自分を後藤ひとりと思い込んだ一般ぼっち大学生が、川崎でガールズバンドを組む話   作:淵岳 月夫

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08.オトナノススメ

「ぼっちさん、こちらをどうぞ」

「あっはい」

 

 傅いた仁菜ちゃんから捧げられたペットボトルを受け取る。

 中の水を一口飲んで、蓋を閉めてから、そのまま上げられていた仁菜ちゃんの手のひらにペットボトルを戻した。

 

「く、くるしゅうない」

「ははーっ」

「……何やってんの、あの二人」

 

 スタジオ練が始まる前、機材の準備をしていると後ろですばるちゃん達が何やら話を始めていた。

 しかし、今のわたしは王。この傅く子分に仕事を与える義務がある。

 ノブレス・オブリージュというやつだ。

 

「じゃ、じゃあ、肩でも揉んでもらおうかな?」

「はっ、仰せの通りに」

 

「……仁菜がぼっちに借金してるんだとさ」

「借金? なんで?」

「江ノ島で散財したあと、夜遅いからって一泊したらしい」

「あそこ観光地だよね。高くない?」

「ああ、ぼっちは奢ったつもりだったんだけど、仁菜が嫌がってさ。

 で、次の仕送りまでは……あれ」

「……嫌すぎる」

 

 仁菜ちゃんの肩揉みは中々に上手い。

 効かせたい所に効かせられているというか、力加減が絶妙で、ギターを持っても力まずに弾けるかもしれない。

 誰かに揉んでもらう肩ほど気持ちいいものはないな。

 やっぱ胸が大きいと肩が凝るんですよ、後藤ひとりなんで。

 

『初めまして、私たちは〜、ダイヤモンドダストです!』

「あれ、あの子」

 

 仁菜ちゃんはディスプレイをみつめながらも、わたしの肩を揉むことは止めない。

 やっぱ慕われてるのかな〜、わたしって!

 

「う〜ん……」

「いだっ、あがっ、い゛て゛て゛て゛、お、大人ってサイコ〜!」

「…………お金って怖〜」

 


 

08.オトナノススメ

 


 

「お邪魔しまーす……」

 

 仁菜ちゃんとすばるちゃんの声が空のライブハウスにこだまする。

 入り口から中を覗くと、桃香ちゃんは勝手知ったる我が家という感じで、奥の方に佇んでいた。

 

「あっようこそ、くつろいでください」

「ぼっちの家じゃないぞー」

 

 桃香ちゃんが手招きするままにステージに上がると、スピーカーやマイクスタンドといった機材の豊富さに目が行った。

 照明も演出に十分な数が素人目にはありそうだ。

 これだけの設備を整えるのにいくらかかるんだろう。

 もしここの備品を壊してしまったら、流石にわたしの王の力(ちょちく)を以てしても耐えられる気がしない!

 こんな場所を渡り歩いてきたきくりお姉さんって実はほんとに凄い人なのでは……?

 

「リボ払いならわたしも……、いや、あれは人を孤独にする力!」

「またトリップしてんね。まだひとりさんが生息しやすそうな場所なのに」

「暗所アレルギーでも発症したんだろ。ま、そんなに負担でもないだろうし。やってみるか、ライブ」

 

 いや、後藤ひとりなら人を孤独にする力もリスクなしで行使できる! ぼっちだから!

 術式の縛りを踏み倒すグリッチみたいな技を使い倒すのは転生者の特権!

 

「あっわたしのことは〇条悟って呼んでください」

「……とりあえず、馬鹿やらかしそうなぼっちさんを直しとくね」

「斜め45度だかんね」

 

  ◇

 

「もしかして、何もわかってないの……?」

「何が?」

「このチケットって私たちが買い取ったんだよ。ライブハウスにお金を払って」

「えぇ!?」

 

 17歳にリボ払いの恐ろしさを淡々と説教されてから一日、わたしたちはいつもの牛丼屋にいた。

 仁菜ちゃんは予備校の人にノルマのチケットを無料であげてしまったらしく、ノルマについてもよく分かっていなかったみたいだ。

 確かに無料はいけない。桃香ちゃんが言ったように無料のものはおざなりにされがちになる。

 でも、わたしとしては知らない人に話しかけられるその行動力こそかけがえのないものだ。

 

「その価格、プライスレス」

「……なんか余裕そうじゃん。ひとりさんにもあるんですけど、ノルマ」

「どぅふふ……」

 

 横にいたすばるちゃんのつっこみに、思わず笑い声がこぼれた。

 甘いなあ、すばるちゃん。わたしがチケットノルマを意識してないわけないじゃないか。

 だけど、わたしは配る相手もおらず震えて眠る16の後藤ひとりとは違うんだ。

 

 なぜなら!

 

「すばるちゃんは言いましたよね、これはわたしたちが買ったと」

「えっうん……? まさかっ」

「あっそうです。買ったというのなら、そのチケットをどうするかはわたし達次第。

 買ったまま手元に置いておくこともできるんです……!」

 

 だって、お金があるから!

 バイトしなくてもチケットノルマを払えるだけの(ちょちく)が、今のわたしにはあった。

 むしろ、この時のためにギターヒーローやってたまである!

 知らない人にチケット売るなんて無理だし!

 

「これが大人の戦い方です」

「おお……」

「こらニーナっ、感化されるな! ていうか、そんなのアリなの?」

「ナシだろ」

「え゛っ」

 

 有頂天にいたわたしを、ビールの泡でヒゲを作った桃香ちゃんが引きずり落とした。

 

「店側に立って考えてみなよ。ぼっちが全額立て替えたら、その分のドリンク代は入ってこなくなるだろ?

 物販もだ。ライブハウスで売るなら手数料が入るからな」

「手数料って、ズルくないですか」

「そういうものなの。仁菜は一旦黙る」

「むっ」

 

 そういって差し出されたグラスを持つと、仁菜ちゃんはぐびぐびとそれを飲む。

 

「お冷やで黙るの……?」

「んぐ!」

 

 ていうか、ノルマ代を払うだけじゃダメってことは、チケットを売らないといけないわけで。

 チケットを売るってことは……、チケットを売るってこと!?

 

「店に不利益なアーティストはライブにも参加できなくなる。

 勝手に売れるならともかく、あたしたちはそうじゃないからな。

 バンドを続けるだけでも色々大変なんだよ」

「んぐっ、ぐっ……、ぷはっ、必要なのがお金なのか人数なのかハッキリさせてくださいよ!」

「あたしに言うなっ」

「売る……チケットを……? あっばばば」

「お待たせいたしました、牛丼並です♪」

「カオスだ……」

 

 父、母、妹、犬、は駄目だった。妹は……、小学生だからギリ入れる。

全員で25枚はあったから4人で割ると6.25。端数はジミヘンにあげるとして残りは……、三枚。

 

「ワ、ワーイ。原作と一緒だー、へへ……」

「ズルですよズル!」

「そういう商売なんだよっ!」

「……ご飯粒。あれ?」

 

 一枚、二枚、今何時だろう。あっ二十時だ。

 

「二十枚に増えてる……、ドウシテ……」

「……一人で時そばしてたらただの計算ミスでしょ」

「このお金って桃香さんのですか?」

「ん? いや、出してないけど。あれ、チケットも減ってる」

 

 る……。ってる……。減ってる……。減ってる!? 

 

「おっ、五人全員野口さん」

「五千円ってことは、チケット二枚分じゃないですか!」

「そう言われると高いな……。ま、シャイなお客さんもいるもんだ」

「あっあの……」

 

 わたしの声に三人がこちらを向く。

 一瞬たじろいでしまったけど、ここで退くわけにはいかないっ!

 

「へへ……。そ、そ↑のチケットぉ、誰の分のノルマなのかなぁって、き、気になるなぁ。へへ……」

「…………」

 

 チケットの枚数が減ったということは、その分誰かがチケットを売らなくていいということ。

 全員分のノルマが卓上に出ていた今、その資格は全員にあるはず!

 

「ひとりさん」

 

 そう構えていたわたしに、すばるちゃんが声をかける。

 

「あさましい」

 

 減っていた分のチケットは端数のものとはじめに野口さんを見つけた仁菜ちゃんのもの、ということになりました。

 

  ◇

 

「なあ、マジでやるの?」

「あっはい」

 

 翌日のお昼時、わたしと桃香ちゃんは川崎駅の近くにいた。

 ここでギタリストがやることなんて、一つしかない。

 

「路上ライブでチケットを売るっていうのはいい案だとは思うけど、仁菜もすばるも用事とやらでいないんだよね。

 うまく逃げやがって……」

「あっいえ、二人にこれ以上迷惑をかける訳にはいきませんし……」

「あたしは?」

 

 あの時のわたしは悪魔に魂を売っていた。そのまま悪の道に落ちていたら来世はプランクトンどころではなかったかもしれない。

 

「せめてノルマを捌いて、一ミクロンでも尊厳を取り戻したい……!」

「心意気は買うけど、そのパフォーマンスは関係あるのか?」

 

 そういって、桃香ちゃんはわたしの手元のノートパソコンを指差した。

 足元にはギター用以外に、もう一つスピーカーを用意している。

 

 今日の路上ライブは演奏の中にひとつ、パフォーマンスを含めることにした。

 まず、ライブをする予定の場所にノートパソコンを、スピーカーに繋いで設置する。

 設置してしばらくは、ノートパソコンからドラムとベースで構成されたイントロ曲がループするだけで周りには何もない。

 それをわたしたちが設置したものだと忘れられた頃、桃香ちゃんが現れておもむろにギターをセッティングし、イントロに合流して演奏。

 時間差でわたしも別方向から登場し、セッティングが完了したらいいタイミングで一曲弾く、というものだ。

 

 今回は仁菜ちゃんもいないし、音源にベースとドラムを用意したインストのライブを行うつもりだ。

 昨日帰ってすぐ、自分の不甲斐なさに泣きながら一曲丸々打ち込んだものを使うから感情がこもってる。

 桃香ちゃんが元の音源を持ってるんだから打ち込む必要はなかったなってことに朝起きてから気がついたのは内緒だ。

 

 これならライブ前の機材をいじってる気まずい時間にもお客さんの目を引けるし、何よりカッコいい。

 桃香ちゃんと晩酌(わたしは飲んでない)時にカッコいいライブ演出の話で盛り上がった時に生まれたアイデアなのだから、お客さんにも受けること間違いなし!

 

「酔ってて覚えてねぇ……。ちなみに、他にはどんなのが?」

「あっはい。後はギターに火をつけたまま弾いたり観客の上をダッシュしたり」

「うんわかったうん」

 

 桃香ちゃんは酒、と呟いて天を仰いだ。

 あんなに楽しそうだったのに覚えてないのは可哀想だな。

 

「トーキング・ヘッズ*1にでも当てられたかな……。

 まぁ、ぼっちはこれがやりたいんだよな?」

「あっいえ、本音を言えばあとは全部桃香ちゃんに任せてわたしもバックれたいんですけど……」

「おい」

 

 だって、人前でギターを弾くことすら後藤ひとりにとっては目でピーナッツを噛むよりハードル高いし……。

 今までも変なテンションで乗り越えられただけだ。

 だけど、だからこそ。

 

「い、今の変なテンションのときにやらないと、多分一生やらなくて。

 だから、やります」

「……たしかに、あたしもだ。案外、初めはみんなそうなのかもな。

 いいよ、やってみよう」

 

 桃香ちゃんはそう笑って機材の準備を始めた。

 

「あたしたちが出てくるのはどの方向からにする?」

「あっ、あっち……、と、あっちですかね。

 別々の所から出てきた方が、集まった感があってかっこいいかも」

「オッケー。

 ギターアンプはキャリーで運んでくる形にするか」

 

 やると決めた桃香ちゃんは手早く準備を進めていった。

 私にインストを流すよう指示するとお客さんの位置を想定して音量を確認したり、流石バンド経験者だ。

 

「ま、こんな感じか。ギターはその場で調整した方が雰囲気出るだろ。

 できるか?」

「あっはい、大丈夫です」

「よし、じゃあ10分くらい捌けとくから、後は流れでよろしく」

 

 そう言って桃香ちゃんはギター周りの機材を持って去っていった。

 

「わたしも行かなくちゃ」

 

 あとは野となれ山となれだ。

 

 その場を離れてしばらく。

 駅ナカ*2のカフェ近くで息を潜めながら、ライブ予定地の人が入れ替わるのを待つ。

 カフェという空間から放たれる陽のオーラに窒息しそうになりながらも窓際から外の様子を伺ってみると、イントロの流れるノートパソコンの周りには数人がまばらに集まっていた。

 物珍しそうに写真を撮っている人もいる。

 

 これって実は凄いことなんじゃないだろうか。

 路上ライブなんてこの辺りじゃ誰かがしょっちゅうしていることなのに、演奏を始める前から人がいるだなんて。

 

「これがパフォーマンスの力……!」

 

 窓に張り付いてそう呟いていると、向こう側から桃香ちゃんが現れた。

 ゆっくりと歩いていた桃香ちゃんは、ノートパソコンの前でふと止まる。

 いかにも今気づきましたと言った様子でそれを眺めると、おもむろにキャリーからアンプを下ろした。

 

 桃香ちゃん、様になってるな。

 何か演技をしているわけじゃないけど、見ていてしっくりくる。

 多分だけど、リズムがいいんだ。

 歩く歩幅とか、物を下ろすタイミングとか。細かな動作がイントロのリズムと合っている。

 それがわたしにはミュージックビデオみたいな気持ちいいハマり方に感じた。

 こういうものを、桃香ちゃんは見せたいんだろう。

 

「……あっ次わたしか」

 

 そんなことを考えていると、桃香ちゃんはセッティングを終わらせてイントロにギターリフを乗せていた。

 ここからはしばらく待つようなことはしない方がいいだろう。

 さっきまでは通行人が入れ替わって私たちの存在を忘れてもらうために待っていたけど、ここからは今いるお客さんを留めるためのパフォーマンスだからだ。

 

 張り付きすぎて跡がついたガラスを袖でゴシゴシ拭いて、わたしは駅ナカを出る。

 ノートパソコンと桃香ちゃんの周りには所々に小さな塊ができるくらいには人が集まっていた。

 

 あ、危なかった……。

 人だかりができてたら掻き分けて入っていくなんて無理だ。

 そのまま本当にバックれて桃香ちゃんのワンマンライブにさせてしまうところだった。

 

「ひっひっふー……、よし」

 

 深呼吸をして、ノートパソコンの前まで歩いていく。

 イントロを弾き続ける桃香ちゃんと目が合うと、クイっと顎で隣を指した。

 ノートパソコンを挟んだそこに、わたしも機材を下ろしてセッティングしていく。

 桃香ちゃんのように様になっているかはわからないけど、周りを見ずに黙々と準備すればいいだけなので気が楽だ。

 

 イントロの邪魔にならないようメロディに乗せながらチューニングを合わせる。

 音が出来てくると、桃香ちゃんが今のイントロを段々と終わりに近づけていく。

 ギターもベースもフレーズが変わらないから難しいところだけど、桃香ちゃんはすんなりとこなしていた。

 

──出来ました

──わかった

 

 わたしの準備が整ったので、桃香ちゃんに合わせてイントロのクライマックスを作る。

 激しく、でも少し物足りなく、次の曲を期待させるように。

 さしずめ、路上ライブのテーマといったところだろうか。

 こういう曲と曲が繋がっていく感じがライブっぽくて好きだな。

 

 桃香ちゃんがリモコンマウスを取り出して、リプが消えるタイミングで打ち込みを止めた。

 今まで流れっぱなしだった音が止まっても、集まったお客さんはその場を離れずこちらを見つめている。

 

 横を向くと、桃香ちゃんがニヤリと笑ってリモコンマウスを操作した。

 

──ぶちかますぞ

──はいっ

 

 足を踏み込み、澄んだ音(Clean)歪む(Distortion)

 走り出すドラムに、腹に力を込めるベース。

 そこに叫ぶようなギターを乗せる。

 弦が震え、波の重なりが高めあう。

 わたしと桃香ちゃんで、これがわたし達だと証明するために三重の音色を掻き鳴らす──三重?

 

 戸惑いながらジャカジャカしてると、桃香ちゃんと目が合う。

 その目は困惑していて、どうやら桃香ちゃんの腕とギターが増えた訳じゃないみたいだ。

 

 自然とわたし達の手が止まっても、幻の3人目(スリーマン)の手は止まらない。

 その音は間違いなく、ノートパソコンに繋がったスピーカーから流れていた。

 

 もはやBGMになってしまったその音源のもと、ギターをぶら下げた二人の女がスピーカーを見つめるだけの時間が訪れた。

 ひどく長く感じるその時間に、わたしはこのギターがどこからやって来たのか思考を巡らせる。

 

──今回は仁菜ちゃんもいないし、音源にベースとドラムを用意したインストのライブを行うつもりだ。

──昨日帰ってすぐ、自分の不甲斐なさに泣きながら一曲丸々打ち込んだものを打ち込んだものを使うから感情がこもってる。

 

 あっ。

 

──一曲丸々打ち込んだ

 

 いつもの癖でギターも打ち込んでたや。

 

「あっ今から後藤ひとりを裁く会を開きまーす。

 み、みんな〜、手元に投げやすい石は用意したかなあ?!」

「ぼっち、私刑も石打ちも犯罪だぞ?」

 

 撤収の時間は準備の3倍は早かったです。

 

  ◇

 

「まあ気にすんなよ、失敗は誰だってあるって」

 

 桃香ちゃんの声がこだまして降りてくる。

 まるでお釈迦さまの慈悲の声にも聞こえるけれど、その言葉は垂らされた蜘蛛の糸を歯間ブラシにするくらい身に余るものだった。

 

「だから出てこいよ。ゴミ箱はゴミを入れるとこだからな?」

「あっそうですね、ただいま〜……」

「出ろっつってんだよ」

 

 わたしは桃香ちゃんにゴミ箱から放りだされて、桃香ちゃん家の床にドサッと倒れた。

 だめだ、このままだと畳にわたし(ゴミ)の臭いがうつってしまう。

 

「ぶ、分別して捨ててください……」

「悪いがリサイクルだ。ほら、起き上がる。修正した音源もちゃんと聴いたし、問題なかったぞ」

 

 桃香ちゃんに促されて起き上がると、机の上には私のノートパソコンが置かれていた。

 ゴミ箱の中で修正した音源を桃香ちゃんが先に救い上げていたらしい。

 

「反省は終わったな。じゃあもう一回だ」

「あっ持病の扁平足が発症したのでまた次回に……」

「あのなぁ、こういう失敗はとにかく再挑戦するしかないんだよ。

 すぐやらないと、いつまでも引き摺るぞ」

 

 そう言うと桃香ちゃんはわたしのノートパソコンを持ち上げて、わたしの頭をこつんと叩いた。

 いやこつんじゃないな、結構痛い。

 

「な、なんで……」

「あたしを変なテンションにさせたぼっちが悪い。

 ほらっ、行くぞ」

「うぅ……」

 

 た、叩いた理由になってない……!

 

 そんなわたしのうめき声も届かず、わたしと桃香ちゃんは再び川崎駅の前へとやって来ていた。

 

「うし、人も大抵は入れ替わってるな。

 ぼっちもパソコン準備しな」

「あっはい」

 

 さっきの失態を知っている人はほとんどどこかに行ったみたいだ。

 残っているのはちょっと遠くにいるこの通りの主みたいなホームレスのおじさん達くらい。

 ……パフォーマンスしておいてなんだけど、忘れてくれてはいないだろうか。

 

「はい、設置完了。さくさく行くぞ〜」

 

 確認作業が終わると、桃香ちゃんはスタスタと持ち場へ去っていった。

 全然引きずっている様子がないな、桃香ちゃん。

 本当に手慣れてるってこういうことなのかも。

 

「わたしも行かなくちゃ」

 

 あとは野となれ山となれだ。

 あれ、この流れさっきもなかったっけ。フラグか?

 

 そんなことを考えながら、わたしはまた駅ナカのカフェ近くで人が入れ替わるのを待っていた。

 2回目となるとここからの景色も飽きたな……、元々見慣れた景色なわけだし。

 

 ていうか、駅前の人たちは入れ替わっていても、駅ナカのカフェの店員さんたちは同じ人だよね。

 顔覚えられてたらどうしよう。カフェの店員なんていうウェイの擬人化みたいな人間の情報網からすれば、さっきの失敗なんて秒で耳に入ってきているのでは?

 そんな噂と店の横でうずくまっているわたしの格好を照らし合わせたら、わたしが路上ライブを失敗したことなんて安楽椅子探偵もびっくりな初歩的なワトソン君なんじゃ……。

 

 お願いします、二度と駅前のカフェなどと言う神聖な場所には寄り付きませんのでわたしの存在ごと記憶を抹消してください!

 

「ウゴゴゴ……あっあれ」

 

 そうやって自分の席に局地的な地震を起こしていると、ノートパソコンの手前でじっと立っている人がいた。

 桃香ちゃんでも警備員さんでもない、ご高齢の人だ。

 

 でも、音を聴くにしては随分とノートパソコンに近い。

 物珍しく見ているというか、覗き込んでるというか。

 その人は、手を伸ばせばノートパソコンに届く距離だ。

 手を伸ばして、よっこいしょと持ち上げて、そのままスタスタと立ち去っていった。

 

「あれ?」

 

 スタスタと立ち去って?

 

「…………泥棒だ!?」

 

 その後、桃香ちゃんがダッシュでパソコンを取り返しに行きました。

 

 ◇

 

「うん、ご高齢だったし、落とし物と間違われることもあるっちゃあるよな。

 親切な人じゃんか。本当に泥棒じゃなくてよかったよ」

「…………」

「だからさ、出てこいよ。ノーパソ持ってさ」

「社会が怖い……」

「無理かぁ」

 

 二度の失敗でわたしの心は折れました。

 ゴミ箱の外が理不尽と害意が跋扈する悪徳の都にしか見えません。

 頭ではわかってますとも。

 今回のことは勘違いが生んだレアケースだと。

 ですが、ショック療法的な再挑戦はわたしの虫の息な向上心に永遠の安息を与えたのです。

 今頃地獄で元気にやっているでしょう。

 

「一回ノーパソだけ……」

「むむむむむむむむむむむむむむむ、無理です!」

 

 そっちの方が無理!

 盗まれる可能性がミリでもあることに気づいてしまったら、外にパソコンを放置するなんて勇気はわたしにはない!

 それに、この中には「結束バンド」の音源が入っている。

 何度もダビングはしているから盗まれてもなくなるわけじゃないけど、複製があればいいとかそういう問題じゃない!

 

「む、無理に外に出すなんて可哀想ですよ、この子には時間が必要なんです……」

「ヒキニートの母親じゃねぇんだよ。ったく……」

 

 うーん、と桃香ちゃんが悩む声が外から聞こえるけど、気にしない。

 外はやっぱり怖い。誰かを巻き込んで失敗するのも、やっぱり怖い。

 挑戦しなければ、誰を巻き込むこともないのなら、挑戦しない方が……。

 

「じゃあさ、元ネタに倣うってのはどうだ?……」

 

 その話を聞いて、わたしは思わず顔を上げる。

 桃香ちゃんは笑っていた。

 

  ◇

 

 空に赤みが差してきた頃、川崎駅前の一角ではひとつの曲が再生されている。

 流れていたのは本日三度目となるベースとドラムのインスト曲。

 その源には、一つの古ぼけた機械が置かれていた。

 

『ラジカセ、ですか』

『そう。ストップ・メイキング・センスでも持ってただろ? 

 これに録音した音源をセットして流す。こうすりゃぼっちのパソコンは心配しなくて済む』

『でも、桃香ちゃんのラジカセも盗まれたら……』

『さっきのも泥棒じゃねーよ。ま、仮に泥棒がいてもこんなボロいラジカセなんて盗まないだろ』

 

 という経緯で、桃香ちゃんの私物を使わせてもらっていた。

 

 たしかに、これなら誰も落とし物だとは思わないだろう。

 音を鳴らすというひとつの機能に絞ったものは、わたし達に聴くというただひとつの行動を提案する。

 もしかしたらこういう小物ひとつを選ぶことが、パフォーマンスということなのかもしれない。

 

 さて、今回も中々の人数が足を止めていた。

 心なしか、何をするか不思議がってる人より、腕を組んだりスマホを掲げたりして、ライブを待っている人たちが多い気がする。

 (ぬし)のおじさんたちは準備を含めてわたしたちを肴に酒盛り中だ。

 ……うん、考えないようにしよう。

 

「あっ」

 

 そうしていると、桃香ちゃんが現れた。

 その格好は、グレーのオーバーサイズのセットアップ。

 「リスペクトだ*3」と言っていたその格好を、彼女は着こなしていた。

 

「桃香ちゃんかっこいいなぁ。それに比べて……」

 

 今までの私服と違って、桃香ちゃんはキメキメのライブ衣装を着た訳でして。

 それに合わせた衣装をわたしも着てきたのですが……。

 そんな逡巡(しゅんじゅん)なんてお構いなく、桃香ちゃんは機材のセットを終わらせてしまった。

 こうなってはわたしが出ないわけにはいかない。何たって今回は時間との勝負だからだ。

 

「え、ええぃ、ままよっ!」

 

 心の準備が出来ないまま、桃香ちゃんの元へ歩いていく。

 そんなわたしの今日のコーデは、上はピンクのオーバーサイズジャケットとシャツ、下はシャツに隠れるくらいのショートパンツ。

 そう、ショートパンツなのだ。

 

(ご、後藤ひとりは脚出ししない、ウゴゴ……)*4

 

 桃香ちゃんに「可愛いから良いじゃん、下も買うと高いし」って押し切られたけど、拒絶反応が凄い。

 呼吸してるのかってくらい足がスースーする。

 

(今回で終わらせる今回で終わらせる今回で終わらせる今回で終わらせる……!)

「……おーい」

 

 そんな念を込めていたら、いつの間にかわたしのセッティングも終わっていて、イントロ曲も()()を迎えていた。

 

 イントロ曲を弾き終わり、ラジカセからはジーッ、というノイズが流れる。

 横を見ると、桃香ちゃんがラジカセの方を指さしていた。

 わたしがやれ、ということみたいだ。

 

 わたしはラジカセの停止ボタンを押し込み、カセットを取り出す。

 そして、カセットの『イントロ』と書かれた面を裏返して、またラジカセの中に押し込んむ。

 

『あっでも、曲の切り替えはどうするんですか?

 ラジカセって早送りと巻き戻ししかできないですよね。イントロのループとか、曲の切り替えって出来ないんじゃ……』

『そこにも先人の知恵があってだな

 ラジカセってA面とB面があるだろ。両面の曲の長さを同じくらいにしておくと、A面の終わりがB面の曲の始まりに来るようになる。

 すると、A面でイントロのループをさせながら、曲の節目にB面に切り替えることで本番の曲を流すことができるんだ』

 

 出来て二曲だけだけどな、と、桃香ちゃんは笑っていた。

 だけど、今のわたし達には二曲で十分だ。

 

 再生ボタンを押して、振り返って前を向く。

 後ろから少しだけノイズが続くと、ハイハットのカウントが聞こえてくる。

 

 音がうねり、走り出した。

 取り立ての音源はアナログで録音*5したせいか、ノイズだらけで思わず笑ってしまう。

 隣を見ると、ばつが悪いのか桃香ちゃんそっぽを向いていた。

 ますます笑みが深くなる。

 桃香ちゃんにとってのわたしの失敗も、もしかしたらそうだったのかもしれない。

 

「──ありがとうございました」

 

 ノイズも巻き込んで音を歪ませて、わたし達は弾き切った。

 納得できる演奏ではなかったかもしれない。だけど、上がった息を収めながら拍手をくれる人たちを見ていると、とても気分が澄んでいた。

 桃香ちゃんは観客に向けてお礼を言うと、肘でわたしを小突いた。

 

「ほら、ぼっち」

「あっはい」

「あっはいじゃなくてチケット。売りに来たんだろ?」

 

  ◇

 

 ……あれ、おかしいな。次のシーンに進まないぞ?

 こういう時、アニメなら場面転換するものだけど。

 いい感じの挿入曲が流れたらバンドものは解決しなかったっけ?

 もうエンディングに入れるくらいに綺麗な流れだと思ってたのに。

 

「黙ってないで宣伝しなよ。お前のノルマだろ?」

「……CMってまだですか?」

「お前が宣伝(コマーシャル)するんだよ」

「あえっあっ」

 

 コマーシャルって言われても!

 良いものが売れるって訳じゃないのは分かってるけどそもそも宣伝とか全然やった事ないし……?

 

 ん? でも就活ってある意味、わたし自身の宣伝活動みたいなものだったような。

 わたしなんていうミジンコゾウリムシを、面接会場なんていう場所にまで持って行った実績が、わたしにはある訳で。

 それがわたしたちのバンドなんていう商品を売ろうものなら……。

 

『新川崎(仮)を売り出し、オリコンチャート50週連続一位、その経済効果で日本の不況を回復した後藤ひとりさんが、当校のスピーチを引き受けてくれました』

『ひとり!ひとり!』

 

『……ハングリーであれ、愚かであれ』

『Fooooo!!!!!』

 

『そして日本人口の半分は新川崎(仮)のCDをスマホ代わりに持ち歩くことに……」

「ぼっち、ぼっち」

「あっはい」

「人、()けたぞ」

「えっ」

 

 あたりを見渡すと、先ほどまで目の前にあった人垣が消えている。

 わたしが心を落ち着かせている間に殆どの人たちは帰ってしまったのだ。

 

「ふ、フーリッシュ……」

「ライブまでに何回か同じことを繰り返してたら、そのうちチケットも売れるようになるさ」

「何回も?!」

「そういうもんだろ」

「あ、頭がおかしくなる……!」

「はいはい」

「あのー……」

 

 恐ろしい事実を前にうずくまっていると、頭上から聞き覚えのない声が聞こえた。

 

「すみません、お話し中でしたか?」

「いや、大丈夫。前で聞いてた()だよね」

「はいっ! さっきの演奏凄くよかったです!

 それでなんですけど、撮った映像ってSNSに上げても良いですか?」

「ああ、それなら……ん?」

 

 同い年くらいの長髪の女の子と桃香ちゃんが話を止めてこちらを向いた。

 それを確認すると、わたしは正座の形から三つ指をついて深々と頭を下げる。

 三つ指の先にはもちろん、長方形の紙を挟んだ。

 

「どど、どうかこちらのチケットを購入いただければ……!

 いただければ、こちらとしても肖像権などという言葉を使わなくて済みますので!」

「せめて脅すかお願いするかどっちかにしろよ……」

「あはは……。じゃあ、二枚良いですか? 友達にもあげたいので」

「はっはい」

 

 女の子はチケットを購入すると、「ファンとしてこれからも応援してますね!」と去って行った。

 ファン。なんて良い響きだろう。

 ついにわたしもネット以外のファンを獲得してしまった。

 

「これでファンが全部bot(ボット)じゃないかって怯える生活から抜け出せる!」

「ハイハイ、よかったな。しかし、あと一枚はキリが悪いな」

「すみません」

「あっは……」

 

 声に対して振り返ると、そこには汚れた身なりをした人が申し訳なさげに立っていた。

 その人は、さっきまで近くで酒盛りをしていた、おそらくホームレスであろうおじさんだった。

 ツンとした臭いに気圧されていると、おじさんはゆっくりと口を開いた。

 

「先ほどの演奏、とても良かったです。

 お困りであれば、そのチケットを私に買わせていただけませんか?」

「え……」

「もちろん、観にいくことはありません。このような身なりですから。

 ただ、お昼から楽しませていただきましたので」

 

 そういって、おじさんは手の内を見せた。

 その手の中にはいくつかのくしゃくしゃな千円札と、硬貨がある。

 

「金額はこれで合っていますか?」

「あっ、はい……」

 

 漏らした返事におじさんはうんと頷くと、ゆっくりとお金が握られた手を差し出してくる。

 わたしはそのお金を、すぐに受け取ることができなかった。

 こんなにくしゃくしゃなお札をわたしは知らない。

 このお札の価値がどれほどのものなのか、わたしには想像がつかなかった。

 

 すると、ぼうっとしていたわたしの手からひゅんとチケットが抜き取られた。

 

「これがチケットです」

「ええ、ありがとうございます」

「んじゃ、はい、ぼっち」

「あっはい」

 

 桃香ちゃんはさっとそのお金を受け取ると、わたしに一枚分のお金を手渡した。

 

「あと、買ったからには来てくださいよ、ライブ。損はさせないんで」

「はは、考えておきます。……ありがとうございます」

「どうも」

 

 もう一度軽いお辞儀をすると、そのおじさんは通りの隅に戻っていった。

 

「あっあの」

「なんだ?」

「……よかったんですか?」

 

 財布にお金をしまった桃香ちゃんは、うーんと顎に手を当てた。

 

「確かに、あの恰好じゃライブハウスには入れないかもな」

「そっそうじゃなくて……。

 このお金、多分、凄く大事なお金ですよね?」

「まあ、だろうな」

「じゃあ、受け取らない方が良かったんじゃ……」

 

 手の中のお金を見つめる。

 このお金があれば、数日分の食費になるだろう。

 どこかのネットカフェで、屋根のある場所で休めるかもしれない。

 これはそんなお金だ。

 

「ぼっち、さっきの人は見栄に金を使ったんだよ」

 

 すると、桃香ちゃんはそう言った。

 

「みっ、見栄ですか?」

「そ。都内の狭い家に住んだり、ブランド品買うのと同じようなもん」

「余計悪い気が……」

「あれ? あー、そうか……。

 でも、あたしは自分に対して張る見栄は、いいものだと思うんだよね。

 どうだ! あたしはこんな余分な、生きるのに何の必要のないものに、心を動かされたってだけでこんな金や労力を払えるんだぞ! って」

「なっなるほど!」

「……まあ、半分は無駄遣いの言い訳なんだけど」

「えぇ……」

 

 桃香ちゃんの話に流されかけてたけど、やっぱりこのお金は返すべきなんじゃ……。

 

「だからさ、あたしたちお金を貰う側には義務があるんだよ。

 その見栄に中身を満たしてやる義務が」

「ど、どうやって……」

「お釣りが出るくらい良いライブをしろってコト。

 ぼっちなら演奏中に棒立ちなとこ直さないとなー」

 

 そう言いながら、桃香ちゃんはアンプにつなげていたシールドをぐるぐると巻き始めた。

 それに続こうとしたら、まだお金をしまい忘れていることに気付いた。

 

 もう一度、手の中のお金を見つめる。

 わたしはロックをするということを分かっていなかったのかもしれない。

 

 わたし(後藤ひとり)にとって、ギターは理由そのものだ。

 だから、ギターを弾いて、それだけだったのだろう。

 伝えたかった人たちのことばかりを想って、わたしたちの曲が伝わった人がどんな人か考えてなかった。

 

 今はただロックをやりたくて、何のために、誰のために弾いているのかも分からない。

 だけど、それが目の前でわたしたちの曲を聴く人に向き合わない理由にはならない気がした。

 

「桃香ちゃん」

「なんだ?」

「重いですね」

「だな」

「……なっ失くさないように名前書いておこう」

「何に? お札に? やめろな?」

*1
映画『ストップ・メイキング・センス』にて、ラジカセとアコースティックギターを持ったデヴィッド・バーンのみの状態から時間が経つごとに各々の楽器が登場し、バンドが完成していく演出がある。

*2
タ〇ーズコーヒー アトレ川崎店

*3
『ストップ・メイキング・センス』内のデイヴィッド・バーンをイメージしたもの。ビッグスーツではない。

*4
イメージはCENTRAL MUSIC & ENTERTAINMENT FESTIVAL 2025にて青山吉能さんが着用していた衣装。しっかり脚を出している。

*5
空のテープに録音ボタンを押して、音源を流して録音をしている。




・後藤ひとり(偽)
大人と呼べるか怪しい人。
お金の行く先は家とジャージとmy new gear...

・河原木桃香
今のところは大人として振舞っている人。
酒は必要経費です。

・井芹仁菜
・安和すばる
子供勢。
チケットをもらったダイヤモンドダストのライブに行っていた。

08.オトナノススメ
怒髪天「オトナノススメ」2009.
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