傭兵クラーク・スティル誕生 ~さらば、インテリジェンス~   作:パワーポイント・レンジャー

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謎の男

 三月中旬。三十日間の有給休暇を終えて、クラークはフォート・カーソン基地の情報科オフィスに戻った。

 周囲の職員たちは、彼を「戦場から生還した優秀な情報将校」として迎えた。挨拶は穏やかで、コーヒーの香りが漂い、指揮所の空調は快適に効いている。

 だが、クラークの心は、もはやこの平和な環境を受け入れることができなかった。

 

 端末にログインし、日常の業務に戻る。

 衛星画像、信号情報の暗号解読、戦術的な脅威分析。すべてが昨年の業務と同じだ。

 しかし、クラークにはそれらが全く違って見えた。

 画面に映るカンダハルの地形図。集落の座標を示す緯度経度。それらはかつて、トラヴィスの命を繋ぐ綱だった。

 だが今は、トラヴィスがあの地獄で死んでいったという事実を構成する、冷たい数字とピクセルでしかなかった。

 

 データ。論理。確率。

 これらは真実を教えてくれる。だが、仲間を守るためには、それだけでは足りない。

 クラークは自分の才能を、トラヴィスに直接手を貸すことを許さなかった檻のように感じていた。

 

 ある日、カンダハルの通信記録を分析していたクラークは、画面上の敵の交信ログの中に、あの十二月二十日にトラヴィスの部隊を待ち伏せた武装勢力のコードネームを見つけた。

 データは冷静に、彼らの次の行動予測を導き出している。

 だが、クラークの視界には、グロテスクに損傷したトラヴィスの遺体の画像がフラッシュバックする。

 クラークはマウスを握る手を固く握りしめた。

 

 ――この分析で、また誰かの命を救えるかもしれない。だが、俺自身は手を汚さない。画面の数字を動かすだけで、血を流すのは現場の人間だ。

 

 この仕事は、彼の心の中で、偽善と無力感の同義語になっていた。

 

 

 

 四月。コロラドに春の兆しが見え始めた頃、クラークの襟章は少尉の金色の延べ棒から、中尉の銀色の延べ棒へと変わった。昇進だ。だがそれは、彼にとってもはや何の意味も持たない栄誉だった。

 三日後、クラークは異動願を直属の上官であるグラント少佐に提出した。希望部署は歩兵または機甲。戦闘職種への転身だった。

 グラント少佐は書類に目を落としたまま、静かに、しかし重みのある声で言った。

 

「中尉、これは本気か?」

 

「はい。私は戦闘部隊を指揮したいのです」

 

「馬鹿なことを言うな。君の才能は、兵士数名を指揮するような末端の仕事のためにあるのではない」

 

 少佐は書類を机に置き、ゆっくりと腕を組んだ。その表情は厳格であり、諭すような色があった。

 

「よく聞け。君は情報科の宝だ。君の父上から、君が軍に入ったと聞いた時は驚いたよ。君はペンタゴンで戦術立案をすべき人間だ。泥にまみれ、ライフルを担いで最前線に出るなど、才能の浪費だ」

 

 少佐の言葉は、クラークの父――ウェリントン・インテリジェンスの総帥が、息子に言い聞かせてきたことと全く同じだった。

 

『お前は本部で数字を扱っていればいい。いずれ私の椅子を継ぐ人間なのだからな。汚い仕事は現場の連中に任せておけばいい』

 

 頭の中で、父の言葉が呪いのように響く。クラークは姿勢を正し、静かに反論した。

 

「私は、自分の情報が現場でどう使われるのかを知りたいのです。そして、情報だけでは仲間を守れないことを知ってしまいました。もし、私が現場にいれば、状況は違ったかもしれません」

 

「感傷的になるな」

 

 少佐の声は低く、冷徹だった。

 

「君が現場にいようがいまいが、死ぬべき人間は死ぬ。それが戦争の必然だ。君の仕事は、一人の兵士を救うことではない。何千人もの命を救うための、大局的な判断をすることだ」

 

「……少佐、異動願の受理をお願いいたします」

 

 少佐はしばらくクラークを無言で見つめていたが、やがて諦めたように小さく息を吐いた。

 

「わかった。受け取ろう。だが、中尉の階級で戦闘職種への転身を希望する者など、前例がない。この異動願は、却下される可能性が高いと思うがね」

 

 そして数週間後、異動希望は予想通り却下された。

 情報科は、クラークという稀有な頭脳を手放す気など毛頭なかったのだろう。

 クラークは、自分が「情報」(インテリジェンス)という名の、父と軍が共同で作り上げた檻の中に、完全に閉じ込められたことを悟った。

 このままでは、トラヴィスを失った後悔と無力感を抱えたまま、デスクワークで一生を終えることになるだろう。

 

 五月。色とりどりの美しい花々が野山を彩り始めた頃、クラークは決断した。

 今度は、辞任願を提出した。

 少佐は書類を受け取ると、眉一つ動かさずにクラークを見据えた。

 だが、その瞳には明らかな困惑と、強い引き留めの意志が宿っていた。

 

「ウェリントン。何を考えている。君はまだ二十代だ。君の将来、キャリア、地位、すべてを捨てるつもりか」

 

「私のキャリアは、私の望むものではありませんでした」

 

「君が望むものだと? 歩兵か? 泥まみれの伍長になりたいのか? そんなものは、君の使命ではないだろう」

 

「私の使命は、トラヴィスを守ることでした。それができなかった今、軍にいる意味はありません」

 

 少佐はゆっくりと立ち上がり、机に両手をついた。威圧感のある沈黙が流れる。

 

「軍を辞めてどこに行くつもりだ? マンハッタンへ戻れば、君の父上が最高の待遇で君を迎え入れるはずだ。ウェリントン・インテリジェンスで、今度は君の父上が作った檻に閉じ込められるだけだぞ」

 

「仰る通りかもしれません」

 

 クラークは肯定しつつも、揺るがない視線を返した。

 

「ですが、どこへ行くにせよ、軍の檻の中ではありません。そして、ウェリントン家の檻の中にも戻りません。これが、私の戦争の続きなのです」

 

 少佐は深くため息をついた。

 彼の説得には、クラークへの惜しみない評価と、彼の優秀さを手放したくないという個人的な執着が入り混じっているようだった。

 だが、クラークの瞳の奥にある、冷たく固い決意に気づいたのだろう。少佐はついにペンを取り、提出された辞任願にサインをした。

 

 

 

 そして翌年の四月、クラークは軍服を脱ぎ、フォート・カーソンを後にした。

 情報将校から民間人に戻ったクラークは、マンハッタンには帰らなかった。父の顔を見る気にはなれない。再び彼の支配下に入るなど、耐えられなかった。

 

 彼は愛車のカムリを南に走らせた。目的地は一つ。トラヴィスの故郷、テキサス州プレインビューだ。

 再訪したプレインビューは、以前と変わらず、広大で温かかった。

 綿花畑が広がり、人々は気さくに挨拶を交わす。クラークがマンハッタンで身につけた無用な警戒心は、ここではすぐに溶けていった。

 

 トラヴィスの墓を訪れ、軍を去ったことを墓前に報告したクラークは、町の郊外にある射撃場へ向かった。

 軍の休暇中も射撃訓練は欠かさなかったが、今日撃つ銃弾は意味が違った。

 彼はターゲットの前に立ち、イヤーマフを装着し、M4カービンのマガジンを装填した。

 スコープを覗く。ターゲットの中心。

 クラークは引き金を引いた。

 銃声が、乾いたテキサスの空気を切り裂く。

 一発、一発に、彼の魂の叫びが込められていた。

 

 ――これが、俺がなりたかったものだ!

 

 「情報」(インテリジェンス)ではなく、直接的な「(フォース)」。

 画面の前で数字をいじるのではなく、自分の判断と行動で、直接的に仲間を守る戦闘指揮官。

 

 叶わなかった夢。

 トラヴィスを助けられなかった無力感。

 父への反抗。

 

 それらすべてが、銃弾となってターゲットに叩きつけられる。

 二つのフルマガジンを撃ち尽くしたとき、クラークの額には汗が滲み、全身の筋肉が震えていた。

 しかし、彼の心は久方ぶりに空虚さを抜け出し、わずかながら満たされていた。

 

 ――これでいい。この道こそが、トラヴィスと交わした誓いを、今からでも実現するための唯一の道だ。

 

 クラークはマガジンを抜き、M4カービンを安全な位置に置いた。イヤーマフを外すと、周囲の音が再び戻ってきた。

 その時、背後から声をかけられた。

 

「素晴らしい腕前だ、ミスター・ウェリントン」

 

 クラークは振り返った。

 そこに立っていたのは、夜の闇のような濃紺のスーツを着た長身の男だった。年齢は三十代半ばといったところか。全身から、歴戦の兵士だけが持つ独特の緊張感が漂っている。

 何よりも目を引いたのは、彼の右目には黒い眼帯が装着されており、左目だけが、すべてを見透かすような冷徹な光を放っていたことだ。

 

 その男は、クラークの撃ったターゲットを指さし、不敵な笑みを浮かべた。

 

「インテリジェンスと、その射撃の腕。君はデスクに座っているには惜しい才能だ。私は君を探していた」

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