ν名探偵コナン Returns   作:アサシン・零

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1994年編 第一章 蒼彗の序奏曲(プレリュード)
第一章 第1話「ジェットコースター殺人事件前編」


1994年3月12日。

 東京都輪舞区米花町三丁目。

 

 高い塀に囲まれた工藤邸の書斎で、一人の青年がコートの襟を立てた。

 

工藤新一。

 

 ウルフレイドを彷彿とさせる、野生味と端正さが同居した黒髪。その奥にある黒色の瞳は、若さに不釣り合いなほど冷徹に世界を観察している。純血の日本人らしさを色濃く残すその容貌は、まだ「日本で最も有名な高校生探偵」という虚飾を背負う前の、鋭利なナイフのような危うさを秘めていた。

 

彼は卓上の招待状を手に取る。

 

そこには、米花町でも名の知れた資産家、**『山崎家』**の名が記されていた。

 

かつての物語なら、ここで幼馴染が玄関を叩き、遊園地への約束を取り付けていたかもしれない。だが、このリブートされた世界において、新一が向かうのは華やかなデートの場所ではない。

 

そこに漂っているのは、金と、血と、そして人間のどろりとした悪意が渦巻く「現場」だ。

 

新一は革製の手袋をはめ、愛車ではなく、あえて夜の闇に紛れるような黒いバイクのキーを掴んだ。

「山崎家、か……」

 独り言が、冷たい空気の中で白く濁る。

 

 

この山崎家への訪問こそが、のちに「黒ずくめの組織」と呼ばれる巨大な闇へと繋がる、最初の綻び(ほころび)になるとも知らずに。あるいは、1巻から寝坊することなく「本物の戦い」に身を投じてきた彼にとっては、これこそがあるべき日常の始まりだったのかもしれない。

 

新一は工藤邸を後にする。

 背後にある巨大な家屋は、まるで歴史の残骸のように静まり返っていた。

 バイクのエンジン音が、静寂に包まれた三丁目の夜を切り裂く。

 

行き先は、米花町五丁目にそびえ立つ山崎邸。

 そこで彼を待っているのは、単なる殺人事件か。それとも、物語の根幹を揺るがす「組織の影」なのか。

 

山崎邸の広大なリビング。シャンデリアの光が、床に横たわる家主の妻の遺体を残酷に照らし出している。

 

「そう……犯人は窓の外から窓へと飛び移ったんですよ……」

 

 新一の冷徹な声が響く。執事が、家政婦が、信じられないという顔で反論を重ねるが、新一はそれを視線だけで封じ込めた。

 

「犯人は、この中にしかいませんからね。……なあ、ご主人。あんたですよ、家内を殺したのは」

「冗談はよしたまえ……第一、ワシの脚は……!」

 車椅子に深く座り、ブランケットをかけた主人が声を荒らげる。だが、新一の黒い瞳に情けの光はない。

 

「もうとっくにネタはバレてんだ……!」

 

 迷いのない動作。新一の右足が閃き、主人が座る車椅子を思い切り蹴り飛ばした。ガシャァンという衝撃音と共に車椅子が横転する。家政婦が悲鳴を上げた。

 

「旦那様、脚が……!」

「……この人の脚は、もう三日前に治ってんだよ。そうですね、目暮警部?」

 

リビングの影から、トレンチコートを着た目暮警部が静かに歩み出た。その手には、一枚の診断書。

 

「観念しろ、山崎。お前の主治医がすべて吐いたぞ……」

 

「クソ……ッ!」

 

絶望が山崎を突き動かした。不随のはずの脚が床を強く蹴り、窓へと猛烈な速さで走り出す。怪我など最初からなかったかのように。

 

「ま、待て……!」

 

逃走を図る山崎。だが、新一の動きはその数歩先を行っていた。

 

新一の視界が、一瞬で部屋の調度品をスキャンする。

 

ターゲット、山崎の頭部。道具、そこにある真鍮製の重厚な地球儀。

 

「させるかよ……!」

 

一切の迷いなく、新一の右足が地球儀を捉えた。重力と遠心力が、真円の弾丸となって空気を切り裂く。

 

ドゴォッ!!

 

正確無比な一撃。山崎の後頭部に地球儀が直撃し、彼はそのまま前のめりに床へ沈んだ。

 新一は革手袋の指先で前髪を払い、不敵な笑みを浮かべる。

 

「ゴール……♡」

 

その言葉は、推理という名のゲームを完遂した「勝者」の宣告だった。

 

翌、3月13日。15時36分。

 

春の気配を孕みながらも、米花町の並木道にはまだ冬の冷たさが居座っていた。

 

「何だよ……蘭……!」

 

新一の背後に駆け寄ったのは、腰まで届く艶やかな黒髪のロングヘアをなびかせた少女、毛利蘭。その頭部には、彼女のアイデンティティとも言える鋭いツノボムのような髪の束が誇らしげに突き出している。

 

「新一が勝手に事件を解決したことくらい、怒っていませんよーだ……!」

 

蘭は子供っぽく舌を出し、新一の隣に並んで歩き出す。

 

「まあ、蘭のお父さんも探偵だもんな……。でも、仕事がねーのは、あの人の腕のせい――」

 

言いかけた新一の言葉は、凄まじい「破壊音」によって遮られた。

 

ドゴォォォン!!

 

蘭の回し蹴りが、歩道に立つコンクリートの電柱を完璧に捉えていた。表面は砕け、鉄筋が微かに覗くほどの威力。新一は額に冷や汗を浮かべながら、その光景を横目で見る。

 

「流石は空手部主将の女……。人型重機かよ」

 

「えへん!」

 

破壊の跡を気にする様子もなく、蘭は満足げに胸を張った。そして、少しだけ頬を染め、期待に満ちた瞳で新一を見上げる。

 

「それよりも、新一……約束、覚えてる? 私が空手の都大会で優勝したら……港南町のトロピカルランドに連れて行ってくれるっていう、あの約束」

 

新一は歩みを止め、少しだけ照れくさそうに頭を掻いた。

「ああ……。明日の16時、トロピカルランド。忘れるわけねーだろ」

 

蘭の顔がパッと輝く。

 

だが、新一の脳裏には、昨日山崎邸で解決した事件の「不自然な余白」がまだこびりついていた。あの山崎という男が、病的なまでに何かを恐れていたあの目。

 

日常と非日常。

平和なデートの約束と、蠢き始めた巨大な闇。

「……ま、明日くらいは探偵はお休みだ」

 

新一は自分に言い聞かせるように呟いた。

 

しかし、運命の1994年3月14日は、すぐそこまで迫っていた。

 

1994年3月13日、深夜。

 静寂に包まれた米花町三丁目の路上に、一台の車が音もなく停まっていた。

 

白塗りの三菱パジェロ。

 

RVブームの象徴でありながら、その無機質な白は、夜の闇の中で異様な存在感を放っている。運転席に座る女性――宮野志保は、ハーフ特有の透明感のある肌に、冷徹な知性を宿した瞳で工藤邸の窓を見つめていた。

 

「フッ……あれが工藤新一。面白そうね……」

 

組織の若き科学者、コードネーム「シェリー」。彼女の手元にある資料には、新一がこれまでに解決した事件の記録が、その冷酷なまでに論理的な思考回路と共に記されていた。

 

志保は薄く笑い、パジェロのアクセルを静かに踏み込んだ。タイヤが夜の路面を噛む音だけを残し、白い影は闇へと溶けていく。

 

その視線に、新一は微かな違和感を覚えたが、昨日の事件の疲労が勝り、眠りの深淵へと落ちていった。

 

――そして、運命の3月14日、16時12分。

 

港南町のトロピカルランド。原色の遊具と喧騒が渦巻く中、新一は息を切らして待ち合わせ場所へと駆け込んだ。

 

「蘭……! 悪い、遅れた……!」

 

腕時計の針は、約束の時間を12分回っている。今日もまた、帰宅途中に遭遇したひったくり事件の現場検証を放っておけなかった。

 

「もう……遅いよ新一! 早く早く、次はこれに乗るんだから!」

 

待ちくたびれたはずの蘭は、怒りよりも期待を滲ませ、新一の腕を引いた。彼女が指差す先には、巨大な骨組みがうねるように空を切り裂く絶叫マシン――『ミステリー・コースター』がそびえ立っている。

 

新一は苦笑しながら蘭に従うが、その鋭い視線は、周囲の喧騒に混じる「異質な空気」を察知していた。

 

列の数人後ろ。

 

黒いトレンチコートに身を包んだ、異様に体格の良い二人組。

 

一人は、腰まで届く銀髪を隠そうともせず、周囲に氷のような殺気を撒き散らしている。

 

もう一人は、黒いサングラスの奥で執拗に周囲を警戒している。

 

(……この暑苦しい日にトレンチコートだと? 冗談じゃねーぞ……。あの目は……『獲物』を狙うプロの目だ……)

 

新一の「探偵」としての本能が、警報(アラーム)を鳴らし始める。

 

平和な遊園地という舞台に、あまりにも不釣り合いな「死の予感」。

 

「新一、どうしたの?」

 

「……いや、なんでもねーよ」

 

新一は蘭に悟られないよう笑みを返したが、その右手は無意識に、ポケットの中の警察手帳――「本物の捜査」への鍵を握りしめていた。

 

ジェットコースターの搭乗を待つ列の中、新一の口調は熱を帯びていた。

 

「そんで……ホームズの凄いところは、初対面のワトソンを一目見ただけで、英国アフガニスタン遠征軍の衛生兵だったことを見抜いちまった点にあるわけさ……!」

 

新一は言葉を続けながら、自然な動作で前に並んでいた面識のない女性の手をそっと握り、その掌や腕の筋肉の付き方を確認した。

 

「例えば、こんな風にね。……貴女、**『体操選手』**ですよね?」

 

突拍子もない行動に、蘭の顔が引きつる。「ちょっと新一、誰ですかその人は……!」

 

「中条志美です……」

 

戸惑いながら名乗った女性に、新一は確信に満ちた瞳を向ける。

 

「それも、専門は**『平行棒』**だ。違いますか?」

 

「どうして……それを……?」

 

「貴女の太腿から脹ら脛にかけての、独特の痣(あざ)。さっき風でコートの裾がめくれた時、見えたんですよ。あれは平行棒の選手が着地の際やバーとの接触で作りがちな特有の痕跡だ」

 

新一の指摘はあまりに正確で、中条は言葉を失う。すると、彼女の連れである岸田という男が、不機嫌そうに新一を睨みつけた。

 

「おい、うちの連れにちょっかい出してんじゃねえよ……!」

「おっと、お友達でしたか。失礼……ならば、順番を代わりましょうか? 貴方たち二人を邪魔しちゃ悪いしな」

 新一はわざとらしく道を開け、彼らを先に行かせようとした。中条の隣にいた眼鏡の女性――椎奈美咲が、控えめに会釈する。

 

「椎奈美咲です……別に代わってもらってもいいですよ」

「いいわよ美咲、あの二人(新一と蘭)の邪魔をしても悪いしね」

 

中条は苦笑しながら、新一の提案に乗って列を詰めた。

 

その光景を、新一は一瞬だけ、笑みの消えた真剣な眼差しで見送った。

 

(……岸田、中条、椎奈。この三人の間にある空気……親密なようでいて、どこかトゲがある。特にあの眼鏡の椎奈、さっきから岸田の背中を見る目が尋常じゃねえ……)

 

新一は、彼らの背後に並ぶ「黒いトレンチコートの男たち」に視線を戻した。彼らはこの若者たちのやり取りに一切の関心を示さず、ただ静かに、死神のように順番を待っている。

 

「新一、何ブツブツ言ってるの?」

「……いや、なんでもねーよ。それより、いよいよ次だぜ」

 

コースターがホームに滑り込み、ブレーキの焦げた匂いが立ち込める。

 

1994年3月14日、16時25分。

 

死のレールが、彼らを高みへと誘い始めた。

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