こうふくなねずみたち   作:shellfish

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第2話

「あー、こいつは多分唐辛子の悪魔ですねー。死体はキッチリ燃やしといてください。ほっとくと種からまた復活しますんで」

 

 鉈を振って血を飛ばしてから鞘に納める。

 本当はチェンソーが一番馴染んだ武器なのだが、チェンソーを振り回すデビルハンターなど例え異国の地であっても、日本に噂が届きかねないとレゼが言ったのだ。

 なるほど、レゼの言い分はもっともだ。何しろ、追手は公安、そしてマキマさんなのだ。出来る用心はするに越したことはない。

 この地に一応の根を下ろすようになってから、分厚い鉈を武器にして悪魔狩りをしている。最初はどうにも違和感があったが、いい加減扱いにも慣れてきた。

 小山のように巨大な悪魔の死体から飛び降りる。すると、物陰から姿を現した、今回の依頼主であるこの辺りの商店の元締めらしき男は、化け物を見るかのようにへっぴり腰と作り笑いで礼を言い、結構分厚い封筒を寄越した。

 

「毎度」

 

 俺は遠慮なく封筒を受け取り、ズボンの尻ポケットにねじ込んだ。日本に比べれば治安の悪いこの街、スリなどには格好の獲物に映るかも知れないが、デビルハンター相手に悪戯を仕掛ける命知らずはそうそう多くはない。

 今も、自分達を苦しめる悪魔を倒してのけたヒーローであるはずの俺に向けられるのは、称賛や憧憬ではなく、ただ己の理解を超えた悪魔以上の化け物に向けるべき、恐怖と嫌悪の入り混じった視線である。

 到底気分の良いものではないが、これも料金のうちと割り切ることが出来る程度にはこの仕事にも慣れてきた。

 

「それにしても……」

 

 けほっと、軽く咳き込む。

 空気に、目をしばたかせるような微かな刺激臭がある。多分、唐辛子の悪魔の血液が空気と細かく混ざって、辺りに漂い始めているのだ。

 そして、死体から血はドロドロと流れ続けているのであり、この刺激臭が強くなることはあっても弱まることはないだろう。

 

 ──さっさととんずらすべきだな。

 

 俺が受けた依頼はこの悪魔を殺すことだけで、死体の処理は別の業者が請け負っている。そいつらには些かお気の毒様だが、連中だってそれで飯を食っているのだから、俺がわざわざ付き合って一緒にのたうち回る義理はない。まして、毒ガス被害を俺のせいにでもされたらたまったものではない。

 踵を返そうとした俺に、今まで一体どこに潜んでいたのか、嗄れたババアが声をかけてくる。

 

「こいつは酷いね。唐辛子の悪魔だって分かってたなら、もっと上手い殺し方ってもんがあるんじゃないかい、デンジの坊や?」

「……そいつは前の名前ですよ。今の俺にゃ、レンジって正式な名前があるんです」

「そうか、念願の戸籍を買うことが出来たんだね。一応、おめでとうと言っておこうかね」

 

 化け物みたいにしわくちゃのババアは、曲がった腰をさらに曲げてひっひと嗤った。

 

「何か用ですか、老太太。仕事のあっせん料は事前に抜かれてるはずですよね。俺が受け取る金はもうポケットにしまっちまったんだから、今更いちゃもんつけたって1ドルだって渡しませんよ」

「おやおや、なんともつれないねぇ。こちとら、かわいいかわいい孫代わりのボーイフレンドに会うため、老体に鞭を打って出張ってきたんだよ。もう少し暖かい言葉があってもいいじゃないかえ」

「ふん、何がボーイフレンドだくそババア。体のいい金づるの間違いだろうがよ」

 

 吐き捨てるようにそう言ってやった。

 そうなのだ。今の俺は、相も変わらず誰かの飼い犬なのである。ただ、飼い主が、麗しい美女から銭ゲバのくそババアに変わった分、状況は悪化してるといってもいい。

 現在の俺の生計の八割がたは、このババアが斡旋する悪魔退治で成り立っている。それだけ聞けば恩人に聞こえるかもしれないが、こっちは命がけで悪魔と戦っているときに、このババアはでっかい豪邸の金ぴかに悪趣味な部屋で金勘定をしているだけ、それで依頼料の取り分はきっちり折半なのである。恨み言の一つもこぼれるのが人情というものだ。

 それでも、レゼと日本から逃げ出して、食うや食わずやで世界中を放浪していた俺たちを拾ってくれたのはこのババアだから、一応は恩を感じてはいる。

 言葉もわからない俺たちを、この国──台湾を国と呼ぶのかはいまだによくわからねぇんだが──で匿い、当面の寝床と飯を恵んでくれたのだ。それが打算に基づいた善意だったとしても、そのおかげで救われたのは事実である。無茶な中抜きにも、しばらくの間は我慢しようと思っている。

 まぁ、あんまり図に乗るようなら、飼い主の手だろうが噛みついて、思い知らせてやる必要があるかも知れないが。

 そんなこちらの思惑など知ってことではないふうにババアは薄気味悪く笑い、

 

「金づるも、金の卵を産む鶏も、結局は同じ事さ。あんたが私に金を回してくれるうちは、あんたは私の孫も同然だよ。長い付き合いになるんだ、精々慣れあっていこうじゃないか」

「ふん。で、今日はいったい何のようなんすか?」

「そうそう、こいつを渡そうと思ってね」

 

 ババアは、小脇に抱える程度の小包を、こっちに投げてよこした。

 

「これは?」

「小半夏加茯苓湯っていう薬だよ。一日一回、量と用法をしっかり守って使いな」

「……は?俺、見ての通りピンピンしてますがね」

「あほう、誰があんたにって言ったよ。この薬はね、つわりに良く効く漢方薬だ。それも、私の知り合いの腕利きが調合した特製品さ。市場で買えば、あんたの月収くらいは簡単にふっとぶ代物だよ。丁重に扱いな」

「こんな小包で、俺の月収ぅ?」

 

 にわかには信じがたい説明に、俺は胡散臭げに受け取った小包を眺める。これでも一応は腕利きのデビルハンターとして売り出し中の身である。それなりの高給取りなのだから、その一月分を軽く超える薬なら、相当な高級品だ。

 それにしても、この業突く張りのババアが、そんな貴重な薬を、なぜ俺に恵んでくれるのか。いったいどんな魂胆があってのことなのか。

 そんな内心が表情に出ていたのだろうか、ババアは苦笑を浮かべ、

 

「そんな顔しなさんな。これでも、あたしも女だからね。つわりのつらさは骨身にしみてる。まして、堂々と医者にかかることができない身の上なら猶更のことだろう」

「……」

「じゃあ、こういう理由なら納得するかい?これから、この国はもっと大きくなる。国が栄えて人が増えれば、それだけ悪魔が湧きやすくなる。当然、公のデビルハンターだけじゃ到底手が回らない。そうすれば、腕利きの民間のデビルハンター、つまりあんたやあんたの嫁さんの価値はうなぎのぼりだ。金の卵を産む鶏が将来ダイヤモンドを産んでくれるなら、今のうちから大切にしておこうってのが商売人の銭勘定ってもんだ。そうだろう?」

「……なるほど、そういう理由なら納得してやるよ」

「そうそう、人間、素直が一番だ。今日は稼がせてもらってありがとうよ。また、悪魔が湧いたら連絡するよ」

 

 ひっひと不気味に嗤ったババアは、そう言って俺に背を向けた。

 俺は、ババアからもらった小包をリュックに詰め込み、鉈と一緒に肩に担ぎあげた。

 そして、遠ざかる老人の、小さな背中に向けて言った。

 

「その、サンキューな、老太太。最近、レゼ、ちょっとしんどそうだったんだ。でも、俺、バカだからどうしてやったらいいかわかんなくてよ。とにかく金を稼いでやればあいつも安心するかと思って……。薬、あいつも喜ぶと思う」

 

 俺の言葉を聞いているのかいないのか、老人は振り返ることもなく人混みの中に消えた。

 そして、俺は家路を急いだ。

 まるで俺の生まれ故郷みたいな生ゴミ臭い裏路地を通り、ビルに囲まれて日当たりの悪いぼろぼろのアパートへと辿り着いたころには、すっかり日も落ちていた。

 ちらちら明滅する外灯に照らされた外付けの階段は、鉄板が錆びついていて、今にも踏み抜いてしまいそうな有様だ。

 もっと貯えができたら、世に言うセレブな連中が住んでるっていうタワーマンションなんかは無理でも、もう少し見栄えのする住処を探そう。そう決意を固めながら、階段を上る。

 枯れた観葉植物の植木鉢の間をすり抜けるように、ごみごみした廊下を歩き抜け、ようやく我が家のドアに辿り着く。

 鍵を開錠して、扉を開ける。

 

「おーい、レゼー、ただいまー」

「おかえり、デンジくん!お疲れ様!」

 

 短い廊下の向こうから、この世で一番大切な美女が、ひょっこりと顔を出す。そして漂ってくる、食欲を刺激する良い匂い。

 

「今日は料理しても大丈夫なのか?」

「うん、つわりもだいぶ落ち着いてるから。今日はデンジくんの大好きな、豚肉の生姜焼きだよ!」

「えっ、まじ!?やりぃっ!ちょうど食いてえって思ってたんだよ!」

 

 あまりの喜びに跳びあがった俺を見て、エプロン姿のレゼは楽しそうに笑う。

 

「あははっ、やっぱり?なんかそんな気がしてたんだよねぇ!」

「レゼ、まじすげぇよな!もしかしてエスパーってやつなんじゃねぇの?」

「そうだね、デンジくんのことに関しては、私、エスパーなのかも!デンジくんのことなら何でも分かっちゃうの!だから……浮気なんかしたら、絶対に駄目だからね……?」

「えっ?」

 

 瞬間、部屋の温度が、十度くらい下がったような寒気を感じる。

 レゼの表情はさっきと変わらない極上の笑顔なのに、緑色の綺麗な瞳の奥に、何か怖いものが込められているのが分かるのだ。

 

「『えっ』って、何?デンジくん、きみ、もしかして……」

 

 凍てついたレゼの声に、俺は慌てて首を横に振る。

 

「ち、違う!俺、今は好きなのはレゼだけだ!ホントのホント!命かけてもいい!」

「『今は』……?」

「む、昔!昔のこと!レゼと出会う前は、別の好きな人がいたってことだよ!レゼ、お前もマキマさんのこと、知ってんだろう!?俺、最悪の最悪だった人生を、マキマさんに救われて、そんで憧れてたの!レゼ、お前と出会ってからは、俺は一回も他の女に目移りしたことなんてねぇし、これからもしねぇから!」

 

 嘘だ。ホントはギリギリまで揺れ動いた。

 

『一緒に逃げねえ?』

 

 本当に決心がついたのはあの浜辺で、一人で逃げようとするレゼの、頼りない背中を見てしまった時。

 守りたいと思ったのではない。ただ、自分と似ているな、と、そう思ってしまったのだ。

 面が良い女なんて、それだけできっと人生イージーモードなんだろうなって思ってた。なのに、一皮剥けば、そこに昔の、どん底だった自分がいたことに驚いた。

 俺に、他人を助ける義理も資格もないことはわかってる。大体が、人助けしようなんて余裕のある生活をしてるわけじゃない。そういうのは、革張りの椅子にふんぞり返ったお金持ちサマがきまぐれにやればいいことだ。はいはいお偉いことですね、糞ったれな神様だってきっと褒めてくださるだろうぜ。

 だけどこちとら、てめえの人生だけで精一杯。他人の人生を背負い込むなんて、まっぴらごめんだ。

 だから、助けようなんて思いあがったわけじゃないと思う。

 ただ……一緒に歩いてみようと、そう思っただけなのだろう。

 

「冗談だよ、デンジくん。今のきみが、私のことが好きなのは知ってるもん。昔に好きだった人のことなんて、すぐに忘れさせてあげるから」

 

 いつの間にか俺の胸にくっついてたレゼが、死ぬほど可愛い上目遣いでこちらを見上げていた。

 込み上げる愛おしさに胸がいっぱいになる。思わず手を彼女の頭に乗せ、そのまま頭を、そして背中を撫でる。

 レゼは俺の胸の中で、機嫌の良い猫みたいに目を細めた。

 

「それと、デンジくん。何か忘れてない?」

「へっ?」

 

 レゼが、拗ねたように頬を膨らませる。

 

「ただいまを言う相手、わたしだけじゃないでしょ?」

「あ、ああ、そうだったな!」

 

 俺はレゼの前で膝を折り、その僅かに膨らんだお腹に耳を当てながら、こう言った。

 

「ただいま、パパが帰ってきたぜ。早く、元気で産まれてこいよ」

 

 ──ああ、俺ぁ、今、幸せなんだな、ポチタ。

 

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