渓谷を吹き抜けていた緊迫した空気がスーッと引き、元の白亜紀の静けさが戻っていく。
「なんとか追い払うことができたってことかな……!?」
信助が額の汗を拭いながら安堵の息をもらすと、剣城は冷静に周囲を見回し、少し苦い表情を浮かべて首を振った。
「いや……『見逃してもらった』……そう言った方がいい状況だな」
剣城の言葉に、雷門のメンバーたちもハッと表情を引き締める。自分たちの力で勝ち切ったというよりは、敵の背後にある何らかの事情——トウドウ議長からの命令による強制撤退に救われた形なのは明白だった。
それでも、天馬は前を向くように力強く拳を握りしめた。
「でも、俺たちだって十分に……」
しかし、神童先輩は冷静さを保ちながらも、その瞳に静かな闘志を宿して天馬を諭した。
「ああ、的の最強チーム相手になんとか戦えてた。もっと特訓してレベルアップすればもうすぐ円堂監督を取り戻せるかもしれない」
神童先輩の言葉に全員がしっかりと頷き、次なる戦いに向けた決意を新たにする。
——その時だった。
「コウ——っ!!」
ピッチの隅から、雷を纏ったような鋭い気迫とともに、紫がすごい勢いでまっしぐらに詰め寄ってきた。
「うわっ!? なんだよ紫、いきなり……!」
あまりの剣幕に、さっきまでパーフェクト・カスケイドを圧倒していたはずの俺は思わずタジタジと後ろへ一歩引いてしまう。
紫は腰に手を当て、ジトッと非難するような目を向けながら息を弾ませた。
「忘れたの!? 前に『自分のことをもう少し大切にする』って、私と約束したはずでしょ! なのに勝手にいなくなって、無茶ばっかりして……っ!」
「い、いや、それはその……不可抗力というか、なんというか……!」
冷や汗を流しながら言い訳を探す俺に、紫はふっと小さく息を吐くと、呆れたように、でもどこか安堵したような優しい笑みを浮かべた。
「……まあ、流石に今回は最初から誘拐されてどうしようもなかったし、不可抗力だったから……今回のところは、無しにしてあげる」
「えっ、本当か?」
「それに……」
紫は少しだけ頬を染めながら、俺と、その横に控える翼竜の姿を誇らしげに見上げた。
「ちゃんと自分の力を向き合って、すごく強くなって戻ってきてくれたんだもの。その……よく頑張ったわね、コウ」
照れくさそうに目を逸らしながら紡がれたその言葉に、俺は胸の奥が温かくなるのを感じた。
「あぁ……心配かけて悪かったな、紫。もう無茶はしないさ……多分!」
「もう!最後に『多分』って付けないの!」
紫の呆れたような、しかしどこか嬉しそうな声が渓谷に響く。
仲間たちが笑顔を取り戻していく中、俺たちの時空を超える旅と、サッカーを取り戻すための戦いは、次なるステージへと進み始めていた。
*
西の空がオレンジ色から深い茜色へと染まり始める頃、イナズマTMキャラバンの前にアルノ博士がやってきた。トーブの生き別れた本当の両親が見つかったという、吉報を携えて。
「良かったね!トーブ!家族のところに帰れるんだよ!」
天馬は自分のことのように顔をほころばせて喜んだが、渦中のトーブの表情は晴れない。トーブは静かに首を横に振ると、まっすぐな瞳で告げた。
「……悪いけど、オラは帰らねぇ!」
「えっ……!?」
思いもよらない言葉に天馬たちが息を呑む中、トーブは傍らで翼を休めるトーチャンを見上げ、嬉しそうにニシシと笑った。
「オラ今の生活が気に入ってんだ。それと家族もいるしな」
言葉の裏にある深い絆を察した一同は言葉を失う。どれほど苦労してタイムジャンプのデータを解析し捜索したか……それを恩に着せるでもなく、アルノ博士はトーブの強い決意を優しく受け止めた。
「そうか……それもまた人生じゃ。君のご家族にはワシが説明しておこう。いつか、君が会ってみたくなった時に会いに行けばよい」
「なんかオラのために色々とやってくれたみたいですまねえな」
温かい言葉をかける博士に感謝の笑みを向けたトーブだったが、次の瞬間、とんでもない発言をぶち上げた。
「それよりさ!オラ、オメーらと一緒に行きてぇんだ」
「「「えええぇぇぇーーーッ!?」」」
キャラバンの前で全員のハモった大叫喚が響き渡る。
「オメーらと一緒にいると、ウホウホくっし……やってることオモシレーからオラ、着いていくことにしたぞ!」
あまりの自由さに天馬たちがガクッと脱力する中、アルノ博士だけは「ほっほっほ! それもまた人生じゃ!」と大笑いしながら肯定してみせた。
だが、賑やかす一同の横で、フェイだけは静かにトーブの後ろへ視線を落としていた。トーブの足元で、小さなビッグがどこか寂しそうに切ない鳴き声を漏らしていたからだ。
「いいの、ビッグを置いて行って。守ってやるんじゃなかったの?」
フェイの心配そうな問いかけに、トーブは振り返り、ビッグの頭を優しく見つめた。
「うん、あいつの戦う姿を見て分かったんだぞ!ビッグなら一人でも大丈夫だ!ビッグにはロックスターの跡を継いで谷のボスになるっていうスゲー大事な仕事がある。いつまでも誰かに頼ってはいられねえんだ。それに一人になった時こそわかるんだぜ。本当に強いかどうかがさ!」
一人になった時こそ、本当の強さが試される——その言葉は、幼い頃に父親に捨てられ、一人ぼっちの孤独を抱えて生きてきたフェイの胸の奥を強く刺した。
「……でも、ビッグは親を亡くしたばかりなんだ……」
ビッグの境遇に、嫌でも自分の過去が重なる。フェイは胸を締め付けられるような切なさを抱えながら、そっとビッグの前にかがみ込んだ。
そして、ビッグを不安にさせないよう、悲しみを押し殺して精いっぱいの優しい笑顔を向けた。
「……ビッグよく頑張ったな」
その温かな笑顔と柔らかな声は、孤独におののくビッグの心をしっかりと包み込み、勇気を与えていく。ビッグは フェイの気持ちに応えるように、つられたように無邪気な笑みを浮かべると、「ピィーッ!」と嬉しそうに鳴声を上げた。
フェイは愛おしそうにビッグの頭や首元を撫でてやった。ビッグはまるで人懐っこい小犬のように、ブンブンと尻尾を振ってフェイにすり寄る。
「これでお別れだ、ビッグ。お前ならきっとこの獣の谷の立派なボスになれるさ」
フェイはまっすぐビッグの目を見つめ、力強く太鼓判を押した。
「僕はお前の力を借りて戦い抜くからな」
その言葉に、ビッグは誇らしげに胸を張り、力強い鳴き声を白亜紀の空へと響かせたのだった。
*
白亜紀の壮大な景色を背に、イナズマTMキャラバンはタイムジャンプの光の中へと突入し、元の時代——現代へと戻っていく。
車内では、恐竜たちとの出会いやパーフェクト・カスケイドとの激闘の余韻に浸りながら、雷門のメンバーたちがそれぞれの思い出を和やかに語り合っていた。
そんな中、ふと窓の外から目を離した信助が、少し首をかしげながら切り出した。
「そういえばさ……時空最強イレブンの第7の力って、結局コウとトーブのどっちなのかな?」
信助のその純粋な疑問に、車内の空気がふっと一瞬静まり返る。
「決まってんだろ、そんなの俺——「トーブじゃな!」
俺が言い切るよりもほんの一瞬早く、キャラバンの奥から豪快な声とともに円堂大介が割って入ってきた。
「なっ……俺じゃないのか!?」
俺は驚愕のあまり椅子から跳ね上がり、納得がいかないと言わばかりに詰め寄る。大介はどっしりとした構えで理由を告げた。
「お主の……『セカンドステージチルドレン』の力じゃったか?……今は、その力をただ力任せに振り回しておるだけに過ぎん。己の持つ力を制御し、真の意味で引き出せておらんうちは、時空最強イレブンの一人として選ぶわけにはいかんのじゃよ」
「っ……!」
図星を突かれたように、俺の言葉が喉の奥で詰まる。
「ま、前みたいに身体に負担がかかったり暴走したりはしなくなったし、ちゃんとコントロールできてるつもりだけど……」
「『つもり』ではいかんのじゃ。お主の底力はあんなもんではなかろうて」
大介の重みのある言葉に、俺はぐっと唇を噛み締め、悔しそうに肩を落とした。先ほどまで最強の敵を打ち破った高揚感が、わずかな苦さと悔しさに変わっていく。
——と、その時。
俺の背もたれのすぐ後ろから、バッと勢いよくトーブが顔を出した。その顔には、一切の嫌味のない、底抜けに明るいニパッとした笑みが浮かんでいる。
「くよくよすんなよコウ! それってつまりさ、オメーはまだまだもっと強くなれるってことなんだろ!?」
「……トーブ?」
「オラ、ウホウホすっぞ!でもな……オラも負けねぇからな!」
トーブの無邪気で、しかし誰よりも真っ直ぐな力強い言葉。
その圧倒的な前向きさに当てられたのか、俺はしばらく目を丸くしたあと、ふっと息を漏らして苦笑いした。
「……ははっ、言うじゃねぇかトーブ」
俺は顔を上げると、再び闘志に満ちた鋭い瞳を前方へと向けた。
「そうだな……もっと強くなれるってんなら、上等だぜ!!」
悔しさをエネルギーに変え、俺はさらに高みへ登るための闘志を燃え上がらせる。新たな仲間であるトーブと共に、タイムキャラバンはさらなる未来と仲間たちが待つ時空の旅路へと、力強く加速していくのだった。
*
白亜紀の時空を超える大冒険を終え、イナズマTMキャラバンは無事に現代へと帰還した。
キャラバンを降りたコウたちは、元の時代に残っていた仲間たちに白亜紀での激闘や恐竜たちとの出会い、そして新たな仲間であるトーブのことなどを一通り報告した。すでに空はすっかり夕闇に包まれており、みんなそれぞれに疲労の色を隠せなかったため、その日はそのまま解散となった。
コウも自分の家である『お日様園』へと帰宅する。
数日ぶりに味わう天井のある部屋、そして何より我が家のふかふかなベッド。布団に身体を沈めた瞬間、張り詰めていた緊張と極度の疲労がドッと押し寄せ、コウは泥のように深い眠りへと落ちていった。
静寂が支配する、深い深夜。
虫の音すら途絶えた部屋の闇が、ふと不自然に揺らいだ。
音もなく忍び寄る、ひとつの人影。
それは、すやすやと寝息を立てて無防備に眠るコウのベッドの脇に立ち尽くしていた——紫だ。
紫は、月明かりすらない暗闇の中で、静かに眠るコウの顔を見下ろす。その瞳には、安堵と、それ以上に深い切なさが入り交じっていた。
「……相変わらず無防備ね」
誰に聞かせるでもなく、吐息のような声がこぼれる。紫はそっとコウの寝顔に手を伸ばしかけ、途中でぴたりと止めた。そして、何かを決意するかのように、静かに言葉を紡ぐ。
「また、あなたがどこかでいなくなってしまうくらいなら……私のそばにいて欲しい」
その呟きは、あまりにも独占欲と不安に満ちていた。
紫はわずかに目を伏せ、自らの弱さを隠すように、すぐにいつもの冷涼で気丈な表情へと仮面を戻す。
「それに、あなたにはもっと強くなってもらわないと困るもの。だから……ごめんね」
それが自分を納得させるための言い訳なのか、それとも心の底からの本音なのか——冷たい夜気の中、紫自身にももう分からなかった。
紫は躊躇いを断ち切るようにコウの腕に触れ、身につけていた特殊な腕時計のデバイスを素早く操作する。
ピピッ……!
電子音が微かに響いた瞬間、眩い光が小さな部屋を包み込んだ。
そして、光がスーッと引いたベッドの上には、コウの姿はもうどこにもなかった。眠っていたはずのコウを連れ、紫もまた、夜の闇へと溶けるようにその場から姿を消していたのだった。
*
ふかふかのベッドの感触。昨日までの固い地面や断崖絶壁が嘘のように、心地よい感覚に身を委ねていた……はずだった。
「……ん……っ」
重い瞼を開き、ぼんやりとした視界が徐々に輪郭を取り戻していく。だが、目の前に広がっていたのは、お日様園の使い古された自分の部屋の天井ではなかった。
見たこともない、白を基調とした異常なほどシンプルで無機質な部屋。
「……は?」
思考が完全にフリーズする。ここはどこだ? 俺は確か、白亜紀から帰ってきて自分のベッドで寝たはず……。 夢か? それともまたどこかの時代に吹き飛ばされたのか!? 混乱と焦燥で全身の血が引いていくのを感じ、飛び起きようとした——その時だった。
「フフっ……ようやくお目覚めかい?」
頭上から、どこか浮世離れした静かな声が降ってきた。
「ッ!?」
驚いて声のした方へ弾かれたように視線を向ける。
そこに立っていたのは、白髪をなびかせ、額にゴーグルを装着した見覚えのない一人の少年だった。未来チックな服を身に纏い、こちらを見下ろす瞳には底知れない深い笑みが浮かんでいる。
あまりの異常事態に、俺は警戒全開で身構えながら、掠れた声を張り上げた。
「だ……誰だ、お前……ッ!?」
俺の問いかけに対し、少年は急ぐ風もなく、静かな足取りでこちらへとゆっくり歩み寄ってきた。そして、優雅に口元を緩めると、滑らかな声でその名を口にした。
「僕はサリュー・エヴァン。……みんなは僕を——
—— “SARU”と呼ぶ」