【完結】渋谷の中心でマハムドバリオンを唱えた馬鹿者 作:双子座流星群
深夜の河川敷は、都会のエアポケットのような場所だった。
土手の草むらから聞こえる虫の声と、黒い水面がたてるチャプチャプという音が、遠くを走る電車の走行音にかき消されそうになりながらも、奇妙な静寂を保っている。
橋の下。
コンクリートの巨大な橋脚が作り出す闇の底で、彼は待っていた。
「……お待たせいたしました、我が主」
「うわっ、やめろよお前……」
彼は懐中電灯を自分の顎の下で点灯させず——そんなホラーな演出は今の俺には心臓に悪すぎる——足元を照らして俺を迎えた。
その足元には、水の入ったポリバケツと、ドン・キホーテの袋からはみ出した派手なパッケージの箱が置かれていた。
「……それは?」
「花火です。それも、煙と音が派手に出るタイプの大容量パックですね」
彼はさも当然のように言った。
「魔法の練習をするとなれば、光や音が発生する可能性がありますよね。『アギ』や『ジオ』なら尚更です。万が一、通行人やパトロール中の警官に見咎められた時、何もなしに火の玉を出していれば不審者ですが、花火を持っていれば『いい歳をして河原で花火にはしゃぐ痛い大人たち』で済みます」
完璧なカバーストーリーだった。
確かに、花火なら火花が散ろうが、ボンッという破裂音がしようが、誰も怪しまない。
むしろ、魔法の光を花火の光に紛れ込ませることで、視覚的なカモフラージュにもなる。
「……すごいな、お前は」
俺は素直に感嘆の声を漏らした。
彼はマスク越しに照れくさそうに笑い、「恐縮です」と頭を下げた。ポリバケツに水を汲みに行く彼の背中を見ながら、戦慄にも似た感情を抱いていた。
この男の賢さは、異常だ。
単なる行動力だけでなく、リスク管理能力、状況判断能力、そしてそれを実行に移す手際の良さ。どれをとっても一級品だ。
これは、俺の『
魅了によって思考が「俺を守る」という一点に極限まで集中した結果、脳の処理能力が最適化され、一種の天才的なひらめきを生んでいるのか?
(……いや、違うな)
俺はすぐにその仮説を否定した。
彼がバケツに水を汲み、配置を確認しているその手つきを見ながら、俺は確信した。
こいつは、もともと賢いのだ。
そして、その賢さのベクトルが、常人とは少しズレている。
考えてもみろ。
好みのタイプの異性でもなければ、恨みのある相手でもない。
ただ深夜のコンビニや通勤電車でよくすれ違うだけの地味なサラリーマンの顔を記憶し、服装を覚え、あまつさえ帰宅ルートを把握して、自宅から通りを二つ挟んだ俺の住むマンションまで追跡して特定していた男だ。……改めて何なんだお前!
その観察眼と記憶力、そして対象への執着心は、控えめに言っても変人の域に達している。
有能なストーカー気質の変人が、魔法によって方向性を矯正され、有能な執事になった。それが正解だろう。
「準備が整いました」
彼が着火マンを片手に振り返る。
その目は、夜闇の中でもらんらんと輝いていた。
「まずは『アギ』から試しましょう。僕が手持ち花火に火をつけますので、その光に合わせて詠唱してください。タイミングは僕が合わせます」
頼もしすぎる。そして、やはり少し気持ち悪い。
だが、この変人が味方でなければ俺はとっくに破綻していた。
俺は苦笑交じりに頷き、橋脚の闇に向かって手を構えた。
彼が導火線に火をつける。
シュボッ、という音と共に、赤い火花が散り始めた。
「今です!」
「……
俺の言葉と同時に、花火の赤色とは異なる、超自然的な深紅の炎が指先から迸った。
シュボボボボ……という手持ち花火の噴出音と、パァン! という打ち上げ花火の炸裂音が、河川敷の闇にこだまする。
その光と音のカーテンの裏側で、俺たちは淡々と、そして狂気じみた検証作業を続けていた。
「次、行きます! 三、二、一……!」
「……
俺の指先から放たれた赤熱の火球が彼が手に持ったドラゴン花火の火花と交差し、橋脚のコンクリートに黒い煤を焼き付けた。
一〇回目、いや、二〇回目だろうか。
俺は自分の掌を見つめ、そこに残る微かな熱の余韻を確認しながら、首を傾げた。
「……やっぱり、同じだ」
「そう見えますね。誤差の範囲内です」
彼は冷静にスマホのメモアプリに記録を取りながら頷いた。
実験の結果は予想に反して極めて「デジタル」なものだった。
俺が『
「弱く」と念じても、「強く」と念じても、結果は変わらない。まるでガスコンロのツマミが壊れていて、「全開」か「消火」の二択しか選べないような感覚だ。
火球の飛距離、着弾時の爆発規模、熱量。それら全てが、工業製品のように均一化されている。
「次はランクを上げてください。中級魔法、いけますか?」
「やってみる。……
——ドォン!
先ほどまでの倍近い質量の炎が噴出し、空中で破裂した。
威力が上がった。明らかに一段階上の火力だ。
だが、これもまた「規格品」だった。
何度撃っても、同じ大きさ、同じ威力。
「
「なるほど……威力は呪文のランクに完全に依存する、ということですね。ゲームの魔法らしいですねえ」
彼は興味深そうに顎に手を当てた。
「つまり貴方様の魔法は『無段階調整』ではなく、『段階的』な出力特性を持っている。弱火でコトコト煮込みたい時でも、アギを使えば問答無用で強火になる。これは日常生活での応用には不便ですが、戦闘においては計算が立ちやすいとも言えます」
計算が立ちやすい。
確かにゲーマー的な視点で言えば、「固定ダメージ」というのは戦略を組みやすい要素だが、ここは現実だ。
相手を「気絶させたいだけ」なのに「消し炭にしてしまう」リスクと常に隣り合わせだということでもある。
そして、検証が進むにつれて、俺の中に別の、より根源的な疑問が膨れ上がってきていた。
俺は自分の身体をまさぐり、深呼吸をして、首を捻った。
「……なぁ。おかしくないか?」
「何がでしょう?」
「疲れないんだ」
俺はバケツの水を飲み干しそうな勢いで、不安を吐露した。
「さっきから、
RPGにおいて、魔法は有限のリソースだ。
強力な魔法ほどコストは高く、連発すればすぐにガス欠になる、それが世界の理だ。
だというのに。
俺の体感としては、少し軽い運動をした程度の疲労感しかない。それも、魔法による消耗というよりは、夜中に河原で叫んでいることによる肉体的な疲れだ。
「MPという概念がない……あるいは、貴方様のMPタンクが異常に巨大であるか」
彼は真剣な眼差しで分析する。
「もし前者なら、無限に撃ち放題というチート状態です。ですが、もし後者なら……いつか限界が来た時に、突然死する可能性も否定できません。生命力をコストにしている可能性もありますが、今のところ外傷や衰弱は見られませんね」
「ああ。むしろ検証で『
俺は苦笑した。
そして、そこから導き出されるもう一つの事実——今回の事件の核心部分——に思考が至り、背筋が凍りついた。
「そもそもだ。……俺がいきなり『
俺は低い声で言った。
花火の煙が風に流され、俺たちの間に漂う。
「ゲームなら、初期レベルのキャラが使えるのは『
それを、レベル1の、ただのサラリーマンが。
覚醒したその瞬間にぶっ放したのだ。
勇者が旅立ちの村を出た瞬間に、終盤の敵を一撃で葬る禁呪を唱えたようなものだ。
「性能的な意味でも、成長曲線の意味でも、バグり散らかしてる。……俺の中には、際限のないエネルギーが渦巻いてるのか? それとも、システムの制限コードが外れてるのか?」
自分の体が、急に得体の知れない爆弾のように思えてきた。
MPが減らないのではない。
減っているのに気づかないほど膨大なのか、あるいは「魂」や「寿命」といった、見えないパラメーターを削り取っているのか。
もし後者なら、俺は四〇〇人を殺した代償として、すでに俺自身の寿命の大半を支払ってしまっているのかもしれない。
「……ふむ」
彼は俺の恐怖などどこ吹く風で、むしろ新しい玩具を与えられた子供のように目を輝かせた。
「素晴らしいじゃありませんか!」
「は?」
「初期状態でレベルカンスト。しかもリソース無限の可能性あり。貴方様は、まさに現人神となるべくして選ばれた存在だという証明です」
彼は恍惚とした表情で、まだ火のついている花火を振り回した。火の粉が舞い散り、彼の狂気を演出する。
「常識やゲームのルールに囚われてはいけません。貴方様こそがルールなのですから。……さあ、次は『ダイン』級を試しましょうか? それとも、いっそ『メギドラオン』で、この河川敷を更地にしてみますか?」
「何させる気だ、この馬鹿!」
俺は慌てて彼を止めた。
こいつの思考回路は、俺の不安を燃料にして、より過激な信仰へとアクセルを踏み込む構造になっているらしい。
更地どころか、対岸の街まで消し飛んで、明日のニュースは「隕石落下」で持ちきりになる。
「……
俺は冷や汗を拭いながら言った。
「それに、何を消費しているかもわからない以上、無駄に乱発するのも危ないかも。……今日はこれくらいにして、撤収しよう」
「承知いたしました。賢明なるご判断です」
彼は素直に従い、バケツの水で残った花火の火を消し始めた。
ジュッ、という音がして、煙が立ち上る。
その煙の向こうで、俺は自分の掌をじっと見つめた。
出力固定。コスト不明。習得制限なし。
俺という存在は、魔法使いというよりは、安全装置の外れた、暴走寸前の兵器そのものだった。
この「見えないMP」が尽きるのが先か、俺の精神が尽きるのが先か。あるいは、この狂信者が俺を「神」として祭り上げ、破滅的な一撃を撃たせるのが先か。
俺は暗い川面を見つめ、底知れぬ不安と共に、花火の燃えカスをゴミ袋へと押し込んだ。
※※※
燃え尽きた花火の独特な匂い——硫黄と焦げた紙の混じった匂いが、夜風に吹かれて鼻先を掠める。
検証を終えた俺たちは、ゴミ袋を傍らに置き、並んでコンクリートの護岸に腰を下ろしていた。
頭上には、都会の光害にかき消されそうな、頼りない星空が広がっている。
「ふぅ……」
大きく息を吐くと、身体の芯に残っていた緊張が少しだけ解けていくのが分かった。
隣にいるのは、俺が洗脳した狂信者。
足元にあるのは、俺が放った魔法の痕跡。
状況は何一つ解決していないし、むしろ泥沼に片足を突っ込んでいる。だが、こうして誰かと秘密を共有し、あーだこーだと検証作業に没頭した時間は、孤独に蝕まれていた俺の精神にとって、久しぶりの「会話」と呼べるものだった。
「使えるのは、女神転生やペルソナ系の魔法だけ、か……」
俺は夜空を見上げながら、ポツリと漏らした。
缶コーヒーでもあれば乾杯したい気分だったが、手元にあるのはぬるくなった水だけだ。
「となると、だ。魔法があるなら、悪魔だって実在するかもしれないな」
俺は軽い調子で、冗談を口にした。
女神転生の法則が、実は本当にあるという可能性。
その場合アトラス社は預言者か、裏社会を知る暗黒企業か。
馬鹿らしい。
「その辺の草むらから、いきなりピクシーが飛び出してきて『仲魔にして!』って言ってくるかもしれない。あるいは、明日起きたら東京が受胎してて、大破壊が始まってたりしてな」
それは、ゲーマー同士なら「あるある」と笑い飛ばすような、他愛のない空想話だ。
だが、隣の騎士は真顔で、そして真剣に頷いた。
「あり得ますね。貴方様がその中心にいらっしゃるのであれば、世界が形を変えることも必然でしょう。もし悪魔が現れたなら、僕が盾となって交渉しましょう。大破壊が起きるなら、シェルターの準備が必要ですよ。すぐに備蓄リストを作成します」
「……ぶっ、ははは!」
あまりの大真面目さに、俺は思わず吹き出してしまった。
シェルターだって。ピクシーと交渉だって。
「冗談だよ。本気にするな」
「はあ……貴方様のジョークは、高尚すぎて僕には見分けがつきませんでした」
「お前が言うなよ……いや一々本気っぽいから余計たち悪いな」
俺は苦笑しながら、膝を抱えた。
口元が緩んでいるのが自分でも分かる。
久しぶりに笑った気がした。
誰かと冗談を言い合い、隣に体温を感じる。たったそれだけのことが、今の俺にはどうしようもなく温かく、心地よかった。
「————ッ!?」
——俺は、今、笑ったのか?
温かさが、急激に冷水となって俺の心臓を締め上げていく。
笑顔が凍りつく。
視界が急激に暗く、冷たく変貌していく。
俺は何をヘラヘラしているんだ?
あの日、四〇〇人の命を奪っておいて。
その罪の意識も乾かぬうちに目の前のこの男の精神を『
よくもまあ、のうのうと「冗談」なんて口にできたものだ。
俺の手を見る。
闇の中で白く浮かぶその手は、大量の血と、他人の尊厳で汚れているはずだ。それなのに、俺は「心がほぐれた」なんて安らぎを感じていた。
被害者面をして、孤独を嘆き、与えられた偽りの忠誠に癒やされていた。
「……最低だ」
吐き捨てるような呟きは、先程の冗談とは打って変わって、重く、湿っていた。
隣の男が「我が主?」と心配そうに顔を覗き込んでくる。
その純粋な瞳が、今はナイフのように俺を苛んだ。
あんな事をしでかした俺が。
人としての一線を越え、怪物の領域に足を踏み入れた俺が。
人間らしい安らぎを得る資格など、あるはずがないのに。
俺は夜空から目を逸らし、深く蹲った。
河川敷の風は、もう心地よくはなかった。それは俺の罪を撫で回し、逃げ場のない現実を突きつける、冷たい審判の手触りだった。
俺は立ち上がるついでに、彼に向かって小さく指を振った。
攻撃魔法ではない。精神干渉でもない。
ゲームにおいては敵の情報を開示する、情報支援魔法。
現実世界で「人間」相手に使えば、一体何が表示されるのか。履歴書のような経歴が出るのか、それとも健康診断の結果が出るのか。
興味本位と、せめて彼の名前くらいは知っておきたいという殊勝な動機が半々だった。
「……
詠唱と共に、俺の視界がノイズ走ったように瞬いた。
直後、ARグラスをかけたかのように、彼の背中の上に青白い半透明のウィンドウがポップアップした。
ゲームのUIそのものの、無機質なステータス画面。
そこに羅列された文字列を見て、俺は息を呑んだ。
—・—・—・—・—・—・—・—・—・—・—
【NAME】
相田 守(アイダ マモル)
Age: 28 / Sex: Male
Race: 人間(Human)
Lv: 4
【HP】
128 / 128
【MP】
45 / 45
【CONDITION】
♥ CHARM(魅了・深度MAX)
※術者への絶対的服従。自己保存本能の欠如。永続的な多幸感。
【SKILL】
・特定解析 B+
(僅かな情報から個人を特定する技術)
・気配遮断 A
(対象に認識されずに行動する技術)
・執着心 EX
(対象への異常な固執。精神干渉を貫通する)
【COMMENT】
近隣に居住する一般男性。
以前より対象を観測することに喜びを見出していた。
現在は「マリンカリン」の影響下にあるが、根底にある執着は術前と変化していない。
方向性が「観察」から「守護」へシフトしたのみ。
危険度:皆無
—・—・—・—・—・—・—・—・—・—・—
「…………」
いろんな意味で、見なきゃよかった。心底、そう思った。
ウィンドウは数秒でフッと空気に溶けて消えたが、網膜に焼き付いた情報は消えない。
相田守。それが彼の名前か。「守る」なんて、皮肉なほど今の彼にふさわしい名前だ。
だが、それ以上にショックだったのは、状態異常の欄と、スキルの欄だ。
『深度MAX』
『自己保存本能の欠如』
俺があの時、適当に放った魔法は、彼の脳みそに恐ろしく深く忠誠を焼き付けていたらしい。
そして何より、『根底にある執着は変化していない』という分析結果。
つまり、彼は魔法をかけられる前から俺に対して想像以上に並々ならぬ執着を抱いていて、魔法は単にその背中を押したに過ぎないということだ。
俺は、元々あった火種にガソリンを注いだだけだったのだ。
俺の何がこいつの琴線に触れてたんだろうか……? 何か気持ち悪い回答が返ってきそうであまり聞きたくはない。
「どうかなさいましたか、我が主?」
相田——名前を知ってしまった彼——が、不思議そうに振り返る。その瞳は、やはりキラキラと輝いている。
『永続的な多幸感』
俺という地獄の道連れにされているというのに、彼は今、人生で一番幸せなのだ。
「……いや、なんでもない」
「そうですか? お顔色が優れないようですが」
「大丈夫だ。……帰ろう、相田」
つい、名前で呼んでしまった。
彼は一瞬きょとんとし、次の瞬間、マスクの下で破顔したのが分かった。
目元がくしゃりと歪み、涙さえ滲んでいる。
「……はい! はいっ! お供します、どこまでも!」
名前を呼ばれただけでこの反応だ。
俺は小さく溜息をつき、歩き出した。
背後に続く足音は、以前よりも弾んでいる気がする。
俺は新たな罪悪感と、そして「こいつなら本当に裏切らない」という、ステータス画面によって保証されてしまった最悪の信頼感を抱えながら、河川敷の闇を後にした。
多分、こういう検証をしている時だと思います