傭兵クラーク・スティル誕生 ~さらば、インテリジェンス~   作:パワーポイント・レンジャー

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魂の誓い

 年が明け、季節は巡り、五月。ついにその時が来た。

 第一ストライカー旅団戦闘団に対し、アフガニスタンへの展開命令が下ったのだ。

 

 世界を震撼させたアルカイダの司令官は、パキスタンの隠れ家でネイビーシールズによって始末されていた。

 だが、それで世界に平和が訪れたわけではない。首を切り落とされた蛇の胴体は、以前にも増して激しくのたうち回っていた。

 アフガニスタンの山岳地帯には、未だに黒いターバンの亡霊たちが潜み、支配権を巡って血を流し続けている。

 

 支援部隊の一員としての派兵。行き先は南部、カンダハル州。

 かつてアルカイダが本拠地としていた、最も激しい戦闘が予想される地域だ。

 

 

 

 出発の日、コロラド・スプリングス空港は、迷彩服に身を包んだ兵士たちで溢れ返っていた。

 家族との別れを惜しむ者。恋人と抱き合う者。幼い子供を高く抱き上げる者。

 その光景から目を背けるようにして、クラークは搭乗ゲートへと向かった。

 トラヴィスとは現地での合流予定だ。彼もまた、今頃どこかでエリーと赤ん坊に別れを告げているはずだ。

 

 民間チャーター便のシートに身を沈め、窓の外を見る。遠くに見えるロッキーの山並みが輝いて見えた。

 これから向かう場所には、この緑も、澄んだ空気もない。生きて帰れる保証すらない。

 だが、不思議と恐怖はなかった。むしろ、平和の中で続く空虚な日々から解放されることに、かすかな救いすら感じていた。

 

 ドイツのラムシュタイン空軍基地での短いトランジットを経て、彼らはC-130ハーキュリーズ輸送機へと乗り込んだ。

 そこはもう、民間機のような快適な空間ではない。剥き出しの配管。赤い照明。向かい合わせに設置された簡素なキャンバスシート。

 重装備を身につけた兵士たちが、膝と膝が触れ合うほどの距離で詰め込まれる。会話はない。

 巨大なプロペラが回転を始めると、鼓膜を圧迫する轟音がすべてを支配した。

 機体は鈍重な獣のように滑走路を走り出し、やがて重力を振り切って空へと舞い上がった。

 

 数時間の飛行の後、機内の照明が切り替わった。

 戦術降下(コンバット・ランディング)

 地対空ミサイルによる攻撃を避けるため、輸送機は急激な螺旋を描いて降下する。

 内臓が浮き上がるような浮遊感と、身体がシートに押し付けられる荷重が交互に襲う。窓のない貨物室では、自分がどういう姿勢にあるのかさえ判然としない。

 暗闇の中で、誰かが嘔吐する音が聞こえた。祈りを捧げるような呟きも。

 クラークは目を閉じ、ただ振動に身を任せた。

 

 ドン、という大きな衝撃と共に、タイヤが滑走路を叩いた。

 逆噴射の轟音。機体が停止する。

 後部ランプが開くと、そこには強烈な熱気と、砂塵の匂いが待っていた。ようやくバグラム空軍基地に到着したのだ。

 

 クラークはタラップを降り、初めてアフガニスタンの大地を踏んだ。

 空気が、違う。乾燥しきっていて、喉に張り付くような埃っぽさ。そして微かに漂う、何かが燃えたような臭い。

 遠くには山脈が聳え立っている。ヒンドゥークシュ山脈だ。

 その稜線は、コロラドのロッキー山脈とよく似ている。だが決定的に何かが違った。

 ここにある山は、樹木の緑や水の潤いを剥ぎ取られ、骨だけになった死骸のように見えた。

 

 クラークはM4カービンのスリングを握り直した。緊張感が冷たい水のように背筋を伝う。

 ここは戦場だ。情報とデータだけでは片付かない、血と鉄の世界。

 だが今のクラークには、この灰色の荒野が居心地良く思えた。

 

 

 

 バグラム空軍基地で待機していた別のC-130に乗り込み、さらに移動することおよそ一時間。カンダハル空軍基地に到着した。

 C-130のランプを降りた瞬間、クラークを襲ったのは、暴力的なまでの熱だった。

 バグラムが舞い上がる砂塵の熱さだとすれば、ここは照り返しの熱さだ。足裏から伝わるアスファルトの熱気は、軍用ブーツの分厚いソールさえ溶かしそうなほど強烈だった。

 

 視界の端が揺らいでいる。蜃気楼ではない。地表から立ち昇る熱波が風景を歪めているのだ。

 そして、臭い。ジェット燃料の刺激臭、開放型の下水処理池から漂う腐臭、そしてどこからともなく流れてくるジャンクフードの油の匂い。それらが熱気の中で煮詰められ、鼻腔にへばりついてくる。

 

「ようこそ、カンダハルへ。ここがアフガニスタンで唯一、舗装された地獄だ」

 

 案内役の下士官が汗を拭いながら言った。

 クラークは歪む視界の先にある、巨大な基地を見渡した。かつてソ連軍が建設し、破壊され、そして多国籍軍によって再建されたこの場所は、今や単なる前線基地ではなかった。

 コンクリートと鉄条網で囲まれた、巨大な要塞都市。

 クラークは荷物を背負い、割り当てられた居住区画へと向かった。

 

 その日、クラークは基地内を視察して回った。

 情報の視覚化。地図上のデータと、実際の地理的感覚を一致させるための作業だ。

 だが、歩を進めるごとに、クラークの中に奇妙な違和感が膨れ上がっていった。

 滑走路の向こうにはNATO軍が運営する最新鋭の外傷病院があり、巨大な給水塔がそびえ立っている。

 そして基地の中心部、「ボードウォーク」と呼ばれるエリアに足を踏み入れた時、その違和感は頂点に達した。

 

 木製の遊歩道が円状に広がり、その周囲を店舗が取り囲んでいる。

 バーガーキング、ピザハット、サブウェイ、ティム・ホートンズ――馴染み深いロゴマークが、砂漠の陽光の下で鮮やかに輝いている。

 スーパーマーケットには、冷えたコーラやエナジードリンクが山積みされ、土産物屋には現地の絨毯や怪しげな宝石が並んでいる。さらにはホッケー場まであった。カナダ軍が作ったものだという。

 おまけに、DVDショップ、携帯電話ショップ、美容院、ネイルサロンまで揃っている。

 ベンチでは兵士たちがコーヒーを飲みながら談笑し、売店で買ったばかりの雑誌を読んでいる。

 

 狂っている。クラークはそう思った。

 ここは最前線のはずだ。フェンスの向こう数マイル先では、タリバンが即席爆発装置を埋め、ロケット弾の発射準備をしているかもしれない。

 だというのに、ここにはアメリカのショッピングモールの日常が、そのまま切り取られて貼り付けられている。

 兵士の士気維持のためには必要なのだろう。極限のストレスから解放される場所がなければ、人間は壊れてしまう。

 だが、この過剰なまでの日常の演出は、かえってここが戦場であるという事実を、歪な形で突きつけてくるようだった。

 

 USOセンターに入ると、冷房が効いたラウンジで数十人の兵士たちが休息をとっていた。

 大画面のモニターの前では、若い兵士たちがコントローラーを握りしめ、FPSのビデオゲームに興じている。

 画面の中で銃声が響き、敵が倒れ、血飛沫が上がる。

 

「右だ! 右から来るぞ!」

 

「よし、やった! ヘッドショットだ!」

 

 歓声が上がる。

 クラークは眉をひそめた。休憩時間にまで、なぜ彼らは戦争の真似事をするのか。明日には現実の引き金を引くかもしれないというのに、画素で描かれた死に一喜一憂している。

 理解しがたい光景から目を背け、奥の部屋へ進むと、そこには無料電話のブースが並んでいた。

 防音壁で仕切られた狭いスペースで、兵士たちが受話器を握りしめている。

 

「ああ、元気だよ。心配するな」

 

「愛してる。子供たちにキスを」

 

「すぐに帰るから……ああ、約束する」

 

 漏れ聞こえる言葉の端々に、切実な「繋がり」があった。

 数千キロ離れた故郷と、細い回線一本で繋がっている。その向こうには、彼らの帰りを待つ妻や、子供や、両親がいる。

 

 クラークは空いているブースの前に立った。

 受話器に手を伸ばす。冷たいプラスチックの感触。だが、彼にはダイヤルすべき番号がなかった。

 マンハッタンの実家にかけたところで、執事が出るだけだろう。父や母は社交界のパーティーか、あるいはビジネスの会合で忙しいはずだ。たとえ繋がったとしても、「軍務に励め」という冷淡な言葉が返ってくるだけだ。

 ヴィクトリアとは去年別れた。

 友人は――唯一の親友は、これからここに来る。

 

 クラークは受話器を持ち上げることなく、手を下ろした。周囲の兵士たちの温かな囁き声が、今はただのノイズのように、いや、心を削り取るヤスリのように感じられた。

 この巨大な遊園地のような基地の中で、自分だけが透明なカプセルに閉じ込められているような孤独。

 クラークは逃げるようにUSOセンターを出た。外のアスファルトからの熱気だけが、生きていることを実感させてくれた。

 

 日が暮れても熱は引かなかった。

 クラークは食堂で、味気ないローストビーフと粉末マッシュポテトの夕食を胃に流し込み、狭い居住コンテナのベッドに潜り込んだ。

 遠くで、ジェット戦闘機がアフターバーナーを焚いて離陸していく音が聞こえた。

 

 

 

 翌朝、クラークは情報科のオフィスに入った。指揮所の中は、外の喧騒とは隔絶された冷徹な空気に満ちていた。

 

「早いな、ウェリントン」

 

 グラント少佐が、すでに複数のモニターに囲まれて座っていた。その目は充血していたが、眼光の鋭さは変わっていない。

 

「着任早々だが、仕事だ。カンダハル州全域の最新の脅威マップを更新する」

 

「了解」

 

 クラークは端末の前に座り、ログインした。

 画面上に無数のアイコンが表示される。青は友軍。赤は敵対勢力。緑は中立。

 カンダハル州には、アメリカ軍だけでなく、カナダ軍を中心としたNATO諸国の部隊、そしてアフガニスタン国軍が展開している。

 それらの配置と、信号情報、画像情報、人的情報から得られた断片的な情報を重ね合わせていく。

 敵の補給ルート、即席爆発装置の設置傾向、村落の長老たちの政治的立ち位置――膨大なデータの中に潜む死の予兆を読み解くのが、彼の仕事だ。

 

 クラークの指がキーボードを叩く。没頭する。思考が加速する。

 ここには感情はいらない。論理と確率だけが支配するこの世界こそが、彼の戦場だった。

 

 

 

 そして翌日、指揮所の扉が開き、砂埃と共に数人の将校が入ってきた。

 その中に、見慣れた金髪の男がいた。トラヴィスだ。

 防弾ベストを身につけ、M4カービンを提げている。日焼けした顔は少し疲れているようだったが、その瞳の力強さは失われていない。彼は作戦会議のためにここに来たのだ。

 

 クラークと目が合ったトラヴィスは、にかっと笑い、誰にも気づかれないような速さで親指を立て、ウインクをした。

 クラークもまた小さく親指を立てて返す。言葉はいらない。無事に到着した。それだけの確認で十分だった。

 今は仕事中だ。私情を挟む余地はない。クラークはすぐに視線をモニターに戻したが、胸の内の鼓動が少しだけ早くなるのを感じた。

 

 その夜、クラークが食堂の列に並んでいると、後ろから肩を叩かれた。

 

「よう、ミスター・インテリジェンス。ここの飯はコロラドよりマシか?」

 

 トラヴィスの声だ。振り返って親友を見たクラークは、自然と笑みをこぼした。

 

「トラヴィスか。ちょうどいい。一緒に食おうぜ」

 

 二人は思い思いに料理を乗せたトレーを持って、隅のテーブル席に座った。

 周囲は騒がしい。多国籍軍の兵士たちが、それぞれの言語で話し、笑い、食事をしている。

 

「ようやくゆっくり話せるな。息子の写真は見たか?」

 

「もちろん」

 

 トラヴィスは胸ポケットから、パウチされた写真を取り出した。エリーと、生まれて一ヶ月になる赤ん坊が写っている。先月、トラヴィスとエリーの間には、待望の男の子が誕生したばかりだった。

 

「ああ、可愛いな。お前に似て、将来はハンサムな男になりそうだ」

 

「だろ? こいつのためにも、しっかり稼いで帰らなきゃな」

 

 トラヴィスは写真を大切そうにしまい込み、ステーキを切り分けた。今日のメニューは金曜日恒例の、ステーキと海老(サーフ&ターフ)だった。

 

「で、任務はどうなんだ?」

 

 クラークが尋ねると、トラヴィスの表情が少し引き締まった。

 

「明後日から出る。パンジウェイ地区だ。アフガニスタン国軍のアタル軍団との合同作戦だ」

 

「パンジウェイ……タリバンの重要拠点だな。それに、アフガニスタン国軍との合同作戦か」

 

 クラークの脳内に、今日分析したばかりのデータが走る。

 あの地域の脅威レベルは極めて高い。そしてアフガニスタン国軍の練度は部隊によってばらつきがあり、信頼性にも問題がある。内部通報者による襲撃のリスクも捨てきれない。

 

「ああ。連中は装備も旧式だし、やる気があるのかないのか分からない奴もいる。だが、彼らが自立してくれなきゃ、俺たちはいつまで経っても帰れないからな」

 

 トラヴィスはステーキを頬張り、笑った。

 

「いよいよ実戦だ。士官学校で習った戦術が、この砂漠でどこまで通用するか試してくるよ」

 

 その言葉には、武人としての高揚感と、わずかな緊張が混じっていた。

 クラークは目の前の親友を見た。陽気で、勇敢で、誰からも愛される男。彼には守るべき家族がいる。帰るべき場所がある。

 一方、自分には何もない。あるのは、膨大なデータにアクセスできる権限と、それを解析する頭脳だけだ。

 

 クラークはフォークを置いた。

 自分は銃を持って彼の隣で戦うことはできない。彼の盾になって銃弾を受けることもできない。だが――

 

「トラヴィス」

 

「ん?」

 

「俺が本部でお前の動きを見ている。ドローンも、通信傍受も、現地の人的情報(ヒューミント)も、使えるものは全部使う」

 

 クラークは、トラヴィスの目を真っ直ぐに見据えた。

 

「お前の部隊の進路にある石ころ一つまで、俺がチェックする。どこに敵が潜んでいるか、どこが安全か、すべて俺が伝える」

 

 それは、ただの業務連絡ではなかった。魂の誓いだった。

 自分自身の人生には価値を見出せないかもしれない。だが、この男の人生を守ることには、全生命を賭ける価値がある。

 

 ――トラヴィスを死なせはしない。必ず、あの温かいクリスマスのリビングルームへ、エリーと子供の元へ生きて帰す。

 

 それが、クラーク・ウェリントンという持たざる者に残された、唯一の使命だった。

 

「……頼もしいな」

 

 トラヴィスは少し驚いたような顔をし、それから柔らかく微笑んだ。

 

「お前が後ろにいてくれるなら、百人力だ。頼んだぞ、相棒」

 

「ああ、任せておけ」

 

 二人はプラスチックのコップに入った、ぬるいコーラで乾杯した。

 食堂の喧騒の中で、クラークの心の中にあった冷たい孤独は、熱い決意へと姿を変えていた。

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