咲達と幸雄の半荘戦が終わった。
終わってみれば咲・池田・和の順に点数が高く、幸雄はトビ終了。
トビ、などと言うのは本来ならば羞恥心すら覚えて然るべき結末。それが幸雄ほどの打ち手ともなればその場から逃げたくなってもおかしくは無い。
……だが。
「楽しかった。心から礼を言わせてくれ。……有難う」
彼の顔は赤くもなっていなければ、逃走を計ろうという雰囲気すら感じられ無かった。
満面の笑み。喜びから来る脱力。一切の憂いを感じさせない声色。
彼から発せられる全てが、その言葉が真実だと裏付けている。
「……良い対局だったわ」
「そうじゃな。わしらとの試合も、咲達の試合も、ほんに得難い二半荘じゃった。ぜひまた打ちたいのぅ」
それまで殆ど見守っていただけだった久とまこが一歩、雀卓に近寄る。
二人の表情もやはり晴れやかなモノであり、世辞や気を使って出てきた言葉では無いと分かる。
池田と優希も同様らしく、言葉は無くとも笑顔が浮かんでいる。
だが、咲と和は違かった。
「………どうして、最後に二索を振り込んだんですか?あれは、私のカン材だって分かってたんじゃ……」
「そうですよ!咲さんが張っているのは分かっていたはずです。であれば、誰も和了らずにあの局が流れる事を信じて一度降りて、次の局に賭けるべきだったはずです!」
声を荒げる和と、疑問を問う咲。
そんな二人に幸雄は背もたれに預けていた身体を僅かに起こして答えた。
「……和了りたかったんだ。こんなに楽しい対局の最後に役満……それも九連宝燈で和了って捲ったのなら。麻雀人生最良の日に成っただろうからな」
「…言いたい事は分かります。……そういう想いを否定したいわけでも無いんです。私はただ……」
そう言って和は言葉を詰まらせる。
『私はただ、もっと打ちたかった。振り込みなんていう終わり方では無く、ちゃんと打った末に倒したかった』と。和の喉元までそんな言葉がせり上がっている。
けれど、[それは言葉にするべきでは無い]とも、同時に理解していた。
単なるわがままでしかないと理解しているから。
「……なんて、思ってはいたんだけどな。どうも違うらしい」
「えっ?」
「そ、それはどういう……」
そんな和の心情を読み解いたわけでも、察したわけでも無く、幸雄は続ける。
本心を、最後まで。
「言葉通りだ。俺は生涯、君達との対局を忘れない。きっと、な」
満足そうな顔で言い、立ち上がる幸雄の足元で床と椅子の脚が擦れる音が響く。
「そういう事だ。長々と悪かった。またいつか、会う事があれば打とう」
両手をズボンのポケットに入れて歩き出す幸雄。
帰ろうとする彼に、咲と和からそれ以上の言葉は無かった。
あんまりにも屈託の無い想いに面食らい、考えていた事が抜け落ちてしまったからだ。
二人はただただ、心残りと照れが混ざり合った表情を浮かべるだけ。互いに見つめ合い、言葉を飲み込むだけだ。
「もう一局くらい、どうかしら。まだ、須賀くんも帰ってきていないし、待つついでに打ってもいいんじゃない?」
「そうはいかない。もう半荘……いや、東風戦だったとしても、これ以上は居座りたくなる。……それに、な」
そう言って幸雄は立ち止まり、振り向きながら上着の内ポケットから何かを取り出して久に見せる。
四角く、軽そうな箱ーー煙草の空箱だ。
「切れたんだ。買いに行ってまた戻って来る、なんていうのも間抜けだろう?次こそ見つかりかねない」
箱の両角をつまんで軽く振り、中身が無い事を示す幸雄。
それを見た久は[引き留めるのは無理だ]と悟り、諦めたような笑みを浮かべてため息を吐いた。
「……そ。じゃ、外まで送るわ。帰りがけに先生方に見つかったら面倒だしね」
「それは助かる。悪いが、もう少しだけ厄介になる」
「良いのよ。楽しい対局のお礼だと思って」
再び歩き始めた幸雄に続くようにして歩き出し、扉の近くで足並みが揃う二人。
その背に届くのは部室内に残った優希達からの別れの挨拶だ。
「じゃーなーおっさん!次会う時までには天和で八連荘出来るようになっておくじぇ!」
「またこっちに来よる用があったらわしの店に顔出しんさい。ルーフトップちゅう店じゃ。メイド服雀荘とでも調べりゃ出るはずじゃけぇな。かつ丼くらいならサービスしてやるけぇ」
「ああ、覚えておく。片岡の嬢ちゃんは……まぁ、ほどほどに頑張れ」
「次の県大会、見に来いし。アカギさんの打ち方を部の後輩達に教えてやって欲しい。……あたしも聞きたいし」
「仕事が無ければだな。教えるのも構わない。……強い奴が増えるのは嬉しいしな」
「…私としてももう一度打ちたく思います。こんな終わり方じゃ納得出来ませんから」
「ははっ、手厳しいな。ならいつか、眼鏡の部長の店で」
「ええ。その時までに私ももっと強くなっておきます」
「あの……。もし、お姉ちゃんと打つ事があったら……。どんな勝負になったか教えて下さい」
「……別、で住んでるのか?」
「はい。東京の白糸台高校に通ってる宮永 照って言います。……もう卒業、なんですけど」
「分かった。覚えておく。……妹の君が強かったとも伝えておくよ」
「そ、それは…!……はい、お願いしますっ!」
全員の視線が幸雄に集まり、幸雄の視線が部室に残る全員に向けられる。
ほんの僅かな時間、彼らは見合う。
……誰もが、二度と会う事は無いのかもしれないと思いながら。
そうして視線は扉で遮られた。
「……お前ら、気付いてたか?あのおっさんが誰なのか」
「風越の部長も気が付いとったか」
残され、扉の外の足音が消えると同時に池田が溢した言葉にまこだけが正しく反応する。
けれど他の咲、和、優希の三人は意味が分からずに顔を見合わせて首を傾げるだけだ。
「そこらのおっさんがお前らみたいなおかしな奴と打ってまともに試合出来ると思うか?あたしだって一般人とじゃそう簡単に負けないのにだぞ?」
「……どういう、事?」
「まさか、男性のプロの方ですか?」
「…あんなガラの悪いプロいなかったと思うじょ?」
「はぁ……。お前ら、麻雀は打つ以外駄目なのかし。アカギ、って名乗ったんだぞ?」
「何か思い付かんか?」
呆れた様子で続ける池田に若干ムッとする三人は、その後のまこの言葉を受けて頭の中を探る。
……が、気が付けたのは咲だけだった。
「でっ、でも!その人は昭和の頃に……!」
「まぁそうじゃがのぅ」
「好きなだけ嶺上開花和了ったり、海底牌がなんだか分かったり、調整したら天和出せたり、ドラだの赤い牌だのが集まり易かったり、一巡先が見えてるかもっていうような超能力者みたいのだったり、そんなのがバカみたいにいる世界なんだぞ?タイムスリップする奴がいたって不思議じゃないだろ?」
「い、池田のクセに説得力あるじぇ……」
「そんな非科学的でオカルトな事、あり得ませんから!……確かに全国ではいない所から現れた子もいましたけど!手品とかですっ」
「でも……。もし本当にそうだとしたら」
両手を胸の上に重ねて振り返り、幸雄達が出て行った扉に視線を向ける咲。
「……また、打ちたいな。今度は、回数に制限なんて設けないで、打てるだけ、ずっと……」
その眼は輝き、頬は微かに上がっていた。
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「ね、アカギさん」
「ん?」
夕焼けに染まった校舎の裏口。人通りなどそうあるはずも無い場所で、久と幸雄は向き合っている。
「……本物のアカギさんって、どんな感じだった?」
「………………やはり気が付いていたか」
一歩踏み出せば校舎の外という場所で、そう確信をもって問われた幸雄は返答を誤ったと感じた。
[何がだ?]。単にそれだけの言葉を投げるだけで良かったはずだ。と。
……だが。
「確信を持ったのは二回目の半荘の時だけどね」
「末恐ろしい奴だ。本当に学生か?」
「ま、一応ね」
心から満足のいく対局でもてなしてくれた彼女達に『不義理だ』と、ガラにも無く思ってしまったのも事実。
第一、昭和の高度経済成長期頃に生きていた人間が現代に現れた、などと言って誰が信じるのか。
それこそクスリをやっていると思われる。
ーー……言ったところで問題は無い、か。彼女達が誰に話したところで相手にされるわけも無いだろう。
「あいつは……本物のアカギは、恐ろしい奴だ。俺も一応戦った事はある。それは無規則に選んで手牌を作り、即座にシャンテン数を当てるってヤツだが、野郎は平然とそれをやってのけた。俺の誇りとも言えるそれをだ。その後、当時手を組んでいた汚職警官にどんな野郎かを聞いたんだ。『神がかり的』『悪魔的』そんな打ち方だったらしい。特に、対局相手の心を見透かすのが上手かった……。対局中に性格やクセを見抜き、逆手にとって打ち負かす。……そんな野郎だと聞いた」
包み隠したりはせず、知っている限りの情報を素直に答える幸雄。
それを受けた久は衝撃を受けたらしく、眼を見開いた後にどこか残念そうな笑みを浮かべて笑った。
「そうなの。……貴方ですら、そう言っちゃうような人だったんだ」
「……参ったな」。久が小さく漏らした言葉が風に消えていく。
彼女の胸奥に浮かんだモノ。それは対局中、幸雄を見て感じた[敵わない]という感情の再来だった。
「ああ。俺はただ、奴に見た目が似ててそれなりに腕があったから偽物に選ばれただけだ。……本物が現れた途端、雇ってた奴は俺を解雇しやがったがな」
若干怒って言ったものの幸雄の中にはそれほどの苛立ちは無かった。
理由は分からない。
だが、あるとすれば。
ーーきっと、今日という日が俺を救ってくれたんだろう。
なんの確信も無く、そう思い込めた。
「もったいない事したわね、その人。貴方だって充分強いのに」
「いや、そうでも無いさ。俺ははっきり言って弱い。君らと真っ当に戦えたのは今日、やっている途中に自分の弱い部分が分かって直せたからってだけ。当時の俺は極端に憶病な、打ち手の風上にも置けない弱者だった」
「よく言うわよ。まだ実力がモノを言うと思われていた時代にデジタル打ち……理屈を伴った打ち方をしていた人のくせに」
「しかし、結局はどこまでいっても運。理屈だけで勝てるわけでは無い」
「……まぁ、ね」
「だから君達には感謝しているんだ」
久の驚くような声を背後に受けながら幸雄は裏門から一歩踏み出し、言葉にする。
「俺はようやく……麻雀を打てるようになった」
今日幾度目かの本心を。
「そう…。私達に出来た事があったのなら良かったわ。こっちにしても得られるものは多かったしね」
「なら、お互い得が出来たな。麻雀の最後にはそうない話だ」
言いながら内ポケットをまさぐり、箱を取り出す幸雄。
そこから白い棒を一本取り出すと、咥えてから火を点けた。
「なによ、持ってるじゃない」
久のため息交じりの声は小さく、幸雄には聞こえていない。
恐らくは本当に清澄高校から帰りたくなくなってしまうと思っての嘘だったんだろう。そう、久は結論付けた。
「で、今後はどうするの?まさか本当に須賀君の家に行くとか?」
「まさか。……そうだな。野郎の成れの果てでも拝んでやるのがいいかもな」
「本物のアカギ?」
「ああ。君達の様子じゃ埋もれてはいないんだろう?時代に」
「ええ。……ただ、どこにあるのかは分からないわ。隠し墓所にあるとか、大金持ちが買い取ったとか、色々噂があるの」
「はっ、それはいいな。暫く暇にならずに済みそうだ」
何処か申し訳なさそうに答えた久に笑って応える幸雄。
その、あまりにあっけらかんとした男の様子に久は言葉を失ってしまう。
「ああ、そうだ。最後に一つだけ」
「……?」
殆ど吸う事無く中ほどまで灰になってしまった煙草を咥え、紫煙を吐き出した幸雄が振り返り、再び久に声を掛ける。
「あの咲って嬢ちゃん。俺は対局中、あの娘をあいつと同様『悪魔的』だと感じた。同類だと思ったんだ」
それは咲に対して幸雄が感じた事。
普通の相手にはまず感じるはずの無い感覚。
「あっはは!分かる、よっく分かるわ。反則よね、あの子の強さ」
「あぁ。だが、考えを改めたんだ。あの嬢ちゃんは『悪魔的』ってのとは少し違う、ってな」
「へぇ?なら、何かしら」
再び煙草を口に運び、ゆっくりと煙が吐き出される。
「……全国には嬢ちゃんにも負けず劣らずの打ち手が居たんだろう?そいつらだって大概悪魔みたいなもののはずだ」
「ま、そうね。色々いたわよ?絶対ダブリーちゃんとか、追っかけたら確定和了ちゃんとか、本当に……色々」
久にとっての夢だった舞台・団体戦の全国大会。
その場で目にした異常としか言いようの無い数々の強敵達。その姿が鮮明に思い起こされる。
「……それが、どうかしたの?」
「そんな奴らの頂点に嬢ちゃんは立ったんだろう?だから、悪魔達の王なんじゃないか、ってな」
「それは……。……まぁ、そうかもね。全国の決勝、その大将戦。あの三人と同時に打ち合える相手なんてきっとそういないわ。その上で勝つ人だって、そんなにいるとは思えない」
思い返し、俯きながら久は答える。
もう少しだけ先……。卒業式の夜にでも耽ろうと考えていた感慨が溢れて出て来てしまう。
それをなんとか、どうにか、堪える為に。彼女は暫く顔を上げられなかった。
「さぞ見ものだっただろうな。麻雀の神に……いや、悪魔か?そんな得体の知れないモノに見初められた奴らの対局は」
そんな状態を知る由も無い幸雄は咲や久達が大会に出ている姿を思い浮かべる。
どんな相手がーー恐らく風越の部長はいるのだろうその大会で、彼女達がどんな活躍をしてどんな役で和了るのか。そんな事を、ガラにも無く考えてしまう。
「……次は、見に行ってみるか」
「…えぇ、そうね。きっと次の年も凄いのが居る筈よ。神域の男を目にした人だって退屈しないような凄いのが……」
どうにか感情を抑え、平常心を取り繕いながら答える久。
けれど。
「……全く、独り言なら独り言って言いなさいよ」
顔を上げた久の視線の先に幸雄は居なかった。
少し進んで裏門から身体を乗り出せば、遠くに歩き煙草をする幸雄の背が見える。
煙草の煙も微かに香っている。
「知らないわよ~?今はそーいうのってキビシーんだから」
後を追って怒ったりはしない。
これが彼なりの後腐れない別れ方なのだろう、そう考える事で怒りは治まる。
もし文句を言う事があれば。それは次に面と向かって会えた時だろう。
「さってと。どーやら帰って来たみたいだし、この後は須賀君で遊んであげないとね」
屋上から溢れる賑やかな声が、裏門から校舎の方へと歩き出す久に届く。
きっと優希辺りが怒っているのだろう。そんな、あと何度出来るかも分からない想像をしながら部室へと戻る。
そうして数分後に帰ってきた彼女は、既に優希から泣く程折檻を喰らっている京太郎を見て、想定より酷い状況に苦笑いするしかなかった。
「あ、部長!せっかくだからって決勝先鋒戦で作ったタコス持って来てやろうとしたらこれですよ!?酷くないですか!?」
「わりゃ、時間ちゅうもんを知らんのか。どあほ」
「そーだじょ!!そのせいで一回しか和了れなかったんだからな!?」
「今回は京ちゃんが悪いよ」
「そうですね。咲さんの言う通りです。ゆーき、好きなだけやっていいですよ」
「おぉ!?ならこのまま家に持って帰って……ぐふふふ」
「ちょ、洒落になんないだろ!!!部長!!」
「……元、よ?」
ーーいいや。私しーらない。
「ちなみにわしに異存はないぞ」
ーーこれだけアピール受けとるんじゃ。腹ぁ括らんかい。
「そんなぁ!!!」
次巡へ続く。