翌朝、俺たちはいつものように雷門中のサッカー部室へと集まっていた。
部員全員が揃った部室はやはり賑やかだったが、昨日の放課後に起こったという奇妙な出来事の話題になり、部室の空気は一気にざわつき始めた。
「昨日、部活の帰りにさ。急にガラの悪い不良グループに囲まれて、サッカーバトルを挑まれたんだよ」
腕を組んだ倉間先輩が、少し呆れたような口調でそう切り出した。昨日、二年生の五人で下校していたところを、突然待ち伏せされたのだという。
「サッカーバトル? 不良がわざわざサッカーで突っかかってきたのか?」
俺が驚いて聞き返すと、一乃先輩が苦笑しながら頷いた。
「ああ。だけど、倉間の『サイドワインダー』が一発決まったら、それだけであっさりと逃げていったよ。大した相手じゃなかったな」
「なんだ、お前たちもだド!」
すると、部室の隅で天城先輩が、我が意を得たりとばかりに声を上げた。
「実は俺たち三年生も昨日、集まってた時に、妙な奴らにサッカーバトルを仕掛けられたんだド!」
「ま、当然倒してやったけどな!」
車田先輩が自慢げに鼻をこすり、親指を立てて笑う。
洗脳から解けた先輩たちの頼もしい活躍に、天馬や信助は「さすが先輩たち!」とはしゃいでいたが、神童先輩だけは腕を組んだまま、険しい表情で考え込んでいた。
「……おかしい。いくらなんでも不自然すぎる」
「不自然ですか? 神童先輩」
天馬が不思議そうに首を傾げると、神童先輩は真剣な目をみんなに向けた。
「ああ。今は『サッカー禁止令』が出されている状況だ。普通の不良なら、わざわざこの時期に人目のつく場所でサッカーを使って勝負を挑んでくるはずがない……」
「十中八九、エルドラドの仕業でしょうね」
神童先輩の疑問に答えるように、壁に背を預けていた紫が冷静な声で言った。
「ベータを退けたとはいえ、彼らがサッカーの消滅を諦めたわけじゃない。雷門イレブンがこれ以上強くなるのを阻止するために、揺さぶりをかけてきているのよ」
紫の指摘に、部室の空気がピリリと緊張感を取り戻す。
そのタイミングだった。
部室の扉が静かに開き、一人の男が姿を現した。
「みんな、集まっているな」
「豪炎寺さん!」
天馬が弾かれたように声を上げる。
入ってきた豪炎寺さんは、いつもと変わらぬ凛とした佇まいだったが、その腕には何やら紫色の風呂敷包みが大切そうに抱えられていた。
豪炎寺さんは俺たちを見渡すと、静かに、しかし重みのある口調で告げた。
「サッカー禁止令が出ても隠れてサッカーをプレイする根強いサッカー好きがこの頃次々と襲われているんだ」
「そんな……!」
天馬が悔しそうに拳を握りしめる。
「おそらく、エルドラドの新たな手の者によるものだろう。……だが、俺たちもただ手をこまねいているわけにはいかない」
『ところで豪炎寺、アーティファクトは?』
その時、葵のポケットから、コロコロとクロノ・ストーン状態の大介さんが飛び出してきて、豪炎寺さんの近くでふよふよと浮き上がった。
「そうか! フランスへ行くための『アーティファクト』ってのは、豪炎寺さんに頼んで用意してもらってたんだな!」
俺が納得の声を上げると、豪炎寺さんはふっと口元を緩め、抱えていた紫色の包みをテーブルの上に静かに置いた。
「ああ、これがジャンヌ・ダルクのアーティファクト『勇気の兜』」
包みから現れたのは、長い年月を経てもなお、鈍い金属の光沢を放ち続ける、重厚な鉄製の兜だった。
これこそが、仲間の勇気を奮い立たせ、鉄壁の守りに変える少女ジャンヌ・ダルクのいる、中世フランスへと繋がるアーティファクト。
ついに中世フランスへの出発の目処が立った。
『よし、これよりジャンヌ・ダルクの時代へ向かうメンバーを発表するぞ!』
大介さんの言葉に、部室に心地よい緊張感が走る。
実は前日にフェイの提案でパラドックスが起きないようにできるだけ人数は絞ろうということになったのだ。
『まずは松風、神童、剣城、フェイ、西園、錦、不知火、藤原』
これまでの過酷な戦いをくぐり抜けてきた、納得のメンバーが次々に読み上げられていく。
『狩屋、浜野、最後に、ジャンヌのオーラを受け取る候補である、菜花以上の十一名じゃ!』
名前を呼ばれた黄名子が、さっそく嬉しそうに飛び跳ねる。
「待ってください!」
一歩前に踏み出したのは、霧野先輩だった。その表情は、いつになく必死で、焦燥感に満ちていた。
「俺も連れて行ってください!俺も行きたいんです!」
珍しく感情を露わにして直訴する霧野先輩の姿に、神童先輩が驚いたように目を見開く。昨日からずっと、どこか思い詰めた様子だった先輩の心の内が、その悲痛な声から痛いほど伝わってきた。
俺も、そんな霧野先輩の様子を見て黙っていられず、大介さんに向かって一歩踏み出した。
「大介さん、俺も霧野先輩の同行には大賛成だ。霧野先輩の的確な指示やディフェンスの統率力があれば、百人力だからな。連れていく価値は絶対にあるはずだ!」
しかし、大介さんはうーむと唸り、石の体を左右に揺らした。
「けどこれは決定で……」
大介さんの反応は芳しくない。霧野先輩が絶望の表情を浮かべ、拳をきつく握りしめた。
だがその時、すっと一本の手が上がった。
「あのー、実は俺朝から体調悪くって。霧野先輩が変わってくれるなら助かるんですけど」
呑気な声でそう言い出したのは、メンバーに選ばれていたはずの狩屋だった。
狩屋はわざとらしくお腹をさすりながら、ケラケラと笑っている。顔には汗の一つもかいておらず、誰が見ても一発で分かるほどの、あからさますぎる仮病だった。
だが、狩屋は霧野先輩の方をチラリとも見ようとはせず、ただ「腹痛いなー」と棒読みを続けている。あいつの「意図」を察した大介さんは、ふっと笑った。
「う~む。分かった。では狩屋と交代だ!」
「っ……!ありがとうございます!」
霧野先輩は表情を一気に明るくさせ、大介さんに向けて深々と頭を下げた。それから、複雑そうな、だけど救われたような目で、お腹をさすってベンチに座る狩屋を見つめていた。
俺は、やれやれと苦笑しながら、狩屋のところまで歩み寄った。そして、あいつの肩をぽんと叩き、耳元で小さく声をかける
「お前、意外といいところあんじゃん」
すると狩屋は、ふいっと顔を背け、いつものひねくれた口調で短く吐き捨てた。
「……うっせ」
その耳の裏が、ほんの少し赤くなっているのを俺は見逃さなかった。本当に素直じゃない奴だ。だけど、あいつなりの気遣いのおかげで、霧野先輩はフランスへの切符を手に入れることができた。
そして準備が整った俺たちはTMキャラバンへと乗り込んだ。
キャラバンのシートに腰掛けると、隣の席に座った紫が、心強い視線をこちらに向けて小さく頷いてみせた。
「出発するぞ! 目指すは十五世紀、中世フランスだ!」
ワンダバがタイムジャンプのレバーを力強く引き下ろす。
凄まじいエネルギーの奔流がキャラバンを包み込み、激しい振動と共に、窓の外の景色が光の渦へと溶けていく。
百年戦争の渦中にある、激動のフランス。
そこで待つ運命の少女ジャンヌ・ダルクと、俺たちの新たなる戦いに向けて、TMキャラバンは時空を越えて一気に加速していった。
*
TMキャラバンは激しい光の渦を突き抜け、ついに目的の時代へと滑り込んだ。
ガタガタと大きな揺れが収まり、ワンダバがレバーを戻すと、窓の外には森が広がっていた。
キャラバンのハッチが開き、外の空気を吸いながらフェイが周囲を見渡す。
「ここは1427年のフランス。ジャンヌ・ダルクがいるという、ヴォークルール付近の森だよ」
「へえ、ここがフランス。なんだか空気の匂いが現代と違うやんね!」
黄名子が物珍しそうに木々を見上げていると、少し先を探索していた浜野先輩が「うわっ!」と緊迫した声を上げた。
俺や天馬たちが慌てて浜野先輩のいる崖のふちへ駆け寄り、下を見下ろした瞬間——全員が言葉を失った。
金属のぶつかる激しい音、怒号、そして血の匂い。
崖の下の開けた平原では、甲冑に身を包んだ無数の兵士たちが、本物の剣と槍を振るい、互いの命を奪い合う『本物の戦争』を繰り広げていたのだ。
「……すげえ、本物の剣と槍だ……」
俺は息を呑み、その圧倒的な生々しさに身体が強張るのを感じた。映画やドラマの撮影なんかじゃない。目の前で、本物の命が散っているのだ。天馬や信助も、恐怖のあまり顔を真っ白にさせている。
「ちゅーかさ……あの鎧、防御力はどれくらいよ?」
浜野先輩がわざとふざけたようにゲームの例え話を口にする。そうでもしなければ、目の前のリアルな恐怖に心が押しつぶされそうだったのだろう。
「ワンダバ、どうやって目的のジャンヌを探せばいいんだい?」
フェイがワンダバに視線を向けると、ワンダバは腕を組んでうーむと唸った。
「ジャンヌはヴォークルールという街に居るらしい。まずはそこを目指そう」
「史実が正しければ、この年にジャンヌがヴォークルールを訪れ、シャルル王太子に謁見するための便宜を図ってもらうよう、街の守衛官に掛け合っているはずよ」
紫が冷静に状況を補足する。2人の情報を頼りにヴォークルールを目指そうと動き出そうとしたその時——
「ん?貴様達何者だ!」
現れたのは、イングランド軍の目を盗んで森林の奥へと逃れていた、フランス軍の斥候の兵士たちだった。ギラリと光る槍の矛先が、一瞬にして俺たちに向けられる。
「あ、いや! 俺たちはその……っ」
天馬が慌てて手を振る中、神童先輩が機転を利かせて一歩前に出た。
「戦いから逃げてきたら道が分からなくなってしまったんです。ヴォークルールに行きたいのですが」
「何?ヴォークルールに?お前たち、異国の者か!」
兵士たちの疑いは全く晴れない。それどころか、先ほどまで戦場で命のやり取りをしていた彼らの殺気は尋常ではなく、じりじりと距離を詰めてくる。いつの間にか、周囲の藪からも続々とフランス兵が現れ、俺たちは完全に包囲されてしまった。
「違います! 俺たちはそんな——」
俺が叫ぶが、兵士たちは完全に抜刀し、容赦なく斬りかかってこようとする。絶体絶命のピンチだ。
「——ええっと、どうでしょうねぇ?」
その緊迫しきった場に、あまりにも場違いなのんびりとした、おっとりとした女性の声が響いた。
殺気立っていた兵士たちの動きがピタリと止まる。
「ジャンヌ!」
兵士のその言葉を聞いた瞬間、俺たちの間に、先ほどまでとは全く質の違う激しい衝撃が走った。
(ジャンヌ……って、この人が!?)
歴史の超大物であり、俺たちが探し求めていた目的の相手が、まさかこんなにあっさりと目の前に現れるなんて。
「ジャンヌ・ダルク!?」
神童先輩が思わず呟いたその言葉に、現れた茶髪の少女は肩を跳ね上がらせて驚いた。
「へ?なんで私の名前を?」
オドオドと怯えたように身を縮める彼女の挙動。それは、後の世に伝わる『フランスを救った勇猛果敢な戦う乙女』という英雄像とは、おおよそかけ離れていた。イメージとの凄まじいギャップに、俺達は、ただ戸惑うしかない。
だが、そんな空気などお構いなしに、一人の少女が前に飛び出した。
「ち〜っす!ウチ、黄名子、よろしく!」
黄名子は得意の決めポーズをバシッと決めると、親しげな笑顔でジャンヌに握手を求め、ひょいっと右手を差し出した。
「な!ジャンヌから離れろ!」
当然、護衛の兵士たちが激怒して、黄名子の目の前に鋭い剣を突きつける。黄名子の手に武器さえあれば、そのままジャンヌを暗殺できてしまうほどの距離だ。兵士の反応は極めて真っ当だった。
このままでは本当に斬られてしまう。危険を察した神童先輩は、必死の形相で叫んだ
「俺たちは未来からやってきたんです。あなたの力を借りに」
神童先輩は「ハッ」として口を突きに覆った。
こんな十五世紀の戦乱の世で、「未来から来た」なんて言い訳が通用するわけがない。むしろ狂人の戯言として、即座に処刑されてもおかしくない失言だった。
「未来?未来とはどういうことです?」
ジャンヌだけは、その言葉に不思議そうな興味を示した。彼女は「下がっていなさい」と兵を退けると、神童先輩たちの方へとゆっくり歩み寄ってくる。
だが、その歩みはどこかおぼつかない。ジャンヌはしきりにヤブにらみの視線を向けながら、かけているメガネを顔に近づけたり離したりを繰り返していた。どうやらメガネの度が合っておらず、前がよく見えていないらしい。
ジャンヌは神童先輩の顔をじっと見つめ、次にその隣に立っていた霧野先輩の顔をじっと見つめた。そして、最終的に霧野先輩の目を真っ直ぐに見つめながら、静かに問いかけた。
「……未来という言葉、詳しく教えていただけますか?」
(いや、それを言ったのは神童先輩の方なんだけどな……!?)
俺は心の中でツッコミを入れたが、霧野先輩も急に話を振られて「え、あ、それは……」と困惑して言葉に詰まってしまう。どう釈明すればいいか、答えが出るはずもない。
「……やはりスパイであろう!ならば生かしておくわけにはいかん!」
しびれを切らしたフランス兵が、ギラついた刀身を構えて俺たちに迫る。もはや完全に、聞く耳を持たずに処刑する構えだ。剣城がいつでも動けるように腰を落とし、俺も身構える。
「ま、待ってください!…そうだ」
彼女は腰に帯びていた剣の下、そこに括り付けられていた小さな革袋へと手を伸ばし、ガサゴソと何かを取り出した。
そして、それを霧野先輩の目の前に差し出す。
「はい、これ、どうぞ!」
「……え?」
霧野先輩が目を丸くする。ジャンヌの小さな手のひらに乗っていたのは、綺麗な色紙に包まれた、単なる「キャンディ」だった。
緊迫した戦場で、スパイ容疑をかけられた相手にキャンディを差し出す。これが何になるのか、わけが分からずに霧野先輩は完全に混乱している。だが、ジャンヌはなおも勧めてくる。
先輩は断りきれず、やむを得ずそれを受け取ると、包みを開いて口の中へと入れた。
じっと見守る一同。すると、飴を舐めていた霧野先輩の端正な顔が、ふっと驚きに変わり、次いで不意に柔らかくほころんだ。
「ん、美味しい!」
「本当ですか!? よかったぁ!」
霧野先輩の言葉を聞いて、ジャンヌは自分のことのように大喜びする。と、その時、ジャンヌの持つ革袋を、もの凄く物欲しそうな『捨てられた子犬』のような視線で見つめている人物がいた。黄名子だ。
きらきらとした、あまりにも愛くるしいおねだりの表情で見つめられ、ジャンヌも苦笑して「はい、あなたもどうぞ」と飴を手渡す。
「うう〜ん、美味しいやんねっ!!」
「皆さんにも、どうぞ!」
ジャンヌは最初から全員に配るつもりだったのだろう、残りのメンバーにも笑顔でキャンディを勧め始めた。先に食べた二人のあまりに美味しそうな笑顔を見て、天馬や信助、そして俺たちも「すげえ良い匂いがする……」「あ、俺も欲しい!」と、先ほどまでの恐怖をすっかり忘れて、関心しきりでジャンヌの元へキャンディを受け取りに押し寄せた。
一瞬にして、戦場の殺気はどこかへ吹き飛んでしまった。
「ジャンヌ様……しかし、この者たちをどうされるのですか?」
呆気にとられていた兵士の一人が、未だに疑わしそうな目を俺たちに向けながら、ジャンヌに判断を仰いだ。
ジャンヌはみんなが美味しそうに飴を舐める姿を見て、優しく微笑みながらも、キリッとした表情で兵士を振り返った。
「とにかくこのままにする訳には行きません。連れて行きましょう、ヴォークルールへ」
こうして俺たちは、スパイ容疑が完全に晴れたわけではないものの、お目当ての少女ジャンヌ・ダルクの案内によって、歴史の舞台である「ヴォークルール」の街へと連れていかれることになったのだった。