いつもの放課後、部室へ向かおうと廊下を歩いていたその時だった。
教室の入り口で談笑していた女子グループの声が、不意に耳に飛び込んできた。
「ねえ、明日ってホワイトデーだよねー」
「あ、そうだった! お返し、ちゃんともらえるかな?」
「知ってる? ホワイトデーのお返しって、贈るものによって意味があるんだって」
その言葉を聞いた瞬間、俺たち三人の足がピタリと止まった。
まるで見えない壁に激突したかのように。
「……明日」
天馬が、魂の抜けたような声で呟く。
「三月、十四日……」
信助の顔が、見る見るうちに青ざめていく。
「マ、マズい……! 完全に忘れてた……!!」
俺たちは今、ホーリーロードで快進撃を続ける雷門イレブンの主力だ、学校内での注目度は爆上がりしている。
一ヶ月前のバレンタイン……俺たちがもらったチョコの数は、一年前とは比べものにならない量だった。
だから当然と言えば当然だが――
「僕……もらったかも」
信助が小さく言った。
「俺も……」
天馬も苦笑いを浮かべる。
そして二人の視線が、同時に俺に向いた。
「コウは?」
「……そこそこ」
脳裏をよぎるのは、一ヶ月前に紫からもらった、あのマフィン。そして、名も知らぬ女子生徒たちから託されたチョコ達。
「お前ら金あるか?」
2人は気まずそうに目を逸らした。かく言う俺も今はそこまで金に余裕があるわけではない。
「ど、どうする?」
「仕方がない……ここは手作りだ!!」
*
練習の後、俺の家である『お日様園』の台所を借りることになった。
集まったのは俺、天馬、信助の三人に加え、天馬に「いっぱいもらってるだろうから呼んだほうがいいよ!」と無理やりつれてきた剣城。そして、ここで暮らしているがゆえに逃げ場を失った狩屋。さらには「僕もお手伝いします!」とやる気満々の影山まで加わった、一年生フルメンバーだ。
「……なぜ俺がこんな所に」
不機嫌そうに、しかし律儀にエプロンの紐を結びながら剣城が睨む。
「いいじゃん剣城は特にもらってるだろうしさ」
「チッ……」
「あーあ、俺はなんでこんな重労働に巻き込まれてるんですかねぇ」
狩屋がわざとらしくため息をつきながらボウルを用意する。
「まあまあ、狩屋くん。みんなでやれば楽しいよ!」
影山がキラキラした笑顔でフォローを入れるが、現場の空気は、試合並みの緊張感に包まれていた。
*
いざ調理が始まると、意外な「実力差」が浮き彫りになった。
「コウって意外と料理できるんだね」
天馬や信助、影山が、ボウルを抱えたまま目を丸くして感心している。
「以外は余計だ。お日様園じゃ小さい奴らがいっぱいいるからな、たまにこうやっておやつ作ってやらないと、すぐ腹減ったって暴れ出すんだよ」
俺が慣れた手つきでバターと砂糖を練り合わせると、隣で狩屋が面倒くさそうに卵を割り入れた。
「俺は、こいつに無理やり手伝わされて覚えさせられただけ……あーあ、俺の貴重な時間が小麦粉に消えていく……」
「……レシピ通りに手順を踏めば、誰でもできるはずだ」
剣城はそう淡々と言いながら、寸分狂わぬ精度で型を抜いていく。どうやら剣城は、フィールド外でも意外と器用なタイプだったらしい。
オーブンから、バターの香ばしい匂いが漂い始める。
焼き上がったのは、黄金色に輝く大量のクッキー。表面はサクッと、中はしっとり。見た目も味も、売り物に出せるレベルの出来栄えだった。
「よし、あとはこれを個別に包装するだけだな!」
俺たちは一列に並び、冷めたクッキーを一つずつ透明な袋に入れ、リボンで結んでいった。
作業が終盤に差し掛かった頃。
俺は、机の上に並んだ袋の数と、手元のリストを脳内で照らし合わせ……指先が止まった。
(……待て。数が一つ合わない)
何度数えても、あと一個、足りない。
「コウどうしたの?」
天馬が不思議そうに顔を覗き込んでくる。
「……あ、いや。なんでもねえよ。ぴったりだ!」
俺はとっさに嘘をついた。実はもうクッキーを焼く材料はほとんどないのだ。そしてもう夜も更けている。
(……みんなが帰った後に、なんとか誤魔化すしかねえな)
俺が一人で冷や汗をかいている間にも、包装は完了した。
「お疲れ様でしたー!」と、影山や信助たちは満足げな顔でクッキーの袋を抱え、夜道を帰っていった。
*
ホワイトデー当日の昼休み。校内はあちこちで「お返し」のやり取りが行われ、独特の浮ついた熱気に包まれていた。
「ふぅ……なんとか全員分、配り終えたね」
天馬が安堵の息をもらし、信助と影山も「大成功でした!」と満足げに笑っている。手作りのクッキーはクラスの女子たちに大好評で、昨夜の苦労は報われた形だ。
「よし、じゃあ部活に行こうか!」
天馬の誘いに、俺は首を振った。
「悪い、ちょっと用事がある。先に行っててくれ」
「え? コウどうしたの?」
信助が首を傾げる。
「すぐ終わる」
それだけ言って、俺は教室を後にした。
向かう先は紫のいるクラス。
俺は紫の教室の前に立ち、一つ呼吸を置いてからドアに手をかけた。だが、中から勢いよくドアが開き、予想外の人物が姿を現した。
「おっ……」
「……コウか」
そこにいたのは、剣城だった。
「つ、剣城!? お前、なんでここに……」
「俺はここのクラスだからな……当然だろう?」
剣城は少しだけ口角を上げると、俺の肩を軽く叩いて通り過ぎようとした。
「あいつなら、窓際の席にいる。……早くしないと練習に遅れるぞ」
それだけ言い残し、剣城はクールに去っていった。あいつ、完全に分かって言ってるな。
不自然に熱くなった頬を手の平で冷やしながら、俺は教室に入った。
窓際の席で、紫が一人、静かに本を読んでいた。
「……紫」
呼びかけると、彼女は栞を挟んで顔を上げた。
「コウ、自分から来るなんて珍しいわね……何か忘れ物でもした?」
「……今日は別だ。ほら、これ」
俺は昨日、みんなが帰った後に一人で用意した小さな袋を差し出した。
中に入っているのは、クッキーではない。黄金色に輝く、手の込んだベッコウ飴だ。
「……これは、キャンディー?」
「ホワイトデーだよ。ヴァレンタインでもらったからそのお返しだ」
紫は袋を受け取り、中の一粒を光に透かした。
「ベッコウ飴……。随分と渋いチョイスね」
紫はそう言いながらも、一粒を口に運んだ。
それから、少しだけ目を細める。
「ふふ、甘いわね。でも、どこか懐かしい味がする……嬉しいわ、ありがとう」
「そうか、なら良かった」
窓から差し込む春の光に、彼女の横顔と黄金色の飴が、ほんの少しだけ輝いて見えた気がした。
成長して多少は誤魔化せるようになったコウでした
ホーリーロード編までの設定集とか欲しいですか?
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