異常性物体ログ   作:刹那木ヤクモ

2 / 2
《ヴァイナルの花》

《ヴァイナルの花》は、枯れないとされていた。

 

それは谷あいの神殿の最奥、石の祭壇の最奥、花瓶に納まりながら季節も年月も拒むように、常に透き通った透明を宿していた。人々はそれを永遠の証と呼び、やがてそれ自体が神の肉体であると信じるようになった。

 

ヴァイナル教団は、花を中心に築かれた。

生老病死を超越した存在が、ここにある。

ならば世界は意味を失わない──そう説く教義は、疲れ切った者たちの心を強く掴んだ。

 

巡礼者は絶えず、祈りは昼夜を問わなかった。

神官たちは花の前で祝福を与え、信者たちは人生の苦難を《一時の曇り》として耐えた。花は変わらなかった。だから教団も、世界も、変わらないと信じられていた。

 

最初の異変は、誰もが見逃せるほど小さなものだった。

花弁の縁が、ほんのわずかに欠けていた。

 

「光の加減だ。永遠は人の目には測れぬ」

 

大神官の言った言葉に信者たちは頷いた。

疑う理由がなかった。疑うことは、人生を再び不確かなものへ引き戻す行為だったからだ。

 

だが、欠けは増えた。

次の月には、花弁の一枚に細かな亀裂が走った。

さらにその次には、石の床に透明な粉が落ちているのが見つかった。

 

砕けたのだ、と誰もが理解した。

理解してしまったがゆえに、口には出さなかった。

 

教義は少しずつ書き換えられた。

 

「花は試練を受けている」

 

「信仰の深さが、花の完全さを支える」

 

信者たちは、より強く祈るようになった。

祈りは救いではなく、修復の作業に変わった。

誰かがつまずけば、花が砕ける。

誰かが疑えば、永遠が崩れる。

 

やがて、花は明確に崩壊し始めた。

厚かった花弁は剥がれ落ちていく。

それは神々しさよりも、不気味さを感じさせた。

 

巡礼者は減った。

祈りの声は、言い訳と罵倒を含むようになった。

 

「信仰が足りない者がいる」

 

「裏切り者が混じっている」

 

教団は内側から腐っていった。

神官たちは互いを疑い、役職を守るために教義を盾にした。

花はもう、永遠の象徴ではなかった。

失敗の証拠だった。

 

最後の夜、祭壇にはわずかな残骸しか残っていなかった。

灰のように積もり、芯は触れれば崩れそうだった。

 

神官長は独り、花の前に立った。

信じていたのは神か、永遠か、それとも「変わらない」という幻想か。

答えは、砕け散った後にしか現れなかった。

 

翌朝、神殿は閉ざされた。

ヴァイナル教団は、記録の中でのみ語られる存在となる。

 

人々は再び、枯れる花を育て始めた。

季節ごとに咲き、散る花を前に、有限であることを受け入れながら。

 

永遠は救いだった。

だが、砕ける永遠は、希望よりも深い絶望を残す。

 

石の床に残った塵は、やがて風にさらわれ、どこにも残らなかった。

それでも、人々の記憶の中で、《Vinylの花(ヴァイナルの花)》は、確かに一度だけ咲いていたのだ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。