第1話「繚乱の狂華Ⅰ」
27年前。アドラステア帝国の首都は、美しき建築群が嘘のように、瓦礫と硝煙に包まれていた。
空を覆う黒煙は太陽を拒絶し、街を永遠の黄昏へと突き落としている。
「はぁ、はぁ……っ!」
若き日の梶谷朝陽は、血の混じった泥を蹴りながら、激しい息を吐き出していた。
直近の爆撃により、所属していた第25小隊とは完全にはぐれてしまった。通信機は沈黙し、周囲には敵兵の足音と、遠く
で響く断続的な銃声だけが支配している。
視界を遮る煤煙の向こう側――。
崩れ落ちた時計塔の広場に、不自然なほど鮮やかな色彩が倒れていた。
「……! 大丈夫ですか!?」
駆け寄った梶谷は、その人物の肩を抱き寄せ、言葉を失った。
それは、戦場には似つかわしくないほど透き通った肌を持つ女性だった。揺らめく炎に照らされた、神秘的な紫色の髪と、深く淀んだ赤色の瞳。
「……どこの所属隊ですか……?」
「……第26小隊……」
彼女、レミリアは消え入りそうな声で応えた。梶谷は反射的に答える。
「私は第25小隊です。大丈夫、今、安全な場所まで……!」
梶谷は、意識の混濁した彼女を無理やり背負い上げた。一刻も早く、この射線が通る広場を抜け出さなければならない。一歩、また一歩と瓦礫を踏みしめ、前へ進もうとしたその瞬間だった。
背後から、静寂を切り裂くような乾いた銃声が響いた。
サプレッサー(消音器)を通したかのような、抑制された、しかし確実な殺意。
「ぐっ、あああああッ!!」
鋭い衝撃が、梶谷の左眼を貫いた。
視界が鮮血に染まり、激痛が脳を焼く。膝から崩れ落ち、抱えていたレミリアと共に地面を転がる。
その薄れゆく視界の中、レミリアだけが「それ」を見ていた。
梶谷の背後、崩れた壁の隙間から覗く、鈍く、冷たく光る「銀色のスライド」。
当時の帝国軍には存在しないはずの最新鋭拳銃、ワルサー
P99のシルバーモデル。
それは後の時代に「ブルー・ラグーン」という死神が愛用することになる、呪われた銃の初鳴きであった。
27年後。
米花町、阿笠邸の平和な空気が、一通の郵便物によって凍りついた。
「国際郵便……アドラステア帝国、公安局?」
灰原哀の手から、ティーカップが滑り落ちる。
絨毯に広がった茶褐色のシミを無視し、彼女はその宛名を凝視した。
『工藤新一様』
『宮野志保様』
「……バレているのか。俺たちの、正体が」
江戸川コナンの声に、いつもの子供らしさは微塵もなかった。
手紙に添えられたメッセージは短く、そして残酷だった。
『27年前、この国で狂い咲いた華を、貴殿らに検分していただきたい。
――アドラステア帝国警察庁公安部 公安局長 寺井黄之助』
「寺井……黄之助……?」
「……知らない名だ。だが、この国の紋章……27年前に父さんが関わった内戦の地だ」
コナンは、阿笠博士が用意していた「試作型解毒薬」のケースを手に取った。
灰原がその手を制するように、震える声で呟く。
「江戸川君、これは罠よ。蘭さんたちを巻き込んでまで行くつもり?」
「……いや。蘭には、これは俺一人の問題だと伝えてある」
コナンは自嘲気味に笑った。
しかし、彼はまだ知らなかった。
この時、既に背後で荷物をまとめていた毛利蘭が、かつての「天使」の微笑みを捨て、冷徹な「狂華」としての貌(かお)を鏡に映していたことを。
「行くわよ、新一。……地獄の淵まで、あなたを『案内』してあげる」
阿笠邸のラボ。散乱した資料と、モニターに映し出されたアドラステア帝国の地図を前に、二人の影が対峙していた。
「仕方がないわ……。今、博士は留守だし、私たちが動くしかないようね。……でも、二人で行くにしてもパスポートの問題はどうするの?」
灰原が腕を組み、現実的な問いを投げかける。その視線は、机に置かれた「工藤新一」と「宮野志保」宛ての手紙に注がれていた。
「ああ……。江戸川コナンや灰原哀のままだと、戸籍がない俺たちのパスポートは使えない……。子供の姿で密航するわけにもいかねぇしな」
コナンが苦々しく顔を歪める。正体を知る何者かからの招待。それは、今の「仮初めの姿」では決して受け取れない挑戦状だった。
「そこで……私の出番よ」
灰原が白衣のポケットから、一錠の銀色のカプセルを取り出し、不敵に微笑んだ。
「APTX4869(アトポキシン)……その試作品の解毒薬を飲んでから行きましょう。時間制限はあるけれど、それ以上に『工藤新一』と『宮野志保』として、あの国で起きている真実を検分する必要があるわ」
「……ああ、分かってる。地獄の入口だろうが、俺たちの名前を呼ばれた以上、逃げ隠れはしねぇ」
(メインテーマ・スタート)
コナン:「俺は高校生探偵、工藤新一! 幼馴染の毛利蘭と遊園地へ行ったら、黒ずくめの男たちの取引現場を目撃した。取引に夢中になっていた俺は、背後にあるもう一人の仲間に気づかなかった……。毒薬を飲まされ、目が覚めたら、身体が縮んでいた!」
灰原:「私は宮野志保。コードネームは『シェリー』。組織で毒薬の開発をしていたけれど、姉を殺され、自分も毒薬を服用して身体が縮んでしまった。今は灰原哀として江戸川君の助手をしているけれど……今回は、本来の姿で戦うしかなさそうね」
コナン:「そしてこの人が俺の叔父の梶谷 朝陽だ...アドラステア帝国警察庁公安部公安局公安課特命国際担当官係警視の警察官で親父ととも難事件を解決してきた優れもの...」
灰原:「そしてこの人がその妻のレミリア・エレーナ・ヴァレンタイン...アドラステア帝国検察庁公安部公安局公安課特命国際検察官係所属の敏腕女性検察官検視...」
コナン:「彼の名前は安室透...本名降谷零で黒の組織のコードネームはバーボン...彼は日本国警察庁警備局警備企画課の警察官」
灰原:「最近、蘭さんの様子がおかしいわ...」
コナン:「迷宮無しの名探偵...!!真実はいつも一つ...!」
灰原:「ミラクルキュートなサイエンスティスト...!真実はいつも一つ...!」
喧騒に包まれる東都空港。
そこには、サングラスをかけ、帽子を深く被った長身の男と、クールな眼差しを隠した美女の姿があった。
「いい? 工藤君。安室さんや毛利さんたちも同じ便のビジネスクラスに乗っているはずよ。絶対に視線を合わせないで」
志保が周囲を警戒しながら囁く。新一は帽子の鍔を直し、列の先を見据えた。
「ああ……。まさか蘭たちと同じ飛行機で、敵地に向かうことになるとはな。……行こうぜ、志保。アドラステアの『狂華』が、俺たちを待ってる」
二人は一般客の雑踏に紛れ、戦場へと続くゲートを潜った。
東都空港、搭乗ゲート付近。
「がっはっは! 助手としての腕の見せ所ですよ、安室君!」
「ええ、精一杯サポートさせていただきますよ、毛利先生」
快活に笑う毛利小五郎の横で、安室透が爽やかな微笑を浮かべている。
その背後には、修学旅行さながらに浮き立つ少年探偵団の3人と、どこか遠くを見つめる蘭の姿があった。
彼らが優先搭乗でビジネスクラスのブリッジへと消えていく。
その様子を、一般客の列から静かに見守る二つの影があった。
工藤新一と宮野志保。
二人は深く被った帽子の下で視線を交わし、足早に機内後方のエコノミークラスへと向かった。
機内、アドラステア航空776便。
離陸後の低いエンジン音が響く中、二人は肩を寄せ合い、囁くような小声で言葉を交わす。
「……気づかれなかったようね」
「ああ。だが、あの安室さんのことだ。同じ便に『工藤新一』と『宮野志保』の名があることに勘付いてなきゃいいが……」
「大丈夫よ。搭乗名簿は博士が細工して、別のアドレスから予約を入れておいたわ。……それより、これから向かうアンクトラル市。そこにはあなたの叔父……梶谷朝陽がいるのね?」
「……ああ。親父から聞いた話じゃ、相当なキレ者らしい。敵か味方か、それを見極めるまでは油断できねぇ」
二人は窓の外、黒く広がる雲の海をじっと見つめていた。
十数時間の飛行を経て、機体は帝国の玄関口、アンクトラル・ブレイヴ・エルデンリ国際空港へと着陸した。
入国審査を終えた小五郎たちは、待ち構えていたアドラステア外務省の黒塗りの車列に迎えられ、仰々しく市街地へと走り去っていく。その喧騒が去るのを待ち、新一と志保は到着ロビーの隅、人影のまばらな柱の影へと移動した。
「……新一君。……志保嬢。こっちだ」
低く、しかしよく通る声がした。
振り返ると、そこには仕立ての良いダークスーツに身を包んだ、体格の良い男が立っていた。
男の左眼には、漆黒の眼帯が深く覆い被さっている。
「私が呼んだのだ……。急な呼び立て、すまない」
男は周囲を鋭く一瞥すると、隣に立つ、冷徹な美貌を持つ女性を促した。
「私は梶谷朝陽。アドラステア帝国警察庁公安部公安局公安課の警察官だ。そして彼女はレミリア・エレーナ・ヴァレンタイン。アドラステア帝国検察庁公安部の検察官だ」
「検察官……?」
志保が眉を潜める。警察と検察の公安部が揃って出向く。それは、この国における事態がいかに異常であるかを物語っていた。
「挨拶は後だ。君たちの本名は既に消してあるが、いつどこで『組織』の耳に入るか分からん。まずは私の隠れ家(セーフハウス)へ向かうぞ。……そこには、君たちの想像を超える『毒』が待ち受けている」
梶谷の眼帯の下、失われたはずの左眼が疼くように、彼は鋭い一瞥を新一に投げた。その視線は、かつて優作が見せたものと同じ、真実を射抜く眼差しだった。
アンクトラル市街の喧騒から外れた、堅牢な造りのセーフハウス。
室内に入った途端、新一と志保の体に激痛が走った。骨がきしむ音と共に、二人の体は再び小さな子供――コナンと灰原の姿へと戻っていく。
「ふむ……。幼児化したというのは、どうやら本当らしいな」
梶谷朝陽は、眼帯のない右眼で冷徹にその光景を観察していた。荒い息をつきながら、コナンはソファに深く腰掛け、叔父を見上げた。
「……叔父さん。俺たち、一回会ったことあったっけ……?」
「ふむ。優作が実家に帰省した際、ちょうど今の君と同じくらいの年齢の時に会っている。……あれは17年前、私がアルタイルシティ大学でサッカーをしていた頃だ。私はLFW(レフトフォワード)のポジションについていたが、君は当時からST(セカンドストライカー)の動きに魅了されていたよ」
懐かしむような、しかしどこか影のある口調に、コナンは微かに記憶の断片を思い出す。工藤家の血を引く者同士の、確かな繋がり。
「叔父さんには申し訳ないけど……その『事件』っていうのは?」
コナンの問いに、梶谷と隣に立つレミリアの顔が険しく歪んだ。
「事件の発端は27年前、この国で起きた内戦にある。当時、私と優作は第25小隊に所属していた。そしてこちらのレミリアは第26小隊にいたんだ」
梶谷は眼帯に手を触れ、苦い過去を吐き出す。
「戦地で負傷していたレミリアを見つけ、私は彼女を背負って戦火の中を逃げた。……だが、私の左眼はこのざまだ。背後から狙い澄まされた一撃を食らった」
レミリアは静かにスカートの裾を少し上げ、痛々しく残る痕跡を示した。
「私の太腿にあるこの火傷の跡も、その時にできたものよ……。あの時、霞む視界の中で私が見た唯一の手掛かりは、犯人が手にしていた『銀色のワルサーP99』」
彼女はデスクの上に、二挺の拳銃を並べた。
「私たちは今、模倣として同型の銃を持っているわ。梶谷は黒色、私は赤茶色。けれど、あの日見たのは、不気味なほど白く光る銀色だった……」
「銀色のワルサー……」
コナンの脳裏に、かつて父・優作から聞いた「未解決の銃弾」の話がよぎる。
「その銃の持ち主が、今回の事件……軍務省関係者の死に関わっているというのか?」
梶谷は重々しく頷いた。
「明日、外務省のレセプションでベルグリーズがスピーチを行う。……そこで『狂華』が咲く可能性が高い。新一君、志保嬢。君たちには、子供の姿という利点を活かして、組織の影を追ってもらいたい」
会場の円卓では、毛利小五郎たちがアドラステアの宮廷料理に舌鼓を打っていました。
「うむ……日本人として癪だけど、この国の料理も美味しいですね、毛利先生」
降谷零が安室透の顔で微笑みながら、フォークを置きます。その視線は、料理を楽しみつつも、会場内の警備配置を冷静に分析していました。
そこへ、ダークスーツを完璧に着こなした梶谷朝陽が、コナンと灰原を連れて現れます。
「えっ……コナン君!? それに哀ちゃんも!」
蘭が驚き、立ち上がりました。コナンは心臓が跳ね上がるのを感じながら、咄嗟に準備していた嘘を口にします。
「あ、あはは……! 蘭姉ちゃん、実はこの人が僕の親戚のおじさんで……。今、アドラステアでお仕事の手伝いをしているんだ!」
梶谷は蘭に軽く会釈すると、そのまま隣のテーブルに座る威厳ある老人――軍務省長官ウートレッド・ラグナル・ベルグリーズに向き直りました。
「ウートレッド卿。貴方は命を狙われています。軍務省関係者たちが立て続けに不審な事件に巻き込まれていることは、閣下もご存知のはずだ」
「えっ……事件?」
小五郎がワイングラスを止めて呟きます。ウートレッドは深く刻まれた眉間の皺をさらに寄せ、梶谷を睨みつけました。
「……やはりか。やはり、27年前のあの日、お前がその左眼を射抜かれた原因……『銀色のワルサーP99』か。我が国の軍や警察の標準装備はワルサーP99だが、そんな色の銃は見たことも聞いたこともないわ」
「上司からも厳重な警告を預かっておりますので……」
梶谷が言葉を濁しながらも、その上司――寺井黄之助の意向を含ませて告げると、ウートレッドは重々しく頷きました。
「分かった。警戒態勢を敷こう。……だが梶谷、この晩餐会で私の喉を潤すのは、27年前に共に戦った戦友たちが選んだワインだけだ。それが私の誇りだからな」
ウートレッドはそう言って、給仕が持ってきたデキャンタからグラスに注がれた赤ワインを手に取りました。
「平和に乾杯しようではないか。あの日、多くの血を流したアドラステアの未来に」
ウートレッドがグラスを口に運び、一口飲み干したその瞬間。
彼の顔が、見る間に土気色へと変わりました。
「……カハッ……!!」
グラスが床に落ちて砕け散る。ウートレッドは喉を掻きむしり、その場に崩れ落ちました。
「閣下!!」
梶谷が叫び、小五郎が駆け寄りますが、ウートレッドの瞳からは既に光が失われていました。口元からは微かに、アーモンドのような臭い――青酸カリの香りが漂ってきました。
「(バカな……全員が同じデキャンタから注いだワインを飲んでいたはずだぞ……!?)」
コナンは現場を凝視します。小五郎も、降谷も、同じワインを口にしている。なのに、なぜウートレッド卿だけが……?
混乱する会場の隅で、蘭は悲鳴を上げることもなく、ただ静かにその光景を眺めていました。その瞳には、誰も気づかない冷たい「青」が宿り始めていました。