世界系ヒロインたちに巻き込まれて   作:金木桂

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#3

 

 風呂から上がった瑞星と、ついでにその場にいた姉とを交えて会話をした結果、結論として、瑞星は暫く僕の家で居候をすることになった。

 

 正直、これは僕が家へ誘った時点で、定められた話の流れだったように思える。

 瑞星には帰る家がない。

 家は残っているが、迎え入れてくれる家族がいない。

 憐憫の情も瑞星にはあったし、今日だけ泊めるので明日からは宿泊所を見つけてくださいなんて、薄情なこともとても言えなかった。

 

 加えて瑞星は深刻な金銭難に陥っていると言う。

 そりゃそうだ。

 陣屋高校は校則で学生のアルバイトを禁止している。ただあくまでそれは学生手帳に条文の一つとして記載されているだけで、積極的に風紀委員会や生徒指導部がアルバイト学生を探し出しては取り締まっている様子はあまりなく、教員の目を盗んでアルバイトに励む生徒は一定数いるそうだ。それでも瑞星は優等生らしく律儀に校則を順守しているそうで、唯一の資金源は毎月の親からの小遣いだとか。その額もたった3000円。高校生の小遣いと考えれば十分か少し寂しいくらいの額面だけど、外で一晩を明かすには全然足りやしない。

 瑞星は申し訳なさそうな表情をしながらも、夜の寝床が無い事は勿論自覚していて、僕が言うよりも先に頭を下げてきた。

 

「改めてですけど私を泊めてください。その対価……対価として足りるか分からないけど、家事は私やります。足りない分は後払いします」

 

 姉が隣にいたからか。

 自分を知らない他人がその場に存在したからか、瑞星は敬語だった。

 

 そんな感じで僕が断るわけも無く了承。

 姉も、瑞星の事情をありのままに伝えれば半信半疑ながらも、受け入れることに決めたらしい。どちらにせよ姉は今はもう一人暮らししていてここの住人じゃないから、追い出す権利も無い気はするけど「瑞星ちゃんならここに永住したって私は構わないよ〜」と嘯く姿には突っ込む気にすらなれなかった。初対面なのになんでもう門戸を開いてるんだよ。やっぱり見た目か。見た目だな。見た目で気に入ったなお前!

 

 と、そうして瑞星瀬亜という、幼馴染とは形ばかりの、その実殆ど関わりの無いクラスメイトとの居候が決まった訳だけども。

 ───いやさ、これなんてライトノベル?

 それともギャルゲー?

 或いはラブコメ漫画?

 媒体は何でもいいけど、ともかく、僕が平時の冷静沈着さを多少失っていることは間違いない。瑞星がエプロンを付けて夕飯の準備を始めた辺りで、なぜか全身が強張って僕の中の僕が緊張をしてしまっている。

 

 同級生の手料理。

 手料理を作る瑞星。

 

 まさか、恋人が出来もしてしていないのに、家庭科の授業でもないのに、女子の手料理を食べる機会が訪れると思いも寄らなかった。人生と言うのは奇想天外だ。もっとも僕以上に奇想天外なのは料理を作ることなった───それ以上に僕以外の記憶からデリートされてしまった瑞星だろうけども。

 

 瑞星は普段から、僕が初めてクラスで認識した時からずっと快活明朗な少女である。

 それはこんな大変の状況に陥った時でも変わらず、態度柔らかく笑みを零して、焦燥感も悲壮感も何一つ私の身には起きていないとばかりに、平時と変わらない佇まい。今だってそうだ。家事なんて本当はやってる場合じゃないだろうに、誰が頼むわけでもなく率先して引き受けてしまった。

 別の事をしていた方が気分が紛れるかもしれないと、要否も分からぬ配慮をしてしまったけども、そんな矮小でちっぽけな思慮など我関せずと、瑞星は姉から借りたTシャツの上からジーンズ生地で出来た青色のエプロンを巻いて、腕まくりをした。

 

「夕飯は何がいいですか? 」

 

 キッチンで冷蔵庫や戸棚を覗き見ながら、僕と姉にそう言う瑞星。

 

「私はそうだなあ、インスタント食品以外なら何でもいいかな~」

「僕も特に無いけど……何も無いと言うと困ると思うから、じゃあ、牛肉系で」

「オーケーです、腕によりをかけて作っちゃいますから期待しててくださいね!」

 

 牛肉は今晩の食材として冷蔵庫に入れておいたはずだし、食材の困ることもなかろう。

 

 というか、ハードルを自ら上げているということは、味には期待を持っていいのだろうか? 期待していて良いんだよな?

 一つ言えるのは、女子の手料理という時点で不味いと口にする選択肢は無いこと。数々のラブコメ主人公たちがメシマズヒロインの手料理に震えながら耐え難きを耐えている理由が分かる。結局は見栄だ。お前が作った料理をこんなにも美味そうに食べるんだぞ、と、たとえ嘘でも相手に喜んでほしいという異性に対するエゴだ。

 男の業に囚われる瞬間が僕にもやってきたということか。

 

 落ち着かない気持ちで待っていれば、小一時間ほどで料理は出てきた。

 どんな料理が出てくるかと思えば、男料理も斯くやと言ったシンプルな焼肉丼だった。

 味は……めっちゃ美味い。

 大抵の男子高校生ならば好きであろう醤油ベースのタレはニンニクが効いていて、それが肉と米とマッチしてる。ストレートにガッツリ系。メシマズを覚悟していた自分が恥ずかしくなるくらいに美味い。

 

「瑞星ちゃん私の家に住まない? 私、ここから少しだけ離れた所で一人暮らししてるんだ。ちょっとだけ散らかってるけど家賃無料だし女同士で気兼ねもないよ〜?」

「ありがとうございます。こういうのしか作れませんが、味には自信あるんですよ」

 

 姉からも好評のようだった。

 一点指摘を入れるならば、姉は一人暮らしを始めてここ3年はインスタント飯ばかり食っているから、大概何を食べさせても美味いとしか言わない。実際僕が料理を作るときも美味い美味いと無味乾燥とした賛美を並べて何でもよく食べる。好き嫌いやアレルギーが無いからそこを考慮する必要が無いのは楽であるが、作り甲斐が無い奴ではある。

 

「一応、もし行くつもりなら止めはしないけども、善意の忠告をさせてもらうと、姉貴の家は止したほうが良いぞ」

「そうなの?」

 

 純粋に理由を問うような視線が向けられたので丁寧に頷く。

 

「こいつの部屋、いまゴミ部屋だから」

「やだな〜小物で溢れてるって言ってよ」

「それで床が毎回埋没するんじゃ世話ねえのよ、だらしない」

 

 姉の一人暮らし部屋は月1ペースで埋め立て地と化すので、その都度僕が片付けに行くのがここ数年の恒例である。

 当然片付ける僕にも打算はある。

 姉は部屋がゴミで埋もれる度にこうして帰宅しては実家に居座ろうとするのだ。そうすると僕の悠々自適な一人暮らしが脅かされる。家も汚れるし散らかる。実家から追い返す意味でも、僕は折りたくない骨を折って、動かしたくない筋肉を動かして、姉の一人暮らしヘルパーとしてワンルームを掃除に行っているのだ。

 

「我が弟ながら近眼的発想に囚われて本質を分かってないね〜。あのさあ栄太──人は生きてればゴミを出すんだよ?」

「凄い名言風に言ってるところ悪いけどマジレスさせてもらうと、僕はゴミを出すことには何ら言及してなくて、その先の掃除について言及してるんだけども」

「でも私、ほうきより重いものは持てないの」

「文脈が、ほうきより重いもの、であればほうきは持てるじゃん。掃除しろよ」

「私、ほうきより軽いものは持てないの」

「安易に逆を取っても修正出来ていないし、メラは打てないけどメラゾーマは打てるみたいな不可解な文章になってるぞ」

「つまりメラが打てるのならゾーマも打てるってこと?」

「そんなメラとゾーマを必要十分条件みたいに準えて言われても違うからな。ゾーマは決して魔法じゃない」

「え? ショタで抜けるならゾーマでイケるって?」

「自分の発言を空耳して卑猥に話を歪めるな! 何処から出てきたショタとゾーマ! いやゾーマは元からいたけども、それは人物としてのゾーマじゃなくて魔法としてのメラゾーマを勝手に姉貴が名詞分解して生まれたゾーマだからな!」

「ゾーマ……生まれる……ショタと……交配……?」

「言わせねえよ!? 僕は同人誌即売会でも超マイノリティージャンルになりそうな、極めて業の深い話をするつもりはない!」

「私、頭が軽い話しか出来ないの」

「そこでフォーマットを戻すのか! 全く、バカと言う気はないけども、バカバカしいとは思うけれども、その雑然とした話題の散らし方は姉貴らしいよ」

「でも一番軽いのはお尻かも」

「全てはそこに繋がるフリかよ! 下手だし雑だし意味分からないし、尻軽アピールしたいならせめて彼氏の一人でも作って出直してこい!」

 

 適当ばっか言いやがって!

 因みに不肖で下世話な姉ながら、こんな感じで都内国立大学に通っている。この姉一人で国立大学の品位とか権威を相当に下げそうで弟ながら大変心配になってくる今日この頃。

 

 瑞星を置いてけぼりにしてしまったなと思いふと目を遣れば、少し驚いたように口に手を当てていた。

 

「仲が良いんですね、お二人とも」

「まぁ恋人だからねえ〜」

「ホントに近親相姦なんですか!?」

「ちげえよ! 神に誓って断じて違う! 誰が姉貴となんか付き合うかよ!」

 

 なんてことを言いやがるこの姉! 社会的自殺を勝手にやるのは良いけど僕を無理心中に巻き込まな!

 それにホントにとか言った瑞星、お前もどういう意味だよ! 疑っていたのか!? 僕と姉の関係が爛れてるんじゃないかと最初から疑っていたのか!?

 

「でも神って死んでるし誓っても意味なくないかな〜? 何か強がりっぽいしね〜」

「うるせえ! 変な方向から揚げ足を取ろうとするな! たったいま近親相姦だの姉弟愛だの最悪な話に転げ落ちようとしているところを何とか拾おうとしてる所なんだから、火種を踏んで揉み消そうとしてる所なんだから、元凶は余計な茶々を入れてくるんじゃねえ!」

「火中の栗を拾うってやつだねえ。……拾う必要無くない?」

「拾わないと僕まで火達磨になるんだよ!」

「そーだ、前話した挙式の件だけど、栄太が18歳になったら結婚式挙げよっか。勿論費用は割り勘で」

「一から十まで記憶にない会話だが!?」

 

 お前と結婚とか姉弟云々の血の縁を除いても絶対に嫌だし、結婚式で割り勘とか聞いたことねえのよ!

 

 などなど。

 

 姉の与太話(僕としては与太で済まない可能性を危惧して毛骨悚然の思いだったが)に付き合わされた瑞星は、次第にクスクスと笑い始める。

 

「本当に仲が良いんですね。私もこんなお姉ちゃん欲しかったです」

「一人っ子なんだ瑞星ちゃん。三人家族?」

「はい。お父さんとお母さんと私の満ち足りた小さな家庭でした」

「今は二人……それどころか世界から忘れられちゃったんでしょ?」

「そうですね……」

 

 姉のデリカシーの欠片も無い明け透けとした言葉に、瑞星は仄かに顔に影を落とす。注意しようかとも思ったが、それが起因してまた話が大きく脱線して道なき道を突き進み大西洋を遊泳して、話の腰がブラジル辺りまで折れ曲がったら修復にまた時間がかかってしまう。干渉も容喙も我慢して、僕は姉の失言を聞き流した。

 姉は牛肉を米と一緒に頬張って、口を開く。

 

「まあ栄太の話が本当なら私も忘れちゃってるみたいだけどさ〜。本当に私たち、会ったことあるの?」

「はい。栄太くんとの繋がりで何度か」

「じゃあ私のことも、部屋が汚いこともオタク趣味も最初から知られたってこと? うわ~何だか狐に抓まれた気分になるねぇ。一番抓まれた気分になってるのは瑞星ちゃんの方だとは思うけどさ。でも探せば案外瑞星ちゃんのこと、覚えている人間とかいるんじゃないのかな。だって瑞星ちゃんは死んだわけでも消されたわけでもない。生きているってことは足跡を残すってことだよ。誰も覚えていないならともかく、栄太は瑞星ちゃんのことを覚えてるんでしょ。つまり或る時点から瑞星ちゃんはこの世界にふと現れた存在ではなくて、ちゃんと母親の股から生まれて高校生になるまで生きてきたってことにならないかな?」

 

 もしも誰も、僕すらも含めて、瑞星のことを覚えていなければ、瑞星のこれまでの存在を肯定する証拠が世界の何処に無かった。

 瑞星にとって、瑞星という同級生を覚えている僕の存在こそが、過去に瑞星がこの世界で十何年と生きてきた証人であり、世界五分前仮説ならぬ瑞星五分前仮説のようにある日唐突に表れた存在ではない証明であると、そういう話なのだろう。

 

 ……いや待て。本当にそうか?

 本当に僕だけが瑞星の来歴を証明できる存在なのか?

 

「記憶には無くても物は残ってるんじゃないか?」

「物?」

「ほら、例えば瑞星は知己の間柄に総当たりで連絡をしたって言っていたけど、つまりスマートフォンは持ってるんだろう。それに身に着けていた制服もだってゼロから生まれた訳じゃないなら誰かから買い与えられたってことになる訳で、それは人の記憶には残ってなくとも物は残っている証明だ。だから……ちょっと待ってくれ、探してくる」

「あ、うん」

 

 僕は席を立つ。二階にある自室へ戻ると、ガサゴソと進学時に貰ったばかりのプリント類を漁りまくる。

 瑞星の存在証明がはっきり立証できる証拠が手近にあるとしたら多分───あった。予想通り。これだ。

 

 僕は印刷された一枚のA4プリントを手に握ると、リビングへと戻る。

 若干訝しげになっている瑞星にその紙を僕は見せた。

 

「四月に学校からクラス割りを配られていたのを思い出したんだ。1年2組、出席番号28番」

「あっ、ある!?」

 

 瑞星は驚きから自分の名前を指差した。

 そう、あるのだ。

 瑞星瀬亜。

 その氏名は擦れすらなく鮮明な黒色で、この世に瑞星と言う存在を杭を打って肯定するかの如く、或いは僕からすれば当たり前のように、プリントには印字されていた。

 

「つまり~瑞星ちゃんは人には忘れ去られて、世界には忘れられてないってことになるね~」

 

 世界に瑞星は忘れ去られたと言っていたけども。

 事実は異なり、世界は瑞星瀬亜という同級生を覚えている。

 クラス割りに名前があるということは、学籍簿、戸籍、家系図、その他に至るまで残っている証明に他ならない。

 

「人間関係を除けば、少なくとも書類は諸々残っているだろうから学校に通うことは出来る」

 

 事実を口にしてみる。

 これまで通り、少なくとも、学校に通って進学して就職してと、社会生活を過ごす上での懸念は無くなった。

 無くなったとは言ったものの、家族友人その全てから忘れ去られること自体、言葉ほど簡単なことじゃないだろうけども。当事者ではない僕からしても、瑞星の立場がどれだけ大変かは察するものがある。

 

 書類があろうが、それだけだ。

 全てはデータでしかない。

 感情は途絶えてしまった。 

 帰宅だって難しいはずだ。

 帰宅出来たとしても、家族から他人と見られながら生活するのは針の筵に違いない。

 

 瑞星瀬亜は一人突如孤立した。

 誰からも慕われ囲われ、人気者だった瑞星は、他者との縁を喪失した。

 

 それがどれだけの痛みか、苦痛か、艱難辛苦か。

 分かるとは言えないけど、想像はできる。

 何故なら僕は雨降る公園で瑞星の涙を見てしまった。見てしまった以上は見なかったふりは出来ない、なんて綺麗事を言う気はないけれども、他の誰もが忘れ去った瑞星を唯一覚えている僕が、瑞星の涙まで忘れてしまったら、それこそ世も末だと思ったのだ。

 

 

 

 

 

 僕の両親は仲は良いものの、互いに独立をしている。共働きしていて経済的に自立しているのもあるが、精神的にも、家庭構造としても独立している。二人の私室は別々で、敢えて予定をすり合わせて家族の時間を過ごすことも滅多にない。そう言えばサハラ砂漠みたく乾燥した家庭環境と思われるかもしれないけども、実際それは第三者からすれば事実かもしれないけども、逆に言えば両親が放任主義だった御蔭で僕と姉は異性で年齢差もある中で仲良くやってこれた。だからこれは結果論でしかないが、左藤家の家庭環境は個人的にそこまで悪いものでないと思っていたりもする。両親が喧嘩してるわけでもないし、況してや別居状態で離婚危機でもないし。本当にただ、あの2人はそういうスタンスで二十年余りの結婚生活を送ってきているというだけで。

 

 話の焦点が少しズレてしまったけど、我が家には父と母の部屋が一つずつ存在する。 

 その日、瑞星は母親の部屋で寝た。

 瑞星は部屋に行く瞬間まで寂しさも不安さも滲ませず、笑顔を浮かべ続けた。

 

 空々しさというか、痛々しさというか。

 

 そんな感傷を僕が瑞星に抱くのは当然だったのだろう。

 瑞星の事情も、瑞星の不安の種も、瑞星よ泣き顔まで見てしまっているのだから。

 理解。

 理解している僕からすれば、僕が瑞星の立場ならば、無理だ。耐えられないほどじゃないけど、耐えられるほどでもない。碌な人間関係を保有していない僕ですらこう思うんだから、人脈大富豪の瑞星であれば比べるべくも無い。

 

「栄太さあ、拾うのは良いけど、どこまで面倒見る気なの?」

 

 瑞星がリビングから去った後に、洗い物をしている僕を傍目に姉は言った。

 

「今から元の場所に戻してきなさいなんて言わないけどさあ、拾った以上は責任が生じるってこと分かってるよね? 解決しなさいなんて大上段から姉貴面する気はないけど、落し所を考えるくらいはした方がいいんじゃない?」

 

 更に姉は僕の軽率な行動を咎めるような口ぶりで言う。

 正論だった。

 正しく論われた。

 瑞星を永遠に居候させる訳にもいかない。一応ここは家族の家で、稀ではあるものの親だって帰ってくる住処だ。一時的ならともかく月単位、年単位となってくれば話は変わってくる。況してや両親揃って個人主義の強い気質だから余計に。

 

 しかし何の解決もしないまま瑞星を外界へ放逐し、露頭に迷うの善しとするくらいなら僕は端から瑞星を家に泊めていないわけで。

 

 だから元の生活に戻れるように、僕は瑞星のことを手伝う必要がある。

 その方法、手伝い方。

 窓の外から流れた流れ星を漠然と見ながら、僕は考え続けた。

 

 そうして、日曜日の昼。

 僕と瑞星は、家から徒歩3分も掛からない場所に存在する瑞星の実家に来ていた。

 

「なんか、他人の家って感じがする」

 

 瑞星は馴染みあるはずの建物の前で立ち竦むと、僕へと不安げに目配せしてきた。

 今ばかりは笑顔も影を潜めさせている。

 無理もない。

 昨日の朝、家族から追い出された家である。

 多かれ少なかれ、実家に苦手意識やトラウマを感じても仕方のないことだ。

 しかし目前、乗り越えなくてはならない壁でもある。

 

「行けるか?」

「う、うん……自分のことだし、頑張ってみるよ……だからちょっと待って」

 

 僕の心配に弱気に答える瑞星。

 思考の整理が必要らしい。

 僕は横目で指先を震わせる瑞星の様子を確認しつつ、今でに至るまでを思い返す。

 

 今日のプラン。

 昨晩僕が考えて、瑞星が一つ返事でオーケーと言ったプラン。

 それは瑞星家の両親に対する直談判だった。

 勿論、感情に訴えかけて「この子は瑞星瀬亜、あなた方が忘れてしまった瑞星家唯一の子供で、見ての通りボーイッシュ美少女です!」と主張するだけで事態が簡単に解決するとは思っていない。いや、それで終わるようであれば楽だろうけど、現実は困惑されて次に迷惑行為と思われてしまう気がした。

 だからこそ必要なのは論理。いや、この場では証拠と言ったほうが正しいか。

 

 プランの始まりは最寄りのコンビニエンスストアからだった。

 最近のコンビニは便利なもので、店内備え付けの複合機で様々な公的証明書のデータを取り寄せで印刷することが出来る。

 

 瑞星は普段から財布の中にマイナンバーカードを入れていた。昨今は保険証すらマイナンバーカードに置き換わってるご時世なので、所持していること自体、とても自然な話だったと言えよう。

 これはGoogle先生にお伺いを立てて初めて知ったことだが、なんとマイナンバーカードさえあればコンビニの複合機で戸籍謄本の写しが取得できるという。ビバ令和。ビバICT社会。

 

 戸籍謄本を取れるのならば話は簡単だ。

 瑞星瀬亜を世界は覚えている。

 世界は瑞星瀬亜を忘れていない。

 

 戸籍謄本には瑞星瀬亜の名前が記載されているはずだ。 

 そこにはまた瑞星の両親の名前も続柄と共に記載されているはずで、この公的書類によって瑞星と両親との家族関係を証明出来るという、そんなプランだった。

 

 厳密を期すのであればDNA鑑定が一般的かもしれないけども、瑞星本人はともかく瑞星の両親がそれに頷くかは怪しい。

 故に瑞星には戸籍謄本の写しを取ってもらった。

 

 印刷された戸籍謄本の写しには予想と違わず、瑞星家三人分の名前が存在した。

 瑞星瀬亜とその両親。

 三人家族。

 子供無し二人暮らし夫婦であれば絶対にあり得ない、続柄欄に書かれた子の文字。

 

 マイナンバーカードを複合機に翳すことで取り寄せられる書類。

 そう、戸籍届の写しだ。

 

「私さ……多分、お父さんとお母さんから認知されてもこの家で暮らせないと思う」

 

 僕は目を瑞星に向ける。

 臆しているのか、まあそれも仕方ない、と思ったけども瑞星の顔を見ると違うようだった。

 瑞星家の一戸建て、その玄関前のポストを眺めながらも双眸は別の何かを見ているような、そんな儚い表情。

 

「違うんだよ。私と二人の温度感と言うか、記憶の有る無しと言うか、感情の差異と言うか。上手く言葉にするのは難しいんだけど、すれ違っているんだ。擦れちゃってるんだ」

「瑞星……」

「ううん、こんな話をしちゃったけどさ、でもそれは栄太が気にする話じゃないから良いんだ……あ、でも私のことを思い出すまではお世話になるかもだから、それはごめんだけど宜しくね」

 

 絶句。

 何を言うのが正しくて、何を言えば瑞星の不安を和らげられるのか分からなくて、僕は無言になった。

 

「ああ。じゃあそろそろ鳴らすか」

「ちょ、ちょっとだけ時間が……心の準備がさ……あはは……」

 

 先ほどまでよりも明らかに弱く、息も絶え絶えといった表情でか細く笑った。

 

 僕は瑞星のことを殆ど知らない。学生生活で見知った知識はあれど、本当に、それらは全て表面上の情報で、それ以上のことを僕は知らない。

 だからこそ意外だった。

 瑞星瀬亜は強者だと思っていた。

 昨日こそ衝撃的に気分が沈んで、逃避していたが、一日経てばある程度メンタルを取り戻して再び瑞星瀬亜らしい明るく前向きな姿勢を取り戻すものだと勝手に思っていた。

 だからいざ瑞星家のインターホンを鳴らす直前になって、瑞星瀬亜が怯懦に足を竦ませて、時間を使って二の足を踏んで、僕なんかに弱音を吐くなんて。

 予想だにしていなかった。

 

 でも考えてみれば当たり前だとも思った。

 等身大の瑞星瀬亜はただの少女だ。

 虚勢を張って自分どころか他人までを守ろうとするから勘違いしていたけども、スーパーマンでも圧倒的強者でもない、ただの女子高生なのだ。

 

「インターホン、押さないと進まないぞ?」

「ま、待って……! 私、もうちょっとしたら出来る気がする!」

「夕方まで付き合う気は僕は毛頭ないからな」

「あっ!」

 

 10分待っても決心がつかない瑞星に代わり、僕がインターホンを押す。

 瑞星は僕の行動に表情を蒼褪めさせて目を固く瞑る。

 すぐに住人である瑞星の両親はインターホンに出た。母親らしき声だった。

 

『はい?』

「あ、僕はこの近所に住む左藤と言うんですけども、少々対面でお話ししたいことがあるんですが今宜しいでしょうか?」

『左藤さん? もしかして左藤さんの息子さん? 分かりました、今行きますね』

 

 プツンと切れた。

 すぐに玄関ドアが開錠される金属音が鳴り響く。瑞星の肩がびくりと跳ねた。

 

 ドアから現れたのは瑞星の母親だった。見覚えがあった訳じゃないけど、相貌を見れば姉にしては失礼ながら年を重ねて過ぎているし、母親くらいの年齢が妥当と思い判断してのことだった。

 

「こんにちわ。左藤さんの息子さん、だったかしら?」

「左藤栄太です」

「そんな名前だったわね。私も一度聞いただけだったからすっかり名前を忘れていて……それで話というのは?」

 

 一度間を置く。

 

「瑞星瀬亜さんについてです」

 

 僕は瑞星……この場合は隣で俯き続ける少女に目を配る。

 瑞星の母親はその容姿を見て、眉間の皺を深くした。

 

「貴方……昨日の朝不法侵入していた子ね?」

「それが不法侵入じゃないとしたら?」

「不法侵入じゃない?」

「まずはこれを見てください」

 

 僕は瑞星の背中を軽く叩いた。

 弾かれたように瑞星は手に持っていた戸籍謄本の写しを差し出す。瑞星の母親は怪訝な目をしながらもしげしげと受け取った。

 

「それは今朝取得したものになります。ここで見てほしいのが、戸籍には子供の名前がありますよね。瑞星瀬亜……ここにいる彼女は貴方の娘なんです」

「娘……」

「瑞星瀬亜は今、あなた方家族を含め、知人友人、その全員の記憶から消えてしまっているんですよ。その理由は分かりません。ですが、戸籍謄本にはこうして残っている。昨日の朝不法侵入に見えたのは、ただ普通に生活していただけなんです。あなた方家族と一緒にね」

 

 瑞星の母親は無言で戸籍謄本の写しをじっと睨んでいる。

 まるで粗を探しているような目つきだ。

 実際そうなのかもしれない。

 普通に考えて、複数人の記憶から一斉に消えるなんてあり得ない話だ。

 僕と瑞星が悪質な悪戯で戸籍謄本を偽造してホラを吹いていると考えた方がよっぽど現実的に見える。

 

 やがて瑞星の母親は紙から目を反らして溜息を吐く。

 

「これは……本物に見えるわね……」

「お、お母さん……」

 

 瑞星の声に反応して、そちらを視認した。

 

「でもあり得ないのよ」

「あり得ない?」

「だって瀬亜は……死産したのよ」

 

 死産した。

 即ち、出産時点で胎内の赤ん坊が死んでいた。

 

 それは僕にとって、瑞星にとっても、ちゃんちゃらおかしい話だ。

 何が変って、言うまでも無く、瑞星瀬亜は生きている。

 食事をして、息を吸って、笑っている。

 もしも隣で表情を固まらせた瑞星が幽霊だとしたら理屈は通るが、筋が通らない。だって僕には記憶があるのだ。瑞星とは小学校から今現在に至るまで、ずっとクラスメイトとして過ごしていたという記憶があるのだから、それは絶対にあり得ない。

 

 ……いや。

 絶対に、とは断言できるものではないのかもしれないな。

 記憶というのは主観によって不確定かつ曖昧に歪むこともある。僕だって幼稚園時代、瑞星と喋った記憶が無いけども、姉の言葉によれば幼馴染として仲睦まじい感じだったらしいから、無条件に信用していいものではないかもしれない。

 目の前で娘の存在を認めない瑞星の両親だって、どうも嘘や冗談で言っているようには見えない。本気で瑞星瀬亜は死んだと考えている。少なくとも目の前の母親にとって、瑞星瀬亜は既に故人という認識が確立している。

 だからこそ瑞星の母親は猜疑心と混乱を半分ずつに眉を顰め、僕と瑞星の言葉に不可解さを感じている様子だった。

 

「死産というのは……失礼ながらいつ頃のことですか?」

「15年前……無事に生まれていれば丁度、貴方と同じくらいの年になるのかしら」

 

 瑞星の母親は娘の顔を他人行儀に一瞥する。

 15年前。

 瑞星も誕生月は確か12月。現時点で15歳。

 

「でもそうはならなかったの。瀬亜はこの世にもういないのよ」

「そんな……私は……」

「貴方のことは知らないし、何で死んだ瀬亜を名乗っているのかも分からないけど、私たちの娘と言われて素直に頷けるわけないじゃない。戸籍謄本だってそれ、よく見ればコピー用紙に印刷されたものよね。そんなの幾らでも偽造できるから証明にはならないわよ」

 

 毅然とした拒絶。引く気はない───というか、目の前の人物の認識は強固なのだ。彼女の記憶にはもしかしたら娘の死の光景が今も焼き付いて残っているのかもしれないと邪推してしまうほど、瑞星を見る目は厳しい。

 徐々に不信を露わにし始める母親を前に、瑞星は何も言い返せなくなっていた。視線は母親の顔から地面へ、両肩は力が抜けて、完全に萎縮してしまっている。

 

 確かに、瑞星の母親の言葉は間違っていない。

 戸籍謄本の写しなんてやろうと思えば偽証できると言う見解は、瑞星サイドに立つ僕からしてもその通りだと思う。紙幣のように特殊印刷も無いのだから当然だ。戸籍謄本の生データが無くともこの令和時代、AIに撮った写真を読み込ませて、プロンプトを打ち込み、画像生成すれば似たものは作れてしまう。

 

 だが、しかし、このままだと追い返されて終わりだ。 

 

「DNA検査しませんか? 検査をすればこの女の子が、僕の幼馴染が貴方がたの娘だと確実に証明出来ると思います」

「話にならないわ」

「それなら戸籍謄本、住民票を取ってもらえれば」

 

 瞬間、瑞星の母親が口を大きく開けた。

 

「死んでるの! 私の娘は何年も前に、産声すら上げることなく、私の手の中で死んでしまったの!」

 

 と、言い過ぎたと考えたのか、話を落ち着かせるように大きくため息。

 

「今でも冷たい感触が手に残ってるのよ、死んでしまった娘の冷たい体温が。あの感覚を……あの深い絶望を……掘り起こさないでもらえるかしら」

 

 瑞星の母親はそう言って、疲れたように玄関のドアを閉めた。

 ガチャリ、と金属の施錠音が響く。

 それは瑞星と家族との縁が、冷たく閉ざされた音。

 この世界から、瑞星瀬亜の実家が失われた音だった。

 

 

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