【朗報】物理、幽霊に効く。 ~最凶の呪いに愛された幼馴染が、最強の転生小学生に物理で救われる話~   作:匿名

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第9話 古都の怨念と、空間を畳む修学旅行

 新幹線の扉が開いた瞬間、肺に流れ込んできたのは、洗練された古都の香りと、それを上書きするような湿った「重圧」だった。

 京都。千年の歴史が積み重なったこの街は、観光地としての華やかさの裏側に、逃げ場のない呪いの澱みを抱え込んでいる。

 

 「……重い。空気が、物理的に粘ついているな」

 

 俺は、重厚な駅のホームを踏みしめながら、僅かに眉をひそめた。

 ずしり、ずしり。

 俺が一歩歩くたびに、強固なはずのホームのコンクリートが微かに震え、周囲の観光客たちが「地震か?」と不審げに足元を見回している。俺の超高密度な肉体は、この街に満ちる霊的なプレッシャーを敏感に「抵抗(空気抵抗のようなもの)」として感知していた。

 

 「――れんくん、見て見て! 似合ってるかな?」

 

 人混みの向こうから、聞き慣れた、しかしどこか浮き足立った声が響く。

 

 振り返ると、そこには駅構内の着付け体験サービスを利用したらしい、完璧な「京の少女」へと変貌した琴音が立っていた。

 いつもは白いワンピースや甚平姿の彼女だが、今日は鮮やかな紅葉の柄があしらわれた、落ち着いた朱色の振袖に身を包んでいる。

 黒髪は高い位置でまとめられ、揺れるかんざしが歩くたびに「チリン」と、この喧騒の中では不釣り合いなほど清らかな音を立てた。

 彼女が近づくたびに、古い白檀のお香のような香りと、日焼け止めの残り香、そして少女特有の甘い匂いが、京都の湿った空気の中で混ざり合い、俺の鼻腔を掠めた。

 

 「……どうかな? 神崎さんにも、すごく綺麗だって褒めてもらったんだけど……」

 

 琴音は、帯の締め付けが少し苦しいのか、あるいは俺の視線が気恥ずかしいのか、袖をギュッと握りしめて上目遣いに俺を覗き込んできた。赤い丸眼鏡の奥の瞳が、夕陽を反射して期待に潤んでいる。

 

 「……普通だ。……ただ、いつもより『布の質量』が増えたから、その分だけ俺の歩幅に合わせるのが大変になるぞ。転ぶなよ」

 

 「もーっ! れんくんってば、本当に風情がないんだから! ここは『綺麗だね』って言うところでしょぉ!」

 

 琴音がぷうっと頬を膨らませ、下駄で石畳を「カラン」と鳴らす。

 

 「相馬くん、白雪さん。浮かれている場合ではありませんわよ。……特に相馬くん、あなたはこの街の『危険性』を理解していまして?」

 

 その背後から、神崎雫が静かに現れた。彼女は私服のワンピースの上から、陰陽局特製の防水トレンチコートを羽織り、その手には既に展開済みの霊子演算デバイスが握られている。

 雫の顔は、かつてないほどに険しい。額には薄っすらと汗が浮かび、彼女の放つ霊力は、周囲の邪気を撥ね退けるために過負荷に近い状態で励起していた。

 

 「……危険? スリか?」

 

 「違いますわ! この京都という街は、四神相応の理に基づいた巨大な『霊的要塞』……。ですがそれは同時に、千年の間に溜まりに溜まった怨霊や呪いを、逃げ場のない地下へと封じ込めている『巨大なゴミ捨て場』でもあるのですわ。今、わたくしのデバイスが弾き出している霊圧の数値……昨日の邪神の時と、そう変わりませんわよ!」

 

 雫が震える指でデバイスの画面を俺に見せる。

 そこには、京都全域を覆う真っ赤な熱源反応――いや、怨念の分布図が、まるで街全体が燃えているかのように表示されていた。

 

 「この街の石畳一枚、柱一本に、数千人の執念が染み付いていますの。そして、白雪さんのような『特級避雷針』がこの中心に立てば、その結果は火を見るよりも明らかですわ。……相馬くん、今夜はわたくしの側を離れないことですわ。わたくしの結界術を最大出力で――」

 

 「……悪いが、神崎。俺には目的がある」

 

 俺は、雫の必死の解説を遮り、スマートフォンの画面を提示した。

 

 「……これだ。京都限定一〇〇食、極厚生八橋『抹茶クリーム五倍・餡子抜き』。この店の営業終了まで、あと四十分しかない」

 

 「……は? 生八橋……?」

 

 「この店は、清水寺へと続く路地裏の奥にある。……俺が今日ここに来た理由は、これだけだ。歴史の重みとか、怨霊の数とか、俺の胃袋には関係ない」

 

 俺は、琴音の腕を無造作に掴み、歩き出した。

 

 「れ、れんくん!? 引っ張らないでよぉ、着物だから歩きにくいんだってば!」

 

 「相馬くんっ! 待ちなさい! その方向、霊的汚染が最も深刻な『裏京都』への入り口に繋がっていますわ! 迷い込めば、二度と現世には戻れませんわよ!!」

 

 雫の絶叫を背に、俺たちは駅からタクシーに乗り込み、清水エリアへと向かった。

 だが、東山に近づくにつれ、車窓から見える景色が不自然に変質し始めたことに、俺は気づいていた。

 

 空はまだ夕暮れのはずなのに、街全体を覆う影が異常に長く、そして「濃い」。

 通りを歩く観光客たちの姿が、不自然な霧に紛れて一人、また一人と「消えて」いく。

 代わりに、街角の暗がりに、平安時代の装束を纏ったような、顔のない人影がじっとこちらを見つめて立っているのが見える。

 

 「……れんくん。なんだか、周りが急に静かになっちゃったね……。あんなにたくさんいた人たち、どこ行っちゃったのかな……」

 

 琴音が、不安そうに俺の腕を強く抱きしめる。彼女の『避雷針』が、周囲の異変を敏感に察知していた。

 タクシーが停まったのは、人気のない、しかし異様に美しい石畳の路地の入り口だった。

 

 「……お客様、ここから先は、私の車では入れません。……どうか、お気をつけて。『あちら』の道へ迷い込まぬよう……」

 

 タクシーの運転手が、掠れた声でそう告げると、逃げるように車を急発進させて去っていった。

 後に残されたのは、俺と、震える琴音と、遅れて駆けつけてきた息を切らした雫の三人だけだった。

 

 「……はぁ、はぁ……っ。ようやく追いつきましたわ。……見てなさい、もう手遅れですわよ。ここは既に、現実の京都ではありませんわ。千年の怨念が作り出した、空間の迷宮『裏京都・八坂の迷い路』ですわ!」

 

 雫が周囲を指差す。

 

 一見すると情緒ある京都の路地裏。だが、前方を見れば、道が不自然に捻じ曲がり、同じ形の建物が無限に続いているかのように視界が歪んでいた。

 

 「……ギ、ギギィ……」「……マ、イ、レ……」「……コノ、サキ、ハ、ナシ……」

 

 どこからか、地面を這うような、湿った囁き声が聞こえてくる。

 石畳の隙間からは、真っ黒な粘液がじわりと染み出し、それが人の形を成そうと蠢いている。

 

 「この迷宮は、入った者の『目的』が遠ければ遠いほど、空間を無限に引き延ばしますの! あなたがその生八橋の店に行こうとすればするほど、道は万光年の彼方へと遠ざかる……。物理的な移動では、絶対に辿り着けない絶望の回廊。それが、古都の呪術の極致ですわ!」

 

 雫の解説通り、俺がスマホの地図を確認すると、目的の店までの距離を示す数字が「二百メートル」から、一瞬で「二万キロメートル」へと書き換わった。

 

 「……ふぅ」

 

 俺は、立ち止まった。

 

 「相馬くん、ようやく分かってくれましたのね? ここはわたくしの術式で空間を固定し、一歩ずつ慎重に――」

 

 「……神崎。さっきから言ってるだろ。……俺は、お腹が空いてるんだ」

 

 俺は、重厚な足取りで一歩前へ出た。

 俺の足が石畳に触れた瞬間、周囲の「呪い」の霧が、俺の肉体から放たれる質量圧力に耐えきれず、パリンとガラスが割れるような音を立てて霧散した。

 

 「……道が長いなら。……畳めばいいだけの話だろ」

 

 俺は、腰を深く落とした。

 俺の右足に、全身の「質量」を一点に集中させる。

 

 京都の千年の歴史。

 空間を歪める呪術的迷宮。

 

 そんな「概念的な仕様」など、俺には関係ない。

 

 「……よいしょ」

 

 俺の足元で、京都の地脈を司る「龍穴」が、恐怖に震えるかのような不気味な鳴動を始めた。

 

 俺の狙いは、敵ではない。

 目の前の、捻じ曲げられた「空間」そのものだ。

 

 俺は、一歩。

 その「歪んだ空間」を、力任せに踏み抜いた。

 

ドォォォォォォォォォォォォォォォン!!

 

 俺が右足を踏み下ろした瞬間、京都の街を支配していた「静寂」が、物理的な衝撃波となって粉砕された。

 石畳がただ割れるのではない。俺の足元を起点として、空間そのものが「密度の差」に耐えかねて、まるで巨大な布にシワが寄るように、ぐにゃりと波打ち始めたのだ。

 

 「な……な、何ですの!? 地脈が、空間の位相ごと捻じ曲げられて……!? 計測不能、計測不能ですわ!!」

 

 雫が持っているデバイスが、過負荷による火花を散らして悲鳴を上げている。

 俺の肉体という、宇宙の摂理を無視した「超高密度な質量」が移動を開始したことで、周囲の重力場が異常な歪みを見せ始めたのだ。

 

 「……ギ、ギギ……」「……許サヌ……」「……ココハ、死ノ、都……」

 

 路地の暗がりから、平安時代の装束を纏った「顔のない貴族」たちが、霧のように溢れ出してきた。

 それらは実体を持たない、純粋な「執念」の塊。千年の時を経て練り上げられた、物理攻撃が一切通用しないはずの「概念」としての怪異だ。

 数万の怨霊が放つ冷気が、琴音の着物の袖を白く凍らせ、彼女の体温を奪おうとまとわりつく。

 

 「れ、れんくん……! お化けさんが、いっぱい……っ。足が、動かないよぉ……!」

 

 琴音が、震える手で俺の腕に縋り付く。

 彼女の『特級避雷針』としての性質が、街中の怨念を磁石のように引き寄せ、逃げ場を塞いでいく。

 雫が必死に霊子符をばら撒き、青い防護壁を展開するが、怨霊の群れはそれを「概念の差」で無造作に透過し、じわじわと俺たちの首筋に冷たい指を伸ばしてきた。

 

 「いけませんわ、相馬くん! 彼らには『重さ』がないのです! あなたの拳がどんなに強力でも、影を殴るのと同じ……っ。ここはわたくしの精神防壁で時間を稼ぐしか――」

 

 「……神崎。お前、さっきから『物理が効かない』って言いすぎだ」

 

 俺は、立ち止まったまま、纏わりついていた怨霊の「霧」を、無造作に左手で掴んだ。

 

 「……ガ、ッ……!? ギ、アアアアアアアア!!」

 

 実体を持たないはずの怨霊が、俺の手に触れた瞬間、絶叫を上げた。

 俺の肉体密度があまりにも高すぎるため、俺が「触れる」という意志を持つだけで、周囲の霊子体は強制的に「物質化」され、逃げ場を失うのだ。

 俺は掴み取った怨霊の頭部を、ただの「綿菓子」でも丸めるような手付きで、グシャリと握り潰した。

 

 「……概念だろうが幽霊だろうが、この世にある以上は『質量(データ)』だ。……俺の指先が、お前らの密度を上回れば、それはただのゴミと変わらない」

 

 俺は欠伸を一つ。

 スマホの画面に目を落とすと、極厚生八橋の販売終了まで、あと三十分を切っていた。

 

 「……さて。……歩くのが面倒なら、道を畳む。……神崎、舌を噛まないようにしてろ」

 

 俺は、腰を深く落とした。

 俺の右足に、全身の「重み」を一点に集中させる。

 

 物理学において、空間とは平坦なものではない。それは質量によって歪む「布」のようなものだ。

 だとするならば、俺という「無限に近い密度を持つ楔(くさび)」を、この歪んだ迷宮のど真ん中に叩き込めば、どうなるか。

 

 「……よいしょ」

 

 俺が、右足に力を込めた。

 

 ドォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!

 

 京都の地鳴りとは比較にならない、世界そのものが破裂するような衝撃音が響いた。

 俺の足元を起点として、石畳が、空間が、そして八坂の迷宮そのものが、俺の「重さ」に耐えかねて、垂直に陥没を始めたのだ。

 

 「な、な……っ。空間が、物理的な重力崩壊を起こしていますわ!? 相馬くん、あなた、京都の座標そのものを『踏み潰して』短縮するつもりですの!?」

 

 雫の絶叫が、空間の軋みに掻き消される。

 

 目の前の景色が、まるで紙を折り畳むように、激しく折れ曲がった。

 数万キロメートルの彼方に遠ざけられていたはずの「目的の店」が、空間のシワに引き寄せられ、猛烈な勢いでこちらに向かって「スライド」してくる。

 

 それは、移動ではない。

 目的地の座標を、物理的な力でこちら側に「手繰り寄せた」のだ。

 

 「ア、アガ、ガガガガガガッ!!」

 

 空間の折り畳みに巻き込まれた怨霊たちが、次元の隙間に挟まり、塵となって消滅していく。

 千年の歴史が紡ぎ上げた「迷宮のルール」が、俺の「体重」という身も蓋もない暴力によって、根本から破壊されていく。

 

 ビキ、ビキビキィィィィィィィィッ!!

 

 周囲の建物が、万力で締め付けられたかのように「ミ」の字に歪み、一瞬にして通り過ぎていく。

 空間が圧縮される際の摩擦熱で、京都の夜空に真っ赤なオーロラが走り、大気が焼けるオゾンの匂いが立ち込めた。

 

 「れ、れんくん……っ! ジェットコースターみたいだよぉぉぉ!!」

 

 琴音が俺の腕に抱きつき、風圧で飛ばされそうになる麦わら帽子(今は着物なので、かんざし)を必死に押さえている。

 

 「……我慢しろ。……もう着く」

 

 俺は、目の前に現れた「一点の光」を見据えた。

 それは、異界の闇の中に浮かび上がる、古びた、しかし温かみのある提灯の光。

 

 目的の店、『京極屋』の看板だ。

 

 俺は、圧縮しきった空間の反動を、左足で強引に受け止め、停止させた。

 

 キィィィィィィィィィィィィィィン!!

 

 空間が元の位相に戻ろうとする猛烈な反発力が、俺の周囲で「物理的な火花」となって散る。

 だが、俺はその反動を、ただ「そこに立っている」だけで全て無効化した。

 

 静寂が訪れた。

 

 霧は晴れ、怨霊の声は消え、不気味な迷宮の歪みも跡形もなく消え去っていた。

 後に残されたのは、月明かりに照らされた、静かな、本来の京都の路地裏。

 

 そして。

 

 「……いらっしゃいませ。……おや、お客様。こんな遅くに、どちらから?」

 

 目の前には、暖簾を仕舞おうとしていた、呆然とした顔の店主が立っていた。

 

 「……間に合ったな」

 

 俺は、スマホの時計を確認した。

 販売終了まで、あと五分。

 

 「……限定一〇〇食の、極厚生八橋。抹茶クリーム五倍のを、三つ」

 

 俺の声が、静かな夜の京都に響き渡った。

 

 背後では、雫が「ありえませんわ……空間跳躍でも転移でもなく、単なる『足踏み』で空間を物理的に畳むなんて……」と、路地裏の壁に頭を打ち付けて、正気を保とうと必死になっていた。

 琴音は、あまりのG(重力)の乱高下に、俺の腕の中で目を回して「ふぇぇ……生八橋……お空を飛んでるみたいだったよぉ……」と、あられもない声を上げている。

 

 「……ほら、神崎。お前の分もあるぞ。……京都の歴史は、これ一箱で解決だ」

 

 俺は、店主から手渡された、ずっしりと重い生八橋の箱を受け取ると。

 京都を救った英雄としての自覚など微塵も見せず、ただ純粋な「食欲」を満たすために、箱を開ける準備を始めた。

 

 千年の怨念を込めた迷宮を、近道のために更地にした。

 その事実が明日、どれほどの霊的な波紋を広げるかなど、今の俺にはどうでもいいことだった。

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