【朗報】物理、幽霊に効く。 ~最凶の呪いに愛された幼馴染が、最強の転生小学生に物理で救われる話~   作:匿名

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第14話 偽りの隣人

いつもと変わらないはずの朝だった。

 

十月の爽やかな風が吹き抜け、街路樹の葉がさらさらと音を立てて揺れている。

 

俺、相馬蓮は、いつものように重い足取りで学校へと向かっていた。

 

一歩歩くたびに、地面の奥底が俺の体重を支えようと僅かに軋む。

 

俺の体は、この世界にあるどんな物質よりも密度が高く、ただそこに居るだけで周囲の空気を押し広げてしまう。

 

だから、俺にとって「歩く」という行為は、深い泥の中を突き進むような、静かな重労働だった。

 

だが、今日の空気は、いつもと少しだけ違っていた。

 

何かが、俺の皮膚を撫でるようにしてまとわりついてくる。

 

それは湿り気を帯びた、古い紙のような、あるいは誰かの溜息を混ぜ合わせたような、不快な感触だった。

 

「……なんだ、この感じは」

 

俺は眉をひそめて、周囲を見渡した。

 

登校中の生徒たちの話し声が聞こえてくる。

 

だが、その声が、どこか遠い場所から響いているように感じられた。

 

音の輪郭がぼやけ、言葉と言葉の間に、意味のないノイズが混ざり込んでいる。

 

校門をくぐり、校舎の玄関に入った。

 

下駄箱の前では、クラスメイトたちがいつものように笑い合っている。

 

「おはよう、相馬くん」

 

声をかけてきたのは、クラス委員の男子だった。

 

俺は軽く頷いて通り過ぎようとしたが、ふと、彼の「顔」に目が止まった。

 

一瞬、めまいがした。

 

彼の顔は、俺の知っている彼と同じだった。

 

眼鏡の位置も、少し癖のある髪型も、鼻の形も、全てが正しいはずだった。

 

だが、その「笑い方」が、決定的に間違っていた。

 

頬の筋肉が、まるで何かに吊り上げられたように不自然に高く引き上げられている。

 

唇の端が、耳の付け根まで届きそうなほどに裂け、そこから見える歯が、異様に白く、そして数が多い。

 

彼は瞬きを一回もしないまま、皿のような瞳で俺を見つめていた。

 

「今日は、とても、いい天気だね。相馬くん、相馬くん、相馬くん」

 

彼の声は、録音された音を無理やり再生したような、不気味な平坦さを帯びていた。

 

俺の背筋に、冷たい氷の粒が滑り落ちるような嫌悪感が走った。

 

これはホラー映画の演出ではない。

 

そこにあるのは、人間という形を真似た、全く別の「何か」だ。

 

俺は無視して教室へと向かった。

 

廊下ですれ違う生徒たちの顔も、同じだった。

 

誰もが、蝋人形で固めたような不自然な笑みを浮かべ、俺を目で追ってくる。

 

彼らの肌は、光を反射してヌメりと光り、毛穴の一つも見当たらない。

 

まるで、人間の皮を被った「偽物」たちが、この学校を埋め尽くしているようだった。

 

教室の扉を開けると、そこには神崎雫がいた。

 

彼女は自分の席で、ガタガタと震えながらデバイスを握りしめている。

 

「相馬くん……! 来てしまいましたのね……」

 

雫の声は、今にも消え入りそうに細かった。

 

彼女の瞳は恐怖で血走り、顔面は蒼白になっている。

 

「デバイスが、もう役に立ちませんわ。数値が出ないのです……。周りにいるのは、人間ではありません。人間の形をした『虚無』ですわ!」

 

雫が震える指でクラスメイトたちを指差した。

 

彼らは一斉にこちらを向き、同じ角度で首を傾げた。

 

「偽物……隣人……。相馬くん、私たち、家族だよ。一つになろう、相馬くん」

 

数十人の声が重なり、合唱のような不協和音が教室を満たす。

 

その瞬間、俺の脳内に、暴力的なまでの「侵食」が襲いかかってきた。

 

それは、目に見えない無数の触手が、俺の心の壁をこじ開けようとするような感覚だった。

 

誰かの悲鳴、誰かの憎しみ、誰かの孤独。

 

それらが混ざり合った泥水のような意識が、俺の思考を汚そうと流れ込んでくる。

 

「……おい」

 

俺は、低く、短く呟いた。

 

「ガ、ッ……!? アガガ……!」

 

俺の脳内に侵入しようとした「何か」が、激しい断末魔を上げた。

 

俺の肉体密度は、物理的な攻撃だけでなく、精神的な干渉さえも跳ね除けるほどに圧倒的だった。

 

俺の意識は、鉄よりも重く、深く、そして強固だ。

 

蚊のような細い針で、鋼鉄の山を突き崩せるはずがない。

 

俺の心の表面に触れた「怪異」は、その質量の差に耐えきれず、逆に押し潰されて消滅していった。

 

俺の精神に指一本触れることすら、この世界の理(ことわり)では不可能だった。

 

「……俺の頭の中で、騒ぐな。うるさくて眠れないだろ」

 

俺は冷たい視線で、周囲の「偽物」たちを一掃するように睨みつけた。

 

俺の視線を受けた生徒たちが、一瞬だけ、ノイズのように姿を歪ませた。

 

彼らの顔が、一瞬だけ「のっぺらぼう」になり、次の瞬間にはまた元の不気味な笑顔に戻る。

 

彼らは、俺が「効かない」存在であることを理解し、焦っているようだった。

 

「相馬くん……あなたは、本当に、化け物ですわね。精神汚染を、ただの『騒音』として切り捨てるなんて」

 

雫が力なく笑い、机に突っ伏した。

 

彼女は魔術的な防壁で辛うじて自分を保っているようだが、それも長くは持たないだろう。

 

この空間そのものが、人間の正気を奪うための「檻」に変わりつつあった。

 

その時、教室の扉が静かに開いた。

 

「――れんくん、お待たせ!」

 

明るい、いつもの声が響いた。

 

入ってきたのは、白雪琴音だった。

 

俺は、一瞬だけ息を呑んだ。

 

彼女の姿は、俺の知っている琴音そのものだった。

 

いつもの白いブラウス、眼鏡、そして元気よく跳ねる黒髪。

 

だが、彼女が俺の目の前まで歩いてきたとき、俺はその「正体」を確信した。

 

彼女の足音が、しないのだ。

 

床を踏みしめているはずなのに、音一つ立てず、滑るようにして俺に近づいてくる。

 

そして、彼女が笑ったとき、その頬に「継ぎ目」があるのが見えた。

 

まるで、精巧なゴムマスクを無理やり貼り付けたような、不自然な皮膚の重なり。

 

「れんくん、どうしたの? そんな怖い顔して。私だよ、琴音だよ」

 

彼女が俺の腕に触れようと、手を伸ばしてきた。

 

その指先は、体温を一切感じさせない、凍りつくような冷たさだった。

 

「……お前、誰だ」

 

俺の声は、自分でも驚くほど冷徹だった。

 

「何言ってるの? 琴音だよ。ずっと一緒にいた、幼馴染の琴音だよ。ほら、思い出して。昨日、一緒にパンを食べたよね?」

 

「偽物の琴音」は、愛らしく首を傾げて微笑んだ。

 

だが、その瞳の奥には、感情など一滴も存在しなかった。

 

そこにあるのは、俺の記憶を読み取り、俺の望む姿を模倣しようとする、底知れない「飢え」だった。

 

俺の胸の奥で、静かな、けれど激しい怒りが燃え上がった。

 

よりによって、琴音の姿を使って、俺の心に忍び込もうとする。

 

その行為は、俺にとって、何よりも許しがたい不純物だった。

 

「……消えろ、偽物。その顔で、俺の名前を呼ぶな」

 

俺の右拳が、僅かに震えた。

 

それは恐怖ではない。

 

この不快な「まがい物」の世界を、その土台ごと物理的に圧壊させてやりたいという、破壊の衝動だった。

 

「偽物の琴音」の顔が、ゆっくりと崩れ始めた。

 

皮膚が溶け落ち、その下から、無数の小さな「口」が覗く。

 

「……バレちゃった。でも、無駄だよ。本物の琴音ちゃんは、もう、私たちの中にいるんだから」

 

彼女の声が、何百人もの声を合成したような、耳を裂くノイズへと変わる。

 

教室の窓ガラスが、その音圧に耐えきれず、ビリビリと震え始めた。

 

俺は、ゆっくりと立ち上がった。

 

俺の足元で、教室の床がミシミシと音を立てて、俺の重みに悲鳴を上げている。

 

「……そうか。なら、お前ら全員の中から、引き摺り出すだけだ」

 

俺の体から放たれる質量圧力が、目に見えるほどの陽炎となって、周囲の空気を歪ませた。

 

精神汚染も、認識の歪みも、不気味の谷も。

 

俺の放つ「圧倒的な現実」の前では、ただの壊れやすい硝子細工に過ぎない。

 

俺は、崩れかけた偽物の琴音の顔を、冷たく見据えた。

 

これから起きる出来事が、この怪異にとって、最大の絶望になることを、俺は確信していた。

 

俺は、一歩を踏み出した。

 

その一歩が、偽りの世界に最初の「ひび割れ」を作る音を、俺は確かに聞いた。

 

***

 

偽物の琴音が笑った。

 

その口は耳まで裂け、中にはびっしりと鋭い歯が並んでいた。

 

彼女の顔は、もう人間の形を保っていなかった。

 

溶けた蝋のように皮膚が垂れ下がり、その下から無数の小さな「目」が俺を覗き込んでいる。

 

「無駄だよ、蓮くん。私たちは君の記憶。君の心。君が愛したものの形そのものなんだから。私たちを傷つけることは、君自身を傷つけることと同じなんだよ」

 

偽物の声が、教室の壁や天井から、何重にも重なって響いてくる。

 

教室の景色が、ぐにゃりと歪み始めた。

 

黒いインクをぶちまけたような闇が、床から這い上がり、俺の足首に絡みついてくる。

 

クラスメイトだった「まがい物」たちは、既に人間の形を捨てていた。

 

彼らは一つの巨大な、真っ黒な粘液の塊へと混ざり合い、教室全体を埋め尽くそうとしている。

 

「さあ、おいで。君の重すぎるその体を、私たちが軽くしてあげる。君という名前も、君という記憶も、全て私たちに預けて。そうすれば、君はもう、一人で苦しまなくて済むんだよ」

 

どす黒い波が、俺に向かって押し寄せてきた。

 

それは精神を汚染し、存在を消し去るための「虚無」の奔流だった。

 

「相馬くん! 逃げて……! それに触れてはいけませんわ! 存在の定義が書き換えられてしまいますわよ!」

 

隅の方で、神崎雫が悲鳴を上げた。

 

彼女の周りには、青い光の壁が展開されているが、それも闇に削られて、今にも消えそうだった。

 

「……五月蝿い」

 

俺は、一歩を踏み出した。

 

ドォォォォォォォン!!

 

俺の足が床に触れた瞬間、押し寄せていた黒い波が、まるで見えない壁にぶつかったように弾け飛んだ。

 

俺の体の中にある「質量」は、もはやこの世界の理屈では測れない領域に達している。

 

どれほど強力な精神攻撃も、どれほど深い絶望の闇も。

 

俺という圧倒的な「現実」の前では、ただの薄い霧と同じだった。

 

俺がそこに立っているだけで、周囲の空間が物理的に押し広げられ、偽物の世界は自分の形を保てずに悲鳴を上げている。

 

「……記憶だの、心だの。……お前らが俺の何を知っている」

 

俺は、低い声で呟いた。

 

「ガ、ッ……!? ア、アガガ……何だ、何なのです、この重みは……! 私たちの侵食が、届かない……!? それどころか、私たちの存在が、押し潰されていく……!」

 

偽物の琴音が、信じられないものを見るかのように絶叫した。

 

彼女たちは、俺の心の中に潜り込み、俺の存在を内側から食い破ろうとした。

 

だが、彼女たちが触れたのは、底知れない深淵よりも深く、そして何よりも重い「鋼鉄の拒絶」だった。

 

俺の心は、俺の肉体と同じだ。

 

あまりにも密度が高すぎて、異物が入り込む余地など、一ナノメートルも残されていない。

 

「……お前らは、琴音じゃない。……琴音は、もっと、うるさくて。……もっと、温かい」

 

俺の胸の奥で、静かな怒りが質量を増していく。

 

琴音の姿を借りて、俺の静寂を乱したこと。

 

その「偽物」の存在そのものが、今の俺にとっては耐えがたい汚物だった。

 

「お前ら全員、まとめて消してやる。……一ミリも残さずにな」

 

俺は、右拳をゆっくりと引き絞った。

 

俺の体の中に眠る、全質量を右拳の一点に集中させる。

 

それは、太陽の重みを一つのリンゴにまで凝縮し、さらにその密度を極限まで高めるような、神にも等しい力。

 

俺の右腕の周囲で、空気が悲鳴を上げた。

 

物理的な衝撃波さえも発生する暇がない。

 

ただ、俺の拳の周りにある「空間」が、その重みに耐えかねて、真っ黒な穴のように陥没し始めた。

 

光さえも逃げ出せず、音が吸い込まれていく。

 

「や、やめて……! 私たちは君なんだ! 私たちを消せば、君の大切な琴音ちゃんも……!」

 

「……寝言は、地獄で言え」

 

俺は、目の前の「偽りの世界」に向かって、静かに、けれど絶対的な力をもって拳を放った。

 

衝撃波が生まれる前の、完全な静寂。

 

世界が、俺の拳の先にある一点を見つめているような気がした。

 

俺の心にあるのは、ただ一つ。

 

不快なノイズを消し去り、本物の琴音が笑っている日常を取り戻す。

 

その純粋な意志が、俺の拳に宿る「質量」を、さらに一段階上の領域へと引き上げた。

 

ドォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!

 

世界が、真っ白に染まった。

 

俺の拳が放ったのは、単なる打撃ではない。

 

それは、この偽りの世界という「概念」そのものを、上から物理的に押し潰し、デリートするための「終焉の圧力」だった。

 

「ギ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

偽物の琴音が、そして教室を埋め尽くしていた数千の「まがい物」たちが、一斉に断末魔の叫びを上げた。

 

彼らの体は、俺の放った重圧に触れた瞬間に原子レベルまで圧縮され、存在そのものを消し去られていく。

 

教室の壁が剥がれ落ち、偽りの空がひび割れて崩れ落ちる。

 

俺の一撃は、この怪異が作り上げた「異界」の土台を、物理的に粉砕した。

 

精神汚染も、認識の歪みも。

 

俺の放った圧倒的な「現実」の前では、ただの壊れやすい硝子細工と同じだった。

 

俺は目を閉じ、ただその一撃を、この世界の中心へと叩き込んだ。

 

これ以上、俺の日常を汚させはしない。

 

その思いと共に、俺は全ての力を解放した。

 

光が収まり、俺がゆっくりと目を開けたとき。

 

そこには、夕暮れ時の静かな教室が戻っていた。

 

黒い闇も、不気味な笑い声も、溶けた顔のクラスメイトたちも。

 

その全ては、俺の拳によってこの世から消去され、塵一つ残っていなかった。

 

「……ハァ、ハァ……っ。……助かった、のですか?」

 

神崎雫が、床に手をつき、荒い呼吸を繰り返している。

 

彼女の周りにあった青い壁は消えていたが、彼女の瞳には、ようやく正気が戻っていた。

 

「相馬くん……。あなた、今、何をしたんですの? 怪異の核を突いたのではありませんわ。……空間の定義そのものを、あなたの質量で上書きして、無かったことにしたのですわよ」

 

雫の声は、恐怖を通り越して、もはや悟りのような響きを帯びていた。

 

魔術的な解決策など、最初から必要なかったのだ。

 

この世界で最も重い「現実」である蓮が、ただ全力で存在を主張すれば、どんな偽りも居場所を失う。

 

「……俺は、掃除をしただけだ。……ノイズが酷かったからな」

 

俺は、少しだけ痺れる右手を軽く振り、背後を振り返った。

 

そこには、教室の隅で丸くなって眠っている琴音の姿があった。

 

「……琴音」

 

俺は歩み寄り、彼女の肩を揺らした。

 

「……おい、起きろ。いつまで寝ているんだ」

 

「……ふぇ? れ、れんくん……?」

 

琴音が、目を擦りながらゆっくりと顔を上げた。

 

彼女の瞳には、偽物のような濁りは一滴もなかった。

 

俺の知っている、少し抜けていて、けれど温かい、本物の琴音の光。

 

「……あれ? 私、いつの間にか寝ちゃってたみたい。なんだか、とっても怖い夢を見てた気がするんだけど……れんくんの顔を見たら、忘れちゃった」

 

琴音は、いつものように無邪気に笑った。

 

どうやら、俺の拳が放った圧力が、彼女の精神を汚染していた怪異の痕跡ごと、綺麗に消し飛ばしてくれたらしい。

 

「……夢だ。お前が寝惚けて変な踊りをしていただけだ」

 

「ええっ!? 私、踊ってたの!? 恥ずかしい……れんくん、絶対に誰にも言っちゃダメだよ!」

 

琴音が顔を真っ赤にして立ち上がる。

 

その平和なやり取りを見て、雫は力なく壁に背中を預けた。

 

「……精神汚染をワンパンで消滅させて、それを『寝惚けた』で済ませるなんて……。わたくし、もうこの街の担当を辞めたいですわ……」

 

雫のデバイスは、完全に機能を停止して沈黙していた。

 

当然だ。彼女たちが直面していたのは、人間の定義を揺るがす、高位の怪異だったのだから。

 

それを、単なる「邪魔だから」という理由で、物理的にデリートしてしまった少年。

 

「蓮様! 流石ですわ! 偽りをも質量で圧殺するそのお姿、まさに世界の覇者! わたくし、感動で胸が張り裂けそうですわ!」

 

背後では、エリーナが狂信的な笑顔で俺を拝んでいた。

 

どうやら彼女だけは、この異常事態の中でも正気を保っていたらしい。

 

俺は、そんな外野の騒ぎを無視して、琴音の手を引いた。

 

「……帰るぞ。腹が減った」

 

「うん! 今日のご飯、なんだろうね!」

 

俺たちは、夕焼けに染まった校舎を後にした。

 

廊下には、怪異が消えた後の静寂だけが残っていた。

 

どんなに巧妙な偽物も、どんなに不気味な精神汚染も。

 

俺の持つ「圧倒的な質量」の前では、ただの壊れやすい硝子細工と変わらない。

 

俺は、夜風に混じる微かな花の匂いを感じながら。

 

家で待っている温かい夕食のことを考えて、少しだけ歩みを速めた。

 

明日も、明後日も、この街には「普通」の朝がやってくる。

 

俺という、あまりにも重すぎる「現実」が、全ての偽りを上書きしてしまったのだから。

 

俺は、隣で楽しそうに学校の話をしている琴音の横顔を見つめた。

 

この笑顔が、本物であること。

 

それを守るためなら、俺は何度でも、この世界の偽りを押し潰してやるつもりだ。

 

俺の歩む道に、不純なノイズの居場所など、一ミリも残されてはいないのだから。

 

夜風が、俺の甚平を僅かに揺らした。

 

俺は、家から漂ってくる香ばしい匂いを感じながら。

 

神様を殺したばかりのその足で、どこまでも普通に、ゆっくりと夜の道を歩いていった。

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