【朗報】物理、幽霊に効く。 ~最凶の呪いに愛された幼馴染が、最強の転生小学生に物理で救われる話~   作:匿名

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第6話 夏祭りと百鬼夜行、あるいは砂を噛むような夕食について

 夏の夜気は、ねっとりと肌にまとわりつくような熱を帯びていた。

 

 「……人が多すぎる。酸素が薄い」

 

 俺は、地元の神社へと続く参道の脇で、深く溜息をついた。

 

 見上げれば、等間隔に吊るされた提灯が、朱色の光で石段を不気味に、かつ幻想的に照らし出している。

 浴衣姿のカップルや、走り回る子供たち。その喧騒は、俺の「高密度な肉体」にとっては、情報の過積載に他ならなかった。

 

 ずしり、ずしり。

 

 一歩踏み出すたびに、俺の足元では目に見えないほどの衝撃波が石段を震わせている。

 

 「――れんくんっ、待ってよぉ。歩くの早いんだからぁ」

 

 背後から、下駄の「カラン、コロン」という、どこか危うい音が響く。

 

 振り返ると、そこには金魚の模様があしらわれた藍色の浴衣に身を包んだ、琴音が立っていた。

 

 「……どう、かな? お母さんが、絶対にこっちがいいって言って……」

 

 琴音は頬を赤らめ、ずり落ちそうになった赤い丸眼鏡をクイッと押し上げた。

 いつもは二つに結んでいる黒髪が、今日は大人っぽくアップにまとめられている。

 

 彼女が近づくたびに、夏の夜の匂い――湿った土とソースの匂いを掻き消すように、石鹸と、ほんの少しだけ背伸びをしたような花の香水が鼻を掠めた。

 

 「……普通だ。……それより琴音、早くしないと『屋台の王』の焼きそばがなくなる。限定大盛りは一九時から販売開始だ」

 

 「もー、れんくんは花より団子なんだからぁ……。あ、ちょっと待って……っ」

 

 慣れない下駄に足を取られたのか、琴音がつまずき、俺の甚平の袖を両手でギュッと掴んだ。

 

 彼女の指先が、微かに震えているのが伝わってくる。

 

 「……怖いのか。お化け屋敷はあっちだぞ」

 

 「違うよぉ。……なんだか今日、視線が痛いっていうか……。背中がずっとゾワゾワするの」

 

 琴音の『特級避雷針』としてのセンサーが、敏感に反応していた。

 

 俺もまた、その「違和感」には気づいていた。

 

 参道沿いに並ぶ、立ち並ぶ屋台の「影」。

 一見すれば楽しげな家族連れの背後に、ひっそりと、だが確実に「混じっている」ものたちがいる。

 

 目鼻のない童。腕が三本ある男。逆さまに歩く女。

 それらが、祭りの活気に誘われるように、この世界に染み出し始めていた。

 

 (……うるさいな。年に一度の飯時なんだから、大人しくしてろよ)

 

 俺は内心で毒づきながら、琴音を庇うように人混みの中へと踏み込んだ。

 

 「――相馬くん、白雪さん。やはり来ていましたのね」

 

 境内の隅、古びた神木の陰から、雫が姿を現した。

 彼女もまた浴衣姿だが、その手にはしっかりと、いつもの霊子演算デバイスが握られている。

 

 「神崎さん! 浴衣、とっても綺麗……!」

 

 「お世辞は結構ですわ。……それより相馬くん、気づいていますわね? 今夜は最悪ですわ。月の霊導が極大に達し、さらに白雪さんの『避雷針』が重なった。……まもなく、この街の境界が完全に崩れますわよ」

 

 雫のデバイスは、エラーの数値を無機質に点滅させ続けていた。

 

 「境界? ……知ったことか。俺は焼きそばを買いに来ただけだ」

 

 「あなた、この状況でまだそんな……! 見なさい、あそこを!」

 

 雫が指差した先。

 参道の突き当たり、漆黒の闇に包まれた山門から。

 

 ベチャリ、ベチャリと、濡れた生肉を叩きつけるような音が響き始めた。

 

 それは、一人や二人の足音ではない。

 数千、数万の「この世ならざる者たち」が、一斉にこの祭りの会場へと、足並みを揃えて行進を開始していた。

 

 「……ギィィ……」「……ヒョオオ……」「……クワセロ……」

 

 祭囃子が、一瞬で不協和音へと塗り替えられる。

 

 だが。

 

 俺の目は、すでに目的の屋台――山積みにされた、香ばしく湯気を上げるソース焼きそばを捉えていた。

 

 「……待て。……あれが、腐ったら許さないぞ」

 

***

 

「……嘘、ですわ。数が……数が合いませんわよ!」

 

 雫の悲鳴のような叫びと共に、祭りの会場を包む空気が「凍りついた」。

 

 山門の闇から溢れ出してきたのは、もはや個体として認識できる数ではなかった。

 

 首のない馬に跨った武者、内臓をぶら下げて笑う赤子、何十本もの腕をムカデのように動かす女。

 それらが、月明かりを遮るほどの濃密な瘴気を引き連れて、参道を埋め尽くしていく。

 

 「『百鬼夜行』……! これ、ただの怪異の行進ではありませんわ。歩く『異界』そのものですのよ!」

 

 雫が震える手で幾重もの結界を張るが、行進の先頭が通り過ぎるだけで、青白い光の壁はパリン、パリンと、薄い氷のように砕け散る。

 

 周囲の人間たちは、逃げることすら忘れて立ち尽くしていた。

 怪異たちが放つ「死の気配」に触れただけで、人々の生気は吸い取られ、肌は土色に変色していく。

 

 「れ……ん……くん……っ」

 

 琴音が俺の背中に顔を押し当て、激しく震えている。

 彼女の『避雷針』が、この街中の悪意を一箇所に凝縮させ、行進をこの境内へと誘導してしまったのだ。

 

 だが、俺の意識は、すでに目の前の「最悪の光景」に固定されていた。

 

 「……あ」

 

 俺の数メートル先。

 「屋台の王」と書かれた看板を掲げた焼きそば屋。

 

 店主が恐怖で腰を抜かし、鉄板の上では、俺が狙っていた「限定大盛り焼きそば」が、まさに完成の瞬間を迎えようとしていた。

 

 しかし。

 

 ジュゥゥゥ、という快音と共に立ち上るはずの香ばしい湯気が。

 行進の放つ瘴気に触れた瞬間、ドス黒い「煤(すす)」へと変わった。

 

 「ギ、ギギ……」「クワセロ……」「スベテ、クチサセロ……」

 

 怪異の一体が、鉄板の上を這い回る。

 その腐った指先が触れたそばから、黄金色の麺は灰色に染まり、濃厚なソースの香りは、砂を噛むような無機質な臭気へと変質していく。

 

 それは、単なる腐敗ではない。

 生あるものの喜びを、すべて「無」に帰す、呪いの連鎖。

 

 俺の、焼きそばが。

 

 俺の、三〇〇〇キロカロリーが。

 

 目の前で、ただの「灰の塊」へと成り果てた。

 

 「…………」

 

 世界から、音が消えた。

 

 「相馬くん! いけませんわ、下がって! 今の彼らに近づけば、その肉体密度すら呪いの糧に――」

 

 雫の警告は、届かなかった。

 

 ドクン。

 

 俺の心臓が、深く、重く脈打った。

 

 一歩、踏み出す。

 

 バキバキバキッ!!

 

 俺の足元から、蜘蛛の巣状の巨大な亀裂が石畳を走り抜けた。

 それは震動などではない。俺の放つ「静かな怒り」が、物理的な質量となって周囲の空間を押し潰した結果だ。

 

 「……おい」

 

 俺の声は、怪異たちの数千の呪詛を、力技でねじ伏せて響き渡った。

 

 「……お前ら。……俺が、どれだけ楽しみにしていたか、分かってるのか?」

 

 「ギ、ェ……?」

 

 行進の先頭にいた大入道が、当惑したように立ち止まる。

 

 「……人混みを我慢して。暑いのも我慢して。……やっと、口に入るはずだったんだ。……あの、太麺のソース焼きそばが」

 

 俺は、ゆっくりと右手を持ち上げた。

 

 その拳の周囲では、あまりの「殺意の密度」に空気が電離し、バチバチと青白い放電現象が発生していた。

 

 「……死んでも、許さない。……いや、死んでる奴らは、消滅(ゴミ箱)行きだ」

 

 俺の右腕の筋肉が、鋼鉄をも容易く拉(ひしゃ)ぐ圧倒的な密度で膨れ上がる。

 

 「相馬くん……? その構え、まさか……あんな数千の軍勢を、正面から、一人で……!?」

 

 雫は、自分の常識が音を立てて崩れ去るのを感じながら、ただその背中を見つめるしかなかった。

 

***

 

「……ギ、ギギィ、ィ……ッ!!」

 

 行進の先頭に立つ巨大な大入道が、本能的な恐怖に顔を歪めた。

 

 目の前に立つのは、ただの小さな子供だ。

 だが、その子供から放たれる「質量」の圧力が、数千の怪異が集まった瘴気すらも力任せに押し返している。

 

 「相馬くん! いけませんわ、その距離で拳を振るえば、あなた自身の腕が反動で――」

 

 「……うるさい。……集中させてくれ」

 

 蓮の声が響いた瞬間。

 

 ピシリ、と。

 蓮が踏みしめた石畳が、彼の肉体の「密度」に耐えきれず、粉々に砕けて陥没した。

 

 蓮はゆっくりと右拳を引き絞る。

 

 シュォォォォォォォッ!!

 

 凄まじい吸気音が響いた。

 蓮の拳が一点にエネルギーを凝縮するあまり、周囲の空気が真空へと引きずり込まれ、暴風となって境内の木々をなぎ倒す。

 

 「……俺の、焼きそばの恨みだ。……まとめて、消えろ」

 

 蓮の右腕の筋肉が、鋼鉄のワイヤーを束ねたような密度で膨れ上がる。

 あまりの質量密度に、拳の周囲の空間が黒く歪み、光さえも屈折を開始した。

 

 そして。

 

 ドォォォォォォォォォォォォォン!!

 

 夜の静寂を、物理学の暴力が切り裂いた。

 

 蓮が放ったのは、ただの正拳突き。

 だが、その一撃は、音速や概念といった壁を容易く踏み越えた。

 

 蓮の拳が空気を叩いた瞬間、そのベクトル上に存在する全ての分子が「壁」となり、極超音速の衝撃波となって前方へと放射されたのだ。

 

 「ギ、ェ……ッ!?」「ア、ガ、ガガガガガガッ!!」

 

 数千の怪異。

 空を覆っていたドス黒い瘴気。

 地獄から現れた百鬼夜行の軍勢。

 

 そのすべてが、蓮のパンチから放たれた「指向性を持つ大質量の波」に飲み込まれ、文字通り「消滅」した。

 

 霊体としての守りも、異界としての法も、圧倒的な運動エネルギーの前では無意味だった。

 怪異たちは細胞レベルで粉砕され、霧散し、さらにその背後の夜空までもが、衝撃波によって円形に抉り取られた。

 

 ドォォォォォォォ……!!

 

 衝撃は、街の端の山々まで届き、山肌の木々を一瞬でなぎ払う。

 さらに、ちょうどその瞬間打ち上げられたはずの花火が、蓮のパンチの余波によって空中で形をなす前に霧散し、夜空には「衝撃波で雲ひとつなくなった、不気味なほど澄み切った月夜」だけが残された。

 

 沈黙。

 

 祭りの会場に、恐ろしいほどの静寂が戻る。

 

 「…………は?」

 

 雫は、浴衣の裾がボロボロに裂けているのも気づかず、口を半開きにして立ち尽くしていた。

 

 演算デバイスの画面には、信じられないログが刻まれている。

 【測定限界超過。局地的重力崩壊を確認。……推定威力:戦術級兵器を凌駕。……結論:ただの殴打】

 

 「殴打……。ただのパンチで、概念上の百鬼夜行を、夜空の雲ごと吹き飛ばしましたわ……。……ありえませんわ。本当に、ありえませんわ……」

 

 「……ふぅ。……よいしょ」

 

 蓮は、熱を持って煙を上げる自分の右拳を、パッパと振った。

 

 「……あー、やっぱり本気で殴ると、お腹が空く」

 

 「れ……れんくん……? お化けさん……みんないなくなっちゃった……?」

 

 琴音が、震えながら蓮の甚平の背中から顔を出す。

 彼女の目の前には、もはや一体の怪異もおらず、ただ「完璧に清掃された」かのように清々しい夜の参道が広がっていた。

 

 「……ああ。……ゴミ掃除、終わった。……でも、焼きそばが……」

 

 蓮は、灰と化した焼きそばの屋台を見つめ、深いため息をついた。

 

 「あ、あのっ、相馬くん! 今の攻撃は、国家安全保障上の問題になりますわよ! どう説明するつもりですの!?」

 

 雫が、膝をガクガクと震わせながら詰め寄ってくる。

 

 「……説明? 『花火が不発だった』ってことにしとけ。……それより、神崎」

 

 蓮が、気だるげな目で雫を射抜いた。

 

 「……お前、屋台の優待券とか、持ってないのか。……代わりの飯、探さないと、俺、ここから動けないんだけど」

 

 「…………」

 

 雫は、崩れ落ちた。

 

 数千の怪異を滅ぼした英雄の第一声が「代わりの飯」であるという事実に、彼女はついに、思考することを放棄した。

 

 「ふふ、れんくん。じゃあ、あっちのチョコバナナ、私のお小遣いで買ってあげるよ!」

 

 「……三本」

 

 「もー、焼きそばの分まで食べようとしてるでしょ! わかったよ、三本ね!」

 

 澄み渡った満月の下、二人の小学生は、呆然とする群衆を置き去りにして、再び屋台へと歩き出した。

 

 その背後で、雫は一人、「パンチ一発で更地になった山」の報告書をどう書くべきか悩み、天を仰いで絶叫を堪えていた。

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