決意を新たに改めたのはいいものの、根性論だけで事態が解決するわけでもなく、僕は瑞星を引き連れて一旦家に帰宅することにした。
一時撤退、と言うか元の木阿弥。
瑞星は案外簡単に僕の家へ戻ることを了承した。
多分、発見時点で僕が連れ戻すことを予見していたのだろう。
正直助かった。
これで「私栄太の家には行かない。世界を旅するバックパッカー系動画投稿者として生計を立てていくんだ」とか言い始めようものなら強引に連れ帰れねばならなかったので、素直に後ろを付いて来てくれるのならとても助かる。
「ねえ栄太、心配しなくても私は逃げないよ? そんな無理に手を繋がなくても」
ただし、右手は拘束させてもらうが。
僕は自転車を押しつつ、反対の手で瑞星の手を握っていた。
否。
拘束していた。
「朝から家出した人間の言葉を信用するほど僕はお人よしじゃないんだよ。これは罰だ。罪状を付けるなら、見知らぬ男子高校生に手を繋がれ罪」
「軽い罪だね。全然罰にも罰ゲームにもなってないよ」
ちょっとした仕返しの意図も含めていたつもりだったが、瑞星は余裕そうにクールな笑みまで漏らす始末。
ふむ……。
女子なら絶対に嫌がると思ったんだが……。
でもそうか。
コイツは僕を本当の意味で幼馴染として認識しているから、これくらいじゃ十分な罰にならないのかもしれない。
というかそうじゃん。
瑞星、僕に全裸見られてもケロッとしてたわ。
全裸見られて大丈夫な奴が手を触られたくらいで恥ずかしがるわけもないか。
寧ろ不用意に細部隅々まで見ちまった僕の方が恥ずかしいわ。
色素の薄い艶やかな肌色に盛り上がった双丘、果ては臀部まで見せつけやがって。
折角無かったことにしようとしてたのに、あまりにも当時の情景がエロ過ぎて鮮明に思い出しちまったじゃねえか。
つまり僕は悪くない。
逆説的に瑞星が悪い。
これは逆セクハラだ。
健全な男子高校生の精神への加害行為だ。
ってことは、僕には逆セクハラに対して順当なセクハラでやり返す正当な権利が発生するんじゃなかろうか。だって瑞星の逆セクハラによって僕の精神は著しく乱れてしまっている。好転させるには対消滅を狙うほかあるまい。オーケーだ僕。据え膳食わぬは男の恥、ここで引いたら男が廃るぜ。
待て待て。
権利の行使は良いが、程度も考えるんだ左藤栄太。少なくともラッキースケベでもないのに、例えば正々堂々と胸を鷲掴みにするのは流石に過剰セクハラだ。許されない一線を越えたらまた別の話。適正なセクハラ行為から逸脱しないベースラインをしっかり見極めて、適切かつ公平にセクハラを敢行する必要性がある。
「それってただの性欲じゃん~うわ~弟ながらキメ~」と今頃ゴミ部屋にてBLエロ漫画だか百合小説の読破に勤しんでいるだろう脳内エア姉の戯言を足蹴りして、ゴクリと僕はつばを飲み込む。
今までの話で僕のことをさながら変態大和男児と見縊られてしまっていたら困るから、誤解を解く意味でも明言しておくけども、個人的見解として局部や胸を触るのはNG。最悪、赤電灯がグルグル回るパンダ柄の車に押し込められてしまう。
それに状況的にそんな真似は無理だ。
なにせ僕は今、左手でこの道中ずっと僕の足になってきた相棒の自転車を押しながら、右手で瑞星の手を掴んでいる訳で。あまり大きなアクションは取れる状況ではない。
だから出来ることと言えば、瑞星の右手を堪能するくらいだろう。
即断即決。
早速行動に移すべく指をそっと動かしたり力を込めたり、サスサスとしてみたりする。
うわ、瑞星の手なんか……凄いスベスベしてて……牛革の財布を撫でるみたいな触り心地の良さがある!
ゴツゴツしてなくて弾力もすげぇー!
女の子の手、超柔らかけぇ!
「ね、ねえ……何でそんな入念に手を揉んでいるのかな」
「ちょっと手が指が局所的に痙攣して僕の言うことを聞いてないだけだぜ。気にすることはないんだぜ」
「いやいや執拗に揉まれたら気になるよ? それでその似合ってない語尾はどうしたのかな。動揺して出たにしては露骨だしあざといと私思うなあ」
「僕は元々こういう語尾を生まれてこの方16年使い続けてるんだぜ」
「0歳で喋りを覚えた天才児の可能性もあるけどさ、取り合えず言いながらも手が動き続けてるのバレてるからね? バレてるの分かっててやってるよね?」
「それでもやってないんだぜ。魔理沙もやってないって言ってるわよ瑞星」
「ゆっくり一人二役で自己弁護しちゃってるじゃん……。あといい加減私の手をモミモミするのはやめようね!」
右手が思い切り振り払われてしまった。瑞星の筋力は僕よりも大分強いため簡単に振り解かれてしまうのは、仕方ないとはいえ、男として若干傷つく。
それにしても、報復が早くに終わってしまって残念だったなあ!
瑞星の右手がマシュマロみたいなメリハリとしなやかさを両立させた肌感で、つい長時間その弾性を堪能してしまったなんて事実は存在しなくて本当に残念だったなあ!
瑞星は手が離れた隙に半歩後ろへと僕から距離を取る。
気のせいか頬を上気させながらも、じっとりとした三白眼を浴びせられている気がする。
なんでだろう。
凄く今、言い訳をしないと今後の僕の立場が危ぶまれる気がしてきた。
過去のセクハラを逆セクハラで相殺しただけなんだけども。
やっぱり本人への事前通告がないままに私刑を執行したのが悪かったんだろうか。
「ええと、今の行動原理を説明するからどうか落ち着いて良く聞いてほしい」
「うん、じゃあ私の納得行く説明をどうぞ、右手フェチの栄太くん」
吉良吉影みたいに言われてしまった。
確かに穏やかな生活を切望しているという点においては僕と共通する部分はある、がしかし、僕は爆弾魔でもなければ美しい右手に興奮する特殊性癖も持ち合わせていない。
そんなわけで、僕は一昨日の夜の全裸目撃事件を踏まえつつ先ほどの行動に至ったプロセスを嚙み砕きながら紳士的に説明した。
かくかくしかじか。
セクセクハラハラ。
瑞星は要所で頷きながら、就職面接なら確実に満点を叩き出すだろう優等生然とした相槌を返しつつ、先程の行動の仔細を聞き終えると、優し気な笑顔で言い放つ。
「……ごめんね。疲れてるんだよね。今日は朝から私を探し回りながら、私の事情を解決しようとしてくれてるんだもんね。ごめんね栄太。ごめんよ栄太」
「方針転換と謝罪が唐突過ぎて怖いなおい……なんだ、何の裏があるんだ?」
「裏なんてないよ、失礼だな───本当に今日はゆっくり休んだ方がいいよ。ぐっすりと。熟睡してさ。大丈夫、明日には楽になってるから」
「優しくされても全く身に覚えなんて無いんだけども……やけに熟睡を押してくるからまさかとは思うが寝首を搔くつもりか!? その帰宅部ながらも卓越した筋力で頸椎を砕く気か!?」
「いや、うーん。頭かな」
「頭ごと!?」
「それと喉と鳩尾」
「沖田総司の三点突き!? 寝てる相手に取る攻撃コマンドじゃないだろ!」
「大丈夫大丈夫、素人の三点突きだから外れるって」
「無防備に寝てる相手に外すわけあるか!」
「そんなことないと思うよ、私剣道やったことないし寝返りされるかもしれないし。それにほら、多分外れても鳩尾の代わりに硝子体が潰れるくらいで留まると思うから、栄太は安心して眠ってね」
硝子体───眼球の器官の一つ。眼球の外側を覆う強膜と共に眼球の形を保つ役割を担い、また外力を分散させる作用と持つとされる。
以上、ウィキペディア参照。
「留まってねえよ!? より悪化してんじゃねえか!」
「知ってる? 人間って片目が無くなっても生きていられるらしいよ?」
「そりゃそうだろうが、今僕は生存の懸念じゃなくて今後の生活の懸念をしてるんだよ!」
「大丈夫、外さなかったら視界は無くならないからさ」
「そしたら死骸になるだけだもんな!」
僕の運命は死か失明しかないのか!?
幾ら何でも手をにぎにぎと触って感触を楽しんていただけの代償が重すぎる!
「でもさ、優しくされる身に覚えがないって言うけど、私には栄太に優しくする身に覚えがあるんだけどなぁ」
「止めろよ。僕は僕のエゴで動いているだけであって、恩を着せるつもりでやっているわけじゃないし、まだ何も出来てないんだぜ?」
「知ってる。だから私が勝手に恩に着てるだけだし、何かは出来てる」
「何かってなんだよ。中途半端なこと言ったら即座に反論してやるからな」
「私とこうしてお喋りしてくれること」
「……。」
つい押し黙ってしまった。
あまりにも率直で明け透けとした回答だったもんで、僕も耳が熱くなってくる。
「最近は全然喋ってなかったけど、ホント変わらないよ栄太は」
「言動が子供っぽいとか精神が中学生から変わらないって意味なら我ながら白状して認めざるを得ないけども、面と面を向かって言われれば僕だって傷つくんだぜ?」
「ううん、そういう意味じゃないって」
何かが可笑しいように。
何もが可笑しいように、瑞星は薄く静かな笑みを滲ませる。
「偏屈家だよね栄太って」
「そんな社会不適合そうな職業に就いた覚えはないぞ僕は」
「褒めのニュアンスで言われてるのを理解して、わざと曲解して茶化す癖が好きだよ私は」
「解説されると居た堪れない気持ちになるなあ……うん?」
好きだよって今言ったか?
好きって、まさか日本語ではライクとかラブを意味する動詞『好く』の連用形のことか?
いやいや、隙かもしれない。
僕は文字通り隙だらけだった。
「わざと曲解して茶化す癖が隙だよ」と文章にすれば破綻していない気がするし。
はたまた鋤とか空きとか数寄かもしれない。
その場合は僕が知らないイディオムや慣用句の存在を疑う必要性が出てきてしまうが。
うん、日本語ってのは同音異義語が多くて発言の意図を正確に掴むのが難しいな。
まさかストレートな意味合いじゃあるまいし。
僕が云々と考えていると、瑞星は前髪をじれったそうに耳後ろへと掻き分ける。
「私が困ってたら手を差し伸べるのも、昔から変わらないよね。私のことを忘れても栄太は栄太だね」
「そう言われても反応に困るんだけどな」
全然覚えてないんだけどな。
という言葉を形にするのは無遠慮かと思って、不自然な文章で言葉が止まる。
瑞星の中には僕の知らない左藤栄太との記憶があるのだ。それを僕が否定して汚すのは間違っている。
頑張って思い出せれば一番良いんだけどな。
一回、ショック療法として頭を思い切り電柱にぶつければ思い出すかもしれない。
……まあないよな。ないか。
物理的に忘れたわけじゃないし。
「言っておくが僕はお前が思うほど聖人君主でも博愛主義者でもないんだって。例えば、瑞星が美少女だから、何かお返しが貰えるかもっていう期待と下心在りきで助けただけかもしれないだろ」
「ふーん。私のこと、美少女って思ってるんだ」
「論旨はそこじゃない!」
こいつ、僕を揶揄おうとしてるな!
今回は隙を見せた僕が悪かったが!
ふふっと瑞星が息を漏らして僕を見た。
「例え話に乗ればいいんだね。なら、私はお返し在りきでも構わないな」
「僕が言うのも変な話だけども、もっと自分のことを大切にした方がいいぞ。簡単に言っていい言葉じゃないからなそれ」
「大切にしてるからこそ、カードを切るタイミングは選んでるつもりだよ」
「おいおいおい、瑞星、お前は僕の本性を見誤っている。それこそ、じゃあ返礼品としてその大きな胸を揉ませてくれと、僕が言わない根拠も無いんだ。カードを切るタイミングって言うんならそれこそもっと慎重にだな」
「なら揉んでみる?」
「…………………………はい?」
思考停止。
吃驚仰天。
二丘豊満。
いやそんな四字熟語は無いのだが、つい視線が瑞星の胸元に行ってしまった僕を誰が責められよう。
弾かれるように瑞星の顔を見た。瑞星は泰然自若とした態度のまま首を傾げて、そのまま男らしく───標高的にはこれ以上無く女性らしいが───とにかく胸を張ると「はい」と短く言った。
コース料理の如く丁重に眼前へと差し出された両胸に暫し茫然。
普段ならば月より遠い場所に鎮座する母性の象徴が、すぐ触れられる位置にあるその非現実的な現実に、僕は本能的に腕を伸ばしかけて。
───いや駄目だろこれは!
「いや、はいじゃないが!」
「揉まないの?」
何でこいつはこんなにもいつも通りなんだよ!
結構恥ずかしいというか、緊張するシチュエーションだろ?
羞恥心とか無いのか?
今時の女子高校生は経験豊かだから慣れたもんってか?
「僕がいつ何時何分地球が何回回った時にお前の胸を揉みたいだなんて言ったんだよ!? あくまで例えだ例え!」
「例えなんだ、へー。でも視線は正直だね、へー」
「そそそそそそんなことはねえよ!」
図星だった。
滅茶苦茶どもった。
取り合えず胸に固定されかけていた不埒な視線は空へと放り投げておいて。
「で、揉むの? 揉まないの?」
「も、揉まない! 僕がここで猥褻行為を働いてしまったらこの作品の今後が官能小説へと路線変更しちまうだろうが! つまり僕の手に世界の命運が掛かっていると言っても過言じゃない!」
使命感に突き動かされて僕は手を引っ込める。
いやな、全然残念とか思ってないけどな!
これっぽっちも心残りなんてないけどなホントに!
「なんか私の胸を不適切コンテンツみたいに言うじゃん」
「不適切っつーか、堕落的っつーか」
僕の弁明にもなっていない弁明に瑞星は口を尖らせると、つかつかと距離を縮めてきた。
「えいっ」
「あぶな!」
僕に胸を押し付けようとしてきた。
いやなんでだ!
もしかして当てつけか? 僕への嫌がらせか?
「なにをしやがる!?」
「そこまで避けられると嫌でも触れさせたくなっちゃった! この私の突進を避けられるかな?」
「やっぱ痴女かよお前!」
「え、やっぱって何!? いつ痴女って思われたの私!? ああもう、こうなったら意地でもパイタッチさせて栄太を究極変態おっぱい星人にしてあげるからお覚悟!」
僕に屈辱的な称号を押し付けるのが目的か!?
だとしたら絶対に避けてやる!
意地でも僕は変態おっぱい星人なんて称号、受け取らないからな!
そこからの描写は見た目上はただの鬼ごっこなので省略。
違うのは僕が自転車に時折乗ってチートしたことと、瑞星が割とガチで自分の胸に僕の身体の一部を触れさせようとしていたことだった。もしこの世界で多種多様に存在する鬼ごっこの中でおっぱい鬼というローカルルールが無ければ、僕と瑞星が世界初のおっぱい鬼の考案者になれるだろう。ただ致命的なのが一点、参加する男側の社会的人権が一切考慮されていないので絶対に流行ることは無いだろうが。つーか流行ったら世界の終わりだ。
結果を述べればそんな鬼ごっこに僕は勝利した。瑞星の胸から逃げ切ったのだ。
……事実とは言え文章にすると酷い日本語だな。
ともかく、瑞星を連れ戻すことには成功。
あとは瑞星の現状を解決できれば言うことはないんだけど。
「今日は星が良く見えるんだって」
夕飯後、瑞星は窓越しに夜空を眺めていた。
流れ星は今のところ流れていないが、もし出現すれば容易に観測できそうだ。
「頼むから何も願うなよ?」
「信用無いね。私が何を忘れさせるって言うのさ」
「僕から瑞星の記憶を消し去って今度こそ一人旅に出る……とか」
「やらないやらない。もうそういうことは考えないことにしたんだ私」
もう、なんて言っている時点でさっきまで考えていたのがバレバレなんだけど、考え直してくれているのなら何も言うまい。
「これ以上、栄太に忘れられたくないからね」
「そりゃ光栄だな」
「私が男子だったら栄太とは往年の大親友になってただろうね」
「普通そこは『私が女だったら』って前置きの上で言うセリフだろ」
「男女じゃ大親友になれないじゃん」
どうも瑞星は男女の友情は成立しない派のようだった。
僕も同感である。
大抵は大親友になる前に男女どちらかが恋愛感情を抱いて、カップルが成立するか関係が破綻するか、その二つに帰結するだろう。多分。漫画とかじゃ大体そんな感じだし。
「ともかく、明日は学校に行くんだよな?」
「……うん。休み過ぎても出席日数が足りなくなるし、大学進学にも響くだろうから」
───大学進学出来るかは分からないけど。
瑞星は小さく呟く。
「まぁー僕もいるから大丈夫だ。何かあっても先生には僕が説明してやるし、それでもごちゃごちゃ言われたら学籍簿奪って見せつけてやるさ」
「それはやり過ぎだけど気持ちは嬉しい。蒸し返すようだけど本当に私、栄太には感謝してるんだ」
「わぁーってる。蒸し返すな気恥ずかしいな。そういう感謝の言葉は全てが終わった時に言ってくれ」
「栄太がそう言うなら矛を収めるしかないね。うん。でも解決したら嫌ってほど賛美の言葉を浴びせてあげるから覚悟しておくように!」
矛って言っちゃってることには気づいていないご様子。
だが瑞星の言う通りだ。
本気で称えられたり感謝されるたりするのは性分に合わない。
学校生活の描写が今のところ1文字たりとも存在しないから読者からは忘れかけられているかもしれないけども、僕はひっそり自分の影に籠ってひんやり穏やかな生きていたいのである。
───でも、まあ。
瑞星に言われるのならば、悪い気はしないかもしれない。
その日は流れ星は発生しなかった。