聖女と獣人と陰の王   作:実験者

2 / 6
二話:聖教②

 

 夜の大聖堂は、満月の光を浴びて荘厳に浮かび上がっていた。古代ローマのバシリカを模したその建築は、長方形の平面を持ち、中央にそびえる高い身廊が天を指し、両脇には細長い側廊が平行に伸びている。

 

 太く重厚な石柱が規則正しく並び、アーチ状の天井を支えていた。側壁の上部には一列に高窓が開き、そこから差し込む月光が床に淡い銀色の筋を描き、内部を幻想的に照らし出している。

 

 祭壇の奥は深い闇に沈み、蝋燭の火も灯されず、ただ冷たい静寂だけが満ちていた。外壁の彫刻——天使と聖人たちのレリーフ——は、夜風に揺れる木々の影に覆われ、時折不気味に蠢くように見えた。

 

「……雰囲気あるね」

「ああ、相応の対策もされている」

 

 黒いマントを深く被った男、シャドウと獣人のゼータは正面の巨大な青銅製主扉を避け、側廊の裏手にある小さな通用口に近づいた。

 

 足音を一切立てず、影のように壁に沿って移動する。彼が取っ手に指を触れた瞬間、扉の表面に淡い青い魔力の光が走り、高度な生体認証システムが起動した。

 

『認証開始。指紋、網膜、顔面構造、DNAサンプルを同時解析。許可されていない生体反応を検知した場合、即時排除プロトコルを執行します』

 

 無音の警告が、直接脳内に響き渡る。シャドウはわずかに唇を歪め、右手を軽く翳した。指先から黒い霧のような魔力が滲み出し、スキャナーの光をねじ曲げ、システムの認識回路を一瞬だけ狂わせた。

 認証の青い光が赤く点滅し、すぐに緑に変わった。重い扉が、かすかな軋み音を立てて内側に開く。

 

「えぇ、なにそれ」

「魔力は発想と練度だ。型にはめず、自由な想像力で扱うと良い。何でも可能だ」

「それできるのシャドウくらいだと思うけど」

 

 二人は音もなく内部へ滑り込み、静かに扉が閉める。大聖堂内部の空気はひんやりと冷たく、石の匂いと古いインセンスの残り香が混じり合っていた。

 

 身廊の中央通路を進むシャドウの足元で、無数の細い赤い光の線が床を横断していた。レーザーグリッド——魔力で生成された見えないセンサーネットワークだ。

 

 一本でも触れれば、即座に警報が鳴り響き、天井や柱の陰から自動防御タレットが展開する。

 

「これは骨が折れるね」

「暴れるなよ」

「えっ、ちょっ」

 

 ゼータを抱きしめてシャドウは身の影を操った。黒いマントが床に溶け込み、彼の全身が完全に闇と同化する。光の網を一つ一つ慎重に避けながら、祭壇方向へゆっくりと進んだ。

 

「二人分の質量があるのにこの動き……流石だ」

 

 月光が時折彼の輪郭を浮かび上がらせそうになるが、そのたびに影を濃くして消し去る。側廊の奥、柱の影から鈍い金属音が響いた。

 自律防御ゴーレムが徘徊している。巨大な石と鋼で作られた人型守護者が、ゆっくりと首を巡らせていた。

 胸部に埋め込まれた魔力核が赤く脈動し、両眼の宝石が闇を切り裂くように輝く。ゴーレムは自己学習型で、過去の侵入パターンを記憶し、異常を即座に検知する。

 

 シャドウはゼータを抱きしめたまま壁に体を密着させ、魔力を完全に収束させた。姿だけでなく、気配、熱、魔力の波動さえも消す。

 

 ゴーレムが怪訝そうに周囲をスキャンし、腕を振り上げて警戒態勢に入る。だが、何も捉えられず、やがて重い足音を立てて元の位置に戻った。

 

「ここからだ。気を抜かないように」

「うん。ありがとう。幸せだったよ」

「大丈夫か?」

「主に抱きしめれてドキドキした」

「本当に大丈夫か?」

 

 シャドウは小さく息を吐き、再び動き出す。

 祭壇の背後に隠された螺旋階段を下りると、空気がさらに冷え、湿った石の匂いが強くなった。

 通路の中央に、淡い青い膜のような障壁が全体を塞いでいた。エネルギーシールド——高密度の魔力で構成され、触れた者を瞬時に炭化させる防御システムだ。

 

 シールドの表面では、微かな雷のような放電が時折走っている。シャドウは立ち止まり、両手を広げた。黒い魔力が指先から糸のように伸び、シールドの表面を這い回る。

 

 完全な防御ではない。魔力の流れに、わずかな揺らぎ——周期的な弱点がある。彼はその瞬間を見極め、体を影に変えてシールドの隙間に滑り込んだ。通過した瞬間、背後でシールドが再び完全な膜に戻り、小さな火花を散らす。

 

「続け」

「ごめん、無理」

「仕方ない」

 

 シャドウは魔力をシールドと同期させて、異常を感知させず穴を開けた。ゼータは静かにそこを通り、シャドウの隣まで走る。

 

「一応、こういうセキュリティや諜報活動には自信あったんだけどな。主はあまりにもサクサク突破していくから自信を失っちゃうよ」

「気にするな。人にはそれぞれ特性がある。役割と言っても良い。王には王の、料理人には料理人の役割だ。今回はこっちのやり方が刺さっただけだ」

「うん、分かった。ありがとう」

 

 最下層。

 地下深くに設けられた統合管制室の前。厚い鉄扉の両側に、巨大な魔力ディスプレイが並び、無数の監視映像が青白く映し出されている。

 

 内部では、白い法衣をまとった二人の司祭が、椅子に深く腰掛け、画面を注視していた。

 一人は老いた男、もう一人はまだ若い司祭だ。

 

「異常なし。システム稼働率は百パーセント。今日も聖なる守りが機能している」

 

 老司祭が低く呟く。若い司祭が頷き、コーヒーのような温かい飲み物を口に運んだ。

 

「ディアボロス教団の動きが最近活発すぎる。悪魔憑きどもを求めて、また何か企んでいるに違いない」

「心配するな。異端審問の新手法はすでに完成した。あの浄化の手法さえ確立されてしまえば、どんな強力な悪魔憑きも逃がさん。魂ごと焼き払い、存在そのものを消滅させる」

「教団はそれを奪おうと必死だな。悪魔憑きの争奪戦はもう始まっている。こちらへの攻撃も考えるべきだが、ここは大聖堂。聖教の総本山にして最高の要塞だ。奴らが近づけるはずがない」

 

 二人は低く笑い合い、互いの杯を軽く合わせた。その背後で、ゆっくりと影が濃くなっていく。シャドウは完全に姿を消したまま、管制室の扉に指を触れた。

 

 魔力が鍵穴に流れ込み、電子と魔力の両方で構成されたロックを無音で解除する。扉がわずかに開き、彼は隙間から滑り込む。

 

 司祭たちは気づかない。ディスプレイに映るすべての監視カメラは、シャドウの魔力操作によって平穏を映し出し続けている。

 

 精神干渉型のハッキング。カメラの認識だけでなく、管制官の意識にまで微かな偽情報を送り、彼らの警戒心を鈍らせていた。

 

 管制室の空気は機械的な熱と紙の匂いが混じり、ディスプレイの光が二人を青白く照らしている。シャドウは二人を横切り、部屋の奥の壁に偽装された隠し扉の前に立った。

 

 そこには聖教が極秘裏に研究・保管している悪魔憑きの完全消滅法の書物と儀式具が収められている。

 ディアボロス教団が血眼になって奪おうとしているもの。そして、聖教が異端審問の最終兵器として完成させた禁忌の技術。

 シャドウは静かに、ほとんど息もつかせぬ声で呟いた。

 

「争奪戦、か……」

「聖教も教団も、同じ穴の狢だね。どちらが勝とうと、私達の利益にはならない」

「だがやつらは敵対してるようだぞ? 潰しあうように戦略を立てることはできるだろう」

 

 黒い影が隠し扉の表面を覆い、複雑な魔力鍵を一つ一つ解いていく。扉が無音で開き、暗く冷たい書庫の空気が流れ出した。

 

 彼は一歩、最深部へと踏み入れた。大聖堂の上層では、月光が相変わらず静かに身廊を照らし、すべてが平穏に見えた。誰も、この闇の訪問者が最奥に達したことなど、知る由もなかった。

 

「今の戦況は悪魔憑きを巡った三つの組織の対立構造になっている」

「ディアボロス教団、聖教、そしてシャドウガーデン」

「その通りだ」

 

・ディアボロス教団

『悪魔憑き』と呼ばれる魔力暴走を発症した少女を集めて様々な用途に使用する組織。裏社会では国家をあらゆる国家に支部が存在するレベルで規模が大きく、あらゆる不幸の元凶。

 

・聖教

女神ベアトリクスを信奉する宗教組織。世界の六割は信者であると言われるほど表舞台での影響力は極めて大きい。『悪魔憑き』を狙うが異端審問として消滅させる方法を確立させている。ディアボロス教団とは一部協力関係にあるが、あくまで一次的なものに過ぎないようだ。

 

・シャドウガーデン

シャドウによって魔力暴走を治療された少女により構成される秘密組織。表社会で商会を立ち上げて合法的に資金を稼ぎつつ、秘密裏に情報収集をして、悪魔憑きの回収と治療を目的としている。規模として中堅程度だが、戦闘から技術開発、商会のコネクションなど様々な面で人員の層が厚い。また『悪魔憑き』はあらゆるコミュニティから排斥されたことも関係して、帰属意識は強い。最終的にはディアボロス教団の討滅だが、その過程で悪魔憑きの被害を抑えることが優先されている。

 

 

「楽観的な未来予測をするとしたら、今は知られていないシャドウガーデンの存在が聖教に露見した場合、両組織の目的が部分的に一致している点が活かされ、限定的な協力関係が成立する可能性が高い筈だ」

「どうして?」

「聖教は表舞台で絶大な影響力を持ち、悪魔憑きを異端として徹底的に排除する方針を取っているが、シャドウガーデンは悪魔憑きを治療して戦力化している。この治療技術自体が聖教にとって未知のものであり、女神ベアトリクスの教えに反しない形で救済として解釈可能であれば、聖教上層部の一部が興味を示す可能性がある」

 

 交渉次第で聖教に悪魔憑きを殺さず無力化・救済する方法を提供する形で同盟を提案できる。

 結果として、聖教はシャドウガーデンを異端審問の補助組織として黙認し、表向きは聖教の傘下に置く形で保護。シャドウガーデンは聖教の広大なネットワークと権力を利用して、悪魔憑きの回収効率を飛躍的に向上させ、ディアボロス教団への攻勢を強める。

 

「ディアボロス教団が壊滅し、悪魔憑き問題が大幅に軽減。聖教は女神の奇跡として治療技術を宣伝し、信仰心をさらに高め、シャドウガーデンは裏で実質的な影響力を維持するwin-winの関係が築かれる。少女たちも迫害されずに済み、社会的地位が向上する理想的な結末だな」

 

 悲観的な未来予測最悪のシナリオでは、聖教はシャドウガーデンを完全な異端と断定し、徹底的な殲滅戦争が勃発する。聖教は世界の六割を信者とする巨大組織であり、悪魔憑きを治療して利用するという行為自体が女神の教え(悪魔憑きは神の敵、浄化すべき存在)に真っ向から反すると解釈される。

 

 露見と同時に聖教は大規模な異端審問を発動。シャドウガーデンの表の商会は即座に封鎖・資産凍結され、構成員は全員悪魔の同類として狩猟対象に。

 

 ディアボロス教団はこれを好機と見て、聖教と一時的に本格協力。

 

 両組織の挟撃を受け、シャドウガーデンは中堅規模の組織では対抗しきれず、拠点が次々に壊滅。

 治療された少女たちは再び悪魔憑きとして処刑され、シャドウを含む主要メンバーは捕縛・公開処刑。残党は地下に潜るが、組織としての機能はほぼ喪失。

 

 ディアボロス教団は一時的に勢力を拡大し、悪魔憑き問題はさらに深刻化。

 

 聖教は異端を一掃した偉業として信仰を強化するが、実態はディアボロス教団の暗躍を助ける結果となり、世界はより暗黒的な方向へ進む。

 

「最悪なシナリオだね」

「同感だ。ある程度、現実的な未来予測をするならば、完全な同盟も完全な敵対も避け、曖昧な緊張状態が長期化する中道的な展開が最も可能性が高い」

「聖教はシャドウガーデンの存在を把握しても、即座に全面戦争を仕掛けるほどの証拠や大義名分が不足していると判断しているから?」

「その通りだ。表向きは調査中として静観しつつ、内部で情報収集と監視を強化するくらいだろう。一部の上層部……特にディアボロス教団と繋がりの深い派閥はシャドウガーデンを脅威と見て排除を画策するが、別の穏健派は治療技術に興味を持ち、秘密裏に接触を試みる可能性がある」

 

 ゼータは純粋な疑問を問いかける。

 

「それは受け入れるの?」

「総意として受け入れないが、暗黙の了解とするならアリだろう。シャドウガーデン側も聖教の圧倒的な規模を理解している。無闇な対立は避け、商会ルートやコネクションを駆使して情報操作を行い、露見のダメージを最小限に抑える」

「結果として、局所的な小競り合いやスパイ戦、暗殺未遂などが頻発する冷戦状態が続くのかな?」

「良い読みだ。聖教の異端審問官がシャドウガーデンの回収対象を横取りしたり、逆にシャドウガーデンが聖教の処刑予定者を救出したりする事件が散発。ディアボロス教団は両組織の対立を煽り、漁夫の利を得ようとするが、シャドウガーデンの優先事項は悪魔憑きの被害抑制だ。それがぶれないため、教団への圧力は緩やかに増大していく」

「なるほど」

「最終的な決着は数年~十数年を要するが、その間にシャドウガーデンは規模を拡大しつつ、聖教内部の分裂を誘発。完全勝利は難しいが、少なくとも組織の存続と一定の活動領域は確保できるだろう。総合的に見て、シャドウガーデンの強みである治療技術、帰属意識の高さ、多分野の人材は聖教の規模に対抗する切り札となり得るが、聖教の社会的影響力は圧倒的であるため、露見後の対応の巧拙が運命を大きく左右する状況だ」

「薄氷だね」

「だが、なさなければなるまい」

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。