バンクジョブ・トゥ・デイズ・ゴーン・バイ 作:nallowship
◆◆◆カラテの高まりを感じる◆◆◆
ブンブブブンブ、ブンブンブブンブ。ブンブブブンブ、ブンブンブブンブ――
「確実……私の勝利は確率的に確実……」
ブラウン管を埋め尽くす、目まぐるしく転がる1280万色の12面ダイス。16bit調の陶器めいた軽快な電子音がドラムロールめいて多重再生され、一瞬、暗転、
『ダメ!』
「アーーーーッ!」
無慈悲な判定失敗! 3Dポリゴン秘書の「良くないです」宣告とともに積みあがる債務超過スコア。残りターン1年で逆転勝利は絶望的であった。
「あーダメもう無理! 破産よは・さ・ん!」
「あーあやっちゃいましたねユウカ先輩」
「おおユウカよ、破産してしまうとはなさけない。ですがアリス、ユウカの代わりに……ユウカ?」
意気込んでコントローラを握る天童アリスの肩に、早瀬ユウカの頭が乗った。そのまま力なく崩れる身体を、アリスと観戦していた花岡ユズが支える。
夕暮れ時のゲーム開発部部室。ドヒョウ・リングめいた円形カーペットで4人対戦レトロゲームに興じる7人……1人脱落して6人。寝落ちしたユウカを、アリスがまな板上のマグロめいてソファーに横たえ、双子姉妹の才羽モモイとミドリがアイマスクとヘッドホンを着けた。
「お疲れだね。プレイもユウカらしくなかった」
「まあワザとだな。おし、次いくぞ次!」
空いたコントローラを、美甘ネルが拾う。――席を立とうとした黒崎コユキを引き戻しながら。
「逃がさねえぞ? わざわざチビどもも付き合わせてるんだからな」
「……にはは、やだなあ先輩、逃げるなんて」
「いいから座れ。今回だけはマジで、やらかしたら愛想尽かされるぞ。……リオが、ヒマリに、連絡を寄こした。意味、分かるよな?」
声と視線の迫力に、コユキは無言で座りなおす。代わりに次のゲームを選ばせてやろうとしたところで、ネルのUNIX端末が鳴った。
「あーっネル先輩そう言って自分だけ!私はこんなところに監禁しておいて!」
「うっせえ!廊下に出るだけだ! オイおでこ!一番のクソゲーやらせとけ! ……ん?アスナか?」
『あ、リーダー! 先にお風呂入ったから次どーぞ!』
「こんな時間にか?」
『そうだよ?』
それっきりで通話は切れた。端末画面の時刻は17時前、いくらなんでも早すぎる。……だが相手は一之瀬アスナ、超常的な勘の持ち主だ。
(……さて、どういう意味だ?)
【バンクジョブ・トゥ・デイズ・ゴーン・バイ】#2
連休2日目、朝。アビドス駅。まばらな雲と乾いた風。いつもよりまばらなダイヤ。各自バッグを手に、駅前に集合した生徒たちを、遠足めいて弛緩したアトモスフィアが包んでいる。だが荷物の中身は各々の弾薬であり、行き先に待つかもしれないのは正体はおろか意図すら不明の相手だ。ただ、これが彼女たちの日常であった。
「手榴弾は私が持ちますよ。他に荷物ありませんから」
「ありがとねノアちゃん。じゃあ飲み物とおやつは先生にお願いしようかな」
「ホシノ先輩、自分の着替え忘れてますよ?」
共通の荷物を分担するホシノ、ノノミ、セリカ、そしてノア。先生はシャーレとの連絡を試みるために、駅事務所のUNIXを借りに行っている
アヤネはこの場にいない。フジキドもだ。別に確認することがあるため、終わり次第合流する予定だった。合流と言えば後の1人も……
――キッ。
一同の後ろ、駅のロータリーでロードバイクのブレーキ音がした。
「「「……あ」」」
「……ん、みんな、おはよう」
見慣れた顔、記憶している特徴。探していたアビドス高校最後の1人、砂狼シロコだ。
「シロコ先輩……今までどこに?」
「ん、ドゥアト渓谷まで。みんなに大切な話があって……」
シロコはバイクから降り、歩道に寄せた。そして真剣な顔で3人に告げる。
「……あそこの銀行、5人でなら襲える」
「……へー」
「詳しくは列車で話す。通信障害が直ったらどうなるか分からないから、みんな、すぐに覆面を――」
「……あのね、シロコちゃん」
子犬めいた純粋な眼差しで熱を込めて語るシロコを前に、ホシノは気まずそうに視線を逸らす。その先にはノアがいる。
「えーと……聞かなかったことにしますね」
「シロコちゃん、待っててあげるから着替えてきてください。今からそのドゥアト渓谷に行きますから」
「ん、ノノミもやる気。じゃあ覆面は紙袋を」
「だからやめてって」
堂々巡りのやり取りは、先生が戻ってきたことで終わった。ノアの表情はずっと引きつっていた。
「ん、心当たりない」
「そっか。まあ何もなくてよかったよ」
1時間後、列車内。他に乗客のいない車両のボックス席。いつものアビドス高校制服に着替え、手短に状況説明を受けたシロコは、先生に買ってもらったサンドイッチを頬張りながら端的に答えた。
手がかりの1つ……「砂狼シロコの生徒情報に関する連邦生徒会データベースへの不正アクセス」という当ては外れたようだ。軽く安堵の息を吐く先生の顔を、ノアが覗き込んだ。
「なんだ、そんなことですか。私にだけ教えてくれないので変だと思いました」
「いや、まあ」
「いいですよ、気にしませんから。きっとヒマリ先輩がミレニアム以外も含めてハッキングしたんでしょう。私が――セミナーが知ると不都合だったんですね」
ノアはいつもの温和な笑顔のまま、わずかに年相応に悪戯っぽく目を細めた。先生は目を逸らす。シロコとの合流と熱意が予想外でつい確認を焦ったが……彼女が帰るまで待つべきだったか。
リオとヒマリの連名によるミレニアムからの要請は、端的に言えば犯人の確保だ。大規模断線直後のシロコに関する不正アクセス等、事件に関する参考情報の他、根拠は不明だが「N案件」――ニンジャが関わっているとの情報もあった。ただ先生は、行間に奇妙なニュアンスを感じていた。どこか遠慮がちな、内外への情報をコントロールしようとする歯切れの悪さを。
「で先生、結局その不正アクセスってどういうこと?」
「うーん……」
首を傾げる先生。ただの陽動、人違い、まだ接触していないだけ、シロコが気付かなかった、……解は少ないが、どれも腑に落ちない気がする。
最も可能性が高いのは――
「やっぱり、彼女かな……?」
「ん、たぶん「シロコ」のほう」
シロコが事も無げに言う。その意味を聞き返す者はこの場にはいない。直接面識のないノアも、ユウカから事情は聞いている。
このキヴォトスに、「砂狼シロコ」は2人いるのだ。
ここにいる方のシロコは、素性や嗜好はともかく普通の生徒だ。色々と特殊な事情のあるもう1人の「シロコ」のほうが、狙われる理由はあるだろう。
「だけどなあ……」
「そちらのシロコさんは、そもそも連邦生徒会のデータベースに載ってないんですよね。混同しないように本名を出していないみたいですし。――あくまでも私が知ってる範囲で、ですが」
「知らない人は存在自体知らないし、知ってる人ならハッキングする必要なんてないんだよね……」
推理は滞る。連動するように列車が信号待ちで止まる。目的地まではまだ遠い。ノノミが配るおやつとお茶を、5人はどこか上の空で受け取った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
―――
「……キヴォトス全域で発生している通信障害について、連邦生徒会は……の異常に……本日正午時点で...の75%を復旧……明日朝から昼にかけて……」
窓のない室内、途切れとぎれのニュース番組がUNIXから流れるが、それを聞くものはいない。
――――
ヘンタイアニメ喫茶の個室よりはましという程度の、タタミ3枚分の小さな部屋だ。固定デスクとリクライニングチェア、白く殺風景な内装が慣れない者には圧迫感を与える。備え付けUNIXと通信セキュリティだけは標準以上……出張で1泊だけするサラリマン向けの貸しオフィスである。
仕切られた部屋の一角、店の売りである個室シャワーの磨りガラスめいた壁を通して、水音と3色の光が室内へ……LED光の中に佇む灰色の髪と白い裸体のシルエットが、薄い湯気で揺らめく。
「……」
――――
温めの湯がシロコの額を打ち、頤から胸の間、腹へ、あるいは髪を伝って背から尻へと流れ、内腿から足先へとほてった体温を洗い流していく。目を閉じ、身じろぎもせず、ただ水と時間だけが過ぎていく……
昨夜から昼過ぎまで銀行の様子を伺っていたが、記憶との違いはなかった。
この街ではビジネスで現金を使う機会がほぼない。出張所が多く、決済は本店で行われるからだ。必然的に銀行に金目のものがない。取引は少ないが時間外取引に対応するため、店舗が閉まるのが遅い。警備はミレニアム製ドローン等が主。……結果、どこか警備が間延びしていて、特に夜には隙ができる。
「ん」
小さな自嘲の笑み。……あの時は、こんな銀行すら見境なく襲った。実際、ろくに返済の足しにならなかった。
違うのは自分だ。アドバンテージは「前回」の経験。一方で条件は厳しい。行員を脅して手当たり次第に金品を奪ったり、自分だけで金庫に侵入できればいい訳ではない。
しかも悪いことに、今この街には、先生とアビドスのみんながいる。自分の都合でも、みんなのためにも、顔を合わせたくはなかった。
――キュッ。
シャワーを止め、アメニティのタオルで髪の水分を取る。素肌の水滴は、空調に吹かれて乾くに任せる。
ライディングウェアは荷物に詰めた。自転車は市外に隠している。終われば自分は速やかに消えて、後は彼女次第だ。
「ん」
シロコは小さく頷いて、壁にかけた服――喪服めいた黒いドレスと、「2」の刺繍がある青いバラクラバに手を伸ばした。
部屋の外で、日が沈んだ。
闇の中。天に浮かぶ光輪の明かりが小さな天窓から差し込み、2人の生徒を照らす。黒いドレスに着替えたシロコと並んで座る依頼人のトリニティ生徒は、丈の長い群青色のコートに着替えていた。荷物は宿に預けていて、小さなハンドガンだけを震える両手で握っている。
「落ち着いた?」
「は、はい……初めてのことなので」
「ん、最初はみんなそう」
名も知らない少女の肩を抱き、頭をなでるシロコ。荒事には縁のない生徒では、怖気づくのもやむをえないことだ。だが止めるとは言わなかった。意思の強い娘だ。それに実際、襲うならば通信障害の解消前、警備システム全体の連携がない今夜しかない。
「心配しないで。ちゃんと金庫まで連れていく」
「は、はい……」
「じゃあ確認。――私たちは『あなた』に依頼された、ちょっと強引な便利屋。権利書を見つけて依頼人に伝えるのが仕事。正体は明かさない、ちょっと脅すけど怪我はさせない。何も盗らない……もちろん権利書も。何を言われてもそれで押し通す。もしも顔を見られたら権利書は別の人に買いに行ってもらう。いい?」
少し強い口調で念を押す。少女は無言で首を振る。
「ん。後は私が何とかする。……行こう」
シロコが差し出すエスコートの手を、少女はまだ少し震える手で取った。――その手に、シロコは穴の開いた大きな紙袋を乗せた。ほのかな鯛焼きの匂い。額の位置にはまだ生乾きの「6」の文字。
「これ被って」
「何ですかこれ……?」
「ん、0から5は使用中だから我慢して」
「……アッハイ」
(銀行強盗ってこれが普通なんでしょうか……?)
小首を傾げる少女を促しながら、シロコも青いバラクラバを被り、目と耳の位置を調節して「ん」と頷いた。
――カチリ
「……ん?」
シロコは振り返った。すぐ後ろの闇の中で、何か聞き覚えのある音が聞こえた気がした。――ただの闇があった。おぼろげな音の記憶も、すぐに闇に溶けて消えた。
「お疲れ様でした」
「おう、お疲れさん」
銀行の通用口で、私服に着替えて退勤する遅番の行員と、駐車場の施錠を確認しにいく警備員がアイサツを交わす様を、監視カメラが追う。いつも通りの時間に時間外営業が終わり、後は既定の人数で朝の交代を待つだけだ。いつもの夜、いつもの1日。キヴォトス全体を揺るがす事態でもなければ変わることのない、一地方の日常だ。……この世界ではまだ。
銀行の周囲を一回りしてきた警備員が、交代要員として来た別の警備員と、他愛もない世間話をしながら非常口に歩み寄る。うち1人がセキュリティ要員登録を自分に切り替えようとして――
「ん?」
「どうかしましたか?」
「いや、何か変な音が」
答えを聞く必要はなかった。日没から強くなりだした風に吹かれて、施錠した駐輪場奥の暗がりで空き缶が転がっていた。カラカラと、ナリコ・トラップめいて――
――バサッ!
次の瞬間、コウモリめいて黒い「何か」が、2人の背後に落ちてきた。1人が振り返る前によどみなくその腕を極め、動きを封じた肩にアサルトライフルを乗せて、振り返ったもう一人の眉間に銃口を突き付ける。暗い焦点の先には、青いバラクラバの穴から覗くオッドアイの瞳孔……。強襲、一瞬の捕食。何らかの意思を抱こうという警備員の意思は、既にシロコの爪牙に組み敷かれていた。ゴウランガ。翻っていたスカートが遅れて重力に惹かれ、つけ根までさらけ出された白い脚のいくばくかを覆い直した。
「……ん、何も言わずに中に通して。怪我させるつもりはないけど、逃げたり声を上げたら容赦しない」
2人が小さく息をのむのを肯定と捉え、音を立てぬよう浮かせていたヒールを下す。コツン、と小さな音が2つ。少女が暗がりの角から駆け寄り、小声で「ごめんなさい」と何度もつぶやきながら後ろ手に拘束する。シロコはうち1人に指示し、自分たちを警備システムの警戒対象から外させる。
「ん、案内よろしく」
「さすが手際がいい……」
「ん、褒めても何も出ない」
憧憬めいた眼差しの少女を、シロコは軽くあしらう。実際、彼女は内心で嘆息していた。
(どうして私は、前回、下調べまでしたのに正面から襲ったんだろ……)
記憶は既に定かではなく、応えてくれる者もいない。若気の至り……結局はそういうことだろうか。空き缶の転がる音が、通用口のドアの向こうに消える。
扉の開く音、床を蹴る音、銃口を向ける音。……ひと繋ぎの音が聞こえたことをシロコに伝えるように、支店長がゆっくりと両手を上げた。若いがどこか達観した風のロボ市民だ。
「……ずいぶん世間知らずな強盗だな。よりにもよってここに入るか?」
「ん、否定しない。でもここは知ってる。金庫の中に用がある。開けてもらう」
「はいそうですか、と開けられないことくらい分かるだろ?」
「ん。だから襲った」
有無を言わせない物言いに、少女と警備員たち、加害者と被害者がそろって固唾をのんだ。……ややあって、呆れたように支店長は手を下ろした。
「……店仕舞いくらいさせろ」
「ん、セキュリティ解除も」
苦笑して手元のUNIX端末をタイプする。暗いモニターに緑色のコマンドが高速スクロールし、窓ガラスの内側に映る株価チャートが、数秒の01ノイズ表示を経て暗転した。……支店長権限による警備システムからの警戒対象除外。これでセキュリティが再起動する日付変更時までは、行内に不審者はいないことになった。天井に据え付けられた監視カメラ、ZAP銃、催涙ガス噴霧装置などが、赤いランプを2度点滅させて機能停止する。
一連の手順が終わったこと、警備員2人が柱に拘束されたことを確認して、支店長は金庫に続く丸い重量金庫扉の制御パネルにカードキーをかざした。
扉から、当座の現金等を保管する1つ目の金庫へ――
中の格子戸を開けた先の地下通路から、店の裏、岸壁に埋め込むように作られた大金庫へ――
電子制御ZAP銃、トリイギロチン、ネギトログラインダー、切断レーザー格子……平安様式ブディズム・テンプルの石窟に彫られたブッダデーモンめいて、沈黙してなお侵入者を威嚇する非人道警備装置が、無機質な通路のそこかしこから覗いている。少女はシロコの腕にすがりつき、失禁を堪えていた。
「――」
前を歩く支店長が、何か声をかけてきた。気遣われているらしい。少女がコクコクと頷く。……その声を、シロコは白昼夢めいて聞いていた。否、彼女の方が白昼夢めいた遠い記憶を重ねていた。
『ごめんな、せっかく勇気出したってのに』
今は足元を向いている――前回は小さな背を狙っていた銃口。老齢の支店長がひとり、先導しながら申し訳なさそうに呟いていた。いや、違う。今思い出したのだ。あの日の自分は、何も聞いていなかった。
「――おい、どうした?」
シロコは我に返った。通路の最奥、物理・電子両面で固く閉ざされた大扉の前に、3人は立っていた。鏡めいた合金に映る自身の目は、シロコには、「この世界のシロコ」よりもずっと幼く見えた。
「ん、何でもない」
「変なヤツだな。それでも銀行強盗か? ……ちょっと待ってろ」
支店長は多重認証システムを起動し、電子ロックを1つひとつ解除しながら言った。
「途中のトラップを見ただろ? 本来ここまでお前たちを連れてきた時点で、銀行としては大問題だ。いちいち店まで戻れないからエントランスまでは入れてやるが、そこから先には通せない。ここにあるのは――」
「『持ち主を傷つける以外、他人には1円の価値もない書類だけ』――」
「……お前、初めてじゃないのか?」
支店長は訝しんだが、それ以上は何も言わず、物理開閉装置を操作した。壁の中から濁流めいた駆動音が響き、数秒後、排気音を伴ってロックが外れ、人手では動かない扉がゆっくりと開いた。
支店長と少女に続いて、シロコも大金庫に入る。
壁の形から、巨大な球形のシェルターであることが分かる。床以外は透明な耐熱防弾合成樹脂で囲まれた、ほぼ正方形のエントランスの四隅では、通路と同じZAP銃が沈黙している。壁の先、死角なく整然と配された金庫は、さながら中流階層向けコツツボ・アパート墓地だ。
エントランス正面の扉を挟んで、内外に1台ずつUNIXが据え付けられている。支店長が手前を操作して扉を開け、奥で検索画面を呼び出し、少女を手招きした。……たった1歩分の目こぼしだ。
『まだ納得いかないかな?』
『お願い……もう少し!もう少しだけ!』
『……もうすぐ日付が変わる。そこまでだよ?』
シロコは――シロコだけがその先、開けた大金庫の中心を見ていた。記憶の中の大金庫を。
散らばった無数の書類挟み。2人の人影は、駄々をこねる孫娘とそれをあやす祖父めいて……空色のマフラーがほどけて床に落ちた。
(そうだ)
(あれは、私だ)
今も肩にかかっているアサルトライフルが、柱の陰に打ち捨てられている。
翳った表情は見えないが、泣きはらした目の熱さと冷たさは、シロコ自身が覚えている。
傍らに膝をついた支店長――「前回」の支店長が、書類挟みを几帳面に箱に詰めて金庫に戻し……次の書類箱を持ってきた。
――カチリ
(銀行を襲う。他にはもう方法がなかった……思いつかなかった。止めるホシノ先輩ももういなかった。……ん、違う。私が――)
記憶が目の奥を締め付ける。
薄っすらとだが思い出した。「前回」は何か、すぐに大金が必要なことがあって、計画も何もかなぐり捨てて強盗に来たのだ。朝から、正面から、ひとりで、僅かな現金しかない支店を。……よほど思いつめたように見えたのだろう、定年間近の支店長が、何も聞かず金庫を開けてくれた。結局、必要な金はなかった。
(自分のことだけで精一杯だった。……支店長さん、ずっと付き合ってくれたな)
彼はその後どうなっただろう。再び会う機会はなかった。……最期はきっと、他の人とそう変わらないはずだ。
子供だった。今だって子供のままだ。
(…………ん?)
ふと、シロコは違和感を覚えた。本当に微かな「何か」が……
「――あった!」
歓喜に満ちた声が、黙考を止めた。少女がありふれた書類挟みを胸に抱き、駆け寄ってきてシロコの手を取る。支店長の気配は近くにはない。書類箱を戻しに行ったのだろうか。
「ありました権利書! ありがとうございます! これがあれば……」
「……ん、良かった。じゃあ帰ろうか」
空いた右手で少女を撫でながら、この後のことを考える。まず脱出……いや支店長と警備員にお詫びだ。書類も間違えないようにしないと。すべての権利書が揃っているかを確認し、管理番号を控えておく。念のため現在の持ち主も。資産評価は……記載なし。一定ではないから当然か。買戻しの交渉は少しタフになるかも。そう、この権利書を――
――ゲヘナ学園の校章が印字された権利書を。
「――ッ!?」
「ふぇ!?」
反射的に手を振り払う。右手は肩のアサルトライフルへ、左手で逆に少女の細い手首を捕らえ、動きを封じて銃口をその眉間に向ける。少女の手から書類挟みが落ち、留め金が外れて灰色の透かしが入った書類が、あのときシロコ自身がそうしたように床に散乱する。――その全てがゲヘナ自治区のものだ! トリニティの権利書ではありえない!
「あなた、何者!? どうしてこんな嘘を――」
シロコは食いつくように叫ぶ。だが少女は先ほどまでと同じ、小動物めいた目でただ困惑している。そこには一片の敵意も害意もなく。
……故にシロコは気付かなかった。銃の影で少女がコートの内から取り出したもの――小型のスタンガンに。
「ンアーッ⁉」
ZAP! 白熱した光が散る! 感電の痛みにシロコは呻き、少女を捕らえていた左手がほどける。
やはり敵か? 自分は騙されたのか? 自然とわき上がる怒りと敵意――だが記憶のごく浅い場所にある少女の顔が、声が、それとぶつかって渦を巻く。彼女は何者か? 巧妙な擬装か? ただの狂人か? ――迷いが答えを求めて手を伸ばさせ、その先にあった少女の覆面を剥ぎ取った。……そこにあるのが、間抜けな獲物への嘲りや、アサシンめいた無表情であればよかったかもしれない。少女は、ただ困惑していた。
「え? あ、あれ?……ごめんなさい!大丈夫ですか⁉」
「――ん!」
よろける足をかろうじて踏みしめる。幸いスタンガンは掠めただけで通電はわずかだ。身体は問題なく動く。片手で銃を構える。
(迷うのは後、まずこの子を拘束して――)
「……私、今何を?ナンデ?」
シロコの銃を挟んで2人が対峙し……いずれも表情が硬直した。
「指が――動かない⁉」
「管理コードの箱で一番手前の契約書が探してたもので……シロコ=サンには預かったスタンガンでお礼を……お礼?お礼ナンデ? アイエエエ……」
糸が切れたジョルリ人形めいて少女が唐突に崩れ落ちたのを、シロコは銃を持ったままの右腕で抱き止めた。白目を剥き、鼻血が細く流れている。
(何? 今の様子は。それに私の右手……)
――カチリ
『マーキング完了だぜ、『恐怖(テラー)』=サンよ』
「誰⁉」
今度こそハッキリと聞こえた。例の音だ。そしてノイズまみれの男の声……知った声ではない。振り返っても誰もいない。先程と何も変わりは――否!
「嬢ちゃん、すぐに逃げろ! 警備システムが再起動してる!」
血相を変えた支店長が駆けつける。その言葉を裏付けるように、監視カメラが黄のランプを激しく点滅させている。時刻は0時には遠い、明らかに人為的なものだ。
「1分もすればZAP銃が動くぞ、早く金庫から出ろ! 何があったか知らないがこの子も連れて!」
「あなたは⁉」
「金庫開けたまま行けるか! 俺なら中から開けられる、撃たれるのは嬢ちゃん達だけだ! とにかく急げ!」
ひと息に言ってから、支店長は金庫内の制御室に向かった。実際、迷う暇はない。監視カメラのランプは既に緑だ。
(……何も分からない、でも、分からないままじゃ駄目!)
シロコは少女を米俵めいて担ぎ上げ、決断的に走り出した。
(#3に続く)
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