【完結】渋谷の中心でマハムドバリオンを唱えた馬鹿者 作:双子座流星群
高度一万メートル。成層圏に近い空の旅。
本来なら氷点下の気温と、呼吸すら困難な希薄な酸素、そして鼓膜を引き裂くような暴風が支配する死の世界だ。
だが、今の俺の体感温度は、エアコンの効いたリビングと同じ「快適な24度」だった。
「いやあ、素晴らしい! これぞまさにファーストクラス、いや、プライベートジェットを超越した『魔王専用機』の乗り心地ですよ!」
隣で足を組み、タブレットで電子書籍を読んでいる相田が、感嘆の声を上げた。
彼の髪は乱れていない。魔法瓶から注いだ手元の紅茶の湯気すら、垂直に立ち上っている。
「魔王言うなよ……」
俺は腕組みをしたまま、眼下に広がる雲海を見下ろした。
俺たちが乗っているのは、ボーイング社の旅客機ではない。全長十メートルはあろうかという、巨大な怪鳥の背中だ。
猿の顔、狸の胴、虎の手足、蛇の尾。
そして、バチバチと帯電する巨大な翼。
十種影法術の式神の一つ、『
ただし、俺が呼び出した鵺は、原作漫画で伏黒恵が使役していたサイズとはわけが違う。
俺の『認識漏洩』による無限MP供給と、「宿儺が呼び出した時のあのデカさ、カッコよかったな」という強烈なイメージが結びついた結果、俺の鵺はちょっとした航空機のような威圧感を放つ超巨大個体として具現化していた。
俺たちはその広い背中にあぐらをかき、優雅な空の旅を楽しんでいる。
もちろん、ただ乗っているだけではない。
「『
相田がコンコンと、俺たちの周囲を覆う見えないドームの壁を叩くマネをした。
そう、俺は鵺の背中ごと、強力な防御魔法と環境遮断魔法でコーティングしているのだ。
これにより、風圧も、冷気も、気圧差さえもシャットアウトされ、内部は完全に無風で快適な空間が保たれている。
さらに、外からは『目くらまし術』によって、俺たちの姿は完全に透明化されている。
肉眼ではほとんど映らないステルス怪鳥だ。
「以前の『風船移動』とは雲泥の差だな」
俺は苦笑した。相田を透明にして風船にし、凧のように引っ張り回していたあの移動法。
あれは相田の安否が心配で生きた心地がしなかったし、なによりえげつない空気抵抗を無限魔力パワーでゴリ押す必要があり、絵面的にも見えない死体を運搬する死神のようで最悪だった。
「ええー、あれはあれで楽しかったんですけどねえ」
相田が少し残念そうに言う。
「全身がゴムのように引き伸ばされ、重力から開放されて大気圏を漂う感覚……。あの絶対的な無力感は、究極のアトラクションでしたよ。またいつかやってくれませんか?」
「お前の性癖に付き合ってたら、俺の倫理観が崩壊しそうだ……」
俺は鵺の首筋をポンポンと叩いた。
鵺は「グルル……」と喉を鳴らし、主人のタッチに機嫌良さそうに応える。見た目は禍々しいが、中身は従順な忠鳥だ。
「ま、こっちの方が荷物も運べるし、何より俺が楽だ。座ってりゃ着くんだからな」
「合理的判断、さすがです。……おっ、そろそろ目的地周辺空域ですね」
相田がGPSアプリを開いたタブレットを見せる。
雲の切れ間から、エメラルドグリーンの海と、宝石のように散らばる島々が見えてきた。
今回のターゲットは、南洋のリゾートアイランドだ。
「よし、着陸態勢に入るぞ。鵺、高度を下げろ」
俺の思考に反応し、鵺が大きく翼を傾ける。
眼下には常夏の楽園。エメラルドグリーンの海と白い砂浜が広がり、俺の心はすでにビーチチェアとトロピカルジュースの方へと飛んでいた。
だが、その甘い幻想は、相田のタブレットが発した無機質な警告音によって、シャボン玉のように弾け飛んだ。
——ピピピピピッ! ピピピピピッ!
「……なんだ、その音」
「『災害アラート・マクロ』が反応しました」
相田の表情から、一瞬で「観光客」の色が消え失せ、「
「緊急事態です、堀田さん。北半球、緯度〇〇度付近の山岳地帯。記録的な豪雪により大規模な雪崩が発生。民間宿泊施設が一棟、完全に雪の下に埋没しました」
「埋没……!」
「現地は猛吹雪で視界ゼロ。二次災害の危険が高く、救助隊も接近を断念しかけている模様。……生存リミットが迫っています」
リゾートはおあずけだ。
俺は小さく舌打ちしてバカンス気分を頭から追い出すと、袋からいつもの黒いローブを取り出し私服の上から羽織る。
フードを目深に被り、Amazon製の杖を握りしめる。
贖罪の魔法使いとしてよく知られるようになった姿だ。
「場所は?」
「以前登録した国際空港の座標から北へ四〇〇キロ。鵺の速度なら数分です」
「よし。……行くぞ!」
俺は鵺の首を撫で、杖を振り上げた。
鵺ごと、相田ごと、空間を跳躍するイメージ。
バチュンッ! という空気が弾ける音と共に、南国の青空が視界から消え去った。
※※※
——ゴオォォォォォッ!!
転移した瞬間に襲いかかってきたのは、天地の区別もつかないほどの猛吹雪だった。
『
鵺が不快そうに鳴き声を上げ、帯電した翼で雪を弾き飛ばす。視界は白い闇だ。なにもみえそうにない。
相田が高性能GPS端末の画面を凝視しながら叫んだ。
「座標、一致! ここです! この直下にロッジがあるはずです!」
鵺の背中から見下ろす世界は、ただただ白一色だった。
雪、雪、雪。建物の屋根はおろか、木々の先端すらも見えない。地形そのものが雪崩によって書き換えられ、分厚い雪の層が全てを呑み込んでいた。
「……本当にここにあるのか?」
俺は思わず疑いの声を漏らした。
だが、相田のGPSが示す座標は微動だにしない。
この何十メートルもの雪の下に、今も救助を待つ人々がいる。もし建物の強度が限界を迎えていれば、あるいは酸素が尽きかけていれば……。
「探すぞ! 鵺、高度維持!」
俺は鵺の背から身を乗り出し、杖を真下の雪原に向けた。
肉眼で何も見えないならば、魔法の目で見るしかない。
イメージするのは、隠されたものを暴く光。分厚い雪の層を透過し、その下にある人工物の反応、そして微かな生命の灯火を見つけ出すレーダーのような波動。
俺は腹の底から魔力を汲み上げ、杖に一点集中させた。
手加減なしの、全力全開。
無尽蔵のMPが、安っぽいレプリカの杖を通して唸りを上げる。
「——
ブォォンッ!
杖先から、目に見えるほどの青白い波動が同心円状に広がる。
それは猛吹雪を貫いて雪面を透過し、地中深くへと浸透していく。そうする事で、俺の脳内に3Dマッピングされた地形情報が直接流れ込んでくる。
白いノイズの向こう側。
目測、深さ15メートル程——圧雪された層の下に、歪んだ長方形の空洞反応。——あった。
「見つけた! 真下だ、深さ15メートル! 建物は半壊してるが、まだ空間は残ってる!」
「生存者反応は!?」
「……微弱だが、ある! 一階ロビー付近に数名、固まってる!」
俺の報告に、相田がガッツポーズをする。
だが、状況は予断を許さない。15メートルの雪の重みは想像を絶する。いつ崩壊してもおかしくない状況だ。
通常の重機など入れないこの場所で、彼らを救い出す方法は一つしかない。
俺は鵺を雪面ギリギリまで降下させ、その背から飛び降りた。
腰まで埋まる新雪。寒さがローブ越しに突き刺さるが、そんなことを気にしている場合ではない。
通常のショベルカーや重機など、この山奥には絶対に入ってこられない。入れたとしても、15メートルの雪壁を掘り抜くには時間がかかりすぎる。
——ならば、
「
分厚い雲に覆われた白い暗闇を、魔法の灯火が切り裂いていく。俺は先端が強烈に輝く杖を鵺に咥えさせると、両手を前に突き出し、白い闇の中で拳を腕に押し付ける。
深呼吸。冷たい空気が肺を満たす。
イメージするのは、あの圧倒的な適応力。どんな障害も、どんな理不尽も粉砕する、無慈悲なまでの
「——
呪言が吹雪の中に溶ける。
分厚い雲に覆われ影も見えない足元の雪原に、どす黒い影が墨汁を垂らしたように広がっていく。
その影の中から、白い巨体が、雪を割ってせり上がってきた。
背中には法陣。手には退魔の剣。
異戒神将、魔虚羅。
俺の手持ちの中で、最強にして最悪の汎用ヒト型決戦兵器——もとい、汎用ヒト型大型重機の出番だ。
「……やってくれ、魔虚羅。この下の建物を掘り出せ。ただし!」
俺は強く念じた。
「中の人間は絶対に傷つけるな。建物を壊すな。これは救助活動だ……行く手を阻む雪だけを、排除しろ!」
魔虚羅が無機質な表情で俺を見下ろす。
ガコンッ! 背中の法陣が回り、彼は即座に「雪中掘削・人命救助」というミッションに適応した。
——ザザァァァンッ!!
魔虚羅が腕を振るった。
退魔の剣の腹をショベルのように使い、数トンもの雪を一撃で弾き飛ばす。その光景は圧巻の一言だった。油圧ショベルも裸足で逃げ出すほどのパワーと速度。
それでいて、その動きは精密機械のように正確だ。
「よし、俺もやるぞ!」
俺は魔虚羅が掘り出した雪が、再び穴に雪崩れ込まないように鵺から受け取った杖を振るう。
イメージするのは、強烈な拒絶と排斥。ハリー・ポッターにおける「撃退呪文」。
「——
杖先から放たれた衝撃波が、魔虚羅が掻き出した雪山をさらに遠くへと吹き飛ばす。
魔虚羅が掘り、俺が飛ばす。
二人(?)による超高速の除雪作業が、白い地獄に巨大な風穴を開けていく。
「す、凄まじいペースです……!」
鵺の背から「目くらまし」状態で監視していた相田の声が聞こえてくる。
「開始数分でもう半分まで到達しました! このままならあと五分で屋根が見えます!」
「分かった! だが相田、屋根が見えたら合図しろ! その瞬間に魔虚羅は戻す!」
「了解です! ……やはり、見た目の問題ですか?」
「当たり前だろ! 閉じ込められて死にかけてた所にこんなおっかないバケモン出てきたらショック死するわ!!!」
ガコンッ! と方陣が回る。ひょっとしたら主からの心無い言葉に適応したのかもしれない。
魔虚羅の見た目は、どう贔屓目に見ても「正義の味方」ではない。あんな禍々しい白い巨人が、剣を持って屋根を破壊しながら救助に来たらどうなる?
極限状態で閉じ込められていた被災者たちは、「助けが来た!」と喜ぶどころか、「死神が迎えに来た」「悪魔が出た」「地獄の鬼が現れた」と勘違いして、恐怖のあまり心臓麻痺を起こしかねない。
万能にして最強の式神だが、人受けにだけは適応できそうにない。
ガコンッ! ガコンッ!! ガコンッ!!!
法陣が回るたびに、魔虚羅の雪かき速度が上がっていく。
もはや雪を掘っているというより、雪そのものを「なかったこと」にしているかのような消滅速度だ。
もはやデパルソの補助も不要になった。
「——見えました! 屋根の一部が露出!」
相田の叫び声と同時に、魔虚羅の足元に黒い建材が見えた。
「よし、戻れ魔虚羅!」
俺の号令で魔虚羅は作業をピタリと止め、スゥッと影の中へと溶けて消えた。
後には綺麗に雪が取り除かれた巨大な縦穴と、露出したロッジの屋根だけが残された。
「……ふぅ」
俺は荒い息を吐き、杖を握り直した。
相田を雪上に降りさせると、鵺を影へと還す。
それと同時に、プロテゴ・トラタムの起点をロッジを含むここら一帯に切り替える。
ここからは、パワーよりも小回りと親しみやすさが勝負だ。
魔虚羅のようなおそろしげな破壊神ではなく、被災者を安心させる「愛らしい救助隊」の出番だ。
俺は光の灯る杖を相田に預けると、両手で素早く影絵を作る。
「——
影から飛び出したのは黒と白の二匹の犬。
額の紋章が神秘的だが、そのフォルムは大型犬そのものだ。
「そして、——
さらに手印を変え、叫ぶ。
影の中からポコポコと湧き出してきたのは、数え切れないほどの白いウサギたち。ピンク色の目をした愛らしい白兎の大群が、雪原を埋め尽くす。
「行け! 中の人を探し出して、通路を作れ!」
「ワフッ!!」
「アオーンッ!!」
俺の号令で、玉犬たちが鼻をひくつかせながら雪の斜面を駆け下りる。
その後を、白い波のように脱兎たちが追う。
ワンッ! と玉犬が吠えて場所を示すと、そこへ脱兎たちが殺到し、無数の小さな前足でシャカシャカと雪をかき分け、あるいは自分たちの体で雪を押しのけてトンネルを掘り進んでいく。
その光景は、さながら童話の世界の救助隊だ。
「いやあ、脱兎の集団除雪、効率いいですねえ!」
透明化した相田の声が、隣から聞こえてくる。
「一匹の力は弱くても、数の暴力で繊細な作業をこなす……まさに人海戦術ならぬ兎海戦術!」
「ああ。それにこいつらなら瓦礫の隙間からひょっこり顔を出しても子供が泣き叫ぶことはないだろ」
俺は杖を構え、再び全神経を集中させる。
物理的なルートは彼らに任せるとして、俺にはもっと重要な仕事がある。
「——
青白い波動が再び雪の下をスキャンする。
より詳細な状況が見えてきた。一階ロビーの広い空間に十数名。彼らは身を寄せ合い、互いの体温で暖を取っている。
だが、問題は奥まった客室や倉庫だ。完全に孤立し、雪に埋もれた小部屋に数名の反応がある。
彼らのバイタルサインは弱い。低体温症と酸欠で、意識が薄れかけている。
「……待ってろよ」
俺は杖を天に突き上げた。
物理的な接触を待つ時間はない。壁越し、雪越しに奇跡を届ける。俺の中に眠る無限の魔力バイパスから、惜しみなく魔力を汲み上げる。
「——
——カッッッ!!!
猛吹雪の夜空を切り裂くように、プラチナ色の光の柱が降り注いだ。それはロッジ全体を包み込み、雪の冷たさを浄化するような温かい波動となって浸透していく。
埋もれた部屋の中で凍えていた人々が、不意に訪れた温もりに驚き、目を開ける様子が『魔力知覚』越しに伝わってくる。
体力が回復し、凍傷が癒え、止まりかけていた心臓が力強く脈打ち始める。
とりあえず、死の淵からは引きずり戻した。あとは物理的に助け出すだけだ。
脱兎たちが掘り抜いた雪のトンネルを滑り降り、俺は半壊したロッジの入り口——かつて窓だった場所——に降り立った。
ガラスは割れ、雪が吹き込んでいるが、中はまだ辛うじて空間を保っている。俺は黒いローブの裾を翻し、杖を掲げて中へと足を踏み入れた。
ロビーの暗がりで、身を寄せ合っていた人々が、入ってきた人影に気づいて顔を上げる。
懐中電灯の頼りない光に照らし出されたのは、フードを目深に被り、杖を持った黒ずくめの男。
普通なら不審者以外の何物でもない。
だが、彼らの目には恐怖ではなく、驚愕と、そして縋るような希望の光が宿った。
ロッジの中は冷たく湿った空気が澱んでいたが、先ほどの『メシアライザー』の効果で、人々の顔色には赤みが戻っていた。
「……
「
囁き声が波紋のように広がる。
言葉は分からないが、そのニュアンスで伝わってくる。
俺の格好——ドンキの安物ローブとAmazonの杖——は、今や世界中で「災害現場に現れる謎のヒーロー」のアイコンとして認知されつつあるらしい。
顔は見えないようにフードを深く被り、俺はゆっくりと彼らに近づいた。
「
俺の口は閉じたままだが、流暢な英語が空間に響き渡った。
もちろん、喋っているのは俺ではない。悔しいが俺は英語を喋れない。片言の言葉で「あ、あいあむ、うぃざーど……」なんて言っても不安がらせるだけだからな。
声の正体は俺の背後、透明化した状態で控えている相田だ。
彼の英語力と演技力は完璧だ。まるで俺がテレパシーか翻訳魔法で直接語りかけているかのような演出になっている。
「
相田の吹き替えに合わせて、俺が杖で外を指し示すと、ちょうど玉犬たちが雪まみれになりながら戻ってきた。
その後ろには、孤立していた部屋から救出された数名の人々が、大量の脱兎たちに神輿のように担がれ、あるいは背中を押されながら運ばれてくる。
「
「A
きゃるーん☆とあざといポーズを取った脱兎たちの愛くるしい姿に、極限状態だった子供たちの表情が和らぐ。
俺は杖を一振りしてから脱兎たちに指示を出した。
「
杖先から火を出し、暖炉の薪に着火する。
パチパチと燃え上がる炎が、部屋を暖かく照らし出す。
さらに、脱兎たちを人々の足元や膝の上に誘導する。
「
相田の声に合わせて、脱兎たちがポムポムと人々に抱きつく。
ふわふわの毛並みと、じんわりとした温もり。それは、凍えた被災者たちにとって、何よりの精神安定剤となった。
「
涙を流しながら感謝する母親。
不思議そうに膝の上の脱兎を撫でる子供。
俺はその光景を見ながら、フードの下で小さく安堵の息を吐いた。
——よかった。怖がらせずに済んだ。
これがもし、魔虚羅がズカズカと入ってきたのなら、今頃パニック映画のクライマックスになっていただろう。
だが、まだ終わりではない。
ここは雪崩の直下だ。いつまた崩れてくるか分からない。
全員を安全な場所まで移送する必要がある。
だが、外は猛吹雪。徒歩での下山は自殺行為だ。
全員を安全に移動させる手段。
『付き添い姿あらわし』は便利だが、そのために直接触れられる人数には限りがある。
十数人を一度に抱えて飛ぶのは、物理的に無理だ。
ピストン輸送?
いや、その間に雪崩が起きたらどうする、一刻を争う状況だ。
——何かもっと効率的に、全員をまとめて運ぶ方法は……。
俺の脳内データベースが、高速で『ハリー・ポッター』の呪文リストを検索する。
そして、一つの単語にヒットした。
「……ポータス」
あらかじめ魔法をかけた物体に触れることで、指定した場所へ強制的に転移させる魔法のアイテム。
これなら、物体に触れている人間全員を、一度に運ぶことができるはずだ。
「相田」
俺は小声で背後の空気に話しかけた。
「……ポータス、使えると思うか?」
「おやおや、
相田の声が、楽しげに弾む。
「原理的には『物質への座標情報の書き込み』と『接触トリガーによる強制転移』です。堀田さんの魔力と、明確な『行き先』のイメージがあれば可能かと。……行き先は、やはり最寄りの安全地帯ですか?」
「ああ。山麓の救助隊のキャンプ地が見えたはずだ。あそこなら安全だ」
俺は辺りを見回し、手頃な物体を探した。
ロビーの隅に、スキー板のケースか何かが転がっている。これなら長くて掴みやすい。
「
「
人々は戸惑いながらも、俺の杖が指し示すスキーケースの周りに集まってきた。
子供たちは親に抱かれ、大人たちはケースの取っ手やベルトを必死に握りしめる。
全員が触れていることを確認し、俺は杖先をケースに向けた。
イメージするのは、山麓の明かり。
温かいスープと毛布が待っている、あの場所への直通切符。
「……
杖先から青い光が走り、ケース全体が微かに振動し始めた。
魔力の充填完了。発動設定、5秒後。
「
相田が叫ぶ。俺は一歩下がり、彼らを見守った。
次の瞬間、フックでへそを引っ張られるような感覚と共に彼らの姿が歪み、シュンッ! という音を残してその場から消滅した。
——成功だ。
ロッジの中は、再び静寂に包まれた。
残されたのは役目を終えた玉犬と脱兎たち、そして俺と、透明な相田だけ。
「……ふぅ」
俺は杖を下ろし、大きく息を吐いた。
玉犬と脱兎を影に戻す。彼らもよくやってくれたし、後でドッグフードや人参でもあげよう。
「お疲れ様でした、堀田さん。今回も完璧なミッションコンプリートですね」
杖を振ると相田が姿を現し、労うように言った。
「現地の救助隊も、突然テントの真ん中に遭難者たちが現れて腰を抜かしてる頃でしょう」
「そうだな……。まあ、助かったならそれでいい」
俺はロッジの窓から、白く煙る外を見た。
激しい吹雪はまだ吹き荒び続いている。
だが、この場所での悲劇は回避された。
「……帰るか」
「はい。暖かいお風呂が待ってますよ」
俺たちは並んで立ち、相田の肩に手を置いた。
パシッという音と共に、俺たちの姿もまた雪深い山奥から掻き消えた。
※※※
翌日のニュースは、案の定「雪山での奇跡の生還劇」で持ちきりだった。
生存者たちの証言——「黒いローブの男」「でかい犬」「不思議なウサギ」「触ったらワープした」——は、世界中のオカルト好きと魔法信者を熱狂させた。
更にはいつの間にか俺と式神たちの盗撮写真まである。
顔はかろうじて写っていないが……あいつらいつの間に。
それでもなんとか、俺の日常は変わらずにいられた。
いつものように姿あらわしで物陰伝いに出社し、パソコンに向かってキーボードを叩く。
隣の席の同僚が、「ねえ堀田くん、このニュース見た? 例の魔法使いがまたお手柄だってさ。凄いよねぇ」と心臓に悪い話しを不意に振ってくるのを「へ、へぇ、映画みたいですね」と適当に相槌を打ってやり過ごす。
昼休み、屋上のベンチで缶コーヒーを飲みながら空を見上げた。今日は相田からの緊急呼び出しはない。
……ま、平和が一番だな。
罪は消えない。四〇〇人の死は戻らない。
俺は一生、人殺しの魔法使いのままだ。
それでも、昨日の夜にあのロッジで見た子供たちの笑顔や、母親の安堵の涙は……本物だった。
俺の手は汚れているが、それでも誰かを温めることはできる。
壊してしまったものを直すことはできなくても、これから壊れそうなものを守ることはできる。
手の届く範囲だけでも、やれることをやっていこう。
俺は飲み干した空き缶を、懐から取り出した杖を一振りしてゴミ箱へとシュートした。
「
小さな魔法が、日常に溶けていく。
今日もまた、俺はなんとか呼吸することを許されている。
お正月にうっかり誤爆投稿したお話でした
あのときはせっかく感想くれたのに消してもらって申し訳ない事をしました……
さて、ふと思ったんですが、十種全部揃っててもこの作品で出す機会があるの鵺、玉犬、脱兎、魔虚羅くらいじゃね?って感じがしますね
そもそも出せるのが同時に二種までな事と、大体の事は堀田くんが魔法でやれちゃうので
補う形で出すのはまあ人に安心感を与えられつつ数を補える玉犬と脱兎、相田を連れた移動に必須な鵺、そして時には堀田くんでも一人では難しいことをできそうなまこーらくらいというか……