【朗報】物理、幽霊に効く。 ~最凶の呪いに愛された幼馴染が、最強の転生小学生に物理で救われる話~   作:匿名

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第2話 理科室の解剖的悪夢と、次元を穿つ雑巾がけ

 オレンジ色の陽光が、長い廊下に影を引き延ばしている。

 

 放課後の小学校というのは、どうしてこうも「不機嫌」なのだろう。

 さっきまでの子供たちの喧騒が嘘のように、建物全体が湿った沈黙に沈んでいる。

 

 「……ねえ、れんくん。やっぱり、今日の掃除当番、明日にしてもらわない?」

 

 背後から、衣擦れの音と共に不安げな声がした。

 

 振り返らなくてもわかる。

 琴音が俺の甚平の裾を、今にも引きちぎらんばかりの力で握りしめているのが。

 

 「……だめだ。明日は給食がカレーだからな。掃除なんて面倒なことは、今日のうちに済ませる」

 

 俺は、ずっしりと重い水が入ったバケツを小指一本で提げながら、気だるげに答えた。

 

 普通の小学一年生なら、両手で抱えてもふらつく重量。

 だが、俺にとっては、羽毛よりも軽い。

 むしろ、振り回しすぎて遠心力でバケツの取っ手が引きちぎれないよう、指先の力を加減する方が神経を使う。

 

 「でもぉ……。今日の理科室、なんだか変だよ? さっきから、誰かにジロジロ見られてる気がするの」

 

 「……自意識過剰だろ。あるいは、壁に飾ってある偉い学者の肖像画でも睨んでるんじゃないか」

 

 「そんなんじゃないもん……! もっと、こう……ネチャネチャした感じなのっ!」

 

 琴音は眼鏡のフレームをクイッと押し上げ、涙目で周囲を警戒している。

 彼女の『避雷針』としての直感は、今日も絶好調らしい。

 

 理科室の扉の前に立つ。

 

 ガラガラ、と。

 乾いた音を立てて引き戸を開けると、そこに溜まっていた「空気」が、重苦しく廊下へ溢れ出してきた。

 

 埃の匂い。

 古いワックスの匂い。

 そして――。

 

 鼻の奥を刺すような、薬品と、何かが腐りかけたような生臭い臭気。

 

 「……う。れんくん、これ……」

 

 「……古い薬品でも漏れてるんだろ。さっさと終わらせるぞ」

 

 俺はため息をつき、理科室に足を踏み入れた。

 

 ドォン、と。

 ただ一歩歩くだけで、床のコンクリートから重厚な振動が伝わる。

 俺の肉体の「密度」は、こうした閉鎖空間では特に強調される。

 周囲の空気が俺の存在に押し退けられ、微かな気圧の変動を引き起こしているのだ。

 

 理科室の中は、異様に寒かった。

 窓から差し込む夕日は、棚に並んだビーカーやフラスコを不気味な琥珀色に染めている。

 

 琴音はバケツに雑巾を浸し、ジャブジャブと音を立てながら、震える手で机を拭き始めた。

 

 「……ねえ、れんくん。……あそこ」

 

 琴音が、流し台の奥を指差す。

 

 そこには、理科室の定番ともいえる「人体模型」が立っていた。

 

 半分が皮膚に覆われ、もう半分が筋肉と内臓を剥き出しにした、あの不気味な造形物。

 普段なら、ただの古い備品だ。

 

 だが、今は違った。

 

 夕日に照らされたその模型の「眼球」が、こちらの動きに合わせて、ゆっくりと、粘つくような音を立てて動いているように見える。

 

 (……ああ、やっぱりか)

 

 俺は、モップをバケツに突っ込みながら、内心で舌打ちした。

 

 琴音の『特級避雷針』としての体質が、校舎に漂う微細な悪意を吸い上げ、あのプラスチックの塊に流し込んでいる。

 

 怪異というのは、常に効率を求める。

 実体を持たない自分たちがこの世に干渉するために、ちょうどいい「容れ物」を探す。

 そして今、あの模型は、数十年分の「死への恐怖」と「解剖される痛み」という呪いを飲み込み、新たな命を得ようとしていた。

 

 「ポタ……ポタ……」

 

 誰もいないはずの蛇口から、水が滴り落ちる。

 その色は、透明ではなく、赤黒い錆を含んだような濁った液体だった。

 

 「きゃっ……!?」

 

 琴音が、拭いていた机から飛び退く。

 

 見れば、彼女が拭いていた机の表面に、べったりと「子供の手形」が浮かび上がっていた。

 それも、一つではない。

 

 ベチャッ。ベチャッ。

 

 何もない空間から、濡れた手の音が響き、次々と机や床に血のような手形が増えていく。

 それはまるで、目に見えない無数の子供たちが、琴音の周囲を囲んで踊っているかのようだった。

 

 「れんくん! れんくんっ! やっぱり、なにかいるよぉ!」

 

 琴音が叫び、俺の腕にしがみついてくる。

 彼女の体温が、恐怖で急激に下がっているのが伝わる。

 

 俺は、欠伸を噛み殺しながら、足元の床を見下ろした。

 

 這い寄ってくる「手形」が、俺の靴の先に触れようとした、その瞬間。

 

 ドォン!!

 

 俺は、軽く地面を「踏んだ」。

 

 ただの足踏みだ。

 だが、俺の体重――その超高密度な質量が一点に集中し、床を媒介にして全方位に「衝撃波」として伝播する。

 

 バキバキバキッ! と。

 理科室の床板が悲鳴を上げ、見えない子供たちの「手形」が、その振動だけで消し飛ばされた。

 

 「……掃除の邪魔だ。あっち行け」

 

 俺は低く呟く。

 

 霊的な現象だろうが、呪いだろうが、この世に存在している以上、それは「エネルギー」の形態の一つに過ぎない。

 ならば、それを上回る圧倒的な「運動エネルギー」を叩き込めば、物理的に霧散するのは当然の理屈だ。

 

 周囲の温度が、一瞬だけ戻る。

 

 「……れんくん?」

 

 「……気のせいだって言ったろ。ほら、そこ、まだ汚れが残ってるぞ」

 

 俺は、琴音の頭をポンと叩き、掃除を促す。

 

 だが。

 

 部屋の隅。

 

 カタ、カタカタカタカタ……。

 

 人体模型の顎が、不自然な角度で震え始めた。

 

 それは、怯えているのではない。

 今、この理科室に充満した俺の「質量」を糧にして、その存在を急速に肥大化させているのだ。

 

 本来なら数年かけて育つはずの怪異が、俺という規格外の存在に触発され、今、この瞬間に「完成」しようとしていた。

 

 薬品の臭いが、一気に濃くなる。

 古い血と、防腐剤の混じった、吐き気を催すような死の臭いだ。

 

 「……おい、琴音。ちょっと下がってろ」

 

 俺は、バケツに手を伸ばした。

 

 雑巾を絞る、その動作一つで。

 俺はこの場の「うるさいノイズ」を、全て纏めて処理することに決めた。

 

***

 

「ギチ……ギチギチ……ッ!」

 

 理科室の隅に鎮座していた人体模型が、生き物のようにのたうち回る。

 

 プラスチック製の皮膚が内側から膨れ上がり、収まりきらなくなった「内臓」が、どろりと床に溢れ出した。

 だが、それはただの模型のパーツではない。

 溢れ出した腸や胃は、まるで飢えた大蛇のようにのたうち回り、周囲の実験器具を次々と取り込んでいく。

 

 「ア……ア……ガッ……!」

 

 模型の口から、何十人もの子供たちが同時に叫ぶような、不快な声が漏れ出す。

 

 「な、何これ……!? 模型が、大きくなって……!」

 

 琴音が悲鳴を上げ、俺の甚平を千切れんばかりに握りしめる。

 

 数秒前まで等身大だった模型は、今や理科室の天井に届かんばかりの巨躯へと変貌していた。

 ビーカーを牙にし、試験管を爪にし、無数の「解剖された記憶」を筋肉として繋ぎ合わせた、肉とガラスの合成獣。

 

 「下がりなさい! これ以上、その怪異に近づいてはなりませんわ!」

 

 理科室の扉が勢いよく開き、神崎雫が飛び込んできた。

 彼女の手に握られた演算デバイスは、火花を散らしながら狂ったように警告音を鳴らしている。

 

 「神崎さん……!?」

 

 「白雪さん、無事ですの!? ……くっ、何という霊子密度! 理科室に蓄積された数十年の思念が、あなたの体質に反応して完全に実体化していますわ!」

 

 雫は瞬時に数枚の符を空中に放ち、青白い幾何学模様の結界を展開する。

 

 「『四門封絶・改(しもんふうぜつ・かい)』! ……相馬くん! あなたもぼーっとしていないで、早く白雪さんを連れて逃げなさい! これはもう、わたくし一人で抑えられる規模ではありませんわ!」

 

 雫の顔は、極度の緊張で青白く引き攣っている。

 

 グチャリ、と。

 巨大化した模型の「足」が、コンクリートの床を踏み抜いた。

 

 「ギ、ギェ……アアアアアア!!」

 

 怪異が咆哮を上げる。

 その衝撃波だけで、理科室の窓ガラスが内側から一斉に粉砕された。

 

 雫が張った結界が、激しく火花を散らす。

 

 「う、嘘……!? わたくしの最高位結界が、ただの咆哮だけで……!?」

 

 「……おい。これ、まずいぞ」

 

 俺は、手に持った雑巾を見つめながら、独り言のように呟いた。

 

 「わかっていますわ、相馬くん! 今の衝撃で、この校舎の霊的防壁が――」

 

 「いや、そうじゃなくて。……このままだと、さっき絞ったばかりの雑巾に、あいつの汚い汁がかかる」

 

 「…………は?」

 

 雫が、戦場に似つかわしくないマ抜けな声を上げた。

 

 「あなた、この状況で何を言っていますの!? 目の前にいるのは、一級以上の指定怪異『解剖される亡霊たちの王(ディセクテッド・ロード)』ですわよ!? 物理的な攻撃など一切通用しない、霊的質量のみで構築された――」

 

 「ドクン!!」

 

 怪異の心臓が、大きく脈打った。

 

 その瞬間、理科室の空間が歪み、床や壁から無数の「メス」が、植物のように生えてくる。

 解剖の痛みを再現する呪い。

 それに触れれば、生きたまま肉体をスライスされ、怪異の一部として取り込まれるだろう。

 

 「きゃあぁぁぁぁっ!!」

 

 琴音の足元から、銀色の刃が這い上がってくる。

 

 「いけませんわ! 『護法、障壁――』」

 

 雫が叫びながら術を唱えようとしたが、怪異の「腕」が、音を置き去りにする速度で彼女の結界を叩き割った。

 

 「――っ!?」

 

 雫の体が、吹き飛ばされる。

 

 防波堤を失った理科室に、地獄の蓋が開いた。

 無数の刃が、獲物である琴音に向かって一斉に収束していく。

 

 「れんくんっ、助けてぇぇぇ!!」

 

 琴音が目を閉じ、俺の背中にしがみつく。

 

 俺は、小さくため息をついた。

 

 「……やれやれ。よいしょ」

 

 俺は一歩、前に踏み出した。

 

 その瞬間。

 

 ズゥゥゥゥゥゥゥン!!

 

 理科室の「重力」が、書き換えられた。

 

***

 

「……うるさいな。さっきから、ガチャガチャと」

 

 蓮の呟きは、怪異の咆哮にかき消されるほど小さかった。

 だが、その言葉が放たれた瞬間、理科室を支配していた「死の重圧」が、まるで巨大な壁にぶつかったかのように霧散した。

 

 蓮は、右手に持った濡れた雑巾を、ごく自然な動作で構える。

 

 「相馬くん、何をするつもりですの!? 下がって……死にたいのですか!?」

 

 床に這いつくばったまま、雫が悲鳴を上げる。

 

 彼女の視線の先では、数メートルを超す肉とガラスの巨像が、今まさに蓮と琴音を押し潰そうと巨大な腕を振り下ろしていた。

 その腕は、霊的な質量だけで数十トンに達する。物理的な装甲車ですら紙屑のように丸められる一撃だ。

 

 「……雑巾、汚れるだろ」

 

 蓮は、迫りくる巨腕を見上げることすらせず、右手に持った雑巾を「ギュッ」と絞った。

 

 ただ、それだけの動作。

 

 ギィィィィィィィィィィィィン!!

 

 金属が悲鳴を上げるような、聴覚を破壊する異音が理科室に響き渡った。

 

 「……な、何ですの、今の音……!?」

 

 雫は目撃した。

 蓮が握った雑巾の周囲で、光が歪んでいるのを。

 

 彼の握力があまりにも「高密度」すぎて、握り込まれた空間の分子が逃げ場を失い、原子レベルで衝突を開始したのだ。

 雑巾から絞り出された水滴は、重力加速度を無視した超高圧の弾丸となり、周囲の空気をプラズマ化させながら放たれる。

 

 「よい、しょ」

 

 蓮が、絞った雑巾をそのまま怪異の巨躯に向かって、無造作に「振った」。

 

 ドォォォォォォォォォォォン!!

 

 理科室全体が、巨大な鉄槌に叩かれたかのように跳ね上がった。

 

 「ギ、ェ……ッ!?」

 

 怪異『解剖される亡霊たちの王』の動きが、完全に止まった。

 いや、止まったのではない。

 

 蓮が雑巾を振ったことで生じた「超高密度の真空波」が、怪異の存在そのものを、文字通り「磨り潰して」いたのだ。

 

 霊体? 概念? そんなものは関係ない。

 蓮の腕が動いたことで生じた圧倒的な「物理的仕事量」は、怪異を構成する霊子を、分子、さらには素粒子レベルまで分解し、強制的にこの世界の理(ことわり)に再構成していく。

 

 「メキ、メキメキメキメキッ!!」

 

 巨大な人体模型が、内側に向かって折り畳まれていく。

 目に見えない巨大な万力に挟まれたかのように、巨躯は瞬く間に圧縮され、野球ボールほどの大きさの「プラスチックの塊」へと成り果てた。

 

 カラン、カラン……。

 

 乾いた音を立てて、床に転がる小さな塊。

 それは、さっきまで理科室を地獄に変えていた怪異の無残な末路だった。

 

 「…………は?」

 

 雫は、呼吸を忘れていた。

 

 演算デバイスの画面には、信じられない文字列が踊っている。

 【事象の再定義を確認。対象範囲内の全霊的質量の物理的圧壊。……推定必要エネルギー:戦術核兵器に相当。……術式:無し。魔力反応:無し。結論:ただの筋力】

 

 「ただの……筋力? 筋肉で……幽霊を……圧縮して、捨てたんですの……?」

 

 「……ふぅ。お、終わったよぉ、れんくん……?」

 

 琴音が、恐る恐る蓮の背中から顔を出す。

 彼女の丸眼鏡は、衝撃波で少しだけ曇っていた。

 

 蓮は無愛想に、その眼鏡のレンズを指先でチョイと拭いてやる。

 

 「……ああ。掃除、終わったぞ」

 

 「うん……! あ、でも、あの模型さん、あんなに小さくなっちゃって。先生に怒られないかな?」

 

 「……ゴミ箱に入れておけば、明日には回収されるだろ」

 

 蓮は、足元に転がっている「元・怪異の王」を、つま先でポイとゴミ箱の方へ蹴った。

 

 「相馬くんっ!!」

 

 雫が、膝をついたまま叫ぶ。

 

 「あなた、自分が何をしたか分かっていますの!? あれは一級指定怪異ですわよ!? 国家陰陽局の部隊が数日がかりで封印するような、この世のバグなんですのよ!?」

 

 「……一級? よく知らないけど、掃除の邪魔だったからどかしただけだ。……それより、神崎さん」

 

 蓮が、半開きの目で雫を見下ろす。

 

 「……早く帰らないと、スーパーの特売、終わるんだけど。お前、いつまでそこに座ってるんだ?」

 

 「…………」

 

 雫は、反論する気力すら失った。

 

 国家の危機だの、世界の理だの、そんな高尚な理屈は、この小学生の前では「夕飯の買い物」以下の価値しかない。

 

 「……ありえませんわ。本当に、ありえませんわ……」

 

 雫は、ガックリと項垂れた。

 

 「あ、そうだ! れんくん、今日の夕飯、コロッケだよね? 私、お醤油派なんだけど、れんくんは?」

 

 「……俺は、ソース一択」

 

 「ええーっ、ソースなのぉ? 邪道だよぉ」

 

 そんな他愛もない会話を交わしながら、二人の小学生は、窓ガラスの割れた理科室を後にする。

 

 夕日に染まる校庭に、二人の影が長く伸びていた。

 

 その背後で。

 

 理科室に残された雫は、静かに自分の長い髪を掻き毟り、絶叫を堪えていた。

 

 国家陰陽局が恐れる「避雷針」の少女。

 そして、その傍らで、世界の法則(ルール)を筋肉一つで踏みにじる少年。

 

 日本の安寧が、この二人の小学生の「献立の相談」に委ねられているという事実に、彼女はただ、遠い目をして震え続けるしかなかった。

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