復讐を誓った男の末路   作:筆先文十郎

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後書きで原作・天王寺大、作画・郷力也による本編の前日譚『ミナミの帝王 YOUNG編』のネタバレがあります。

ネタバレが嫌な方は後書きは読まないことをお勧めします。


復讐を誓った男の末路

 毎晩のように見る悪夢。そしてこの日も俺の脳裏にはあの日の悪夢が蘇っていた。

『ただいま~』

 小学生だった俺は家に帰りおやつを食べようとリビングに行く。そこには父親が机にうつ伏せで寝ていた。机の上には水が入ったコップと錠剤が転がっていた。寝ているものだと思った俺は「お父さん、暖房もつけずにこんなところで寝ていたら風邪を引くよ」と揺さぶってみた。

 

 ズルッ……バダンッ!! 

 

 父親の体はそのまま床に倒れた。大きな音を立てたのにも関わらず起きる素振りどころか動く気配もない。

『……お父さん?』

 俺は改めて父親の体を触る。

『──―』

 父親の体は氷のように冷たかった。そこで俺は初めて悟る。父親は死んだということを。

 ちょうど家に帰ってきた母親が父の倒れる音に気づき、『あなたは見たらダメ!!』と俺をリビングから追い出した。 その後警察官が行ってきて検死を始めた。

 何が何なのか分からず俺はおふくろの服を握りながらそれを見ていた。

 

 遺品の中に『銀児へ』と書かれた封筒(ふうとう)を母親が渡してきた。自室に戻った俺は封が開けられてない封筒を開ける。そして真実を知る。

 

 会社が傾きかけて苦しんでいた父親に近寄ってきた鮎喰(あくい)商事社長、鮎喰(あくい)天将(てんしょう)の罠にはまり、会社を倒産させてしまったことを。

 そして最後に。俺に敵討ちを。

 

「わかったよ。父さん」

 

 俺は誓った。自分の父を殺した男、鮎喰天将に復讐をしてやると。

 その日から俺の生活は変わった。

 鮎喰天将に近づくためにありとあらゆることをした。

 まず先に手をつけたのは勉学であった。学校で習うことはもちろん、経済や秘書、経営哲学などの経営に関わるものを死に物狂いで学んだ。

 鮎喰商事という巨大組織を倒すためには学校の勉強はもちろん、様々なことを知らなければならないと思ったからだ。

 武芸、英会話、ダンスなども学んだ。

 武芸は己の身を守るために。英会話は鮎喰商事が海外とも取引を行っているため、天将の信用をいち早く獲得し通訳を介さない関係構築で「裏の空気」を掴むために。ダンスは上流の社交界ともつながりがある天将とそこに顔を出す関係者の心をつかむ技術と立ち振る舞いを学ぶために。

 そうして俺は奨学金で一流大学に進学。天将へと近づくために周囲に復讐心を悟られないように気を配りながら日々研鑽を重ねていた。

 

 

 そんなある日。俺は経営哲学の講義を受けるために大学の中央広場を通りかかった。

 季節の花壇に囲まれた場所に大きな噴水がある。水の音が絶えず響き、昼下がりの陽光が水面に反射してきらめいている。

 その光景に時折立ち止まる学生とは違い、復讐の炎を奥底でたぎらせる俺はいつもならそこを通り過ぎる。しかしこの日は違った。噴水のすぐそばに簡易ステージが設けられ、グランドピアノが置かれている。学生や地域の人々が集まり、半円を描くように観客席が広がっていた。

 そのグランドピアノの前に一人の女性が現れる。

 黒髪に自然な茶色の光沢が混じるロングヘア。風に揺れると柔らかく光を反射する。澄んだ灰色がかった瞳。日本人離れした透明感があり、見つめられると心を見透かされるような印象。華奢ながらも芯の強さを感じさせる姿勢。華奢で透明感のある女性らしさ。派手さはないが、柔らかな曲線と立ち姿の美しさで人を惹きつける。

 淡い水色のワンピースを纏い、噴水の水しぶきと陽光を背景に座っている。その姿はまるで水の精のように清らかで、「次の講義の準備をしなければ」と考える俺が磁石にくっついたかのように動けなくする美しさがあった。

「音楽部のアクイミレイです」と軽い挨拶をした後、彼女は椅子に座り演奏を始める。

 ピアノの音色は噴水の水音と溶け合い、広場全体を包み込む。風が楽譜を揺らし、音楽と自然が一体となる瞬間が訪れる。

 聴衆と同じように、俺も夢の中にいるように彼女の演奏に引き込まれていった。

 演奏が終わり割れんばかりの拍手が彼女に送られる。大好きな演奏に喜ぶ聴衆に感謝を述べるため立ち上がり聴衆に頭を下げる。その時だった。

 

 ビュッ──ー!! 

 

 突風が楽譜をさらった。

「母の形見が……!」と彼女は慌てて手を伸ばす。しかし楽譜は彼女の想いとは裏腹にもの凄い速さで遠ざかっていく。その先にある風景に彼女は「いやっ!」と可憐な顔を絶望に変える。彼女の視線の先にあったのは、本来ならば見る者の心を癒すであろう、噴水だった。

「もうだめ……」。その悲しみと絶望を断ち切らせたのは、俺だった。

 楽譜が突風にさらわれた瞬間、俺の身体は動き出していた。鍛え上げられた反射神経と身体能力を駆使して楽譜に追いつくと噴水に入る前にはじく。はじかれた楽譜は噴水の近くにいた学生が地面に落ちる前にキャッチした。

 

 よかった。

 

 楽譜が無事だったことに何故か安堵した俺は、そのまま噴水へとダイブした。

 

 

 

 数十分後。

 ジャージに着替えた俺に彼女は頭を下げた。

「……ありがとう。これは大切なものなの。……お名前、聞かせてもらえる?」

「雪村銀児。雪の村に銀の児童で雪村銀児」

「雪村……銀児……くん」

 刻み付けるように俺の名前を呟く彼女。

「あ、あの……」

 何かを言おうとする。その時だった。

 次の講義が始まることを告げる大学独自の電子メロディが大学内に流れる。

「ご、ごめんなさい! 私、行かないといけないところがあるから!」

 そう言いながら彼女は長財布から一万円札とコンサートのチケットを手渡す。

「私、来週あるコンサートに出るの。よかったらそこで私の演奏を聴いて!」

 そう言い残し彼女は俺の前から去った。

 チケットをもらい彼女の演奏を聴けるという喜びに浸ると同時に。

「あの財布は……」

 俺の冷静な部分が思い返す。彼女が取り出した財布が長年の使用で柔らかな丸みが宿った、持ち主の心を映すように落ち着いた存在感を放ちながらも、一般家庭出身の学生ではまず見られない一流ブランドだったことを。

 

 

 後日。俺は彼女が演奏する会場に足を運んでいた。

「え?」

 そこで俺は見てしまう。演奏する人々の名前が書かれた看板の中に『鮎喰(あくい)澄玲(みれい)』と書かれたのを。

「鮎喰? ……まさかな」

 俺は『鮎喰』という名前に心をざわめかせるも、疑念を振り払い会場へ入った。

「えーと、俺の席は……あったあった」

 俺が通路の傍にある指定席に腰を座ろうとした瞬間、俺は見つけてしまう。左右を屈強な男で固め大あくびする男、父を死に追いやった鮎喰天将を。

「鮎喰……天将……!」

 今にも襲い掛かり殺してしまいたい怒気を俺は何とか抑える。コンサートが始まり演奏が始まっても、俺は怒気を抑えるのに必死だった。対して天将は退屈そうにあくびを続ける。それが俺の怒りを増幅させる。

「続きましては……」

 彼女の演奏を聴ける。そう思った時だった。舞台に現れた彼女の姿を見た瞬間、天将が「澄玲~♪」と声を張り上げたのだ。それを聞いて困った顔を浮かべつつも一礼してグランドピアノの前に立つ彼女。

 男達が「社長」とたしなめる姿を見て、俺は凍り付いた。

 

 ──彼女は、天将の娘。

 

 彼女が演奏を始める。大学で演奏した曲とは違うが、それでも心を奪われる演奏に聴衆は夢の中にいるかのように彼女の演奏に耳を傾ける。

 俺も夢の中にいた。……悪夢と言う名の。

 彼女の演奏が終わり会場全体に響き渡る拍手が巻き起こる中、俺は一人消えるように会場を後にした。

 

 

 その後彼女、憎き男の娘である鮎喰澄玲は彼女の演奏を偶然聞いていた演奏家によって海外留学が決まり、澄玲は日本を後にした。

 俺は大学を卒業するとそのまま鮎喰商事に入社した。外から会社を攻めても限界があると思ったからだ。幸い俺が鮎喰商事によって会社を倒産させられた会社の息子と気づく者は誰もいなかった。

 復讐を果たすためには天将に近づかないといけない。俺はすぐに行動に移した。

 財務諸表や市場動向を読み解き、他の社員が見落とすリスクや機会を指摘。海外取引先との会議で通訳を介さずに交渉し成功するなど様々な形で会社に貢献。他の社員や上司に嫉妬や警戒を持たせないために功績を譲った。

 同僚や上司は出世。だが新しい役職に就いた途端、無能さが露になり周囲は混乱する事態になった。

 頭のキレる天将は気づく。出世した者達の影に功労者がいたことを。天将はそれが俺だと気づくと出世した者達に代わり俺に役職を与えた。その役職以上の功績とそれが自分だけの力ではなく周囲のおかげと謙虚な男を演じながら俺は信頼を勝ち取っていった。

 

 そんなある日のことだった。

 副社長主導のプロジェクトが失敗した。使えない者は長年会社に勤めた者でも容赦なく切り捨てる天将はクビを宣告しようとしたものの、「この程度でクビになれば自分達も簡単に切り捨てられる」と恐れた他の重役達の説得によって退陣は免れた。

 首の皮一枚でつながった副社長に天将は言った。

 

 次はないと思え! あといつまでも副社長の席があると思うなよ? 

 

 と。

 すぐに大きな成果を出さないといけないというプレッシャーに苛まれたのは誰の目にも明らかった。これは使えると思った俺はすぐに行動を移した。

 俺は焦る副社長に「有望な新規取引先があります」と持ち掛けた。

 俺には同期や上司に手柄を譲ってきた。「これで社長の信用は回復し、副社長の椅子が守られる」と希望を持った副社長は俺の話に飛びつき承認印を押した。

「ありがとうございます」

 頭を下げる俺が凶悪な笑みを浮かべることに、安堵に浸る副社長に気づくはずがなかった。

 俺が紹介した会社。これは俺が仕込んだ架空の会社で不正な資金操作を行っていたからだ。

 数週間後。俺はこのことを密告。天将は激怒した。

 鮎喰を恐れ誰も助けるどころか近づきもしないことで社内で居場所を失い、孤立と焦燥に苛まれる副社長を見て、俺は副社長の未来を予見した。

 

 数日後。副社長は自ら命を絶った。俺に仕組まれたことを記した遺書を残して。

 

 副社長が遺書という形でしか残せなかったのは俺があらゆる手段を用いて副社長の口を封じたからだ。

 副社長のスマートフォンやパソコンに監視アプリを仕込み、俺がアプリを作動させれば『送信エラー』や『アクセス拒否』と画面に表示させ外部とのつながりを強制的に遮断。

 家族とは離婚し、会社の人間は社長を恐れて副社長と関われば自分の身が危ない。副社長には味方は誰もいない。

 副社長という地位を失うこと。そして裏切り者は決して許さない天将の残虐性を知っている副社長が絶望し遺書を残すのは自然の流れだった。

 副社長が自室で自殺したのを盗聴で確認した俺は予め用意していた合鍵で侵入。真相が書かれた遺書を回収すると、代わりに「全ては自分が考えたこと。この命で償います」という内容が書かれた遺書と入れ替えた。

 

 裏切り者は自ら命を閉ざした。

 

 副社長の存在を切り捨てた天将は新しい副社長に誰を据えるか決めるため重役たちを呼び出した。

 そこで専務が恐る恐る言う。「まだ若いですが、雪村君はどうでしょう?」と。

 専務の言葉に「私も同意見です」、「私もいいと思います」という賛同の声が上がる。

 重役にとって副社長の椅子は魅力的だ。しかし鬼と化している天将にすぐ結果を見せないと自殺した副社長の二の舞になるのは誰もが知る所だった。

 賛同するのは会社のことを考えてかつ若者に機会を与える、というよりも自分が標的にならないための逃げ道だった。

「あの……皆様。自分にはまだ早いと思います」

 末席に座っていた俺は驚きの人事に驚愕する青年を演じる。しかし「いや、君なら大丈夫だ。私が保証しよう!」と専務を始めとする重役が次々に口を開く。

 そしてあの男が動く。

「雪村! お前も男だろう! 男なら目の前のチャンスをつかんでみせろ!」

 鮎喰天将の命令に逆らえば死に等しい恐怖を味わうことになる。受けるも地獄。拒否も地獄。

 天将の言葉に「は、はい! わかりました! この雪村銀児、若輩者ながら副社長を全力で務めさせていただきます。皆様お力添えを!」とテンパる男を演じる。

 表面では狼狽する青年を演じつつ、心の中で全てが予定通りに進んでいることに歪んだ愉悦を噛みしめて。

 

 副社長に就任した俺は最初の会議に臨んだ。

「私のような若い者が出しゃばりすぎだと思うかもしれませんが、今日はこのような改善案を皆様と一緒に考えたいと思います。

 声を震わせ、手を少し震わせ、重役たちの値踏みする視線に圧し潰されそうな緊張した男を演じながら先に渡した資料を基に話を進める。

 停滞していた大型案件を動かす内容に、天将が「ほうっ」と感嘆の声を漏らす。

 他の重役も「若いのにここまでとは……」と口々に呟く。

 副社長就任前から準備していたがそれを悟られないように「偶然の幸運」、「若さゆえの勢い」であるかのように話を進める。

「社長……どうでしょうか?」

 俺は社長がどう思ったか不安で仕方がない男を演じながら天将の顔を見る。天将は満足げに笑った。

「やはり雪村だ! お前に副社長を任せて正解だった!」

「あ、ありがとうございます!」

 社長の言葉に感激と安堵した表情で俺は頭を下げるとすぐさま「でもこれは皆様が僕を信頼して下さった結果であって自分だけの力ではありません」と添える。

 その言葉に天将は「周りに配慮するのはいいが、謙虚すぎるのも考えものだぞ!」と豪快に笑う。

「あはは……」

 苦笑しながら、心の底で冷徹にほくそ笑む。

 計画は一つ前に進んだ。俺が転覆を狙う男と気づかず豪快に笑う男を前に。だが順調と思った俺に神は試練を与えた。

 

 ある日のことだった。

「雪村。お前には色々頑張らせているからな。特別にいい所に連れて行ってやろう」

 そう言われ俺は心の底で「何でお前と」と言い放つも「ありがとうございます! いや~、どこに連れて行ってもらえるんだろう」とワクワクする男を演じる。

 連れられた場所はグランドピアノが置かれた、静謐な空気に包まれたホールだった。

 高い天井から吊るされたシャンデリアが柔らかな光を放ち、白い大理石の壁がその輝きを反射する。

「おお、鮎喰さん!」

 初老の男が天将の姿を見つけると笑顔で近づく。

「おぉ、渋川さん。先月ぶりですかな?」

 軽い挨拶をすると天将は自慢のおもちゃを見せびらかせるように俺を紹介する。

 話が一段落した後、初老の男と別れた天将は「あ、そうだ!」と手を叩く。

「雪村、お前に紹介したい人がいるんだ」

 そう言って天将は手招きをする。そこに現れた人物に、俺は固まってしまった。

 そこにいたのは純白のドレスに身を包んだ澄玲だったのだ。

「……」

「どうした、雪村? もしかして澄玲を知っているのか?」

 怪しむ天将に俺は「い、いえ!」と怪しまれないように最適解の言葉を探す。

「あ、こういうのは失礼に当たるかもしれませんが……あまりにも美しいから、つい……見惚れてしまって」

 そう言って頬を紅潮させ、わずかに視線を逸らすことで、突然現れた美人に戸惑う青年を演じる俺。

(しくじったか?)

 俺は平静を装いながら動揺を隠せずにいた。もし澄玲が俺と会ったことがあると言えば天将に警戒心を抱かせないために行った演技が逆に悪手になると思ったからだ。しかし彼女の対応は違った。

「ふふっ、貴方みたいなかっこいい方にそう言われて嬉しいです。私、鮎喰天将の娘で鮎喰澄玲って言います」

「か、かっこいいだなんて光栄です! 自分は雪村銀児と申します。お父様には大変お世話になっております!」

 俺は横目で天将を見る。自慢の愛娘に会えて高揚する自慢の右腕。その光景を愛娘を誇らしげに見つめる父の顔と、俺は横目で天将を見る。愛娘を誇らしげに見つめる父の顔と、右腕を値踏みする社長の眼差しが同居していた。その光景にニコニコとする天将を前に、俺は周囲に気づかれないようにホッと息をついた。

 

 

 

 パーティが終わった後。俺は澄玲に外の廊下に連れ出された。

「あ、あの澄玲さん。何か自分はとんでもないことを?」

 大学時代から人目を惹く美しさを備えていた彼女は、年月を経てさらに磨かれていた。

 柔らかな黒髪は艶を増し、知性を宿した瞳は落ち着きと自信を湛えている。

 学生時代の瑞々しさに、大人としての気品と余裕が加わり、誰もが思わず息を呑んだ。

 かつての憧れが、今や社長令嬢として、そして一人の女性として圧倒的な存在感を放っている。

 彼女の微笑みは、若き日の無邪気さを残しながらも、周囲を包み込むような落ち着きを持っていた。

 その姿は、大学時代の美しさに大人の魅力を重ね合わせた、まさに完成された女性だった。

「もうお互い知っている間なんだから変に距離を取るのはやめて。ところでさっき、どうして初対面のふりをしたの?」

 澄玲の瞳が銀児を射抜いた。

「大学時代のコンサートで、あなたが悲しそうな顔をしていたのも……理由があるのでしょう?」

「……!」

 その言葉に俺は言おうとした。天将によって父親は自殺に追い込まれたこと。その父の仇を取るため鮎喰商事に入社したこと。そして鮎喰商事が立ち直れないほどの大ダメージを与えることで鮎喰天将という男をどん底に突き落とそうとしていることを。

(何を言おうとしているんだ、俺は!)

 俺は鮎喰天将に復讐するために全てを捧げてここまで来たんだ! 父の仇を! 俺や家族をどん底に叩き落としたあの男に復讐するために! 

 俺は一瞬だけ沈黙し、やがて苦笑を浮かべた。

「君が鮎喰商事の社長、鮎喰天将の一人娘だと知った時、身分の差を感じたんだ。

 君に近づくためには、それなりの地位に上がらなければならないと思った。

 そして……もし君と知り合いだとお父さんが知ったら、ようやくつながった糸が切れてしまうかもしれない。だから初対面のふりをしたんだ」

 澄玲は銀児の言葉を静かに受け止めた。

 その瞳にはまだ疑念が残っていたが、同時に胸の奥でぬくもりが芽生えていた。

「嬉しい……私も、貴方のことが」

 胸に飛び込む澄玲を俺は優しく抱いた。

 その抱擁の裏で、俺は心の中で冷たい笑みを浮かべた。

 ──復讐の炎は隠し通す。今はただ、誠実な青年を演じればいい。

 

 

 その後銀児は着実に成果を積み上げていった。数々の功績を上げても「これも鮎喰社長がいてくれたからですよ」と手柄を譲り天将を持ち上げ続けた。

 成果を上げ続けても自分を立てる俺を、天将は重宝し手元に置き続けた。

 天将は俺を微塵も疑っていない。そう確信した俺は天将を破滅させる策に取り掛かろうとした。副社長としての権限を悪用し、秘密裏に会社の資産を内部から食い潰す。表面的には忠実な部下を演じながら、天将の企業生命をじわじわと絶つ目途(めど)が立った。その時だった。

 澄玲に政府の重鎮との婚約話が持ち上がったのだ。

 政府との繋がりは自身に多大なメリットに繋がる。天将はすぐに縁談の話を進めた。

 その話が現実になると思われた前日のある日。俺は澄玲からとあるホテルの一室に呼ばれた。

 どうしたんですか、澄玲さん。そんな言葉を言う前に澄玲は俺に告げた。

「純潔をあなたに捧げたいの。だから私を……抱いて」

 そう言って彼女は恥じらいを残すも俺の前で全ての衣服を脱ぎ捨てた。

 

 この女を他の男に奪われたくない。自分だけのものにしたい。

 

 俺は、復讐の炎を忘れた。

 澄玲の美しさに心を奪われ、理性は溶け落ち、ただ彼女を抱きしめる衝動に支配された。

 ──復讐を忘れて、俺は澄玲を抱いてしまった。

 

 後日。俺の失脚を狙っていた社員の密告によって事実を知った天将は激怒した。

「雪村! 本来ならばお前をこの場で殺してやりたいところだが。お前はわが社に多大な貢献をしてくれた。故に選ばせてやる。鮎喰商事から去るか、左遷か。選べ!」

 俺は静かに答えた。

「……左遷をお願いします」

 復讐の糸を切らないためではない。澄玲とのつながりを切りたくないがために。

 

 

 

 そして5年後。俺は鮎喰商事の社長に就任した。

 澄玲が俺を社長に据えたからだ。

 俺を波照間島に左遷されたことを知った彼女はピアニストという道を完全に断ち、事業家としての道を歩く決断をしたのだ。

 経営の神と称される天将の娘にもそのDNAが刻まれていたからか、彼女はカラカラのスポンジに水を浸したかのように経営者に相応しい知識や交渉などの技術を吸収していった。

 ピアニスト時代の人脈と、一流ピアニストとして活躍するまでに積み上げた精神、そして一から学んだ経営学を元に彼女は会社で瞬く間に出世した。「天将の娘だから出世できた」という嫉妬や(ひが)みの声を黙らせるほどの圧倒的な実績を見せつけて。彼女を潰そう、邪魔しようとする気もないほどに。

 彼女は会社内で様々な事業を展開それら全てを成功に収めた。

 娘がいるから安泰と笑っていた天将に思わぬ落とし穴があった。

 澄玲が裏でヤクザと手を結んでいたこと、様々な詐欺事件を秘密裏に行っていたことなど様々なスキャンダルを突きつけたからだ。そして彼女は『この事が公にされたくなければ今すぐ社長を辞任してください』というものだった。

 娘の思わぬ行動に天将は内心激怒した。敵となった者には一切の容赦はしないのが天将の恐ろしいところであった。たとえ愛する一人娘であっても。

「わかった。辞任しよう」

 そう言った天将だったが社長職を辞めるつもりなど微塵もなかった。

 数日後。天将はヤクザに澄玲の殺害を依頼した。だが父親が自分を殺しにかかることを澄玲は見抜いていた。(あらかじ)め凄腕のボディガードを雇っていたのだ。

 結果。ボディガードによって暗殺者は取り押さえられ拷問の末に『天将が自分の地位を脅かす娘を排除しようと殺害を依頼した』ことを自白。

 その後、天将の元に暗殺者の変わり果てた姿が送られた。

 

 敵となった者には一切の容赦はしない。

 

 送りつけられた暗殺者の変わり果てた姿に、天将は膝を折り、立ちあがる気力すら失った。

 ……あいつには俺の血が流れている。敵と認識した者には徹底的に痛めつける残虐性を。

 そう思わされて。

 天将は失意の中、澄玲によって無理やり隠居させられた。

 反発する者が続出したが元々澄玲にカリスマと人気と恐怖によってその声は消え失せた。

 彼女の支配は完全だった。彼女の意向に逆らう者は誰もいなかった。

 邪魔者を排除した澄玲は俺を呼び戻した。

 そして自身は秘書兼社長夫人として俺の隣に立ち、社長の席を譲った。

 

 

 

 こうして俺の復讐は終わった。

 残ったのは思わぬ形で復讐が成ってしまったという喜びと虚しさ、そして。

「ふふっ」

 社長夫人として隣に立つ澄玲の、愛という逃れられない鎖だった。

「貴方、愛してますわ。いつまでも……」

 その言葉は甘美でありながら、裏切れば容赦しないという恐怖を孕んでいた。

「あぁ、俺も愛してる……」

 その恐怖を、俺は不思議と心地いいと感じていた。

 




発想の元ネタはミナミの帝王 YOUNG編。
主人公の萬田銀次郎は阿久津天勝の詐欺によって父親を自殺で失い、母も後を追うように死亡。自身と家族への復讐のため阿久津の懐に飛び込み阿久津を破滅させるというものです。
その中で阿久津の娘と仲良くなります。しかし結論を言うと二人は結ばれることなく互いの道を歩みます。

二人が結ばれるためにはどうなればよかったか?その考えの先がこの小説です。

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