自分を後藤ひとりと思い込んだ一般ぼっち大学生が、川崎でガールズバンドを組む話 作:淵岳 月夫
「……に、仁菜ちゃん、詰まってる?」
「詰まってないです」
問題集を見つめていると、横からした声につい反射で答えてしまった。
時計を見ると手が止まってから二十分近く経っていた。側から見ると詰まってるように見えるかもしれない。
だけど、頭の中では解法が導けて、
「……すみません、詰まってます」
「あっはい」
全然なかった。
ていうか、数学というものが難しすぎる。
なんなの微分って! なんでxを減らさないといけないの、そっとしておいてあげなよ!
「あっここは関数がたくさんあるから対数を取って微分しよっか。
先に両辺の絶対値を取ってみて」
「あっはい」
そうやっていじけていると、ぼっちさんが詰まっている部分について丁寧に解説しはじめて、思わずいつものぼっちさんみたいに返してしまう。
これが、ここ最近で私たちの間でよく交わされるようになったやりとりだ。
きっかけは予備校の課題に苦心してスタジオに課題を持ち込んだとき。
すばるちゃんにからかわれるのを無視して課題を解いていると、ぼっちさんに間違った解答について指摘されたことだった。
『えっ、ぼっちさん、……ひょっとして、この問題わかるんですか?』
『あっはい、勉強してたので』
我ながら失礼なことを聞いた気がする。
そうして、私はぼっちさんに勉強を教えてもらうようになった。
練習の終わりだったり、休日にこうやって私の家に来てもらったり。
「と、答案を見てると仁菜ちゃんは極限が苦手みたい。
ここが分かってないと微積分も苦手になっちゃうから、少しおさらいしよっか」
「なるほど……」
こうしてみると、ぼっちさんって本当に大学生なんだ。
教科を問わずに教えてくれるし、答えられなかったところも模範回答を見れば解説してくれる。
普段の言動からは想像できないくらい頼もしく見えた。
「ぼっちさんでもこうなら、大学に行ったらみんなこうなるのかな」
「な、なに?」
「いえ。……ぼっちさんって、大学に行ってためになりました?」
そう質問すると、ぼっちさんは数秒フリーズした後、
「す、すいません! 流石に大学を辞めたら両親に面目が立たないんです、どうかご慈悲を……!」
「辞めろって言ってるんじゃないんですよ!」
なんてのたまっていた。ほんとなんで普段はこうなんだ、この人。
「私は色々あって大学に行かないといけないんですけど、大学に行ってこれをしよう、みたいなものはないんです。
ぼっちさんもサークルとか研究とかの大学っぽいことには縁遠そうじゃないですか」
「ウッ」
「だったら、大学に行って心から良かったって思えるのかなって」
それに、すばるちゃんもぼっちさんのギターの腕前はプロ以上だって言っていた。
だったら、そのままなるものなんじゃないだろうか。
プロのなり方なんてわからないけど、プロ目前だった桃香さんも大学には行っていない。
それなら、音楽のプロになるのに大学に行くのは必ずしも必要じゃないはずだ。
そんな人がわざわざ大学に通っているのは、ちぐはぐな気がする。
「だ、大学か……、授業の席が固定されてないから陽キャグループが近くに座らないよう毎回お祈りタイムだし、1限と6限しか授業がないと居場所がない身としてはキツいし、オンライン授業だけだと一日中家だからそれはそれで虚しいし……」
「ろくな思い出がない……」
「で、でも、行って良かったかな」
怨霊みたいにぶつぶつと呟いていたぼっちさんは、その呟きとは正反対の言葉を口にした。
「大学って、本当にいろんなことが勉強できるんだ。
難しい経済だったり、昔の哲学だったり、かっこいいデザインとか、ただしい歩き方なんてものも教えてくれる授業もあったり」
「……すごい雑多ですね」
「あっうん。いろんなことを勉強していくと、こういう風に見えてた人がいたんだなって思えるのが、嬉しいんだ。
……ご、ごめんね、わかり辛くて」
「いえ、わかりました。なんとなく」
たとえば枕草子を習ったあと。朝早くに起きたときにはなんとなく山の方を見るようになった。
私はそれが自分だけのものだと思っていた。
だけど、ぼっちさんはそれを綴った人や、その言葉に心を打たれた人たちと同じ目線を持てたことに喜びを感じているんだと思う。
それは素敵だけれど、砂漠で水を探すようなわびしさに似ていた。
「あっあと、大学を卒業見込みだと求人を出してる会社が多くて助かってるかな……」
「急に俗っぽい話になりましたね……」
ていうか、これだけ就職を意識してても会社って入れないんだ。
ぼっちさんを憐れむべきか、世の中の会社がまともなことを喜ぶべきか悩むな。
「だ、だから、ためになったかはわからないけど、良かったって思ってるかな。
……仁菜ちゃんは大学、行きたくなった?」
「まあ、ですね」
ぼっちさんの理屈が私にもそのまま当てはまるとは思わないけど、ぼっちさんが楽しんでることは伝わってきた。
それに、勉強が楽しくなくてもサークルに入ってみてもいいし、バンドもある。
そう考えるとぼっちさんより大学生活を楽しむことはできそうだ。
「じゃ、じゃあ、この問題は解けるようになろうね、へへ」
「……ぐぅ」
ぼっちさんの言葉になにも返せなくなり、私は数学の問題集へと向き直った。
問題を解いているうちに私の思考はまた別の事柄に飛んでしまう。
この人はなんで、ずっと独りだったんだろう。
駄目なところは数えきれないけど、凄いところもあって、なにより思いやりがある人だ。
『ひとりさんは夢の中で生きてるんだよ』
すばるちゃんはそう話していた。
前に家にお邪魔して、すばるちゃんとの話し合いがひと段落付いたときのことだ。
ビーズクッションの感触を楽しみながらぼっちさんが加入した理由の続きを急かした私は、思いがけない返しを受けてソファの角に座るすばるちゃんに向かって座りなおした。
『ここではないどこかを夢見てて、それ以外はボヤけちゃってるのかもね。
自分の凄さも、周りの人も』
『どこかって?』
『言わない。でも、私たちにとってはあんまり関係ない話だよ。
私はたまたまその話を聞けて、
手に職を付けたいっていう表面的な話もからめて、なんとかなったって感じ』
……肝心なところをぼかして話されると余計に気になるんですけど。
睨みつける私の視線を無視して、すばるちゃんは続けた。
『でも、ひとりさんの全力を引き出せてはない。
バンド慣れしてないってのもあるけど、一番はやっぱ、気持ちの問題だと思う』
『全力じゃないって、あの上手さで?』
『前も言ったでしょ、プロの中でも上澄みだって。
ニーナはギターヒーローって知ってる?』
『なにそれ、お笑い芸人?』
私の返答にすばるちゃんはソファからずり落ちそうになった。
『まあ、知らないならいいや。
とにかく、あの人の気持ちは別のところにあるんだよ』
『別のって、昨日のエチュードみたいな感じ?』
『あー、近いかも』
すばるちゃんは、自分の気持ちに嘘はつけない~、なんて手を広げた。
その姿がやけにコミカルで腹が立つ。
『すばるちゃんは悔しくないの?
一緒にバンドしてるのに、私たちのことは二の次ってことでしょ』
『……ニーナは桃香さんにも同じことを言える?』
『それは、ぼっちさんとは話が違うじゃん』
『どうなんだかねぇ』
そう言うと、すばるちゃんは腕を組んでソファにぼすんと横たわった。
ぼっちさんがバンドを組んだのはすばるちゃんが初めてのはずだ。
それどころか、友達すらいたことがないなんて言っているのに、桃香さんと、ダイヤモンドダストと重ねて話すのはおかしい。
なのに、すばるちゃんがわざわざ桃香さんに例えたのは、なんでなんだろう。
二人はどんな話をしたんだろう。
『じゃあ、すばるちゃんがぼっちさんと組みたいって思ったのはどうして?』
『そりゃあギターが上手いからだけど……。
本当は、なにもないわけないって言いたかったからなのかもねえ』
言ってることは分からないけど、頬杖を付きながら答えたすばるちゃんはやけに素直に見えた。
◇
「ぼっちが風邪?」
「はい、今朝L〇NEで連絡がありました。季節外れのインフルらしいです」
スタジオに入ってぼっちさんからの連絡を伝えると、桃香さんが怪訝な顔をしていた。
「いや、おかしいだろ」
「桃香さん、具合の悪い人に無理させるのはよくないですよ。
うつすものですし、ゆっくり休んでもらわないと」
「あたしには大学の試験って言われてんだけど」
「はぁ?」
なんか、聞き捨てならないことを言っている。
「昨日たまたま会って飯食ってたら、卒業に必須だからってさ」
「……すばるちゃん、なにか聞いてる?」
「……家が火事だって、さっき電話で」
天を仰いだすばるちゃんはそう答えた。
この時、私たちの脳内は一言違わず一致していたと思う。
こいつ、嘘をつくのが下手すぎる……!
「え、なんで? なんで嘘ついた?
なんで別々の嘘ついた? わからない、ワカラナイ」
「すばるちゃん、ロボットみたいになっちゃった……」
「……ぼっちは意図して別々の嘘をついたんじゃない」
「分かるんですか、桃香さん!」
頭から火を噴いているすばるちゃんをよそに、桃香さんが恐る恐る口を開いた。
「あいつは、その時々で渾身の嘘をついていた。ただそれを忘れていただけなんだ。
奇しくも、それぞれで連絡ツールが違ったから以前付いた嘘との矛盾に気づくことも出来なかった」
「それってつまり、ぼっちさんの記憶力が、ダチョウ並ってことですか?」
「ああ、そうだ」
ぼっちさんの頭が悪すぎる。
そういうことになってしまった。
「ぼっちさんって、勉強できるし、頭は良かったはずじゃ」
「それだけ頑張ったんだろうな。すごいな、ぼっちは……」
「凄すぎて涙が出るわ」
私たちはみんな思わず天を仰いだ。
もしかしたら、ぼっちさんはもうどうしようもない生き物なのかもしれない。
「いや、でも! なにか理由があるんじゃないかな!?
ぼっちさんでも休むときには休むって言えるくらいにはまともなはずだし!」
「な、なるほど、今のひとりさんはデバフを食らってるってことだ!」
「下手な嘘をつくくらい追い込まれた理由か……」
そこには、嘘をついた人に代わって必死に弁明をする私たちがいた。
有罪確定の事件の弁護士ってこんな感じなのかな。
すると、スタジオの扉がぎぃと開く音がした。
振り向くとそこには、ギターを担いでピンク色のジャージを着た、
「どうも~、後藤ひとりで~す♥
今日もテンションアゲアゲでいきまっしょい!」
推定年齢四十代の女性が立っていた。
空気が固まる音がする。
その女性以外の誰しもが指先一つも動かすことができない。
私たちはこの人を知らない。だが、確信があった。
ぼっちさんが暴走していた原因、この人だ!!!
◇
「ごめんなさいね、大したもてなしもできなくて。
これ、好みに合ってるかしら」
「い、いえ。お気遣いありがとうございます。
どれも美味しいです」
「よかった、沢山あるから遠慮しないでね」
普通の服装の美智代さんが空になったコップにお茶を継いでくれた。
目の前の座卓にはクッキーやチョコのアソートがお盆に広げられている。
いくつか食べてみたけど、ひとつひとつ包装されてて食べやすかった。
「もうすぐひとりちゃんも帰ってくると思うから」
「……あの、今更ですけど、ここで待っていていいんですか?」
「大丈夫大丈夫! いつも綺麗にしてるし、ひとりちゃんも喜ぶわよ〜!
じゃあ、私は下にいるから、暇になったらいつでも声をかけてね」
「は、はい」
じゃあね〜、と手を振って美智代さんが襖を閉める。
一息ついてあたりを見渡すと、そこは簡素な和室だった。
私は今ぼっちさんの家にいる。
なんでこうなったかというと、ぼっちさんに説教するためだった。
あの後、スタジオに入って来た不審者はぼっちさんのお母さんだった。
『あら、バレちゃったわ〜』なんて照れていた姿を見て私たちが恐れ慄いたのは言うまでもない。
『ぼっ、ひとりさんのお母様はどうしてこちらに?
そ、そんな格好で……』
『あらやだお母様なんて、美智代って呼んで?
そうそう、ひとりちゃんなんだけど、実は予定がブッキングしちゃったみたいでね』
美智代さんいわく、ぼっちさんは就職活動が順調みたいで*1久しぶりに面接まで漕ぎ着けたらしい。
ただ、面接が今日、つまりスタジオ練の日と重なって、ぼっちさんは面接を辞退しようかと考えるくらいには悩んでたそうだ。
『やだなあ、そんなの面接の方が大事ですよ〜』
『ありがとうね。私もひとりちゃんの頑張ってることは応援したいなって。
だからお母さん、ひと肌脱ごうと思いました!』
『それで……』
それでぼっちさんが暴走したのか。
母親が自分のふりして知り合いの前に出ようとするなら、自分ひとりでなんとかしようと必死になってもおかしくない。
おかしいのはぼっちさんも同じだけど。美智代さんも止められてないし。
そこまで理解したところで、ふつふつと怒りが湧いてきた。
そもそも、ぼっちさんが練習を休むとはっきり言えば済む話じゃないか。
それを面接を辞退するやら、嘘をついてごまかそうやら、バカじゃないかと。
『美智代さん、ちょっと案内してください』
『あら、あららら』
『ちょ、ニーナ、どこ行くの?』
『説教!』
そんな怒りを帰ってすぐにぶつけるため、あと、娘のコスプレをした母親という劇物を元の姿に戻すため、私はスタジオ錬を抜けてこの家にやってきた。
ぼっちさんの面接自体は昼過ぎには終わるらしいから、帰ってくるまで時間がある。
それまで、私はぼっちさんの部屋で待たせてもらっていた。
しかし、暇だ。
勉強道具は持ち歩いていたから勉強していたけど、いつもと場所が違いすぎて捗らない。
……スマホでもいじろっかな。
いや、今って本来は練習の時間なわけで、なのにスマホを触ってるのはズルだ。
そんなことをしたらぼっちさんに説教できる立場ではなくなってしまう。
いっそ電源も落としてしまえ。
「えいっ」
去れ、
私は電源の切れたスマホをしまうと体を後ろに倒して畳に寝そべった。
木の天井には四角い照明がつけられていて、なんだか熊本の家の居間を思い出してしまう。
改めて見渡すと殺風景な部屋だ。
座卓のほかにはいくつかの収納棚と、たたまれた布団と、出しっぱなしの扇風機と、姿鏡くらいしかない。
棚の上にいつ使うかもわからないコピー機が置かれていて、逆に生活感がない。
定年後のお爺さんでももっと物があるだろう。
「ていうか、ギター用品はどこ」
ぼっちさんって色々機材も持ってたはずだし、置き場くらいはあるはずだ。
そう思って部屋を見直すと、電源プラグからコードが伸びていることに気づいた。
コードは押し入れの中に続いている。
「……美智代さんも待ってていいって言ってたし。部屋の一部だし」
がらり、と、押し入れを開けてみる。
押し入れの中は打って変わってごちゃついていた。
ギタースタンドや音響機器、PCなどが人一人分のスペースを空けて置かれていて、壁にはロックバンドのポスターが所狭しと貼られている。
知らないバンドのポスターばかりだけど、そのなかにひとつ、目を惹くものがあった。
他のポスターより小さい、飾り気のないデザインのチラシには私たち『新川崎(仮)』の名前が確かに書かれていた。
「こんなのあったんだ、って、あっ!」
近くで見ようと押し入れの奥に体を入れると、手元に積んであったものを崩してしまった。
やってしまった、と散らばったものから一つを手に取る。
それは透明なケースだった。中にはCDが入っていて、真っ白な表面にはマジックペンで「結束バンド」と書かれている。
よく見てみると、散らばったCDの全てに同じ文字が書かれていた。
違いは小さく書かれた日付や、「バージョン〇〇」、「完成版」、「決定版2」なんていう文字がある。
何回完成してるんだろう。
「最新のは……、これかな」
直近の日付が書かれたCDを手に取ってみる。
明らかに手作りだし、ぼっちさんの曲ってこと?
積まれたCDの中には数年前の日付が書かれたものもある。ずっと前から作っていたのかな。
そんな風に手元のCDを見つめていたら、押し入れの外でガララという音が聞こえる。
慌ててCDをしまって押し入れの外に出ると、部屋の入り口に小学生くらいの女の子が立っていた。
「……泥棒ですか?」
「ち、違うから!」
◇
「おねーちゃんに本当に友達がいたんだね!」
「ライブを見るまでは正直、妄想か幻想かなってお母さんも思ってたわ~」
「ははは……」
ぼっちさんって本当にぼっちなんだな。
なんてことを、リビングで向かいに座る二人の会話を聞いて考える。
私はぼっちさんの妹、ふたりちゃんに必死に弁解をした。
だいぶ疑いの目でみられていたけど、美智代さんの弁護によって疑いが晴れたようだ。
よかった。バンド仲間の家族から泥棒扱いされるのは流石にキツイ。
ふたりちゃんは快活でしっかりしている子だ。
友達も多いらしく、ぼっちさんと似ても似つかない。
私もこういう妹が欲しかったな。
「もしかして、おねーさんが虹夏ちゃん?
あ、喜多ちゃんかな」
「にじ……? 私は井芹仁菜っていうの。
ふたりちゃんには仁菜って呼んでほしいな」
「あ、知ってる! ライブでひらひらの衣装着てた人!」
「ぐっ」
み、見られていた。
最後の方は気にしてなかったけど、改めて指摘されると恥ずいな。
「仁菜ちゃん歌上手いよね!
私も仁菜ちゃんくらい歌えるようになりたいな~」
「……私が教えてあげようか?」
「いいの!? 私A◯T歌えるようになりたい!」
「任せて。すぐ歌えるようになるから!」
「やったー! 今から教えて!」
いけるでしょ、うん。ぼっちさんの妹だし。
AP◯知らないけど。
「あっ、でももう出なきゃいけないんだった。ごめんなさい」
「いいよ。遊びに行くの?」
「うん! 学校で決めてね、友達の家で映画見るの!」
「あまり遅くならないでね。お母さん迎えに行こうか?」
「お父さんにL〇NEする~!」
そう言って、ふたりちゃんは走り去っていった。
過保護だななんて思ったけど、私も小さい頃はお姉ちゃんが迎えに来てたっけ。
ぼっちさんも私が遅くに帰るときはよく付き添おうとするよね。
あれ、もしかしてぼっちさんって私も子供扱いしてる?
「ふたりに付き合ってもらってありがとうね」
「いえ、私も暇でしたし」
「ひとりちゃんも遅いわよねぇ。もう面接も終わってると思うんだけど」
美智代さんの目線の先にある時計は、もうすぐ4時になることを私たちに教えていた。
たしかに、もうぼっちさんも帰ってきていてもおかしくない時間だろう。
ふたりちゃんが学校から帰ってくるわけだ。
「せっかく家まで来てもらってるんだし……、ちょっと待っててね」
美智代さんはそういってリビングから出ていく。
しばらく待っていると、美智代さんは数冊のアルバムを持って戻ってきた。
「はい。これ、ひとりちゃんの写真。たくさん撮ってあるのよ。
こっちは中学の卒業アルバムね」
「えっ、いいんですか、見ても」
「もちろん! ひとりちゃんも止めたかったら帰ってくるでしょ」
あ、悪魔みたいな理屈だ。
エスパーかなにかじゃないとバンド仲間にアルバム見られそうなんて気づけないでしょ。
まあ見るけど。
「うわっ、めっちゃ赤ちゃんだ」
「大きいでしょ~。産むときも大変だったんだから」
アルバムにはぼっちさんが生まれてからの写真が詰まっていた。
生まれたときの体重からはじめて寝返りをしたときまで残されている。
私のアルバムも似たようなものだったな。親ってみんなこうなのかな。
うわ、おもらしの写真もある。
「ほらこれ、ひとりちゃんが初めてギターを持ったときの。
記念に取らせてもらったの」
「こんな小さなころから始めてたんだ。
初めから今のギターだったんですか?」
「そうなの。小さいギターも買おうとしたけど、ひとりちゃんがこれがいいって」
そうしてしばらくの間、アルバムを話のネタにして時間が過ぎていった。
ぼっちさんが小学校に上がるころには遊びに連れて行かれたりといった写真も少なくなって、ギターを持っている写真が大半を占めている。
弦で指を切ったり、押し入れを防音用に作り変えているところを眺めていたり。
そんな写真でも、彼女はギターを抱えていて、家族が周りにいて、それ以外はいなかった。
「……あの、美智代さん」
「なぁに?」
「ニジカちゃんって、誰ですか?」
ふたりちゃんは言っていた。私がニジカちゃんなのかと。
友達もいないぼっちさんの家族が口にした名前。
私にはニジカちゃんという人が、ぼっちさんが見ているという、ここではないどこかに関係があるのだと思えてならなかった。
返事はすぐには返ってこなくて、時計のカチカチという音が耳につく。
困ったような顔をした美智代さんを私はじっと見つめた。
目を逸らすと、はぐらかされてしまう気がしたから。
美智代さんはそうね、と口を開いた。
「仁菜ちゃんは運命って信じる?」
「うんめい、ですか?」
突拍子もない質問を真面目に受け止めてしまったのは、彼女の目が真剣だったからだ。
「はい、信じてます」
「ふふっ。仁菜ちゃんって面白いわねぇ」
「……やっぱ茶化してます?」
「ごめんなさい、茶化した訳じゃないの。
あの子も同じだったのかもね」
そういって、美智代さんは手元のアルバムの表紙を撫でる。
「ひとりちゃんは会ったことも、聞いたこともない子のことを幼い頃から良く知っていたの。
自分はその子たちと出会うために産まれたんだ、その子たちのためになるんだって」
「それが、ニジカちゃんたち……結束バンドって奴ですか」
「ええ。あの子がギターを始めたのもそれが理由。
みんなでバンドを組んでライブハウスで演奏したり、江の島に行ったり、Zeppやロッキンのメインステージを満員にするんだって」
「満員」
「楽しいがたくさんよね~」
ぜっぷもろっきんも聞いたことないからピンとこないな……。
ていうかなんで江の島?
「ひとりちゃんの将来の話は聴いていてわくわくしたし、頑張ってる姿は輝いてたわ。
でも、高校に上がった頃からその子たちの事は話さなくなって、学校もちょっと休んじゃったりもしたの。
会えなかったのね、きっと」
出会うと信じていた人に、出会えなかった。
話を聞いているだけの私には当たり前のことに思えてしまう。
だけど、その運命を信じたことがプロみたいにギターが上手なぼっちさんを生み出したのだとしたら。
なんというか、哀れだ。
「だからね、嬉しいの。ひとりちゃんに仁菜ちゃんたちみたいなお友達ができて」
「……私は、私たちは、結束バンドの代わりじゃないです」
「それでいいと思うな。仁菜ちゃんはひとりちゃんの好きなところと、すばるちゃんや桃香ちゃんの好きなところは違うでしょ?」
「は、はい」
「それとおんなじ。仁菜ちゃんは仁菜ちゃんなりに、ひとりちゃんにぶつかってあげて」
本当にいいのかな。ぼっちさんの近くにいるのが、私たちで。
ぼっちさんにとっての運命は結束バンドで。
物心が付いた頃からギターを持って、物心が付いた頃から思い続けていて。
『やりたいことも一緒で、これが運命なんだって感じた』
それは確かに、私にとっての、桃香さんにとっての、ダイヤモンドダストだ。
それに代わるものなんてないのに。
て、あれ?
「ぶ、ぶつかる?」
「うん」
「支えるとか、そういうのじゃなくて?」
「なに言ってるの。仁菜ちゃんはまだ17歳でしょ?
大人の悩みを背負ってなんて頼めるわけないじゃない」
「あはは……」
大人って言っていいのかな、あの人。
「それにね、いつだったかな。ひとりちゃんが小さい頃。
私の前をあの子が歩いてると、転んじゃったの」
美智代さんは思い返すように目を閉じる。
「砂利道だったし、ひとりちゃんもスカートだったから、膝を擦りむいちゃっててね。
痛かったと思うな。でも、あの子は一人で立ち上がった」
ぐずぐず泣きながらね、と笑うと、彼女は私の目を見つめる。
「ひとりちゃんはね、一人で立ち上がれる子なの。
どんなに時間がかかってもね」
「一人で……」
「だから、仁菜ちゃんは心配なんてしないで、全力でぶつかってあげて。
私はここにいるんだぞって、気付かせるくらいに」
そういって美智代さんはガッツポーズをしてみせた。
「……ぼっちさんが凄い理由、分かった気がします。
美智代さんが凄いからなんですね」
「あら、嬉しい。でも、ひとりちゃんの手柄を奪っちゃうのは忍びないかな~……、あら」
すると、玄関の方から扉が開く音がした。
「ひとりちゃんね。もう、あの子ったら遅いんだから」
「……美智代さん、ありがとうございました。
ちょっと、ぶつかりに行ってきます」
「ふふっ、気を付けて行ってらっしゃい」
ひらひらと手を振る美智代さんにお辞儀して、私はリビングを出た。
玄関を見ると、リクルートスーツ姿でギターケースを背負ったままのぼっちさんが背中を向けて靴を脱いでいる。
「ただいまー。
お母さん、変なこと聞くんだけど……」
「おかえりなさい、ぼっちさん」
「キェェェェェェアァァァァァァ!!!!!!!!」
リラックスした様子のぼっちさんは、話しかけた途端しゃがんだ状態のまま飛び上がった。
どうやったのか気になるけど、重要なことじゃない。
「じゃ、行きますよ。靴も履きなおしてください」
「に、仁菜ちゃん!? どどどどdどどど?!」
「決まってるじゃないですか」
ライブも満員も今すぐ出来ないし、正直よくわかってないけど。
行けるところなら一つある。
「江の島です!」
◇
「……遠いですね」
「だ、だね」
私たちは空いている電車に揺られながら向かいの車窓を眺めていた。
「外、暗くなっちゃってますね」
「ま、まだ春だから日の入りも早いね」
乗り換え二回目。横浜まで戻って、藤沢に来るまでで一時間。
夕方のうちに着くと思っていたけど、日の入りが先に来るには十分な時間だった。
「直線距離だと絶対もっと近いのに遠回りしなきゃいけないなんて、不便ですよね」
「免許持ってなくてすみません……。車なくてすいません……」
「なんでそう受け取るんですかぁ!」
負の連想ゲームの天才か、この人?
「ていうか、そんなことよりもっとあるでしょう、謝るべきことが!
なんで今日、面談と練習がブッキングしてたことを言わなかったんですか、嘘までついて!」
「ウッ」
ぼっちさんは私の言葉に一層小さくなっていた。
だが、そんなしぐさで私の説教が終わると思ったら大間違いだ。
「す、すみません。バンドより就活を優先したって思われたくなくて……」
「は? そんなの直接言えばいいじゃないですか」
「正論が痛い……」
なんだろう、この人には無限に言葉で勝てる気がする。
「面接の後にスタジオに合流したけど、仁菜ちゃんがいなくて連絡もつかなくて……。
あ、あれ、そういえばなんで仁菜ちゃんはわたしの家にいたの?」
「………………ベツニ?」
「あっ」
ぼっちさんは気付いてしまったらしい。
私たちがぼっちさんの家がどこかなんて知る由もないことに。
ぼっちさんの家を知っている人の案内が必要なことに。
その案内人が、ぼっちさんが必死に止めてただろう人であることに。
「お、おお、お、おッ! あっ終わったあははははははは」
「ぼっちさん、電車内です」
「わたしは罪人の娘です……」
「ぼっちさん、美智代さんはなんの罪も犯してないです」
多分。うん、多分。
「に、仁菜ちゃん、この世には善意から生まれる惨劇があるんだよ。最期にそれだけは、覚えておいて……」
「ぼっちさんがいつもやってる奴ですね」
「ぐはッ!」
それっきり、ぼっちさんの意識は途絶えてしまった。
死後硬直くらい動かない。どうなってるの、この人の体。
◇
「ぼっちさん、起きてください! ほら、起きて!」
「はっ!」
そう言って頬を叩くと、ぼっちさんはようやく目を覚ました。
「えっ、ここ、え、砂浜?」
「駅を降りたんですけど、よくわかんなくて着いちゃいました」
そういってぼっちさんを振り向かせると、そこには島へ向かう一本の橋があった。
ぼっちさんを引きずって歩いていたらいつの間にか橋に向かう道を通り過ぎていたのだ。
駅からは全然遠くないのに、小さい橋を渡ったり地下に入ったりでややこしかったから仕方ない。
「な、なるほど?」
「でも、ここ全然人がいないんですね。江の島の方もそうなのかな」
「ほ、ほんとだ、イメージと全然違う……」
海岸線には人影がまったくなく、等間隔に並ぶ街灯が砂浜をぼんやりと照らしているだけだった。
黙って砂浜を見つめると、波の音だけが私たちに音を届けてくれる。
夜の砂浜が、こんなにさみしい場所だとは知らなかった。
「ぼっちさん。私、聞きました。結束バンドとか、ニジカちゃんとか、色々」
「……そうなんだ」
「でも、正直よくわからなくて、ただ可哀そうな人にしか思えなくて。それは嫌なんだって、気付かせて貰いました。
だから、ここに連れてきたんです。ぼっちさんが見たかった景色を、私も見たいんです」
ぼっちさんは凄い人だから。
ぼっちさんが見たいと思った景色もきっと素晴らしいものだ。
それを見られないのは、多分、凄くもったいない。
「仁菜ちゃん」
ずっと目の前の海を見つめていたぼっちさんが、こちらを向く。
その顔には、彼女にはめずらしい優し気な笑顔が浮かんでいた。
「ありがとう」
「……どうです? ここは」
その言葉が照れくさくて、私は話を逸らしてしまう。
ぼっちさんは海の方へ向き直ると、その視線を空に向けた。
「星が」
ぼっちさんの言葉に、私も空を見上げる。
「星が、きれいだね」
「……明るすぎて、全然見えませんよ」
「うん。でも、きれいだな」
そういって、ぼっちさんは空を見つめ続けていた。
海岸線は暗くても、すぐ後ろには街の灯りがこれでもかというほど光っていて、江の島からは灯台の光がくるくるとあたりを照らしている。
とてもじゃないけど、星を見るような場所じゃない。
だけど、ひとりさんはその中で瞬く片手で数えられるくらいの星を、綺麗だと言っていた。
それは素敵だけれど、それがぼっちさんが、結束バンドで見たかった景色なの?
わからない。だから、ぶつかるしかない。
私は立ち上がって、ぼっちさんの腕を引っ張った。
「ほらっ、いきますよぼっちさん。まだ江の島、入ってないじゃないですか!」
「えっでももう遅いし、帰った方が……」
「嘘ですよ、こんなに明るいんですからっ!」
私たちのすぐ後ろには、街の灯りがこれでもかというほど光っている。
江の島も、その灯台も、そこに向かう橋の上だって、お祭りでもあるんじゃないかというほどに光輝いている。
多分、あっちには人もたくさんいるんだろう。
「……へへ、そうかも」
ぼっちさんはそう言って、私の手を取って立ち上がった。
運命ってなんなんだろう。
私は桃香さんと出会ったとき、運命だと思った。
だけど、私が桃香さんと、すばるちゃんと、ぼっちさんとバンドを組むなんて思いもしなかった。
桃香さんは運命だと思ったバンドを辞めて、ぼっちさんは運命だと思ったバンドに出会えなかった。
これも全部、同じ運命なのかな。
わからない。わからないから進むしかない。
ぶつかっても転がっても、進み続けたい。
いつか答えが分かるまで、光に向かって走っていこう。
江の島から返ってきてジャケットを脱ぐと、内ポケットに違和感を感じた。
このジャケットは着心地がいいから、ついポケットの中身を忘れてしまうことがある。
「なに入れてたんだっけ……、あっ」
私の手の中には、透明なCDケースがあった。
CDの真っ白な表面にはマジックペンで「結束バンド」と書かれている。
「……ど、泥棒だ」
罪人はどうやら、美智代さんじゃなくて私だったみたいだ。
・後藤ひとり(偽)
あの親にしてこの娘ありな人。
この後家に帰りたくなくて仁菜と江の島で一泊した。
・井芹仁菜
美智代の(いろいろな)凄さを目の当たりにした人。
エスカーなんて邪道ですよと頂上まで徒歩で登った。
頂上に入るチケットがエスカー前で売っていた事実に愕然とした。
・河原木桃香
・安和すばる
美智代の恐ろしさのみを目の当たりにした人たち。
ぼっちに美智代の話を振らないだけの優しさが二人にもあった。
・後藤美智代
元凶。
制服やスモックよりマシだと思います。
ELLEGARDEN「スターフィッシュ」2004.
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区切りがよくてストックも尽きたので、次回からは週間-隔週目標の不定期更新です。
なるはやで頑張りますので、感想、高評価よろしくお願いします!