ν名探偵コナン Returns   作:アサシン・零

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第一章 第5話「西宮ビル殺人事件解明編前編」

1994年3月19日、14時45分。

 

二人が乗り込んだのは、高度経済成長期を支え、今や引退の時を待つリアエンジンの古い路線バスだった。床下から伝わる不規則な振動と、軽油の匂いが染み付いた車内。

 

「三丁目は広すぎるわね……。バスを乗り継がないと矢野(やの)までは辿り着けないなんて」

 マージェリーが車窓を流れる米花町の景色を見つめて呟く。米花三丁目中央から上村上(かみむらかみ)で乗り換え、さらに五停留所。二人は子供料金の小銭を運賃箱に投げ入れ、米花矢野停留所で下車した。

 

徒歩三分。目の前に現れた「西宮ビル」は、バブルの名残を感じさせる12階建ての堅牢な雑居ビルだった。

 

「ここか……」

 

「そうね……。死の香りがするわ」

 

ビルを見上げる二人の元へ、サイレンを消したパトカーの車列が滑り込んできた。

 

「おー……君たち、早いな」

 

車から降り立った目暮警部が、驚きを隠せずに声をかける。

 

「早速、現場を見せてくれませんか?」

 

「ああ……案内しよう。佐藤君、高木君」

 

エレベーターで上がった先、管理事務所のフロア。そこには、既に遺体が運び出された後の、生々しい白テープ(チョークライン)が床に引かれていた。

 

コナンとマージェリーは、阿笠博士から提供されたばかりの、小さな手にフィットする特製の白色手袋を嵌める。その動作のシンクロニシティは、周囲の刑事を戦慄させるに十分だった。

 

「早速、始めましょうか」

 

コナンの瞳が、床に残された僅かな擦過痕を捉える。

 

一方、マージェリーは管理人のデスク周辺に残された「指紋」の付着状況と、空気中に残留する微かな有機溶剤の臭いを分析し始めていた。

 

「警部、被害者の西宮さんは、死ぬ直前に『何か』を隠そうとした形跡がある。……それも、強盗が狙うような金品じゃない。このビルの構造に関わる何かだ」

 

コナンが床に膝をつき、テープの縁を凝視する。

 

「江戸川君、見て。この灰皿の吸い殻……。被害者は非喫煙者だったはずよ。なのに、ここには特定銘柄の燃え殻が一つだけ残されている。……犯人は、ここで被害者が息絶えるのを『待っていた』可能性があるわ」

 

1994年の静かな午後。

 二人の小さな天才による、初めての「共同検死」が幕を開けた。

 

「高木刑事、『テナント名簿』を見せてくれませんか?」

 

コナンの問いに、高木は吸い寄せられるように資料を手渡した。コナンはページをめくりながら、その小さな脳細胞にビルの構造を叩き込んでいく。

 

「ふむ……やはり『雑居ビル』ですね。住宅、カフェ、喫茶店……。それに内科や外科といった医院まで入っている。……マージェリー、これを見てくれ」

 

コナンが差し出した名簿を、マージェリーは予備知識という名のフィルターを通して一瞥した。

 

「……なるほどね。江戸川君、これは『私怨での犯行の可能性』が濃厚だわ」

 

「ああ。被害者の西宮さんは人柄が良く、テナント料も相場より安い。金銭トラブルの芽はほとんどない。そうなると、残るのは複雑に絡み合った『人間関係』だ……」

 

背後でやり取りを聞いていた佐藤刑事が、思わず顔を近づけて呟く。

 

「……貴方たち、本当に小学生……なの?」

 

「ええ、小学生ですよ」

 

コナンは眼鏡のブリッジを押し上げ、表情一つ変えずに答えた。

 

「まずは計72テナントを絞り込むことから始めないと、現実的に捜査が進展しません。警部たちが悩んでいるのはそこでしょう? しらみつぶしにやるには、このビルの密度は高すぎる」

 

「犯人が、被害者が息絶えるのをここで待っていた可能性がある以上、これは計画的な他殺よ」

 

マージェリーは灰皿の吸い殻と、遺体のあった位置関係を冷静に指し示す。

 

「ああ。西宮さんが死ぬ直前に『何か』を隠そうとした形跡がある……。その『何か』が、床にある僅かな擦過痕の正体に繋がるはずだ。……佐藤刑事、被害者が倒れていた位置から半径2メートル以内にある家具、すべて移動させて確認させてもらえますか?」

 

コナンの指示は、もはやベテラン捜査官のそれだった。

 

刑事たちが動き出す中、コナンは床に這いつくばり、一箇所だけ他とは違う輝きを放つ「微細な金属片」に目を留めた。

 

「日比谷……! ちょっと来てくれ!」

 

コナンの鋭い呼び声に、マージェリーは現場の床に膝をついた。コナンのピンセットの先には、塵に紛れた鈍い輝きがあった。

 

「これって、『銀』だよな……?」

 

「ええ……おそらく銀だわ。かなり酸化しているわね。……この場所に元からあった備品の一部というより、誰かの装飾品か、あるいはもっと特殊な『道具』の一部が欠けたものかしら」

 

マージェリーはその金属片を小さなサンプル袋に収めると、化学者としての視線で周囲を見渡した。一方、コナンは管理事務所の奥にある書斎へと踏み込む。

 

「ここが西宮さんの書斎か……。千葉刑事、ここにPCなどはありませんでしたか?」

 

「ああ、あったよ。今は証拠品として電源を切ってあるが……」

 

「OSはおそらく『Windows 94(シカゴ案)』か、最新のプロトタイプ……。型番はわかりますか?」

 

1994年当時、PCを使いこなす小学生など皆無に等しい。千葉刑事は目を丸くしながらも「鑑識と確認してみるよ」と、

 

コナンの「圧」に押されるように部屋を出た。

 

次にコナンの目を引いたのは、重厚なデスクの鍵付きの引き出しだった。

 

「やはり……鍵がかかっているか。高木刑事、これを開ける道具を持ってきてもらえませんか?」

 

数分後。戻ってきた千葉刑事の報告によれば、PCは国産の最新モデル。そして高木刑事が鍵を開けた引き出しから出てきたのは、意外なものだった。

 

それは、経年で黄ばんだ紙に、びっしりと手書きで記された**「家系図」**。

 

「……西宮さんが、自分で書いた家系図でしょうね。何を意味しているのかは分かりませんが、単なる親族の記録にしては執念を感じる……」

 

コナンはその家系図の「ある一部分」が、不自然に塗り潰されていることに気づいた。そして、その塗り潰された人物の横には、小さなメモ書きで**「銀の匙」**という謎の言葉が添えられていた。

 

「江戸川君、千葉刑事から聞いたPCのデータだけど……。西宮さんは死の間際、ある特定のテナントに『警告文』をメールで送ろうとしていた形跡があるわ」

 

マージェリーが割り込む。その表情は、この事件の背景にある「血の繋がり」という名の呪いを感じ取っていた。

 

「……銀、家系図、そして警告。……繋がったぞ、日比谷。このビルには、西宮さんが命を懸けて守ろうとした……あるいは『隠そうとした』一族の恥部が潜んでいるんだ」

 

「ただ……その『恥部』とやらが、いまだに判然としない。もっと決定的な情報があれば……」

 コナンが家系図を睨みつけ、思考の海に沈もうとしたその時。

 

「西宮さんの『日記帳』……。佐藤刑事から預かってきたわよ」

 

マージェリーが、年季の入った革表紙のノートを差し出した。

 

「ナイスだ、日比谷……!」

 

二人は顔を寄せ合い、日記の最新のページをめくる。そこには、震える文字で綴られた驚愕の事実があった。

 

「「これは……!」」

 

二人の声が重なる。コナンは眼鏡を光らせ、確信に満ちた声で呟いた。

 

「……もしかしたら、犯人は今回ばかりは『外部』の人間かもしれないな」

 

「ええ……。日記帳によれば、西宮さんの妹は北海道北広島市に住んでいて、今もそこに籍がある。……この『西宮景子』という人物。彼女が、例の家系図から抹消された人物であり、今回の犯人の可能性があるわ」

 

「ああ。『銀の匙』といえば、北広島市にある有名なレストランや工芸のモチーフにもなっている名物だ。……床に落ちていた銀の破片。あれは、妹の景子さんが大切に持っていた、あるいは兄への復讐の証として持ち込んだ『銀の匙』の一部が、西宮さんと揉み合った拍子に欠けたものなんじゃないか?」

 

コナンは立ち上がり、開いたままの家系図を指差した。

「家系図の塗りつぶしは、西宮さんが妹を絶縁した証。だが、日記にはその後悔と、彼女が近日中にビルを訪ねてくることへの恐怖が綴られている」

 

「……つまり、密室の雑居ビル殺人事件は、遠く離れた地からやってきた肉親による、悲劇の清算だったというわけね」

 マージェリーの言葉に、コナンは頷き、待機していた目暮警部へと振り返った。

 

「警部! 至急、北海道警察に連絡を! ターゲットは西宮景子、45歳。北広島市発の寝台特急か、あるいは千歳空港の搭乗名簿を確認してください。……彼女の荷物の中には、一部が欠けた『銀の匙』があるはずだ!」

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