世界系ヒロインたちに巻き込まれて   作:金木桂

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#2

 

 相合傘。

 男女二人で傘を共有する行為。

 及びその名称。

 

 僕たちは傘を二人で一本しか持っていない以上、一本の傘の下に二つの身体を収めるのは非常に自然で合理的な形である。だがここで僕の良識が待ったをかける。僕の脳内辞書にある男女の相合傘という行為は、恋人同士、或いは恋人未満友人以上の男女間で青春の儀式的行為であって、僕と瑞星は以上の二点、そのどちらにも当てはまらない。だから不自然だ。気まずい。言葉が自由に出てこない───と言うのは相合傘限らず、女子と話す時に大抵僕の身に起こることだけども。

 

 ここで毅然と自己弁護をさせてもらえば、僕だって無抵抗に相合傘に入ったわけじゃない。さして仲良くない相手と相合傘をするのは悪いと思って、びしょ濡れ帰宅を覚悟して傘を譲ろうともした。でもそんな大和男子の魂胆は怪力無比な瑞星には通用せず、柔道家の如く逃れられない形で腕を掴まれて「これは栄太の傘だよね、ほら入った入った」と瑞星のテリトリーに、言い換えればパーソナルスペースに、強引に引っ張られ、収まってはならぬ場所に僕は収まってしまった。

 だから僕は悪くない。

 絶対に悪くない。

 肩がぶつかったり手が触れ合ったりなんか甘い香りがして役得だなこれとか考えている僕は悪くないからな。そのうち手が事故とかラッキースケベで胸や尻に触れても後悔するなよ!

 

 と、心中で考えるのは僕からのささやかな反抗だった。

 下劣で、低俗で、考え得る中で最も最低な反抗だった。

 

 しかしだ。

 公園を出てから1分間、ずっと内心で繰り広げては悶々としている僕を誰が責められよう。僕は健全な男子高校生であり、女子生徒への興味・関心は人並みに存在するので、逆に下手な行動をしてその下心を悟られてはマズイとばかりに全身がガチガチと固まってしまっている。

 情けない。

 なんかとても情けない。

 意気揚々と「僕も手伝うよ!」とかしゃしゃり出た男の1分後の姿か? これが?

 

 そんな僕を見兼ねたのか、隣を歩く瑞星が口を開いた。

 

「手伝うって具体的にどうするの? 私、誰からも忘れ去られてしまっているんだけど、これどうにかなるの?」

 

 僕は背筋をぴんと伸ばした。

 理由は特に無い。見透かされてるか分からぬ下心を誤魔化そうとした、なんて浅薄な動機では決してない。

 

「さあな。なんか呪われた勾玉とか触ってて、それを壊せば元通り、みたいなのはどうだろう」

「うわ、適当すぎる。適当大臣。けど頼りにはしているからね」

「冗談だって。頼りねえ、まあ出来るだけ頑張ってみるけどさ」

「それでもいいんだ。───だって、私には頼れる人間、栄太くらいしかいないんだから!」

 

 教室でよく見る満開な笑顔を咲かして手を広げる。

 しかし、今僕の眼前で浮かべる晴れやかな笑みが、欺瞞であることは明々白々としていた。

 僕を心配させないためか、自分自身を奮い立たせるためか。

 恐らく両方だろう。

 

 僕以外に頼れる人間がいない。

 その言葉は少なくとも瑞星にとっては、揺るぎない真実だ。

 家族でもない。

 友人でもない。

 幼馴染という肩書きはあれど、殆ど話すこともしなかった、クラスメイトよりも他人に等しい、僕しか頼れる人間がいない。

 果たしてそれはどれだけ絶望的か。

 瑞星はどんな気持ちで僕を頼っているのか。

 

「そもそも誰からも忘れ去れたと瑞星は言うけども、それって本当に全員なのか? 口にすると気まずいけども、僕が覚えているくらいだぞ?」

 

 瑞星は少し考えて、困ったように、悲しそうに、眉根を上げる。

 

「……お父さんとお母さんは、朝起きて部屋から出てきた私を不審者扱いしてきたよ。犯罪者を見るような目で睨まれて、出ていけって言われて、警察呼ぶぞって言われて。慌てて私は家を出た。それで、混乱した私は取り敢えず学校に行こうと思って電車に乗ったんだ。そこで偶然、亜希子に会ったからおはよーって話しかけたら他人行儀な態度で無視されちゃった。思えばその時点で変だったんだよね。酷いなぁと思って登校すればクラスでも同じ。教室に入った瞬間に何だこいつみたいな目で見られてさ、その時には私も自分の身に何が起きているか何となく理解できてきたから怖くなってすぐに教室から出たよ」

 

 亜希子……よく知らないが瑞星のクラスメイトだろうか。瑞星のクラスメイトってことは、つまり、僕のクラスメイトということでもあるけども、あまりにも女子のクラスメイトに関心が向かなかったのが原因か、亜希子と言う名前だけでは脳内電話帳を捲ってもヒットしなかった。我ながら友達がクラスにいない僕らしい、ぼっちに相応しい記憶力だった。

 

 しかし、記憶の底蓋を開けて思い返してみれば、瑞星の言葉通り、瑞星は今日授業を受けていなかったような気がする。いつもなら瑞星が中心となったグループの輪が形成されていて、その集団が教室内で最も声が大きい女子グループだから、登校していれば僕だって流石に「ああ、今日も青春してるな。とても姦しいな」と漠然とした毒舌を内心で吐いていたはずだ。

 でも今日は静かだった。いないとなれば納得だ。視覚的にも僕と瑞星の席は離れているから気が付かなかった。思えば朝のHRでも教師は瑞星の欠席に何も触れていなかった気がする。

 

「学校を出てからは? ずっとこの公園で?」

「カラオケにいた。取り合えず知ってる連絡先全部にメッセージ送ってみたけど、たぶん、スパム扱いされたんだろうね。返答は全然来なかった。返ってきたのもあったけど、全部誰だって感じのメッセージで……正直凹んだね」

「それはまあ……お気の毒様?」

「どういたしましてって言いたいところだけど、お気の毒様は違うと思うな」

 

 僕も言ってて違うと思った。

 でも文字通り世界中の全員から忘れ去られた相手に掛ける言葉を、僕は生憎と現代文の授業で習っていない。何が正しいんだろうか。日本語は難しい。

 

「因みに物理的にはどうだろう。メッセージを送信した相手の中には関東だけじゃなくて、他の地域とか、海外に住んでる人とかはいたか?」

「従妹が福岡に住んでるからその子だね。海外はいないよ。残念ながら瑞星家は反グローバル主義だからねー」

「時代に逆行してるなお前の家。いやまあ、海外の知り合いがいないってだけで反グローバル主義と言うのなら僕もそうだけどな」

「いやいや違う、ウチは家訓で外国人とすれ違う時にメンチ切るの」

「どんな家訓だよ!? 反グローバル主義っていうかただのチンピラ迷惑行為だろ!?」

「本当は追い出したいんだけどね、この日本から、一人残さずに」

「攘夷志士のエレン・イェーガーかお前は!」

 

 過激派思想にも程があるだろうが!

 こほん、とリズムを落とすかのように咳払いが挟まる。

 

「攘夷志士は心外かな。暴力はしない。私はマハトマ・ガンディーの生まれ変わりなんだ」

「ガンディーが外国人排斥思想を持っているのは解釈違いだが」

「令和のガンディーは誹謗力不服従だからね」

「それは決してガンディーじゃない!」

 

 インターネット掲示板で誹謗中傷を繰り返すだけの危ないやつじゃないか!

 

「栄太のガンディー話は一旦置いておくとして。私はロケーションは関係ないと思うな。それだったら返信あるだろうと思うし」

「さも僕が話を脱線させたような言い分は遺憾の極みだが、話を戻すのは賛成だ。ドッキリの可能性とかは?」

「それも考えた。でも連絡先だけでも232人いる私の関係者が、私を介さず繋がって、私を省いたグループチャットを作って示し合わせる───そんなこと普通するかな。況してやドッキリ内容もちょっと悪趣味だよね」

「それもそうだな」

「それで、お金が無くなったから公園で黄昏てた。以上、瑞星瀬亜の1日でした」

 

 茶化すように瑞星は言う。

 てか、232人も連絡先持ってるのか。まるで芸能人みたいな太い人脈だな。些か驚嘆だが、一方で瑞星であればあり得なくもないなと思ってしまう。

 

 まあ、なんだ。

 

「歩きながら解決できる話ではないのは何となく察してはいたけども、一応は理解できた。ひとまず、今日の行く当てすらないんだな?」

「あ、私行く当てないじゃん!」

「気付いてなかったのかよ!」

「家に帰れるのが当たり前だと思ってたから新視点」

 

 ポンと手を鳴らす瑞星に僕はどんな顔をすれば良いか分からない。

 軽い調子で口にするけど、現実は言葉以上に、その何倍も、何十倍も、何百倍も、深刻なエマージェンシーに瀕しているはずなのだ。

 

「なら良ければなんだけど、僕の家来るか?」

「え、いいの?」

「僕は同級生がホームレス高校生になるのを黙って見過ごすほど事なかれ主義じゃないんだ。僕の家は広いし、瑞星が泊まる分には何分困らないんだよ」

「それ、実家太い自慢?」

「違う」

「ああ、じゃあ送り狼か!」

「断固として違う!」

 

 それを言うなら迎え狼じゃないか。

 ……そんな用語があるかは知らんけど。

 ただ、自分の家に招待する送り狼がいて堪るか。全然送ってないじゃないか。

 

 全く、何でこんなにも変態みたいな誹りをされねばならないのか。

 断固として抗議させてもらう。

 

「言っておくが、今の提案は極めて透き通っていて純粋無垢な善意によるものだから、謂れのない名誉毀損は止めてくれ」

「純粋無垢と透き通るって同じ意味だよね? 何で強調したの? わざわざトートロジーを用いて反論してくるなんて余程栄太の心のささくれに触れてしまったのかな? あーってことは私が無遠慮だったかも、ごめんなさい」

「謝るな! それっぽく言うな!」

「いや、分かるんだってば。だって私、結構美しいしさ。色々と栄太の色恋に関わる劣等感とかコンプレックスを刺激しちゃうの仕方ないなーっていうか」

「瑞星が美しいのは認めるけども、まるで僕を異性と全く関わりがない青春敗北者みたいに言わないでもらいたいが?」

「じゃあいるの? 恋人」

「………………。」

 

 唐突な配慮皆無の剛速球に、渾身のノーコメント。

 滅茶苦茶負けた気分になった。

 

 状況のヒアリング3割、無駄話7割で瑞星と話していればすぐに二階建ての見慣れた自宅に辿り着いた、そりゃそうだ。元より公園は僕の家の近所である。

 瑞星のペースに合わせてゆっくりと歩いていたからか、いつも以上に時間がかかった気がする。

 

「懐かしいね」

「あれ、瑞星って僕の家に来たことあったか?」

「え、ほら、昔は私たちよく遊んだじゃん」

 

 と、僕が忘れているのにビックリしたのか、少し慌てる素振りで早口で瑞星が言う。

 姉も同じようなことを話していたので事実なのだろう。

 惜しいことに僕の記憶には無いけども。

 

 家の中に入れば、玄関に普段より靴が一足多かった。

 スニーカーで、脱ぎ散らかっている。

 

「あー、ダメ(ねえ)がいるかも」

「だ、ダメ姉?」

 

 僕が突拍子も無く悪態をついたことに、瑞星が目を丸くする。

 

「僕の姉は生活態度がちょっと酷くてな。容姿は弟ながら良い方ではあるんだけど、残念が残念で残念過ぎるのが足を引っ張って今まで彼氏がいたことがないんだよ」

「へ、へえー」

 

 流石に内輪ノリで批判し過ぎたか。少し瑞星が引いている。

 ただ僕にとってはかなり思うところがあるので、不平不満が溜まっているところもあるので、愚痴を吐いてしまうのは堪忍してもらいたい。

 

 僕は姉の靴を直し、玄関を上がる。瑞星も慇懃に靴の向きを整えたあとに「あっ」と声を上げた。

 

「私、びしゃびしゃだけどこのまま上がっていいの?」

 

 それもそうだな。

 床は後から拭けばいいが、瑞星の制服は水滴でぐしゃりと皺が付いていて、着用するのは気持ち悪いだろう。

 

「えっちだね」

「何も考えてないからな!」

「本当かな?」

 

 本当だ!

 お前が余計なことを言わなければ僕がYシャツから薄っすら透けて見える下着の存在を認識することはなかった!

 

「ともかく瑞星はシャワーを使うと良い。そこの右の部屋で、着るものは後で持っていく。いや持っていかせる、姉に」

 

 また破廉恥な助兵衛扱いされるのは嫌だったので訂正。

 幸い僕の羞恥心を狙い撃つ悪趣味には飽きたのか、瑞星は頷いて靴を脱ぐと、そのまま浴場へと繋がる洗面台へと爪先立ちで歩いていく。水が床に付着しないように歩いてくれているらしい。

 

 僕は瑞星の背中姿を見送って、背中から透けて見えるライトグリーンのブラ紐を見なかったことにして、リビングへと行けば姉がソファーで寛いでいた。スマホを片手にポッキーを貪り終えて、空いた片手で尻をポリポリと掻いている、まさにその瞬間だった。

 有給休暇を取って朝からビールを煽るおっさんみたいなのっぺりした仕草を取る姉に、婚期はまだ遠いなと僕は溜め息を吐く。

 

「また帰ってきたのか」

「おかえり栄太~。ん、人間の生存可能領域が恋しくてね」

 

 左藤明澄(さとうあすみ)

 クラスメイトへの紹介が憚られる、願わくば押入れに閉じ込めて出てきて欲しくないと心底考えてしまう程に残念な、5歳上の僕の姉である。

 何がどのようにして具体的に残念か問われれば、以降連綿と5000文字以上の小論文を書き綴る羽目になりそうなので一旦割愛するが、超簡単に言えば、腐女子で百合オタでロリコンのショタコン。大学近くで一人暮らしをしているが住処は汚部屋で、服装はいつも中学のジャージ。以上で大体姉の終わりっぷりを理解してもらえるはずだ。

 しかし、これでいて身目が良いから初対面の人間からの評判は悪くないらしい。ルッキズムっていうのは残酷だ。

 

 姉貴は風呂場から聞こえてくる物音に反応して、不思議そうに首を傾げる。

 

「あれ、もしかして誰か連れてきた?」

「ああそうだ。姉貴、今日は瑞星……クラスメイトの女子も泊まるから」

「へえ~やるじゃん栄太。その顔でねえ」

「一言余計だぞ」

「その見るに詰まらない目と鼻と耳と心でよくもまあ落とせたね~」

「より具体的に潰してくんじゃねえ! つか心はお前には言われたくない!」

 

 確かに姉貴と比べれば、同じ親から遺伝子を受け継いでいるのか怪しいレベルで容姿は劣っているかもしれないが、それでも中身が腐女子で百合豚の姉貴よりはマシなはずだ……多分。

 

 ───しかし、瑞星って名字を出してこの反応。

 これまで絡みがなかった幼馴染を連れてきてこの薄い反応は違和感を覚える。聞き逃したわけじゃないよな?

 僕は念入りに言う。

 

「因みに瑞星って聞いたことないか? 瑞星瀬亜」

「え、知るわけないじゃん。栄太のクラスメイトでしょ? しかも高校の。私が知ってる道理ある?」

「本当に? 冗談じゃなく?」

「意味分かんないって。その、ミズボシの漢字すら私は分からないのよ? ミズの漢字は惑星の水星の水なのかコメットの彗星の彗なのか、星はお星さまの星でいいのかも、全然分からないってば」

 

 当然の正論をつまらなげに眉を顰めながらもポッキーをポリポリ食べ続ける姉。

 ……冗談で言っているようには聞こえない。姉は生活態度こそダメな種族だが、面白くない冗談は言わない主義なのを僕はこの人生を通して知っている。

 

 であれば、僕と瑞星が幼馴染であるというのは左藤家全員の共通認識であり、当然姉も知っていた。これまでは。確実に。

 信じてなかったわけではないけども。

 疑ってたわけでもないけども。

 知っているはずの姉から聞かされると、僕と瑞星の関係性を矢鱈と揶揄していた姉から聞かされてると、どうも現実味を帯びてきてしまう。二次元だった平面が立体的に組み立てられて三次元の立方体が出現するような、x軸とy軸しか無かった世界にz軸という新規格が持ち込まれたような。既存観念を思い切り殴りつけられて粉砕されたような衝撃。

 それを今更ながら感じて。

 

 誰からも忘れ去られた少女。

 友人たちに無視された少女。

 家族からも他人と断じられた少女。

 僕以外が忘れてしまった少女。

 

 ……なぜ僕だけ?

 その疑問は瑞星から事情を聞いてからずっと胸中で抱きつつも、僕という忘却の枠外に立つ存在を見つけたことで喜色を滲ませた瑞星の前では言葉にすることが出来ず、一旦思考の域外に出していたものだ。

 しかし一度離れれば考えざるを得ない。

 日本に一億三千万人弱いる何某でもない。

 世界に八十億人いる誰かしでもない。

 僕である。

 唯一無二でも無二無三でも無く───四の五の言う余地も無く凡庸で───普遍性という言葉を常に日頃から身に着けた僕である。

 何故僕なのか。

 何故僕だけが覚えているのか。

 

 普通に考えれば僕が特別だから、何処かに存在する何かの理屈に選ばれてそうなったと考えられるが、それは他ならぬ僕が否定できる。

 僕は特異という言葉から最もかけ離れた人間だと思う。求められるならば自信を持って全世界に向けて宣誓だってして出来る。僕は特別でも選ばれた存在でもない。

 

 五里霧中。

 支離滅裂。

 

 瑞星を忘れ去った人々と僕の間に一体何の違いがあるのか。

 

「……瑞星がシャワーを浴びてるから僕の代わりにタオル持ってってくんないか? あと女物の服も貸してくれ」

「えー。服は適当に棚から取って良いけど、それくらい自分で持って行ってよ~」

「別に僕は構わないけど、洗面所に入って、瑞星に覗き魔と勘違いされたら僕は余裕で捕まるぜ」

「いまイベント周回……じゃなくて友達の超絶重要な人生相談に乗ってるから無理!」

「ああ、人生相談ならしょうがないよな、超絶重要なんだもんな……ってすんなり僕が納得すると思うか! 生憎とその前のイベント周回って言葉を聞き逃すほど僕の耳は悪くないんだよ! ソシャゲじゃねえか!」

「うるさいなモブの癖に」

「モブって言った! この姉、唯一無二の弟に向かってモブって言った!」

「あ、ごめん。モブっていうのはソシャゲの敵キャラのことね、硬すぎてつい愚痴が零れ落ちてちゃってさあ~」

「そうなのか……いやはや、僕も鬼の首を取ったみたいな騒ぎ方をして悪かった」

「服なんだけど、煩悩優先で瑞星ちゃんに際どい服とか選んだらダメだからねゴブ」

「そしたら僕の方が気まずいだろ……で、何? ゴブ?」

「リン」

「弟をゴブリン呼ばわり!?」

 

 僕のことを暗に性欲まみれの雑魚と揶揄してんのか!?

 

「家にあるやつは基本着てないから適当に持ってって」

 

 今の押し問答を無かったことにするかのように姉は寝転がってスマホを触り続けている。どうやら本当に僕を手伝ってくれる気が無いみたいだ。服を貸してくれるのは有り難いけども、弟甲斐のない姉である。

 

 長年の経験から口答えしても長引くことは明々白々としていたので、ゴブリンと呼ばれたことは心の奥底に押し込み、せめて不服感くらいは表に出そうと肩を竦めては僕は2階の姉の部屋を探った。因みに姉は何一つ反応を見せなかった。いいさ、こういう物言いをされるのは慣れているし。

 

 15年間過ごした姉の私服を触れる行為に緊張や抵抗感などあるはずもなく、僕はただの布切れとして機械的に無難なものをいくつかピックアップする。背格好が割と似通ってるのは運が良い。姉も瑞星もスレンダーで、身長も背比べしたら誤差2cmも無いだろう。それでも姉の方が小さく感じるのは、瑞星は成長期の渦中で今後も幾らか伸びるという確信があるからか、はたまた雰囲気で瑞星の方が大人びて見えるからか。おそらく両者共に正解だと僕はひとりでに頷く。あと胸のサイズで一籌を輸するのも受ける印象に差異を覚える一因だと思う。敢えてどちらが小さいか大きいかを明確に口には出さないが。

 

 僕は少し大きめの無地の黒Tシャツを2枚と、ゴム紐でウエストを縛るタイプのジャージを手にすると部屋を出た。流石にブラやパンツは僕が渡すと姉から直接受け取ってもらうことにする。

 

 そうして浴室。

 その手前。

 洗面所の扉の前。

 

 普段ならば何事も考えず立ち入るだろうその部屋の前で、僕は立ち呆けていた。

 この先には裸になった瑞星が生まれたままの姿で身を清めているだろう。

 男子高校生としては望む望まない関わらず、本能的に勝手に想像されてしまう。

 ボーイッシュな水色の短い髪はしっとりとお湯で濡れ、白い玉肌は水滴を弾いて艶やかな色を帯びており、制服の上からでも動くたび大いなる主張を繰り返していた胸元は大胆に解放されて、普段は美青年っぽい雰囲気を醸し出していたその姿を一気にたをやめぶりで儚い雰囲気に方向転換を───。

 ああーーーー!!

 

 煩悩具足煩悩退散!!

 僕はただ瑞星に替えの服を渡しに来ただけで、それ以上でもそれ未満でもない!

 何の感情も僕には無い!

 

 唾を呑み込んで、僕は意を決して乾いた口を開く。

 

「お、おーい、入っていいか? 姉貴の私服で悪いが、付け加えて、持ってくるのが僕で申し訳ないが、着替えになりそうなのを持ってきた」

 

 扉を控えめに三回、コンコンコンと叩く。

 抜かりはなかった。

 

「うん、大丈夫。ありがとう、ナイスタイミング!」

 

 瑞星の声がすぐに返ってきた。

 じゃあ遠慮なく入らせていただきますっと。

 

 僕が扉をガラリと開くと、瑞星が目の前に立っていた。

 瑞星が。

 白いタオルを巻き付けるだけの目に毒な軽装で。

 手ぬぐいタオルで髪の毛を丁寧に拭きながら僕に背を向けて立っていた。

 

 しかも瑞星の正面にある洗面所の鏡が、瑞星の同年代離れした麗姿の全面を映し出している。タオルが巻かれているとは言え胸部の谷間が僕から見えてしまっている。

 見てしまっていいのだろうか。

 僕は男子高校生で、眼前に立つ瑞星は半裸になった美少女で、この時点で構図が若干犯罪的だ。意図しない偶発的な事故としてもこれは何かしらの犯罪に問われることにはならないだろうか。例えば迷惑防止条例とか軽犯罪法違反とかで。流石に15の代で前科者の肩書きを獲得するのは勘弁してほしい。

 とまあ、普通ならば興奮したりドキドキしたりする場面なんだろうけども、僕の場合は小市民過ぎるのか逆に冷静になってしまっている。嫌な想像をして背筋も冷えてしまった。旅行の計画を練るのは楽しいけど旅行前日は行くのが億劫、みたいな状況とちょっと似ているかもしれない。

 

 対して瑞星もその立ち姿は堂々としたもので、恥じるところなど何一つないと言わんばかりの態度である。もっと羞恥心を露わにして然るべき状況なのに、一切合切、普段通りの姿勢。

 ……瑞星が気にならないのなら僕が気にしても変な空気になるだけになるか。

 ならば僕もなるべくいつも通りを心掛けることにする。

 

「そこの棚に置いてもらえると嬉しいな。あ、でも服を持ってきてくれたのに何も無しじゃ良くないよね。お返しに一緒にお風呂入る?」

 

 振り返って、揶揄うようにニヤニヤとした笑みを作る瑞星。

 やれやれ、僕を見くびってもらっちゃ困る。そんな見え透いた言葉で惑わされるほど純粋ってわけでもないのだ。

 

「入る訳ないだろ。バカなこと言ってないで早く髪を乾かせよ、風邪ひくぞ」

「はーい。あれ、下着はないんだ」

 

 持ってきた視線に目を向けて瑞星が言う。

 しかし、こいつはその半分裸みたいな艶やかな恰好を僕に見せることに忌避感とか羞恥心とか無いのだろうか。

 

「僕が女性用下着を持ってきたらそれこそ気色悪いだろう」

「別にそんなことないと思うけど……」

「それにサイズも姉貴とは合わないしな」

 

 主に胸とか。

 

 そんな思考と共に、僕の目は無意識に瑞星の双子山を向いてしまった。

 目敏く、或いは本能的に、その視線に気づいたのだろう。

 僕の言葉が終わるや否や、瑞星は頬を沸騰させたように赤く染めて、タオルで隠された胸元を更に腕で隠した。

 口を尖らせて、ジト目になる。

 

「……やっぱりえっちじゃん」

「誤解だ!!」

「左藤えっち」

「僕の名前を売れないYotuberみたいな芸名で呼ぶな! 確かに発言にデリカシーが無かったのは認めるし謝罪もする、悪かった、だから左藤栄太でお願いします!」

 

 一気呵成と僕は頭を下げる。

 完全降伏。

 肉袒負荊。

 

 暫くはじとじと責めるように細目だった瑞星だが、10秒ほどしてあははと笑い始めた。

 

「噓だよー! もー私がこれくらいで怒るわけないじゃん!」

 

 そうなのか。じゃあ後学のためにそのなだらかな丘陵をもっと観察させてもらえないか? とライン越えの言葉が口から漏れかけたのを寸でのところで止める。一応瑞星の半裸には既に慣れてきた気がしていたけども、煩悩の犬は追えども去らずと言うか、男である以上沸々と湧き上がる飽くなき探究心は止められないというか。

 いや気持ち悪いな僕。

 気持ちが良いほど気持ちが悪いな僕。

 

「取り合えず僕は出るから服は着ろよ!」

「分かってるよー心配性だね栄太は」

 

 変なことになる前に、僕はガタンと洗面所のドアを閉める。

 そのままで瞼を閉じると瑞星の肌色の肢体が目に浮かぶ。

 

 深呼吸

 一回。

 二回。

 

 ……よし、忘れよう。

 僕は何も見なかった。

 瑞星はまだ風呂場にいて、僕はただ洗面所に服を置いただけだ。

 そうしよう。

 違う、そうだった。

 

 精神衛生上の理由から僕はそうやって自己暗示を掛けると、再びリビングに戻った。

 

 

 

 

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