでお役御免だ!」

 

 ラルフは叫ぶと同時に、鋼鉄の扉に向かって踏み込んだ。

 右拳が唸りを上げる。爆発と見紛うほどの轟音。厚さ数センチの鋼鉄製の扉が蝶番ごとひしゃげ、内側へと吹き飛んだ。

 クラークは呆気にとられながらも、ラルフに続いて室内へと突入した。

 

 だが、そこでクラークの目に飛び込んできたのは、常軌を逸した光景だった。

 広大な研究室の中央には、円筒形の巨大なガラスが林立していた。培養液らしき淡い青色の液体で満たされたその中には、人間が浮いている。それも、大人だけではない。

 

「子供……?」

 

 クラークは息を呑んだ。

 十歳にも満たないような幼い少年から、あどけなさの残る少女まで――彼らは皆、裸で、口や鼻に呼吸器をつけられ、身体中に無数のチューブや電極を繋がれている。

 胎児のように身を丸め、ピクリとも動かない彼らは、人間というよりは、陳列された部品のように見えた。

 

「キャアアアアッ!」

 

「助けてくれぇ!」

 

 白衣を着た研究員たちが、悲鳴を上げて逃げ惑っている。ラルフが扉を破壊した衝撃と、侵入者の姿にパニックを起こしたのだ。

 

「動くな! 抵抗すれば撃つ!」

 

 クラークが叫ぶが、恐怖に駆られた彼らには届かない。

 その時、部屋の奥から武装した警備兵たちが雪崩れ込んできた。

 

「撃て! 侵入者を殺せ!」

 

 アサルトライフルの射撃音が轟く。

 

「伏せろ!」

 

 ラルフの声と共に、クラークはとっさに培養装置の陰に身を隠した。ガラスの棺を盾にする。背筋が寒くなるような冒涜的な行為だが、今はそうするしかなかった。

 敵の弾丸が、近くの機材を火花と共に破壊していく。

 

「くそっ、なんて数だ!」

 

 ラルフが遮蔽物から身を乗り出し、AKMを乱射する。

 警備兵たちは、高価な実験装置を壊すことを恐れてか、射撃が慎重になっている。そこがつけ入る隙だった。

 

「クラーク、援護しろ! 制圧するぞ!」

 

「了解!」

 

 クラークもまた、身を乗り出してトリガーを引いた。

 AKMの銃口が火を噴く。敵兵が次々と倒れていく。だが、乱戦の中で放たれた流れ弾の一つが、あろうことか培養装置のガラスを直撃した。

 甲高い破砕音と共に、分厚いガラスが砕け散る。クラークの目の前で、大量の培養液が床にぶちまけられた。

 中に入っていたのは、十二、三歳くらいの少年だった。液体と共に床に投げ出された少年は、繋がれていたチューブを引きちぎられ、魚のように激しく痙攣した。

 

「う、あ……」

 

 少年は空気を求めて口をパクパクと動かしたが、すぐに白目を剥き、動かなくなった。生命維持装置を失った肉体は、あまりにも脆かった。

 

 クラークの手が止まった。

 殺した。敵兵ではない。武器を持たない、何の罪もない子供を。

 かつてトラヴィスを守れなかった無力感とは違う、直接的な加害の感触。自分の指が引いたトリガーが、この哀れな実験体の命を奪ったのだ。

 吐き気がした。手が震え、銃を取り落としそうになる。

 

「クラーク! ボーッとしてんじゃねえ!」

 

 ラルフの怒号が、クラークの意識を現実に引き戻した。

 

「自分が死にたくなけりゃ撃て! 感傷に浸るのは棺桶に入ってからにしろ!」

 

 そうだ。ここで止まれば、自分もラルフも死ぬ。クラークは奥歯が砕けるほど強く噛み締め、再び銃を構えた。

 

 ――すまない……!

 

 心の中で謝罪しながら、クラークは感情のスイッチを切った。

 ただの射撃マシーンと化し、敵兵に向けて弾丸をばら撒く。流れ弾が他のカプセルを割り、中の実験体が床に投げ出されても、もう視界には入れなかった。心を殺さなければ、この地獄では息ができない。

 

 

 

 数分後、研究室は静寂に包まれた。立っているのはクラークとラルフだけだ。

 床は、警備兵の血と、こぼれ落ちた培養液、そして実験体たちの遺体で埋め尽くされている。

 

「……ひどい有様だ」

 

 ラルフが荒い息を吐きながら言った。その表情は苦渋に満ちている。彼とて、この殺戮を楽しんでいるわけではない。

 

「時限爆弾をセットします。急ぎましょう」

 

 クラークは努めて事務的な口調で言った。感情を表に出せば、崩れてしまいそうだったからだ。

 二人は手分けして、部屋の四隅にある主要な支柱や、制御コンソールにC4を設置していく。

 

「サーバールームの爆発まであと五分。ここの起爆もそれに合わせる。脱出の猶予は三分だ。走るぞ」

 

 ラルフが最後の信管をセットし終えた時だった。

 背後で、空気が抜けるような音がした。二人が振り返ると、破壊を免れた一基の培養装置から、培養液が排出されていくところだった。

 ガラスのハッチが、音もなくスライドして開く。中から出てきたのは、栗色の髪の少女だった。

 年齢は十五歳ほどだろうか。ずぶ濡れの裸身で、彼女はふらりと床に降り立った。目は虚ろだが、確かな意識の光が宿っている。

 彼女はゆっくりと首を巡らせ、クラークとラルフを見つめた。その瞳は、恐怖も憎悪もなく、ただ純粋な疑問を湛えていた。

 

「……生存者か」

 

 クラークが呟く。少女は言葉を発しない。ただじっと、二人を見ている。

 クラークの中で、押し殺していた感情が鎌首をもたげた。この子は生きている。まだ助かるかもしれない。

 

「大佐、この子を……」

 

 クラークはラルフを見た。だが、ラルフの表情は凍りついたように硬かった。

 

「連れて行く余裕はねえ。今すぐここから脱出するぞ」

 

「なっ……見殺しにするんですか!? 彼女は被害者です。俺たちが助けなければ、このまま爆発に巻き込まれて死ぬんですよ!」

 

 トラヴィスの死に顔が脳裏をよぎる。また見捨てるのか。また救えないのか。

 クラークは少女の方へ一歩踏み出した。

 

「馬鹿野郎!!」

 

 ラルフの拳がクラークの胸倉を掴み上げた。

 

「死にてえのか!? あと二分だぞ! エレベーターまでの距離、ヘリの発進、計算できねえのか!」

 

 ラルフの瞳には、冷酷なまでのリアリズムがあった。

 

「その娘を背負って走れば、俺もお前も、そしてその娘も全員ここで木っ端微塵だ。全員死ぬか、俺たちだけが生き残るか。選ぶ時間はねえんだよ!」

 

「ですが――」

 

「死にたけりゃお前一人で死んで、その安っぽい正義感と心中しな! 俺は行くぞ!」

 

 ラルフはクラークを突き飛ばし、出口へと駆け出した。

 クラークはよろめき、少女の方を振り返った。

 少女はまだ、そこに立っていた。何も言わず、救いを求める手も伸ばさず、ただ静かにクラークを見つめている。その瞳が、クラークの魂を射抜く。

「助けて」とも「逃げて」とも言わない、ただそこに在るだけの命。

 

 カウントダウンの電子音が、死神の足音のように聞こえる。クラークの拳が白くなるほど握りしめられた。

 

 ――トラヴィス。俺は……俺は……。

 

「……くそっ!!」

 

 クラークは叫び、少女に背を向けた。涙が滲む視界を振り払い、ラルフの後を追って走り出す。背後で少女がどうなったか、もう確認しなかった。確認する勇気などなかった。

 

 全速力で階段を駆け上がり、エレベーターを無視して非常階段を蹴り上げる。肺が焼き切れそうに熱い。

 プラットホームに飛び出し、ヘリコプターに滑り込む。

 

「出せ! 飛ばせクラーク!」

 

 ラルフが叫ぶと同時に、クラークはコレクティブを限界まで引き上げた。エンジンが咆哮を上げ、機体が急上昇する。

 数秒後、眼下の施設が閃光に包まれた。

 腹に響く重低音と共に、大地が揺れる。換気ダクトから紅蓮の炎が噴き出し、ジャングルの緑を焼き払っていく。

 サーバールームも、研究開発室も、あのガラスの棺も、そして栗色の髪の少女も、すべてが爆炎の中に消えていった。

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