【朗報】物理、幽霊に効く。 ~最凶の呪いに愛された幼馴染が、最強の転生小学生に物理で救われる話~   作:匿名

5 / 16
第5話 夏休み直前・水泳の授業と「水死体」

 突き抜けるような青い空から、暴力的なまでの太陽光が降り注いでいた。

 

 「……暑い。溶ける」

 

 俺は、プールサイドの熱せられたコンクリートの上で、力なく呟いた。

 

 今日は今年初めてのプール開き。

 周囲の一年生たちは、水しぶきを上げてはしゃぎ回っているが、俺にとっては苦行以外の何物でもない。

 着替えは面倒だし、水に濡れれば体が重くなる(物理的に密度の高い俺の筋肉は、水中でさらに沈みやすくなるのだ)。

 

 ずしり、ずしり。

 

 俺が歩くたびに、コンクリートの表面に微かな亀裂が走り、周囲の子供たちが「なんだ今の音?」と首を傾げている。

 

 「あ、あの……れんくん。……変、かな?」

 

 隣から、消え入りそうな声がした。

 

 振り返ると、そこには紺色のスクール水着に身を包んだ琴音が立っていた。

 

 いつもは隠れている細い肩や、白く柔らかな四肢が露わになっている。

 彼女は顔を真っ赤に染め、両腕で自分を抱くようにして胸元を隠していた。

 少し大きめの赤い丸眼鏡が、気温差のせいか、あるいは彼女の体温が上がっているせいか、白く曇っている。

 

 「……なにがだ」

 

 「な、なにがって……その、水着だよぉ。なんだか、恥ずかしくて……」

 

 琴音はモジモジと足を動かす。

 彼女が動くたびに、日焼け止めの爽やかな香りと、少女特有の甘い匂いが鼻を掠めた。

 

 「……普通だろ。というか、眼鏡拭けよ。前が見えないぞ」

 

 「もー、れんくんは相変わらずだねっ」

 

 琴音は少しだけ安心したように、眼鏡をクイッと直して笑った。

 

 「お二人さん、浮ついている暇はありませんわよ」

 

 その背後から、凛とした涼やかな声が響く。

 

 神崎雫だった。

 彼女もまた指定のスクール水着を着用していたが、その佇まいはまるで高級リゾートのモデルのようだった。

 長い青みがかった黒髪を高い位置でポニーテールにまとめ、防水仕様の霊子演算デバイスを腕に装着している。

 

 「神崎さん! すごぉい、モデルさんみたい……!」

 

 「……当然ですわ。わたくし、神崎家の人間として、どのような装いであっても品格を失うことはありません。……それより、相馬くん」

 

 雫は鋭い視線で、真っ青なプールの水面を見つめた。

 

 「……気づいていまして? このプールの霊子的数値、異常ですわ。……まるで、この底に『巨大な穴』が開いているかのような不気味な吸入反応が出ていますの」

 

 「……穴? 栓でも抜けてるんじゃないか」

 

 「そういう物理的な話ではありませんわ! ……わたくしの予測では、この水の中に、かなりの怨念が混じっています。……本来なら、授業は中止すべきですのに……!」

 

 雫の懸念を余所に、体育の教師が笛を鳴らした。

 

 「よし、全員プールに入れ! まずは腰まで浸かって慣らせよー!」

 

 「わーいっ!」

 「冷たくて気持ちいいー!」

 

 歓声と共に、子供たちが次々とプールへ飛び込んでいく。

 

 「……行こう、れんくん。入っちゃえば、きっと大丈夫だよぉ」

 

 琴音が俺の手を引き、階段からゆっくりと水に足を浸した。

 

 その瞬間。

 

 ピチャッ。

 

 静かだったはずの水面が、琴音の足首に触れた途端、まるで「油」のように不自然に粘り気を帯びた。

 

 「……ひゃっ!? つめたっ……!?」

 

 「どうしたの、白雪さん」

 

 「な、なにか……今、足首を、冷たい指でギュッてされた気が……」

 

 琴音の顔から、一気に血の気が引いていく。

 

 俺もまた、水の中に足を踏み入れた。

 

 (……あー。……これは、面倒だな)

 

 水温は三〇度近い夏日のはずなのに、足の先から伝わってくるのは、凍てつくような「死の冷たさ」だった。

 

 そして。

 

 プールの底、排水口のフィルターの奥から。

 真っ黒な、長い長い「髪の毛」が、意志を持っているかのようにユラリと這い出してきた。

 

 それは一本や二本ではない。

 数百、数千という黒髪が、水流に逆らって琴音の足に絡みつこうと伸びてくる。

 

 「……ギギ……ギギギギギ……」

 

 子供たちの歓声に紛れて、プールの底から、女の啜り泣くような音が響き始めた。

 

 「れんくん! れんくん、怖いっ! なにか、なにかいるよぉぉ!!」

 

 琴音が俺の腕に飛びつき、必死にしがみついてくる。

 

 水面には、いつの間にか無数の「人の顔」のような波紋が浮かび上がり。

 透き通っていたはずのプールの水は、急速に淀んだ「泥水」のような黒へと変色し始めていた。

 

 「くっ……! やはり現れましたわね! 『淵の這い寄り(ウォーター・デッド)』……!」

 

 雫がデバイスを構えるが、彼女の顔には隠しきれない戦慄が浮かんでいた。

 

 「相馬くん、注意なさい! 今回の敵は『液体』そのもの……! あなたの物理攻撃は、水に波紋を立てるだけで、何の意味も持ちませんわよ!!」

 

***

 

「――総員、プールから上がりなさい! これは通常の霊障ではありませんわ!」

 

 雫の鋭い叫びが響くのと同時に、平和だった水面が「爆発」した。

 

 いや、それは爆発というより、水そのものが「意志」を持って跳ね上がったかのようだった。

 

 プールの四方から、半透明の「腕」が何十本も生え、逃げ惑う生徒たちの足首を掴もうと蠢く。

 透き通っていた水は、今や底が見えないほどに濁り、無数の水死体の顔が浮かび上がっては消える、地獄の釜と化していた。

 

 「きゃあぁぁぁぁっ!!」

 

 琴音が短い悲鳴を上げる。

 彼女の膝下まで浸かっていた水が、まるで生き物のように彼女の体に絡みつき、底へと引き摺り込もうとしていた。

 

 「……っ、神崎家秘伝――『氷月陣(ひょうげつじん)』!」

 

 雫が瞬時に符を放ち、琴音の周囲の水を凍らせようと試みる。

 だが、青白い魔力の光が水面に触れた瞬間、それは霧散するように掻き消された。

 

 「嘘……!? 術式が、水そのものに飲み込まれましたわ……!?」

 

 雫の顔に、戦慄が走る。

 彼女は狂ったようにデバイスを操作し、その解析結果に目を見開いた。

 

 「……そんな。これ、ただの怪異ではありませんわ。……このプールに溜まった数百トンの水、その『全分子』が怨念と完全に同化していますの! つまり、このプールの水すべてが一つの巨大な個体……!」

 

 ゴボォォォォォォン!!

 

 プールの中心部が大きく盛り上がり、巨大な「女」の形をした水塊が姿を現した。

 

 顔はない。ただ、水流の中に無数の黒髪が渦巻き、虚ろな「穴」のような場所から、絶え間なく呪詛を吐き出している。

 

 「……アア……ツメ、タイ……苦シイ……オマエモ……コッチヘ……」

 

 「いけませんわ、相馬くん! これには手出しできません!」

 

 雫が、俺の前に立ちはだかるようにして叫んだ。

 

 「いいですか!? 相手は液体ですわ! 質量はあっても、形状を持たない不定形! あなたのどんなに強力なパンチも、水面を叩くだけで威力が分散し、素通りしてしまいますの! 物理的な衝撃では、水を『殺す』ことは不可能ですわ!!」

 

 それは、この世の物理法則に則った、完璧に正しい解説だった。

 

 鋼鉄を砕く拳も、液体という「極限の柔軟性」の前では無力。

 叩けば叩くほど、その衝撃は水流となって逃げ、一瞬で修復される。

 

 「……そうか。面倒だな」

 

 俺は、腰まで水に浸かったまま、気だるげに言った。

 

 水中にうごめく無数の「手」が、俺の腹や腕に触れ、呪いの冷気を流し込もうとしてくる。

 だが、俺の異常な細胞密度は、そんな霊的な侵食すら「冷たいシャワー」程度の刺激としてしか認識しない。

 

 「……れん、くん……苦しいよぉ……っ」

 

 琴音の声が弱まっていく。

 彼女に絡みつく水の腕は、徐々に彼女の体温を奪い、その意識を闇へと引き摺り込もうとしていた。

 

 「相馬くん! わたくしが最大出力の封印陣を組みますわ! それまで、白雪さんを連れて何とか耐えて――」

 

 「……神崎。一分かかるだろ、それ」

 

 「なっ……最速でも、それくらいは……!」

 

 「……一分も待ってたら、琴音が風邪を引く。……それに、この水、なんか生臭くて嫌だ」

 

 俺は、眠そうな目をさらに細めた。

 

 水着が濡れて、重い。

 髪から滴る水が、鬱陶しい。

 

 「……物理が効かないって、お前は言うけど」

 

 俺は、おもむろに水面に右手を差し入れた。

 

 「……液体だろうがなんだろうが、この世にある以上、ただの『物質』だろ」

 

 「何を……何を言っていますの!? まさか、その手を振るうだけで、数百トンの水をどうにかできるとでも――」

 

 雫の言葉が終わる前に。

 

 俺は、水中に突っ込んだ右手を、静かに、しかし「絶対的な意志」を持って握りしめた。

 

 その瞬間。

 

 ドクン!!

 

 プール全体の水が、まるで心臓のように一度だけ、大きく拍動した。

 

***

 

「相馬くん、何をするつもりですの!? 手を離しなさい、引き摺り込まれますわよ!」

 

 雫の悲鳴に近い制止を無視し、俺は水中に突っ込んだ右手に「力」を込めた。

 

 殴るのではない。

 ただ、水中で指先を、目にも止まらぬ速度で微振動させる。

 

 俺の肉体という超高密度の質量が、一秒間に数万回という超高周波で駆動を開始する。

 

 キィィィィィィィィィィィィィィィン!!

 

 鼓膜を突き刺すような、不快な高音がプールサイドに反響した。

 

 「な、何ですの、この音……!? 霊子的数値が……計測不能な熱量へと変換されて……!?」

 

 雫が持っていた演算デバイスが、あまりの異常事態に真っ赤な火花を吹いて沈黙した。

 

 俺の指先が引き起こす振動は、水の分子同士を強制的に衝突させ、極限の「摩擦熱」を発生させる。

 液体が衝撃を逃がす暇すら与えない。

 物理が効かないというのなら、その構成物質そのものを、別の「状態」へ書き換えてやればいいだけの話だ。

 

 「……よいしょ」

 

 俺が、水中で拳を固く握りしめた、その瞬間。

 

 ドォォォォォォォォォォォォォォン!!

 

 プールの中心から、目も眩むような真っ白な「爆煙」が立ち昇った。

 

 数百トンの水が、一瞬で沸点を超え――いや、臨界点すら超えて、爆発的な『相転移(そうてんい)』を起こしたのだ。

 

 「ア……ガ……、アアアアアアアアアア!!」

 

 水の怪異が、断末魔の叫びを上げる。

 依り代としていた水そのものが「気体」へと強制的に変えられたことで、霊体を繋ぎ止める媒体が消失したのだ。

 

 数秒後。

 

 猛烈な水蒸気が風に流され、視界が開けた時。

 

 「…………は?」

 

 雫は、目の前の光景を信じられず、その場にへたり込んだ。

 

 そこにあったのは、満々と水を湛えていたはずのプールではない。

 

 一滴の水分も残らず、カラカラに乾ききった、巨大な「コンクリートの箱」だった。

 

 排水口の奥まで完全に乾燥し、数分前まで蠢いていた黒髪も、水死体の腕も、すべてが「焼失」して塵一つ残っていない。

 

 「水が……消えましたわ……。数百トンの水が……一瞬の運動エネルギーだけで、すべて蒸発した……?」

 

 雫の呟きは、乾いた風に虚しく消えた。

 

 「……ふぅ。……お、終わったよぉ、れんくん……?」

 

 プールの底、水が消えたことで床に尻餅をついた琴音が、恐る恐る目を開けた。

 彼女のスクール水着は、先ほどの熱波であっという間に乾き、むしろ「アイロンをかけたて」のようにパリッとしている。

 

 「……ああ。……あー、やっぱり耳がキーンとする」

 

 俺は小指で耳を掃除しながら、空っぽのプールの底から梯子へと歩き出した。

 

 「相馬くんっ!!」

 

 雫が、膝をガクガクと震わせながら駆け寄ってくる。

 

 「あなたっ! 物理が無効だと言ったのを、力技で『物理法則そのものを書き換える』なんて、反則にも程がありますわよ! これ、どう説明すればいいんですの!? 水道代だって馬鹿になりませんわよ!?」

 

 「……説明? 神崎が上手くやってくれよ。……俺はもう帰る。髪を乾かす手間が省けたのだけは、助かったけど」

 

 俺は、パサパサに乾いた自分の髪を無造作に掻き回した。

 

 「もー、れんくんってば極端なんだから! でも、ありがとう。……おかげで、お化けさんに捕まらなくて済んだよ」

 

 琴音が、少しだけズレた眼鏡を直しながら、満面の笑みで俺の隣に並ぶ。

 

 「……それより琴音。……腹減った。アイス食べたい」

 

 「ふふ、そうだね! 今日は私のおごりで、ソーダ味のアイス買おうか!」

 

 「……二本」

 

 「はいはい、わかったよぉ」

 

 二人の小学生が、空っぽになったプールを背に、のんびりと更衣室へ向かう。

 

 その後ろで、雫は。

 「プールの水が消失した理由」という、絶望的な報告書の内容を考えて、再び天を仰いでいた。

 

 『原因:相馬蓮くんが、水を面倒くさがったため』

 

 そんな真実を提出したところで、国家陰陽局の誰が信じるというのか。

 

 夏休みはまだ、始まったばかりだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。