【完結】渋谷の中心でマハムドバリオンを唱えた馬鹿者 作:双子座流星群
ってちょっとだけやってみたいですよね
重たい鉄の扉を閉め、鍵をかけ、更にドアチェーンをかける。
カチャリ、という金属音が、物理的な外界との遮断を告げた。
俺は靴を脱ぎ捨て、ベッドの上へと逃げ込んだ。
シーツのひんやりとした感触が頬に触れるが、身体の芯に居座る熱——興奮と恐怖が入り混じった不快な熱——は冷めようとしない。
天井を見上げる。変哲もない、白いクロスの天井。
だが、今の俺の目には、その白い平面が、世界の裏側に広がる深淵への入り口のように見えていた。
河川敷での魔法実験。
相田守という男の予想を超えた正体。
怒涛のような数時間が過ぎ去り、独りになった部屋で、俺は自分の右手を目の前に掲げた。
街灯の明かりがカーテン越しに差し込み、掌を薄暗く照らし出している。
この手だ。
この手と、俺の脳と、俺の声帯が、あの惨劇を引き起こした。
そして今もなお、破壊の引き金を握り続けている。
「……はあ」
深く、重い溜息が漏れた。
相田のステータスを見た衝撃がまだ網膜に焼き付いている。
『魅了・深度MAX』
あんな風に他人の精神状態や能力値が、ゲームのパラメータとして可視化されるなんて。
それはつまりこの世界そのものが、あるいは俺という視点がゲームシステムに侵食されているという動かぬ証拠ではないか?
ならば。当然、次にするべきことは一つだ。
相田のステータスを見た直後から、脳裏に浮かんでいたアイデア。けれど、恐ろしくてその場では実行できなかった、究極の確認作業。
——『
相田には言えなかった。
もし、俺の種族が『人間』じゃなかったら?
もし、俺の状態に『余命僅か』なんて文字があったら?
それをあいつに見られるのが怖かった。あいつが「神」と崇める俺の中身が、ただのバグの塊だったり、あるいは本物の「悪魔」だったりしたら。あいつは、どう反応するのか。
俺が人外だったなら……凄く喜びそうで地味に嫌だな。
だが魔法の代償によってもう死ぬとなると——彼は後を追う。そんな確信があった。
だから、独りでやるしかなかった。
この孤独な部屋で、自分という存在の正体を暴く。
俺はベッドの上で上体を起こし、壁に掛けた姿見の前に立つ。
鏡の中の自分と目が合う。隈の浮いた、疲れ切った男の顔。
どこからどう見ても、冴えないサラリーマンだ。
だが、そいつは罪無き四〇〇人の命を奪った外道だ。
心臓が早鐘を打つ。嫌な汗が背筋を伝う。
恐怖が、波のように押し寄せてくる。
なぜ、俺なのか。
なぜ、魔法なのか。
なぜ、『女神転生』なのか。
俺は特別な修行もしていない。魔導書を読んだわけでもない。
ただのゲーム好きの疲れたサラリーマンだ。
そんな俺が、なぜ突然、魔法を使えるようになった?
しかも、なぜ俺の好きなゲームの体系限定なのか。俺の妄想が具現化したから? それとも、この世界が実はプログラムで出来ていて、俺がそのバグを踏んだから?
疑問は尽きない。
そして、最大の恐怖が鎌首をもたげる。
——魔法の代償は?
『
レベル1の俺が、あんな大規模な即死魔法を放った。
河川敷での実験では、疲労を感じなかった。MPが減っている感覚もなかった。
だが、それは「MPが無限にある」ことを意味しない。
もっと別の俺が知覚できない「何か」を削っているとしたら?
寿命。魂の輝き。存在の質量。なんてこともあるかもしれない。
もし、魔法を使うたびに俺の寿命が削られているとしたら?
あの交差点の一撃で、俺の余生は既にマイナスに突入していて、今は残り火のようなもので生きている状態だとしたら?
明日、目が覚めないかもしれない。
今、この瞬間に心臓が止まるかもしれない。
「……怖い」
震える声が出た。死ぬのが怖い。
罪を償う覚悟なんて、出来ているようで出来ていなかった。
俺はまだ生きたい。訳のわからないまま死ぬのは嫌だ。
だからこそ、確認しなければならない。
俺に残された時間を。俺の存在の定義を。
俺は鏡の中の自分を睨みつけた。充血した目。青白い肌。
大丈夫だ。まだ人の形をしている。角も生えていなければ、尻尾もない。俺は人間だ。
堀田某という、どこにでもいる人間だ。
「……よし」
頬を両手でパン! と叩く。
乾いた音が部屋に響き、少しだけ正気が戻る。
覚悟を決めろ。真実を知らなければ、対策も立てられない。
相田という参謀を得た今、俺に必要なのは正確な情報だ。
俺は鏡に向かって、右手をかざした。
指先が震えるのを、左手で押さえて止める。
深く息を吸い込み、肺を満たす。イメージしろ。
分析。解析。解明。情報の開示。
目の前の「オブジェクト」の中身を暴き出す青白い電子の光。
「……
叫んだ瞬間。
キィィィィン……という耳鳴りのような高周波音が脳内を駆け巡った。
視界が歪む。
相田の時とは違う。もっと激しい、ノイズの嵐。
自分自身を分析するという行為が、脳の処理に多大な負荷をかけているのか?
視界の端が明滅し、鏡の中の俺の姿が、デジタルのブロックノイズに分解されそうになる。
そして。唐突に、それは安定した。
鏡面に浮かび上がる、半透明のウィンドウ。
相田の時よりも大きく、そして複雑なパラメータの羅列。
俺は、息をするのも忘れて、その文字列を目で追った。
—・—・—・—・—・—・—・—・—・—・—
【NAME】
堀田 悟(ホッタ サトル)
Age: 27 / Sex: Male
Race: 人間(Human)
Lv: 22
【HP】
135 / 135
【MP】
ERROR/ERROR
【CONDITION(状態)】
■ 境界接続者
次元の裂け目と直結している状態。
異界からの魔力供給が常時行われている。
■ 認識漏洩
膨大な魔力によって自身と世界の境界が揺らぎ、自身のイメージが魔法と言う形で世界の法則として漏洩、浸食している。
※現在は『女神転生シリーズ』の法則が適用中。
【SKILL】
・記憶している全魔法使用可能
【COMMENT】
一般人。ただし、魂の規格が破損し、外部ソースとパスが繋がってしまっている。
本人は魔力を生成していないため、MPの概念が存在しない。
使用する魔法は、本人の「知識」と「イメージ」をフィルターとして、外部エネルギーを変換して出力される。
—・—・—・—・—・—・—・—・—・—・—
静寂。
ウィンドウが消滅した後も、俺は鏡の前で立ち尽くしていた。
読み取れた情報は、安堵と絶望がないまぜになった、極めて複雑なものだった。
まず、俺は『人間』だった。
種族欄にははっきりとHumanと書かれていた。悪魔でも、魔人でもない。堀田悟という、ただの人間だ。
寿命に関しても、HPが減っている様子はないし、「余命」のような不吉な項目も見当たらない。
魔法を使うたびに寿命が削られる、という最悪のケースは回避されたようだ。
だが。一部の項目が、あまりにも異常すぎた。
『認識漏洩』『境界接続者』
俺が魔法を使えてしまう理由。そして、MPが減らない理由。
それは俺が俺が「穴」だからだ。俺という人間が、世界のバグとして「異界」と繋がってしまい、そこから無尽蔵にエネルギーが漏れ出している。結果として、魔法使いとなってしまった。
河川敷で「疲れない」と感じたのは、俺自身のエネルギーを使っていないからだ。
「……なんだよ、それ」
乾いた笑いが漏れる。俺の才能ですらなかった。
ただの事故。おそらくは天文学的な確率で、俺の魂が「向こう側」と繋がってしまった。
上司への殺意がトリガーになったのか、あるいはもっと前から壊れていたのかは分からない。
だが、結果として俺は、無限のエネルギーを引き出せる「歩く災害」になってしまった。
ゲームならチート級の最強キャラだ。
だが、現実は違う。「核弾頭の発射スイッチを持った一般市民」どころの話ではない。意思一つで世界を壊してしまえるかもしれない、「生きた地球破壊爆弾」だ。
もし、世界を壊せる規模という設定がある魔法を俺が使ってしまったら?
この性質はそれを忠実に実行し、向こう側から莫大なエネルギーを組み上げて、本当に世界を壊してしまうかもしれない。
そして俺が『女神転生』を強くイメージしているから、漏れ出るエネルギーが『
もし俺が『ハリー・ポッター』の熱狂的ファンだったら、あの悲劇は起きなかったのかもしれない。
レベル22という相田と比べて異常に高いレベルはおそらく俺の罪の結果そのものなのだ。
その割にバグった項目を除き、何か特別強くなった感覚はないが……。
……過ぎたことを悔やんでも、意味はない。
自身のイメージが魔法と言う形で世界の法則として浸食している。この記述が本当なら、俺の力は、俺の「認識」次第でコントロールできるということだ。
今は『女神転生』のルールに縛られているが、俺が別のルールを強く信じ込めば、あるいは……。
「……やるしかない、か」
俺は鏡から離れ、自分の手を見つめた。
人間であることは確認できた。
だが、それは「普通の人間に戻れる」ことを意味しない。
俺はもう、異界への穴なのだ。
塞ぐ方法が分からない以上、この穴から吹き出す暴風を、自分の意思で使いこなすしかない。
必要なのは知識だ。イメージだ。
この『認識漏洩』というふざけた能力を逆手にとって、俺は俺自身を騙し、この力を支配下に置くのだ。
※※※
ベッドに仰向けになり、天井のシミを見つめながら、俺は自嘲気味に口元を歪めた。
「……ドラクエだったら、詰んでたかもな」
ふと、そんなくだらない思考が脳裏をよぎる。
FFなら『ライブラ』がある。あれなら敵の弱点やHPを見抜けるから、代用は効いただろう。
だが、ドラクエはどうだ? 『インパス』は宝箱の中身や人の正体を調べる魔法だが、自分の詳細なステータスまで表示してくれるイメージはない。『レムオル』で姿を消すことはできても、現状把握は難しかったかもしれない。
俺が『女神転生』のマニアだったこと。
そして『
それは、この絶望的な状況において、唯一の手札と言える「不幸中の幸い」だったのかもしれない。
そして——もう一つの「不幸中の幸い」。
それは、皮肉にもあの惨劇の引き金となった「悪癖」そのものだ。
嫌なことがあった時、直球で「死ね」とは言わず、誰かに聞かれても「なんだ今の?」と誤魔化せるような『
その小心者特有の隠蔽工作が、結果として俺を救った。
もし俺が、派手なエフェクトを好む性格で、あの交差点で『
俺の手から火球が放たれるのを、周囲の数百人が目撃していただろう。爆心地にいる俺も巻き込まれたかもしれないし、なによりその「起点」が俺であることは一目瞭然だ。
生存者として保護されるどころか、その場でテロリストとして取り押さえられ、今頃は厳重な独房の中で、科学者たちに解剖されていたに違いない。
——
見えない波動。無音の死。効果は凶悪だが、視覚的な派手さは皆無だ。
だからこそ、人々は「ガスか?」「音響兵器か?」「病気か?」と混乱し、俺は「運良く生き残った被害者」という保護色を纏うことができた。
「……ツイてた、なんて言ったら罰が当たるか」
俺は腕で目を覆った。大量殺人を犯しておいて、「バレにくい魔法で良かった」なんて安堵している自分に、その浅ましさに反吐が出る。
——認識漏洩。
鏡の中のステータス画面に表示されていた、俺の体質。
俺が強く信じている法則が俺の中から漏れ出して現実を上書きされてしまう。
今は『女神転生』のルールが適用されているが、それは俺の中の魔法のイメージの問題だと言う事が分かった。
メガテンの魔法は過激すぎる。あの日のように怒りで理性が飛んだ勢いで『
俺は、明日からの行動指針を決めた。
1.相田との連携を維持し、ネットの撹乱を続ける。
2.「普通の会社員」としての日常を続ける。
3.その裏でこの『認識漏洩』という特性を利用し、自身の魔法の法則を捻じ曲げ、もっと穏当な形に変える。
「……寝よう」
思考がまとまると、急激に睡魔が襲ってきた。
精神的な疲労は、MP無限の身体でも誤魔化せないらしい。
——明日にはもう会社に行かなければならない。
上司が謎の急死を遂げ、俺が渋谷の事件に巻き込まれたという、社内でも腫れ物扱い必至の状況での出社だ。しかも俺自身はその犯人が俺だとわかっている。針のむしろにもほどがある。
だが、今の俺には相田という共犯者がいる。
そして『
ただ怯えて震えていた時よりは、幾分かマシな夜だった。
俺は電気を消し、深い闇の中へと意識を手放した。
夢の中で、あの交差点の光景を見ないことを祈りながら。
※※※
月曜日の朝、久し振りに吸い込むオフィス街の空気は相変わらず淀んでいた。
改札を抜けビル風に煽られながら自動ドアをくぐる。社員証をかざしてゲートを通過する電子音が響く。
まるで異分子が正常なシステムに潜入する時のエラー音の前触れのような響きに感じた。
「……おはようございます」
フロアに入り努めて小さな、しかし弱々しすぎない声で挨拶をする。
その瞬間、カチャカチャとキーボードを叩く音が止み、一瞬の静寂がオフィスを支配した。
数十人の視線が一斉に俺に突き刺さる。その視線に含まれているのは、敵意ではない。
「腫れ物」を見る目だ。
「あ、堀田くん……おはよう」
「体調は、もういいのか?」
隣の席の先輩が、恐る恐るといった様子で声をかけてくる。
俺は「ええ、まあ。まだ少し耳鳴りがしますが」と、事前に用意していた「可哀想な被害者」のテンプレート回答を返す。
実際には耳鳴りなどしていない。
時折聞こえるのは、俺が殺した犠牲者たちの恨み言の
……俺は自分のデスクに向かった。
そして、その「向かい側」にある席を見て、息を呑んだ。
そこは、俺の直属の上司——かつて俺を怒鳴り散らし、人格を否定し、俺に『
主を失ったデスクは綺麗に片付けられ、そこには白い花束が置かれていた。
(……ああ、本当に死んだんだな)
強烈な実感が、遅れて胸を打った。
もし彼が生きていれば、俺が休暇明けに出社したこの瞬間、間違いなくこう言っていただろう。
『おい堀田! てめぇ何日休んでんだ! 被害者面してサボってんじゃねえぞ、この給料泥棒が!』
飛んでくる罵声。叩きつけられるファイル。
胃の痛くなるような緊張感。
だが、今はどうだ。静かだ。あまりにも静かだ。
空調の音と、遠くの電話のコール音しか聞こえない。
俺のデスクには投げつけられた書類の山もなく、ただPCのモニターが黒い顔をして鎮座しているだけだ。
俺は自分の椅子に座り、向かいの白い花を見つめた。
本来なら、この静寂は俺が喉から手が出るほど欲しかった「平穏」のはずだった。
だが、今の俺には、この白い花が「お前が殺した」と告発してくる白い目のように見えて仕方がない。
——
あの時俺がマスクの下で小さく呟いた言葉があの男の心臓を止め、この席を空席にし、そして俺の人生を狂わせる前兆として産声を上げた。
俺はこの静寂を、殺人で買ったのだ。
「……堀田さん」
背後から声をかけられ、ビクリと肩が跳ねた。
振り返ると、総務課の女性社員が心配そうな顔で立っていた。
「あの……課長のことは、その、残念でしたね。堀田さん、その、一番近くにいらしたから、ショックも大きかったでしょうし……」
「あ、いえ……はい。突然のことだったので……」
俺は俯き、悲痛な表情を作った。演技だ。
俺はショックなど受けていない。むしろ、あの瞬間、心臓が止まって倒れる上司を見て、恐怖よりも先に「面倒くさいことになった」と思ってしまった自分を知っている。
「これ、未処理の書類です。前課長がいなくなってバタバタしてて、申し訳ないんですけど……」
「あ、いえ。やります。大丈夫です」
渡された書類の束を受け取る。日常業務だ。
俺はPCを起動し、パスワードを打ち込んだ。
画面が光り、いつものデスクトップ画面が表示される。
仕事をしなくてはならない。
「普通の会社員」堀田悟として。
だが、キーボードに置いた指先が、微かに熱を帯びているのを感じる。
——
(……やめろ。それをやったら、俺は本当に人間じゃなくなる)
俺は心の中で首を振った。
その万能感こそが、悪魔の誘惑だ。俺は普通の人間だ。
この退屈で、理不尽で、面倒くさい事務作業こそが、俺を人間社会に繋ぎ止める鎖なのだ。
俺はエクセルを開き、数字の入力作業を始めた。
向かいの席には死者の花。内側には規格外の魔力。
かつて地獄だと思っていたこのオフィスは今や、俺という爆弾を保管するための薄氷の上の火薬庫に変わっていた。
俺は息を殺し、エンターキーを叩く音だけを、静寂の中に響かせ続けた。
ただその結果が芳しくなくて『見なきゃよかった……』ってなりそうなのが地味に嫌ですよね、健康診断と同じです(違う)
相田はレベル0(非覚醒者)にしようかと思いましたが、この世界別にメガテンの法則で動いているわけではないのであえて違う感じになっているのです(適当)