新雲学園との死闘を制し、ついに掴み取ったホーリーロード決勝への切符。だが、勝利の歓喜に沸くはずの雷門イレブンを待っていたのは、冷たい病院の廊下だった。
緊急手術室の前に、泥と汗にまみれたユニフォーム姿のまま、俺たちは立ち尽くしていた。
「神童先輩……」
天馬が祈るように拳を握りしめる。顧問の音無先生が慌ただしく神童先輩の両親へ連絡を入れる声だけが、静かな廊下に響いていた。
「……もし、このまま意識が戻らなかったら……」
心配性の速水先輩が震える声で零す。その不安はウイルスのように周囲へ伝染し、天馬の表情もみるみる強張っていく。
俺は壁にもたれかかり、手術室の赤いランプをじっと見つめていた。胸のざわつきが止まらない。あんなに強く、気高くみんなを指揮していた先輩が、今は真っ白な部屋で戦っている。
数時間が経過した頃、ようやく重い扉が開いた。
真っ先に出てきた担当医師の元へ、三国先輩や車田先輩たち上級生が駆け寄る。だが、医師の表情は晴れない。眉間に深く刻まれた皺を見て、俺の背筋に嫌な汗が流れた。
(……嘘だろ。まさか、最悪の事態なんてことは……)
そこへ、ストレッチャーに乗せられた神童先輩が運び出されてきた。
「キャプテン!」
「神童先輩!!」
俺と天馬は思わず駆け寄り、意識のない先輩の顔を覗き込む。青白い顔に、痛々しい酸素マスク。
「……落ち着いてください。手術は成功しました。命に別状はありませんよ」
看護師さんの穏やかな言葉に、俺は膝から崩れ落ちそうになるほどの安堵を覚えた。よかった……本当によかった。
だが、その安堵は一瞬で打ち砕かれた。
「……そんな! 嘘だと言ってください!!」
奥で医師の話を聞いていた車田先輩の絶叫が、廊下を引き裂く。
駆け寄った俺たちが耳にしたのは、あまりにも残酷な真実だった。
「……後遺症が残らないよう手術で繋ぎ止めはしましたが、全治には最低でも一ヶ月はかかります」
「一ヶ月……!? 先生、それじゃあ、決勝戦は……」
三国先輩の問いに、医師はただ静かに首を振った。
「……残念ながら、今の彼がピッチに立つことは不可能です。安静にしていること。それが今の彼にできる唯一のことです」
「……そんな……。そんなの、あんまりだ……!!」
天馬が医師に縋り付く。
「お願いします先生! 神童先輩を……キャプテンを試合に出してあげてください! 先輩は、この日のために誰よりも頑張ってきたんです!!」
涙ながらの訴え。俺も頭を深く下げた。言葉にならなかった。奇跡でも何でもいい、この人の努力が報われないなんて、そんな理不尽があっていいはずがない。
だが、医師にできることはもう終わっていた。あとは神童先輩自身の回復力に託すしかない。そしてその奇跡が起きたとしても、決勝戦には到底間に合わないのだ。
「……クソッ!!」
霧野先輩が、悔しさをぶつけるように壁を激しく叩いた。親友の夢が、その手から零れ落ちるのを目の当たりにした絶望。
三国先輩もまた、唇を噛み締め、溢れそうになる涙を堪えて上を向いた。
ホーリーロード決勝。
中学生サッカーの頂点を決めるその舞台に、雷門を導く指揮者である「神童拓人」はいない。
やり場のない怒りと、底の見えない悲しみが、雷門イレブンの心を暗く塗りつぶしていった。
*
神童先輩がいないという現実が、重くのしかかっていた翌朝。
「先輩のためにも、俺たちが立ち止まっちゃいけないんだ」
天馬と信助、そして俺は、冷え込みの残る早朝のサッカー棟に集まっていた。重苦しい空気の中、無理にでも自分たちを奮い立たせようとしたその時――ドアが開いた。
「……よお! みんな、元気そうだな」
その声に、弾かれたように顔を上げた。そこに立っていたのは、太陽のような、あの懐かしくも力強い笑顔。
「円堂……監督……!?」
天馬の声が裏返る。部室にいた他の部員たちにも、波紋のように驚きと歓喜が広がっていった。
円堂監督は、フィフスセクターの暗部を暴くためのゴッドエデン調査が一段落したことを告げた。
「これからは、またお前たちと一緒に戦わせてもらう!」
その言葉と共に、これまで影のようにチームを支えてきた鬼道コーチが頷く。
「これからは円堂が監督に復帰し、俺はコーチとして円堂を、そしてお前たちをサポートする」
雷門に、絶対的な支柱が戻ってきた。神童先輩を失った喪失感は消えない。けれど、円堂監督がそこに立っているだけで、バラバラになりかけていた俺たちの心が、不思議と一つの方向を向き始めていた。
「さて、神童の抜けた今、このチームには新しいキャプテンが必要だ」
円堂監督の鋭い視線が、部員たちをゆっくりと見渡す。そして、その視線はある一点で止まった。
「松風天馬。……今日から、お前がキャプテンだ」
「…………えええっ!?」
天馬が漫画みたいに飛び上がって絶叫する。
だが、円堂監督の目は本気だった。これは単なる思いつきじゃない。病院にいる神童先輩とも何度も話し合い、決めたことなのだと。
「……そもそも、俺たちが『本当のサッカー』を取り戻すために立ち上がれたのは、お前の真っ直ぐな想いがあったからだろ?」
三国先輩が優しく天馬の背中に手を置いた。その言葉に、他の部員たちも次々と頷き始める。
かつては天馬の無鉄砲さを冷めた目で見ていた倉間先輩も、バツが悪そうにそっぽを向いていたが、浜野先輩が「倉間も賛成なんだってさ!」と冷やかすと、否定はしなかった。
「天馬の口癖でしょ? 『なんとかなる』ってさ」
信助が笑い、俺も紫と一緒に天馬の前に立った。
「不安になることはないわ。これまで通りみんなの前を走り抜ければいいのよ」
「神童先輩の代わりになろうとするなよ。天馬は天馬らしく、バカ正直に走ればいいんだ。俺たちが支えてやるからさ」
「そうよ、天馬。あなたなら、このバラバラなチームをもう一度繋ぎ止められるわ」
葵の駄目押しのような説得を受け、天馬は震える手で自分の胸元をぎゅっと握りしめた。
やがて、彼はゆっくりと顔を上げた。その瞳には、不安をかき消すような、強い決意の光が宿っていた。
「……分かりました。俺……やってみます! 俺たちのサッカーを守るために!」
新星・雷門。
松風天馬という新しい風を旗印に、俺たちはついに、ホーリーロード決勝という最後の決戦場へと歩み出した。
円堂監督が復帰し、活気を取り戻し始めた雷門グラウンド。だが、監督の口から語られた決勝の相手「聖堂山中学校」の情報は、俺たちの表情を再び強張らせた。
「監督はイシドシュウジ……。選手は黒裂を中心に、全員が完璧な基礎能力を持ち、かつ全員がストライカー並みの得点力を備えている」
全員がエース級。まさにフィフスセクターの総力を結集したチームだ。
その時、グラウンドに地鳴りのような大勢の足音が響いた。
「な、なんだ……!?」
現れたのは、かつてフィフスセクターの管理サッカーに絶望し、サッカー部を去っていったセカンドチームの旧メンバーたちだった。
「みんな……どうしてここに!?」
驚く一乃先輩と青山先輩。彼らは照れ臭そうに笑いながら言った。
「ずっと見てたよ、お前たちの試合。……決勝、神童がいないんだろ? 俺たちにできることがあればと思ってさ」
かつてチームを捨てた負い目を超えて駆けつけた仲間たちの想いに、一乃先輩の瞳が潤む。そんな彼を車田先輩が豪快に叩いた。
「いい仲間じゃねぇか、一乃!」
自分のこと以上に、戻ってきた仲間たちが認められたことが嬉しいのか、一乃先輩は最高の笑顔を見せた。
こうして、セカンドチームを仮想・聖堂山に見立てた練習試合が始まった。
「行くぞ、お前達!」
セカンドチーム側に入り、かつてのキャプテンシーを発揮する一乃先輩。対するファーストチームの左腕には、慣れないキャプテンマークを巻いた天馬が立っていた。
試合開始早々、格の違いを見せつけたのは一乃先輩だった。
「石狩、右だ! 相手のプレスが来る前に捌け!」
的確な指示でボールを動かすセカンドチーム。倉間先輩が鋭いカットでボールを奪うが、すかさず一乃先輩の指示で二人がかりの包囲網が敷かれる。
「あ、あの、倉間先輩! ええと……!」
指示を出そうとする天馬だったが、言葉が詰まる。何をどう伝えればいいのか、頭が真っ白になっている間に、倉間先輩はボールを奪い返されてしまった。
「……すっ、すみません!倉間先輩!」
「謝ってる暇ねぇぞ! 次だ次!」
俺の叱責にハッとする天馬。狩屋が奪ったボールを錦先輩へ回すよう指示を出すが、それすらも一乃先輩に読まれてカットされる。
「天馬、逆サイドの浜野がフリーだった。全体を見ろ!」
霧野先輩の冷静な助言に、天馬は自分の判断力の至らなさを痛感し、みるみる肩を落としていく。実戦から離れていたはずのセカンドチームに押し込まれる展開。キャプテン一人の能力で、チームの歯車がこうも狂うものなのか……。
「……情けない顔をするなッ!!」
剣城の怒声が響く。ビクッとして我に返る天馬だったが、その横を一乃先輩がドリブルで鮮やかに駆け抜けていった。最後は石狩のシュートを三国先輩がファインセーブで防いだが、天馬の自信は完全に粉砕されていた。
練習後、地面を見つめて動かない天馬。
「……俺、やっぱりキャプテンなんて無理だよ……」
「まだ初日じゃない。これからよ」
「神童先輩だって、最初はあなたみたいに空回りしてたはずよ」
葵が励まし、紫も珍しくフォローを入れる。
「でも、決勝はもうすぐなんだ……間に合わないよ……!」
焦りと自己嫌悪でパニック寸前の天馬。言葉での慰めはもう限界だった。
俺と信助、紫、そして葵は顔を見合わせ、無言で頷いた。
「……よし、お仕置きだ」
「えっ、コウ!? うわっ、ちょっ、やめ……ひゃははははっ!!」
俺たちは一斉に、天馬の敏感な脇腹へ「くすぐり攻撃」を仕掛けた。
「ほら、笑え! キャプテンがそんな湿気たツラしてたら、チームが沈むだろ!」
「ひゃっ、やめてぇ! くるじい……っ、あはははは!」
何が起きたか分からず悶絶する天馬。一瞬だけ悩みを忘れ、涙目になりながら笑い転げる彼を見て、俺たちはいたずらっぽく笑った。
「元気出たか?」
「……みんな……。ありがとう」
友情を感じて少ししんみりした天馬だったが、俺たちは容赦しなかった。
「あ、しんみり禁止! 追い討ちだー!!」
「うわあああ! 助けてぇー!!」
夕暮れの河川敷に、天馬の悲鳴混じりの笑い声が響く。
帰り道、少しだけ足取りが軽くなった新キャプテンの背中を見ながら、俺たちは決戦の地を思い描いていた。
*
聖堂山との決勝戦を明日に控え、雷門グラウンドの熱気は最高潮に達していた。新キャプテン・天馬がチームをまとめるべく奔走する中、俺は狩屋と霧野先輩を呼び止め、一つの提案をした。
「……三人での連携技、『ザ・フェニックス』を習得したいんだ」
本来、この技は俺と天馬(又は影山)、そして信助の三人で放つものだった。だが、今の信助はゴールを守るキーパーであり、天馬はキャプテンとしてフィールド全体に気を配らなきゃならない。二人の負担を減らし、かつ化身使いが揃う聖堂山を打ち破るには、DF陣の連携による強力な突破力が必要だと考えたんだ。
「……習得したとしてさ。俺たちが前に出すぎたら、ディフェンスが薄くなるだろ?」
狩屋が鋭いところを突いてくる。俺が言葉に詰まると、霧野先輩が静かに口を開いた。
「いや、ザ・フェニックスの威力は化身相手にも通用する。自陣で放てばゴールまでは届かないかもしれないが、敵の包囲網を焼き払い、前線へ繋ぐ『ロングパス』として機能するはずだ。……やる価値はある」
霧野先輩の言葉に、俺のやる気が再燃した。狩屋は「ったく、人使いが荒いんだから……」とぼやきながらも、不敵な笑みを浮かべて位置についた。
しかし、特訓は過酷を極めた。
三人が全速力で走りながら一点で交差する――そのタイミングが絶望的に合わない。早すぎれば衝突し、遅すぎれば火が点かない。夕闇がグラウンドを包み始めても、炎の竜巻は一度も巻き上がらなかった。
「……もう真っ暗よ。そろそろ切り上げなさい」
注意しに来たのは音無先生だった。俺たちが肩で息をしながら立ち尽くしているのを見て、先生はどこか懐かしそうに目を細めた。
「その技……相変わらず懐かしいわね。もしかして、苦戦してる?」
「……ああ。交差するポイントがどうしてもズレちまうんだ」
「ふふ、昔の円堂くんたちもそうだったわ。あの時は『トライペガサス』だったけど、原理は同じよ」
先生の話によれば、伝説の雷門イレブンがその技を完成させた時、一点に交差するための「目印」として、木野さんがフィールドの中央に立ったのだという。
「……えっ!? そんなの、失敗したら激突して大怪我ですよ!」
驚愕する狩屋。だが、音無先生は迷いのない足取りでピッチの「交差点」へと歩みを進めた。
「じゃあ、今度は私の番ね。……さあ、信じて走りなさい!」
眼鏡の奥の瞳には、かつての雷門を見てきた確固たる信頼が宿っていた。俺たちは顔を見合わせ、大きく頷いた。
「行くぞ、二人とも!!」
俺、霧野先輩、狩屋。三人が全速力で駆け出し、音無先生の立つ一点へと意識を集中させる。恐怖を捨て、互いの呼吸を一つに重ねたその瞬間――。
三人が交差した中心から、巨大な炎の竜巻が噴き上がった! 先生の体を掠めるようにしてエネルギーが渦巻き、ボールを上空へと押し上げる。炎は空中で巨大な翼を広げ、伝説の鳥・フェニックスの形を成した。
「「「うぉぉぉぉぉッ!!」」」
三人は同時に跳躍し、燃え盛る不死鳥を力一杯蹴り抜いた。
闇を切り裂き、ゴールへと突き刺さる不死鳥の弾丸。
「……やった……やったぞ!!」
着地した俺たちは、泥だらけの顔で笑い合った。音無先生も、乱れた髪を直しながら満足げに微笑んでいる。
「……完璧だったわ。明日、楽しみにしてるわね」
不死鳥の翼をその身に宿した俺たちは、ついに、最後の戦いへと挑む準備を整えた。
ホーリーロード編までの設定集とか欲しいですか?
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いる
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いらない