全ての準備が整い、残るは親によるサイコロの回転を待つばかりという頃。
「……なぁ、悪いんだが十分ほど時間をくれないか?」
幸雄、申し訳なさそうに言葉を挟む。
「いきなりどうしたんだし」
「準備は終わっていますが……」
「それはそうなんだがな。……少し、な」
そう言って幸雄は立てた二本指を口元に持っていき、二度三度前後に動かす。
「どうにも切れた。思えば朝から今まで吸っていなくてな、流石に一服行きたいんだ」
彼女達は知らない。幸雄が麻雀を打つ時は常に紫煙を纏っている事を。
それは彼自身のモノだけでなく、同席するほぼ全ての人間が漂わせ、まるで服のように着ていた。
「……出来ればやめてほしいし。臭いし」
「私も好ましくはありませんね。そういったイメージが払拭されつつある競技でもありますし、何より礼儀を失しています」
「返す言葉も無い。全くもってその通りだ。……だが、普段打つ時は我慢も何も無くてな。君がぬいぐるみを持っているように、俺にとっての煙草は一種の安心材料なんだ」
「エトペンを煙草と一緒にしないでください。全然臭くありませんし、吸っても無くなったりしません」
「突っ込むとこそこかし!!……ちなみにお前はどうなんだ?」
若干怒った様子の和にツッコミを入れつつ、池田が視線を向けるのは咲。
咲は彼女の視線に気が付くと、どこかもじもじとしながら答える。
「わ、私は吸ってきてもいいとは思うな。……場所があるのかは分からないけど」
ちらりと、咲が覗き見るのは幸雄の後ろに立つ久。
その視線を受け取り、久は顎に右の人差し指を当てて思い返すようにしながら口を開く。
「そーねぇ。教員兼来客用の喫煙スペースはあったような気もするけど、貴方が行くのはちょっと危険じゃない?」
「…確かにそうだな。京太郎の案内とは言え半ば不法侵入だ。見つかったら面倒事この上ない。かと言って学校内で大っぴらに吸うわけにもいかない」
「大っぴらじゃなくともダメじゃがな」
「おっさんは不良だったのか?」
「……俺がガキの頃は見つかったら喫煙所に案内されたよ。『校内でポイ捨てするな。誰が片付けると思ってるんだ』ってな」
「あ、荒れてんな~~」
「竹刀の持ち手でそれなりに強く頭を叩かれるまでが一連の流れだった」
懐かしそうに笑いながら答える幸雄と、目に見える程引いている池田と和と優希。苦笑い気味の咲、まこ。
そんな彼女達とは違い、久だけが楽しそうに聞いている。
「まぁ時代ね。今でこそ校内禁煙だけど、少し前までは職員室は煙草臭かったらしいから」
「ああ。灰皿なんか山のようだった。ここまで常識が変わるんだから不思議な感覚だ」
「お陰様で私達学生は過ごし易いけどね。職員室に入る度に髪に臭いが付いたら堪ったもんじゃないわ」
「だろうな。俺だって他人の煙草の臭いが付くのは嫌だ」
何故か意気投合する二人。それを見てまるで身体ごと後ろに引いているかのように見える表情を浮かべる池田と和。
「で、結局どうするんだし。見つかるの覚悟で行くのか?」
「それは私が後々面倒になるから許可できないわね。……だた」
そう続け、久は窓際の方を見る。
「……まさか、冗談ですよね?」
「まぁいいじゃない。一本や二本吸ったところでビーチチェアにもパラソルにもなんの影響も無いわよ」
「けど、それだけだと臭いが残るじぇ?」
「それも風に当たりながらなら大丈夫じゃない?今日は少し風もあるしね」
「……初めて来たから分かんないけど、下から見えるんじゃないか?」
「それも大丈夫。今日は休みで人が居ないし、案外見えないのも知ってるしね」
ぽつりぽつりと零れ出た不安要素を全て解消し、誰からも意見が出なくなる。
それを受け、久は幸雄の後ろから離れると屋根上に出られる窓を開けた。
「そーいう事だから行って来て大丈夫よ。……窓は閉めるけどね?」
「助かる。流石は元部長だな」
「どういたしまして」
「悪いな、みんな。少しだけ時間を貰う」
「……分かりました。竹井先輩が良いと言うなら私は何も言いません」
「じゃ、じゃあ私もちょっと失礼します…」
「ならあたしは練習試合の話でもするかな」
「ほーじゃの。ちょいと待っとれ。今出とる分の予定表を用意する」
「……このまま待っていても仕方ありませんし、私は咲さんに着いていきます」
「お、なら私も行くじぇ!丁度トイレ行きたかったんだ~」
「ちょ、優希ちゃん!」
「?咲ちゃんも大きい声で言ってなかったか?」
「そ、それは女の子ばっかりだからで……!」
幸雄が立ち上がって歩き出すとほぼ同時、静かだった部室内が急に騒がしくなる。
それを幸雄は久の開けた窓の所まで行って肩越しに覗くと、小さく笑った。
ーー俺にもあったんだろうな。学友と騒ぐ、こんな日々が。
「……変態みたいよ?」
何処からか久が取り出すのはブラックの缶コーヒー。
それを幸雄に向け、片腕を組みながら差し出す。
「らしくない、って言うんだ。こういう時はな」
窓の桟を跨ぎ、ガラスに手を添えながら受け取る幸雄。
その胸の奥には[抜かりない]の一文字が浮かんでいる。
「何から何まで有難う」
そう言い、返答を待たず彼は窓を閉めた。
「……初対面なんだけどね?」
その表情が微笑んでいる事を、彼女は窓ガラスに反射していた自分を見て初めて気が付いた。
ーーーー
「……久々に吸った気がするな」
ビーチチェアに腰を下ろす事無く火を点け、二度の呼吸で紫煙を喫んだ幸雄は急速に思考が開けたようになるのを感じる。
「こういうのを[生き返った気分だ]と言うんだろうな」
まずは数度、慣れ親しんだ味を楽しむ。
鷲巣と過ごした夜。煙草の味など分からなくなり、そもそも最後に吸ったのがいつなのかすら思い出せないあの日以来の味。
それは正しく、どんな料理にも勝る至高の味と言えた。
ーーしかし驚いたな。麻雀は学生が部活動にするほど浸透し、挙句全国大会を開くまでに地位を確立しているなんて。にわかには信じ難い話だ。
やっと味以外を考えられるようになった幸雄はこの瞬間までに起きた・目にした事の反芻を始める。
それは意図してというよりも手慰みに近い理由。言い換えるなら、思考に出来た余裕が自然と埋まっていくのに近い感覚。
ーー全国……。全国か。日本中の奴が一堂に会して打つなんて考えもしなかったな。
片手で持った缶コーヒーのプルタブを指先で開け、一息に煽る幸雄。
そうして飲み干し、煙草の灰を飲み口から中に落とす。
ーー俺が学生の頃にあれば……。…………いや、何も変わらなかったか。根っこの問題だろう、これは。
ジリリと灼け進む音を微かに聞きながら煙が吐き出される。
ーーそんな奴らの中で勝ち残ったのがあいつら。流石に強い。……悔しいが、読み以外は俺以上だ。
思考に耽り、長めに出来上がった灰を缶の中に落として残りを見る。
『あと半分も無い』。そう思うと、何処か急かされるように咥えた。
ーー元部長は理詰めに囚われずに打てる度胸、眼鏡の部長は危険牌の察知能力とそこからの和了り方、片岡の嬢ちゃんは神がかり的な手の速さ……これは東場だけだったが充分驚異的だ。
僅かに焦げた味。煙草のフィルターにまで火が届いている事にも気が付かず、更に耽る。
ーーそんな三人と対等に肩を並べているんだろうあの二人と、もう一人。池田…とか言ったか。あの娘の強さだけが測れないが、ここに練習試合を挑むくらいだ、彼女もその学校もそれなりなんだろう。
吸う。が、味が焦げ臭い。
そこでもう煙草が終わっていると気が付いた幸雄は缶の中に吸殻を入れ、上着のポケットに締まった。
「……このくらいは代償を払わないとな。運気に愛想をつかされる」
両手をズボンのポケットに入れ、風を感じる。
先ほど元部長が言っていたように程よく吹いており、心地いい。
ーーもう少しだけ風に当たっておくか。煙草の臭いで集中力を削がせるわけにもいかない。
そうして幸雄は立ったまま更に風に当たる。
彼が部室内に戻ったのは久が窓ガラスをノックした数分後だ。
次巡へ続く。