【完結】渋谷の中心でマハムドバリオンを唱えた馬鹿者   作:双子座流星群

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貴方なら、この罪深い魔法使いを赦せますか?


救済:メシアライザー

「……フィニート(呪文よ、終われ)」

 

 俺が短く唱えて杖を一振りすると、床でのたうち回っていた相田の動きがピタリと止まった。

 彼は荒い呼吸を繰り返しながら大の字になり、涙を浮かべた目で天井を見上げて放心している。

 

「はぁ、はぁ……。す、凄かった……。腹筋が、千切れるかと……」

「悪かったな。ちょっとやりすぎたか?」

「いえ……感謝します……。強制的な笑いという生理現象が、これほどまでに苦痛で、かつ抗いがたいものだとは……貴重なデータが取れました……」

 

 相田は涙目で、それでも満足げにニヤリと笑った。

 こいつのタフネスには呆れるばかりだが、実験は成功だ。

 俺は手元の杖を眺め、深く頷いた。

 やはり、正解だった。

 児童文学発祥の魔法体系は、殺伐とした『女神転生』の世界に比べて、圧倒的に「穏便」で「平和」だ。

 もちろん作中には死に至る呪文もある。だが基本設計が違う。

 

 あちらが神や悪魔を殺すための兵器だとしたら、こちらは日常を快適に生きるための知恵袋。その在り方が段違いだ。

 例えば、許されざる呪文の一つ、『インペリオ(服従せよ)』。

 作中では禁忌とされるこの魔法ですら、今の俺には救いに見える。

 

 なぜなら、あれはあくまで従(・)わ(・)せ(・)る(・)だけだからだ。

 俺が相田にかけてしまった『マリンカリン(魅了)』のように、相手の脳髄をピンク色に染め上げ、「貴方様が好きで好きでたまらない」という強烈な好意を植え付けるわけではない。

 

 心を犯して愛情を捏造するよりは、単に体を操るだけのほうが、まだ倫理的なダメージは少ない……気がする。五十歩百歩かもしれないが、少なくとも俺の精神衛生上はマシだ。

 

 そして何より、『オブリビエイト(忘れよ)』。

 これこそが、俺が最も求めていた究極の防衛手段だ。

 もし今後、相田のような凸者が現れたら?

 あるいは、運悪く魔法を使う瞬間を誰かに目撃されたら?

 今までは相田にそうしたように、マリンカリン(魅了)で俺への好意を植え付けて洗脳するしかなかった。

 

 ……だがこれからは、杖を向けてこ(・)の(・)数(・)時(・)間(・)の(・)記(・)憶(・)を(・)消(・)す(・)だけで済む。相手は「あれ? なんでこんな所にいるんだっけ?」と首を傾げて帰っていくだけだ。

 誰も傷つかない。誰も心を歪められない。誰も死なない。

 

「……勝てる」

 

 俺は小さく拳を握った。

 誰に、とは言わない。この不条理な運命に、だ。

 物理的な破壊力ではなく、この小回りの良さこそが、現代社会で隠れ住むために必要な本当の強さなのだ。

 

 俺はテーブルに置かれた文庫本の山に視線をやった。

 そこには、他にも便利な魔法が山ほど載っている。

 

 部屋の掃除をする魔法。

 壊れた物を直す魔法。

 重い荷物を運ぶ魔法。

 

 まさに、俺のQOLを爆上げするラインナップだ。

 もちろん、使い所が全く分からない魔法も同じくらい多いが。

 動物を水飲みグラスに変える『フェラベルト(杯になれ)』とか、いつ使うんだ。野良猫をコップにして水を飲むサイコパスになりたいわけじゃない。

 あるいは、歯を急速に伸ばす『デンソーシオ(歯呪い)』。嫌がらせ以外の何物でもない。

 

 だが、そんなく(・)だ(・)ら(・)な(・)い(・)魔法が存在すること自体が、今の俺には愛おしい。

 

 敵を死に至らしめる破滅的な攻撃しか選択肢がなかった数時間前までの自分を思えば、「相手の前歯をリスみたいにする魔法」で悩めるなんて、どれほど平和な悩みだろうか。

 

「堀田さん」

 

 呼吸を整えた相田が、よろよろと起き上がった。

 

「その顔……確信を得たようですね」

「ああ。これならいける。俺はもう、自分に怯えて暮らすだけの爆弾魔じゃない」

 

 俺は杖を振り、散らかったクッションに向かって唱えた。

 

「ウィンガーディアム・レビオーサ(浮遊せよ)」

 

 クッションがふわりと浮き上がり、ソファの定位置へと戻っていく。それを見た相田が、パチパチと拍手をした。

 

「お見事です。ホグワーツ一年生の課題はクリアですね。……では、次は防衛術の実践訓練といきましょうか。僕が襲いかかる役をやりますので、貴方は『プロテゴ』か『エクスペリアームス』で迎撃してください」

「お前、まだやる気か……」

「当然です! あらゆる呪いを体験するまでは帰れませんよ!」

 

 嬉々として提案する相田に、俺は呆れつつも、口元が緩むのを止められなかった。この異常な日常が、少しだけ「楽しい」と感じ始めている自分に気づいて、心の中の四〇〇人に少しだけ謝りながら。

 俺は杖を構え直した。

 さあ、夜はまだ長い。魔法学校の補習授業を続けよう。

 

※※※

 

 そうして空も白み、様々な安全で奇妙な呪いを体感して満足そうな相田が床に転がっている中。

 俺の掌にあるのは、小さく、無惨な金属の塊だった。

 

——それは、あの日、渋谷のスクランブル交差点で俺の運命と共に砕け散った眼鏡。

 

 歩きスマホの男にぶつかられ、アスファルトに弾かれ、無数の靴底に踏みにじられた、俺の「日常」の残骸だ。

 レンズは粉々になって消失し、フレームは複雑骨折したようにひしゃげ、ツルは根本から折れている。

 

 本来ならとっくにゴミ箱行きだ。だが、どうしても捨てられずに、ジップロックに入れて持ち帰っていたのだ。

 俺は代用品の安眼鏡越しに、その残骸を見つめた。

 

 ——これは、ただの物ではない。

 俺が大量殺人鬼へと転落した、その起点となった象徴だ。

 

 これを直すことができるなら。

 それは単なる修復以上の意味を持つはずだ。

 俺は震える手で杖を構え、その先端を残骸に向けた。

 

——イメージしろ。

 映画のハーマイオニーが、ハリーの丸眼鏡を直したあのシーンを。時間が巻き戻るように、あるべき姿へと還る光景を。

 

「……オキュラス・レパロ(眼鏡よ、直れ)」

 

 呪文が空気を揺らした、その瞬間。

 

——カシャカシャッ!

 

 硬質な音が響き、掌の上で奇跡が起きた。

 まるで早回しの映像を見ているようだった。

 

 ひしゃげたフレームが、生き物のように蠢いて元の曲線を取り戻す。

 折れたツルが、磁石に引かれるようにヒンジへと結合する。

 そして、どこにもなかったはずのレンズが、虚空からガラスの粒子が集まるようにして再構成され、パチン! という軽快な音と共にフレームに収まった。

 

 ……呪文を唱えて、ほんの数秒後。

 そこには、長年使い慣れた俺の眼鏡が鎮座していた。

 

「…………すげぇ」

 

 俺は杖を取り落としそうになりながら、直ったばかりの眼鏡を手に取った。指でフレームをなぞる。歪みはない。

 レンズを透かして見る。度数も、あの日のままだ。

 

——直った。

 あんなに無惨に破壊された俺の愛用品が。

 メーカー修理不可と言われるであろうスクラップが、たった一言で、完璧に蘇った。

 

「お見事です……!」

 

 いつの間にか起き上がり、横で見ていた相田が感極まったようなため息を漏らす。

 

「破壊の象徴だったその眼鏡を、自分の手で再生させるとは……。これは単なる『修復』ではありません。貴方が、過去のトラウマを克服し、破壊者から再生者へと生まれ変わったという、魂(・)の(・)禊(・)ですよ!」

 

 相田の解釈は相変わらず大仰だが、今回ばかりは否定する気になれなかった。

 俺は代用品の眼鏡を外し、直ったばかりの「いつもの眼鏡」をかけた。世界が、カチリと焦点を結ぶ。

 慣れ親しんだ視界。耳に馴染むツルの感触。

 それは、失われていた俺の「日常」が、少しだけ手元に戻ってきたような温かさを伴っていた。

 

「……見える」

 

 俺は小さく呟いた。視界がクリアだ。

 そして、心なしか、胸のつかえも少しだけ取れた気がした。

 

 俺は鏡に映る自分を見た。

 ローブを着て、杖を持ち、そしていつもの丸眼鏡をかけた俺。

 それはまだ滑稽な姿かもしれないが、破壊の魔王ではなく、魔法使いの卵としての第一歩を踏み出した姿に見えた。

 

「ありがとう、ハーマイオニー」

 

 俺は心の中で、映画の中の才女に感謝した。

 この魔法があれば、俺はまだ、やり直せるかもしれない。

 少なくとも、壊してしまった物を、直すことくらいはできる人間になれるかもしれない。

 

 俺は相田を振り返った。

 相田は「次は僕のスマホの画面を割りますので、直してください!」と、またしても変な提案をして目を輝かせていた。

 

 

————————

 

————

 

——

 

 

 世界が「彼」の存在に気づき始めたのは、あの渋谷の事件から半年ほどが過ぎた頃だったと思う。

 最初は、ネットの片隅で囁かれる都市伝説に過ぎなかった。

 

 『災害現場に現れる黒いローブの男』

 『杖を一振りすると、瓦礫が勝手に元に戻った』

 『瀕死の重傷を負っていたはずの祖母が、彼が何かを唱えた瞬間に完治して走り出した』

 

 誰もが最初はフェイクニュースやCG動画だと笑った。

 現代社会に魔法使い? ハリー・ポッターの見過ぎだろ、と。

 だが、目撃情報は国境を越え、加速度的に増えていった。

 

 ——日本の震災、東南アジアの大洪水、中東の紛争地帯での爆撃、北米での巨大ハリケーン。

 絶望が支配する場所に、彼はふらりと現れる。

 顔をフードで隠し、手には一本の木の杖。

 そして、現代科学では説明のつかない現象を引き起こし、名乗ることもなく煙のように消え失せる。

 とある大事件を引き起こしたのと同一人物と目される彼を、いつしか、人々はこう呼ぶようになった。

 

——『贖罪の魔法使い』と。

 

 

 

 超常現象などなくとも、人命はいともたやすく奪いさられるのが世の常だ。この日もまた、激しい雨がコンクリートの残骸を叩きつけていた。

 

 深夜、日本のとある地方都市で起きた大規模な土砂崩れ。

 裏山が崩落し、数軒の民家が押しつぶされた現場は、泥と闇と、救助隊の怒号に包まれていた。

 

「駄目だ、重機が入れない! 地盤が緩すぎる!」

「こっちに要救助者! でも瓦礫が退かない! 誰か手を貸してくれ!」

 

 消防隊員の悲痛な叫びがかき消される。

 絶望的な状況だった。巨大な岩盤と鉄筋コンクリートの梁が折り重なり、その下にはまだ息のある家族が閉じ込められている。

 二次災害の危険が高まり、撤退命令が出るか出ないかの瀬戸際。

 

——その時だった。

 

 暗闇の向こうから、パシッと何かが弾けるような聞きなれない音が聞こえたのは。

 

「……危ないから、下がっていてください」

 

 雨音を切り裂くような、静かで、しかしよく通る声。

 振り返った隊員たちが、息を呑んだ。

 黄色い規制線の向こう側に、黒いローブを纏った人影が立っていた。

 

 雨合羽ではない。映画のコスプレのような、丈の長いローブだ。だが、不思議なことに、その身体は一滴も濡れていないように見えた。凍てつくような雨粒が彼の周囲数センチのところで見えない傘に弾かれているのだ。

 

「君! ここは立ち入り禁止だ! 一般人は……」

 

 制止しようとした警官の言葉が、途中で止まる。

 男が、懐から一本の棒——杖を取り出したからだ。

 男は警官たちを一瞥もしなかった。

 フードの奥で光る眼鏡のレンズが、ただ一点、押しつぶされた家屋を見据えている。

 

「……ロコモーター・ラボー(瓦礫よ、動け)」

 

 彼が杖を振り上げ、指揮者のように滑らかに動かした。

 その瞬間、物理法則が休暇を取った。

 ズズズ……と地鳴りのような音が響き、数トンはあるであろう巨大な岩塊が、まるで発泡スチロールか何かのように、ふわりと宙に浮き上がったのだ。

 

 一つではない。

 崩落した土砂、折れた柱、ひしゃげた屋根。

 無数の瓦礫が次々と重力を失い、空中で静止する。

 

「な……」

 

 救助隊員たちは、開いた口が塞がらなかった。

 男は杖を操り、浮かせた瓦礫を丁寧に脇の空き地へと移動させていく。

 その手つきは、散らかった積み木を片付ける子供のように無造作だったが、眼差しは真剣そのものだった。

 瓦礫が取り除かれたそこには、泥まみれになって折り重なる家族の姿があった。

 

 だが、状態は最悪だった。

 父親と思わしき男性は腹部を鉄筋に貫かれ、子供は呼吸をしていない。命の灯火がきえつつある我が子を抱いた母は、周りも見えない様子で狂ったように泣き叫んでいる。

 駆け寄ろうとする隊員たちよりも早く、ローブの男が動いた。

 彼は泥の中に躊躇なく膝をつき、まず瀕死の父親の体に刺さった鉄筋を除去すると、吹き出す血に狼狽えつつも杖の先端を傷口に向ける。

 

 ——ここからが、彼の真骨頂だ。

 男はまず、小さな声であの大衆小説の呪文を唱えた。

 傷口を塞ぐための、日常的な修復魔法。

 

「……エピスキー(癒えよ)」

 

 杖先から淡い光が漏れ、裂けた皮膚が閉じようとする。

 だが、傷が深すぎる。内臓まで達した損傷は、簡易的な治療魔法では追いつかない。出血が止まらない。顔色が土気色になっていく。男の眉間に皺が寄った。

 

(……やっぱり、ハリー・ポッター系の魔法じゃ、致命傷には出力不足か。この人を治す間に、他も手遅れになる)

 

 フードの下で、彼は舌打ちをした。

 彼は知っていた。自分の本質がそ(・)っ(・)ち(・)ではないことを。

 杖を持ち、呪文を唱えることで、彼は自分の魔力をより安全な形に変換して出力している。それは蛇口にフィルターをつけて水を撒いているようなものだ。

 

 だが、そのフィルターを通すと、どうしてもパワーが落ちる。

 生活魔法や物理干渉ならいい。だが、消えかけた命の灯火を強引に引き戻すには、フィルターが邪魔だ。

 

 彼は認(・)識(・)のスイッチを切り替える。

 ホグワーツの優等生としての仮面を半分外し、その奥にある、無限のMPを擁する「魔王」としての回路を開く。

 

 彼は杖を強く握りしめた。

 杖はもはや、魔法を発動するための道具ではない。

 もう間違わない、という決意を込めた安心毛布だ。

 

 男の雰囲気が変わった。

 周囲の空気が、ピリリと帯電する。

 雨粒が空中で静止し、蒸発していく。

 救助隊員たちが、本能的な恐怖に後ずさりする。

 そこにあるのは、奇跡の術者ではない。もっと根源的で、圧倒的な力(・)の奔流。

 

 ただ祈るように、しかし絶対的な命令として、その言葉を紡いだ。女神転生シリーズにおける、最上位の全体回復魔法。

 HPを全快させあらゆる状態異常を治療する、救世主の奇跡。

 

「……メシアライザー(全体完全快癒)ッ!!!」

 

——カッッッ!!!

 

 深夜の被災地が、真昼よりも明るく染め上げられた。

 それは、ハリー・ポッターの映画に出てくるようなキラキラした光ではない。もっと幾何学的で、デジタルで、それでいて神々しい、プラチナ色の光の柱。

 天から降り注いだその光は、瓦礫の下の家族を包み込み、周囲の泥濘さえも浄化するように輝いた。

 

 光が収束した後。

 そこには、信じがたい光景があった。

 腹を貫かれていたはずの父親の傷は完全に消失していた。

 呼吸の止まっていた子供の頬には赤みが差し、安らかな寝息を立てている。

 それどころか、抱きかかえていた母親の狂乱まで収まり、彼らはまるで、ただ泥の中で眠っていただけかのように、無傷でそこに在った。

 

「ば、馬鹿な……」

「絶対に助からなかったぞ、今の……」

 

 隊員たちが腰を抜かす中、男——堀田は、よろりと立ち上がった。杖を持つ手が微かに震えている。

 MPは減らない。疲労もない。

 だが、精神的な摩耗だけはどうしようもない。

 

 あの悲劇をもたらした人間が、こうやって救世主の真似事をしている。誰かを救うたびに、四〇〇人余りの亡霊が彼を責めているような気がするのだ。

 いかなる魔法的な感知にも一切かからない、彼の胸の中にだけ存在する亡霊が。

 

「……あとは、頼みます」

 

 彼は短くそう言い残し、踵を返した。

 その背中には、達成感よりも、どこか深い哀愁が漂っていた。

 

「ま、待て! 君は一体……!」

 

 一人の若い隊員が、我に返って追いすがろうとした。

 

——バサリ。一尋の風が、彼のフードを取り払う。

 

「……ッ!!」

 

 人相がバレれば、明日の朝刊は彼一色となり、いずれ『堀田悟』へと繋がって平穏な日常は終わるかもしれない。

 堀田は立ち止まり、肩越しに彼らを振り返った。

 再び目深に被ったフードの奥の瞳が、悲しげに細められる。

 

「……ごめん」

 

 彼は杖を振った。

 今度は、あの優しい児童文学の世界の、残酷な魔法だ。

 

「……オブリビエイト(忘れよ)」

 

 銀色の霧が、その場にいた全員の視界を覆った。

 数秒後、霧が晴れた時にはもう黒いローブの男はいなかった。

 救助隊員たちは首を傾げ、目の前の「奇跡的に無傷だった生存者」たちを見て、「運が良かったんだな」と安堵の声を上げ、再び救助活動に戻っていった。

 

——自分たちが何を見たのか、誰に助けられたのか、その記憶だけが綺麗に抜け落ちたまま。

 

 

 現場から数キロ離れた、人気のない高架下。

 そこにパチンという音とともに、付き添い姿あらわしで堀田が現れる。ローブを脱ぎ捨て、濡れた髪をタオルで拭う。

 

「お疲れ様でした、堀田さん。今回も完璧な仕事でしたよ」

 

 その隣の空間からぬるりと現れた男——目くらまし呪文を掛けられていた相田守が、栄養ドリンクの瓶を差し出しながら言った。

 その表情は、相変わらず推(・)し(・)の活躍を見守るファンのように輝いているが、以前のような狂気じみた陶酔は鳴りを潜め、今は有能なマネージャーのような落ち着きを払っている。

 

「……完璧なもんか。最後のヘマで台無しだ」

 

 堀田はドリンクを一気に飲み干し、その場に座り込んだ。

 手元の杖を見つめると、先端が少し焦げているように見える。

 『メシアライザー(全体完全快癒)』の出力に、Amazonで買ったレプリカ杖が悲鳴を上げているのだろう。

 こちらの魔法を使う際は杖を介さない方がいいかもしれない。

 

「……ふふ、最高の演出でしたよ? それに彼らを救ったあの素晴らしき救済の光! きっと皆後遺症もなく、むしろ事故前より元気になれるでしょう!」

「……そうだな」

「実は現場の映像がアップされていますが、幸いにも画角の関係上顔は映っていませんし、目撃者の記憶処理も完璧。貴方の正体は、依然として『謎の魔法使い』のままです」

 

 相田はタブレットの画面を見せびらかした。

 そこには、SNSのトレンドに上がっている『魔法使い』の文字と、それを「またデマか」「いや、今回は本物かも」と議論する人々のタイムラインが流れている。

 彼はブワッと冷や汗が吹き出したのを感じた。

 

「……………ッぶねえええ……ッ!!」

 

 

 堀田悟と相田守。魔王と共犯者。

 二人の奇妙な関係性は、いつしか「世界を救うボランティア活動クラブ」へと変貌していた。

 きっかけは、やはり相田だった。

 

『どうせ隠れて暮らすなら、その無限のMP、何かに使いませんか? 例えば世界征服——なんて冗談ですよ冗談!』

『そうですねえ……この世の中には理不尽な不幸で死ぬ人が多すぎると思いませんか? 例えば貴方が殺してしまった四〇〇人のように、ね』

 

 その言葉は、堀田の罪悪感の急所を的確に突いた。

 四〇〇人を殺した罪は消えない。

 上司を呪殺した事実は変わらない。

 

——だが、その力で四千人を救えば? 四万人を救えば?

 

 確かに、それは被害者に対する贖罪にはならないかもしれない。自己満足の偽善かもしれない。

 それでも、何もしないで隠れているよりは、幾分かマシな地獄の歩き方だと思えたのだ。

 

「……次は?」

「南米で大規模な森林火災です。鎮火にはかなり高出力の魔法がが必要かと。まだ行ったことのない地域ですし転移は無理でしょう? 忍び込む飛行機はもう見繕ってあります」

「ハードスケジュールだな……」

「MP無限なんですから、身体さえ持てば働けますよ。ほら、行きましょう、我が君……いいえ、新たなるメシ——」

「シレンシオ(黙れ)! それマジでやめろって言ったよな?」

 

 声を消されてもにやけ面はやめない相田が車を発進させる。

 堀田は窓の外を流れる夜景を見つめた。

 あの日、渋谷の交差点で踏み砕かれた眼鏡は『レパロ(直せ)』で直されてから彼の視界をクリアに保ち続けている。

 そのレンズ越しに見る世界は以前とは全く違って見えた。

 壊れやすく、脆く、理不尽で、しかし守る価値のある世界。

 かつては、仕方がないと、関係ないと見過ごしていた悲劇。

 

「……許されないよな」

 

 堀田は独りごちた。誰にともなく。あるいは、あの日死なせてしまった人々に向けて。

 魔法で人を助けるたびに、感謝されるたびに、胸の奥の棘が深く刺さる。

 

——「ありがとう」と言われる資格など、自分にはない。

 

 これはヒーローごっこではない。

 終わりのない、罰としての奉仕作業だ。

 

 それでも。

 

『——ママ、痛くないよ! 魔法使いさんが治してくれたの!』

『ありがとう……! 本当にありがとう……!』

『アンタが居なきゃ、死んでた!! 本当に助かった!!』

 

 魔法を使ってすくい上げた人々が口々に発する感謝の言葉。

 その声が、堀田の凍りついた心を、わずかに温めていた。

 

「……行くか」

 

 堀田はローブのフードを深く被り直した。

 杖を握る手に力を込める。

 

 自分は人間だ。魔王でも、救世主でもない。

 バグで魔法を使えるようになってしまった、ただの人間だ。

 だからこそ、そんな人間としてできる限りの償(・)い(・)を続けていくしかない。

 

 パシッという音とともに、二人は姿を消す。

 おそらくは、空港へ向かったのだろう。次の絶望が待つ場所へ飛び立つ為に。

 飛行機は飛ぶ。世界で唯一の、最も罪深い魔法使いを乗せて。

 

 ——今日もどこかで、魔法の言葉が響く。

 己の罪を、少しでも軽くするために。

 いつか魔法を使えてよかったと思えるようになるために。

 誰かの絶望を、都合のいい奇跡で上書きするために。

 ……まだ自分が息をしていていいのだという確信を得るために。

 

『……メシアライザーッ!!』

 

 その光は、贖罪の色をして世界を優しく照らし続けている。

 

【挿絵表示】

挿絵:Nano Banana製




これにてこの物語は完結という一区切りをつけさせていただきます。
マハムドバリオン(大きな罪)に始まり、メシアライザー(贖罪への小さな一歩)に終わる。
倒すべき敵もなく、大いなる目標もない堀田くんの物語の区切りにはこれが相応しいと思いました。
とはいえ、まだまだ贖罪の魔法使いこと堀田くんは見ていて面白い事が沢山ありそうなので(相田感)、後日談という形にはなりますが細々と続いていくでしょう。

さて、ここまでお付き合いいただいた読者の皆様、お手数でなければ完結の記念、あるいはご褒美としてお気に入り(作者を) & 感想(喜ばせる) & 評価(魔法)をかけて頂ければ幸いです!
もちろん、“ここすき”も大好物にございます!
それではよい2026年を、また後日談にてお会いしましょう!
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