まずい、皆の好感度を上げ過ぎた   作:ヘルタ様万歳

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昔は今の鏡②

姉──梔子ユメの家を訪ねる、という表現は正確ではないのかもしれない。言葉としては成立するが実態を正しく反映していない。

 

正しくはきっと、姉がかつて住んでいた家を訪ねる、だろう。

 

そこに本人はいない。呼び鈴を鳴らしても返事はない。鍵を開ける音に応じる気配も、足音も存在しない。それでも空間だけは生前の配置をほぼ保ったまま残されていた。

 

玄関の位置。靴箱の上に置かれた、季節外れの飾り。ドアノブに残る、爪が引っかかったような浅い傷。それらは記憶の中の像ではなく、触れられる距離にある物証として存在していた。ただただ懐かしいのだ。

 

訪問は定期的なものではない。曜日も時間も決めていない。言葉に出来ない様な衝動に突き動かされ、置いていったものを確かめる為にここに足を運んでしまう。何度確認しようとも無くした事実は覆らないというのに。

 

家の中を一巡する。視線で家具と壁と床をなぞり、慣れしたんだ空間が変わっていないことを確認する。それだけで十分だった。

 

冷蔵庫の低い稼働音。外を走る車の気配。そう言えば私名義で丸ごと買い取ったこの部屋だが、持ち主たる私が消えた場合どのような処理になるのだろうか。この空間が失われてしまうのは少し困るのだが……後で黒服に難癖でも付けに行こう。

 

 

「……」

 

帰る時、私はいつも玄関で立ち止まってしまう。

 

「……行ってくるね」

 

かつて自ら背を向けた癖に、よくもまぁ言えたものだと呆れてしまう。もちろん返事も反応も期待していない。それでも言わないよりはよかった。声に出すことで内部に溜まるものが一定量、外へ逃げてくれるから。

 

外へ出る。

空気は乾いていて日差しは傾き始めている。時間帯としては、活動と帰路の中間。通りに出ると、私は少し離れた場所で停まっているタクシーに手を上げた。運転手がこちらを確認し、ウインカーが一度応答のように瞬く。

 

後部座席に滑り込み、ドアが閉まる音が、外界との区切りを作る。その直前、背後から視線を投げかけられたような気がした。明確な根拠はない。特に足音も呼び声もない。私は振り返らなかった。わざわざ確認する必要もない。

 

 

「発車してください」

 

タクシーは滑らかに動き出し、交差点を抜け、通りの景色を切り離していく。

 

きっと、それでよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

通りの向こうに人影を見つけた瞬間、小鳥遊ホシノの呼吸がほんの僅かに乱れた。

 

「――あれ」

 

声が漏れたのは、思考よりも早かった。

 

ホシノが見た梔子ウツツの外見は、梔子ユメから幾つかの点だけが明確に削ぎ落とされた姿だった。

 

まず、髪の長さが違う。ユメの髪は腰から太腿にかけてまで届く長さがあるが、ウツツの髪は肩のあたりで切り揃えられている。鎖骨を少し越える程度で背中にはかからない。毛先は揃っており遊ばせたような動きは少ない。色味や質感はほぼ同一だ。淡い青緑色で、光を受けると僅かに透明感が出る。ただし量は少なめで、結ったりまとめたりする必要がない程度に軽い。

 

次に、体つき。ユメと比べると彼女は全体的に華奢だった。肩幅が狭く、胸元の厚みも控えめでシャツの前面に張りがない。身体の線が直線的で、凹凸が少ない。

 

腰回りも細く、スカートのウエスト位置がやや下に落ち着いて見える。脚は長さよりも細さが目立ち膝や足首の骨ばった感じが分かる。顔立ちは、ほぼ同一。

 

ただし表情が違う。ウツツの顔は常に落ち着いている。笑うことは少なく、口角は水平に近い。目元も彼女をあまり知らない人からすれば少し冷たく映るかもしれない。視線は真っ直ぐだが相手を見つめ続ける事はしない。一度確認するとすぐに逸らす癖がある。姿勢は良く、背筋は伸びているが胸を張らず、重心が少し低い。歩く時も音を立てず、足運びが小さく踵から着かない。

 

記憶の中の彼女は、だいたいこんな姿だった筈だ。だが、目に映る彼女は他人の空似なのではと一瞬誤認するほど違って見えた。トリニティ総合学園に在籍していた筈の彼女は見た事もない制服を着ており、布地が余り袖口や裾が僅かにだぶついている。筋肉の付き方も乏しく、何処か触れただけで傷付けてしまいそうな印象を与える。歩き方は静かで音を立てないのは相変わらずで。足運びが小さく、無駄な揺れがない。

 

 

 

「……ウツツ先輩?」

 

どんなに姿が変わってしまっても、その顔立ちや雰囲気を、ホシノが見間違える筈がなかった。

 

ホシノがかつて失ってしまった梔子ユメの死は、自分の過失によるものだ。それが事実かどうかは、もはや問題ではない。ホシノはそう信じている。

 

梔子ユメを喪った直後のホシノの前に現れたのは、失われたはずのその人とまったく同じ顔をした、梔子ユメの双子の妹と名乗る梔子ウツツという他校の生徒だった。輪郭も目の形も、声の高ささえ似ている。一瞬だけ呼び間違えそうになる程に、どうしようもない懐かしさと後悔に胸を締め付けられた。

 

彼女が敬愛する先輩ではない事はホシノにも分かっている。分かっているのに、妄信する信徒のように目を離せなかった。胸の奥で罪の重さが圧し掛かってきては、飲み下したものが迫り上がって来る様な心地になった。家族を失い、泣きたいのは彼女の方だっただろうに。ウツツは自分の感情よりもホシノの事を優先させた。

 

意を決して初めて声をかけた時、いっそ殴られる覚悟をしていたのに。ホシノを前にしたときウツツは何も聞かなかった。何があったのか。どうして梔子ユメが死んでしまったのか。彼女はそういう問いを一切しなかった。

 

ただ気付けばホシノの生活に静かに入り込み、食事に手を付けないホシノに料理を振る舞ったり、眠れない夜に隣に座り、言葉が出ない時には無理に話させようともしなかった。つい心が限界になって弱音を吐けば、それを否定せず受け止めてくれた。沈黙が続いても面倒な顔一つしない。

 

依存しているとホシノ自身も自覚していて、きっと敏い彼女なら理解していた筈なのに、彼女は距離を取ろうとしなかった。勘違いしてしまいそうになるのを何度も思い直して……梔子ユメを失った喪失感と、目の前にある同じ姿の安心感が切り離せないまま混ざり合っていく。

 

ありとあらゆる全ての事を、ウツツは一度も否定しなかった。いっそ節度がない程に受け入れていた。慰められていると分かっていても、代替にしようとしている己の精神の弱さに吐き気を覚えながらも縋らずにはいられず、肌に触れる前から体温が伝わってくるような優しさに脳が様々な誤認をしていく。静かに壊れていたホシノの一番脆い場所を、彼女は無意識にも的確に壊してしまった。泣いても、縋っても、何も差し出さなくても。ただ当たり前のように受け入れ続けてくれるユメと同じ顔をした一つ上の先輩。

 

だから欲しくなってしまった。それは許されてはいけない事なのに。もっと話したくなる。もっと近づきたくなる。もっと弱い自分を見せたくなる。どれくらい受け入れてくれるだろうか。ホシノにとってウツツは触れた瞬間に思考を鈍らせ、不安も罪悪感も溶かしてしまう劇薬の様な存在だった。

 

そんな生活は1年が経過した所で終わりを迎える。ウツツが忙しくなった事で以前のように頻繁には会えなくなったからだ。そもそも彼女は他校で、殆ど毎日アビドスまで足を運んでくれていた事こそ可笑しな事だった。

 

それでも、夜になると何度も考えてしまう。今なら会えるのではないか。少し話すだけなら迷惑にはならないのではないか。そんな理由を頭の中でいくつも並べてしまう。

 

だが、その度にホシノは立ち止まる。

 

ウツツの声を思い出すだけで、気持ちが落ち着く。名前を呼ばれることを想像するだけで不安が薄れる。それは決して褒められたものではない感情だと頭では理解していた。

 

だからこそ、これは良い機会なのだと思うことにした。ウツツが忙しくなった今こそ、自分から距離を取るべき時なのだと。

 

何度も後ろ髪を引かれる思いだった。連絡を取ろうとして画面を閉じる。会いに行こうとして、足を止める。その繰り返しは想像以上に苦しかった。我慢という言葉では足りないほどに必死になった。それでも踏み出さなかった。踏み出してしまえば、また元の場所へ戻ってしまうと分かっていたから。

 

暫くしてウツツが以前、何気なく口にしていた言葉を思い出す。

 

──そのうち、アビドスにも新しい子が来ると思うよ。

 

奇しくも、その通りに新入生が入学してきた。

 

最初は距離を測りかねていた。守るべき存在が増えることが怖くもあった。様々な問題を抱えたアビドスを、彼女も帰るべき家として愛してくれるだろうか。

 

それから何だかんだいって一年が経過して、もう一人後輩が増えた。その子はこの世界の何処にも存在していない様な寂しい目をしていた。ある時の自分と姿が重なって見えて、とても放っておけなかった。世話を焼く側に回ることでホシノは久し振りに自分の足で立っている感覚を思い出す。少しずつだが、ウツツに頼らなくても前を向いて歩ける時間が増えていった。

 

完全に忘れた訳ではない。そもそも忘れられる筈もない。けれどあの日、必死に距離を取った選択は間違いではなかったと今は思えている。その事実だけでホシノはようやく少しだけ胸を張れるようになっていた。

 

だって次は寄りかかるばかりではなく、彼女にとっての唯一になりたいのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後部座席の窓越しに街の断面が流れていく。信号ごとに色が切り替わり、風景は層として更新される。ガラス越しに小柄な影が立ち止まるのを視認した。

 

ああ、やはり。彼女だったのか。

 

私は当時のホシノを、発掘対象の遺構のように見ていた。崩落は既に起きており、原因についての仮説は彼女の中で一つに固定されていた。

 

ユメが死んだのは自分の所為だと。

 

検証も反証も受け付けない自己完結した少し寂しい結論。外見上は問題なく機能していた。笑顔こそなかったが、日常的な会話も成立していた。しかし彼女と向き合えばすぐに気付く事ができるその内部構造が、明らかに弱り切っていた。

 

触れれば壊れるという表現は正確ではない。実際には触れなくても既に壊れている状態だった。内部構造は崩落後の空洞を抱えたまま立っている限りなく不安定な状態だった。姉の残した最後の遺言に従うまでもなく、親しい人を亡くしたという共通の痛みが、私に無関心という行動を選ばせなかった。

 

ホシノと最初に会った頃の状態は、感情の不安定さというより反応そのものが極端に偏っている段階だった。

 

会えば泣く。理由を問う前に、涙が先に出る。言葉は当然続かない。

 

問いかけに対して返答がないことも多く、視線は床か、自分の足元に固定されていた。こちらが帰ろうと立ち上がると、彼女は何も言わないが少し強張るのが伝わってくる。当時のホシノは自分で感情を制御できる状態ではなかった。置いていかれるという事象そのものが、即座に崩壊へ直結していたのだろう。

 

けれど元来、彼女は強い子だった。

 

やがて彼女の視点は床や自分の足元ではなく私の顔や、部屋の中、窓の外へと向けられる時間が増えた。周囲を見る余裕が生まれ始めていた。少しずつだが彼女の精神が回復の兆しを見せ始めていた。

 

その頃だったか。ふとした瞬間に彼女が自分の姿を気にするようになったのは。好き放題に伸びた髪。手入れされていない服装。それらに気付き視線を逸らしながら少しだけ恥ずかしそうな表情を浮かべたのは今でも印象に残っている。

 

結果として髪を切りに行くのに付き合い、服を選ぶ時間にも同席することになった。特別な助言をした訳ではない。私はあまりお洒落に詳しくはないから、似合うかどうかを確認し本人が迷えば、選択肢を整理する。回復祝いだと言って、どうせ使い道のないお金だからと遠慮しようとするホシノを無理やり言いくるめては、奮発して何着も服や靴、アクセサリーなどをプレゼントさせてもらった。

 

店の鏡に映る自分を何処か信じられない様子で見つめる彼女に小さな笑顔が浮かぶ。崩れた部分が元通りになる事はないが、その罅を少しでも埋められたらと切に思う。

 

それが当時の私にできた、唯一の関与だったから。

 

 

その後、暫くして私はトリニティで一つの分派を率いる立場になった。自ら望んだ事ではなかったが、周囲の声に導かれるままに立たされた舞台を、大した不満もなく受け入れたに過ぎない。役割が増え、責任が増え、それに比例するように自由に使える時間は削られていった。それについては構わない。元より趣味と呼べるものはなく、一日をただ無為に過ごしていただけだったから。

 

すると当然、アビドスへ通う頻度が下がる事になる。

 

移動時間、調整、継続的な関与。どれもが今の立場では難しい事だった。せめて連絡先を交換しようという話になり、そこで私は初めてモモトークというアプリを使い始めた。リアルタイムでメッセージを送る事が出来る他、多くの生徒が利用しているらしい。生憎と私はこうした機械端末が苦手で、一ヶ月に2、3回ほどしかやり取りはしなかった。

 

暫くして、ホシノから新しい後輩ができたという短いメッセージが届いた。内容は簡潔だった。しかしその文面から以前のような切迫感は読み取れなかった。語尾に迷いがなく、言葉の選び方にも余裕がある。精神状態は以前に比べて明らかに安定しているようだった。

 

きっと彼女はもう大丈夫だろう。

 

彼女には同じ場所に立ち、同じ環境を共有し、互いの生活の中で直接関わる存在を得た。打ち解けるかどうかは彼女次第だが、このまま助け合って生きていってほしいと切に思う。誰かに支えられるのではなく支え合う形で。

 

喪失を完全に埋めることはできなくても、空白を抱えたままでも前へ進むことはできるのだと証明してほしい。私にはきっと出来ない事だから。

 

代替えにしているのはいったいどちらだろうね?

 

言葉にして送るものでもない拙い願いを期待するものでもない。ただ記録の末尾に静かに添えるだけ。

 

 

「……それにしても少し、雰囲気変わったかな」

 

それは、自分に向けた言葉でもあった。外見の変化だけではない。自分の変化を、彼女がどう認識したかは分からない。そもそも確認する必要もないだろう。何故ならホシノはしっかりとこちらを捉えていたから。

 

タクシーは淡々と進む。信号を越え、交差点を抜け、姉の家からも、ホシノからも距離を離していく。私はもう必要ないだろうし、今後も小鳥遊ホシノに出会うべきではない。

 

それでも、今の様に距離を離したものではなく。もしもまたどこかで正面から会うことがあればその時は露出している地層を静かに掘り下げればいい。久し振りだね、元気してた?って。

 

今はただ現在という層に戻る、それだけの話だから。

 

 




今後タグにウツツが誑し込んだ被害者の名前が追記されていくシステムです。
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