傭兵クラーク・スティル誕生 ~さらば、インテリジェンス~ 作:パワーポイント・レンジャー
夏の暴力的な熱気は去り、風には早くも秋と冬の気配が入り混じっていた。
十月下旬、四ヶ月間の情報将校基礎課程がついに修了した。
卒業式はあっさりとしたものだった。ウェストポイントの時のような派手さはなく、実務的な通過儀礼に過ぎない。
だが、その日発表された配属先が、クラークの死んだ目にわずかな光を灯した。
「クラーク・ウェリントン少尉。第四歩兵師団、第一ストライカー旅団戦闘団、軍事情報大隊。コロラド州、フォート・カーソン」
フォート・カーソン。
少なくとも、この乾ききった茶色の牢獄からは出られる。それだけで十分だった。
翌日、クラークは荷物をまとめ、カムリに積み込んだ。四ヶ月前よりも荷物は少し増えていた。教範や資料、そして荒野での生活で溜め込んだ澱のような疲労感。
エンジンをかける。さらば、ワチュカ。二度と来ることはないだろう。
クラークはアクセルを踏み込み、北へと向かった。
今度の移動は隣の州へ行くだけだが、それでも距離はある。途中でニューメキシコ州を縦断しなければならない。
アルバカーキの安いモーテルで一泊したクラークは、翌日の早朝に再びハイウェイに乗った。
州境を越え、コロラド州に入ると、世界が一変した。
それまで視界を支配していた赤茶色の土が、次第に豊かな緑へと変わっていく。遠くの地平線に、雪を頂いた山々の稜線が浮かび上がった。ロッキー山脈だ。
近づくにつれて、山はその威容を増していく。険しい岩肌、深い森の緑、そして空の青さと雪の白。
圧倒的な色彩の暴力が、クラークの目に飛び込んできた。
「……すごいな」
思わず独り言が漏れた。ワチュカの風景が「死」や「静止」を連想させるなら、コロラドの風景は「生」と「躍動」そのものだった。
窓を開けると、冷たく澄んだ空気が流れ込んできた。
荒野の熱風とは違う、針葉樹の香りを含んだ清浄な大気。クラークは深く息を吸い込んだ。肺の中の澱んだ空気が入れ替わり、脳が冴え渡るような感覚を覚えた。
午後、フォート・カーソンに到着した。
基地のゲートをくぐると、目の前には標高四千三百メートルを超えるパイクス・ピークが聳え立っていた。神々しいまでの存在感で基地を見下ろしている。
悪くない。クラークは初めて自分の配属先に好感を抱いた。
人事部門で事務手続きを済ませ、独身士官居住区へ向かう。割り当てられた部屋は、やはり簡素な造りだったが、窓からの景色が違った。
窓枠いっぱいに広がるロッキーの山並み。ここなら、息ができる。
クラークは荷物を置き、しばらく窓の外を眺めていた。
翌朝、クラークは旅団の指揮所へと向かった。
第一ストライカー旅団戦闘団。機動力と火力を兼ね備えた、陸軍の中核を担う実戦部隊だ。
指揮所の周囲には、装甲車が列をなし、迷彩服を着た兵士たちが忙しく行き交っていた。
怒号、エンジンの轟音、無線機のノイズ。ワチュカの静寂とは真逆の、戦場の熱気がそこにはあった。
クラークの心拍数が少しだけ上がる。憧れていた軍隊の空気が、ここにはある。
情報科のセクションに入ると、そこは一転して静謐な空間だった。多数のモニターが並び、サーバーの低い唸り音が響いている。
「着任しました。ウェリントン少尉です」
直属の上官となる上級情報主任、グラント少佐に敬礼する。
「待っていたぞ、ウェリントン。成績優秀な貴官の噂は聞いている。即戦力として期待しているぞ」
グラント少佐は鋭い眼光ながらも、歓迎の意を示してくれた。
「現在の旅団の状況、および担当エリアの脅威分析について、後ほどブリーフィングを行う。まずは席に着いて、システムのセットアップを済ませろ」
クラークが自分のデスクに向かおうとした、その時だった。指揮所の重い扉が開き、複数の男性士官たちがドカドカと入ってきた。
砂埃にまみれた迷彩服、汗とオイルの匂い。演習場から戻ってきたばかりの小隊長たちのようだ。
「ったく、あそこの地形は最悪だぜ。ストライカーがスタックするかと思った」
「俺の小隊なんか、通信が途切れてまいったよ」
荒っぽい言葉遣いの中に、連帯感と活気が溢れている。その中心に、見慣れた後ろ姿があった。
広い肩幅、自信に満ちた立ち振る舞い。クラークが息を呑むと同時に、その男が振り返った。
「……クラーク?」
目が合った瞬間、男の顔に驚愕と、そして満面の笑みが広がった。
「マジかよ!? お前もここに来たのか!」
トラヴィスだった。
四ヶ月ぶりの親友の姿。日に焼け、顔には泥の筋がついているが、その瞳はウェストポイントの時以上に力強く輝いていた。念願の歩兵小隊長として、現場で揉まれてきた男の顔だ。
トラヴィスが大股で歩み寄り、クラークの肩を掴んだ。
「お前もこの旅団に配属されたのか! 最高だ! またお前と同じ部隊になれるなんて」
「ああ、俺も驚いたよ。まさかお前がいるとはな」
クラークも自然と笑顔になった。孤独な荒野の放浪を経て、ようやく帰るべき場所を見つけたような安堵感を覚えた。
「おい、貴様ら!」
鋭い叱責が飛んできた。グラント少佐だ。
「ここは指揮所だぞ。私語は慎め! 旧交を温めるのは業務後にしろ」
トラヴィスが反射的に直立不動になり、「申し訳ありません!」と大声で謝罪する。その滑稽なほどの真面目さに、クラークは喉の奥で笑いを噛み殺した。
少佐の視線が痛い。クラークは顎をくいっとしゃくり、「行けよ」とトラヴィスに合図を送った。
トラヴィスは悪戯っぽく片目を瞑ってみせると、仲間の小隊長たちと共に作戦室の奥へと消えていった。
その日の夕方、業務を終えたクラークは、自分の部屋に戻るために夜道を歩いていた。
空気は冷たく澄んでおり、頭上には満天の星が広がっている。山の方角から吹き下ろす風が心地よかった。
――あいつ、元気そうだったな。
トラヴィスの泥だらけの笑顔を思い出す。
彼は今、夢を叶え、現場の指揮官として部下を率いている。それに比べて自分は、安全な指揮所の中でモニターを見つめるだけの情報将校だ。
数時間前までは、その対比に劣等感を抱いていたかもしれない。だが、今は少し違った感覚があった。
今日の午後、グラント少佐から見せられた過去の戦闘記録。そこには、的確な情報支援がいかに部隊の損害を減らし、作戦を成功に導いたかが記されていた。
逆に、情報が不正確だった際の悲惨な損害も。
トラヴィスは現場で戦う。それは間違いない。だが、彼らが進む道の先に何があるのか、どこに敵が潜んでいるのか、それを伝えることができるのは自分だけだ。
あのワチュカで叩き込まれた、退屈で無機質な分析スキル。それが、親友の命を守る盾になるかもしれない。
「……悪くないな」
クラークは夜空に向かって呟いた。
歩兵としてトラヴィスと肩を並べて戦うことはできない。だが、彼の目となり、耳となることはできる。
彼が泥の中で流すはずの血を、自分が「情報」という武器で防ぐことができるのなら――
「情報科の仕事も、やりがいがあるかもしれない」
クラークの胸の中に、小さな、しかし確かな熱が灯っていた。それは荒野の太陽のような焼き尽くす熱ではなく、コロラドの山々を照らす朝日のような、希望の光だった。
クラークは足を止め、闇の中に聳えるロッキー山脈を見上げた。その巨大な影は、もはや彼を圧迫する壁ではなく、彼が進むべき道を指し示す道標のように見えた。
――明日、トラヴィスに会ったら、まずはあの泥だらけの軍服をからかってやろう。そして、彼が必要とする情報を、誰よりも速く、正確に届けてやろう。
クラークはポケットに手を突っ込み、軽い足取りで歩き出した。