【朗報】物理、幽霊に効く。 ~最凶の呪いに愛された幼馴染が、最強の転生小学生に物理で救われる話~   作:匿名

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第13話 産土の臓器

窓の外は、燃えるような夕焼けに染まっていた。

 

秋の日は短く、校舎の影が地面を這うように長く伸びている。

 

放課後の静かな教室。

 

俺、相馬蓮は、忘れ物を取りに戻った。

 

誰もいないはずの自分の席。

 

そこに手を置いた瞬間、奇妙な違和感が指先を襲った。

 

「……なんだ、これ」

 

木製のはずの机の表面が、ぐにゃりと柔らかく沈み込んだのだ。

 

まるで、濡れた生ゴムか、あるいは巨大な生き物の舌の上に触れたような感触。

 

俺は眉をひそめて、机の脚を見つめた。

 

そこから、薄いピンク色の膜のようなものが、じわじわと床を這い上がっている。

 

それは呼吸をするように細かく脈打っていた。

 

ドクン。

 

耳の奥で、不気味な重低音が響く。

 

それと同時に、鼻を突くような生臭い匂いが立ち込めた。

 

鉄の匂いと、脂の匂い。

 

それは、夏の盛りの肉屋の裏口で嗅ぐような、命が腐りかけている不快な臭気だった。

 

俺は無言で教室の外に出た。

 

廊下の景色は、既に俺の知っている学校ではなくなっていた。

 

壁一面が、湿った赤黒い皮膚に覆われている。

 

天井からは、無数の赤い血管が、まるで垂れ下がる蔦のようにぶら下がっていた。

 

床を踏みしめるたびに、グチャリ、という嫌な音が足裏から伝わってくる。

 

まるで、巨大な生き物の喉の奥を歩いているような錯覚。

 

「相馬くん! 来ないで! そっちへ行ってはダメですわ!」

 

廊下の向こうから、悲鳴にも似た叫び声が聞こえてきた。

 

神崎雫だ。

 

彼女は階段の踊り場で、腰を抜かしたように座り込んでいた。

 

その周囲の壁からは、無数の「人間の指」が生え出している。

 

指たちは意志を持っているかのように、雫の服を掴もうと必死に蠢いていた。

 

「……神崎。これは何の冗談だ。掃除が大変そうだぞ」

 

俺が平然と声をかけると、雫は顔を真っ白にして俺を見上げた。

 

「掃除なんてレベルではありませんわ! この校舎……いえ、この街の土地そのものが、古い神様の『内臓』に作り変えられていますの!」

 

雫は震える手で、液晶の割れたデバイスを俺に向けた。

 

「産土の神……。この土地に深く眠っていた、形のない命の塊ですわ。それが長い眠りから目を覚まし、自分を維持するために、中にいる人間を取り込んで食べようとしていますのよ!」

 

雫の言葉を裏付けるように、上の階からドロドロとした「何か」が階段を流れてきた。

 

それは、かつては生徒だったものたちの、成れの果てだった。

 

顔と顔が溶け合い、手と足がデタラメに繋がった肉の塊。

 

彼らは一つの巨大な葡萄のような塊となって、天井からぶら下がっていた。

 

肉の隙間からは、うつろな目玉がいくつも覗き、意味をなさない言葉をブツブツと呟いている。

 

「一つになろう……蓮くん……。痛くないよ……重くないよ……」

 

肉塊の中から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

それは琴音の声だった。

 

俺の胸の奥で、冷たい火が灯った。

 

それは恐怖ではない。

 

自分の大切な居場所を、こんな不衛生で気味の悪いもので汚されたことへの、底知れない不快感だった。

 

前を見れば、廊下の奥にある教室の壁に、半分だけ埋まった琴音の姿があった。

 

彼女の瞳に光はなく、頬には血管のような細い筋が何本も浮き出ている。

 

「……おい。琴音をそんな変な壁に混ぜるな。見ていて不愉快だ」

 

俺は静かに一歩を踏み出した。

 

産土の神は、俺という存在をはっきりと認識したらしい。

 

校舎全体が、激しい痙攣を起こすように震え始めた。

 

「ギ、ギギィィィィィッ……!!」

 

壁という壁が大きな口を開き、俺に向かって黄色い粘液を吐き出した。

 

産土の神は、俺を飲み込もうと必死に肉壁を押し寄せてくる。

 

普通の人間なら、この光景を見ただけで心が壊れてしまうだろう。

 

死者の囁き、命が混ざり合う生理的な嫌悪感、そして逃げ場のない閉鎖空間。

 

だが、俺の心は、俺の肉体と同じくらい「密度」が高すぎた。

 

どれほど恐ろしい幻覚を見せようと、どれほど不気味な声で囁こうと、それらは全て俺の心の表面で弾き飛ばされる。

 

「……お前の声は、ノイズにすらならない。ただ、臭いだけだ」

 

俺は、自分に絡みつこうとする無数の血管を、手で無造作に引きちぎった。

 

引きちぎられた場所からは、ドス黒い血が噴き出し、床を赤く染めていく。

 

産土の神は、俺の「重み」に気づいたようだ。

 

この校舎という胃袋の中に放り込まれた、決して消化できないほどに硬く、重い、未知の異物。

 

壁から伸びる無数の手が、俺の足を掴み、床の中に引き摺り込もうとする。

 

俺の足元が、巨大な口のように開き、俺を飲み込もうと牙を剥いた。

 

「蓮様! その汚らわしい神を、地の底まで叩き返して差し上げなさい!」

 

いつの間にか背後に現れたエリーナが、血の雨に打たれながら叫んだ。

 

彼女の放つ光さえも、この肉の迷宮の中では赤く淀んでいる。

 

「……言われなくても、そうするつもりだ。こんなところで夕食の時間を迎えたくない」

 

俺は、さらに一歩を踏み出した。

 

グチャッ、という鈍い音が響き、俺の足が肉の床を突き破って、建物の土台まで沈み込んだ。

 

産土の神は、俺を飲み込もうと必死に肉壁を押し寄せてくる。

 

右も、左も、上も、下も。

 

全ての景色が、脈打つ赤い肉と、白い骨の突起に覆い尽くされた。

 

俺の体の中にある「質量」が、周囲の肉壁を物理的に圧迫し始めた。

 

俺がそこに立っているだけで、産土の神の細胞は押し潰され、悲鳴を上げている。

 

神は焦っていた。

 

自分よりも遥かに強固な「現実」を飲み込んでしまったことに。

 

俺は、壁の中に埋もれている琴音のすぐ側まで辿り着いた。

 

彼女の顔に触れようとする肉の触手を、視線だけで射抜くようにして睨みつける。

 

「……離せと言っただろ」

 

俺の声は、低く、地響きのように響いた。

 

俺の体を取り囲む肉壁が、俺の放つ「圧力」に耐えかねて、ミシミシと音を立てて裂け始める。

 

産土の神は、俺という異物を消化することを諦め、今度はその力で俺を押し潰そうと、校舎全体の質量を俺に集中させてきた。

 

天井が低くなり、左右の壁が迫ってくる。

 

だが、俺の肩には、建物一つ分の重みなど、羽毛ほどの重さも感じられなかった。

 

逆に、俺が肩を僅かに動かすだけで、迫ってきた壁が逆に粉砕されていく。

 

「……神様だか何だか知らないが」

 

俺は、ゆっくりと右拳を引いた。

 

俺の体の中にある、全質量を右拳の一点に集中させる。

 

それは、宇宙の始まりの瞬間を、一つの掌の中に閉じ込めるような作業だ。

 

俺の右腕の周りで、空気が物理的に歪み始めた。

 

光さえも曲がり、真っ黒な影を作り出していく。

 

「……お前の胃袋ごと、消してやる」

 

俺は、目の前の巨大な肉の塊に向かって、静かに、けれど絶対的な力を込めて拳を放った。

 

衝撃波が生まれる前の、一瞬の静寂。

 

世界が、俺の拳の先にある一点を見つめているような気がした。

 

俺の心にあるのは、ただ一つ。

 

早くこの不気味な景色を消し去って、琴音と一緒に、温かい夕食が待っている家へ帰る。

 

その純粋な願いが、俺の拳に宿る質量を、さらに一段階上の領域へと引き上げた。

 

産土の神が、初めて本物の恐怖を感じて絶叫した。

 

だが、その悲鳴も、俺の拳が放つ破壊の音にかき消されていく。

 

校舎全体が、激しい光と震動に包まれた。

 

これから起きる出来事が、この街の歴史を根底から書き換えてしまうことを、俺は確信していた。

 

俺の拳が肉壁に触れた瞬間、肉の細胞は分子レベルで分解され、蒸発していく。

 

神という概念そのものが、俺の物理的な「重み」によって、この世界から消去されようとしていた。

 

俺は目を閉じ、ただその一撃を、神の心臓へと叩き込んだ。

 

これ以上、俺の日常を汚させはしない。

 

その思いと共に、俺は全ての力を解放した。

 

***

 

俺の右拳が、脈動する真っ赤な肉壁に触れた。

 

その瞬間、世界から音が消えた。

 

衝撃波さえも発生する暇がない。俺の拳が放った圧倒的な質量は、産土の神の細胞を「破壊」するのではなく、存在そのものを「圧縮」し、この世から消し去っていった。

 

メキメキ……、という、硬い氷が割れるような音が、校舎の奥深くから響いてくる。

 

いや、それは建物の音ではない。この土地に根を張っていた神の、魂の悲鳴だった。

 

俺の拳から放たれた目に見えない圧力は、血管を伝わり、内臓を通り抜け、校舎の地下に隠されていた神の巨大な心臓を直撃した。

 

一瞬の静寂。

 

そして、ドォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!

 

校舎全体が、激しい痙攣を起こした。

 

壁を覆っていた赤い肉が、一斉に色を失い、乾いた灰色の砂へと変わっていく。

 

血管は干からびて千切れ、天井からぶら下がっていた肉の塊は、ただの塵となって床に降り注いだ。

 

生臭い匂いが消え、代わりに焦げたような、それでいてどこか清々しい風が廊下を吹き抜けていく。

 

「……あ、アガ、ガ……ッ!? 何だ……何なのですの、この力は……!」

 

床に倒れ込んでいた神崎雫が、呆然としながら周囲を見渡した。

 

彼女の瞳には、信じられない光景が映っていたはずだ。

 

つい数十秒前まで、自分たちを飲み込もうとしていた地獄のような光景。それが、たった一人の小学生の、たった一度の「拳」で、跡形もなく消滅してしまったのだから。

 

雫が持っていた霊子演算デバイスは、あまりの異常事態に耐えきれず、激しい火花を散らして真っ黒に焦げ付いた。

 

「物理現象……? いいえ、これはもはや『存在の暴力』ですわ……。神という巨大な概念を、自分という更なる質量の塊で、上書きして消してしまったというのですの……?」

 

雫の声は、賞賛よりも深い恐怖に震えていた。

 

魔術や儀式といった、彼女が人生をかけて学んできた理屈が、目の前の少年の一撃によってゴミ屑のように扱われたのだ。

 

俺は、崩れ落ちた壁の隙間から、琴音の姿を探した。

 

「……おい、琴音。いつまで寝ているんだ。帰るぞ」

 

俺は、床に積もった白い砂を足で退けながら、彼女の元へ歩み寄った。

 

壁から解放された琴音は、まるで深い眠りから覚めたばかりの子供のように、目を擦りながらゆっくりと上体を起こした。

 

「……れんくん? あれ、私、何してたんだっけ。なんだか、とっても暖かい、お布団の中にいた気がするよ」

 

彼女の瞳は、いつも通りの無垢な輝きを湛えていた。

 

俺の拳が放った圧力が、彼女を取り込んでいた怪異の概念を、記憶ごと綺麗に消し去ってくれたらしい。

 

俺は、彼女の服に付いた白い砂を、大きな手でパッパと払ってやった。

 

この砂は、かつて神だったものの成れの果てだ。

 

神が蓄えていた数千年の執念も、人々の命を奪おうとした悪意も、俺の質量の前ではただの「不純物」に過ぎない。

 

「……夢だ。お前が寝惚けて壁に突っ込んだだけだ」

 

「ええっ!? そんなわけないでしょぉ! もー、れんくんはいつも私を子供扱いするんだから!」

 

琴音が頬を膨らませて立ち上がる。

 

その平和なやり取りを見て、雫は膝から崩れ落ち、力なく壁に背中を預けた。

 

「……神様をワンパンで消滅させて、それを『寝惚けた』で済ませるなんて……。わたくし、もうこの街の担当を辞めたいですわ……」

 

雫のデバイスからは、プツリ、と最後のアラートが鳴り、静かに煙が上がった。

 

当然だ。彼女たちが直面していたのは、この土地の歴史そのものと言ってもいい、古の神の顕現だったのだから。

 

それを、単なる「邪魔だから」という理由で、物理的にデリートしてしまった少年。

 

「蓮様! やはりあなたは真の神! いえ、神をも超える物理の権化ですわ! わたくし、感動で胸が張り裂けそうですのぉぉ!」

 

背後では、血と砂に塗れながらも、エリーナが狂信的な笑顔で俺を拝んでいた。

 

彼女の瞳には、かつての聖女としての面影はなく、ただ目の前の「絶対的な力」に魅了された信者の熱狂だけが宿っていた。

 

俺は、そんな外野の騒ぎを無視して、窓の外に目を向けた。

 

街の明かりが、ポツリポツリと灯り始めている。

 

肉の膜に覆われていた悪夢のような景色は消え、そこにはいつも通りの、少し寂しい地方都市の夜景が広がっていた。

 

「……おい、琴音。帰るぞ。腹が減った」

 

「うん! 今日のご飯、なんだろうね! あ、でもその前に、駅前のパン屋さんに寄ってもいいかな?」

 

琴音が校門の先を指差して、嬉しそうに声を弾ませた。

 

「あのね、今日から新しいメロンパンが発売されるんだって! お外はカリカリで、中はふわふわのやつ。れんくんも食べたいでしょ?」

 

「…………メロンパンか。いいな。それを食べてから帰るか」

 

俺たちは、砂だらけの校舎を後にした。

 

俺が一歩歩くたびに、校庭の地面が微かに震え、神の残骸である白い砂が舞い上がる。

 

産土の神を消し去り、土地の因果律を物理的に上書きしてしまった結果、この街の重力は、以前よりも僅かに「安定」していた。

 

背後では、雫が「この砂、どうやって説明すれば……! 校内放送で『砂遊びの大会がありました』なんて言えるわけありませんわぁ!」と、泣きながら校庭の砂をかき集めていた。

 

エリーナはその後ろで、「蓮様の砂……! これは聖なる遺物に違いありませんわ!」と、怪しげな瓶に砂を詰め始めている。

 

そんな二人を置き去りにして、俺と琴音は、夜の街へと歩き出した。

 

アスファルトを踏みしめるたびに、俺の足元からは心地よい震動が伝わる。

 

さっきまでの生理的な嫌悪感や、肉が蠢くグロテスクな光景は、もうどこにもない。

 

俺の持つ「圧倒的な質量」が、全ての異界を押し潰し、平和な日常という名の現実を、強引にこの場所に繋ぎ止めたのだ。

 

「れんくん、走ろう! 売り切れちゃうかも!」

 

「……嫌だ。走ったら、余計にお腹が空くだけだろ」

 

琴音の楽しげな笑い声が、夜の静寂に溶けていく。

 

俺は、ポケットの中で小銭の音を鳴らしながら。

 

甘いメロンパンの味と、家で待っている温かい夕食の匂いを思い浮かべて。

 

神様を殺したばかりのその足で、どこまでも普通に、ゆっくりと夜の道を歩いていった。

 

明日も、明後日も、この街には「普通」の朝がやってくる。

 

俺という、あまりにも重すぎる「現実」が、全ての異界を上書きしてしまったのだから。

 

俺たちがパン屋の前に着いた時、店主は不思議そうな顔で俺たちを見つめた。

 

「おや、相馬君じゃないか。こんな遅くにどうしたんだい?」

 

「……メロンパン、二つ。……それと、おまけのラスクも」

 

俺は、いつも通りの無愛想な声で注文した。

 

店主の背後にあるテレビでは、ニュースキャスターが「本日、市内で局地的な地震が発生しましたが、被害は確認されておりません」と伝えていた。

 

地震。

 

雫が書く報告書でも、きっとそう分類されるのだろう。

 

神の死。概念の崩壊。そして、一人の少年の夕食前の散歩。

 

全ては、その「地震」という言葉の裏側に、永遠に隠されることになる。

 

俺は、手渡されたばかりの温かいメロンパンを琴音に渡した。

 

「はい、お前の分」

 

「わぁ、ありがとう! れんくん、大好き!」

 

琴音が、満面の笑顔でメロンパンに齧り付く。

 

その笑顔を守るためなら、俺は何度でも、世界を押し潰してやるつもりだ。

 

俺の歩む道に、理不尽な怪異の居場所など、一ミリも残されてはいないのだから。

 

夜風が、俺の甚平を僅かに揺らした。

 

俺は、メロンパンのサクサクとした食感を楽しみながら、家路を急いだ。

 

今夜の夕食は、何だっただろうか。

 

カレーか、それともハンバーグか。

 

どんな美味しい料理も、琴音の笑顔も、俺がこの地に重く存在し続けているからこそ、味わえる幸せだった。

 

俺は、一歩ごとに地球を僅かに震わせながら、どこまでも続く真っ直ぐな道を、力強く進んでいった。

 

この街の「平和」は、俺の足元で、今日も静かに守られている。

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