【朗報】物理、幽霊に効く。 ~最凶の呪いに愛された幼馴染が、最強の転生小学生に物理で救われる話~ 作:匿名
土曜日の午前十時。
駅前の大型商業施設『アエラ・モール』の広場は、休日を謳歌しようとする人間共の熱気で溢れかえっていた。
「……遅い」
俺は、広場の時計塔の陰で、本日何度目かわからない欠伸を噛み殺した。
胃袋が、不快な鳴き声を上げている。
今朝は起床直後に米を三合、プロテインを一リットル、バナナを五本ほど胃に流し込んできたが、俺の異常な代謝効率の前では、そんなものは数分間のアイドリングに過ぎない。
「グゥゥ……」
腹の底から、地鳴りのような音が響く。
(……早く来い、琴音。俺の目的は、今日から発売の『ドレッドノート・ビーフバーガー』だけだ)
パテ三枚、厚切りベーコン、さらにとろけるチーズが三層。
総カロリー四〇〇〇の大台を超えるというその怪物を仕留めること。
それが、今日この人混みに、この「超高密度な肉体」を晒しに来た唯一の理由だった。
「――れんくんっ! お待たせっ!」
聞き慣れた声が、雑踏を掻き分けて届く。
人混みの向こうから走ってきたのは、いつもの学校指定のワンピースではない、真っ白なフリルがあしらわれた私服姿の琴音だった。
「はぁ、はぁ……ごめんね。お母さんが、髪型がどうとか、リボンがどうとかって、なかなか離してくれなくて……」
琴音が俺の前で立ち止まり、少し短めのスカートの裾を気にしながら、上目遣いでこちらを覗き込んでくる。
いつものツインテールではなく、ハーフアップにまとめられた黒髪。
赤い丸眼鏡は綺麗に磨かれ、彼女が動くたびに、春の庭園を思わせるような、甘く華やかなフローラルの香りが鼻を掠める。
「……どう、かな? 変じゃない……?」
琴音は頬を赤く染め、両手の指先をモジモジと動かしている。
「…………」
俺は、無言で琴音を見つめた。
(……香水か。フローラル……。いや、今はそんな「食えない匂い」はどうでもいい。それよりも――)
「……それより琴音、バーガーだ。限定一〇〇食だぞ。もう開店から十分経ってる」
「ええっ!? あ、う、うん……そうだね。れんくん、それ楽しみにしてたもんね……」
琴音が、目に見えてガックリと肩を落とす。
だが、俺は構わず歩き出した。
一歩、踏み出す。
ドスッ、という、子供の歩法とは思えない重厚な衝撃が石畳に刻まれる。
「……お、重い。やっぱり、私服だとランドセルがないから、重力の調整が狂うな」
「えっ、何か言った? れんくん」
「……なんでもない。行くぞ」
俺は、裾を掴もうとする琴音の手を(無意識に)振り切るような速度で、モールの入り口へと向かった。
自動ドアを潜り、エアコンの冷気が肌を刺した、その瞬間。
「……ん?」
俺は、微かな違和感に足を止めた。
吹き抜けの巨大な空間。
煌びやかな照明、楽しげな音楽。
だが、その奥底から漂ってくる「気配」が、あまりにも不快だった。
(……なんだ。この、生温かい空気は)
まるで、巨大な生き物の「喉の奥」にでも迷い込んだような、湿った粘り気。
琴音の『特級避雷針』としての体質が、早くもこの巨大な建造物に眠る「何か」を呼び覚ましているらしい。
「……れんくん? どうしたの、急に止まって」
琴音が、不安そうに俺の袖を掴む。
彼女も、無意識のうちに感じているのだろう。
自分の周囲の空気が、じわじわと「腐食」し始めていることを。
「……いや。なんでもない。……肉の匂いが、こっちからする」
俺は鼻を動かした。
確かに、違和感はある。
だが、それ以上に――。
三階のフードコートから漂ってくる、強烈な牛脂の焼ける香ばしい匂い。
それが、俺の生存本能を狂わせるほどに刺激していた。
「……行くぞ、琴音。二〇分以内に完食する」
「ええっ!? 待ってよぉ、もっとゆっくり見ようよぉ!」
俺は、琴音を引きずるようにしてエスカレーターへと急いだ。
その時。
ピチャッ。
天井の、豪華なシャンデリアの隙間から。
透明な、だが糸を引くような「粘液」が、一滴だけ琴音の白いワンピースの肩に落ちた。
それは、服を汚すだけではない。
ジュウ、と。
まるで酸のように、生地を、そしてその下の「空間」を静かに溶かし始めていた。
俺は、それに気づきながらも、意識を「三階のバーガーショップ」へと全集中させていた。
怪異だろうが、世界の終焉だろうが、知ったことではない。
俺の肉を食う喜びを邪魔する奴は、神だろうが概念だろうが――ただの「不燃ゴミ」だ。
***
フードコートは、人で溢れかえっていた。
「……あった。あそこだ」
俺の視線の先。
アメリカンな看板を掲げた『バーガー・ジャイアント』。
そこには限定一〇〇食の『ドレッドノート・ビーフバーガー』を求める一団が、蛇のような列を作っていた。
「はぁ……はぁ……、れんくん、早すぎるよぉ……」
背後から、息を切らした琴音がようやく追いついてくる。
彼女の白いワンピースの肩には、先ほど落ちた透明な粘液が、まるで大きな穴のように生地を焼き溶かしていた。
「……琴音、服が溶けてるぞ」
「えっ……? あ、本当だ! 嘘、お気に入りだったのに……なんで……?」
琴音が自分の肩を見て顔を青くした、その時だった。
――ドクン。
モール全体を揺らすような、巨大な「心音」が響いた。
「……っ!?」
突如、館内の照明が赤黒く変色し、楽しげだったジャズのBGMが、断末魔のようなノイズと共に掻き消える。
「な、何!? 地震!?」
「電気が……おい、壁が変だぞ!」
周囲の客たちがざわつき始める。
だが、それは序の口に過ぎなかった。
ベチャッ、ジュブッ。
大理石調だった床が、一瞬にして湿った「肉の色」へと変色していく。
壁からは無数の血管が浮き出し、天井からはシャンデリアの代わりに、粘つく胃液を垂らす巨大な「舌」が何本も垂れ下がってきた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁ!!」
悲鳴が上がる。
近くにいた男性が、床から生えてきた「肉の触手」に足を絡め取られ、そのまま床下――いや、この建物の「喉」の奥へと引き摺り込まれていった。
「助けて……助けてくれぇっ!」
男の叫びは、床が「咀嚼」するようなグチャグチャという音にかき消される。
「……っ、総員展開! 一般人を結界内に収容しなさい!」
人混みを掻き分け、神崎雫が数人の黒服を連れて現れた。
彼女の持つデバイスは、もはや警告音ではなく、過負荷による爆発寸前の悲鳴を上げている。
「神崎さん! これ、どうなってるのぉ!?」
琴音が泣き叫びながら、雫に縋り付く。
「白雪さん、無事ですのね!? ……信じられませんわ。この巨大なモールそのものが、一匹の怪異『暴食の胎内(グラトニー・ウォーム)』へと変貌しましたわ! ここにいる数千人の人間は、今まさに『消化』されようとしているのです!」
雫は震える指で印を結び、周囲に青い防護壁を張る。
だが、肉壁となったモールの壁面からは、絶え間なく強酸性の液体が噴き出し、彼女の結界をじわじわと溶かしていく。
「だめ……出力が足りませんわ! この規模、一地方を壊滅させる『特級』……いえ、それ以上ですわよ!」
雫が絶望的な声を上げる中。
俺は、ただ一点を見つめていた。
「……おい」
俺の声は、周囲の悲鳴の中でもはっきりと響いた。
俺の目の前。
さっきまで確かにそこに存在していた『バーガー・ジャイアント』の店舗が。
肉壁から生えてきた巨大な「口」に、丸ごとバクリと、飲み込まれていくところだった。
限定一〇〇食の看板が。
香ばしい匂いをさせていた鉄板が。
俺が今日一日、これだけのために生きると決めた『ドレッドノート・ビーフバーガー』の在庫が。
グチャッ。
肉壁の奥で、無惨な粉砕音が響いた。
「…………」
世界が、止まったように感じた。
「相馬くん! 何をしているのです、早くこちらへ! 建物の出口が閉じる前に脱出経路を物理的に――」
雫の言葉は、最後まで続かなかった。
俺の体から、目に見えるほどの「歪み」が発生したからだ。
ドッ、ドッ、ドッ。
俺の心臓が、一回脈打つたびに。
周囲の空気が、数十トンのプレス機で叩かれたかのように圧縮され、衝撃波となって理不尽な肉壁を押し戻していく。
「……食べたな」
俺は、低く、低く呟いた。
視界が、怒りで赤く染まる。
腹が減っている時に、目の前で飯を取り上げられる。
前世でも今世でも、これ以上の大罪を、俺は知らない。
「……俺の、バーガーを。……俺の、四〇〇〇キロカロリーを……食べたな?」
俺は、ゆっくりと腰を落とした。
一歩、踏み出す。
バギャァァァァァァァァン!!
肉質に変わっていた床が、俺の「体重(質量)」に耐えきれず、半径十メートルにわたって粉砕され、下の階までぶち抜かれた。
「……よ、よいしょ……じゃねえ。……ぶち殺す」
初めて、俺の口から明確な殺意が漏れた。
俺の拳が、静かに握られる。
その拳の周囲では、あまりの「密度」に耐えきれなくなった光が屈折し、真っ黒な球体のような影を作り出していた。
「相馬くん……? 待って、その構え……まさか、この巨大構造物を相手に、正面からやり合うつもりですの!?」
雫の叫びを無視し、俺は「モール(怪異)」の心臓部があるとおぼしき天井を見上げた。
「……全部、吐き出せ。一欠片も残さず、全部だ」
俺の腕の筋肉が、鋼鉄をも超える密度で膨れ上がる。
***
「……神崎。琴音を、一番硬い結界で包んでろ」
蓮の言葉は、短く、そして冷たかった。
「な、何を……まさか、ここを壊すつもりですの!? ここはまだ数千人の一般人が取り込まれているのですわよ! 一歩間違えれば、彼らごと――」
「……吐き出させるって、言っただろ」
蓮が、静かに拳を引き絞る。
その瞬間、モール全体の「空気」が、蓮の拳の一点へと猛烈な勢いで吸い込まれ始めた。
吸気。
あまりにも急激な気圧の変化に、周囲の肉壁が内側へと凹み、雫のデバイスは過負荷で真っ赤な火花を上げて爆発した。
(空気が……空間そのものが、彼の拳に圧縮されていきますわ……!)
雫は本能的な恐怖に突き動かされ、全霊力を振り絞って自分と琴音の周囲に多重結界を展開した。
蓮の右腕が、膨大な熱量を帯びて赤黒く発光する。
それは魔力ではない。
超高密度の筋肉が収縮し、細胞同士が衝突して発生した、純粋な摩擦エネルギーの輝きだ。
「……俺の飯を邪魔する奴は」
蓮が、一歩。
肉質の床を「消滅」させながら踏み込んだ。
「死んでも、許さない」
放たれたのは、ただの正拳突きだった。
ドォォォォォォォォォォォォォォン!!
世界が、一瞬だけ白く染まった。
衝撃波、という言葉では生ぬるい。
蓮の拳が空気を叩いた瞬間、そのベクトル上の「分子」が逃げ場を失い、核融合寸前の圧力となって前方の全てを蹂躙したのだ。
グチャアアアアアアアアアアアアアアッ!!
モールという巨大な怪異の「内臓」が、その圧倒的な圧力によって裏返った。
三階から一階、そして地下まで。
蓮の拳から放たれた「指向性を持つ重圧」が、怪異の喉を抉り、胃袋を突き破り、その構造自体を物理的に「逆流」させた。
「オ、ォ、ォ、ォ、ォ、ォォォォォォォォォ!!」
怪異『暴食の胎内』が、絶叫ともつかない悶絶の声を上げる。
肉壁に飲み込まれていた人々が、店舗の残骸が、そして蓮が狙っていたバーガーショップのカウンターの欠片までもが。
巨大な津波のような衝撃に押し流され、モールの正面入り口――すなわち怪異の「口」から、外の広場へと一気に噴き出された。
「――ひっ、あああああ!?」
雫は、自分の結界が木の葉のように翻弄されるのを感じながら、ただ目を剥いていた。
怪異を倒したのではない。
怪異を「絞り上げた」のだ。
雑巾を絞るように、その巨大な質量を力任せに圧縮し、中にあったものを全て強制排泄させた。
沈黙が訪れた。
数分前まで、巨大な肉の塊だった『アエラ・モール』は。
今や、蓮のパンチによって中心部を完全に貫通された、ただの「鉄屑と肉片のドーナツ」へと成り果てていた。
「…………はぁ」
蓮が、煙の上がる拳をゆっくりと下ろす。
周囲には、怪異から吐き出された人々が、呆然と、しかし五体満足で転がっていた。
蓮の衝撃波は、怪異の肉だけを選別して粉砕し、人々には「逃げ場としての風」として作用するように精密にコントロールされていたのだ。
……本人は、ただ単に「邪魔な肉をどかしただけ」のつもりだろうが。
「……れん、くん……?」
結界が解け、琴音が恐る恐る顔を上げる。
彼女の目の前には、巨大な風穴が開いたモールの無惨な姿があった。
「……お化け、いなくなったの……?」
「……ああ。……それより、琴音」
蓮は、瓦礫の山の中を歩き始めた。
「……俺の、ドレッドノート・ビーフバーガー……」
彼が指差した先には、ひしゃげた鉄板の横に、無惨にも地面に落ちて泥まみれになった、一つの「包み紙」があった。
中身は、もはや判別できない。
怪異に咀嚼され、さらに蓮の衝撃波の余波を受け、ただの「茶色の塊」と化していた。
「…………」
蓮は、その塊をじっと見つめ、そして天を仰いだ。
「……神は、いないのか」
「あ、あのっ、相馬くん!?」
雫が、膝をガクガクと震わせながら駆け寄ってくる。
「あなた、今のがどれほどデタラメな行為か理解していますの!? 特級怪異を内部から物理圧壊させて、生存者を一人も出さずに救出するなんて、現代陰陽師が束になっても不可能ですわよ! 国家陰陽局の全戦力をつぎ込んでも――」
「……うるさい。腹減った」
蓮は、雫の言葉をバッサリと切り捨てた。
「……帰るぞ、琴音。……今日はもう、ダメだ。コンビニのつくね棒で手を打つ」
「えっ!? あ、うん……そうだね! じゃあ、私がお小遣いで、二本買ってあげるよ!」
「……三本」
「もー、よくばりなんだから! わかったよ、三本ね!」
二人の小学生は、壊滅したショッピングモールと、呆然と立ち尽くす特殊部隊を背に、ゆっくりと歩き出した。
「……ありえませんわ。本当に、ありえませんわ……」
雫は、壊れたデバイスを見つめながら、その場に崩れ落ちた。
彼女が信じてきた「霊力の研鑽」も、「複雑な術式」も。
この少年の「腹が減った」という理由から繰り出される一拳の前では、何の意味も持たなかった。
この日、国家陰陽局の最高機密ファイルに、新たな項目が追加された。
【脅威対象:相馬蓮。カテゴリー:特異点。……追記。彼に『限定メニュー』を買い逃させてはならない。日本が滅びる可能性がある】
夕日に照らされた二人の影は、どこまでも平穏で。
その後ろに広がる地獄絵図とのコントラストが、この世界の新しい「絶望(ルール)」を象徴していた。