完璧な僕の嘘を、嫌われ者の君だけが「正論」で壊した   作:テレサ二号

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どうもテレサ二号です!
いつも御愛読いただきありがとうございます!

では、早速本編です!!


第十一話:松園 冥の秘めやかなる一日

体育祭準備に伴う休校当日。

 

四宮邸の広大な客室には、朝から張り詰めた沈黙が流れていた。

 

高い天井と豪華な装飾品に囲まれたその部屋の中央で耀は一人、アンティーク調のドレッサーの前に座らされていた。

 

「……終わりました。顔を上げてください、杉原くん」

 

早坂の声が静まり返った客室に低く響く。

 

耀がゆっくりと顔を上げると、三面鏡の中に『彼女』がいた。

 

松園 冥(まつぞの めい)

 

纏っているのは早坂が用意した水色と白のコントラストが美しい、伝統あるお嬢様学校を思わせるセーラー服だ。

 

昨日よりもさらに『守られるべき深窓の令嬢』としての解像度が上がっている。

 

「……これ、本当に僕なんですか」

 

耀が鏡に映る自分の輪郭をなぞるように指を動かす。

 

水色の襟元が耀の肌の白さを際立たせ、そこに昨日よりも少しだけ早坂自身の好みが色濃く反映されたメイクが施されている。

 

「今のあなたは杉原耀ではありません。……さて、最後の仕上げをしましょう」

 

早坂はサイドテーブルに用意していた一点の曇りもないカシミアのストールを手に取った。

 

涼しげなセーラー服のトーンに合わせて早坂が選んだ『スノーホワイト』の一品だ。

白といってもどこか温かみのある、彼女がプライベートで大切に使い込んでいる私物である。

 

「ストールまで早坂さんの私物なんですね。その、セーラー服の白とすごく合っていて、いいと思います」

 

「はい、この水色のセーラーには混じり気のない白を合わせるのが一番ですから。……顎を上げてください」

 

早坂は冥の正面に回り込むと、膝を突くようにして視線を合わせた。

 

広すぎる客室の中で、二人の距離だけが極端に近くなる。

 

早坂の指先が、耀の首筋に触れた。

 

そこにあるのは彼が男である証拠――喉仏。

 

本来なら遠ざけるべきその『異性』の証を、自分の私物で包み隠し塗り潰す。

 

その行為に、早坂はゾッとするほどの陶酔感を覚えていた。

 

(……えぇそうです。この場所だけは、隠しておかなくては......)

 

このストールを巻いている間だけ、彼は『杉原耀』ではない。

 

自分の選んだ服を着て、自分の選んだ色を差し、自分の香りに包まれた……私だけの『松園 冥』だ。

 

それは、忠誠心という言葉では到底説明できない、独占欲という名の暴力的な感情だった。

 

「……っ」

 

布地を絞る指先に、無意識に力がこもる。

 

耀の喉が布の下で震え、吐息が早坂の頬を掠めた。

 

早坂はわざと、彼が窮屈さを感じるほど入念に、かつ強固にストールを結び上げていく。

 

(誰にも見せたくない。……この美しさが私だけの手によって作られたものだということを、このまま私の手の中に閉じ込めてしまいたい……)

 

そんなプロのメイドとしては失格極まりない、けれど一人の少女としてはあまりに純粋な渇望が、早坂の瞳を深く、昏く濁らせていた。

 

「いいですか?今日一日、このストールは絶対に解かないでください。……たとえ、誰に何を言われてもです。……いいですね?」

 

早坂の声は拒絶を許さない重みを帯びていた。

それは約束ではなく、呪縛だ。

 

「……分かりました、早坂さん」

 

冥がその『首輪』を受け入れるように小さく頷く。

 

その素直な反応に、早坂の胸のうちは得体の知れない多幸感とそれを上回るほどの罪悪感でかき乱された。

 

「……よし、では行きましょうか。かぐや様がお待ちです」

 

早坂は、自分の私物によって完成した冥の姿を最後にもう一度だけ愛おしそうに眺めると、震える心を冷徹な仮面の裏に隠し客室の重い扉を開いた。

 

 

 

 

扉のすぐ外では、今か今かと待ちわびていたかぐやが立っていた。

 

「……お待たせしました、かぐや様」

 

早坂が促し、その背後からゆっくりと松園 冥が姿を現す。

 

水色と白のセーラーに純白のストール。

朝の光を浴びて佇むその姿は、あまりに気高く、そして壊れそうなほどに美しかった。

 

「…………」

 

かぐやは言葉を失った。

 

カバンを握る手が微かに震え、冷徹なかぐやの瞳が、驚愕とある種の戦慄に揺れる。

 

「……早坂。あなた、本当に……恐ろしいものを作ってしまったわね……」

 

かぐやの声は掠れていた。

 

昨日、自分が名付けたはずの『松園 冥』。

けれど今目の前にいるのはもはや遊び半分の女装などという次元を超えた、見る者の心根を狂わせる『神聖な怪物』だった。

 

「……冥さん、準備はいいですね?今日、あなたは四宮家の遠縁の親戚としてこの学園に視察に来たことになっています」

 

かぐやがようやく取り戻した理性の声で告げる。

 

その横で、早坂は冥の手に一冊の高級な革表紙のメモ帳と銀色の万年筆を握らせた。

 

「冥さんは、ある複雑な事情で声が出せません。……いいですね、冥さん?何を聞かれても、決して口を開いてはなりませんよ」

 

かぐやの言葉に、冥は淑やかに頷く。

 

その複雑な事情、それはかぐやが即興で作り上げた『最愛の母を亡くしたショックによる失声症』という、あまりにドラマチックすぎる嘘の設定だった。

 

一行は車に乗り込み、休校中の秀知院学園へと向かった。

 

 

 

 

校門をくぐり、学園の敷地へ足を踏み入れた瞬間、そこには異様な静寂が広がった。

 

四宮かぐや。

そしてその隣を歩く、水色と白のセーラー服に身を包んだ儚げな美少女。

 

その距離感こそが、冥が『四宮家に連なる特別な存在』であることを、言葉以上に雄弁に物語っていた。

 

「あら、皆さん?作業の手が止まってますよ?」

 

かぐやが廊下の生徒たちへ微笑みを向ける。

 

その隣で冥は不安げに、けれど大切そうに首元のスノーホワイトのストールを握りしめていた。

 

その『亡き母の形見を離さない薄幸の令嬢』という設定通りの仕草が、見る者すべての心に鋭い棘のように突き刺さる。

 

「……っ、あの二人……美しすぎて直視できない……」

 

「絵画かなにかかよ……。四宮先輩の横にあんな子がいたなんて」

 

男子生徒たちが呆然と立ち尽くす中、廊下の向こうから聞き覚えのある声がした。

 

「あら、かぐやさん?お疲れ様です。……そちらの方は?」

 

柔らかな、けれど芯の通った声。

 

廊下の角から現れたのはかぐやの友人であり、成績優秀な優等生、柏木渚だった。

 

彼女は部活動の資料らしきファイルを持っていたが、冥の姿を見た瞬間その足が止まった。

 

「柏木さん。彼女は私の遠縁の親戚、松園 冥さんよ。今は複雑な家庭の事情で声が出せないの」

 

かぐやが淀みなく説明する。

 

柏木は聡明な瞳で冥をじっと見つめ、その首元の純白のストールに視線を固定した。

 

(……声が出せない? でもこのストール、少し不自然に厳重に巻かれている気がする。それに、この雰囲気……どこかで……)

 

柏木の脳裏に、ある人物の面影が過る。

しかし、目の前の美少女と繋げるにはあまりに突飛すぎる。

 

冥はメモ帳を取り出し、筆談で挨拶をする。

 

『初めまして、柏木様。四宮様から、あなたの学業の優秀さ、そして人をまとめる力については伺っております。お会いできて光栄です』

 

「あ、ありがとうございます。……松園さん。凄く気品のある方ですね。……早く声が治るといいですね」

 

柏木はにこやかに答えたがその視線はあくまで鋭く、冥の顔の輪郭やストールで隠された喉元に僅かな探求心を潜ませていた。

 

「じゃあ、私は部活の書類を職員室に届けなくちゃなのでコレで」

 

柏木は別れの挨拶をした後、すれ違いざまに冥の耳元へ顔を寄せた。

 

背後の生徒たちには聞こえない囁き。

 

「......またね、杉原くんっ」

 

心臓が跳ねた。

冥の体が硬直する。

 

しかし柏木は、それ以上何も言わずに軽やかに去っていった。

 

「……っ」

 

動揺を隠すようにストールに深く顔を埋めた冥の元に、さらなる嵐が訪れる。

 

「あら?随分と賑やかね?かぐやおば様。こんなところで何を見せびらかしているのかしら?」

 

高飛車でありながら、どこか湿り気を帯びた聞き覚えのある声。

 

廊下の向こうから歩いてきたのは四条家の令嬢、四条眞妃だった。

 

彼女はいつものように友人を連れることもなく、一人で何やら思い詰めたような顔をしていたが、かぐやと『その隣の少女』を見た瞬間、その足が止まった。

 

「……眞妃さん。相変わらず神出鬼没ですわね」

 

かぐやが不敵な笑みを浮かべる。

 

眞妃はかぐやの挨拶を無視し、吸い寄せられるように冥の前へと歩み寄った。

 

「……ちょっと誰よこの子?あなたの親戚にこんな子がいたなんて聞いてないわ。……それに、何その格好。水色と白のセーラーに、その白すぎるストール……。清楚を絵に描いたようなツラして鼻につくわね」

 

眞妃は攻撃的な言葉を吐きながらも、その瞳は驚愕に揺れていた。

 

自分と同じ、あるいはそれ以上の気品を纏った美少女の登場。

 

眞妃の勘が、目の前の存在がただ者ではないと告げていた。

 

冥は落ち着いてメモ帳を取り出し、サラサラとペンを走らせる。

 

『初めまして、四条様。四宮様から、あなたの聡明さについては伺っております。お会いできて光栄です。...しかし四条様はお綺麗なのであまりジッと見られると恥ずかしいです...』

 

「なっ……! 聡明で綺麗……!? まっ、まぁ?当然よ?私は四宮の人間とは違って、理性的ですもの。……っていうか何よ?あなた喋れないの?」

 

かぐやが待ってましたと言わんばかりに割って入る。

 

「ええ、眞妃さん。彼女……冥さんはお母様を亡くされたショックで声が出なくなってしまったの。そのストールは、お母様の唯一の形見。……少しは配慮というものを持ったらどうかしら?」

 

「えっ……お、お母様……? 形見……?」

 

眞妃の表情が劇的に変わった。

 

恋愛で常に苦汁を舐め、誰よりも『悲劇』に敏感な彼女の琴線に、その設定がクリティカルヒットする。

 

「な、なによ……。そんな事情があるなら、先に言いなさいよ! 私はただ、かぐやおば様の連れだから嫌味の一つでも言ってやろうと思っただけで……! 悪かったわよ!」

 

眞妃は顔を真っ赤にして、冥の肩を掴んだ。

 

「いい、冥? 母親を亡くした悲しみは、この私が一番理解してあげられるわ!(大切な人が自分のもとから離れていくという意味で)」

 

(……全然違う気がするけど、この人、やっぱり良い人だな……)

 

耀は、眞妃の熱い(けれど少しズレた)共感に圧倒されながら、再びメモを書く。

 

『ありがとうございます。四条様の優しさ、心に染みます。今度、ゆっくりお話しさせてください』

 

「っつ! えぇ、もちろんよ! かぐやおば様みたいな性悪女と一緒にいると心が汚れるから、いつでも私のところへいらっしゃい!」

 

眞妃はそう言い残すと、なぜか少し泣きそうな顔で、足早に去っていった。

 

 

 

 

 

続いて放課後の生徒会室。

 

体育祭の準備期間で騒がしい校庭の喧騒とは裏腹に室内にはティーポットから立ち上る湯気と、どこか浮足立った空気が満ちていた。

 

先に生徒会室で待っていたミコと藤原にかぐやは冥を紹介する。

 

「お待たせいたしました、2人とも。こちら、私の親戚の松園 冥さんです」

 

かぐやの紹介と共に、控えめに一歩前へ出た少女――冥の姿を見た瞬間、室内の時間は止まった。

 

「……っえ?」

 

最初に声を漏らしたのはミコだった。

 

手に持っていた書類がパラリと床に落ちる。

 

そこにいたのは、水色と白のセーラー服を完璧に着こなし、純白のストールを厳重に巻いた、儚げで神秘的な美少女。

 

「な、ななな……何ですかこの可愛い生き物はーっ!?」

 

藤原が椅子をガタンと鳴らして立ち上がり、冥の周りをぐるぐると回り始めた。

 

「かぐやさん!! この子本当に親戚なんですか!? どこかの国のお姫様じゃなくて!? まつげ長い! 肌白い! 唇プルプルですよっ!」

 

「ふふっ、落ち着いて藤原さん。……彼女には少し、悲しい事情があるの」

 

かぐやはわざとらしく伏せ目がちになり、声を落とした。

その完璧な演技にミコと藤原は固唾を呑んで聞き入る。

 

「冥さんは、幼い頃に最愛のお母様を亡くされたの。……そのショックから、声が出せなくなってしまって。今でもその後遺症で筆談でしか会話ができないのよ。そして、首に巻いているストール……それはお母様の唯一の形見なの。彼女、寝る時も肌身離さず、決して手放そうとしないのよ」

 

「そんなっ……! お母様を亡くすなんて……」

 

ミコの瞳が一瞬で潤んだ。

正義感と感受性の強い彼女にとって、これほど心に刺さるエピソードはない。

 

「うわぁぁぁぁん! 冥ちゃぁぁん! 辛かったですねっ!?寂しかったですねっ!?」

 

藤原が号泣しながら冥に抱きつこうとし、かぐやに『めっ』と制される。

 

「だから藤原さん、そのストールにだけは絶対に触れないであげて。彼女にとってそれはお母様の温もりそのものなのだから」

 

「わ、分かりました……! 私、絶対に触りません! むしろ私が守ります!!」

 

(……四宮先輩、設定盛りすぎですよっ!!)

 

耀は内心で冷や汗を流しながら、悲劇のヒロインを演じ続けるしかなかった。

 

藤原が持ち込んだレースのテーブルクロスの上には、マカロンやスコーンが並び、完全に女子の花園と化している。

 

「さあ冥ちゃん! 殿方は誰もいません、ここからは女子だけの秘密の時間ですよ!」

 

藤原が鼻をすすりながら紅茶を注ぐ。

 

「……冥さん、こちらをどうぞ。私が選んだ、一番美味しいマドレーヌです」

 

ミコは、たまたま耀がいつも座っているソファの定位置に冥を誘う。

ミコは冥の隣にぴったりと座り、甲斐甲斐しく皿を差し出した。

 

その距離、わずか数センチ。

ミコの頬は陶酔しきったように赤らんでいる。

 

「…………(ペコリ)」

 

冥は淑やかに頭を下げ、震える手でマドレーヌを受け取った。

 

(……まずい。伊井野さんの距離が近すぎて、石上くんや会長と接する時より遥かに心臓に悪い……!)

 

耀の鼻腔には、ミコが使っているシャンプーの甘い香りが直接届いていた。

 

「さぁさぁ皆さん! ! ここからは女子会のメインディッシュ、恋バナの時間ですよっ!」

 

藤原が身を乗り出し、机をバンと叩いた。

その勢いにマカロンが皿の上で小さく跳ねる。

 

「冥ちゃんみたいに神秘的で綺麗な子なら、きっと素敵な殿方の一人や二人、いるんでしょう!? 一体どんな男性がタイプなんですかっ?」

 

「……(!?)」

 

冥は激しく首を横に振るが、藤原の『ラブ探偵センサー』は一度ロックオンしたら逃さない。

 

「ええ〜、またまたぁ! それとも、悲劇のヒロインすぎて男子が近寄れないとか? それなら私、良い人紹介しましょうか!? 本学園の生徒会長なんてどうです? 目つきは悪いですけど、根は良い人ですよ!」

 

その瞬間。

生徒会室の温度が物理的に数度下がった。

 

「…………藤原さん?」

 

かぐやの声が、低く、冷たく響く。

 

先ほどまで愉悦に浸っていた彼女の瞳から光が消え、そこにはかつての『氷のかぐや』が降臨していた。

手に持ったティーカップが、微かにピキ……と音を立てたような気がして、冥の背筋に氷柱が走る。

 

「……何かしら? 私の親戚である冥さんに、あんな……学業以外に能のない男を勧めるなんて。随分と大胆な冗談をおっしゃるのね」

 

「ひっ!? い、いや、会長はとっても素敵ですよ!? かぐやさんだっていつも……」

 

「何 か し ら ?」

 

「な、なんでもありません!! 冥ちゃん、今の忘れてくださいっ! 会長ダメ! 絶対!!」

 

藤原が涙目で前言撤回する中、かぐやは冷徹な視線を冥に向けた。

 

(会長を勧めたのは藤原先輩なのに、なぜ僕が殺されそうな目で見られてるんですか!?)

 

「……ふん。藤原さんの戯言は放っておきましょう。冥さんは、もっと誠実な方がお似合いよ。……ねぇ、伊井野さん? あなたから見て、この学園の男子はどう映っているのかしら? 例えば……そうね」

 

かぐやは一拍置き、冥を――いや、耀をじっと見据えて言い放った。

 

「伊井野さんから見た『杉原くん』って、どうなのかしら? 彼は冥さんとは周知の間柄ではありませんが、生徒会ではとても有能な方でしょう?」

 

「ブフォッ……」

 

冥は思わず紅茶を噴き出しそうになり、口元を必死に押さえた。自分の評価を、本人の目の前で聞かされるという地獄。

 

「杉原くんですか……?」

 

ミコは少し視線を落とし指先を弄んだ。

その顔が先ほど冥に向けた憧れの色とは違う、どこか熱を帯びた赤みに染まっていく。

 

「……正直に、申し上げても良いでしょうか」

 

「ええ、もちろんよ」

 

ミコは意を決したように顔を上げて答えた。

 

「杉原くんは……とても、ずるい人です」

 

「杉原くんが……ずるい人?」

 

かぐやが楽しげにその言葉を繰り返す。

 

(やめてください四宮先輩、これ以上は僕の羞恥心が持ちません!)

 

冥は震える手でカップを握りしめるが、女子たちの追求は止まらない。

 

「ちょっとミコちゃん!?具体的にどう『ずるい』んですか!? 詳しく! 1から100まで詳しく教えてくださいっ!」

 

藤原が鼻息荒く身を乗り出し、ミコを問い詰める。

 

「えっ……あのっ、そのっ……」

 

「例えば、杉原くんのどこが一番格好いいと思うの? 顔? それとも、あの落ち着いた声かしら?」

 

かぐやが追い打ちをかける。

 

「か、顔だなんて、そんな不純な……! ……でも、確かに杉原くんは、そのっ、整った顔をされています。特に真剣に資料を読んでいる時の、あの伏せられた睫毛のラインとか……ふとした瞬間に目が合った時の、あの吸い込まれそうな瞳とか……」

 

ミコは一度話し出すと止まらなくなった。

自分の胸の内に秘めていた『杉原耀観察日記』が、憧れの冥様の前で決壊していく。

 

「杉原くんの声は、その……ただ低いだけじゃなくて、とても澄んでいて。まるで、有名な声優さんの演技を聞いているような、不思議な色気があるんです。……選挙の時に、私の名前を呼んでくれたあの時の響き……。冷たいようでいて、芯に優しさが滲んでいて……」

 

ミコは耳まで真っ赤にして、自分の両頬を押さえた。

 

「夜、寝る前に暗闇の中で思い出すと、すぐ隣で囁かれているような気がして……。心臓がうるさくて、枕に顔を埋めて叫びたくなってしまうんです……!!」

 

ミコは両手で顔を覆いながらも、続けて語り出す。

 

「……それに、これは本当に気のせいかもしれないんですけど……杉原くんは、その……なぜか、凄くいい匂いがするんです」

 

「…………っ!!」

 

冥(耀)の背中に、今日一番の戦慄が走った。

 

(……匂い!? 僕、そんなに匂うほど伊井野さんに近づいてた……!?)

 

「石上みたいな、なんだか埃っぽい匂いじゃなくて……。もっとこう落ち着いていて、ずっと嗅いでいたくなるような……。彼とすれ違うたびに、鼻先をかすめるその匂いのせいで、私はいつも思考が真っ白になってしまって……」

 

「キャーーー!! ミコちゃん、それ完全にアウトですよ! 恋です! 濃縮還元100%の初恋です!!」

 

藤原が机を叩いて大はしゃぎする。

 

冥は恥ずかしさのあまり、ストールに顔を半分埋めて俯く。

 

その仕草が、ミコには共感して照れてくれている乙女の反応に見えていた。

 

「あら、でも伊井野さん。杉原くんって女子に好意を抱かれやすいでしょう?

 

「……っ!!」

 

ミコの表情が劇的に変わった。

先ほどまでの陶酔が、一瞬で『独占欲』という鋭い光に変わる。

 

「……そうです。彼は、無自覚なんです。自分がどれだけ女子の心を乱しているか分かっていないんです。だから、私が、風紀委員として……彼が道を踏み外さないように、厳しく、四六時中監視してあげないといけないんです!」

 

ミコは冥の肩を掴んで熱弁を振るう。

 

「冥さん! あなたはどう思いますか!? 杉原くんのような、ああいう……女性を惑わすような罪深い男性について……!!」

 

(……僕のことだよね!? 目の前にいる、この僕のことだよね!?)

 

耀は泣きそうな顔でメモ帳を手に取った。

 

『……杉原様は、きっとそんなつもりはないと思います。ただ、少し不器用なだけではないでしょうか……。あまり、彼を責めないであげてください』

 

「……っ、ああ! なんて慈悲深い……! 自分の知り合いでもない男性のために、そんな優しいフォローをされるなんて……!!」

 

ミコは冥のメモを胸に抱きしめ、うっとりと目を閉じた。

 

「分かりました、冥さんっ。私はあなたの言葉を信じて、杉原くんを信じます! そしていつか……私が立派な生徒会長になったら、彼を一番近くに……。あっ! で、でも、冥さんももし杉原くんに会ったら、気をつけてくださいね!? 彼は本当に、女性の心を奪うのが上手ですからっ!」

 

(もういい……もう十分だ……。これ以上ここにいたら、羞恥心で消滅してしまう……!)

 

限界だった。

 

冥は震える手で『少し、外の空気を吸ってまいります』とメモに書き残し、逃げるように生徒会室を飛び出した。

 

薄暗くなり始めた廊下。

 

水色のセーラー服、首元の重いストール。

 

耀は人目を避けながら、冷たい壁に背を預けて大きく吐息をついた。

 

「……ふぅ……。明日、どんな顔して伊井野さんに会えばいいんだ……」

 

思わず口から漏れたのは、冥の淑やかな仕草とは似つかない耀自身の困惑しきった低い、けれど艶のある声。

 

「……え、杉原……くん?」

 

不意に、背後から声をかけられた。

 

そこに立っていたのは、体育祭の応援団の荷物を抱えた石上だった。

 

「…………っ!!」

 

耀は咄嗟に口を噤み、ストールに深く顔を埋めた。

 

石上は、目の前にいる美少女『松園 冥』を見て、幽霊でも見たかのように目を見開いている。

 

「あ、あの……昨日の……。いや、でも……」

 

石上の脳内で、昨日見た『女装した耀』の記憶と、目の前の『完成された冥』が激しく火花を散らしている。

 

確かに似ている。

骨格もその立ち姿も。

 

だが、漂ってくる気品や早坂の私物であるストールそして品のある香りが石上の理性を邪魔していた。

 

(……昨日のは、もっとこう……無理やり感があったっていうか。でも、目の前にいるこの子は、なんていうか……本物だ。本物の『お嬢様』のオーラが出すぎてる……!)

 

石上は混乱した。

 

友人の杉原耀か確認したい。

だがもし万が一、本当に四宮家の高貴な親戚だった場合、ここで「杉原くん?」と呼びかけるのは国家機密に土足で踏み込むような無礼に当たるのではないか。

 

「あの……すみません。人違いだったら申し訳ないんですけど……」

 

石上がおそるおそる一歩踏み出す。

 

冥は心臓の鼓動が耳元まで届きそうなほど激しく打ち鳴らされるのを感じながら、ただ静かに悲しげに首を横に振った。

 

そして、昨日よりも一段と解像度の上がった、潤んだ瞳で石上をじっと見つめる。

 

(……うわっ、綺麗すぎる……!! 無理、直視できない……!)

 

石上はたまらず視線を逸らした。

 

その圧倒的な『美』の暴力に、石上の疑念は「僕の思い違いだ、杉原くんがあんなに完璧な美少女なわけがない」という結論へと強制的に書き換えられた。

 

「……失礼しました。あまりに、その……知り合いに似ていたので。……お気をつけて」

 

石上が逃げるように去っていく。

その背中を見送りながら、冥は膝から崩れ落ちそうになった。

 

「なんとかバレずに済んだみたいですね」

 

廊下の向こうから、冷徹な、けれど勝利を確信したような声が響いた。

 

用事を終えて戻ってきた早坂愛だ。

彼女は一歩も無駄のない足取りで冥の隣に並ぶと、守るようにその肩を抱き寄せた。

 

「……危ないところでしたね、杉原くん。いえ、今は『冥さん』でしたね」

 

早坂の指先が、冥の首元のストールを愛おしそうに撫でる。

 

「昨日女装姿を見ている会計くんさえも欺くこの美しさ。……やっぱり、このまま私の手元に閉じ込めておきたいくらいです」

 

早坂の瞳は夕闇の中で昏く、深く濁っていた。

 

「さあ、帰りましょう。四宮邸で、この『鎖』を解いて差し上げます。」

 

耀は早坂に導かれるまま、夕焼けに染まる秀知院学園を後にした。

 

明日になれば、また『1年B組の杉原 耀』に戻る。

 

けれど首元に残るストールの重みと、ミコが語った『ずるい人』という言葉は、消えない呪文のように耀の胸に刻み込まれていた。





いかがでしょうか?

少し本編に関係ない話になっちゃいましたが、個人的には楽しかったので良しとします笑
次回からちゃんとマジメな本編に戻りますので楽しみにお待ちしていただけると幸いですm(_ _)m

引き続き、感想・高評価・お気に入り登録をお待ちしております。

では、また次回!!
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