とあるハリウッド映画監督の話。 作:戯言
仕事終わり。
ジープを走らせることしばし、職場の近くにある
ハリウッドを中心に現在8店舗のチェーンを展開するこのダイナーは、早朝から深夜まで営業しており、俺のような夜勤明けや早起きの利用客は若干少ないものの、
注文するメニューはいつも決まってS.O.S。
略語の由来はさまざまだが
クソというからには見た目もさぞかし醜く、茶色い何かをクラッカーのうえに垂らした食欲が減退するような料理なのかと思いきや、意外と見た目も味も上等で馬鹿みたいに安いのがこの料理の特徴である。
作り方もシンプルで、チップトビーフやハム、コーンビーフなどの加工肉をホワイトソースで煮詰め、出来上がったソースをカリカリに焼いたトーストにかけるという、料理初心者でも不味く作ることが不可能なほど簡単な料理である。
お好みでブラックペッパーやパセリを散らしてもよい。
注意点として、食べるときは必ずフォークとナイフを使うという点だろう。絶対に素手で食べることはお勧めしない。ほかのトーストのように手掴みで食おうとしたあかつきには、アツアツのホワイトソースが手にかかって指の皮がビロンビロンになるからだ。
2.ダイナー
駐車場にジープを停めて店内には入ると、中は閑散としていた。あいも変わらずこの時間帯は人が少ない。まだオープンしたてという事もあってか店員含め非常に静かだった。
俺はいつも座っている奥のボックス席に腰を下ろすと、眠そうにやってきた中年のウェイトレスに注文を伝えた。
「S.O.Sとホットコーヒーを」
注文を書き込んだウェイターが、カウンターの奥へと姿を消していく。
窓の外は朝焼けに照らされた、車通りの少ない道路の景色が絵画のように張り付いていた。軽くあくびをしながら、手荷物のブリーフケースを開け、中から一冊のノートと鉛筆を取り出した。
ノートの中ほどのページを広げ、行の隅から書き連ねている文章に文字を繋げていく。
このノートはいわゆるアイデアブックである。
自身が映画業界に足を踏み入れた際の武器として、日々頭のなかで繰り広げている妄想とその映像をセリフ、情景、感情、役者の目線と声量からカメラワーク、効果音、衣装、メイクに至るまで、事細かく設計図として描くことで、記憶から形として保存している。
今まで描いてきたノートの数は軽く30を超え、一冊で終わる作品から複数冊に及ぶ超大作まで種類は様々だ。当然物語の内容自体も多種多様で、恋愛からコメディ、冒険活劇、西部劇など種類も様々。
時折見返しては修正を重ねているため、初期の頃に描いたノートもクオリティ的に差異が生まれることはない。
仮に、この中の一冊を映画化できたとしたら、必ず売れる自信がある。アカデミー賞とまではいかないがゴールデン・グローブ賞程度は獲れる自信がある。というか、そこまで自信がなければこんな事はやっていない。
夢中でノートに向き合っていると、唐突に店のドアが開いた。
一瞬視線を移すと、そこには高そうなスーツを着た口ひげが特徴的な中年男性が不可思議なものでも見るかのように店内を見回しながら座席を物色していた。
少し異質に見えるその男性は、やがて俺のボックス席のすぐ近くにあるカウンターに座ると、スタンドに立てかけられたメニュー表を広げた。
視線の端に映る男性を、ただの少し裕福な客であると認識した俺は、すっかりと興味を無くし、再びノートに向かい合った。
「(…ここは、一旦冒頭から外れた容疑者に疑いを浮上させてミスリードを誘うか。となると、疑いに信憑性を持たせなければならないから、必然的にブラフの伏線を何箇所かに散りばめて…)」
「外に停まっている車は君のかね」
「(どうするか…物語の主体はトラックに積まれた爆弾。ブラフとなる容疑者には爆発物を合成できてもおかしくないという経歴をあとから発覚させるとして…いや、待てよ爆発物を作ったのはこの容疑者として計画を立案したのを真犯人にすれば⋯、となると容疑者全員がここで何らかの形で事件に関わっているという形にしても、いやさすがにオリエント急行すぎるな⋯)」
「な、なぁ⋯聞いているのか」
「(いやぁ、やりすぎだな。毛色を変えようとしすぎて展開が強引すぎる…もっと陰湿で爽快感のある解明の仕方が理想だからな⋯…⋯)」
「大丈夫か君⋯」
一瞬の思案の停止とともに、俺はようやく先ほど店に入ってきた中年男性が自身に話しかけていることに気がついた。
「ん、え?」
「…随分と、夢中になっているようだが。もしかして寝ていたか」
「あぁ、すいません…集中してて」
俺のあっけらかんとした表情を見て、中年男性はあっけにとられていた。
「それで、どうしました」
「あぁ、外のジープ。あれ君のかね」
「そう…ですけど」
「あれは軍の型落ちと見受けられるが、どこであれを?」
「サンフェルナンドバレーのサープラスヤードで」
「サープラスヤードというと…ほとんど走らないような車ばかりが置かれているあのゴミ山のことか」
「ゴミじゃないですよ、お宝の山です」
中年男性はいつの間にかカウンター席から俺のいるボックス席のシートに向かい合うように座った。ずいぶんと距離の詰め方がおかしな男性だが、会話の節々から軍用品に強い興味を示していることが伺えた。
「ほう、自分で修理したと」
「修理というほどのものでもないですけどね、点火プラグにつながっている線なんかがいくつか外れてただけで」
「あれは、いくらしたんだ」
「50ドルです」
「それは…随分と安く買えたな」
男性との会話に付き合ってあげていると、ウェイトレスが料理を持ってきた。皿の上に乗っかった2枚のトーストと、その上にかかっているチップトビーフ入りのホワイトソース。そして眠気覚ましの熱々のコーヒー。
手書きの伝票とともに置かれたそれに注目を移すと、男性も気になったように皿の上のトーストを見つめていた。
「これは何だね」
「S.O.Sです」
「…随分と物騒な名前をしているな」
「救難信号じゃないですからね。ていうか見たことないんですか」
「見たこと?」
「はい、兵役に就いたのなら軍の朝食で一度は見かけたことがあると思うんですけど」
苦い記憶がよみがえってきた。
あれは1944年から1946年
当時は嫌になるほど味わってきたため若干の苦手意識があったが、あれから5年も経てばもはや懐かしくて癖になる料理として、こうして度々ダイナーに来てはわざわざ金を払ってまで注文している。しかし、アメリカ軍に徴兵された者ならば一度は見たことのあるこの料理を、この男性は見たことが無いという。 何かしらの訳アリである事が察せられた。もしや…
「徴兵を拒否したとか失礼なことを考えてはいないか」
「いや…まぁ」
心のうちを見透かしたように中年男性が軽く睨みつけてきた。そして続けざまに言った。
「私は当時、アメリカ軍に協力していた者だ」
「協力…科学者とかですか?」
「違う、技術者だ。航空機を提供していた」
「へぇ、奇遇ですね…自分も航空軍の技術職でしたよ」
「そうか、まぁ君は直す方で、私は作って売る側の人間だったがな」
嫌味にも聞こえるこの発言に内心若干、青筋を立てそうになりつつ、俺はやり返すように中年男性に言った。
「ほとんどの航空機を直してきましたけど。どれもどこかしらに欠陥があって、あのときは自分のほうがいい飛行機を作れると思ってましたよ」
「ほう…」
ニヤリと笑った男性に対してさらに追撃を加えた。
「ハーランエアクラフトの飛行機なんか、欠陥だらけで直した回数は一番多かったですね」
「…そうか」
急に男性のテンションが下がったので、もしやハーランエアクラフトの関係者かと焦る気持ちを抱いていると、話題を変えるように男性は切り出した。
「君、映画は好きかね」
「好きですよ、とてつもなく」
「ほう、ではどこの映画が好きか」
「…まぁ、王道のマジェスティック・クラウン・スタジオですね」
「MCSか」
「はい、あそこはさすがですね。
男性がこめかみポリポリとかく。
「ATRはどうかね」
「
「それは…なぜ」
「経営者がだめです。ハーラン・ヴェインでしたっけ?ほらさっき自分が言ったハーランエアクラフトの経営者なんですけど、彼がトップに着いてから、作られる作品がハーランに向けたハーランのための作品って感じがして、媚び売ってる感が凄まじいんです。彼の好きな飛行機が、作られる映画毎に絶対登場しますし…」
「…それは、なぜだろうな」
「んー、まぁ、考えられる点で言うと周りの人間が彼に媚びへつらい忖度しているから。あとは、ハーラン自身が映画に口出ししてるから…とかですかね。このままじゃATRは5年と経たずに潰れると思いますよ」
「…」
少し批判が過ぎただろうか。仮に目の前の男性がATRのファンだった場合とてつもなく気まずい。
というか、ATRのことを聞いてきている時点でファンの可能性が大きかったわけで、その時初めて、自分が再度、失言まがいの言動をしていることに気がついた。
謝るべきかと、一瞬たじろいでいたが、目の前の男性は先ほどよりもさらに声色が落ち込んでいたものの、さながら打ち明けるように言った。
「その、私がハーラン・ヴェインだと言ったらどうする」
「…は?」
あまりにも唐突で思わずトゲのある返事をしてしまったが、目の前の男性が突拍子もないことを言っていることは事実なので、妥当な反応だったと言えるだろう。
「あなたが、ハーラン⋯ヴェイン」
「そうだ、私がハーラン・ヴェ⋯」
「いやいや」
映画に携わる職業という共通点ながらも、ドライブインシアターの修理係と巨大映画会社の経営者という大きすぎるヒエラルキーの差を持つ2人が早朝のダイナーでたまたま出会う。実に物語性のある魅力的な設定だとは思うが、現実でそんなことがありえるはずがない。それに
「ハーラン・ヴェインは重度の潔癖症のはずですから、こんな場所に来るはずがない、自分専用の皿とカトラリーがない限りまともに食事なんかできないという噂ですし」
「いや…」
「それに、対人恐怖症という噂もあります。そんな人物がいきなりダイナーで初対面の見知らぬ男に話しかけられるはずがない」
「よく知っているな」
「新聞や雑誌で見ました」
「…そうか」
「…」
「…」
「…」
しばしの沈黙が続く中、自称 ハーラン・ヴェインは言った。
「噂を鵜呑みにするのは愚かなことだ、特に人を知るうえでは最もな」
「…」
「まぁ、いい。君はこの時間帯はいつもここに?」
「…そうですね」
「私も暫くこの時間、ここに通うつもりだ。暫しの付き合いとしよう」
じゃあ、来る時間変えます…という言葉をぐっと飲み込んだ。
最終的にはジャブの応酬のようになってしまったが、どこか自分の中に溜まっていた鬱屈が消え失せている気がした。
何が原因でそのようなものが溜まっていたか、定かではないものの、自分の思っていることをつつみ隠さず赤裸々に語ることができた有意義な時間だったと、振り返った。
カツカツという革靴の音を響かせながら店から去る自称 ハーラン・ヴェインの後ろ姿を見つめながら、俺は小さく呟いた。
「あの人、何も注文してないな…」
「いかがでしたか、ジープに乗っている方はいらっしゃいましたか?」
「あぁ、中々に骨のある若者だった」
外に停めてあったパッカードに乗り込んだ”ハーラン・ヴェイン"は、前部の助手席に座る老齢の男性から優しい声色で質問され返答した。
老齢の男性の正体は、つい最近ハーランが雇った精神科医もといカウンセラーで、彼自身が他人よりも重度の潔癖症と対人恐怖症を患っていることを自認し、それを治療するためにわざわざイギリスから招聘させた名医だった。
すでに何か月かに及ぶ治療と訓練を繰り返してきたハーランだが、この度の訓練にはなかなかに骨が折れた様子だった。
「しかし、まさか店で見知らぬ男に話しかけろとは…ずいぶんとハードルの高いことを言うものだ」
「これも治療の一環です、怒りは抑えられたでしょう?」
「あぁ、なかなかに無礼な奴だったが、沸々と湧き出てくる苛立ちを抑えることはできた」
「それは、すばらしいです。ではぜひまた明日」
「はぁ⋯荒治療だ」
後部座席でため息を吐くハーランは、顔では不満を顕にしているが、内心は着実に対人に対する意識が緩和していることに、ほくそ笑んでいた。
『Bob's big children』
ハリウッドを中心に全米8店舗を展開するレストランチェーン店。元ネタはBob's big boy 1936年にボブ・ワイアンがカルフォルニア州で設立したレストランで、日本では”ビッグボーイ”として知られている。ダブルバーガーの元祖とされております、マクドナルドもバーキンもウェンディーズもモスも、このレストランの存在がなければ、現在発売されている食べ応えのあるメニューは発売していなかったと思われる。なお、主人公が訪れたバーバンクの店舗は実際に存在、使用されており、現存するなかでも最古の店舗とされている。当時のグーギー建築が色濃く反映されていて、1995年に公開されたアル・パチーノ ロバート・デ・ニーロが出演した映画『ヒート』でも度々シーンに登場している。
『S.O.S(Shit On a Shingle)』
焼き上げたパンに、チップトビーフなどの塩気のある加工肉とホワイトソースを混ぜ合わせたルウをかけたシンプルな料理。大量かつ安価に作れるという利点から軍隊食として重宝されており、当時の軍人であれば一度は口にする祖国の味ともいえる。
作り方は以下の通り
材料(2人分目安)
○チップドビーフ(乾燥牛肉):100g〜150g
※日本で瓶詰めのドライビーフが手に入らない場合は、パストラミビーフや薄切りハム、コンビーフで代用可能。
○バター:40g
○小麦粉:大さじ4
○ 牛乳:500ml(とろみ具合で調整)
○ 黒こしょう:適量(多めが美味しいです)
○ ナツメグ:少々(あれば)
○食パン:2〜4枚(厚切り・薄切りはお好みで)
○ パセリ:少々(仕上げ用)
作り方
肉の下準備
チップドビーフ(またはハムなど)を一口大の細切りにする
※本来のチップドビーフ(瓶詰め)を使う場合は塩分が非常に強いため、お湯でさっと洗って水気を切るか、軽く湯通しして塩抜きをします。ハムなどの場合はそのままでOK
ルウを作る
フライパンを中火で熱し、バターを溶かし、肉を入れて軽く炒める。
肉に火が通ったら、小麦粉を振り入れ、粉っぽさがなくなるまで1〜2分ほど炒め合わせる
ソースを仕上げる
牛乳を少しずつ加えながら、ダマにならないように絶えずかき混ぜ、とろみがつくまで弱火〜中火で煮込む。
味を調える
たっぷりの黒こしょうと、あればナツメグを加え味見をして、塩気が足りなければ塩(分量外)を足します。ただし、肉の塩分だけで大抵十分なので、入れすぎには注意が必要。
盛り付け
食パンをこんがりとトーストする(カリカリに焼くのがポイント)
トーストの上に熱々のソースをたっぷりとかけ、仕上げにパセリと、追加の黒こしょうを振って完成。
『パッカード』
1899年から1958年まで存在していたアメリカ版ロールスロイス。戦前はキャデラックやリンカーンをしのぐ高級車として知られており、ハーラン・ヴェインが乗っていた車種はそのなかでも一際高級な、パッカード・パトリシアン400である。
当時のアメリカ車社会でパトリシアン400がどれほどの価格かと言われると現在で言う15万ドル程度の超高級車という位置づけだった。なお、当時の販売価格は約3363ドル、当時の一軒家の価格は約7500ドルなので、この車2台あれば家を買える程度の価格とされている。
なお実際、当時の3363ドルは現在の金額として44000ドル(日本円で約680万円)の価値があるとされているものの、当時の物価やそれぞれの物に対する価値は当然現在とは違ってくるので、車としての価格は現在で言うロールスロイスやマイバッハ(15万ドル)と同等と言える。
※1話目の冒頭で主人公がハーランに向けて映画業界に対する不満をぶちまけるという描写が示唆されるように描かれておりましたが、その描写を描くのは次話になります。