【朗報】物理、幽霊に効く。 ~最凶の呪いに愛された幼馴染が、最強の転生小学生に物理で救われる話~ 作:匿名
標高の高いこの村でも、真昼の太陽は容赦なく地上を焼いていた。
「……暑い。避暑地っていうのは、概念上の嘘か?」
俺は、村の入り口にある古びたバス停のベンチに座り、深く溜息をついた。
甚平の隙間を抜ける風は確かに下界より涼しいが、俺の「超高密度な肉体」が発する内熱を冷ますには、あまりにも頼りない。
「もう、れんくん! せっかくの旅行なんだから、そんな顔しないでよ!」
眩しい光の向こうから、鈴を転がすような声が響く。
振り返ると、そこにはいつもの学校生活では見ることのできない、完璧な『夏の少女』がいた。
白雪琴音。
彼女は、透けるような薄手の白いサマードレスに身を包んでいた。
ノースリーブから伸びる細い腕は、降り注ぐ陽光を反射して発光しているかのように白い。
頭には大きなリボンのついた麦わら帽子。
彼女がくるりと回ると、ドレスの裾がふわりと広がり、そこから日焼け止めの瑞々しい香りと、少女特有の甘い匂いが熱気に混じって漂ってきた。
「……どうかな? 似合ってる……?」
琴音は帽子の縁を両手で掴み、少し顎を引いて俺の顔を覗き込んでくる。
赤い丸眼鏡の奥の瞳が、期待に満ちて潤んでいた。
「……普通だ。……白すぎて、雪女かと思った」
「もー! れんくんってば、もっと他に言い方があるでしょぉ!」
琴音がぷうっと頬を膨らませる。
その隣で、雫が苦々しい顔で周囲を警戒していた。
「白雪さん、はしゃぐのは構いませんが、相馬くんの側を離れないことですわ。……この村、おかしいですわよ」
雫は、浴衣風のワンピースという機能性重視の私服姿ながらも、その手にはしっかりと霊子演算デバイスを握っている。
「……何がだ。……静かでいいじゃないか」
俺は欠伸をしながら、人気(ひとけ)のない村の通りを見渡した。
「静かすぎますのよ。……ヒグラシの声は聞こえますが、鳥の声も、風の音も……いえ、生き物の『気』が、この村からは一切感じられませんわ。まるで、世界からここだけが切り取られているような……」
雫の指摘通り。
目の前に広がる村――『神里(かみさと)村』は、あまりにも「完成された静寂」の中にあった。
打ち水がされた路地、揺れる風鈴。
しかし、家の窓はすべて閉ざされ、誰一人として外を歩いていない。
「……あ、見て! あそこのお社の横に、綺麗なひまわりが咲いてるよっ!」
琴音が、参道の奥にある小さな祠(ほこら)を見つけて駆け出した。
「あ、琴音! 勝手に行くな、面倒だろ……」
俺が立ち上がろうとした、その瞬間。
ピタリ、と。
世界から、音が消えた。
耳を劈(つんざ)くようだったヒグラシの声が、まるでスイッチを切ったかのように一斉に止んだ。
「……っ!? 霊圧が、消失……!? いいえ、全周が『神域』に上書きされましたわ!」
雫が叫ぶ。
目の前の陽炎(かげろう)が、ぐにゃりと歪んだ。
琴音が、ほんの数メートル先で足を止める。
「れんくん……? 神崎さん……? ……なにか、聞こえる……」
琴音が、麦わら帽子を押さえながら振り返ろうとした。
ズズ……ズズ……。
何百トンもの巨岩を引き摺っているような、重く、巨大な「音」が、空の上から降ってきた。
「琴音、戻れ!」
俺は、初めて明確な速度で踏み出した。
ドォォォォン!!
石畳を砕き、空気を切り裂いて手を伸ばす。
だが、俺の指先が琴音の白いドレスに触れる直前。
彼女の足元の影が、まるで生き物のように跳ね上がり、彼女の体を優しく、しかし抗いようのない力で包み込んだ。
「……あ」
琴音が、短く声を漏らす。
赤い丸眼鏡が、カランと音を立てて石畳に落ちた。
次の瞬間、陽炎が弾けるような音と共に、琴音の姿は、影の中に、あるいは世界の隙間の中に――完全に消失した。
後には、ただ静まり返った村の通りと。
石畳の上で、主を失って虚しく光を反射している赤い丸眼鏡だけが残された。
「……神隠し。……伝説通り、この村の『土地神』が彼女を……!」
雫が、恐怖に震える声で呟く。
俺は、無言で落ちていた眼鏡を拾い上げた。
「……あー。……あーあ。……眼鏡、ちょっと傷ついてるじゃないか」
俺の声は、低く、澱(よど)んでいた。
「……神様かなんか知らないけど。……人の幼馴染を、勝手に連れ去って。……しかも、大事な眼鏡を落とすなんて」
俺は、拾った眼鏡を懐にしまい込む。
「……神崎。……どっちに行った」
「わ、分かりませんわ……! 空間が完全に断絶していますの! ここはもう現実ではなく、あの方の『体内(異界)』! 入り口を見つけるだけで数日は――」
「……数日? ……寝言を言うな。……晩ごはんまでに帰るって、約束したんだぞ」
俺は、村の背後に聳(そび)え立つ、巨大な山脈を見上げた。
その山そのものが、巨大な「意志」を持って俺たちを見下ろしているのを感じる。
「……入り口が分からないなら。……全部、平らにして探すだけだ」
俺は、一歩、踏み出した。
その瞬間、村全体の地面が、数センチほど沈み込んだ。
***
「……神隠し、だけではありませんわ。この村全体が、あの方の『食卓』に変わっていますのよ!」
雫の叫びが、無音の村に虚しく響く。
琴音が消えた直後、村を包む色彩は急速に失われていった。
空はどんよりとした鉛色に変色し、鮮やかだったひまわりの花は一瞬で灰へと崩れ落ちる。
現実世界から切り離された『神域』――そこは、土地神という名の巨大な怪異が支配する、逃げ場のない胃袋だった。
ズゥゥゥゥゥン……!!
突如、鼓膜を直接揺らすような地響きがした。
「な、何ですの……!? 揺れではありませんわ、これは……『重圧』!?」
雫が顔を上げ、空を見上げて絶叫した。
何もない空間。
だが、そこには確かに「形」が存在していた。
バキバキバキッ!!
俺たちの数十メートル先、一軒の民家が、まるで巨大な足で踏みつけられたかのように屋根から粉々に押し潰された。
何者もいない。何も見えない。
ただ、透明な「何か」が、この村を悠然と歩き始めているのだ。
ズゥゥゥゥゥン……!!
また一つ、足音が響く。
今度は、先ほどよりも確実にこちらへ近づいている。
「相馬くん、逃げなさい! あれは物理的な実体を持たない『概念の歩行』ですわ! 神様がこの土地を更新(踏み固めて)いるのです! わたくしたちのような不純物は、ただそこにいるだけで存在を抹消されますわよ!」
雫がデバイスを狂ったように操作する。
「……ダメですわ、座標が確定できません! あの方はこの空間そのもの……! どこを殴っても、空気を叩くのと同じですのよ!」
「……空気、か」
俺は、懐にしまった琴音の眼鏡の感触を確かめた。
見えない神様。
触れられない異界。
そんな理屈、俺には関係ない。
(……腹が立つ。……暑いし、眠いし、琴音はいないし。……挙句の果てに、上から目線で踏みつぶそうってか)
俺の肉体という「異常な密度」が、周囲の神域を拒絶するようにバチバチと火花を散らす。
ズゥゥゥゥゥン……!!
三度目の足音。
ついに、俺たちの目の前にある石鳥居が、見えない「足」によって塵一つ残さず粉砕された。
「次ですわ! 次はここに来ますわよ! 相馬くん、早く……っ!」
「……神崎。お前、さっき『この空間そのもの』って言ったな」
俺は、腰を深く落とした。
「……実体がないなら。……この『箱』ごと、ぶち壊せばいいだけだろ」
「なっ……何を……? 箱って、この異界を!? そんなこと、世界の因果律を物理で破壊するなんて――」
雫の言葉を遮るように、俺は右拳を引いた。
ただの正拳突きの構え。
だが、その瞬間。
俺の周囲の地面が、ミシミシと音を立てて陥没を始めた。
「……よいしょ」
俺の右腕の筋肉が、鋼鉄のワイヤーを限界まで巻き上げたような密度で膨れ上がる。
見えない神の足が、俺の頭上へと振り下ろされる。
空間が歪み、絶対的な死の圧力が俺を押し潰そうとした、その刹那。
「……そこ、邪魔だ」
俺は、真上の「虚空」に向かって、拳を突き出した。
***
「――消えろ」
蓮の拳が、虚空を撃ち抜いた。
その瞬間、世界から全ての音が奪われた。
蓮の放った一撃は、もはや「パンチ」という物理現象の枠を超えていた。
彼の拳が空気を叩いた刹那、その全運動エネルギーが一点に集中し、周囲の空間そのものを強引に「圧縮」したのだ。
「ガ、ッ……ギ、ィ……アアアアアアアア!!」
何もないはずの空間から、絶叫が響いた。
目に見えない、触れられないはずの土地神。
その「概念」が、蓮が作り出した超高圧の気圧壁に無理やり捕らえられ、実体化を余儀なくされたのだ。
透明だった「神の足」が、圧縮された空気の摩擦熱で真っ赤に発光し、歪んだ肉塊となって空中に露わになる。
「嘘……。神様を……この土地の理そのものを、ただの『質量』として捉えたというのですの……!?」
雫の戦慄を余所に、衝撃波は止まらなかった。
ドォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!
神域という閉鎖空間が、内側からの膨大な圧力に耐えきれず、風船のように「破裂」した。
衝撃波は村を抜け、背後に聳える巨大な山脈へと直撃する。
標高千メートルを超える岩山が、蓮の拳から放たれた「指向性の重圧」に触れた瞬間、豆腐のように脆く崩れ去った。
岩石は分子レベルで粉砕され、土砂は凄まじい風圧によって地平線の彼方まで吹き飛ばされる。
「あ……あ……」
雫は、目の前の光景に魂を奪われたように立ち尽くした。
そこには、もう山はなかった。
数秒前まで空を遮っていた険しい山脈は、跡形もなく消え去り。
代わりに、定規で引いたかのように「真っ平らな大地」が、夕陽の向こう側まで続いていた。
神隠しの異界は消滅し、世界に色が戻る。
「……ふぅ。……よいしょ」
蓮は、軽く右肩を回すと、何事もなかったかのように地面を見やった。
「……れん、くん……?」
山が消えた「更地」の真ん中で、琴音がポツンと座り込んでいた。
白いサマードレスは少し汚れているが、幸い怪我はないようだ。
彼女は、自分がさっきまでいた「神の社」が、今はただの「砂利の山」に変わっているのを見て、パチクリと目を丸くさせている。
蓮は無造作に歩み寄り、彼女の前にしゃがみ込んだ。
そして、懐から取り出した赤い丸眼鏡を、そっと彼女の鼻に掛け直す。
「……ほら。落とし物だぞ、琴音」
「あ……ありがとう、れんくん。……お化けさん、どこ行っちゃったの?」
「……どっか遠くに行った。……それより、道が平らになったから、帰りやすくなったぞ」
蓮は、かつて山があった「水平線」を指差した。
「相馬くんっ!!」
雫が、這うようにして二人に駆け寄ってきた。
彼女の目には、もはや論理的な思考の色はない。
「あなたっ! あなたっ!! 山を……山を消すなんて、地質学的なテロですわよ! 地図はどうするんですの!? これ、明日の朝には日本中の衛星がこの異変を察知して、国家レベルの騒ぎになりますわよ!!」
「……地図? 書き直せばいいだろ。……それに、入り口を探して山歩きするより、こうして平らにしたほうが歩く距離が短くて済む」
「その……その利己的な理由だけで、県の地形を書き換えましたのぉぉぉぉ!!」
雫の絶叫が、新しく出来た「広大な平野」に虚しく響き渡る。
「……うるさいな、神崎。……ほら、琴音。もう夕方だ。……晩ごはん、ハンバーグだって言ってたろ」
「えっ!? 本当!? やったぁ! 私、チーズ乗せるのがいいな!」
「……俺は、目玉焼き二個」
二人の小学生は、呆然とする雫を置き去りにして、夕陽に向かって真っ直ぐに伸びた「新しい道」を歩き始めた。
その後ろで、雫は。
「消失した山脈」という、もはや言い逃れ不可能な報告書のタイトルを思い浮かべ、その場に突っ伏して号泣した。
『原因:相馬蓮くんが、近道をしたかったため』
そんな真実を提出した瞬間、自分のキャリアどころか、国家陰陽局の存在意義が終わることを、彼女は確信していた。
避暑地の夏。
神隠しの恐怖は、一人の少年の「面倒くさい」という一言と共に、物理的な質量の下に永久に埋葬された。