まずい、皆の好感度を上げ過ぎた   作:ヘルタ様万歳

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熱を持つ距離に代わっていく

 

 

アビドスのショッピングモールは、常に薄い膜を一枚挟んだような空間だった。外の砂色の街並みと切り離すために入口は意図的に奥まっていて、自動扉を一枚くぐるだけで光の質が変わる。直射日光を模した白ではなく夕方に近い柔らかい照度。影はできるが、輪郭は曖昧になるよう調整されているように見える。

 

天井はやや高い。配管や照明レール、簡易的な広告ホログラムが視界を分断し、空間全体を一望させない構造をしている。遠くまで見通せないことで歩行者は無意識に歩幅を一定に保ち、速度が揃う。人の流れが層として均質化される。床材は場所ごとに僅かに違う。衣料区画では足音を吸う素材、飲食区画では清掃しやすい硬質素材。境目は視覚ではなく足裏の感触で分かる。意識しなければ気づかない程度の差異だが、身体は正確に拾っている。

 

通路の幅は少しだけ余裕がある。すれ違う時に肩が触れないが、距離を取りすぎる程でもない。結果として視線が自然と斜め前方に固定される。衝突を避けるためではなく、関係が発生しないようにするための工夫に見える。

 

人々の表情もはどこか似通っている。急いではいないが、立ち止まりもしない。買い物袋の重さはまちまちでも、歩行のリズムは自然と揃っている。私はその流れの縁を歩く。中央を歩くには、今の身体は低すぎる。視線の高さが下がったことで見えるのは人の足元や鞄、揺れる制服の裾ばかりだ。看板は見上げなければならず、通路の先は人の背中で途切れてしまう。

 

短くなった手足は、歩幅を制限する。床材の切り替わりで時折つまずきそうになる。身体はまだこの空間用に調整できていない。それでもこの小柄さは視界に入りにくい、という点では利点でもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

「だからパクるなって言ってんだろ!」

 

怒声。

次に、別方向から重なる声。

 

「はぁ? こっちが先だし! 名前似てるのはそっちの問題だろ!」

 

私は足を止める。視界の先、開けたスペースに二つの集団が顔を突き合わせ怒鳴り合っていた。装備は雑多で統一感は被ったヘルメットのみ。双方とも銃を構えており、切っ掛けさえあれば今にも戦場となる様な一触即発の雰囲気が漂っていた。

 

片方の背中に、手書きの文字「ドタバタヘルメット団」。

 

もう片方はといえば「バタバタヘルメット団」。

 

――音韻が近いな。確かに紛らわしい。彼らは互いに数歩の距離を保ち、銃口を向け合っている。しかし引き金にかかる指は軽く、威嚇と誇示の比率が高い抗争だと判断する。

 

「ドタバタって付けたのは、うちが先だ!」

 

「バタバタの方が語感いいだろ! 真似すんな!」

 

「真似してんのはそっちだろ!」

 

まるで押し問答だ。その瞬間、発砲音。乾いた破裂。天井材に弾が当たり破片と薬莢が散る。私は即座に身を低くし近くの壁を背にする。

 

次の銃声。床を弾く火花。

次いで人の悲鳴が響く。

 

「撃つなって言ってんだろ!」

 

「そっちが先に撃ったんだろー!」

 

責任の押し付け合い。抗争はまるで目的を失っている。

 

私はその隙に柱の影へと移動する。視線の高さが低い分遮蔽物の選択肢が増えるのは助かった。生憎と今は身を護れるような銃もないし、この身体が戦闘に向いているとは到底思えなかった。

 

再び、銃声。

今度は近い。壁材を削る音。

私は身を縮め、頭部を守る姿勢を取る。

 

「もういい! どっちも改名しろ!」

 

誰かが叫ぶ。

混乱の中で合理的な提案が投げかけられた事におかしくてつい笑ってしまう。

 

銃声が一瞬、途切れる。

その隙に、私は柱から柱へ移動する。

背後で、再び怒声。

 

「改名すんのはそっちだ!」

 

「ふざけんな!」

 

――議論は続く。

解決は、見込めそうにない。

 

私は出口の表示を確認し、進路を定める。

 

最後に一発、天井に弾が当たる音。

照明が揺れ、影が大きく歪む。

 

その歪みの中で、私は外へ向かう。

 

 

 

 

 

衣料品店と雑貨店の境目。床材が変わる位置でふと、私は立ち止まる。

 

声を、先に認識した。

 

少し抑えた声量。間延びした語尾が削られた、少し棘のある声音を耳が拾った時点で脳内の照合は終わっていた。

 

 

小鳥遊ホシノ。

 

私は顔を上げない。視線を合わせなければ、関係は成立しない。成立しなければ観測対象は「通行人」で留まる。しかしそんな都合の良い話はないようで、視線は一方通行では終わらなかった。

 

ホシノは足を止める。一拍遅れてこちらを見る。眉が僅かに動き、次に呼吸が止まる。

 

 

「……」

 

声にならない音。

 

喉が閉じ、開く。

彼女は一歩、こちらに近付こうとして、ピタリと止まった。

 

距離は、三歩分。逃げるには近く、話すには少し遠い距離。

 

即座に理解する。私は今、選択を迫られているのだ。感傷に浸り、再び出会う事があれば久し振り、なんて告げるなどと馬鹿な事を考えていた。しかし新たな人生を始める為に過去を捨てる覚悟をした手前「梔子ウツツ」を名乗る訳にもいかない。私は別人でなくてはならない。しかし突然の事で新しい名前など用意していない。いずれ誰かが呼ぶと黒服は言っていたけれど、もしかしたら悠長に待っていられないのかもしれない。

 

 

 

するとホシノが口を開いた。

 

「……あの」

 

声は低く、慎重。以前の危なげない振れ幅などは見られない。それに少しだけ安心しながら改めて彼女と視線を交わせば、彼女の視線は私の顔から固定されたかのように離れない。思わず踵を帰そうとした私の手を掴み、何かに迷った顔をした。その手は弱々しく、もちろん振りほどく事もできた。しかし私は昔からこの顔に弱く、つい甘やかしたくなってしまうのだ。彼女の為に良くないと分かっているのも関わらず、悪癖と言う他ない。

 

私は顔を上げる。

目が合う。

 

彼女の瞳孔が、僅かに開く。きっと次に来るのは、確認だろう。非常に心苦しいが、私はその前に否定を付き付けなければならない。

 

「……ウツツ先輩、ですよね?」

 

身体の輪郭、身長、声域、立ち位置。外形的な一致点は、意図せずとも殆ど以前の私とは似ても似つかないと高を括っていた。それでもホシノは疑っていないようだった。

 

私は口を開くより先に思考を走らせる。否定は容易い。しかし否定だけではこの場の地層は安定しないような気がする。肯定は論外だ。

 

 

「人違いだと思います」

 

声を意図的に高めに設定し、幼い喉が震えないよう、息を短く切る。ホシノは一歩、距離を詰めないまま首を傾げる。視線が私の全体を収めた後、顔に戻ってきて、固定される。

 

「でも……」

 

その後に続く言葉は分かっている。「似ている」「雰囲気が」「声が」どれも物証にはならない、感覚的なものだからこそホシノは言葉に詰まっているのだろう。

 

「……お名前、聞いてもいいですか」

 

来た。私は一瞬だけ視線を逸らす。床のタイル。反射する照明。考える時間は、心拍二つ分しかない。

 

 

「宮雲、ウヅキ……といいます」

 

一拍、間が空く。名前を名乗るという行為が思っていた以上に重い事を、声が出た後で理解する。

 

名前は適当に考えたものだ。事前の準備も由来の整理も特に行っていない。浮かんだ音が口腔内で破綻しなかったから、それだけで十分だと思っていた。即興で組み立てた標識にしては別に悪くないと思うけれど、もう少し慎重に考えても良かったようにも思う。

 

 

 

ホシノは瞬きをする。

一拍、二拍。

 

視線が、私の全身を走査する。

照合。再計算。仮説の修正。

 

「……宮雲、さん」

 

敬称が付いた。距離が、正式に確定した事で掴まれた手が離れた。

 

「……すみません、人違いでした」

 

「いえ、気にしないでください」

 

声は、想定していたよりも滑らかに出た。ホシノは申し訳なさそうに小さく笑い、会釈をした。その動作は短く、丁寧で、距離を測りかねているようだった。

 

「お時間、取らせちゃってすみません」

 

「いえ」

 

言葉は最小限で十分だった。余計な説明は不要な疑念を残しかねない。

 

ホシノは一拍だけその場に留まり、納得しきれない表情で私を見つめる。探るような視線が暫し続くが、結局は答えが出ないことを彼女自身が理解しているのだろう。やがて彼女は何も言わず、踵を返した。

 

人の流れに戻っていく背中を見つめながら胸の内側に微細な圧が残るのを感じた。

 

拍動に同期しない薄い重み。感情と呼ぶには希薄で、だが存在しないとは言えなくもない。これは残滓だ。過去の層が、完全に埋まりきらず後悔という痕跡を残してしまった。私は一度だけ、呼吸の深さを測る。

 

平常域。問題はない。

 

歩き出すと、モールの照明が床に反射し足元の影が短く揺れる。私は視線を落とし人混みの縁を進んでいく。短い歩幅に合わせて世界がゆっくりと横へと逸れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小鳥遊ホシノは、買い物袋の持ち手を持ち替えながら、モールの通路を歩いていた。

 

人の流れは一定で、急ぐ理由も立ち止まる理由もない。後輩に頼まれた日用品を揃え、後は戻るだけ――その筈だった。

 

違和感は、視界の端だった。

 

通路の縁を歩く小さな人影。もしかして中等部の子だろうか? しかし少なくともアビドスに現存するどの学校の制服とも照合しない。何処の学園のものかも分からない制服を身に纏った女生徒。しかしその歩き方が妙に記憶に引っかかった。周囲を見ていないのに周囲を把握しているような歩幅。人を避けるというより人の流れから最初から外れている。

 

そこまで見て、ホシノは無意識に足を止めていた。

 

顔を見る前に胸がずん、と重くなる。理由は分からない。分からないが、慣れ親しんだ感情が胸を満たすのを感じる。

 

改めて視線を向ける。

必然的に、息が止まる。

 

――似ている。

 

いや、似ているという言葉では足りない。

輪郭、視線の置き方。不必要に人を観察するようなぼんやりとした視線。

 

ありえない、と思う。まず背丈が違う。髪の色は恐ろしく似ているが、そんなもの類似点として挙げるには要素が薄い。何より、あの人は――

 

それでも、身体が先に結論を出す。

 

ホシノは一歩、踏み出しそうになり、寸前の所で止まった。声をかけるにはもう少し踏み出した方がいい。全く準備していなかったというのもあり、胸の奥が不自然に高揚していく。

 

「……」

 

呼びかけるべきか、少し迷う。

けれど足元を漂っていた顔がこちらへ向けられた事により耐えられなくなって、私はついに言ってしまう。

 

「……ウツツ先輩、ですよね?」

 

何度も思い描いた再開ではなかったが、出会えたならきっと嬉しいに違いないのに。心の何処かでは否定してほしいという相反する願いに戸惑う。

 

――やっぱり、違う。背丈も、雰囲気も、すべてが違う。それなのに、視線が合った瞬間、胸の奥に確信めいたもので満たされてしまう。

 

彼女は少しだけ困ったように瞬きをしてから、首を振る。

 

「人違いだと思います」

 

声は、落ち着いている。

かつて自分が知っていた先輩の声とは、明らかに違う。

 

 

「……すみません、人違いでした」

 

違うと分かっているのに、縋りつきたくなる様な懐かしさに胸を締め付けられる。

 

「お時間、取らせちゃってすみません」

 

謝罪の意味も込めて会釈をする。

 

掴んでしまった手を離し、距離を開けた。

それが、今のホシノにできる最善だった。

 

相手は「いえ」と短く答える。それ以上何も言わない。そんな所もそっくりで、心がぐちゃぐちゃになりそうだった。

 

その場を後にしようとして、一瞬だけその場に留まってしまう。

 

もう一度顔を見て一言二言話せば何か分かる気がするのに、それをしたら何も言わずに黙って逃げてしまうような気がした。先輩によく似た人物に逃げられるのはホシノとしても不本意だった。振り返らないように努めながら人の流れに戻る。歩きながら胸の奥に残る違和感に蓋をして、先程聞いた単語を胸の中でなぞる。

 

人の流れに紛れたところで歩調を落とした。完全に立ち止まる理由はない。けれどこのまま同じ速度で歩き続けるのも何処か落ち着かない。

 

買い物袋を持ち替え、ポケットにしまっていた通信端末を片手で取り出す。

 

軽くタップすると、画面が点灯する。見慣れたアイコンの並び。指は迷わずモモトークのアプリを開いていた。宛先を選ぶ画面で、一瞬指を止めてしまう。表示されている、梔子ウツツという名前と今までのトーク履歴を指で撫でる。今の時間なら既読が付き、直ぐに返事も来そうな気がした。

 

「今、どこに居ますか」

「さっき、よく似た人を見かけました」

「気のせいだったらすみません」

 

文面はいくつも浮かぶ。

どれも無難で、どれも少し不自然だ。

 

画面を見つめたままいつまでも立ち止まっていそうで、一先ず歩きながら考える事にした。人の流れに逆らわない程度の速度で、通路を進む。

 

胸の奥が、僅かに熱を持ち始める。依存しないように自ら独り立ちしようとしてあっさりと失敗しているのを見るに、きっとこれからも抜け出す事はできないのだろうと確信する。

 

 

入力欄に何も書かれていないことを確認する。白いままの画面。言葉が存在しないという事実が少しだけ安心を与える。

 

指が戻る。

アプリを閉じる。

画面が暗転する。

 

端末をしまいながら胸の奥に残る違和感に意識的に蓋をする。

 

考えない。振り返らない、追及しない。

 

歩きながら先ほど耳に残った音を思い返す。

あの時、相手が口にした名前。

 

宮雲ウヅキ。

 

胸の中でその名前を反復すると、不思議と引っかかりが残る。

それが何なのかは、今は考えたくもないのに。

 

 

「宮雲ウヅキ……、もしかして」

 

 

先程出会ったあの子がもし、あの人だったら。

 

もし、あの子が本当にウツツ先輩で、声をかけられるのを避けるように、何も言わずに、ああやって距離を取ったのだとしたら。

 

それを追いかけて、問い詰めて、無理やりに答えを貰ったとして。その結果何も言わずに逃げられてしまって、二度と会ってもらえなくなったとしたら――

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

暫く立ち尽くして、そのまま歩き続ける。買い物袋の重みが、今の自分を現実に繋ぎ止めていた。

 

 

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