聖女と獣人と陰の王   作:実験者

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四話:聖教④

 

 

 貿易都市の中の外れ、廃墟と化した古い倉庫群の奥深く。

 

 シャドウガーデンが一時的に借り上げたアジトは、表向きはただの放棄された貯蔵庫に見えるが、地下に降りると魔力を用いた防衛装置が張り巡らされ、外の音も気配も完全に遮断されていた。

 

 地下室は広く、天井が低く、石壁には湿気が染み出し、ところどころに苔のような緑が浮かんでいる。

 魔力灯は壁に埋め込まれた小さな水晶が淡く青白く輝くだけで、部屋全体を薄暗く照らし、影を濃く落としていた。

 

 中央の長テーブルには、大聖堂から持ち帰った浄化に関する文章を忠実に写した大きな羊皮紙が広げられ、周囲にゼータがこれまで集めた聖教関連の諜報書類が山積みになっている。

 

 古い巻物、暗号化された手紙、盗み撮りした聖職者のスケジュール表、さらには聖女ウィクトーリアの日常行動を記録した細かなメモまで——すべてが整然と分類され、ゼータの几帳面さが如実に表れていた。

 

 空気には羊皮紙の古い匂いと、インクの微かな焦げ臭さが混じり、静かな緊張感を漂わせている。シャドウは、テーブルの端に置かれた古びた木製の椅子に深く腰掛け、黒いマントのフードを外して黒髪を軽くかき上げた。

 

 普段の無表情に近い顔立ちだが、眉間にわずかな皺が寄り、瞳には明らかな疲労と苛立ちが浮かんでいる。

 彼は肘をテーブルについて頰杖をつき、羊皮紙をぼんやりと眺めていた。

 

 向かいに座るゼータは、プラチナ色の短髪を後ろで一つに束ね、黒い軽装のまま肘をテーブルについて書類をめくり続けている。

 

 彼女の瞳は常に冷静で、感情の揺らぎを一切見せず、まるで機械のように正確だ。腰の双剣は椅子に寄りかけたまま、いつでも抜ける位置に置かれている。しばらくの沈黙の後、シャドウが重いため息とともに口を開いた。

 

「聖女ウィクトーリア……正直、面倒くさいことになったな。いや、面倒くさいなんて言葉じゃ足りない。超絶厄介な爆弾 を抱え込んだ気分だな」

 

 声は低く、どこか投げやりで疲れた響きを帯びている。ゼータもは指で羊皮紙の端を軽く叩きながら、首を振った。

 

「神に言われた運命の友達。 神託? 冗談じゃない。あれは触たら即座に大爆発するタイプの時限爆弾だ。関わったら人生が終わるタイプ」

 

 シャドウは書類からゆっくりと目を上げ、淡々とした声で答えた。表情は一切変わらない。

 

「面倒くさい、という上に危険だ。聖教の象徴である聖女は、シャドウガーデンを明確に異端と認識しているはずなのに、友達です、と笑顔で近づいてくる状況は、普通ではあえない。無邪気なのか、策略なのか、あるいは上層部の指示を受けた演技なのか——いずれにせよ、放置できない致命的なリスクだ」

 

 シャドウは苦笑いを浮かべ、天井の暗い石組みを見上げた。ゼータはシャドウの言い分に同意する。

 

「普通じゃないって意見に同意だね。あの子の魔力制御と肉体性能……あれは本物だ。私でも正面からやり合ったら、相当面倒くさい。なのに、なんで私達を『友達』扱いするんだろう? 私達の正体を薄々知ってる上で、わざと絡んでくるのか? それとも本当に神託とか信じてる純粋バカなのかな?」

 

 ゼータの感想にシャドウは小さく頷き、羊皮紙に走り書きしたメモを指でなぞりながら、冷静に分析を続ける。

 

「いずれにせよ、我々は聖女との接触を極力を避けるべきだな。徹底的に。昼間に近づかれたら、用事がある、急ぎの任務だなどと適当な理由をつけて即座に離脱だ。直接会う機会は一切作らず、連絡手段も一方的に遮断するレベルで回避を優先する」

 

 ゼータは目を細め、珍しく本気の笑みを浮かべた。

 

「それがいいと思う。それが一番だ。主は本当に会話して目ストレスない。大好き」

 

 ゼータはシャドウへの敬意を払うと、今度は淡々と続ける。だが、瞳の奥にわずかな満足感が過ぎる。

 

「聖女の対応は、全て私に任せて。主は一切関わらない方が良い」

「その提案を受け入れよう。ゼータ、お前に頼む。全部お前に丸投げな形になるが。聖女のしの一つも聞きたくない。見たくもない。存在自体を忘れたいレベルだ」

「相当、苦手としてるね。うん、了解」

 

 ゼータは一瞬だけ口元を緩め、すぐに真顔に戻った。彼女は書類を一枚めくり、指で要点を叩きながら報告を続ける。

 

「アルファ様には私達の方針を詳細に報告したおくね」

「ああ。まず、情報収集を最優先に。聖女が本当に無邪気で敵味方の区別が曖昧なのか、それとも聖教上層部とは距離を置いた独自の価値観を持っているのか、あるいは個人的に我々に好意、興味を抱いているのか——さらには、政治利用としての演技の可能性も含めて、徹底的に洗うべきだな」

「すでに側近、護衛、日常行動、聖教上層部との関係性を多角的に調査済み。これからさらに深掘るよ。聖女の私室に仕込んだ盗聴器の記録も、近日中に解析が終わる筈だし」

 

 シャドウは肘をテーブルについて身を乗り出し、興味深そうに尋問した。

 

「上層部とは距離を置いてる感じか? 表向きは女神ベアトリクスの代弁者として崇められてるけど、本心はどこにある?」

「うん、あの聖女さんは表向きは完璧な聖女ですが、異端審問の過激な手法……特に浄化の実用化には微妙に消極的です。記録によると、悪魔憑きを『救いたい』『浄化ではなく赦しを』という発言が、側近に対して漏れているケースが複数あるね。それが本物か、意図的な偽情報か、まだ判断ができないけど」

「利用価値は?」

 

 ゼータの瞳が鋭く光った。

 

「極めて高い。聖女が主に近づきたがる性質を利用するなら、私が代理として対応し、少しずつ信頼を獲得する。そこから聖教内部の情報、特に異端審問の具体的な予定、ディアボロス教団との裏取引の証拠、上層部の汚職や権力闘争の内情を引き出す予定。さらに、もし聖女が本当に『悪魔憑きを救いたい』と思っているなら、その感情を巧みに刺激し、聖教の方針に微妙な亀裂を生じさせることも可能だと思う」

 

 シャドウは小さく笑い、椅子に背を預けた。

 

「聖女は高リスク高リターンのカードとして使うってことか。流石だ、敬服するよゼータ」

「ありがとう。聖女とは限定的な接触を維持しつつ、常にリスク管理を徹底する。聖女の友達発言が聖教内部でどう受けられているか、異端との癒着と疑われていないか、すべてをリアルタイムで監視するよ」

 

 更にゼータは言葉を続ける。

 

「最悪のシナリオである聖教が突然本格的に敵に回った場合の脱出ルート、証拠隠滅計画、偽情報流布ルートもすでに三案用意済みしてる。必要なら、聖女を切り捨てる選択肢も即座に実行可能できる」

 

 シャドウは両手を広げ、低く笑った。

 

「完璧だ。ゼータがいると本当に助かる。……ただ、一つだけ聞いておく」

「何かな、主?」

「聖女が本当に味方になり得る可能性は、どれくらいだと思う? 彼女が本気で聖教の改革派になってくれるなら、長期的に取り込む価値はあるだろうが、やはりリスクは高い」

 

 ゼータは一瞬だけ目を伏せ、静かに、しかし冷徹に答えた。

 

「現時点ではほぼ不可能だと思う。過度な期待は禁物。女神の代弁者という立場は、重すぎる。もし本気で悪魔憑きを救いたいと思っているなら、長期的に取り込む価値はあるね。聖教内部に改革派の種を蒔くことで、組織全体に亀裂を生じさせ、崩壊を早める可能性はゼロではない。しかし、今はまだ観察と利用のみ。感情移入は厳禁だ」

 

 シャドウは満足げに頷き、立ち上がる。

 

「決まりだ。聖女のことは全部お前に任せら」

 

 ゼータも立ち上がり、軽く頭を下げた。声は変わらず冷静だが、忠誠の深さが滲む。

 

「了解。主は安心してみてて。私がすべて管理し、シャドウガーデンの利益を最大化してみせるからさ」

 

 薄暗い地下室に、二人の影が長く伸び、水晶の魔力灯が微かに揺れた。外では朝の陽光が街を照らし始め、人々が動き出す時間になっていた。だが、ここではまだ夜の作戦会議が続いている。

 

 シャドウガーデンは、聖女という新たな——そして極めて危険な——駒を手に入れた。いや、高リスクの爆弾を抱え込んだ。

 

 シャドウは裏方としてゼータを支援して、ゼータは冷徹に利用・管理する。それが、今のシャドウガーデンにとって最も安全で、効果的な対応だった。

 部屋の奥で、羊皮紙の魔方陣が淡く光を反射し、静かに次の戦いを予感させていた。

 

 

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