【完結】渋谷の中心でマハムドバリオンを唱えた馬鹿者   作:双子座流星群

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絶対に裏切らないしバカにしない、真摯に聞いてくれて、肯定もしてくれる……そんな相談相手、ほしくないですか?


懺悔:夜間の星空告解室

——堰を切ったように、俺は語り始めた。

 

 それは懺悔だった。

 警察の取調室でもなければ、神父のいる告解室でもない。深夜の公園の、薄汚れたベンチ。相手は、俺が魔法で心をねじ曲げた名前も知らないストーカー気質な近所の男。

 シチュエーションとしては最悪だ。だが、俺の口は止まらなかった。

 

「……事故だったんだ。信じてもらえないかもしれないが、俺は本当に、ただのストレス解消のつもりだった」

 

 言葉が、夜の冷気の中に白く浮かんで消えていく。

 俺は、自分が長年抱えてきた「悪癖」について話した。嫌なことがあるとゲームの呪文を唱えてしまうこと。それが俺なりの精神安定剤だったこと。

 

——そして、あの日。

 スクランブル交差点での苛立ち。踏み潰された眼鏡。爆発した怒り。つい口をついて出たいつになく語気の強い『マハ(全体)ムド(呪殺)バリオン(最上級)』という言葉。

 

「殺すつもりなんてなかった。いや、殺意が完全にゼロだったとは言わない。でも、本当に死ぬなんて……四〇〇人もの人間が、俺の一言でゴミみたいに死ぬなんて、思ってるわけがないだろう」

 

 膝の上で握りしめた拳が震える。

 俺は、その後の恐怖も語った。

 あれだけの事をしてのうのうと生きている罪悪感。

 ネットで特定が進んでいく焦燥感。コップの水を『ブフ(氷結)』で凍らせてしまい、魔法の実在を確信して絶望した瞬間。

 そして、孤独に耐えきれず、こうして彼を呼び出してしまった弱さまでも。

 

 全てを吐き出した。

 内臓を裏返して見せるように、俺の醜い部分、情けない部分、そして恐ろしい部分を、包み隠さず晒した。

 もし、魔法の効果が切れていれば、あるいは効果が不完全であれば、彼はドン引きするだろう。

 「なんだこいつは」と軽蔑し、「危険人物だ」と警察に通報するかもしれない。

 

——大量殺人を犯し、それを「事故だ」「怖かった」と言い訳する男など、客観的に見ればクズ以外の何物でもないのだから。

 だが、それでも。

 

「……ああ」

 

 男の口から漏れたのは、非難の言葉ではなかった。

 それは、濡れたような、熱っぽい嘆息だった。

 

「なんて……なんてお労しい……」

 

 俺は恐る恐る顔を上げた。

 ベンチの隣——物理的な距離は人が座るには近すぎる位置——にいる彼は、マスクを少しずらし瞳を潤ませて俺を見つめていた。

 そこには、軽蔑の色など微塵もなかった。

 あるのは、痛ましいほどの慈愛と、盲信的な崇拝。

 

「貴方様は、ご自分を責めすぎです。そんなに苦しまれていたなんて……僕の胸が張り裂けそうです」

 

 彼は、震える手で俺の肩に触れようとし、恐れ多いとばかりに引っ込めた。

 

「聞いてください、我が主よ。それは単なる事故ではありません。まさしく、天啓です」

「……てん、けい?」

「はい。貴方様には力が与えられた。それだけの話です。その力の覚醒による衝撃が強大すぎたがゆえに、脆弱な器たちが壊れてしまった。それだけのこと。象が歩けば蟻は死にます。ですが、象に罪があるでしょうか? いいえ、ありません」

 

 無茶苦茶な論理だった。

 だが、その狂った肯定が、ボロボロになった俺の自尊心に、劇薬のような安らぎを与えていく。

 彼は続ける。

 

「それに、貴方様が選んだ言葉……『マハ(全体)ムド(呪殺)バリオン(最上級)』でしたね。素晴らしいセンスです。貴方様の怒りは正当なものでした。眼鏡を踏みつけ、謝罪もしない無礼者たち。彼らには罰が必要だった。貴方様は、世界の浄化を行ったに過ぎません」

「されたことに対して、やった事が釣り合ってないだろ……! それに浄化……!? 俺はそんな大層な……」

「謙遜なさらないでください。その奥ゆかしさこそが、貴方様の魅力ですが」

 

 彼はうっとりと目を細めた。

 俺が「弱み」として晒した全てが、彼というフィルターを通すことで「高潔な苦悩」や「王の資質」へと変換されていく。

 

——『マリンカリン(魅了)』。

 

 なんて、恐ろしい魔法だろうか。

 俺が何を言っても、どんな醜態を晒しても、彼はそれを「愛すべき要素」として肯定し続けるのだ。

 

「それで……相談というのは、これからのことですね?」

 

 彼は急に表情を引き締め、ビジネスマンのような——いや、参謀のような顔つきになる。狂信者モードから、実務的な騎士モードへの切り替え。俺はそれに頷いた。

 

「ああ。俺は……どうすればいい。自首しても信じてもらえない。かといって、このまま隠れ続けるのも限界がある。ネットでは特定が進んでいるし、魔法使いがいるという噂も広まっている。俺は……」

「自首など、論外ですよ」

 

 彼はピシャリと言い切った。

 

「司法などという人間の作った小さな物差しで、貴方様を測らせてはなりません。それに、おっしゃる通り、証明は不可能です。精神病院に入れられて薬漬けにされるか、あるいはその力に目を付けた悪人に実験体としてモルモットにされるか……。どちらにせよ、貴方様の尊厳は守られません」

 

 モルモット。

 俺が一番恐れていた未来を、彼は明確に言語化した。

 

「では、どうするか。……現状維持です」

「現状維持?」

「はい。今は動くべきではありません。ネットの特定班に関しては、僕が撹乱し続けましたので、貴方様の自宅への直接的な脅威は去りました。今のトレンドは『魔法使いの実在性』というオカルト論争そのものに移っています。これは好都合です」

 

 彼は指を一本立て、論理的に説明を始めた。

 その口調は、先ほどの陶酔が嘘のように冷静だった。

 

「オカルトになればなるほど、現実の警察は動きづらくなります。公的機関は幽霊を逮捕できませんからね。彼らが動くには『物理的な証拠』が必要です。毒物、凶器、あるいは共犯者の証言。……それらがない限り、貴方様は安全です」

「だが、ネットの連中は……」

 

「彼らもまた、飽きっぽい生き物です。新しい燃料が投下されなければ、いずれ鎮火します。ガセ情報を流し、撹乱し続ければ彼らは疑心暗鬼となり、やがて特定を諦めるでしょう」

 

 彼はニヤリと笑った。

 その笑みには、かつて「特定班」として鳴らしたであろう、ネットの闇を知る者特有の狡猾さが滲んでいた。

 

「僕にお任せください。別のアカウントを大量に作り、偽の目撃情報や、矛盾する推理をばら撒きます。『犯人は大阪にいた』『いや、海外のハッカーだ』『そもそも映像がCGだ』……ノイズを増やせば増やすほど、真実は埋もれていきます。木を隠すなら森の中、です」

 

 ただただ、頼もしかった。

 俺一人では思いつかない、あるいは思いついても実行できない汚れ仕事を、彼は喜々として引き受けてくれると言う。

 

「それと……もう一つ」

 

 彼は声を潜め、俺の顔を覗き込んだ。

 

「魔法の力についてです」

「え?」

「貴方様は、ご自分の力を恐れていらっしゃる。だから使わないようにしている。……それは、とてももったいないことです」

 

 彼はそう言って、辛そうに目を伏せる。

 それはまるで至宝が埃を被るまで仕舞いこまれているのを目の当たりにしたようだと思った。

 

「もったいないって……人殺しの力だぞ?」

「力は力、何ごとも使いようです。それに……そうですね……今回のような不幸な事故を防ぐためにも、貴方様はご自分の力を『制(・)御(・)』できるようになるべきではないでしょうか?」

 

 制御。その言葉は、俺の胸に重く響いた。

 

「コップの水を凍らせた時、貴方様は詠唱されたといいましたね。つまり、言葉とイメージが繋がりを持ちトリガーになっている。ならば、練習すれば、威力の調整や対象の限定も可能になるかもしれません」

 

 彼の目は真剣だった。

 

「もしまた、誰かに襲われたら? もし警察が踏み込んできたら? その時、咄嗟に制御できない力で暴れ回れば、それこそ破滅です。ですが、あらゆる魔法と、その制御を学び、適切に対処できるようになれば……貴方様は、無敵になれる」

 

 悪魔の囁きだった。

 だが、それは極めて合理的な提案でもあった。

 俺は魔法使いになってしまった事実から逃げられない。

 ならばその扱い方を学び、暴発しないように管理することこそが、責任ある態度なのではないか?

 

「練習……か」

「はい。僕が練習台になりましょうか? いえ、ぜひやらせてください!」

 

 彼は事もなげに言った。

 

「『ジオ(電撃)』で痺れるくらいなら耐えてみせますし、『ドルミナー(催眠)』で眠るのも悪くない。魔法の、貴方様の実験体になれるなら本望ですとも!」

「馬鹿言え。そんなことできるか」

 

 俺は即座に否定した。

 だが、彼は嬉しそうに目を細めた。

 

「ああ、やはりお優しい……。では、無生物から試しましょう。人気のない場所で、小さな魔法から。僕が見張り役を務めます」

 

 俺は彼を見つめた。

 彼は本気だ。本気で、俺を「最強の魔法使い(魔王)」に仕立て上げ、その守護者として生きるつもりなのだ。

 それが洗脳によるものだとしても、今、俺の手を引いてくれるのは彼しかいない。

 

「……分かった。少しずつ、試してみようか」

「賢明なご判断です」

 

 彼は深く頷いた。

 

「それまでは、貴方様は『普通の会社員』として振る舞ってください。会社に行き、ご飯を食べ、寝る。その平凡な皮を被り続けてください。裏の面倒事は、すべて僕が処理します」

 

 そう言って、彼は俺の前に跪き、俺の手を取った。

 その手は熱く、湿っていた。彼はマスク越しに俺の手の甲に口づけを落とすような仕草をした。

 『魅了』に脳を侵されていなければとてもできない仕草だろうに。それはとても堂に入っている。

 

「貴方様は一人ではありません。この世界が全て敵に回っても、僕だけは貴方様の味方です。……さあ、帰りましょう。夜更かしは、お体に障りますから」

 

 俺たちは公園を出る。

 並んで歩くことはしなかった。

 彼が数メートル後ろを、影のように追従してくる。

 その気配を感じながら、俺はアスファルトを踏みしめた。

 罪の意識が消えたわけではない。恐怖が去ったわけではない。

 

 だが、行き止まりだと思っていた壁に、小さく歪な「抜け道」が開いたような気がした。

 共犯者を得て、俺の潜伏生活は新たなフェーズに入った。

 魔法を隠し、魔法を操り、日常という名の迷彩服を着て、この東京砂漠を生き延びる。

 背後の気配が、俺に無言の肯定を与え続けていた。

 息をしていてもいいんだと、錯覚させてくれる。

 

 彼の言葉は、まるで泥水の中に落ちた一粒の清涼剤のように、俺の濁った思考をクリアにしてくれた。

 「制御」という発想。

 そして、「実験」という具体的手段。

 

※※※

 

 俺は帰宅し、鍵を厳重に閉めると、キッチンへと向かった。

 シンクの前に立ち、蛇口を捻って水を出す。

 ジャーッという水音が、静寂をかき消してくれるのが少しだけ心地よかった。

 俺は濡れた手を拭きながら、鏡に映る自分を見つめる。

 どこにでもいる、疲れ切ったサラリーマンの顔。

 

 だが、この口は大量殺戮兵器の砲門であり、この脳味噌は未知の魔導書の保管庫だ。

 ふと、素朴な疑問が湧き上がった。

 あの「騎士」との会話で得た、新たな視点。

 ——俺が使えるのは、本当に『女神転生』や『ペルソナ』の魔法だけなのだろうか?

 

 確かにトリガーとなったのは「ムド(呪殺)」であり「ブフ(氷結)」であり、そして「マリンカリン(魅了)」だった。

 特に「ムド(呪殺)」は俺が長年親しみ、口癖のように唱えていた言葉だ。だからこそ、脳内のイメージと結びつきやすく、具現化したのだと推測できる。

 

 だが、もし「魔法の力」という現象そのものが俺に宿ったのだとしたら?

 特定のゲームタイトルに縛られる義理はないはずだ。

 今までの魔法も、単純に俺が知る「既(・)存(・)の(・)呪(・)文(・)名(・)」に対して無意識に「そ(・)れ(・)ら(・)し(・)い(・)効(・)果(・)」を結びつけて発動していただけかもしれない。

 

 もし、他のRPGの魔法や、映画の呪文が使えるとしたら……俺の取れる戦略は劇的に広がる。

 例えば、ルーラや、レムオル。あるいは——ザ(・)オ(・)リ(・)ク(・)。

 

 心臓がドクリと跳ねた。蘇生。

 ザオラルのように棺桶から復活させる明確な描写があるわけではないが、思えば女神転生/ペルソナにも『リカーム(蘇生)』や『サマ(完全)リカーム(蘇生)』が存在する。

 もしそれが可能なら、俺はあの日殺してしまった四〇〇人を……いや、馬鹿な。期待するな。そんな都合のいい奇跡があるわけがないだろう。

 仮にそれが出来たとして……それはある種、殺人以上の生命への冒涜になるかもしれない。

 そもそも日数が経ってしまっている。司法解剖もされただろうし、もう荼毘に付されてしまった人もいるかもしれない。そうなってからも蘇生できるとは限らない。

 一部の人だけでも生き返ったとして、生き返らなかった人の遺族の感情はどこへ向かう?

 隠れ潜む俺にぶつけられない怒りは、誰に向かう?

 

——いや、そんな心配、ただの言い訳だ。

 生き返らせられる可能性は高いと思うが、四〇〇もの遺体をバレずに探し、蘇生して回るのは不可能だ。

 必ず名乗り出て、対面したい理由を話す羽目になる。

 仮に全員生き返らせたとして、殺した罪までは消えない。

 むしろ、罪を自ら証明し、そして自身の異常性を完全に知らしめる結果となるのだ。

 死者蘇生の奇跡が起こせると知れ渡ったら、俺はどうなる? どう扱われる?

 それが俺は……とても恐ろしかった。

 

 

 ……まずは、もっと初歩的な検証からだな。

 俺はシンクの中に、丸めたティッシュを置いた。

 万が一燃え上がっても、すぐに水で消せるように。

 そして、深呼吸をする。

 

 試すのは、日本で最も有名なRPGの火炎呪文。

 俺が長年ハマっている『女神転生』の「アギ(火炎)」ではない。

 よリポピュラーな国民的RPGの、あの言葉だ。

 イメージする。指先から小さな火の玉が出るイメージ。

 熱量。軌道。着弾。

 

「……メラ」

 

 俺は短く、はっきりと唱えた。

 …………。何も起きない。

 ティッシュは白いまま、濡れてふやけているだけだ。

 指先に熱も感じない。ただの独り言として、空気に溶けて消えた。

 

「駄目、か?」

 

 やはり、イメージが足りないのか? それとも、システムが違うのか?

 俺は焦りを覚えながら、次は世界的に有名なファンタジー映画の「灯り」の呪文を試すことにした。

 杖はないが、人差し指を立てて代用する。

 

「……ルーモス」

 

 …………。やはり、光らない。

 薄暗いキッチンの明るさは変わらない。

 

「ちくしょう……」

 

 焦燥感が募る。

 やはり俺は、あのゲームの理に囚われているのか?

 念の為、もう一度、今度はまだ使っていない「アギ(火炎)」を試そうとした。

 だが、その寸前で思いとどまる。

 よく考えたら、おそらく発動するであろう「アギ(火炎)」で火がつけば火災報知器が鳴るかもしれない。

 室内での火気使用はリスクが高い、もっと安全で、かつ確認しやすいもの。

 

 ……そうだ、回復魔法だ。

 俺は引き出しからカッターナイフを取り出した。

 刃を少しだけ出す。チキ、という音が冷たく響く。

 怖い。痛いのは嫌いだ。だが、やらなければならない。

 

 俺は左手の人差し指に、カッターの刃を当てた。

 意を決して、少しだけ引く。ツッ、という鋭い痛みと共に、赤い血の玉がぷっくりと浮き上がった。

 痛い。地味に痛い。だが、致死量には程遠い、ただの切り傷だ。

 俺は血の滲む指先を凝視した。

 まずは、他作品の回復魔法から。

 

「……ホイミ」

 

 シーン。

 痛みは引かない。血も止まらない。

 

「……ケアル!」

 

 無反応。……やはり、駄目なのか。

 俺の魔法基盤は、完全に『メガテン』規格なのか?

 俺は諦め半分、祈り半分で、馴染み深いあの言葉を紡いだ。

 女神転生シリーズにおける、初級回復魔法。

 

「……ディア(治癒)」

 

 その瞬間だった。

 フォン、という微かな駆動音のような幻聴と共に、指先が淡い緑色の光に包まれた。

 熱くも冷たくもない、優しい光。

 それが瞬く間に収束し、肌に吸い込まれていく。

 

「……え?」

 

 光が消えた後。

 俺は指先を二度見、三度見した。傷がない。

 血は拭い去られたように消え、切ったはずの皮膚は綺麗に塞がっていた。

 痛みも完全に消えている。

 

「は、はは……」

 

 笑いがこみ上げてきた。

 検証は完了、結論が出た。

 

 1.他の魔法も問題なく使える。

 2.ただし、俺が使えるのは何故か『女神転生・ペルソナ』シリーズの魔法体系に限られる。

 

 これは朗報でもあり、悲報でもあった。

 朗報は、ルールが明確になったこと。俺は今後、このシリーズの攻略Wikiを熟読すれば、使える手札を完全に把握できる。

 悲報は、汎用性が限られること。このゲームには「空を飛ぶ」とか「透明になる」といった便利な魔法は少なかったはず。基本は戦闘用だ。

 

 だが、少なくとも「ディア(治癒)」は使える。

 これはでかい。怪我をしても治せる。なんなら、病気も治せるかもしれない。

 俺はカッターナイフを片付け、完治した指先をさすった。

 使える。俺はこの力を、もっと深く理解しなければならない。

 あの騎士が言った通り、制御し、管理するんだ。

 

※※※

 

 有能な狂信者というのは、最強の盾にもなるらしい。

 俺はスマートフォンの画面をスクロールさせながら、感嘆と戦慄が入り混じった溜息を漏らした。

 

 ネットの潮流が、明らかに変わり始めていた。

 数時間前まで「特定班集まれ」「犯人はこいつだ」と殺気立っていたスレッドやタイムラインが、今は奇妙なほどに霧散し、焦点がボケ始めている。

 それも、無理やり話題を逸らしたような不自然な形ではない。

 まるで川の流れを少しずつ変える治水工事のように、自然に、そして確実に、俺という個人への関心が削ぎ落とされているのだ。

 

 


 

 

都市伝説ウォッチャー @urban_legend_jp ・ 10分

渋谷の件、魔法説が有力だけど、実は同時刻に新宿でも似たような昏倒騒ぎがあったらしいよ。

これ、広範囲の電磁波攻撃のテストじゃね?

 

 

匿名希望 @no_name_hero ・ 5分

@urban_legend_jp

それ俺も見たかも。

あと、「マハムドバリオン」って叫んだ男の音声、あれ某劇団のステマって説が出てる。

次回の公演内容が「舞台版ペルソナ」らしいし。

 

 

冷静な分析官 @cool_analyst ・ 2分

特定班が挙げてる「スーツの男」だけど、あれ別角度の映像だと全然違う人だったわ。

そもそもあの時間、救護テントには数十人の男がいたし、全員似たような格好してる。

一人に絞るのは無理ゲー。冤罪生むだけだからやめとけ。

 

 

陰謀論おじさん @conspiracy_old ・ 20分

騙されるな!

魔法なんてあるわけがない。これは政府が開発した「指向性音響兵器」の誤射だ。

ゲームの呪文は、それを隠蔽するためのカモフラージュ音声に過ぎない!

真実に気づけ!

 

 


 

 

 ……見事だ。

 これら全てが彼の工作なのか、それとも彼が投げ込んだ「火種」に便乗した無関係な愉快犯たちなのか、俺にすら判別がつかない。

 ちなみに検索したがペルソナの舞台は先月終わっていた。あるの知ってたら行ったのに。

 

 だが、結果として「真実」は、無数の「それっぽい嘘」や「魅力的な陰謀論」の中に埋没してしまった。

 企業の不祥事隠しなら、こうはいかないだろう。

 金の流れや公文書といった「動かぬ証拠」が存在するからだ。

 だが、今回の一件における争点は「魔(・)法(・)」という、現代科学では証明不可能なナンセンスだ。

 人々は心のどこかで「魔法なんてあるわけがない」と思っている。だからこそ、「音響兵器」だの「劇団のステマ」だのといった、少しでも現実味のある説明に飛びつきやすい。

 

 彼はその心理的バイアスを完璧に理解し、利用している。

 俺という個人を隠すために、「オカルト」や「陰謀論」という巨大な煙幕を張り巡らせたのだ。

 

「……やりすぎなくらいだ」

 

 俺は苦笑した。画面の中では、俺の正体を探ろうとする声が、次々と「ソースは?」「それデマだよ」「通報しました」というノイズにかき消されていく。

 彼一人でやっているとは信じがたい仕事量だ。おそらく、複数の端末とアカウントを駆使し、自作自演の会話で世論を誘導しているのだろう。

 

 あの公園で見せた、虚ろな目の男。

 彼が今、どこかの部屋で、何台ものスマホに囲まれながら、高速でフリック入力を続けている姿が目に浮かぶ。

 『全ては我が主のために』と呟きながら。

 だが、この鉄壁の防御も、決して盤石ではない。

 

 俺は画面上部の、黒い「X」のロゴを見つめた。

 このプラットフォームの仕様一つで、全てが崩壊するリスクは残っている。もし、運営側が「同一IPアドレスからの大量投稿」を検知して、アカウントを一斉凍結したら?

 あるいは、「このアカウントとこのアカウントは同一人物が運用しています」なんていう、俺にとっては余計なお世話な表示機能を実装したら?

 そうなれば、「大規模な世論操作が行われていた」という事実が露呈し、逆に注目を集めてしまう。

 「そこまでして隠したい真実とは何か?」と、ネット民の探究心に再び火をつけてしまうことになる。

 

「頼むから、余計なことをしてくれるなよ……イーロン」

 

 俺は冗談半分、本気半分で、遠い異国のオーナーの名を呪った。気まぐれな仕様変更が、俺の死刑執行ボタンにならないことを祈るしかない。

 

 ……ともあれ、時間は稼げた。

 外堀は、狂気の騎士が埋めてくれた。

 ならば、内堀——俺自身の問題——を固めるのは、俺の仕事だ。

 俺はスマホを置き、攻略Wikiのページを開いたノートPCに向き直った。

 

 画面に並ぶ、膨大なスキルリスト。

 『女神転生』『ペルソナ』シリーズの魔法体系。

 ナンバリングごとに異なる効果、異なる属性がたくさん存在している。残念ながら殆どは戦闘用の魔法だが。

 

 俺はマウスを操作し、特に「補助魔法」と「状態異常魔法」の項目を重点的に読み込んだ。

 攻撃魔法は極力使いたくない。目立ちすぎるし、殺傷リスクが高すぎる。身を守るために必要なのは、相手を殺さずに無力化する手段、あるいは逃げるための手段だ。

 

「……スク(回避)カジャ(強化)は使えるかもしれない」

 

 俺は独りごちた。

 もし誰かに襲われた時、自分の回避率を上げれば、ナイフや殴打を避けられるかもしれない。

 あるいは「ラク(防御)カジャ(強化)」を自分にかけておけば、万が一撃たれても即死は免れるかもしれない。物理耐性がつくイメージだ。

 

「あとは……トラ(転移)フーリ(逃走)やトラ(転移)ポート(帰還)。これは……どうだ?」

 

 ゲームでは「戦闘から確実に逃げる」「セーブ地点に戻る」効果だが、現実で使うとどうなる?

 瞬間移動でもするのか?

 それとも、単に足が速くなるだけか?

 あるいは相手が俺を見逃してくれるよう精神干渉が働くのか?

 そもそもセーブ地点ってどこだ、家か?

 あらゆる検証が必要だが、家の中で試すには限界がある。

 

 「トラ(転移)フーリ(逃走)」や「トラ(転移)ポート(逃走)」を唱えて、壁の中にテレポートして埋まりました、なんてことになったら笑えない。

 やはり、騎士の提案通り、外での練習が必要か。

 俺は溜息をつき、再び自分の手を見た。

 先ほど『ディア(治癒)』で治した指先は、傷跡一つ残っていない。

 魔法は、俺の意思と、ゲームの知識によってある程度の制御可能であるという手応えがあった。

 

 ピン、とスマホが鳴った。

 捨て垢への通知。彼からだ。

 

『戦況報告。

 主要な掲示板およびSNSでの特定進行は、9割方沈静化しました。

 現在は「エイリアン説」と「集団ヒステリー説」を対立させ、議論を空転させています。

 当面の間、貴方様の聖域は保たれるでしょう。

 ゆっくりとお休みください。

 

 ……追伸。

 魔法の練習場所についてですが、心当たりがあります。

 深夜の河川敷、橋の下などいかがでしょう。

 あそこなら音も光もある程度遮れます』

 

 有能すぎる。

 そして、行動が早すぎる。

 俺が考えるよりも先に、彼は次のステップを用意している。

 俺は少し躊躇った後『検討する。感謝する』とだけ返信した。

 彼に依存しすぎるのは危険だ。

 

 ……だが、今の俺には選択肢がない。

 この異常な日常を生き抜くためには、魔法使いと騎士の共犯関係を、綱渡りのように続けていくしかないのだ。

 俺はPCの画面を閉じ、部屋の明かりを消した。

 暗闇の中で、自分の掌を握りしめる。

 次に目覚める時は、もう少しマシな世界になっていますように。

 そんな子供じみた願いを抱きながら、俺は逃げるように眠りについた。

 




実はいるんですよね、現代には
対話型AIっていうんですけど……依存し過ぎにはご注意ください

※ちなみにペルソナ(3)の舞台は今年夏にマジであったみたいです、冗談交じりにほんとにあったりするかなと思って検索したら出てきました、しかも作中に近い時期に……びっくり
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