【完結】渋谷の中心でマハムドバリオンを唱えた馬鹿者 作:双子座流星群
数日後の金曜日、電車の揺れに身を任せながら、俺はスマートフォンの画面に表示された『注文が確定しました』という文字を虚ろな目で見つめていた。
——【ペガサス文庫】ハリー・ポッター全巻セット(全7巻・計11冊)
——【公式ライセンス商品】魔法の杖(ハリー・ポッターモデル) 専用化粧箱入り
合計金額、約二万五千円。
お届け予定日、明日。
……何をやっているんだか。つり革に掴まりながら、俺は自嘲の笑みをマスクの下で噛み殺した。
渋谷のスクランブル交差点で四〇〇人あまりを彼岸へ送った大量殺人犯が、気に入らない上司を『
帰りの電車で、児童文学とコスプレグッズをポチっている。
滑稽を通り越して、もはや乾いた狂気だ。
……だが、これは俺なりの生存戦略だった。
認識漏洩。自身のイメージが魔法と言う形で世界の法則として浸食している。
この記述が真実ならば、俺が今『女神転生』や『ペルソナ』の魔法しか使えないのは、俺の脳が「魔法といえばメガテン」という回路でガチガチに固まっているからに過ぎないはずだ。
しかし、メガテンの魔法は危険すぎる。
『
物騒な攻撃魔法ばかりで、咄嗟に使ってしまうとまた被害が出てしまう。『
だからより安全で、かつ便利なものに上書きする。
世界で最も有名な魔法使いの少年、その物語の理を。
『レパロ』なら、魔法が暴発でもしてうっかり壊した物を直せるかもしれない。
『オブリビエイト』なら、俺の秘密を知られてしまったとしても、俺の記憶を消すだけで安全に解放できる。
『姿くらまし/姿あらわし』なら、追い詰められても相手を傷付けずに逃げ出せる。
平和だ。
圧倒的に平和で、実用的だ。
もし俺があの杖を振り、あの呪文を唱えることで魔法が発動すると脳を騙すことができれば。
俺の破壊的な魔力は、安全な「生活魔法」へと変換されるはずだ。不都合が起きた時、とっさに魔法による殺傷で解決しようとするよりは、一億倍マシな結果になる。
「……はあ」
俺はスマホをポケットにしまい、窓の外を流れる夜景を見た。
自身を安全にする事だけで罪滅ぼしになるなんて思っていない。ただ、これ以上、被害者を増やしたくないだけだ。
自分のために周囲を利用し破壊し尽くす悪辣なる「魔王」にならないための、ささやかな抵抗。
——それが、三十路手前の男が杖を振り回すという、痛々しいコスプレごっこだとしても。
最寄り駅に到着し、ホームに降り立つ。
改札へ向かう階段を上りながら、俺は背後に気配を感じた。
肌にまとわりつくような、湿った視線。
——いる。
俺の「騎士」こと、相田守だ。
おそらく、どこかから同じ車両に乗っていたのだろう。あるいは、俺の残業が終わるまで、ビルの下で待っていたのかもしれない。流石に考え過ぎか?
改札を出て少し歩いた先の薄暗い路地で俺は立ち止まった。
振り返ると、案の定、電柱の影からひょっこりと彼が現れた。
今日はスーツ姿だ。俺に合わせて「サラリーマン」の擬態をしているらしい。……いや、元々コイツもそうなのか。
「おかえりなさいませ、我が主よ」
相田は周囲に人がいないことを確認すると恭しく一礼した。
その表情に疲労の色はなく、むしろ生き生きとしている。
「……ただいま。尾行ご苦労だったな」
「滅相もありません。お見送りとお出迎えは、使い魔の嗜みですので」
使い魔……まあ、魔法でとらえた仲魔みたいなものか。
外道:自称ナイトなストーカー。彼は嬉しそうに目を細めた。
俺はため息をつきつつ、彼に歩み寄る。
この「新しい計画」については、彼にも共有しておかなければならない。もし俺が急に杖を振り回し始めたら、さすがの彼も混乱するかもしれないからだ。
「相田。少し、方針を変える」
「ほう。方針、ですか?」
「ああ。今の魔法……メガテン系の魔法は、殺傷力が高すぎる。何かあったとき使うにはリスクが大きすぎる」
俺はポケットの中で、まだ届かぬ杖の感触を幻視しながら言った。
「だから、別の体系を導入する。もっと穏やかで、小回りの利く魔法だ」
「別の体系……?」
相田は首を傾げた。
「具体的には、ハリー・ポッターだ」
「……はい?」
流石の彼も、一瞬ポカンとした顔をした。
無理もない、彼からすれば魔王が急に「ホグワーツに入学する」と言い出したようなものだ。
……まあ、ヴォルデモートもホグワーツに通っていたんだが。
「俺の特性を利用するんだ。俺が『自分はホグワーツの魔法使いだ』と強く思い込めば使える魔法もそっちに切り替わるかもしれない。そうすれば破壊を伴わずに問題を解決できる」
俺は真剣に説明した。
相田は数秒間、瞬きを繰り返した後——。
「……なるほど!」
ポン、と手を打った。
その顔には、またしてもあの陶酔の色が浮かんでいた。
「素晴らしい……! 流石は我が君。単なる力の行使に溺れることなく、自らの精神を書き換えてまで『慈悲』を体現されようとするとは!」
……そう来たか。俺の「ビビりからの
「破壊の力を封印し、あえて玩具のような杖を持つことで己の強大すぎる力を抑制する……。くぅッ、なんて高潔な! まさに『能ある鷹は爪を隠す』、いや『魔王は杖に戯れる』ですね!」
相田は一人で盛り上がり、天を仰いで感涙にむせんでいる。
「魔王は杖に戯れる」ってなんだ。ラノベのタイトルか。
「そ、そういうことだ。だから、明日から俺が杖を振っていても、変な目で見ないでくれよ」
「もちろんです! そのお姿もまた、至高の尊さでしょう。僕も呪文の予習をしておきましょう!」
彼はビシッと敬礼した。
予習しなくていい。お前が使うわけじゃないんだから。
「……頼むよ」
俺が力なく笑い再び歩き出すと、相田は影のように背後に続く。とりあえず、騎士の承認は得られた。
あとは明日、Amazonの箱が届くのを待つだけだ。
段ボール箱に入った「平和」と「杖」が、俺の罪塗れの掌に、少しでもマシな未来をもたらしてくれることを祈って。
夜風が、俺のスーツの裾を揺らす。
俺は無意識に、右手の人差し指を杖のように振ってみた。
「ウィンガーディアム・レビオーサ」
口の中で呟く。
何も起きない。まだ、イメージが足りない。
だが、この滑稽な練習こそが、今の俺にとっては蜘蛛の糸のように細く、しかし唯一の救いの光に見えた。
※※※
帰り道、二人の帰路が分かれるY字路の手前にある小さな児童公園。錆びついた滑り台と、誰が忘れたのか砂場に突き刺さったままのスコップが、深夜の街灯に照らされて寂しげな影を落としている。俺はそこで足を止めた。
「相田」
「はい、我が君。いかがなさいましたか?」
相田は即座に反応し、期待に満ちた瞳で俺を見つめ返してくる。その瞳の奥には、俺がかけた『
絶対的な好意。盲目的な従順。
それは俺にとって最強の防壁であり、同時に、喉に刺さった小骨のような違和感でもあった。
俺は、『
—・—・—・—・—・—・—・—・—・—・—
【CONDITION】♥ CHARM(魅了・深度MAX)
【SKILL】執着心 EX
【COMMENT】根底にある執着は術前と変化していない。
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この記述が真実であるならば、俺は無駄なことをしているのではないか?
いや、無駄どころか余計な罪を重ねているだけでは?
そもそも、人の心を魔法で書き換えるという行為は、殺人にも比肩する尊厳の冒涜だ。
俺があの時、咄嗟に『
だが、蓋を開けてみればどうだ。
こいつは元々俺に対して並々ならぬ、いや異常なほどの「関心」を寄せるストーカー予備軍だったのだ。
『深度MAX』の魅了がかかった理由も、今なら推測できる。
火のない所に煙は立たない。
元々、俺という存在に対して「執着」という名の薪が燃えていたところに、俺が『
(……もし魔法が解けても、こいつは俺の味方なんじゃないか?)
そんな仮説が頭をよぎる。もちろん、リスクはある。
こいつは一度、俺の家のドアの写真を撮り、「ビンゴ」とポストして全世界に晒そうとした男だ。あの瞬間、彼の行動原理は「観察」から「暴露」による承認欲求の充足へと傾いていた。
魅了を解いた瞬間、正気に戻った彼が「騙された!」「やはりこいつは化け物だ!」と逆上し、今度こそ俺の首を取りに来る可能性はゼロではない。
……だが。俺の手には、あの時とは違う切り札がある。
『
魅了を解いた直後、彼の精神状態を解析すればいい。
もしそこに【敵意】や【殺意】の文字が浮かべば、即座に『
何より、「洗脳された操り人形」を侍らせているという罪悪感が、俺のメンタルを削り続けている。
ただでさえ四〇〇人の命を背負っているのだ。これ以上、倫理的な負債を増やしたくない。
もし、彼が「正気」のままで、自分の意志で俺に協力してくれるなら。それはどれほど、俺の孤独を癒やしてくれるだろうか。
「……相田。少し、じっとしていてくれ」
「はい? ……あ、なるほど。また新しい魔法の実験ですね? どうぞ、この身をお使いください。我が君の糧になるなら本望!」
彼は疑うこともなく、両手を広げて目を閉じた。
その無防備な姿が、余計に俺の胸を締め付ける。
試すのは、状態異常回復魔法。『女神転生』シリーズにおける、精神の浄化。俺は深く息を吸い込んだ。
イメージするのは、白く清浄な光。
絡みついたピンク色の粘膜を洗い流し、本来の彼——良くも悪くも、ただの相田守という人間——を取り戻すための儀式。
「……
静かな詠唱と共に、俺の掌から清涼な風のような波動が放たれた。それは相田の全身を包み込み、薄紅色のオーラを霧散させていく。
目に見えるエフェクトはないが、俺の『魔力知覚』には、彼にこびりついていた甘ったるい魔力の残滓が、急速に消滅していくのが感じ取れた。
数秒後。
相田の肩が、ビクリと大きく跳ねた。
「……っ!?」
彼はカッと目を見開き、大きく後ずさった。
その動きは、先ほどまでの「忠実な騎士」の優雅さとは程遠い、混乱と警戒に満ちた野生動物のような反応だった。
彼は荒い息を吐きながら、自分の手を見つめ、次いで俺の顔を凝視した。その瞳から、あの独特の「陶酔」が消えている。
代わりに宿っているのは、鋭く、冷徹で、そして底知れない深淵を覗き込むような、理知的な光だった。
俺は即座に右手を構え、心の中で次の呪文の準備をした。
いつでも『
そして、同時に唱える。
「……アナライズ」
視界が瞬き、相田の頭上に再びステータスウィンドウが展開される。俺は祈るような気持ちで【CONDITION】と【COMMENT】の欄を確認した。
—・—・—・—・—・—・—・—・—・—・—
【NAME】
相田 守(アイダ マモル)
Age: 28 / Sex: Male
Race: 人間(Human)
Lv: 4
【HP】
128 / 128
【MP】
45 / 45
【CONDITION】
■ 混乱(軽度)
記憶の連続性と感情の不整合による一時的な動揺。
■ 興奮(中度)
対象への知的探究心と所有欲の増大。
【SKILL】
・特定解析 B+
(僅かな情報から個人を特定する技術)
・気配遮断 A
(対象に認識されずに行動する技術)
・執着心 EX
(対象への異常な固執。精神干渉を貫通する)
【COMMENT】
精神干渉魔法の影響が消失。本来の人格が復元。
しかし、対象への「執着心 EX」は健在。
むしろ、魔法の実在を体感したことで、対象への関心は「観察対象」から「信仰対象」へと自発的に昇華されつつある。
危険度:C(理解ある共犯者)
—・—・—・—・—・—・—・—・—・—・—
…………は?
俺はステータス画面と、現実の相田の顔を交互に見比べた。
『自発的に昇華』? 『理解ある共犯者』?
相田は、激しく瞬きを繰り返した後、額に手を当てて深呼吸をした。そして、まるで長い夢から覚めた学者のように、独り言を漏らし始めた。
「……なるほど。これが『魔法』による精神干渉の感覚ですか。思考の優先順位が強制的に書き換えられ、全ての判断基準が『主への奉仕』に固定される。ドーパミンの過剰分泌に似た多幸感と、批判的思考能力の欠如。……興味深い。実に興味深い体験だ」
冷静だ。
あまりにも冷静に、自分の洗脳体験を分析している。
「相田」
俺が声をかけると、彼はハッとして顔を上げた。
その表情に、怒りはなかった。恐怖もなかった。
あるのは、純粋な好奇心と、得体の知れない熱量を含んだ笑みだった。
「……凄いです、堀田さん」
彼は一歩、俺に近づいた。
以前のような「下僕」としての卑屈な姿勢ではない。
対等な、いや、もっと貪欲な捕食者のような足取りで。
「貴方は本当に、本物の『魔法使い』だったんですね。僕の思考を、あそこまで完璧にコントロールするなんて。……あれが『マリンカリン』ですか? それとも他の?」
「……
「やっぱり! 効果てきめんですね! 僕の自我なんて、紙切れみたいに吹き飛んでましたよ。あんな経験、一生に一度できるかどうか……」
彼は恍惚とした表情で、自分の頬を両手で包んだ。
洗脳が解けているはずなのに、反応が狂っている。
いや、これが「素」の相田守なのか。
「怖くないのか? ……いや、怒ってないのか?」
俺は恐る恐る尋ねた。
「俺は、大量殺人犯で、しかもお前の心を勝手に弄くったんだぞ。お前に、あんな恥ずかしい騎士ごっこまでさせたんだ」
「怖い? 怒る? まさか!!」
相田は心外だとばかりに首を振った。
「むしろ感謝したいくらいです。僕は貴方をずっと見てきました。コンビニで、駅で、電車の中で。貴方はいつも疲れていて、平凡で、どこにでもいるサラリーマンに見えた。でも、僕は感じていたんです。貴方には何か『ある』と」
彼は熱っぽく語る。
どういう事だ? 何となくよく見かける近所の人間としてではなく『俺』として注目していた? あの、上司を呪殺した日までの俺は、ただのどこにでもいる凡人だったはずだ。
「あの事件の日、スレで画像を見た時、僕は震えました。『やっぱりだ!』って。僕の目に狂いはなかった。貴方こそが、この退屈な世界に風穴を開ける特異点だったんだって! ……でも、一つだけ不安があった」
特異点? なんの話をしているんだ、こいつは……?
「不安?」
「ええ。もし、貴方がただの『運悪く犯人扱いされただけの被害者』だったらどうしよう、と。もし、マハムドバリオンを唱えた瞬間に起こった出来事も全部偶然で、貴方が本当にただの凡人だったら……僕のこの長年の観察は、無駄になってしまう」
彼は一歩踏み込み、俺の目を見据えた。
「だから、家に行きました。表札を確認し、ドアの前で貴方の反応を試そうとした。もし貴方が凡人なら、僕は失望と共にあの写真をアップして、貴方を社会的に殺すことで『祭りの幕引き』をするつもりでした」
背筋が凍る。こいつは、俺を助けに来たわけでも、正義感で来たわけでもなかった。
俺が彼の思う「本物」かどうかをテストしに来たのだ。
そして、「偽物」なら切り捨てて壊すつもりだったのだ。
「でも、貴方は期待に応えてくれた!」
俺が戦慄していると相田の声が弾む。
「ドア越しに魔法を撃ち込み、僕を洗脳した! その事実こそが、貴方が『本物』である何よりの証明です! ああ、堀田さん。貴方は僕の心を弄くったんじゃない。僕の『正解』にマルをつけてくれたんです!」
……狂っている。魔法なんて関係ない。
この男は、根本的に回路が焼き切れている。
『
それが解けた今、剥き出しになったのはより純度が高く、より厄介な、非日常への「憧憬」だった。
「じゃあ……今は、正気なのか?」
「ええ、極めてクリアです。『騎士』として跪きたくなるような衝動は消えましたが、代わりに『観測者』としての使命感が燃え上がっています」
相田はニヤリと笑った。それは、共犯者の笑みだった。
「続けましょう、堀田さん。僕は貴方を守ります。今度は魅了のせいじゃなく、僕自身の意志で。だって、貴方が捕まってモルモットにされたり、死刑になったりしたら……この面白い『非日常』が終わってしまうじゃないですか」
彼は手を差し出した。
「貴方は魔王で、僕はその第一の信徒であり、共犯者だ。……これなら、文句ないでしょう?」
俺はその手を見つめた。
洗脳による強制的な忠誠ではない。
彼自身の欲望と好奇心に基づいた、利害の一致による契約。
ある意味で、こちらの方がよほど信頼できるのかもしれない。少なくとも、彼は「俺を観察し続ける」という目的がある限り、俺を裏切らないだろうから。
「……ああ。魔王やら信徒やらはともかくとして、共犯者に文句はない」
俺は溜息交じりに、その手を握り返した。
『
だが、今の俺にはこの歪んだ握手こそが必要な命綱なのだ。
「よろしく頼むよ、相田。……ただし、あまり気持ち悪いことは言うなよ。『我が主』も『我が君』も禁止だ」
俺は魔王でも闇の帝王でもないのだ。
「努力します。……では、『堀田さん』で」
「それでいい」
握手を解く。
相田は満足げに頷き、ポケットからスマホを取り出した。
「さて、正気に戻ったところで、改めて現在のネット工作の状況を再評価しますね。『騎士』モードの僕は少し情緒的すぎたかもしれません。もっと冷徹で、効果的なカバーストーリーを再構築しましょう」
彼は早速、高速でフリック入力を始めた。
その背中は、洗脳されていた時よりも一回り大きく、そして頼もしく見えた。
俺は夜空を見上げた。星は見えない。
だが、俺の隣には俺の正体を知りながらもそれを受け入れ、面白がってくれる共犯者がいる。
それは、四〇〇人の死という十字架を背負う俺にとって、あまりにも贅沢で、そして危険な救いだった。
「……帰るぞ、相田」
「はい、堀田さん。いえ、
「……うるせえよ」
俺たちは並んで歩き出した。
誰もいない夜の公園に、二人の足音だけが響いていた。
ただ全部が使いやすいわけではなく、産廃魔法全部も一杯ある印象。