【朗報】物理、幽霊に効く。 ~最凶の呪いに愛された幼馴染が、最強の転生小学生に物理で救われる話~   作:匿名

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第8話 夏休み最終日の宿題、および地下に眠る古のノイズについて

 八月三十一日。

 この日付は、この国の多くの子供たちにとって、ある種の宗教的な絶望を伴う死神の宣告に等しい。

 空はどこまでも高く、突き抜けるような青を湛えているが、そこから降り注ぐ陽光はもはや祝福ではなく、残された時間の少なさを嘲笑うカウントダウンの火花のように感じられた。

 

 「……終わらない。どう考えても物理的に、時間が足りない」

 

 相馬家のリビング。

 冷房が微かに唸る室内で、俺――相馬蓮は、目の前に広げられた『夏休み漢字ドリル・総まとめ編』という名の地獄を前に、深いため息を吐き出した。

 手にしたシャーペンが、俺の指先の僅かな力加減で「パキッ」と乾いた音を立てて折れる。これで今日、十本目だ。俺の超高密度な肉体は、鉛筆の芯という繊細な物質を扱うにはあまりにも不向きだった。

 

 俺の脳内では、前世のゲーマーとしての知識が「このクエストの難易度は調整ミスだ」と警鐘を鳴らし続けている。

 一ページに詰め込まれた「進」や「練」といった漢字の羅列。これを何百回と繰り返す苦行に、一体どのような経験値が設定されているというのか。報酬は「明日、先生に怒られない」という一点のみ。あまりにもコストパフォーマンスが悪すぎる。

 

 「よいしょ……。あー、指が重い」

 

 俺の腕の筋肉は、一本が鋼鉄のワイヤー以上の密度を持っている。普通にペンを動かすだけで、机の表面には俺の筆圧による深い溝が刻まれていく。気を抜けば、リビングのテーブルごと真っ二つに叩き割ってしまうだろう。

 この「質量」を制御しながら、ミリ単位の文字を書くという行為は、実は特級怪異をワンパンで沈めるよりも遥かに高度な精密操作を要求されるのだ。

 

 「……れんくん、まだ漢字やってるの? もう三時間もそこに座りっぱなしだよぉ」

 

 背後から、涼やかな鈴の音のような声がした。

 振り返ると、そこには白いノースリーブのワンピース姿の琴音が立っていた。彼女の肌は夏の太陽を反射して発光しているかのように白く、その瑞々しい佇まいは、このドリルという名の腐臭漂う戦場における唯一のオアシスだった。

 

 「……琴音か。自由研究は終わったのか」

 

 「うん! 図書館でいい本を見つけたから、あとはそれをまとめるだけなんだ。ほら、これだよ!」

 

 琴音が自慢げに差し出してきたのは、一冊の古びた書籍だった。

 表紙は、何らかの生物の皮で装丁されているかのような、ヌメりとした独特の光沢を放つ深い紫色。そこには金色の糸で、およそこの世の言語とは思えない、歪んだ幾何学模様が刺繍されていた。

 一目見ただけで、俺の「本能」が告げている。

 それは図書館の一般貸出棚に置いてあっていい代物ではない。歴史資料というよりは、封印された呪物。あるいは、開いた者の理性を根こそぎ奪う禁忌の魔導書だ。

 

 「……琴音、それをどこで拾った」

 

 「え? 駅前の図書館の、地下にある『特別郷土資料室』だよ? 扉が開いてたから入ってみたら、この本が『読んでー』って呼んでる気がして」

 

 「…………そうか」

 

 呼んでいたのではない。それは獲物を誘う捕食者の呼び声だ。

 琴音の『特級避雷針』としての体質が、街の底に封印されていた最悪のノイズを引き寄せてしまったらしい。

 しかし、今の俺にはそれを詳しく解析する余裕はなかった。俺の視界の端では、ドリルの残りページ数が「二十四」という絶望的な数値を叩き出している。

 

 「ねえねえ、聞いてよ。この本にね、面白いことが書いてあるんだ。この街の地下には、とっても大きな『お星様』が眠ってて、そのお星様が起きると、みんな幸せな夢を見ながら土に帰るんだって! ロマンチックじゃない?」

 

 「……それは、全人類の強制終了(バッドエンド)っていう意味だぞ」

 

 「えー? そんな怖いこと言わないでよぉ。ほら、ここにある呪文……じゃなくて、古い言葉を読み上げると、お星様と仲良くなれるって書いてあるよ。ちょっと読んでみるね?」

 

 「待て、琴音。それはフラグだ。絶対に――」

 

 俺の制止よりも早く、琴音がその禁忌のページを捲った。

 その瞬間、リビングの温度が急速に下がり始めた。八月の熱気が一瞬で凍りつき、窓の外で鳴いていたヒグラシの声が、まるで首を跳ねられたかのように一斉に止む。

 

 「――『奈落の底に這い寄る、名もなき混沌の主よ。千年の眠りを経て、今ここに白雪の呼び声に応えん』……かな? なんだか舌を噛みそうな名前だね」

 

 琴音が無邪気にその言葉を紡いだ刹那。

 

 ドクン……!

 

 大地そのものが、巨大な心臓となったかのように大きく脈打った。

 家全体が軋み、食器棚のグラスが不快な音を立てて震える。

 

 「……っ!? 計測不能……!? 全周全方位、霊子圧が臨界を突破しましたわ!!」

 

 庭の生垣の影から、神崎雫が絶叫しながら飛び出してきた。

 彼女は隠密監視用の黒スーツ姿のまま、発狂したようにアラートを鳴らし続けるデバイスを俺たちに突き出す。

 

 「相馬くん! 白雪さん! 今すぐそこから離れなさい! この街の地下四千メートル……封印されていた邪神『グラドス=メア』が覚醒しましたわ! このままだと、半径五十キロメートルが次元の狭間に飲み込まれますわよ!!」

 

 雫の顔は、これまでに見たことがないほど蒼白だった。

 国家陰陽局のトップエリートである彼女が、デバイスを握る手をガタガタと震わせ、恐怖で歯を鳴らしている。

 

 ズズズズズ……ッ!

 

 庭の地面がひび割れ、そこから不気味な赤黒い粘液を滴らせた、巨大な触手が何本も這い出してきた。

 触手には無数の「目」と「口」が並び、それらが一斉に、意味をなさない狂気の呪詛を吐き散らす。

 街の各所から悲鳴が上がり、地中からは巨大な「何か」が浮上してくる不気味な震動が伝わってくる。

 

 「あああ……世界が終わりますわ……。歴史に記された『終焉の刻』が、こんな宿題の最中に訪れるなんて……!」

 

 雫が膝をつき、祈るように目を閉じる。

 琴音もまた、自分が呼び起こしてしまった事態の大きさに気づき、本を抱えたままガタガタと震え始めた。

 

 「れ、れんくん……地面からお化けがいっぱい出てきたよぉ……! どうしよう、自由研究どころじゃないよぉ……っ!」

 

 混沌が、この平和なリビングを飲み込もうとしていた。

 邪神の覚醒に伴う空間の歪みが、物理法則を書き換え、現実を悪夢の色に染めていく。

 

 だが。

 

 そんな人類滅亡の危機の中で。

 俺は、ただ一点を凝視していた。

 

 俺の手元。

 漢字ドリル、四十ニページ目。

 

 邪神が覚醒した際の、最初の大きな揺れ。

 その衝撃によって、俺がまさに書き終えようとしていた最後の一文字――『薔薇』の『薇』の字が。

 

 筆圧の逃げ場を失い、ドリルの紙を貫通して、下の机まで深く抉るような「黒い線」となって、無惨にページ全体を汚していた。

 

 「…………あ」

 

 俺の口から、乾いた声が漏れる。

 

 三時間。

 俺がこの超高密度な指先をミリ単位で制御し、精神を磨り減らしながら、ようやく積み上げてきた努力。

 「明日、先生に怒られない」という、唯一の希望。

 

 それが、地下で眠っていたという得体の知れない神の「寝返り」によって、ゴミクズ同然に汚されたのだ。

 

 「…………おい」

 

 俺の声は、低く、地這うような響きを帯びていた。

 それは雫のデバイスが警告する「邪神の咆哮」よりも、遥かに重く、物理的な質量を伴ってリビングの空気を圧壊させた。

 

 「相馬……くん……?」

 

 雫が、恐怖とは別の「何か」を感じ取り、顔を上げる。

 

 俺は、無言で立ち上がった。

 俺の身体が僅かに動いただけで、周囲の空間がミシリと軋み、邪神が放つ瘴気が、俺の「存在の重み」だけで四散していく。

 

 「……神崎。……琴音」

 

 「は、はいっ!」

 「ふぇ……?」

 

 「……宿題を邪魔されることが、どれだけ重大な『仕様変更』か。……この世界の開発者(かみ)に、一度教えてやる必要があるな」

 

 俺は、リビングの掃き出し窓から、庭へと一歩踏み出した。

 

 ドォォォォォォン!!

 

 俺の右足が地面に触れた瞬間、庭の芝生が一瞬で円形に押し潰され、這い出してきた邪神の触手たちが、衝撃波だけで消滅(デリート)された。

 

 視線の先、街の地下から浮上してこようとする、巨大な異形の神の気配。

 そいつが完全に現世に顕現するまで、あと数分。

 

 だが、俺にはその数分すら、待つのが面倒だった。

 

 「……よいしょ」

 

 俺は、軽く右拳を引いた。

 

 俺の心臓が、一回、深く脈打つ。

 周囲の空気が一気に吸い込まれ、真空状態となった庭に、不気味な静寂が訪れる。

 

 「……日記に書くのも面倒なノイズだ。……地下四千メートルで、永遠に寝てろ」

 

 俺の腕の筋肉が、光さえも屈折させるほどの密度で膨れ上がる。

 

 それは邪神への怒りではない。

 「漢字ドリルをやり直さなければならない」という、この世の全ての理不尽を集約したかのような、純粋な絶望と殺意の結晶だった。

 

 「相馬くんっ! 待って、その構えは……! ここ、住宅街ですわよ!? 出力設定を間違えれば、地殻変動が――」

 

 「……大丈夫だ。……垂直に、叩き込むだけだ」

 

 俺の右拳が、ゆっくりと、しかし絶対的な「終焉」を伴って、振り下ろされた。

 

庭先に立った俺の足元で、湿った土が悲鳴を上げた。

 それは単に踏み固められたというレベルではない。俺の全身を構成する「超高密度な細胞」が、一歩ごとに数トンの質量を地面へと叩きつけているのだ。俺が歩くたび、地球という球体そのものが僅かに軸をずらしているのではないかという錯覚に陥る。

 

 「相馬くん、やめなさい! そこから拳を叩き込めば、この街の地盤そのものが液状化して消滅しますわ! 邪神を倒す前に、わたくしたちが物理法則の藻屑となってしまいますわよ!」

 

 背後で、雫が必死に叫んでいる。彼女の目には、もはや俺が「人間」としては映っていないのだろう。彼女が持つデバイスが弾き出す数値は、もはや「攻撃力」や「霊力」といった既存のカテゴリーを放棄し、ただ『特異点による事象の崩壊』という絶望的な文字列を点滅させていた。

 

 だが、今の俺の耳に、そんな常識的な警告は届かない。

 俺の意識の全ては、リビングの机に残された一冊の漢字ドリルへと注がれていた。

 

 あの『薇』という字。

 草冠の下に、山があり、一があり、その下に微かなバランスを保つための複雑な構造がある。前世の記憶を総動員しても、常用漢字の中でも屈指の「クソゲー仕様」と呼べるあの難読漢字。俺はそれを、この異常なほど太い指先をミリ単位で制御し、精神を研磨するようにして書き進めていたのだ。

 

 あと一画。

 最後のハネを美しく書き終えれば、俺の「夏休み」という名のクエストは完遂されるはずだった。

 

 それを、地下四千メートルで寝惚けていた古臭い神様が、余計な震動で台無しにしてくれた。

 

 「……ギ、ギギィ、ィ……ッ!!」

 

 地面の亀裂から溢れ出す触手たちが、俺の全身を縛り上げようと絡みついてくる。

 一本が電柱ほどもある太い触手には、粘つく粘液と、見た者の理性を狂わせる無数の瞳がびっしりと並んでいる。それらが俺の肌に触れた瞬間、常人なら肉体ごと腐食し、精神を汚染されて廃人となるだろう。

 

 だが。

 

 「……邪魔だ。纏わりつくな、不潔なノイズめ」

 

 俺が僅かに肩を回しただけで、俺の肉体に触れていた数百本の触手たちが、一瞬で「破裂」した。

 それは切断されたのではない。俺の肉体が放つ圧倒的な「存在の圧力」に耐えきれず、触手という細胞組織そのものが、内側から爆発的な圧潰を起こしたのだ。

 

 空からは、赤黒い邪神の血が雨のように降り注ぐ。

 俺の白い甚平が汚れていくが、それすらも今の俺にはどうでもよかった。

 

 「……さて、地下の住人さん。……一画(ひとふで)の重みを、教えてやる」

 

 俺は深く、深く腰を落とした。

 俺の右足が地面を捉えた瞬間、半径五十メートル以内の重力場が異常な歪みを見せ始めた。周囲の小石や折れた木々が、重力から解き放たれたかのように空中に浮かび上がり、それらが俺の「右拳」という一点へと吸い寄せられていく。

 

 空気が、消えていく。

 俺が右腕を引き絞る動作そのものが、周囲の空間から全ての気体を奪い去り、文字通りの真空地帯を作り出していた。

 

 「あ、ああ……。空が、夜のようになりますわ……」

 

 雫が呆然と天を仰いだ。

 

 俺の右拳の周囲では、あまりの質量密度に耐えきれなくなった光が屈折し、真っ黒な球体のような「影」を作り出している。

 それは魔力でも霊力でもない。

 ただひたすらに、俺の肉体という物質を「圧縮」し、「一点に集中」させた結果生じた、物理学の敗北である。

 

 地下四千メートル。

 そこに眠る邪神『グラドス=メア』は、ようやく悟ったに違いない。

 数千年前、かつての英雄たちが命を賭して自分を封印した際、そこにはまだ「希望」があった。だが、今、自分を引き摺り出そうとしているのは、希望などではない。

 それは、宿題を邪魔されたことに対する、純粋で無機質な「作業的殺意」だ。

 

 「……よいしょ」

 

 俺の唇が、小さく動いた。

 

 ドォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!

 

 世界が、一瞬だけ白く染まった。

 

 俺が放ったのは、ただの正拳突き。

 しかし、それは「前方」へ放たれたものではない。

 

 俺の拳は、真下の地面――地球の深部へと、正確無比な垂直方向へ、全ての運動エネルギーを叩き込んだ。

 

 衝撃波が、地殻を貫通する。

 一秒間に数万回という超高速の振動を伴った衝撃は、地面を割るのではなく、地面を「液状化」させ、さらに「分子レベルで圧縮」しながら突き進んでいく。

 

 地下一千メートル。かつての古戦場の跡地が、一瞬で更地となる。

 地下二千メートル。未知の鉱脈が、蓮のパンチの圧力で一瞬にして「ダイヤモンド」へと変質する。

 地下三千メートル。古の神殿の瓦礫が、原子の塵へと分解される。

 

 そして。

 地下四千メートル地点。

 まさに地上へと這い出そうとしていた、山脈ほどもある邪神の本体。

 

 そいつが、蓮のパンチから放たれた「指向性の重圧」と正面衝突した。

 

 「……ゴ、ブ……ッ!?!?!?」

 

 邪神には、悲鳴を上げる暇すら与えられなかった。

 概念的な不死性も、物理無効の結界も、空間跳躍による回避も、全てが無意味だった。

 蓮の拳から放たれたのは、もはや「攻撃」ではない。それは、宇宙の始まりに匹敵する「密度の押し付け」だ。

 

 邪神『グラドス=メア』の巨大な肉体は、蓮のパンチの余波によって、一瞬で「一辺十センチメートルの立方体」にまで圧縮された。

 

 数百メートルの巨体が、極限まで押し潰され、ただの高密度な「肉の塊」へと変わり、さらにその重圧によって、地下の岩盤に深く、深く、永遠に封印された。

 

 ドォォォォォ……。

 

 余波が、街全体を僅かに震わせる。

 

 だが、その震動は驚くほど短く、そして正確にコントロールされていた。

 蓮が放ったエネルギーの九十九・九パーセントは、垂直方向にのみ指向されていたため、地上の住宅街には、窓ガラス一枚割れるほどの被害も出ていない。

 

 沈黙が訪れた。

 

 空を覆っていた赤黒い雲は、衝撃波で吹き飛ばされ、そこには再び、八月三十一日の、どこまでも澄み渡った青空が戻っていた。

 

 「…………は?」

 

 雫は、手に持っていた演算デバイスを落とした。

 デバイスは地面に触れる前に、過負荷で黒焦げの炭と化している。

 

 「……倒した……? いいえ、違う。……消去(デリート)したのですわ……。神話に記された終焉を、ただの『一突き』で、何事もなかったかのように……」

 

 「……ふぅ。……お腹空いたな」

 

 俺は、煙の上がる右拳をパッパと振り、何事もなかったかのようにリビングへと戻り始めた。

 

 庭の真ん中には、直径一メートルほどの、深さすら測定不能な「真っ直ぐな穴」が空いている。その底では、圧縮された邪神がダイヤモンドの地層に挟まれ、今度こそ永遠に、沈黙を守ることだろう。

 

 「れ、れんくん……! お化けさん、どこ行っちゃったの?」

 

 リビングの窓際で、琴音が目を白黒させていた。彼女の腕の中には、まだあの紫色の本が抱えられている。

 

 「……あいつなら、もっと深いところに引っ越した。……それより琴音」

 

 俺は、机の上のドリルを指差した。

 

 「……見てみろ。……『薇』の字が、震動のせいで、こんなに派手に汚れた」

 

 「えっ? ……あ、本当だ。……うわぁ、これ、先生に見せたら怒られちゃうかも……」

 

 「……だろうな。……また明日、居残りで書かされるに違いない。……あの邪神(クソゲー)、余計な置き土産をしていきやがって……」

 

 俺は、折れたシャーペンの芯を替えながら、深い溜息を吐き出した。

 世界を救ったという実感など、一欠片もない。

 俺にあるのは、ただ「一文字を書き直さなければならない」という、底なしの徒労感だけだった。

 

 「相馬くんっ!!」

 

 雫が、泥だらけのスーツのままリビングに飛び込んできた。

 

 「あなたっ! あなたという人はっ! 今の攻撃、どれだけのエネルギー係数だと思っていまして!? これ、本局になんて報告すればいいんですの!? 『宿題を邪魔されたので地球に穴を開けました』なんて、わたくしの正気を疑われますわよ!!」

 

 「……報告? 『夏休みの最後に、派手な夕立があった』とでも書いとけ。……実際、雲は全部吹き飛んで、いい天気になっただろ」

 

 「そういうレベルの話ではありませんわぁぁぁ!!」

 

 雫の絶叫を、俺は右耳から左耳へと聞き流した。

 

 「……あ、そうだ。神崎。……いいところにいた」

 

 「何ですの、藪から棒に……」

 

 「……この『薇』っていう漢字、書き順、合ってるか? ここ、ハネるのか、止めるのか、よく分からないんだ」

 

 俺が真顔でドリルを差し出すと、雫は一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして固まり――。

 

 そして、全てを諦めたように、深く、深いため息を吐いた。

 

 「…………ハネですわ。……最後は、静かにハネる。……そこ、あまり力むと、また机が割れますわよ」

 

 「……そうか。……ハネか。……よし、やるか」

 

 世界を滅ぼしかけた邪神が眠る大地の上で。

 最強の小学生と、国家最高峰の陰陽師が、漢字ドリルを囲んで頭を突き合わせる。

 

 琴音は、そんな二人を見て楽しそうに笑いながら、「自由研究のテーマ、決まったよ! 『私の街の、不思議な地震と、れんくんのパンチについて』にするね!」と、さらに恐ろしいことを口にしていた。

 

 「……それは、国家機密として没収ですわ、白雪さん」

 

 「えー! 神崎さんのケチー!」

 

 騒がしい、夏の終わりの午後。

 

 俺の『夏休み』という名の地獄のような戦いは。

 ドリルの最後の一文字を、震える指先で静かにハネ終えた瞬間、ようやく、本当の意味で終わりを告げたのだった。

 

 ――残された時間は、あと数時間。

 明日の学校で、給食に「揚げパン」が出ることを祈りながら、俺は深い眠りへと落ちていった。

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